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今週のトップ5:『バットマン vs スーパーマン』、『ドリームホーム』、『マジカル・ガール』、『砂上の法廷』、「Georgia」、アニメ『くまみこ』第一話

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ルーシー・シュローダー「GeorGia」(Vance Joy)

www.youtube.com
「Riptide」以外未見だったヴァンス・ジョイのMVを回っていて見つけた叙述トリックもの。
仕掛け自体はありがちなんだけど、むしろどんでん返しの後が良くて、まるで「そういうもの」に感情移入して喜べるジャンルファンとそれを冷めた眼で「なにが面白いんだこいつら」と眺めやるパンピーとの温度差が戯画化されたよう。

vimeo.com

MVを監督したルーシー・シュローダーは基本的には悪夢系ファンタジックMV路線でやっている人で、人間の住居の一室で所在無げに佇んでるアルパカや、髪を後ろではなく前で編んだため右目以外の顔がほとんど隠れてしまった女や、首だけカール・ラガーフェルドみたいなおしゃれなおっさんの人面でそこから下は小型犬のサウンドエンジニアや、テーブルのうえでエビ反りになって足に挟んだパイにケチャップをかける女や、互いにアゴヒゲがつながった男二人など見ているだけで楽しくなるビジュアルを一つの作品のなかにどんどん盛り込んでくれるインフレ的なサービス精神に長けたMV監督らしいMV監督。

ラミン・バーラニ監督『ドリーム・ホーム 99%を操る男たち』


映画「ドリーム ホーム 99%を操る男たち」予告編 #99 Homes #movie

 自分の好む映画の傾向を考えるに一つ出てくるのが「冷徹でクレイジーな実利主義者(大局的に見ればたいがいは小悪人)がメンター役となって無垢な主人公を地獄へ引きずり込む」系の歪んだ師弟物というべき作品群で、『セッション』を筆頭に『プラダを着た悪魔』、『トレーニング・デイ』、『ウォール街』、『コラテラル』などなどまずハズレない。*1むろんコンセプトだけで百発百中ということはありえないので、『ランナーランナー』なんかは超絶つまんないんですが、さいわいにも『ドリーム・ホーム』はそうした不幸な例外にならずに済んだ。
 こういう系に共通するのは、導かれる側の主人公がメフィストフェレス役の人物に対して「こいつは明白にイヤなやつだけど、実際成功してる、あるいは言ってることが論理的だし、もしかしたら正しいのかもしれない」とちょっと思わせられてしまうところで、それは同時に主人公へ感情移入する観客の思いでもある。おうおうにして社会的な成功と倫理的な正しさは両立し得ない。*2とはいい条、ほどほどに成功してほどほどに善良な人物はいくらでも実在するはずなのだけれど、そういう人間はお話にしたところで面白く無く、エンタメとしては「びっくりするぐらい金持ちで最高にヤなやつ」というくらいでないと観てて楽しくない。映画館とはパッケージ含めてありえない極端さを見られる空間なのだし。

 とはいえ、バイポーラーめいた一かゼロかの状況がまったく現実と乖離しているかといえばそんなこともない。こと近年ではよく貧富の格差や中流層の消滅をどこの国でも見聞きするわけで、『ドリーム・ホーム』の扱っている題材もまさにそれだ。彼らが生きているのは、負けても凡夫としてフツーにつまらない日常を生きられる社会などではなく、勝つか負けるかで負けたら惨めに死ぬしかない社会だ。
 本作でメフィストフェレス役を務める不動産ブローカーのマイケル・シャノンは弁舌さわやかに「アメリカは勝者による勝者のための勝者の国だ。方舟に乗れるのは百人中たったの一人。おれはその一人になる。おまえはどうだ?」と若いアンドリュー・ガーフィールドにかっこつきの「アメリカの現実」をつきつけ、貧乏暮しの惨苦を味わってきたガーフィールドをアジって汚れ仕事をたくみに押し付ける。そもそもガーフィールドはシャノンの思想に同意するか否かに関わらず、この職を喪ったら子供と母親を抱えて路頭に迷ってしまう。

 邦題*3が言っているように家を、それも貸家ではなく持ち家を持つというのは都市化と郊外化を経験した20世紀以降の文明人にとって一つの夢だ。*4ことにアメリカ映画では、家は印象的なモチーフとして頻出する。家は家族にとって絶対不可侵の聖域であり、土足で踏み入られたり、破壊されたりするのはほとんど悪夢に近い。それをとりあげられるということは、アメリカン・ドリームが奪われること、「アメリカ」に住めなくなることすら意味する。
 だからなのか、ガーフィールドは自分が生まれ育って家に執着を燃やす。シャノンの元で苦労して稼いだ金を、とりあげられた持ち家を取り戻すためにつぎこもうとする。母親のために、子どものために、自分のために、そこで育んできた幸福な過去を取り戻すために道徳心を押し殺し、しゃかりきに働く。
 ところがそんなガーフィールドをシャノンは冷笑する。
「家なんてのは」とシャノンはうそぶく。「ただの箱だ」
 彼は家を聖域としてみない。もしかしたら、彼にも家庭と家を直結させていた時代はあったのかもしれない。しかし、リーマンショックを経験して「一介の平凡な不動産業者だった」というシャノンの人生は一変した。あの空前の悲劇を通じて、家というものが思い出を投影先でなく、投機の対象でしかないことを知ってしまった。
 彼はアメリカン・ドリームの消滅とともに生まれた怪物なのだ。しかし、夢なき社会では怪物にならないのでもないかぎり、生きてはいけない。ガーフィールドは怪物になれるのか。


 歪んだ師弟物で興味深いのは、申し合わせたように決まったオチを迎えること。様式美といってもいい。
 つまり、押し付けられた七難八苦を乗り越えて人間的に一皮むけた主人公が「それでもやっぱりあんたは間違っている」と師匠に背を向けて訣別するんですね。
 やっぱり、それまで悪人を魅力的に描いてきた分、どこかで倫理的な揺り戻しをやらなきゃいけないという意識が作り手の心理として働くのか。この手の作品で「色々あったけど、私も師匠も特に改心せず元気にブイブイいわせてます!」なんてのは観ない。余談だけれども、『セッション』が新鮮だったのは、まさにそこの部分。いったん「師匠との訣別」というオーソドックスな手順を踏んでおいて、「その先」を描いた。
 
 

カルロス・ベルムト監督『マジカル・ガール』


映画『マジカル・ガール』予告編

 いきなりシステムの話から始まる。
 数学教師が教え子にこう述べる。「歴史には無限の可能性がありえるが、たとえ我々がいかなる状況にあったとしても2+2は4で変わらない。たとえナポレオンがスペインを占領して、今我々がフランス語で授業しているとしても、2+2は4だ。それが数学というものだ」
 では、『マジカル・ガール』で用いられる方程式とはなんであるのか。

 『魔法少女まどか☆マギカ』の経済原則は、願いと報いの等価交換だった。願い事が大きければ大きいほど、その代償は膨らんでいく。因果応報。ある意味で、非常に倫理的な原理といってもいい。そういう観点でいくと、ベルムト監督はたしかに『まどマギ』をよく観てよく理解している。
 一方で、ノワールやヤクザ映画にも似たような経済原則がある。こちらは物理法則と言ったほうが正しいのかもしれない。作用と反作用。「メンツ」と呼ばれるシステムだ。すなわち、「メンツ」に傷が付けば、傷つけたほうの誰かが殺される。いちばんわかりやすいのは殺したので殺し返すというやつだが、命の等価交換とはかぎらない。一人殺されたのに対して二人殺しかえしたり、十人殺し返したりすることもある。彼らは一般的にはあまり理解されがたい公理で動いていて、定量化しづらい。
 どちらにも共通しているのは、一度動き出したらもう止めようのない暴力的な半自走式の機構であるところだ。ベルムト監督は往路は魔法少女の経済学で、復路はヤクザ映画の経済学で願いと報いの方程式を完成させた。
 魔法を願う白血病の少女の父親の前職が文学教師なのも、願いの対価として登場する男が元数学教師なのもつまりはそういうことで、実のところ漠然とした夢想でしかなかった*5少女の願い(好きなアニメで魔法少女が来ていた服)を父親が金で買える願いに換算したところから悲劇は運命づけられていた。*6

 人は物事を願うときに、その範囲を明確に定められない。矢部嵩ふうに言えば、「パースをひく」作業ができない。それは願いというものが本来叶うはずもないものとハナから措定されているからで、現実的に叶うとわかれば少しはリアリズムに傾くのかもしれないけれど、どうせ叶わないものならば無際限に高望みしてしまうのが人というものだろう。
 父親はこともあろうにそれを聞き届けてしまった。無際限に願われたものに、「本来なら幸せになれないはずの娘を幸せにしたい」というみずからの願いを乗せて叶えようとしてしまった。それは魔法少女の経済的にいえば、無限の代償を必要とする願いだった。
 
 願って報いられる人々は父娘だけではない。バーバラも、元数学教師も、願いゆえに相応のコストを支払わされることになる。極めて魔法少女的な方程式で、極めてヤクザ映画的な方法によって。


 魔法少女経済学原論。
 

コートニー・ハント『砂上の法廷』


2016年3月25日(金)公開 映画『砂上の法廷』予告編

 場面の八割から九割が法廷内で展開する純然たる法廷劇。
 端正なルックスに反して意外と破天荒なプロットで、観ていて飽きない。
 ミステリとしては先が見え過ぎるという意見をよく見るけれど、法廷劇に求めるべきは緊張感と圧迫感のダイナミクスであって、要はリズムさえ心地よければいいのです。


 それにしても顔つるんつるんのキアヌ・リーブスってキアヌ・リーブス感がゼロになるなあ。キアヌ・リーブスの本体はアゴヒゲだったのか……。

ザック・スナイダーバットマン vs スーパーマン

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 ほんとうにひどいやつだよあの三人組は。
 
 まあ個人的には『スーサイド・スクアッド』さえ面白ければDCにはもう何も望みません。『シャザム!』とか『サイボーグ』とか誰が喜ぶねん。

アニメ『くまみこ』第一話。

 『だがしかし』とは逆に、原作→アニメと変換する過程でポルナイゼーション起こしてた。
 

*1:フルメタル・ジャケット』、『冷たい熱帯魚』、『羊たちの沈黙』あたりは三者三様の理由で含めるべきかどうか迷う。

*2:実際大企業の幹部にサイコパスが含まれる率は社会全体におけるそれの値よりかなり高い。rf.マーク・ロンソン『サイコパスを探せ!』

*3:原題は「99 Homes」

*4:「家を所有することは、新たなアメリカンドリームの実現と同一視されるようになった。量産されるハリウッド映画でお馴染みのように、マイホームは達成を、すなわち満足を象徴していた。自信にあふれる父親、颯爽とした母親、ほっぺたの赤い子どもたちはやがて良い学校から大学へ進む。家はアメリカの家族をまとめる役割を果たした」(p.214,デイヴィッド・ハルバースタム『ザ・フィフティーズ』ちくま文庫

*5:ラジオで読み上げられる少女の手紙を見よう

*6:冒頭で父親はカミーロ・ホセ・セラの『蜂の巣』を古本屋に売ろうとするが、本の値段を内容や文化的価値でなく、量った重さでつけようとする店員に反撥して売るのをとりやめる。だが、コスプレアイテムを購入しようと決断して、結局は自分の本をすべてその古本屋に売ってしまう。彼がヤクザの領域に踏み込んでしまったのは、実はファム・ファタルたるバーバラに出会ったときではなく、このときだった


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