super meat boy、BitTrip Runner、They Bleed Pixels、Ori and the Blind Forest、The End is Nigh、そしてCuphead といった「ステージクリアのロジックを覚えるために、そのステージで何度も死ぬことが前提とされる」タイプのゲームを個人的にそうくくっています。これらは他のプラットフォームアクション、たとえばマリオやカービィなどと違って、初見でステージをクリアするのが不可能である場合がほとんどです。が、繰り返される死はテレビゲーム黎明期のアクションパズルによくあったような理不尽な難易度によるものではなくて、正解のルートをゼロから探り出すべく費やされる明瞭で意義深い死です。
アメリカ土産に父が『ナイトメア・ビフォア・クリスマス』のソフトを買ってきて*2以来、ストップモーションアニメは私を組成する嗜好の重要な一パートを占めています。 とはいえ、ヘンリー・セリックの血脈であるライカ(『KUBO』とか『パラノーマン』とか)のウルトラハイパー緻密なアニメーションよりは、流麗ではあるけれどどこかぎこちなさという不自然さの残るアードマン(『ウォレスとグルミット』とか)っぽいのが好みで、それというのも「人間でないものが人間っぽく振る舞おうとがんばる」ものに惹かれる性分であるからかもしれません。 『Mr.Fox』は、ラディスラス・スタレヴィッチの名作『Le Roman de Renard』(1937年)*3にリスペクトを捧げていることからもわかるように、あえてのぎこちなさを残している面もありつつも、そこで描かれているドラマとキャラはたまらなくヒューマン、という奇跡のようなバランスを有します。奇跡と言えばキツネやアナグマが二本足で歩いて喋っていることが「実写」*4ではありえない、アニメーション特有の奇跡です。 そこにウェス・アンダーソン製の世界観とユーモア、それにアレクサンドル・デスプラ一流の音楽を加えれば最強。完璧。なにも欠けたるところはなし。
ハロッズの再会シーンで、ピーターとの会話が成立すると気づいたマクレガーは「そりゃ喋れるだろうさ!(I knew you could talk!)」とうめきます。 そして、これまでの悪事についてのピーターの全面謝罪を聞き、いっしょにビアのもとへ向います。そしてビアとも(やはり上半身を介した)コミュニケーションを通じて和解する。 それまでピーターたちは暴力やいかにも動物っぽい媚態を通じてしかマクレガーがビアとコミュニケートしてこなかったわけですが、ラストに至ってようやく「対等な相手」として互いをリスペクトしあえる関係になるのです。 外見で話が一切通じないと判断していた相手が実は対話可能な「人間」だった――一見おバカスラップスティックムービーに見える本作ですが、実は今日的なトピックを奥底に秘めたイイ話なんですね。
レイノルズが朝食をとりにきたベッド&ブレックファストに、アルマはウェイトレスとして勤めていた。彼女はテーブルにぶつかっては騒がしい音を鳴らし、注文を取るためにテーブルからテーブルへとせわしなく動く。後にその騒々しさと too much movent を責めるにもかかわらず、このときのレイノルズは彼女のたたずまいに惹かれる。ジョアンナとの最後の朝食で「朝は胃にもたれるものは食べたくない」と刺々しく言い放ったくせに、平日の朝食とイングリッシュブレックファストの違いはあるにしても、アルマにはベーコンやソーセージ、クリームやバターの乗ったスコーンといったこってりした料理を注文する。
次にアルマの taste が色濃く出るのは、朝食のシーンだ。ジョアンナがいたときの冒頭のように、窓を背にして正面にレイノルズ、左手にシリル、右手にアルマが座る。三角の構図の三角関係。 レイノルズがなにより静穏を求めるこのテーブルで、アルマはざりざりと妙に大きな音を立ててトーストにバターを塗る。手元に集中したいレイノルズの耳に障る。「おねがいだから、そんなに動かないでくれるか(Please, don’t move so much)」 そんなに動いてない、と反論するアルマをさえぎって「It's too much movement. It's entirely too much
movement at breakfast.」と繰り返す。*15元はと言えばアルマが move too much だったからこそ、レイノルズは彼女を発見できたというのにこのときはその動きの多さが気に入らない。 シリルは着付けのときに弟を擁護したときのように、「朝食は別々に取るべきかもしれないわね。彼はルーティンを乱されるのがきらいなの」とアルマに手厳しくあたる。
無国籍近未来シティに住むやさぐれたアジア系少女*11が兵器として生み出されたロボットと友情を深めるファミリー向けロボットアニメ。原作は中国で人気のウェブコミックだそうです。 この手のアニメ映画には『アイアン・ジャイアント』や『ベイマックス』という巨大な壁がそびえているわけですが、ストーリーテリングの面ではその域にはおよぶべくもないものの、画面のルックやアクションシーンの面に関してはかなりのがんばりがうかがえます。 世界観(カップラーメンロボットなどが出てきたり、原作者の Wang Nima を戯画化したキャラが登場したりする)はやや中国テイストが強めですが、キャストおよびスタッフはアメリカ人が中心。監督はディズニー出身で『9 〜9番目の奇妙な人形〜』などで美術監督兼撮影監督を務めたケヴィン・R・アダムスと、リズム&ヒューズ社やインダストリアル・ライト&マジック社などの特殊効果畑で活躍したジョー・クサンダー。このコンビは2014年に近未来ロボットSF実写短編「Gear」*12を共同監督しており、その腕を見込まれての抜擢でしょう。
『軽い男じゃないのよ』(Je ne suis pas un homme facile、エレノア・ポートリアット監督、仏)☆☆
なんの予告もなく突然ネットフリックスに投下された『クローバー・フィールド』シリーズ最新作。 ダニエル・ブリュール、エリザベス・デビッキ様、デイヴィッド・オイェロウェ、クリス・ダウド、チャン・ツィイー、ググ・バサ=ローと、さすがにオールスター・キャストとまではいかないものの国際色豊かないぶし銀のメンツを揃えています。出演料の中央値はここで挙げたどの作品よりも高いもしれません。 エネルギー資源が枯渇し、限られたパイを巡って各国の間で軍事的緊張が高まる時代、人類は打開策を求めて各国から選りすぐった六名を宇宙へと飛ばし、「シェパード」と呼ばれる超巨大粒子加速装置を起動させる……が、そこで事故が発生。それをきっかけとして次々と異常事態がクルーたちを襲う、というスペースパニックホラースリラー。 宇宙ステーションという密室で展開されますが、メンツの豪華さもさることながらセット作り込みも相まって、あまりチープさを感じさせません。しかしそれが映画としての質に貢献しているかといえば微妙なところ。 最大の難点はキャラクターの書き込みの薄さと動かし方の行き当たりばっかり感。ダメなスペースパニック特有の散漫に死んでいくキャラとかはおくとしても、動く腕とかダニエル・ブリュールのスパイ疑惑なんかも処理が雑。何より理解に苦しむのがチャン・ツィイー演じる中国人エンジニアの扱い。他国のクルーが英語で会話をかわすなか、このヒトだけがなぜかナチュラルに中国語で通し、同僚たちも彼女に対しては中国語で返す*16。 いくらグローバル社会といえど不自然極まりなく、何か設定や物語的に意味がある演出なのかな、と思ったらすくなくとも表面上は何も回収されません。*17 ホラーやパニック映画というジャンルは「投げたボールを投げっぱなしにしてもいいジャンル」ではけしてないとおもうのですが……。続編でカバーするつもりなのでしょうか。 コメディ・リリーフのクリス・ダウドと3Dプリンターベーグルはよかった。 監督のジュリアス・オナーはナイジェリア生まれのアメリカ人。父親がナイジェリア政府で各国大使を歴任した関係から世界各国を回ったのち、アメリカの大学を卒業。学生映画で名を馳せたのち、スパイク・リーの推薦により、クライムスリラー The Girls in Trouble で長編デビュー。本作が二作目です。 ちなみに双子の兄弟であるアンソニー・オナーも2017年に The Prince で長編デビューを果たした映画監督です。
といった野心的なゲー……ゲームかなあーー??? これ??? 的なゲームを発表し、プレイヤーの度肝を抜きまくりました。 インタビューによると、ノンリニアな物語を描き出せることにゲーム制作の魅力を感じているそうで、やはりストーリーテリングのヴァリエーションのあり方として接近したと思しい。 彼に限らず短編アニメーション作家がインディーゲームに参入してくる例は増えてきておりまして(『Plug & Play』、『Night in the Woods』)で、作家的な個性を発揮する場としてインディーゲームという場は魅力的なのでしょう。