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Channel: 名馬であれば馬のうち
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私はゲームと書き物がへただ。

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 颱風がいくつか北大路通を過ぎて死の季節を開いたようだった十一月、ようするに寒い。両手足のゆびさきが絶妙に冷える。毎朝なじみのゴミ捨て場ずまいのネコも早朝からどこかへと失せるようになって、他人の犬たちの毛も増えた。大きい犬ばかりだ。散歩に出るのは。

 この前なんか、王将の前の横断歩道で信号を待っていたら、わたしの横に大型犬が三匹も溜まったよ。ハスキー、セントバーナードゴールデンレトリバー。そういう奇跡もある土地だ。

 わたしはわたしの犬を飼えない。犬飼いが犬とあそぶ時間を、別の余暇に割かなければならない。だから、さいきんのひと月ばかりは、金をもらって文章を書いていた。

 時間的な順序をただせば、文章を書いて金をもらっていた。人さまに見せると、面白くないと言う。なんだかつまらないものを書いた気になった。

 つまろうがつまるまいが、金はマネーだ。何かを買える。何を? ゲームを買う。Steam では毎日何かしらのパソコンゲームが安売りに出されていて、まるで奴隷市場の様相です。あなたに愛玩してもらうために、かわいらしい産まれたてのゲームたちが媚びながら、数分間の新しい快楽を約束してくれます。


Superflight七分

Superflight Launch Trailer - Wingsuit Highscore Game


 スタートと同時に宙に投げ出される。眼前にはルネ・マルグリッドの描いた岩をマインクラフトでぶさいくに掘削したような絶壁が立ちはだかっていて、開始三秒以内に避けるなり回りこむしないと墜落する。
 あなたは鳥だ。ただし、カモメやアホウドリのように羽ばたくことはゆるされない。グライダーで滑空するだけだ。運と手管に恵まれれば、気流をつかまえて上昇することもできるだろう。でもそれだってほんの二、三秒しかもたない。すぐに落下する。
 重力の原理にしたがってしまえば楽に死ねる。あるいはできるだけ長い間滑空を続けるのもいいかもしれない。岩壁スレスレに飛べば、ポイントが加算されていく。なんのポイントかわからない。ぐるりと岩壁を周回する。ポイントが二倍になる。なぜ二倍なのか。誰にもわからない。
 意味をもとめてメタファーを探すのは徒労だ。そこに太陽はない。あなたはイカロスではない。
 意地汚く長生きすれば、やがて空間の歪んだ場所を発見できる。そこはポータルと呼ばれていて、くぐれば別のエリアに飛ばされる。別のエリアには、別の色の岩壁。別のポイント。別の墜落。するとまた、別の飛行。


Universal sandbox 2 八分

Universe Sandbox 2 - Teaser Trailer HD

 そこではコッツウィンクルの掌編みたいに、太陽系を貸し出している。あなたは嬉々として天の川銀河を受け取るが、そのあとどうすればいいかわからない。
ひとしきり途方に暮れた末に、太陽系に惑星を追加することに決める。
 そうして形成されたベガクラスの天体に、悪意は微塵も含まれていなかったはずだ。
 数周期もしないうちに異変が発生する。すべては重力のせいだ。まず水星が従来の軌道をかろやかに外れる。次にふきげんな金星が暴れ出す。すでに太陽も不審な挙動を見せはじめる。火星は手前勝手に新しい軌道を引いてそれに沿って回るし、土星はこのままいけば木星と衝突する。
 そして、われらが地球は? とっくに太陽に呑まれて影も形もない。予定より数十億年早いな。
 あなたは海王星をカメラで追尾する。海王星はいまや銀河でいちばん孤独な旅人だ。尻からなんだか正体不明の粒子を吹き出しながら、いつか別の惑星に出逢えることを夢見て、真っ暗な外宇宙をものすごいスピードで旅している。


Kerbal space program 6分

Kerbal Space Program Launch Trailer

 あなたはしちめんどくさいチュートリアルをすっとばして、出来合いのロケットで宇宙征服を企む。
 だが、そのロケットは飛ばない。
 いかにも第二宇宙速度を超越しそうな機体から燃料らしきものを吹き出しているくせに、飛ばない。
 チュートリアルをすっとばしたあなたには発射失敗の原因がわからない。重力に打ち勝つ方法を人類は発見したはずではなかったのか?
 発射場は夜になった。
 あなたの乗組員たちが困りはてている。


Hue 1時間

Hue Gameplay Trailer

 パレットのなかから色を選ぶ。すると世界がその色で塗りつぶされる。
 たとえば、青で世界を塗ったとする。その場合、オレンジの世界のときには見えなかったオレンジの足場が見えるようになり、それまであった青の箱が消えてしまう。
紫のときは紫以外のすべての色のオブジェクトが可視化され、紫のものだけが見えなくなる。
 メランコリックな女の語りがどこからか聴こえる。
でも、色とりどりの殺人岩を避けるのにいそがしいあなたの耳には入らない。


Hollow knight 19分

Hollow Knight: Beneath and Beyond Trailer

 愛らしいガイコツがかわいいクリーチャーたちを地下世界でなぎたおす。どう進めればいいのか誰かおしえてくれ。


GONNER 3時間

GoNNER Launch Trailer – Nintendo Switch

 愛らしいガイコツがデカいクジラのようなイルカ?を救うために、地下世界で銃弾をぶっぱなす。頭は着脱可能だ。武器も。命さえも。
 いつかは回避不能になる瞬間がくる。
 受け入れる準備をしておけ。
 それはあなたが思っているよりも早くやってくるから。


Night in the woods 15分

Night In The Woods Trailer - NEW DATE: FEBRUARY 21st

 大学を中退したネコが故郷の町に戻ってくる。町に入るためには、清掃員だか警備員だかにコーラをおごらなければいけない。家に帰ると父親が待っている。彼はあなたの帰りを予期していない。そこまでしかプレイしていない。


PUBG 1時間

Battlegrounds PS4 & XB1 RELEASE CONFIRMED!! PlayerUnknown's Battlegrounds On PLAYSTATION 4 & XBOX 1

 武器も持たず民家のトイレに籠って敵を待ち受ける。『喧嘩商売』に学んだ必勝法である。誰の足跡も聞こえないまま数分が経過する。プレイエリアの縮小が告知される。トイレから退出することを余儀なくされる。そして、民家を出たところをスナイパーライフルで撃たれる。実にみごとなヘッドショット。順位は32位だ。まあ、そんな日もあるさ。


Fortnite 2時間

Fortnite Battle Royale Gameplay Trailer

あなたはグライダーのおもむくまま、刑務所に降り立つ。
それははじめてのプレイだろう。なので、しらないのはしかたがないんだけれども、刑務所は皆殺しの野なんだよね。あなたは死ぬ。順位は82位。まあ、そんな日もある。


RUINNER 20分

 ヤクザが強い。操作のフィーリングがクソだ。これでIGNはよく満点をつけたものだとあなたは唾を吐く。慣れればおもしろくなりそうな予感はある。その予感を予感のままに残し、あなたは別のゲームへと移る。


Fate grand order 

 どのくらいの回数を回せるか、ではない。
 どのくらいの速度で回せるか、だ。
 忘れないで。


マギアレコード

あなたは本物の絶望をそこで知ることになるだろう。


Unepic 10分

Unepic Wii U Trailer


アメリカのオタクがノリで作ったようなシナリオに付き合うだけの気力が、そのときのあなたには欠けている。


Starbound3時間

Starbound - 1.0 Launch Trailer

 幸運なことにあなたには一緒に遊んでくれる友人がいた。
 ボイスチャットを介せばどんなゲームも楽しいものだ。
 あなたは宇宙船を拡張する。ペンギンを雇う。どこかの星に降りたつ。見知らぬ風景、見知らぬ人々。ときめく冒険心。
 なのに。
 なぜみんな死んでしまったのだろう。
 殺したのはあなただ。
 あなたにそんなつもりはなかったのに。
 ただ異星人の家にあった竹のテーブルが欲しかっただけなのに。
 もらっても怒られないと思ったのに。
 村から追われて別の村へ。そこの人々も敵に見えて、あなたはついブラスターを向ける。
 友人は言う。欲望が誤解を産む。恐怖が虐殺を産む。それはピサロやコルテスの頃から変わらない、征服の作法なんだよ。
 友人は原住民の死体を銃把でどかしながら、金庫を物色する。そしてこちらを向き、かなしく首をふった。なにもない。クズばかりだよ、この星は。いったい何のために存在しているのやら……。
 あなたの船に新しく据えられた竹のテーブルは、野蛮人どもの血に塗れている。


Lobotomy corporation 29分

[ Lobotomy Corp ] Join to Our Manager!

 神秘を説き明かせ。幾重にも覆われた謎のベールを一枚一枚丁寧に剥いでいくのだ。
 その過程であなた研究員達は狂気に陥り、研究所内で殺し合いを行うだろう。
 だとしても、この研究はそれを乗り越えるだけの価値がある。
 そう信じたい。
 SCP財団の福音が聴こえる。


Beholder 11分

Beholder Trailer [Polish]

 祖国に対する裏切り者があなたのマンションに潜んでいるらしい。
 監視しろ。鍵穴から覗け、隠しカメラを設置しろ、あらゆる不審をレポートにまとめるのだ。
 祖国はいつか、あなたに報いてくれるはずだ。


Candle 7分

Candle Trailer (2016 Video Game)

 ロウソクが飛んだり跳ねたりしていた。よく覚えていない。


Deceit 30分

 人狼fpsというキャッチーな謳い文句に惹かれて、あなたは閉鎖された病棟に仲間ともに飛び込む。仲間はもちろん、前から見知った友人達であるほうがのぞましい。できれば、ボイスチャットで繋がれる相手あるのがよい。
 あなた自身を含む仲間のうち二人は裏切り者だ。狼だ。夜になれば人を食う。だから、どうかお願い、逃げて。あるいは投票で殺せもするだろうが、現実的とはいえないだろう。あなたの仲間を殺さなきゃいけないのだから。
 野良プレイでは日本語を喋る狂人か、外国のことばを喋る狂人しかいない。近づくな。


Moonhunters 3時間

Moon Hunters | Gameplay trailer

 あなたは力を得て狼に変身する。モンスターを殺して金を集めると、今度はライオンに変身できるようになり、ボスに勝つ。ボスに勝つと、英雄として、そして星座として登録され、別の人生での冒険に添えられるささやかな彩りとなる。
 別の人生であなたは狼に変身できないかもしれないが、やがて星座に昇る運命は変わらない。
 人生は繰り返される。
 四度ほど繰り返されたところであなたは飽きて、九生を生きるネコたちの熱心さに畏敬の念を抱く。




RENOWNED EXPLORERS 2時間

Renowned Explorers: International Society Trailer

『アンリミテッド:サ・ガ』を思い出すよ。なつかしい。
 今では名作ということになっているらしいが、今でもダメなゲームだったと思う。しかし、あのゲームみたいに、見捨てさえしなければ面白さを味えたゲームをいくつ見放してきたことか。いまさら思いを馳せても詮無いけれども。
 REはアンサガより大分わかりやすい。そして、楽しい。
 アイルランドハンガリー、アルゼンチン、世界中を飛び回って冒険する。インディー・ジョーンズみたいに遺跡からお宝を発掘しにいくよ。もちろん、インディー・ジョーンズみたいに危険な目にいっぱいあうけれど、それはやはり映画的な、安全な危険だったりもする。
 倦怠は健全なよろこびだ。現実にはとうの昔に踏破されていると知りながら、あなたたちは未知の領域へと出かける。



 買えば買う分だけ、ひとつのソフトあたりのプレイ時間が短くなる。体験が薄まる。
 それでもまた買う。ライブラリにはアルファベット順に並んだ未プレイソフトたちが優美な屍骸を形成している。
 いつか遊ぶ日が来るかもしれないし、来ないかもしれない。
 
 


文学フリマで読んだ本。

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 11月の東京文学フリマで買っ(てきてもらっ)た本を読み終わったので、感想など。評論系がほとんどです。


東京大学お茶の会『月猫通り 2158号(特集:ショートアニメ)』
 友人が寄稿していたので入手。
 気がついたらなんとなく増殖してたショートアニメの歴史と位置づけを問い直す意欲的な特集。こういう気がついたらあったものを真剣に論じようぜ的なフロンティア・スピリットは大事ですね。
 冒頭に掲げられたショートアニメ史の概説は驚きと発見の宝庫。日本初のテレビアニメは『鉄腕アトム』ではなくてあるショートアニメだったとか、昭和のショートアニメアニメは毎日放送されていてそのシステムが広告ビジネスの産物だったとか……。
 2010年代以降のショートアニメの潮流について語り合う座談会もなかなかになかなかで、大学サークル同人誌での座談会って大概しょっぱい印象に終わることが多いんですが、ショートアニメを170本だったっけ? つまり2010年代のショートアニメをほとんど観てる意味わかんないマンとかがメンツに混じってるので意味がわかんないくらい明晰にシーンを総括できてる。
 「『ヤマノススメ』が五分アニメらしさを求めているとしたら、いかに五分アニメの軛から逃れるかが『信長の忍び』」「時間の制約に愚直に対抗してきるのが『信長の忍び』で、流れに身を任せてるのが『ヤマノススメ』」は名言ですね。
 


東京大学ジャンプ研究会『少年ジャンプ評論集 少年ジャンプ vs 東大生!?』
 友人から面白いと紹介されたので。
 二十代の英文学院生たちが集結し、マンガ評論論集を作った。論じる対象は国民的マンガ雑誌週刊少年ジャンプ』。執筆者の世代を反映してか、扱う作品は『ヒカルの碁』、『HUNTERXHUNTER』、『るろうに剣心』、『ジョジョリオン』、『僕のヒーローアカデミア』、『鬼滅の刃』、『ワールドトリガー』と1990年代半ば〜現在の作品で揃えられている。
 自分は評論や批評に手続きの正当性や細部の正誤より物語的ロジックのエモさを求めてしまうところがあるんだけれど、その観点でいえばマンガ表現論的分析で解体される『ヒカルの碁』の技巧的なストーリーテリング、『HUNTERXHUNTER』のゴンが「ゴンさん」にならなければなかった理由のキャラ関係からの読み解き、少年マンガに憧れつつも作家性が情念を裏切ってしまう悲劇の漫画家和月伸宏、といったあたりに読み応えをおぼえた。
 特に和月伸宏はネタがネタだけにタイムリーで、事件と呼応しちゃってるとこも出てきてタチがわるい(初売は夏コミですが)。
 これも座談会が充実している。男子校ノリが若干キツいけれど。


立ち読み会(孔田多紀)『立ち読み会会報第一号 特集・殊能将之(一)』
 先輩(大きなゆるいつながりの)が書いたので。
 不世出の天才作家・殊能将之の初期三作『ハサミ男』、『美濃牛』、『黒い仏』を、主に殊能が遺した日記サイト(いわゆる memo)の記述から読み解いていく、っていう認識でいいんだと思う。つづめていえば、殊能将之をめっちゃ精読した本です。
 著者の孔田さんのブログから元になったテキストがいくつか読めます。

anatataki.hatenablog.com

 って要約しちゃうと、なんだ、よくあるファンジンのレビュー本か、と思われる向きもあるんでしょうけど、違うんですよ、あなたは間違っている。
 殊能将之がデビューしてから十八年、物故してから四年、もう四年か、とにかく四年が経つわけだけれど、それまでわたしたちは殊能という作家を語り得てこなかったわけです。
 そら、殊能が好きだという人はいっぱいいましたよ。でも、殊能将之とはどういう作家だったのか、どの類に属する妖怪なのか、誰も言語化できてなかった。
 生前の殊能がほとんど素性を明かさない覆面作家だったせいもあったでしょう、作品が何かのオマージュっぽいわりにはその元ネタがわかりにくすぎるせいもあったでしょう、ミステリのレーベルから出てる割にはジャンル横断的というかおそらくSFなんだろうだけどそれにしては出処が不明すぎるにおいを放っていたせいもあったでしょう、あらゆるひっかかりをすっとばして読んでも作品そのもののケレン味が強すぎたせいもあったでしょう。とにかく、生半な読者の行為を寄せつけない、ミステリアスな雰囲気がありました。
 だからわたしたちが殊能将之を語るときはどこか尊敬と恐れが入り混じった、ぼんやりした印象論におちいりがちでした。ためか、ファンの多さにもかかわらず、殊能将之とは1999年からずっーと顔貌のぼんやりした作家でした。

 そうした状況にもってきて、孔田さんは殊能に作家としての輪郭を与えんと挑戦した。
 殊能将之を語る言語を発明しようとした、と言っていいのかもしれない。
 想像するだに、まあ、大変な作業でしょうよ。
 普通は……いくら好きな作家でもやりたくはない。作品ごとにテキトーな感想を書きつらねた全レビューとかでお茶を濁したい。
 でも、孔田さんは逃げなかった。
 ひとつひとつを、実直に読んで、誠実に論じました。必要な文献をていねいにあたり、フィードバックして、複雑な殊能世界をときほぐしていきました。
 ただ読んで、ただ語る。その積み重ねがいかに難しいことか。

 本書は形式的には作品についての本かもしれませんが、実質的には作家についての本です*1。覆面のまま失せた殊能将之という人間を、血肉を伴った作家として蘇らせるためのラブレターめいた魔術書であるのです。


  
アントニイ・バークリー書評集製作委員会『アントニイ・バークリー書評集 第七号』
 バークリーファンなのでずっと購読しつづけてきました。

 アントニイ・バークリーの書評集は、読んでも基本的にあんまりおもしろいもんでもない
 たまに鋭い評言が出たり、興味をそそられる紹介もあったりするけれど、だいたいがtwitterの文章に毛が生えたような短評だ。
 ディスりの文彩は異常に豊かだけど、巧すぎてなんだか騙されているような気持ちになる。
 こういう文章の集積から何がしか優位なサムシングを読み取ろうとすると、藤原義也とか森秀俊とか真田啓介とか法月綸太郎とかの翻訳ミステリ仙人クラスの域でも到達しなければならない。大半の人は悟りを得る前に入寂してしまう分野だ。
 なので、おもしろくはない。おもしろくはないが、愉快ではある。
 このクラスの個性になると立ってある方向を指差すだけでも文脈が生まれ、印象を派生し、気分を愉快にしてくれるものですよ。
 たとえば、バークリーはアンドリュウ・ガーヴをやたら褒める。紹介するたびにどんどん持ち上げていき、ついには「ガーヴは常に新しいことをやるものだ」というラテン語のことわざを捏造する。作家を褒めるためだけに、ラテン語のことわざを捏造する作家を、わたしは他に知らない。
 そう、現役作家時代はトラブルメーカーで知られたへんくつインテリ野郎バークリーさんも、老境に至っては古き佳きオックスフォード流のウィットを飛ばすおもしろミステリ爺さんだったんです。
 それを確認するだけでも、いいじゃないか。たのしいじゃないか。

 最終巻の本書は、ガーディアン紙によるバークリーの訃報記事で締められる。ある種の惜別だとか、そんな大層なものではないかもしれないけれど、わたしたちはこれを読んでようやく初めてバークリーにお別れを言える気がした。いや、これからも読むけれど。
 

稲村文吾・編『陳浩基の本』
 『13・67』が面白かったので買いました。
 『13・67』(文藝春秋)で今年のミステリ界の話題をかっさらった、今一番熱い海外ミステリ作家、陳浩基。その人のインタビューと、中国語圏系作家たちによる『13・67』レビュー、ならびに編者・稲村文吾氏による陳作品全レビューが読める。
 薄いコピー本だがこもった熱量はすごい。
 インタビューで陳が高らかに清涼院流水ファン宣言を行ったかと思えば、レビューでは馴れ合いや提灯記事などという語彙を知らないかのような(まあ中国語作家だし)ガチンコ評論・読解が並ぶ。
 収録短編ごとに連想される香港映画を記してレビューを始める李柏青のオタクっぷりもなかなかだけれど、陳嘉振も日本人にはわかりにくい中国語のニュアンスの問題を指摘し「単なる難癖ではなく、ミステリだとそういうミスも読者の推理の材料になってしまうから」と述べるめんどくさい本格マニアっぷりを見せつける。
 あんまり中国語圏のミステリは読んだことはないけれど、こういう人材が作家として揃っているなら、未来はあかるい。


薄荷企画『ゆびさき怪談(赤)』
 矢部嵩が書いてるから買った。
 201X年、空前の矢部嵩飢饉にあえぐ人類の前に一人の石油王が登場し、広漠たる文フリ砂漠に矢部嵩オアシスを建てた。御大尽の名は岩代裕明、オアシスの名は『ゆびさき怪談』という。
 掌編、あるいは超短編は、現存する文芸の形式においてもおそらく最難の部類に属する。特にホラーでは。
 ホラーの超短編には罠がある。ホラーはイメージの文学だ。なので、超短編でホラーを書こうとした場合、たいていの作者は最小の分量で最大限のイメージを喚起することばかりに神経を注いでしまう。そうした制作現場では、文章のリズムは注意の外へ追いやられる。ほんとうはリズムこそイメージと分かちがたく結びついている要素であるのに。
 そこにきて矢部嵩は強い。ワンセンテンスで読者にリズム感覚を乗っ取り、イメージの支配権を強奪してしまう。矢部嵩の暴力の本質が、『ゆびさき怪談』のシリーズには如実に顕われている。
 

風狂奇談倶楽部『風狂通信 VOL.4.5 『相棒』シーズン16開幕記念特別号 勝手に!ガイドブック』
 なんとなくネットで目についたので。

 人気刑事ドラマ『相棒』の特集号。『相棒』対談や、ノベライズ本全レビューなどが載ってある。
 ワセダミステリクラブから発展したサークルだけあって、ミステリの目利きはそれなりに信頼できる。たぶん。
 風狂の出す本はどれも座談会(的な企画)がおもしろい。理性のタガがちょうどいい具合に、ときには完全にアウトな具合で外れているので、発言の一切に責任を取らなくていい立場の読者からすればまあ愉快である。コンプライアンスを度外視してるかといえば、伏せ字などを多用するなど崖っぷちでブレーキを踏むだけの狡いバランス感覚はあったりもするので御父兄も安心してお子さんに読ませられる。
 

*1:即ち作家論、ということでもない気がする

新潮クレスト・ブックス全レビュー〈8〉:『ハイウェイとゴミ溜め』ジュノ・ディアス

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『ハイウェイとゴミ溜め』(Drown、ジュノ・ディアス、江口研一・訳、1996→1998)

ハイウェイとゴミ溜め 新潮クレストブックス

ハイウェイとゴミ溜め 新潮クレストブックス


 ドミニカ共和国のスラムで育った少年ユニオールはある日、アメリカに住む父親の招きで兄や母親と共にニュージャージーに移住する。ドミニカでの幼少時代から、アメリカでの青年時代まで。『オスカー・ワオの凄まじく短い人生』で話題となった著者ジュノ・ディアスの自伝的デビュー短編集。

 冒頭の短編「イスラエル」はひどい話だ。
 夏休みに田舎のおじさんの家へ預けられた主人公とその兄ラファは、「豚に顔をかみちぎられた」と噂のマスクド少年イスラエルに目をつける。粗暴なラファはイスラエルと遭遇すると絡みだし、顔を覆うマスクをむりやりはがす。イスラエルを辱めて逃げ出したふたりは帰りのバスで、イスラエルがアメリカで受けるらしい整形手術について思い出す。弟は訊ねる。「アメリカでなら、治るよね?」兄は言う。「治るもんか」

 ユニオールがジュノ・ディアス自身であることは疑いようがない。ディアスはドミニカ移民として過ごしてきた人生をおそらくは多少のフィクションを織り交ぜながら、飾り気なく語る。ひとつひとつの短編はさほどわかりやすい盛り上がりやヤマを持たず、つねに淡々と進行していく。その自然さと明け透けさは洗練された私小説を思わせる。
 九十年代にスティーヴ・エリクソンがアメリカにおける私小説の不在を指摘していたけれど、まさに同じ時期に移民系の作家がみずからの来歴についての語りを通して、そうしたスタイルを獲得していたのは興味深い。

 二百四十ページ弱に収められた十編の物語はそれぞれ独立していると同時に、ゆるやかに共鳴していて、たしかにひとつの統合された物語を形作っている。それは人生の形をしている。読者は、ああ、これがユニオール=ジュノ・ディアスの人生なのだな、と額面通りに受け取る。「イスラエル」のように自らの恥部を晒す作家なのだから、ここには彼の人生のすべてが語られていると思ってしまう。
 そこに陥穽がある。

 2010年、ディアスは『ニューヨーカー』誌のインタビューにで以下のように述べた。
「……『ハイウェイとゴミ溜め』では、兄のラファが途中から登場しなくなります。彼はがんを抱えていたので。この本では、その話を書けなかった。あまりに辛すぎて書けなかったんです。だから、あの本には語りにおける『抜け』が存在します。その空白を埋めるためにニルダ」や「プラの信条」(どちらも『こうしてお前は彼女にフラれる』に収録)を書いたんです。」


 何を語るにしろ、一冊の本だけでは語りを尽くせない。だからこそ、ジュノ・ディアスは書き続けることを必要とした。作家になった。『オスカー・ワオ』や『こうしてお前は彼女にフラれる』はデビュー作の語りなおしであり、補論でもある。
 といっても、語りの空隙は作品を不完全にするのではない。むしろ、より豊穣にする。ユニオールの母親はそのへんをよく心得ていた。彼女の腹部と背中にはやけどの痕がある。1965年のアメリカ軍によるドミニカ進駐時のミサイル攻撃で負った傷だ。おそらくはユニオールの生まれる前だったであろう災難について、彼女は何も語らない。アパートの壁に息子の元恋人の写真を貼りつづけて現恋人の存在を無視し、「私の夢のなかではあの二人はまだつきあっているの」と蔭でうそぶく。
 何を見るか、何を見ないか。何を書くか、何を書かないか。何を語ろうとするか、何を語ろうとしないか。つまるところ、そこがあらゆる物語の行き着く地点だ。


 翻訳は江口研一。コエーリョの『ベロニカは死ぬことにした』などで有名だが、本書の訳は中途半端に古くさい。人称代名詞が「ボク・カレ・カノジョ」となぜかどれもカタカナで表記されるのはともかく(最初は「カレ」という名前のキャラがいるのかと思った)、全体的に無駄にカタカナが多い。雰囲気が統一されているので読みにくいことはないのだけれど、貧乏移民のハードボイルドな日常がバブルの残り香に汚染されているようで、二〇一〇年代に読むのはややつらく感じた。せっかく復刊するなら改訳してほしかったですね。(1700文字)


〈収録作〉
イスラエル」Ysrael
「フィエスタ、1980」Fiesta, 1980
「オーロラ」Aurora
「待ちくたびれて」Aguantando
「ふり回されて」Drown
「ボーイフレンド」Boyfriend
エジソンニュージャージー」Edison, New Jersey
「ブラウン、ブラック、ホワイト、そしてハーフのGFとデートする方法」How to Date a Browngirl, Blackgirl, Whitegirl, or Halfie
「のっぺらぼう」No Face
「ビジネス」Negocios

ケネス・ブラナー版『オリエント急行殺人事件』について

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 『オリエント急行殺人事件*1の映像化と呼ばれる作品は世界にだいたい五つくらいありまして、ここではシドニー・ルメット監督&アルバート・フィニー主演版(映画、1974年、以下「ルメット版」)、フィリップ・マーティン監督*2&デイヴィッド・スーシェ版(TVシリーズ、2010年、以下「スーシェ版」)、そしてケネス・ブラナー監督主演版(映画、2017年、以下「ブラナー版」)を扱います。
 この三つのラストを比較することでケネス・ブラナー監督版が何を描いているのか、そういうことの輪郭を素描できたらな、とおもいます。

 各版の総体的な違いは以下によくまとまっているので参照してください。ネタバレがありますけれど。

www.cinematoday.jp




 以下、まあ、なるべくネタバレしないように努力をしますがあまり期待しないほうがいい。


映画『オリエント急行殺人事件』予告編


ケネス・ブラナー演じるポワロについて。

 1934年のエルサレム聖墳墓教会で司祭、ラビ、ウラマーの三人が容疑者とされる盗難事件が出来します。そこにさっそうと登場したのがわれらが名探偵エルキュール・ポワロ(ケネス・ブラナー)! 彼は快刀乱麻を断つ推理で事件を華麗に解決へと導きます。犯人はポワロに捜査を依頼したイギリス人警察官でした。彼は独立の気運が高まるエルサレムで治安維持の職を失うことをおそれ、事件をでっちあげることで市民を不安によって支配しようと企んだのです。


 冒頭数分で語られ、ポワロの「名探偵力」を観客に知らしめる小さな事件。いかにも公正でリベラルな「イスラエルパレスチナ問題はそもそもイギリスが悪いんです」論を戯画化したような挿話です。
 もちろん、2017年に生きるわれわれは、もはやこのトピックを単純な善悪でくくれないと知っています。
 しかし、本作のポワロさんはそれが可能な存在として現れます。
 彼は過剰なまでに秩序を希求する、強迫性障害じみたキャラとして描かれます。朝食にゆで卵を2つ注文して、その大きさが均等かを確かめる。やたら他人のネクタイの曲がり具合を気にする。片方の足でロバの糞を踏んだら、もう片方の足も糞に突っ込ませる。
 ブラナー監督曰く、
「彼はロバの糞を踏んづけても気にしない。しかし、もう片方の足が糞を踏んでいないことを問題視する。混沌にあってさえ、不均衡に秩序をもたらさなければと考えているんだ。」*3
 かくしてポワロは1934年のエルサレムで明朗に断言するのです。
「物事には正しいこととと間違っていることがある。その中間は存在しない。 “There’s right, there’s wrong, there is nothing in between.”」
 この絶対の自信、シリーズ名探偵にふさわしい所作といえるでしょう。
 なんとなれば、正邪の分別に自信満々のブラナー版のポワロこそ『オリエント急行殺人事件』を経験するにもっともふさわしいポワロなのかもしれません。『オリエント急行殺人事件』とは、探偵の敗北についての話でもあるのですから。


オリエント急行とはどこか。

 名探偵とは毎度毎度、非日常的な場へ放り出されるものと決まっています。では「オリエント急行」という場とは具体的に何を表している場であるのか。実のところ、この列車に何を見出すかによって物語は若干性格を違えてくる。
 ポワロの同乗者たちの顔ぶれを見たときに、まず目につくのはその国際色の豊かさです。ポワロ自身はベルギー人で、他にはイギリス人、ハンガリー人、フランス人、ドイツ人、スウェーデン人、アメリカ人に至ってはイタリア系がいたりユダヤ系がいたり。
 この多国籍性は原作でも言及されています。

「……それにポアロさん、なんとも物語的だとは思わないかね。あらゆる階級、あらゆる国籍、あらゆる世代の人々が勢揃いだ。三日間にもわたり、そんな赤の他人同士が一緒に過ごすのだからね。お互いからの逃げ道ひとつ持たないまま、ひとつ屋根の下で眠り、食事をするんだよ」(田内志文・訳『オリエント急行殺人事件』角川文庫)


 このセリフにスーシェ版では「まるでアメリカじゃないか」というセリフが付け加えられます。
 まずもって、オーソドックスな見方でしょう。原作でも解決編のときにポワロはこう述べています。「こんなに様々な人々が一ヶ所に集まるようなことが果たしてあるだろうかと想像してみたのです。そんな場所は、ひとつしか思い浮かびませんでした。アメリカ以外には、アメリカならば、それだけ多くの国籍を持つ人々がひとつ屋根の下に暮らしていてもうなずけます」(田内訳)
 出自の異なる多様な人々が一つの場に集っているのはいかにも移民国家アメリカ的な状況ですし、殺人の動機となって幼児誘拐殺害事件もアメリカで実際に起こったリンドバーグ事件をモデルにしています。被害者につけられた12の刺し傷*4と12名の乗客が陪審制度と結び付けられるのは原作でも印象深いところです。
 ネタバレぎりぎり、というか、これはもうネタバレだと思いますが、アメリカ的な状況下に集った人々が自分たちの信念にもとづき独自のルールを策して正義を執行する、というのもこのうえなく象徴的だとおもいます。
 「オリエント急行=アメリカの縮図」説をより色濃くハッピーかつドメスティックに描いたのがルメット版です。


 もうひとつの解釈としては、ミステリ評論家の佳多山大地が唱えた「国際連盟」説もあります。
 後に第二次世界大戦で対立する陣営に分かれて戦うことになる国々が一丸となって協働する光景に「絵に描いた餅に終わった国際連盟の〈理想〉を、あの客車内で実現しようとした試み」*5を、なるほど、見いだせるといえば見いだせる。
 

 オリエント急行にヨーロッパを見出すにしろ、アメリカを見出すにしろ、結局はハコとしての性質です。ケネス・ブラナーは探偵の物語として『オリエント急行殺人事件』を描くと宣言している(していない)のだから、われわれはオリエント急行が「ポワロにとって」何なのかを求めるべきでは?

 というか、ルメット版、スーシェ版、ブラナー版の三者の違いもそこにあります。
 つまるところ、「ポワロがどちらの側に属しているか」の違いなのです。


ポワロはどこにいるのか。

 ルメット版。
 1974年版のハリウッド・オールスター大作として制作されたルメット版のオチは、現在的な倫理観からするとかなり異常です。
 なにせポワロの情状酌量によって「無罪」になった真犯人が乗客たちと抱き合って喜び、シャンペンを開けて乾杯する、というシーンで幕を閉じるのです。正義は圧倒的に真犯人の側にあり、残酷無道な被害者は殺されてよかった。正義は果たされた。めでたし、めでたし。そんな感じです。*6
 こうした場において、フィニー演じるポワロもまた「善」の側、真犯人の側にあります。段取りありきで解決編へと導く原作版の発展形ですね。*7アメリカ人大物キャストによって固められたアメリカ的なオリエント急行内で、ポワロもまたアメリカ人の倫理に回収されていく。すなわち、独自の法による独自の制裁。
 もっともフィニー・ポワロの立場には彼を「外国人」に留めるちょっとしたエクスキューズも入っています。彼は事件解決後、喜びに湧く乗客たちを尻目にちょっと意味ありげな顔つきで列車を去っていき、祝杯には参加しません。そのポワロの顔を、ひややかなものと受け取るか、真犯人に対する是認と受け取るかは意見がわかれるところでしょう。
 ともあれ、カメラは退場していくポワロを追わず、エンドクレジットまで乗客たちによる祝宴の様子を映しつづけます。ルメット版『オリエント急行殺人事件』が主人公ポワロの映画というより群像劇として撮られた印象が、そんなところからも滲んでいます。

 

 スーシェ版。
 2010年にイギリスで作られたドラマ版では、流石にルメット版のようなハッピーな解釈は許されませんでした。
 原作やルメット版のポワロは、同乗した鉄道会社の重役の意見を容れる形で偽の解決を甘受します。ところがスーシェ演じるポワロは偽の解決を受け入れることを強硬に反対するのです。オリエント急行乗車直前に「人が人を裁くこと」についてのジレンマをつきつけられていたポワロは、いくら被害者が極悪人とはいえ、私刑を看過できませんでした。彼自身、熱心なクリスチャンだったせいもあるでしょう(本ドラマでは、ポワロが神に祈りを捧げるシーンが何度も印象的に挿入されています)。
 頑なに真相暴露にこだわるポワロのもとへ真犯人が説得へやってきます。
 ポワロは説きます。「正義は法体系に委ねるべきだ」
 真犯人は反駁します。「でも法が機能しなかったら?」
 ポワロは激昂します。「ならば神に委ねるがいい」
 真犯人は泣きはらします。「でも、人は正義を否定されたときに不完全な気持ちに――神に見捨てられた気分になります」
 ここで突きつけられている問いはけっこうクリティカルです。
 法律や神が悪人を見逃し、善人を苦しめているとき、人はどうすべきなのか。何ができるのか。
 本ドラマの冒頭で、ポワロはある事件で犯人を追い詰めた末自殺に追いやりました。その直後、イスタンブールで(おそらくは姦通罪かなにかで)不当に石打刑に処される女性を目撃しました。前者の事件は、ポワロの職業である「名探偵」がある種私刑的な要素を孕んでいることを、後者の事件は法の正義に限界があることを示唆しています。
 この2つの事件を前提にし、オリエント急行の殺人に相対したとき、法にも神にもすべてを委ねることのできない自分がいることを彼は発見するわけです。彼は「悪」としての真犯人との共通項を見出し、結局、大変な嗟嘆を飲み込みつつ、真犯人の「悪」に加担する。
 スーシェ・ポワロにおいて、復讐はぜんぜん善きこととではないわけです。それを知りながら偽の解決を警察に報告しなければならないところにシリーズ探偵*8としての敗北がある。
 ルメット版や原作とは違い、ラストでは乗客もポワロもみんな雪の舞う列車の外に降りています。彼は乗客たちの刺すような視線を浴びながら真実をねじまげた報告を行い、涙を溜めながら去っていくのです。この場面描写は重要です。
 つまり、スーシェ版で描かれる「オリエント急行内での出来事」はある特定の範囲内での特殊な出来事ではなく、世界とどこまでも地続きの「現実」なのです。その厳しい現実をどこまでもポワロは孤独に歩いていかねばならない。スーシェ版の悲壮さは、そんなところからも生じているのでしょう。
 


 
ブラナー版。
 で、われらがブラナー・ポワロは善と悪のどちらに属するのでしょうか?
 ブラナー版において、ポワロは独特のルールを有した列外の人物として現れます。オリエント急行に乗車するさい、カメラは列車の外部からパンしつつ、それぞれ固有の「窓」を持ったキャラたちを通り抜けるポワロを映します。このショットは降車時にも反復されるわけですが、乗客たちのなじみっぷりに対してポワロは明らかに異物として描かれている。
 乗客たちとポワロの断絶は徹底しています。
 まず被害者の身元が判明したときに、ポワロは「悪人といえど、殺してはいけない」とつぶやきます。原作で被害者に対して「まったく、あの獣め!」と怒りを示した友人に同意したのとは大違いです。被害者に同情する様子こそは見せないものの、被害者を悪党として糾弾する乗客たちとも一線を画しています。
 なにより二者間の断絶が決定的なものとして視覚化されるのは、解決編のシーンでしょう。
 雪の積もった車外で、ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』を思わせる長方形のテーブルに乗客たちが一堂に会し、その向こう側にポワロがポツンと立っている。そんな異様な構図。ルメット版での明るい車内で乗客たちに囲まれたポワロの図とは対照的です。
 ポワロはこのとき真っ白な積雪の上に立っていて、対する乗客たちは洞窟内?に座っている。裁きを与える無垢な存在としての探偵がそこにはいます。
 冷徹に真相を暴き出したあと、ポワロは真犯人に銃を渡してこう言います。「これで私を撃てばいい。そうすれば皆の望みどおり、真相は闇へと葬り去られる」
 ブラナー・ポワロにはうそがつけない。友人である鉄道会社の重役はうそがつける(から対決場面において乗客たちの側に立っている)けれども、真実とバランスを至上とするポワロにはできない。
 真犯人はそこであるリアクションをとります。その行動から、ポワロは真実とバランスだけでは、正しさと間違いだけでは割り切れないケースがあるのだと知ります。
 彼の敗北宣言はスーシェ版と似ているようでまったく違う。ブラナー・ポワロはあくまで自身の問題として事件を捉えているのであり、そこにフィニー・ポワロのような、あるいはスーシェ・ポワロのような真犯人たちへの共感はほとんどない。
 なぜならブラナー・ポワロにとってオリエント急行は完全な異国であり、その乗客たちは列車内で制定された独自のルールで動く異国人たちだから。
 彼は彼の正義の通用するところでしか、名探偵たり得ない。
 ブラナー・ポワロは善と悪のどちらに属していたか。答えは「どちらでもない」です。どちらにも属しきれなかった。彼の正義は場の正義と合致せず、最初から最後まで列車は彼と違うルールで走っていたのだから。

 そうしてポワロは一人、列車の最後尾から降り、列車の進路とは逆の方角(駅)へ向かって歩み出します。観客の方へ向かって。
 彼は駅で出会った警官から「ナイルで事件があった」*9と聞かされて、オリエント急行の殺人などなかったかのように名探偵の仕事に復します。そのとき、彼は警官に対してこう言うのです。「ネクタイが曲がっているよ」
 まったく同じセリフを、彼はオリエント急行乗車直前にも口にしています。
 彼がネクタイのあるべき姿を指摘し、それに他人も同意してくれる場所。彼が名探偵であり続けられる場所。
 そういう場所に、ポワロは帰ってきたのでした。

 
 

*1:あるいは『オリエント急行の殺人』

*2:いまや『ザ・クラウン』の主戦エピ監督だ

*3:CS Interview: Kenneth Branagh Orient Express, Thor & More!

*4:本邦で初訳されたときのタイトルでもあります

*5:『謎解き名作ミステリ講座』講談社

*6:事件が解決した瞬間に雪に足止めされていた列車が力強く走り出す場面も高揚感をあたえます

*7:原作版でのポワロの被害者への肩入れっぷりは露骨です。不要なはずの「第二の解決」を縷々と組み立てていき、ハバート夫人の証言につまづきが出れば助け舟を出してあげたりもする。これを段取りと呼ばずに、なんと言えば良いのか。

*8:オリエント急行殺人事件』のエピソードがスーシェ版のドラマではほとんど末期に放映された事実を思い出しましょう

*9:言うまでもなく次回作『ナイルに死す』へのめくばせ

『おそ松さん』2期OP曲=『スター・ウォーズ:最後のジェダイ』説

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前回までのあらすじ

 引っ越しの準備で映画を観ている時間がない。



君子危うくも最後のジェダイ

 「君氏危うくも近うよれ」を朝から晩まで聴いています。『おそ松さん』二期のオープニング・ソングです。この曲を十回、二十回、三百四十二回、千九十六回、とヘビイにリピートしていくうち、宇宙に関する真理を少しずつ悟っていきます。
 啓示を得ます。この曲はわたしたちになにかを伝えようとしている。全貌までは垣間見えません。しかし、そこでは『おそ松さん』というアニメについて以上のことが語られている。わたしたちはそう感じる。「それ」は何か。



【MV】A応P「君氏危うくも近うよれ」Short Ver.



 こうして、十二月十五日が来ます。『スター・ウォーズ』のエピソード8『最後のジェダイ』の公開日です。
 その日、IMAXスクリーンの前でわたしたちは直感するのです。
『おそまつさん』のOPソングが伝えたかったのは「これ」だったのだと。
 『スター・ウォーズ:フォースの覚醒』から『最後のジェダイ』に至るまでの物語こそ、歌詞に込められたメッセージだったのだと。
 なぜJJエイブラムスが日本の深夜アニメのOPにスター・ウォーズの物語を忍ばせようとしたのか、その意図は不明ですけれども、まあわたしたちがJJの意図を理解したためしなどない。


 ただ在るものは在るのです。


 稲妻によって石板に刻まれた十個の戒律のように、片田舎の駅に建つ地元マイナー偉人の銅像に付せられた短歌碑のように、なぜかは知らないけどそこに歌われている。そういうものです。


 と、いうわけで。
 これから「君氏危うくも近うよれ」に隠されたSW秘話を解き明かしていきましょう。
 と思いましたが、歌詞を全文引用するとどうも怒られるらしい。といわけで、元の歌を独自に翻訳した文をテキストとして用いたいと思います。
 もっとも世の中には翻訳権というものもあるようです。『平家物語』や『源氏物語』といった古典が矢継ぎ早に「現代語訳」されている現状的にはどうやら日本語を別の日本語に移し替えるのも「翻訳」であるとみなされる危険もある。ダメじゃん。
 というわけで、以下の引用文は『おそ松さん』二期のOPとはなんの関係もない、完全創作による詩です。そういうことにしておいてください。そういうことにしてしまったらそもそもの企画意図が破綻してしまう感じもしますが、破綻なら最初からだ、なにもかも。 


 以下『スター・ウォーズ:最後のジェダイ』のネタバレが含まれます。あと、同作についての感想その他ではありません。
 

1番の歌詞解説〜『フォースの覚醒』制作秘話〜

1番の歌詞は主にエピソード7『フォースの覚醒』の成功が歌われています。『プロジェクトX』みたいなノリなので、JJエイブラムス的には歌手に中島みゆきを想定したものとされています。

すいません、通してください
本心から言ってるのではないのですが……
でもまあ、そういうものでしょう?
午前六時に愛想をふりまけと?

解説:ファンからの大反対を受けつつSW新作製作権を得たディズニー。「六つ」のエピソードのファンたちを納得させ、新時代の幕開け(明け)を呼ぶ新作となれるのか? という出だし。


迷子になってもむしろ絶好調です。
自慢じゃないんですが
負ける気がしませんね
こっちには松竹梅がございますので

解説:新三部作の舵取りを任されたプロデューサーのキャスリーン・ケネディ、ならびにJ・J・エイブラムスはさまざまな試行錯誤をおこなったに違いない。
 しかし、それは行き当たりばったりの手探りによるものではなく、ディズニー資本の協力なバックアップと豊富な人材、そしてSWへの熱意(まさに松竹梅である)に裏打ちされたアドベンチャーであったので、成功を疑うものはいなかった。


酔ってきたようです あなたという酒に酔ったのですよ?
「最初の一撃で決めましょう。砲弾よーい」
あとは待つだけです

解説:JJらの熱意は現場へと伝染し、チーム一丸となって”開幕全力一発”、まさに乾坤一擲の大勝負である『フォースの覚醒』を完成させた。
 満腔の確信のもと、彼らは最初の吉報を待ったのである。


 ふわふわしたファジーさはなるべく抑えました
 顔をあわせて透き通っていつもどおり
 毎度毎度総集編みたいなものですね
 あたりまえですが

解説:JJはいつものJJ演出(フレアの多用とか)を封印し、『フォースの覚醒』では旧作のキャストを揃えて馴染みのあるプロットで透明な演出に徹した。
その手法が「まるでエピソード4の焼き直し」などとも非難されたが、その総集編感がいいんじゃないか。いうたら、SW映画って、てんこもりすぎて毎回総集編みたいなもんでしょ? と主張。


うるわしの貴方に会いたいです
でも貴方は言います「危うきには酔わず」
なんとなれば難易度エクストリーム
もういっかい やらなきゃですよね

解説:プロデューサーと監督の一人二役では自らの手に余ると判断したJJはエピソード8以降の監督を探す。しかし、監督候補たちはプロジェクトのあまりの無謀さ、責任の重大さに尻込みしてしまう。
 あくまでクオリティを求めてやまないJJ。無理を承知でエピソード8も自分がやるか……? そんな思いつめる彼の前に現れたのが――。


常時ぶっ飛んでいます
(回転)翼なんかなくても飛べます
「いつからそんなことできるように?」なんて聞かないで
いつだって最後までフルパワーです

解説:ライアン・ジョンソン。『LOOPER』という「トン」でもない名作SF映画を撮ったこの若手にJJはプロジェクトを託します。
 この人選にファンはもとより業界人たちも大ショック。低予算の長編を三作しか撮ってない若造にこんなビッグバジェット大作を任せるなんて……「いつからそんな」実力を?
 各所からあがる疑問の声を「ぷろぺら」のように受け流し、全力小僧ライアンは我が道をつきすすんだ。そうして、『最後のジェダイ』を完成させた。


二番〜『最後のジェダイ』の内容解説〜

ここから二番。『最後のジェダイ』の内容を歌った歌詞になります。同作の重大なネタバレが含まれます。

貴方の言うとおりです
本心ではありません
でもまあ、そういうものじゃないですか
午後六時にまたよろしくお願いします

解説:『最後のジェダイ』の台本を読んだマーク・ハミルは演じることに気乗りしなかったらしいが、映画とはそういうものだと割り切ったに違いない。彼もまた、「六つ」の旧い作品を「愛顧」する人々へ別れを告げるときであることを認識していたのであろう。


肩の力がぬけてていいかんじじゃないですか
悪くないですよ
悪くないですけど自信を持てなくて……
松竹梅があるはずでは?

解説:ルーク・スカイウォーカーのもとで修行に励むレイを描写している。レイの圧倒的才能を前にしてもなかなか師匠になってくれいルーク。切迫した状況下で松竹梅(ここではフォースのことです)を求めるレイに対し、彼は「自信ないの」になってしまった過去を「実はね」と明かすのだった。

揺れている貴方も素敵
弾幕を調整するので、弾込めはすこし待ってください」
あとは待つだけです

解説:解釈が分かれるパートであるが、一般的にはファースト・オーダーの驍将ハックス将軍を歌った部分とされる。いつも上司やカイロ・レンにしぼられて地に突っ伏したり首しめられたりでぐらぐらしてる彼も、戦場では一軍を率いる指揮官。
 冷静沈着な将である彼は敗走する反乱軍の偽計を見抜き、「弾幕」の方向を「調整」するのである。すくなくとも、ファースト・オーダーの戦史ではそう記述されていることだろう。


大志ある少年よ! 貴方は想像以上に
ぼんやりしてて掴みどころがないですね
全速力で走って栄光に手を伸ばして
それがチャレンジというものです

解説:言うまでもなく、カイロ・レンくんのことを歌った箇所。レンくんはエピソード7から立ち位置が「曖昧」でどこに「ふち」があるか見えないキャラである。
エピソード8は、そんな彼が「超Q」で「駆け上が」る「挑戦」を行う野望の物語でもある。


早く大人になりたいあまりに
危険なことを他に押しつけてしまってすいません
でもわたしにも信義があります
話し合えば、わかってもらえるはずです

解説:新キャラ・ローズのパートであろうと推測される。反乱軍の一員として早く「大人になりたい」若き整備兵は、英雄フィンと手を組んでファースト・オーダーの追撃を止めるある秘密作戦に参加する。
そのために「危うきを任せ」られる人物を探すが、やっと見つけたその人に参加報酬として彼女の大切なアクセサリーを要求される。しかし、まあ意外と話せばわかってくれるわけである。


一日中
「突撃だ!」
と心臓を早鐘のように鳴らします
あまりに高くて硬くて震えがとまらない
会敵したら、ジャミングでOK

解説:ローズとフィンがある星で繰り広げるドタバタを活写している。たぶん。


「宇宙の果てまでだって飛びますとも」
膨れ上がるエントロピーを夢で除きましょう
するといつかはお望み通りに反転するはずです

解説:当初はレイア姫「宙の果てまでだってトンでるぜー!」なシーンのことと解釈されてきたが、近年の研究ではむしろレンくんとのバトル前後におけるルークの心情を表したものという解釈が有力。


 ふわふわしたファジーさはなるべく抑えました
 顔をあわせて透き通っていつもどおり
 毎度毎度総集編みたいなものですね
 あたりまえですが

解説:一番の繰り返し。つまり、エピ8もエピ7と同じ志のもとで作られたということ。わりにジョンソン色が出ているけれど。


大志ある少年よ! 貴方は想像以上に
ぼんやりしてて掴みどころがないですね ぱやぱや
毎回リトライしてばかり
そういうものだと悟りました

解説:ここの「少年!」は前述のレンくんではなく、ルークのこと。彼がラストバトルにおいて「曖昧 透明でふちのなし」的な「ぱやぱや」存在になってしまったことは観賞済みの諸兄の知るところである。
 ルークの遺志を継ぎ、ファースト・オーダーに「サイチョーセン」する反乱軍。それはエピソード9に対する製作陣の心意気ともシンクロしている。心あるものならばここで涙が溢れてくるはず。


常時ぶっ飛んでいます
(回転)翼なんかなくても飛べます
「いつからそんなことできるように?」なんて聞かないで
いつだって最後までフルパワーです

解説:レイア姫のあのシーンである。
「えっ、フォースっていつからそんなことが?」などとは聞かないでほしい。キャリー・フィッシャーは常に「気が済むまで絶好調」であった。R.I.P.


何事も完璧なことなんてありえないんですよ
お相撲さん*1

解説:エピソード8の出来に関しては、いろいろ文句もあるだろうが、誰もが納得できる、完全な続編などありえないんだよ、というJJからのファンへの伝言……
 かと思いきや、最後の最後で驚天動地の反転が起きる。
 実はこの歌を捧げる対象はSWファンでなく、力士だったのだ。
 ここからは、現在の日本を揺るがす角界の騒動を憂慮するJJの心情がうかがえる。あるいはこれこそまさに彼が深夜アニメにSWからのメッセージを託した動機なのかもしれない。スモウ・レスラーたちよ、まずは落ち着いてくれ、と。とりあえず俺たちのSW新作を観てほしい。そして、世代交代と相互理解の重要性について思いを馳せてほしい。そうJJは言いたかったのだ。
 JJの視野の広さと慈愛の深さには感服するばかりである。
 がんばれ、JJ.
 銀河と土俵に平和がもたらされるその日まで!



君氏危うくも近うよれ

君氏危うくも近うよれ

*1:各種歌詞サイトでは「おそまつさん!」と表記されているが、どう聴いても「お相撲さん!」としか聞き取れない

ユーゴ紛争について触れずにクストリッツァを語ることは可能だろうか。:『オン・ザ・ミルキーロード』感想

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(On the Milkyroad, エミール・クストリッツァ監督、セルビア、2017)
*注意:オチまでネタを割っています。

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 男は厩舎で女と邂逅する。ぎこちなく、けれど自然に数語がやりとりされる。

 男は言う。

「僕の名はコスタ。きみは誰だ?」

 女は返す。

「昔は女の子だったわ、今はもう違うけれど」

僕といっしょだな。もう男じゃなくなってしまった……」

「どんな『男』だったの*1?」

「僕がかつてそうだったような男さ*2



エミール・クストリッツァ監督最新作!『オン・ザ・ミルキー・ロード』予告


動物たちの小芝居を再演する人間たちよ

 冒頭のシークエンスに二時間のストーリーラインがまるっと予告されている。

 岩場にたたずむ二羽のハヤブサ。つがいだろうか、と勘ぐる間もなく片方のハヤブサが飛び立って、内戦*3の再開をまつ兵士たちを旋回しながら鳥の眼で俯瞰していく。

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 ぼんやりハヤブサの視線を追っているうちにカメラは地上で群れるアヒルたちへとバトンタッチされて、彼らのかたわらを豚が屠殺人によってある一軒家へとひきずりこまれていく
。やがて屠殺人が血でたぷんと膨らんだ革袋を持って出てきて、玄関先に設置してあったバスタブに中身をぶちまける。なみなみと揺れる豚の血のプールを見るや、アヒルたちは我先にとバスタブに飛び込んでいく。白い羽毛が真っ赤に染まる。

 ただ動物の眼から見た即物的な狂騒が描かれていてなんとも居心地の悪くなっていたところに、戦闘用ヘリコプターが現れる。この機械仕掛けの飛行体を契機に戦いのひぶたがふたたび切って落とされて、そこかしこに銃弾が飛び交う。

 ヘリは戦闘域を脱しようと奮闘する。が、おりあしく高速で向かってきたハヤブサと正面衝突、操縦室は鳥の血まみれに……なったかと思いきや、それは夢で、夢の主である主人公コスタ(エミール・クストリッツァ)がハッと冷や汗をかいてベッドから飛び起きる。
 だが、画面から銃声はやまない。戦争そのものは夢ではなく、現実のようだ(ここでようやく演者のクレジットが表示される)。


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 彼は窓にハヤブサがとまっているのを見て、名を呼ばわり、リズミカルなパーカッションで出迎える。なるほど、このハヤブサがコスタの分身なのだな、と合点するのはまだ早い。

 そうして、彼は日常の業務を開始する。前線の兵士にミルクを配達する仕事だ。彼はロバに乗り、黒い傘をさし、まるで『エル・トポ』みたいな風体で砲火をくぐる。まるで命など惜しくないか、あるいは戦争など起こっていないかのように、泰然とロバを走らせる。


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 ロバに乗るコスタは、いついかなるときも地に足をつけない。横着にも脚をロバの首にそって伸ばしてくつろぐことさえある。傘を翼のようにひろげて太陽を拒み、常時肩にハヤブサを従えて空と地のはざまをゆく彼はさながら鳥のよう*4

 なんとなれば、彼は望遠鏡を持っている。そのレンズを通して、陰からさまざな対象を観察する。ときにそれは人であり、彼のこぼしたミルクをすする蛇でもある。蛇。蛇は重要だ。でも、言及はあとにしよう。

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 とりあえずコスタは鳥だ。そう措定したい。


 コスタをハヤブサと断定しないのは、彼が途中で別の鳥に変わるからだ。

 ゼウスがレダを誘惑するために白鳥へと変身したように、彼もまた性愛のために水鳥へと変わる。ただし、白鳥ではなくてアヒルに、だけれども。

 彼はとある事故から片耳が切り離されてしまう。それを元の通りに繕ってあげる女性が出てくるのだけれど、彼女がモニカ・ベルッチ演じるヒロインの「花嫁」だ。

 彼女はもともと難民キャンプに身を寄せていたセルビア人とイタリア人のハーフだったのだけれど*5、その美貌をコスタの住む村の英雄ジャグ(クストリッツァ作品の常連ミキ・マノイロヴィッチ)に見初められてキャンプから誘拐同然にひきずりだされ、むりやりジャグの婚約者にされてしまったのだった。

 ちなみにコスタにミルクを卸しているジャグの妹(スロボダ・ミチャロヴィッチ)もコスタに惚れていて、戦争が終結した暁には兄妹揃って結婚式をあげようと画策している。この妹というのも変わり者で、ひとつ印象的なのが実家に設置してある大時計に執心している点だ。
 大時計は毎日故障を起こして狂いっぱなしなのだが、彼女は取り壊したり交換したりは絶対にせず大きな時計をいつも苦労して修繕する。おそらく戦争という狂った時間が終われば、幸せな日常=コスタとの結婚生活がやってくるという彼女の信仰がそうさせるのだろう。「たとえ明日で世界が終わったとしても、結婚式は開くわ」

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 ともあれ、いわば未来の義姉弟の関係になるはずのコスタと「花嫁」は互いに惹かれあっていく。初めは厩舎の窓越しに会話をするだけだった二人の関係は、井戸という水辺でコスタの耳を継ぐ肉体的接触を経て、何かが大きく動いてしまう。

 
 そして戦争が終わる。ジャグと妹はクストリッツァ名物である盛大な結婚式を執り行う。ところが、祝い事に沸く村に多国籍軍の特殊部隊が唐突な襲撃をしかけてくる。なぜ? 事前に提示されていた伏線だけれども、「花嫁」は多国籍軍の将校のもとから逃げ出してきた来歴を持ち、その将校が「生死を問わず」彼女を取り戻してくるよう部隊を村に差し向けたのだった。

 丸腰の村民たちは虐殺され、村は焼かれる。ジャグと妹も死ぬ。皆死ぬ。家畜たちも逃げ惑う。火だるまになりながら羽ばたこうとするアヒルのショットが観客の網膜に焼き付く。
 将校の指令はこうだ。「蝶一匹残すな」。

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 とある幸運から虐殺を回避したコスタは、白無垢のウエディングドレスを羽織ったままの「花嫁」と共にあの井戸に身を潜める。井戸に貯まった水に潜る。めざとく井戸をのぞき込んで貯水の下をさぐる兵士たち。だが、そこに蝶々があらわれて、兵士たちを翻弄する。指令の遵守が仇となり蝶々に気をとられている兵士たちを尻目に、コスタたちは村から遁走する。手と手とをたずさえて。暗いトンネルの先にある光明へ向けて走り去るふたりの影は、まるで蝶々の両翅、あるいは鳥の両翼のようだった。


 ハヤブサの羽だろうか。いや、水をくぐって生まれ変わったふたりはもうアヒルだ。

 その証拠に、もはやコスタは徒歩しか移動手段を持たない。彼を地上から遠ざけていたロバは虐殺事件の巻き添えになって殺されてしまった。彼はアヒルみたく不器用に地を這うしかなくなる。たとえ、嵐の中で樹上に身を隠しながら愛し合うことで天上へ昇ったとしても、それは『ラ・ラ・ランド』のプラネタリウムよろしく二人の脳内だけで繰り広げられるファンタジーなのであって、アヒルの飛行のように一時的なものにすぎない。

 ふたりはハネムーンみたいに甘く愛を交わしながら逃避行をつづける。川辺に家まで建てる。「花嫁」はコスタへの愛の証としてジャグから押しつけられた花嫁衣装を川に投げ捨てる。ふたりは幸福だった。


 だが、兵士たちの追跡は執拗だ。

 ふたりはついに彼らに捕捉されてしまう。マシンガンを抱えて迫りくる兵士たち。運の悪いことに、「花嫁」は魚用の罠にひっかかっておぼれかけている。

 彼女を必死で探すコスタは、捨てられた白い花嫁衣装(彼が運んでいたミルクのイメージと重なる)の導きで「花嫁」を見つけ出したものの、そこで兵士の一人とかち合い水中でのとっくみあいに発展する。

 コスタを助けるため「花嫁」はナイフを取り出し、兵士の首につきたてる。鮮血が水にぶわりとふきだして川のながれにそよぐ。冒頭の屠殺シーンが再演される。豚である兵士の血をアヒルであるところのコスタと「花嫁」は浴びてしまう。


f:id:Monomane:20171223032553p:plain

 ふたりは追い詰められていく。川を下り、滝壺へと身を投げ、ついにクライマックスの舞台である牧羊たちが群れる地雷原へとたどりつく。
 そこで大スペクタクルが繰り広げられる。
 ああいう感動は実際に観た者にわからず、観た人間であれば忘れがたくその印象を記憶しているはずなので、ここでは顛末を簡潔にそっけなく記すにとどめたい。
 要するに、大量の羊たち(もちろんそれは大量の白でもある)と兵士が地雷によって吹っ飛び、「花嫁」も命を落とす。


 それから15年後を描いたラストのパートも書くに及ばないだろう。
「花嫁」は”天国”にいる。コスタはミルクの代わりに白い瓦礫を運んで彼女の没地に敷き詰めることに余生を費やしている。彼はつばさを取り戻せなかった。
 彼は丘の上に座って、空を旋回するつがいのハヤブサたちを見やる。あれは「花嫁」だ。うたかたのように消えた彼女との幸福な日々だ。もはや二度と届かない幸福が、「昔と違えてしまった」彼の頭上でうつくしく舞っている。
 
 

聖書の蛇の再評価

 さて、本作ではさまざまな動物が印象的に使われていますが、とりわけ蛇は重要でしょう。誰が観てもわかると思いますが、『オン・ザ・ミルキーロード』はアダムとイヴの楽園追放のモチーフをプロットの基底部に明確に据えてあります。

 劇中で蛇はコスタと「花嫁」に一回ずつ襲いかかり、体にねっとりと巻き付いて身動きをとれない状態してしまう。一見、攻撃行動のように見えますが、実はそれはむしろ死地を踏みかけていた彼らを救う行為であったと判明します。*6

 蛇はどうやらふたりを守護する存在のようです。キリスト教色がところどころに垣間見える本作の文脈にあっては、どうも矛盾しているように見えますね。

 劇中でも、ある村人が蛇についてこう言います。「蛇の誘惑に乗ってしまったばっかりに、俺たちはこんな世界に降りてくるはめになっちまった」
 別の人物がこうも付け加えます。「蛇もいっしょにな」

 クストリッツァの意図は何か。実は日本語メディアのインタビューで、聖書的なモチーフに関してはっきりと回答しているのです。*7

クストリッツァ:彼らは、旧約聖書に出てくるアダムとイブのようなカップルなんだ。そして、アダムとイブについて考えるとき、私はいつも思いを馳せることがある。彼らは、蛇にそそのかされて木の実を食べてしまったために楽園を追われることになったが、それ以前の彼らは、どう過ごしていたのだろうか? それを今回の映画で、描こうと思ったんだ。だから、この話はある種の神話だ。
……(中略)……
この映画は、「エデンの園」の物語に対する、私なりの回答なんだ。「エデンの園」では、アダムとイブをそそのかした悪者のように描かれている蛇だけど、古代メソポタミア文明をはじめ、かつて蛇というのは、神の一種であったという記録もある。新約聖書において、蛇は必ずしも悪者として描かれていないんだ。

そして、さらにエデンの園の物語をよく読んでみると、アダムとイブをそそのかしたのは確かに蛇だが、そのあと蛇は彼らと一緒に楽園を追放されているんだよ。つまり、蛇は人類と運命を共にしたんだ。そういう意味で、蛇に感謝を示したかったというのがひとつあった。あと、もうひとつは、アフガニスタン紛争中にあったという、「牛乳好きな蛇に、ある男が生命を助けられた」というエピソード。それらを取っ掛かりとして、私は今回の物語を考えていったんだ。

宮内悠介がエミール・クストリッツァを直撃 監督の発想の源は? - インタビュー : CINRA.NET


 たしかに蛇にそそのかされて、人類は大変な流浪を強いられたのかもしれません。ですが、追放者という点では彼らもまた苦汁という名のミルクを分かち合う仲間だったのです。

 なにより、蛇がいなければ人類は性愛を知ることはなかった。

 クストリッツァにとって蛇とは、人類を導いてくれる賢いけものなのです。




夫婦の中のよそもの

夫婦の中のよそもの

本作の原作が載っている。

アンダーグラウンド Blu-ray

アンダーグラウンド Blu-ray

名作。本作でジャグを演じたマノイロヴィッチが主人公を演じている。

*1:which man?

*2:The man I once was

*3:直接国名等の言及はされないが、明らかにユーゴ内戦がモデル。パーティシーンに赤青白の三色に星が配された国旗が出てくるけれど、セルビアの国旗に似ている

*4:そういえば、軍時代の彼は狙撃手だった、という台詞が出てきた気もするが、記憶が定かではない

*5:クストリッツァイタリアの巨匠フェリーニに大いなる敬慕を捧げていることを想起されたい

*6:もっとも、「花嫁」のときは救えなかったわけですが……。

*7:これを引き出した宮内悠介はえらい

人類が存続を保証すべき2017年の新作連載マンガ72選

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神獣楽天庭国カドカワにて*1

あけましておめでとうございます、あたらしきマスター。
連載継続保障機関ヨムデアにようこそ。
あなたの着任を歓迎します。

さて2017年、われわれは許されざる人道上の大罪を二つ犯しました。
ひとつは『ルポルタージュ』(作・売野機子)の打ち切り。
もうひとつは『四ツ谷十三式新世界遭難実験』(作・有馬慎太郎)の打ち切りです。
どちらも最高級のマンガ作品です。将来を嘱望された名作です。やがて歴史に残る傑作になるはずでした。

幸い『ルポルタージュ』は他社への移籍が決定しているとのことですが、『四ツ谷十三式〜』はいまだにどうにもなってません。*2

このような悲劇を二度と繰り返してはなりません。
われわれは読者として、消費者として、なにより一個の文明人として、マンガ史に対する責任があります。


わかりますか?
わかりますね?


であるからには、あたらしきマスターよ。
ここに2017年に見出された七十二の初芽を、やがてマンガ界を支える柱になるであろう新連載マンガの第一巻を七十二作、そろえてございます。


であるからには、あたらしきマスターよ。
顕現せよ。
牢記せよ。
これに至るは七十二柱のマ神なり。


注意と目次

*注意1……というわけで昨年第一巻が発売されたマンガで、現在も連載が継続中(最初の二作は除く)の良作をピックアップしていきたいと思います。単発長編や短編集、同年内打ち切り作品等はまた別の記事を立てる予定です。
*注意2……基本的に単行本派なので、モノによったら既に雑誌上で打ち切られたり完結してる可能性あり。
*注意3……興味の範囲的に、アフタヌーン、モーニング、ハルタ、バーズといった系統の青年マンガが中心です。
*注意4…‥読書環境的に、紙でしか買えないマンガは扱っておりません。
*注意5…‥タイトル横のカッコ内は著者名と既刊数(2018年1月1日現在)。
*注意6……「振った番号=面白かった順位」ではありません。が、ざっくり数十作単位でふんわり格付けみたいなものはしてます。
*注意7……amazonのリンクと一緒に(読める場合は)公式サイトの第一話試し読みリンクも貼っておくので、気になったかたはぜひチェックしてみてください。


私が選んださいきょうのAチーム30柱

永遠じゃなくて無限につづいて欲しい傑作30作。

1柱『ルポルタージュ』(売野機子、3巻)

 目が合った。
 今は合わせてくれない。


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 結論から言えば、顔のいいジト目の女が出てきておまえたちは一人残らず睨め殺される。


 恋愛という行為および感情が衰退し、双方の実利に基づく合理的なパートナーシップ契約としての結婚が一般化した近未来日本。
 そんな時代を象徴する存在と見られていた非・恋愛コミューン(恋愛を飛ばして”共同経営者”としての結婚相手を見つけるための共同体)である日、凄惨なテロ事件が発生します。新聞社に勤める若手記者・絵野沢は憧れの先輩である青枝聖と組み、テロ事件の犠牲者たちに関する人物ルポを書くように命じられます。
 その過程で聖はテロ犯人に支援を行っていたNPOグループの男性・國村と出会ってしまう。眼と眼が合うんですね。その瞬間、聖と國村のあいだに「何か」が生じてしまったことを傍目に絵野沢は嗅ぎ取ります。*3
 そこから恋の話が始まります。恋の話を描くにあたって、売野機子は「眼」の描写を徹底します。
 そう、とにかく眼のアップが多い。それらは周到かつ巧妙に配されている。たとえば第一巻だけで対面している聖と國村を真横から捉えた構図が三度繰り返されますが、そのどれもで微妙に両者の位置関係をズラしています。
 計算され尽くした巧緻な語り口によってでしかつづることのできないたぐいの物語があります。人間についての物語はいつも一筋縄ではいかない。たった三巻で終わらせるにはあまりに複雑で、蠱惑的すぎました。
 具体的な移籍先はまだ不明ですが、今のうちに百回くらい読み直しておきましょう。


2柱『四ツ谷十三式新世界遭難実験』(有馬慎太郎、1巻)

 こいつはこの星の知識を全力で嫌がらせに使うつもりだ。


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 ひょんなことから奇っ怪野蛮な巨大生物たちが蠢く異世界に飛ばされた四ツ谷正宗くんとその友人たち。元の世界へ帰還するにあたっての最大の障壁は巨大生物ではなく、正宗の兄にしてアタマのネジがいかれた天才マッドサイエンティスト・四ツ谷十三なのでした。

 私たちは一人残らず例外なく九十年代が大好きで、すきあらばその残り香を瓶に詰めて閉じ込めようとします。
 あるいは本作もそんなノスタルジーの一環なのかもしれません。
 今となってはどこか芋っぽい絵柄。『レベルE』(冨樫義博)のバカ王子じみた悪魔的天才主人公。ぐちゃっとした異世界。16ビットゲームのパロディ。パンイチのつっこみでキャラが吹っ飛ぶギャグのノリ……。
 そしてなにより、読者を鈍角から不意打ちするSF的センス・オブ・ワンダー
 なにもかもがみな懐かしい。
 新しい酒は新しい革袋に入れるべきだと人はいいます。しかし、古い酒を新しい革袋に入れる愉しみも世の中にはあるわけで、容器が違えば風味も口触りも微妙に変化するものです。
 仮に動機が『レベルE』の再現であったとしても、紙面に反映されているのはたしかに有馬慎太郎先生個人のタッチと思考なのであって、力量のある作家は舗装された大道から必ずいつか脱線して、自分の道をこしらえてしまいます。
 その兆候がみえた矢先に無残にも打ち切られてしまいました。
 

3柱『バイオレンス・アクション』(画:浅井蓮次、原:沢田 新、3巻)

「大丈夫? 死ぬかもですよ?」
「……それはきみもだろう」
「死ぬつもりなんですね。絶望のにおいがする。サービス料は入金済みだから別にどちらでもいいんですけどーーなるべくなら生きましょう。猫とかプランターとか小さい喜びを胸に!」


yawaspi.com


 これもボーイ・ミーツ・ガールが「目が合う」ことによって成立するマンガですね。
 いわゆる殺し屋もの。天使的な役割を演じるタイプの殺し屋もののなかでは最上級でしょう。
 定型をある程度までなぞりつつも、ある程度わかりやすい引用などを踏まえつつも、要所要所でのハズし具合がとにかく絶妙です。スクラップ・アンド・ビルド、ビルド・アンド・スクラップ。

 そんでまあ、話がうまい。キャラがうまい。設定がうまい。表情がうまい。構成がうまい。アクションがうまい。セリフがうまい。ウソがうまい。ようするに、まんががものすごくうまい。
 陰惨な話が多いですが、主人公の殺し屋少女のポジティブさが陽性の救いをあたえています。
 女の子が殺し屋やる話なら『CANDY AND CIGARETTETS』も要注目です。


4柱『BEASTERS』(板垣巴留、6巻)

 文字通り、俺はあなたを食べようとした。
 怖がるどころか 会話する権利すら本当は
 ないんだーー


arc.akitashoten.co.jp


 学園版ズートピア。内気なオオカミの男の子がウサギの女の子に恋心を抱くものの、捕食者-被捕食者という種同士に植えつけられた本能が恋路を阻む。古典的な『あらしのよるに』メソッド。理性を圧倒的に肯定するズートピアとは逆ですね。予定された運命にどれだけ抗えるか、自分を獄する世界をいかに改革しうるか。そうしたものを描くためには、寓話でありつつもリアリティを出すという矛盾したタスクをこなさなければなりません。新人だてらに板垣(巴)先生はその不可能を可能にしました。
 視野が広いんですよね。世界観に奥行きがある。まるまる一話分を割いた「学食に自分の産んだ無精卵を売るニワトリ」の話もここでそれ持ってくるのか、という驚きがありますし、描写レベルでも、たとえば最新第六巻の隕石祭のシーン:「先に拍手したのは肉食獣。鋭い爪音を混ざるのをかき消そうとするように、草食獣の拍手も徐々に加わった」と情景もちゃんとビースターズ世界の言語で叙述している。
 豊かな世界を構築できているからこそ、そこに生きるキャラクターたちの懊悩も空疎なものになっていない。この罠を回避できる描き手はけして多くはありません。才能だなあ、板垣娘。
 

5柱『ワニ男爵』(岡田卓也、2巻)

「カキ小屋が今熱いです」
「気になってはいました」


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 紳士的なワニ男爵とちょっとだらしないウサギ、ふたりのグルメは今日も食を探求する。
 グルメギャグ漫画です。
 こちらは第一話のアオリで「ライバルはズートピア」と自分から喧嘩を売っていくスタイルですね。
 瞠目すべきは絶妙なキャラメイクと盲点から撃ってくるギャグの威力。どちらも無二のセンスです。
 特にワニ男爵の造形はいいですね。ジェントルな立ち振舞の深奥に隠された荒々しい過去。日々の衝動を己を律することで乗り切っていく求道者っぷりが惹かれます。第一話を読めば誰もがラビットボーイのようにどこからどう見ても純然たるワニにしか見えないワニ男爵を「先生!」と慕いたくなるはず。
 私たちが求めていた「師匠」マンガがここにあります。


6柱『違国日記』(ヤマシタトモコ、1巻)

 あの日 あのひとは
 群をはぐれた狼のような目で
 わたしの 天涯孤独の運命を 退けた

 両親の急逝により天涯孤独になった中学生が、JKローリングみたいな売れっ子児童文学作家である彼女の叔母と同棲生活をはじめる話。

 『HER』、『BUTTER!』、『花井沢町公民館便り』。ヤマシタトモコはキャリアを通じてずっとことばを研ぎ澄ましつづけてきました。なんのために?
 わたしたちを『違国日記』で殺すためにです。
 清冽というよりも、凄烈ですらあるセリフ力が至る所で炸裂しています。あらゆる演出が凝らされた罠であり、すべてのページが地雷原です。
 ことばのマンガなんですね。ことばで展開のメリハリを作り、ことばでイメージを描く。文字が多いということではありません。むしろ尽くすよりは絞っている。狙いすましている。だから読んでみるとたちまち、きみさ、人生。かわるね。エポックだ。
 特に主人公。小説家ですから、もちろんことばの力を熟知しています。
 自分の書いている少女向け小説の読者が送ってきた「あなたの小説で人生が変わりました」というファンレターには「本気にしてマセン。いつかは読まなくなるものでしょ、少女小説って」とクールな一方で、同居しはじめた姪に対しては「15歳みたいな柔らかい年頃、きっとわたしのうかつな一言で人生が変えられてしまう」と怖気づく。その二つのセリフのあいだに挟まれる死んだ姉(引き取った姪の母親)のものと思われる陰が彼女の名を呼びかけてくるコマ。これだけで、おそらくは読書に耽溺しながらも人生に決定的な影響を与えたのは姉から直接かけられたことばのほうだったんだろうな、と推測がつきます。
 そういう、最小限のセリフとカットでそのキャラの人生に一瞬で陰影をつけられる手品のような手際がすさまじい。
 完全に魔神の領域に突入してしまったヤマシタトモコを御覧じろ。
 

7柱『麻衣の虫ぐらし』(雨がっぱ少女群、1巻)

 こうして背中にちょんと付けるだけで
 羽がくっついて飛べなくなるんですよ

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 二十才無職さんの麻衣と、農作物と麻衣にたかる害虫どもの駆除に執念を燃やすクレイジーサイコペスティサイドレズ少女菜々のふたりによる農家暮らし日常。
 とにかくキャラの勝利。虫を殺す時の菜々ちゃんのサイコパス顔ももちろんだけど、「自分にとって大切なもの(おじいちゃんから受け継いだ畑や麻衣)を守る」という彼女の潔癖な信念がドラマにジレンマという名をコクを加えていて、1巻終盤で爆発するエモーションを深めています。
 

8柱『しったかブリリア』(珈琲、1巻)

 先輩……本当はベルギー行ってないんじゃないですか?


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 4G回線スマホとグーグルのマリアージュは、現代しったかぶりコミュニケーションをネクストレベルの地獄へとひきあげました。
 その現実を戯画化した恋愛ギャグが『しったかブリリア』です。

 主人公は低身長にコンプレックスとトラウマを持つ意識高い系大学生・白波理助。彼は一目惚れした黒髪ロングの新入生・濱崎さんにアプローチするため「「サークルを三つ運営し学年主席で三カ国語話せて国際ボランティアやっててスポーツ万能でクラブDJもやっててスタバでバイトリーダー」と九割がた虚構の経歴を吹聴しつつ、ベルギー留学に興味を持つ彼女に「自分はベルギーに行ったことがあるしオランダ語やフランス語も話せる」(もちろん全部嘘)とマウントをかけつつ接近します。
 が、濱崎も濱崎でなるべく角を立てずに円滑なコミュニケーションをやりたいあまりに、つい思ってもないことを口走ってしまう性分だったため、ふたりのキャッチボールは実にスリリングな様相を呈してきて……、というかんじ。

 見栄をはるためのウソに命をかける男と、見栄をはるためのウソでサバイバルする女。
 両者のグーグルとウィキペディアとネットの聞きかじり知識で武装したコミュニケーションゲームは、多かれ少なかれ、我々自身の似姿でもあります。本来は空疎でクソでイヤなものでしかないマウンティングトークに駆け引きのダイナミズムを導入することで、傍目から見たらバトル的なコメディとなってしまう。このカメラの置き方の絶妙さよ。
 それでいてこういう哀しい人間たちを一方的に突き放して嗤わず、どこか共感をもって寄り添ってやさしさも垣間見えます。
 作中でも引用されてますが、オシャレな初期『カメレオン』(ヤンキー漫画のやつ)の子どもがなぜかアフタヌーンで生まれて意識高いウェイ系に育ってしまったような風情です。


9柱『ブルーピリオド』(山口つばさ、1巻)

ブルーピリオド(1) (アフタヌーンKC)

ブルーピリオド(1) (アフタヌーンKC)

 好きなものを好きっていうのって
 怖いんだな……


afternoon.moae.jp

 学業優秀で友達も多いいけれど心の底からアツくなれるもの持てないヤンキー(か?)男子高校生が、美術のクラスで与えられた課題をきっかけに絵に目覚め、ゆかいな仲間といっしょに美大を目指す青春マンガ。
 
 ハイそこの人。このあらすじでビタイチ興味を持てなかったでしょう。

 私もそうでした。どこかで「成績優秀かつスクールカースト上位の充実した毎日を送りつつ、どこか空虚な焦燥感を感じて生きる高校生・矢口八虎は、ある日、一枚の絵に心奪われる。 その衝撃は八虎を駆り立て、美しくも厳しい美術の世界へ身を投じていく。 美術のノウハウうんちく満載、美大を目指して青春を燃やすスポ根受験物語、八虎と仲間たちは「好きなこと」を支えに未来を目指す! 」なんていう公式の紹介文見かけたらフツーに敬遠してたとおもいます。

 「”そういうマンガ”ね。あるある、よくあるよね。才能? 努力? 空虚な日常? 女装男子? そういう青春もの。知ってるよ」と。

 断言しましょう。この漫画はそんな安い経験則を軽々と越えてきます。
 作りがとにかく丁寧です。
 主人公の動機づけから心情、「上手い絵」を見た時のリアクション、キャラ一人一人の性格のかき分けに至るまで手を抜いているところがほとんどない。出してくるあらゆる要素をひとつひとつ綺麗に使い潰しています。
 青春マンガの基礎中の基礎である「主人公の視野が広がっていく=成長」の感覚をワンエピソードごとにきっかりこなしていきます。
 読者の最大公約数的に共感しやすいところを狙いうちつつも、それをアウトプットするためのことば選びでいくらでもマンガというものは可能性が拡張されていくのだな、と今更ながらに認識させられます。その実感は新鮮な衝撃です。衝撃度だけでいえば2017年でもトップクラスです。何気なく手に取ったコンビニのあんまんが実はネクタールだったみたいな。
 陰影が印象的な画風もすばらしいですね。光に溢れていながらも、どこか柔らかくて不安定な陰の差した室内の描写はそのまま青春時代のおぼろげな不安感に直結しています。
 一つのテーマを描くために何が必要かを見極めて、それらの要素を極限まで磨きあげて鍛えれば唯一無二を作ることができる、という好例。


10柱『星明かりグラフィクス』(山本和音、1巻)

星明かりグラフィクス 1 (ハルタコミックス)

星明かりグラフィクス 1 (ハルタコミックス)

 私 最近気付いたんだ
 美大って 才能を磨く所じゃなくて
 本当に才能にある人間とコネを作るところだって
 そりゃ確かに吉持は問題児だよ 潔癖以前に性格が悪い 生活力がない 無礼に自己中 恩知らず
 だけどデザインはとびきりに上手いんだ 2年だけど校内の誰より上手い
 上がると決まってる株 買わない手はないでしょ


www.kadokawa.co.jp



 これも美術で才能の話。
 センスは天才的なものの極端な潔癖症のせいで友達ゼロのデザイン科美大生女と、その天才を独り占めしようとする利己的なコミュ強女の百合……百合か? 百合ではないな。たぶん。利己的女は天才女をプロデュースして名を売ろうとする一方、さまざまな奸計をろうして天才女を孤立させ、自分に依存させようと仕向けます。やっぱ百合だな。
 アウトサイダーアウトサイダーのまま、あるいはクズをクズのままやさしく包んで出してくれるマンガが好きなんですよね。
 ハルタ一番の期待株です。買っとけ。


11柱『ようことよしなに』(町田翠、2巻)

ようことよしなに 1 (ビッグコミックス)

ようことよしなに 1 (ビッグコミックス)

 ねー、マキさあ、これをいつかさーー
 ちゃんと録音して、音楽会社に送ってさ
 MステでもCDTVでもいいから、二人で出演して人気者になったら…
 こんな ど田舎のしみったれた町、二人で出ていこうね。絶対だからね。


comics.shogakukan.co.jp


 女が二人出てきて青春するつながりでは『ようことよしなに』はハズせない逸品でしょう。夏とクソ田舎とロックンロールさえあれば青春はかけるとゴダールも言っている(言ってない)。
 クソ田舎に住む純ぼっち(バカ)と半ぼっち(まじめ)の女子高生ふたりの野蛮な仲良し日常ですね。彼女たちは素人バンドを結成し、クソ田舎を脱出しようとがんばる。
 それぞれ別の高校に通ってるんだけど、バカな方が学校の図書館でぼっち昼飯してると聞いて我慢してグループに所属してるまじめな方が安心したりだとか、ナレーションが「未来の自分による回想」形式なところだとか、両開きで飛び上がって歌うところにエモーションのクライマックスをもってくる構成とか、そういうのホントダメなんだ……そういうの読むとダメになってしまうよ……
 音楽マンガとしてのエモさもかなり濃いです。


12柱『青野くんに触りたいから死にたい』(椎名うみ、2巻)

 幽霊ってモンスターなのかな
 このまま青野くんと一緒にい続けたら
 わたしどうにかなっちゃうのかな


 どうなってもいいよ


comic.pixiv.net



 天より地上のマンガ界へ遣わされた2017年度最高の新人にして最強の悪意、それが椎名うみ先生です。
 とにかくずば抜けてユニーク。基本線としては付き合い始めたばかりの彼氏を亡くした女子高生のもとに死んだはずの彼氏の幽霊が現れてさあどうなる、って話なんですが、
 主人公が椎名うみ先生特有の自分の感情に対してあまりにまっすぐすぎて怖い人なせいで、結果的にホラーと恋愛とコメディがほぼ同一軸上で展開される狂気じみたマンガになってしまいました。でも、イイ話なんですよ。泣けますよ。信じられますか? わたしはいまだに信じられん……。
 なにげに卓越したマンガ力と見て一発でわかる秀抜なセリフセンスも見もの。短編集も出ていますが、そちらも別記事で紹介したい。
 

13柱『ラグナ・クリムゾン』(小林大樹、2巻)

 失うばかりの人生 それでも戦い続ける
 限界の限界の限界の限界の限界の
 限界のさらにその先の強さへーー


ラグナクリムゾン - 連載作品 - ガンガンJOKER -SQUARE ENIX-

 変態……もとい変化球マンガの次はストレートにアツいバトルファンタジーのご紹介。
 圧倒的な戦闘力をもつ「竜」に生存を脅かされた人類。狩竜人(かりゅうど)の少年ラグナは「狩竜の天才」と称される少女レオにつきしたがって竜と戦っていた。自分に竜と戦う才能はない。せめて無敵の英雄であるレオに微力なりとも貢献して死ねれば本望ーーそう考えていたラグナだったが、ある日謎の老人からレオが竜に惨殺される未来を幻視させられる。少女を救うための強さを願う少年に、老人は驚愕の正体を明かす。
 定められた悲劇を避けるための◯◯◯◯◯もの(無料公開分の第一話で明かされますが)としてはわりとストレートなストーリー。しかし、紙上からほとばしる熱量がすさまじい。「竜殺しの物語(ドラゴンファンタジー) 次世代スタンダード」を自称するのは伊達ではありません。
 主人公がいきなり最強クラスの兵器化してしまうため、一巻時点ではバトルパートは単調にならざるを得ませんでしたが、二巻では新加入キャラによる戦術要素も出てきて厚みが増します。
 飽和気味のファンタジーバトルマンガ市場にあって、まず拾われるべき原石の一つ。
 

14柱『わたしと先生の幻獣診療録』(火事屋、2巻)


 自分なら出来るはずって始めたことなのに
 出来ないこととか、失敗とか、
 そんなことばかりだなって……。
 


comic.mag-garden.co.jp


 魔術が科学によって超克されつつある世界。魔術師の末裔である獣医師見習いの少女ツィスカが師匠である獣医師ニコとともにカーバンクルやサラマンダーといった幻想クリーチャーたちを試行錯誤しながら癒やしていく。

セントールの悩み』から一万光年、人外ブームも久しくなりぬれど、『ダンジョン飯』や『科学的に存在しうるクリーチャー娘の観察日記』といった幻想生物の生物学的考察をフィーチャーしたマンガもにわかに活気をおびてきた今日このごろ。
 幻想生物にリアリズムに基づいた解釈を与える系統のマンガとしては、一番地に足がついている*4といいますか、これが俺たちの求めていたやつだよ感があります。*5下手に「人類」に手を出さずに「動物」に扱いを限定しているのも勝因。
 キャラクターの配置もいいですよね。中途半端ながらも魔術の知識も持ち合わせるツィスカが、未熟なりに近代獣医学の可能性を広げたり広げなかったりする。表面的にはぶっきらぼうなニコもツィスカの努力と成長を見守る。魔術が科学によって駆逐されつつある世界観も触媒としてツィスカのキャラクターや二人の関係にプラスの効果を与えています。
 さじ加減がむずかしいジャンルを、よく欲望を抑えてコントロールしていると思います。
 

15柱『さよなら、おとこのこ』(志村貴子、1巻)

 舞台の上では老人にもなるし 幼児にもなる
 時には女になることだってある
 肉体そのものは変えられないが
 紙の上でなら なんにだってなれる


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 バスの運転手と同棲していたゲイの演劇俳優がある日突然ショタボーイになっちゃった、ってあらすじだけなら、今年でいえば、『昴とスーさん』のゲイヴァージョン……のはずなんですが、そこから一気に読者の予測のつかない地平までもってかれます。
 これ以上は言えないな。察してくれ。買ってよめ。「BLはちょっと」? おいおい、志村貴子だぜ? ってかそういう問題じゃないから。いいから。とにかく。

 メタフィクションの本質的な営みとは「物語ることの主導権の奪い合い」なのではないかと常々愚考するところんですけれども、群像劇と語りの魔術師・志村貴子はそれを今回もっとも即物的な形でついてきます。
 これは読者への挑戦状といって差し支えないのではないか。
 斯界の志村貴子ウォッチャーとして知られるななめちゃんさん氏は「わたしたちがその圧倒的なまでに複雑化されたストーリーテリングの本質を理解するにはおそらくあと三年ちかくかかるのではないか。」と諦め気味に指摘しており、その定見は圧倒的に正しいのですが、ヨムデアであるところのわたしとしては人類の、読者の可能性を信じたい。
 志村貴子に負けるな人類。
 がんばれ人類。
 がんばれ……。


17柱『怒りのロードショー』(マクレーン、1巻)

怒りのロードショー

怒りのロードショー

 そんなんでよくシュワ好きが名乗れたな!!!
 シュワ愛がぜんぜん足りてねーよおまえには!!!!

comic-walker.com
 

 風が吹いている。暖かくて、乾いていて、しかしどこか懐かしいにおいの風だ。メヒコからーーおたくのぼんくらどもの街から吹く風だ。
 ここのところ映画マニアを題材にしたマンガが増えましたが、本作はその先駆にして最もハードコアでどうしようもない作品です。オタクであることの喜びを肯定しつつ、その罪悪に対して正面から向き合う。映画ジャンルに限らず、マクレーン先生の誠実さはやっすい開き直り型オタクファンタジーどもとは一線を画しています。


18柱『ザ・ボーイズ』(ガース・エニス、3巻)

ザ・ボーイズ 1 (GーNOVELS)

ザ・ボーイズ 1 (GーNOVELS)

 コミックだよ。
 脳みそを腐らせる。


 Kindle導入以来すっかりBDやアメコミから遠ざかってしまっていた私ですが、そこへ来てG‐NOVELSはちゃんとKindle版も商ってくれるようになりました。えらい。同社翻訳作とはアメコミ版鉄腕アトムゴジラ(?)『ザ・ビッグガイ&ラスティ・ザ・ボーイロボット』や松本サリン事件をドキュメンタリックに描いた『MATSUMOTO』などもオススメです。そして! 今月にはあのオトナ百合アメコミ*6『サンストーン』が出る! ホットなレズビアンのボディコンセックスが読めるぞ! サンキュー、G‐NOVELS!!


 さて、『ザ・ボーイズ』ですが。
 簡単にいえば、謎の注射を射たれて超人化したサイモン・ペグがアンチ・ヒーロー組織に加わり、腐敗したジャスティス・リーグやXメンを皆殺しにする話です。何言ってるんだと思われそうですが、一言一句たりとも私は間違っていない。『ウォッチメン』とかのスーパーヒーローものの批評的なパロディをもっとグチャグチャに、残虐にしたかんじ。
 こういう系は取扱を一歩間違えれば単に反マジョリティを気取ってるだけで浅薄で陳腐な、なんとなれば本家で既に自己言及してることすらありえることの二番煎じに堕した駄作に陥りがちなものですが、そこは大傑作『ヒットマン』のガース・エニス。見事に人間の哀しさを描ききった仕事人ハードボイルドに仕上げています。
 個人的に一番好きなのは一巻に出てくる「テックナイト」というヒーローのエピソード。テックナイトはバットマンをモデルにした大富豪ヒーローなのですが、なぜか突然、穴とみれば男女の尻穴からチンチラやコーヒータンブラーまでなんでも性器を突っ込むセックス衝動を抑えきれない身体になってしまいます。
 その病気のせいで所属していたヒーローチームからも解雇され、信頼していた執事(バットマンでいうところのアルフレッド)からも愛想をつかされてしまい、ヒーローとしての尊厳を完膚なきまでに失ってしまいます。そんな彼が終盤ヒーローとしての矜持を発揮するシーンがありまして、それがなんとも悲劇的でありつつも滑稽で、胸打たれるのです。オチも含めてね。


19柱『黒き淀みのヘドロさん』(模造クリスタル、1巻)

黒き淀みのヘドロさん 1 (it COMICS)

黒き淀みのヘドロさん 1 (it COMICS)

 おかしいか? うまく言えないけど
 でも私には 悪から善を作るより 他に手はないんだ


www.mozocry.com

 
  模造クリスタル先生の本が一年で二冊も出ただけであまねく人類は生に感謝すべきなのですが、それはまあともかく、
 『黒き淀みのヘドロさん』は当ブログ*7でも既にご紹介しましたね

proxia.hateblo.jp


 女子高生が黒魔術を使ってヘドロから人間を作り出すお話です。模造クリスタル先生は『スペクトラル・ウィザード』、『ビーンクとロサ』そして『金魚王国の崩壊』と一貫して人間の不全性と孤独を描いてきた作家で、本作でも何者も寄せ付けず唯一傍にいてくれる執事に対しても過剰な暴力をふるうお嬢様とか、自分を教師と思い込んで勝手に学校で先生としてふるまっている狂人とかが出てきます。
 泥人形たるヘドロさんはそうした人間たちを救えるのか。結論からいえば救えません。その救えなさをいかにデザインするかが模造クリスタルという作家の本領なわけですが、しかしわたしたちはその救えなさの悲劇を前に何をなせるのか。
 絶望と仲良くなりたい向きには、ぜひフォローしておきたい作家です。
 
 

20柱『1日外出録 ハンチョウ』(協力:福本伸行、原作:荻本天晴、漫画:上原求&新井和也、2巻)

1日外出録ハンチョウ(1) (ヤングマガジンコミックス)

1日外出録ハンチョウ(1) (ヤングマガジンコミックス)

 肴にしてるんだ……っ!
 飲みたくても飲めない……
 サラリーマンへの優越感を……っ!


yanmaga.jp


 傑作『中間管理録トネガワ』の二匹目のドジョウを当て込んで作られた『カイジ』のスピンオフ漫画ですが、これがまたいい。パロディとしてはちょっとそらおそろしくなるくらいのクオリティです。
 ハンチョウというキャラクターと「一日外出」というシチュエーションを徹底的に使い潰す豪腕さは講談社含めたチームの全面バックアップがあってこそ成り立つ細部の神々しさなのでしょうが、『トネガワ』と併せてこうなってくると、ある程度までのキャラ崩壊を許容しつつ取り込んでしまう福本作品の懐の深さがおっとろしい。
 
 最近はパロディ/スピンオフ漫画の話題作が立て続けに発表されていますね。『3年B組一八先生』、『ふたりエッチ外伝 性の伝道師アキラ』、『今日からCITY HUNTER』……そんな中にあって大本命は次にご紹介する作品。


21柱『金田一少年の事件簿外伝 犯人たちの事件簿』(原作:さとうふみや天樹征丸金成陽三郎、漫画:船津紳平、1巻)

 多い……
 やることが……多い!


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 国民的人気推理コミック『金田一少年の事件簿』を犯人側の視点で再解釈した公認パロディ漫画。おなじく国民的推理マンガである『名探偵コナン』も似た趣向の(こちらはエピソードごとの真犯人視点ではないものの)『犯人の犯沢さん』を去年出しましたね。
 肉体的なアクションや即興の演技力を要求される金田一犯人たちの苦労をおもしろおかしく描いたギャグの切れ味もさることながら、そうした視点を通して推理マンガとしての批評性をも獲得しています。
 ミステリとは、探偵と犯人との暗黙の合意にもとづいた甘い犯罪なのですね。
 

22柱『北極百貨店のコンシェルジュさん』(西村ツチカ、1巻)

 北極百貨店にはあらゆる動物のお客様がいらっしゃいます。
 あらゆる悩みをお持ちのお客様が!
 今日はどんなお客様がいらっしょうか。楽しみです


csbs.shogakukan.co.jp


 わたしたちはみんな、一人の例外もなく、高野文子の『ラッキー嬢ちゃんのあたらしい仕事』と喋る動物が大好きです。
 人と種と品と領域が雑然と交わるデパートという舞台にした変則お仕事話を描くのはなんと、ヴィレッジヴァンガードの守護神にしてサブカルマンガ界のラスト・チャイルド、西村ツチカ先生。
 不安がありますね?
 西村ツチカ先生がこれまで出してきた短編集はどれも歴然たる才能が発揮されていることは見て取れても、その良さを感覚以上の理屈で理解するにはあまりにもクールすぎました。つまり、人を選ぶ作家でした。
 ところが『北極百貨店のコンシェルジュさん』では実にウェルメイドなトラブルシューターものを描いています。わかりやすい。わかりやすく、おもしろい。「絶滅種が集う百貨店」という設定もよく使いこなしている。自分の尖った部分を丸く収めて、ややマジョリティに寄せてきている。それでいてしっかり西村ツチカとして主張しています。よくできている。同時刊行された短編集『アイスバーン』と併せて、ツチカ先生の幼年期に別れを告げたメルクマール的な作品といえるでしょう。
 なんとしたたかに成長したことか……と『へうげもの』で秀吉と和解する家康を見たときの本多忠勝が流したものと同じ涙が、読者のほほを伝います。言祝ぎましょう。

 ちなみに「絶滅種の集まるお店」というコンセプトを共有している新刊としては『絶滅酒場』(黒丸、少年画報社)もございまして、興味のある方はこちらもチェックするとよろしいでしょう。『絶滅酒場』の方は『北極百貨店』よりもうちょっと扱ってる年代が広くてカンブリア紀の生き物や恐竜が出てきます。


23柱『Do race?』(okama、2巻)

Do race? 1 (ヤングアニマルコミックス)

Do race? 1 (ヤングアニマルコミックス)

 限界は自分では決めない
 決めたのはあきらめないこと

 進めば進むほど重くなる自分を ひとふみひとふみ動かす…勇気を奮い続けること

 迷わない
 ゴールはまっすぐ先にある!!


seiga.nicovideo.jp


 『クロスロオド』以来、ときにカオスなほど美麗さとかわいいがつまった作画で。いつもまっすぐな少年マンガを書いてきたokama先生の最新作。
 「ドレース」と呼ばれる『キルラキル』を『F-ZERO』と合体させたような服飾宇宙レースバトルが盛り上がりを見せている世界。傑出したレーサーの才能を有するものの貧乏な難民という出自のせいで、費用のかかるドレース参入を諦めかけていた少女キュウが、天才レーサー・ミュラに見出されて特別なドレース用ドレスを与えられます。そのドレスは高性能なのですが、「レースに敗北すると爆発する」という仕掛けがほどこされているとんでもない代物。「命が大事なら小さな夢は夢のまま飾り物にしておくことだね」という言葉を残して去るミュラ。果たしてキュウの選択は、といった第一話。

 展開からなにからあいかわらず前のめり極まりなく、打ち切られそうな予感しかありません。
 ですがOKAMA先生のオタクアート画でぶちこまれる、努力あり勝利あり友情ありSF設定あり才能話あり美少女あり覚醒超サイヤ人化ありの熱く燃えたぎる正統派少年マンガマインドはきっとみなさんの童心にも届くはずです。まっすぐにね。
 

24柱『不滅のあなたへ』(大今良時、5巻)

 今は人間の形で歩いている
 さらなる刺激を求めて


www.shonenmagazine.com


 形態コピー能力を持つ謎の球体が宇宙から飛来してきて、地上に生きる動物や人間たちにメタモルフォーゼしつつ、人間たちの営みに触れて変化していくロードノベル的なSF物語。作者は『聲の形』で大ブレイクした『週刊少年マガジン』の秘蔵っ子・大今良時
 
 いまさら「大今良時がいい」なんて説明、いりますかね。
 舞台となる世界は変われど、人間同士の関係性やコミュニケーションのむつかしさをときに荒々しく、ときに繊細に描ききる大今先生の筆致は健在です。ギリギリの絶望で希望を謳うパワフルさに至っては進化すらしています。
 一話目から読者を問答無用にねじふせて物語世界に引き込んでくれるので、読みだしたらあとはすべてを委ねるだけでよいのです。

25柱『凪のお暇』(コナリミサト、2巻)

凪のお暇 1 (A.L.C. DX)

凪のお暇 1 (A.L.C. DX)

 大島凪 28歳にして悟る
 空気は読むものじゃなくて
 吸って吐くものだ


www.cmoa.jp


 社内の女子政治と恋人のモラハラに耐えられなくなった空気読む系のOL凪さんが破裂して会社を辞め、寂れたアパートで一人暮らしをしながら人間性を回復していく話。元恋人とアパートの住人とのあいだで三角関係もアルよ!

 気の弱さに由来する生真面目さをもっている人はだいたいのところ心を殺しきれるまでは強くなく、常に他人の食い物にされて、どこかで潰れてしまう。そういう人間の心理っていうのは、コンテンツなんですよね。
 そういう小市民的な主人公のコミュニケーションにおける地獄一人相撲を覗くサファリツアー的な愉しみもありますけれど、アパートの住人たちの人間模様でもなかなか見せてくれます。全員に表と裏があって、いちいちキャラが立っている。
 演出とかも結構練られていますよね。元カレが凪の新居を探すときに携帯の地図へ集中するあまり、建設現場のクレーンを見上げてあるく凪と互いにきづかずすれちがうシーンなんかは画的にも二人の関係性を描写する意味でもキマってて、お気に入りです。
 3巻は今月発売。


26柱『時計じかけの姉』(いけだたかし、1巻)

 弟は美しく社交的で
 姉はそのどちらでもありませんでした
 二人はとても仲良しでした

 美しい弟は皆にとても愛され それ故に不幸な死を迎えます

 姉は深く深く それは深く悲しみました
 そして決意します 自らの手で弟をよみがえらすと


www.gentosha-comics.net


 死んだ弟・水と生き写しのセクサロイドを作った姉・晶(職業、街の時計修理屋さん)。なぜ彼女は弟をロボットとして再生しようと試みたのか、そもそもその弟とは何者であったのか。生前、死後の水と晶の謎をめぐるミステリー。
 
 基本的に姉と弟がセックスするマンガはその時点で姉マンガを名乗る権利を失うのが天地開闢以来のしきたりですが、これに関しては例外。
 倫理の底をぶち破ることでミステリー部分に厚みを出すことに成功していますよね。弟に適度に人権がないおかげで、商店街のおっさんたちが全員穴兄弟であったり、ヤクザに3Pを撮影されたり、何かと首がはずれやすかったり、なんとなく軽い。この軽さが重い話を聴くときには読者をちょうどいい温度にととのえてくれるものです。


27柱『とんがり帽子のアトリエ』(白浜鴎、2巻)

 スポーツ選手は生まれた時からスポーツ選手?
 じゃあ宇宙飛行士やアイドルは?
 生まれた時はわからない
 でもじゃあ 魔法使いは?


morning.moae.jp


 ガールズコメディの名作『エニデヴィ』の作者にして、最近ではアメコミ方面の活躍されている白浜先生待望の新作。その独創的なコマ割りセンスは1巻出た当時にメチャクチャバズりましたね。バズったコマを面白がるだけ面白がって買わないの、先生はどうかと思いますよ。
 
 内容は(少女)魔法学校もの。みんな大好き才能の話でもあります。魔術を発動するための魔法陣回りの設定がやたらめったら理屈っぽく作り込まれており、そういう細部に神の存在を感じます。
 タイトル通りとんがり帽子にマントという装いの少女たちがわちゃわちゃしてるのも目に快いですし、いいんだよ、白浜鴎は、とにかく。そういうのが。


28柱『ひつじがいっびき』(高江洲弥、1巻)

 わたしなんて
 死に続けるしかないんだ。


www.cmoa.jp


 正統派ハルタ一族の有望株。
 小学生のお嬢様が夢の中で自分だけの理想郷を築いて夜毎に逃避するも、その夢に突如巨大なクモのモンスターがわいてお嬢様へ襲いかかる。お嬢様は現実で見かけた喧嘩狂いのヤンキーを召喚することでクモを撃退がするが今度はそのヤンキーに粘着されるようになり……という話。

 ハルタ系統*8によく見られるかわいらしい絵柄でありながらも、時折覗かせる「暴」のにおいにゾクゾクさせられます。序盤は『パンズ・ラビリンス』みたいな少女ダークファンタジーの雰囲気をまといつつ、やがて互いに孤独な高校生男子と小学生女子が「生きること手伝い(by 『聲の形』)のしあいっこになるの残酷な話が苦手な人にもあんしん。


29柱『モキュメンタリーズ』(百名哲、1巻)

モキュメンタリーズ 1巻 (ハルタコミックス)

モキュメンタリーズ 1巻 (ハルタコミックス)

 おまえ自身 本当に
 自分を探していたのか?


 デビュー短編の「ばかねこ」(『冬の終わり、青の匂い』所収)が即漫画史におけるインスタント・クラシックとして絶賛を浴びるも、その後は不遇をかこってきた鬼才・百名先生。本作はそんな百名先生のブレイクスルーになりうるポテンシャルを秘めています。
 フィクションを織り交ぜつつ取材した事実をルポ漫画の形式で語っていく奇妙な作品ですが、これがべらぼうに面白い。
 出演作一作のみを残して忽然と姿を消したAV女優のビデオを買い占める謎の人物、アイドルのコンサート会場を徒歩でめざすオーストラリア人オタクと日本人少女、自分探しに人生を賭ける友人に呼び出されてバングラデシュで生活することになった作者*9……。
 どれも物語に通りよくまとまっているので「ああ、作ってあるんだな」と直感できはしますが、しかしこのマッスルはどうだ。フィクションオンリーでもノンフィクションオンリーでも描きえない、百名先生だけに可能な「縁」の人生ドラマが広がっています。
 この縁に、この再会に感謝しましょう。マンガ業界では現実より人が死にやすい。
 

30柱『保安官エヴァンスの嘘』(栗山ミヅキ、2巻)

「保安官はモテるんだよ」

【みずから実証できていない説である】


websunday.net


 保安官エヴァンスは町一番のガンマン。その腕前と硬派な言動から人々の信頼も篤い。ところが彼には誰にも言えない秘められた願望があった。そう、「モテたい」というーー。
 発した主体の内心と実際に生じた受け手の解釈のズレ、そういうコミュニケーションの行き違いによる笑いは『幼女戦記』などでも描かれていますが、本作はわかりやすくそのギャグに全振りしています。
 この形式が特に活きるのはラブコメをやるとき。同じく見えっ張りな賞金稼ぎの少女とのもどかしいスレ違いはキレッキレの筆運びです。
 気軽に読めるギャグ漫画としてはこれ以上望むべくはない一作でしょう。


10の厄災たち

 30の選には漏れたものの漏らしたことに後ろ髪を引かれる秀作がこちら。

31柱『月曜日の友達』(阿部共実、1巻)

yawaspi.com

ちーちゃんはちょっと足りない』や『空が灰色だから』で全人類をどん底に突き落とした、ドドメ色の青春と絶望を司る漫画神・阿部共実
 最新作ももちろん学校を舞台にしたブラック青春もので、ページを開いて読んでみるとそこにはいつものシンプルでポップな作画の阿部先生キャラがああああうわああああああああああああああああああああああうわああああああああああああああああああああああうわああああああああああああああああああああああうわああああああああああああああああああああああうわあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああうわあああああ!!!!!!!!!!!!!!!!!


 なんでこんなすごくなってんの!?


 なんか背景も陰影を強調したアフタヌーン系っぽい作画になってるし、かつては頼りなかった線の一本一本が自身に満ちてストロング!! しかも話運びまで……え? 阿部共実ってこんな長編するりとかける作家だったっけ? あれ? なんかフツーに青春ものとしてよくない? よいすぎない?? エモが…‥エモが増幅していく……。
 開花、しすぎじゃない?????

 もともと一作ごとにこなれてくる人ではあったんですが、正直どこかで『空灰』の天井におさまる器だと見切っていた節があり、これ読んだときは神を凡人の目で図ろうとした己の狭い見識を恥じて切腹まで考えました。阿部共実は本物です。戦いの中で成長するタイプの天才です。


32柱『映像研には手を出すな! 』(大童澄瞳、2巻)

映像研には手を出すな! 1 (ビッグコミックス)

映像研には手を出すな! 1 (ビッグコミックス)

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 高校生がアニメ作る話でまあ『ハックス!』(今井哲也)や『アニウッド大通り』(記伊孝)を思い浮かべてくれたらよいです。
 そんで、その浮かべた想像を今すぐうっちゃれ。

 すっ
 っっっ
 っっっっげえ変な部活動漫画で、舞台となる学校は九龍城めいて入り組んでるし、キャラたちは揃って漫画でもどうかと思うレベルの変人ばかりだし、なぜか吹き出しも発する人物の向いている方向に応じて立体的に傾ぐ仕様。
 それでもなんでかおもしろい。
 ものづくりの正統な喜びがそこにはあるからでしょうか。クリエイター讃歌をてらいなく謳えているからでしょうか。
 ちなみに作者名は本名らしいです。


33柱『リウーを待ちながら』(朱戸アオ、2巻)

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 富士山麓の架空の都市「横走市」を舞台に、静謐に淡々と進行していくアウトブレーク・パンデミックもの。タイトルの「リウー」とはカミュの小説『ペスト』に出てくる登場人物の名です。
 主人公である女性医師が冷静で知的な性格であるおかげか、あんまり派手な展開とかはないんですが、それでも、いやそれが故に怖い。
 罹患したら高確率かつ短期間で死に至るやばい病原体がじわじわと市内に広がっていく焦燥感と、市街ごと日本から切り離されて封鎖される閉塞感が組み合わさって、登場人物と読者の精神をガリガリと容赦なく削ってきます。
 所々で語られる名も無き(まあだいたい名前はついていますが)キャラたちの挿話もいちいち素敵で、物語世界を豊穣にしています。個人的なお気に入りはワイン好きのベテラン医師のエピソード。うつくしいですよ。
 

34柱『シネマこんぷれっくす!』(ビリー、1巻)

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 このところ増えている映画おたくマンガではもっとも上品かつ上質な部類でしょう。
 扱う作品傾向としては『怒りのロードショー』に近いところがありますが。『怒りのロードショー』が荒削りな若々しさに満ちているとすれば、こちらは非常に洗練された「商品」としてのマンガの美徳が詰まっています。物語、自意識、ギャグ、アティテュードの均整がよくとれている。
 映画オタクネタが連発されますが、いちいち丁寧に解説してくれるため、映画にそんなに詳しくない人にも安心な出来です。


35柱『僕はまだ野球を知らない』(西餅、1巻)

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 圧倒的な機械工作マニアっぷりを土台にしたものづくりの喜びに溢れたマンガ『ハルロック』や演劇マンガ『犬神もっこす』でユニークな印象を読者にうけつけながらも、なーんかいまいち読まれてない感じのする西餅先生の高校野球マンガです。
 簡単に言えば、セイバーメトリクスを含めた最新の野球を弱小校に取り入れて勝つ話。
 高校野球にセイバー導入するのってどうなの? トーナメント方式には通じないんじゃなかったの? という読者の素朴な疑問を持ち前の工学力(というか工作力)で慌てず騒がず地道にクリアしていきます。
 理屈で勝ちましょう系の高校野球マンガはわりと既出ですが、ここまでガッツリセイバーを取り入れたものはなかったはずです。とりあえず、何か新規性のある野球マンガを読みたい向きに。展開自体はわりとこの系統の「王道」を行っている印象ですが。


36柱『銀河の死なない子供たちへ』(施川ユウキ、1巻【上下巻?】)

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 作を経るごとにどんどんヤバさを増していく(『美しい犬』を読むべし)永遠の暗黒成長期作家こと施川ユウキ先生ですが、今回もまあヤバい。なんかもう、ヤバい以外の語彙は評言としてぜんぶ適当でない感じがする。
 一応話を説明しておくと、よくわからない不死身の一家がよくわからない世界で動物などと戯れながら死と生を考える物語で……やっぱりよくわからないな。主人公の女の子はラップが趣味です。よくわからないな。
 こうやって言葉を尽くして語っている身にあっては悔しいものですが、読んで感じるしかないマンガというものも世の中にはあります。
 そんな作品のひとつです。


37柱『あらいぐマンといっしょ』(横山旬、1巻【上下巻?】)

あらいぐマンといっしょ 上巻 (ビームコミックス)

あらいぐマンといっしょ 上巻 (ビームコミックス)

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 結婚直前に雷に打たれて気を失った主人公が目覚めたのは三年後。どういうわけか彼の意識は幼少時代からの宝物であるあらいぐまのぬいぐるみに憑依しておりました。行方しれずになった婚約者をさがすため、流れで共連れとなったマッチョ金髪なバカパンクスと車に乗り込んでさあ珍道中のはじまりです。
 『変身!』で青い性欲とメタモルフォーゼへの渇望をいかんなくふりまいた横山先生。しかしもちろん三巻ぽっちで収まるようなオブセッションじゃあありません。今回もシズル感満載の濃ゆい画風で、暖かくもどこかグロテクスな人間模様を提供してくれます。

 ところで『銀河の死なない子供たちへ』もそうですけど、1巻目の時点で「上巻」って文字を目にすると、こういう記事で紹介するか迷うんですよね。最長でもあと二巻以内に完結するとわかっているわけですから。勝手なコンセプト考えたのはこちらですけれども。

38柱『魔法少女おまつ』(吉元ますめ、1巻)

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 江戸時代で繰り広げられる変則魔法少女ギャグマンガ。1巻目はまるまる契約を欲するマスコットキャラとそれを拒否する魔法少女候補町娘の掛け合いに終始します。

くまみこ』で花開いた吉元ますめ先生ですが、同時並行での新連載となる『おまつ』ではさらなる高みへと挑戦しています。
 恐るべきはあとがきに記してあるエピソード。「とりあえず編集との話あいで『時代劇』をやることだけが決まる(わかる)」→「昭和の絵柄で描いてみたいという欲求が湧く(まあわかる)」→「杉浦茂の本を読む(当然だね)」→「『くまみこ』とはまた一味ちがう新画風を編み出す(よくわからない)」がするりとできてしまう。
 飽くなき開拓者精神こそが作家を進化させ、進化できる作家を人は天才と呼びます。本書は吉元ますめ先生の天才の証明書です。


39柱『アラサークエスト』(天野シロ、1巻)

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 思い出は常にうつくしい。『聖剣伝説 LEGEND OF MANA』での溌剌とした天野シロ先生も記憶にあっては至福の風景です。
 長年に渡る『キングダムハーツ』の折り目正しいコミカライズ生活は、あのころの自由さを天野先生から奪ってしまったのでしょうか?
 答えは本作にあります。
 ジャンルとしては最近流行りのウィザードリィ系ダンジョンリミックスもの。主人公の魔法使いベア(三十二歳、処女)は「若さ」に執着し、若返りの古代魔法「アンチエイジング」(どうだこの直球さ)を求めて、女性だけのパーティを組みます。
 ファンタジーRPG的な雰囲気が基調になっているものの、なぜかベアの部屋が現代的なマンションっぽかったりテレビなどといった文明の利器がひととおり揃っていたりオタクはスウェットを着ていたりSNSもあったりで、わりと世界観はグラグラ。
 大丈夫かコレ? みたいな危惧を抱いて読み進めていくうちに、いや「このテーマ」を描くにはこういう世界観じゃないと、と思い直します。
 その「テーマ」とは「夢への追うこと」。ベアを中心に展開されるのはいずれも「若さ」にまつわるエピソードなわけですが、それは換言すれば、自分の過去と現在を捉え直す話を描くことでもあります。
 過去があって現在の自分がいる。そのことがわかっているはずなのになぜ「若さ」を探求するのか。未来に「失われたはずの過去」を置こうとするのか。
 ベアはあるエピソードでその現実を突きつけられます。ある化粧技術に長けた老婆から「自分もかつてはアンチエイジングの魔法を探したが、結局見つからなかった。あんなものは実在するかどうかわからないのだから、諦めて別の道(化粧など)を極めたほうがいい」と諭されるのです。
 しかし、ベアはその助言を峻拒します。「諦めた方の負け惜しみは聞きたくはありません。あなたの美への探求はすばらしい、だけど私の追求を止める必要がどこにありますか。私はあなたと別の道を行きます」と。
 そのあと彼女の「なぜ自分は『若さ』に固執するのか、本当にほしいものは何か」の吐露がはじまるのですが、そこの語りのなんと感動的でなんと普遍的なことか。この瞬間に本作が現代との折衷的な世界観であること、そもそも本作がダンジョンRPGの形式でなければならかったのかといった疑問が一挙に肯定へと反転します。
 ここまで誠実に「なぜ冒険者はダンジョンで冒険するのか」を自問して解答を出してくるマンガもなかなかないでしょう。
 そしてそれは同時に「『キングダムハーツ』後の天野シロ」の読者に対するアティチュードの表明でもあるのです。あの人はここにいます。


40柱『ど根性ガエルの娘』(大月悠祐子、3巻)

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 いったん角川で出して途絶したものの語り直しなので、新連載扱いでいいでしょう。
 カンブリアのように爆発的に増殖しまくっている毒親体験談エッセイマンガの嚆矢とも(たぶん)言える作品。*10

 作者は70年代にマンガとアニメで大ヒットを記録した『ど根性ガエル』の原作者、吉沢やすみの娘さん。吉沢先生は『ど根性ガエル』以降プレッシャーからスランプに陥って、ギャンブルや酒に溺れるようになり、自殺未遂まで起こすように。90年代に入るとほぼ漫画家としては廃業状態。一家の家計は看護師である母親の肩にかかるようになります。
 父も壊れていけば母もまた壊れます。ギャンブル費用のために娘の金まで盗むようになった父親を母親は必死で擁護し、娘がいくら被害を訴えても認めようとはせず、「嘘をつくな」「全部あんたが悪い」「どうして私が頑張ってまともな家族を取り戻そうとしているのにあんたは邪魔するの」と全面的に娘を責めます。
 こんな状況で思春期を過ごして病まないほうがどうかしているでしょう。短大を卒業するころには大月先生はついに拒食症のひきこもりと化してしまい……というまあ、とにかく機能不全家族の陰鬱な思い出が赤裸々に語られます。体験自体の異常さもありますが、まんがとしてフツーにうまく見せてくるので読んでて抉られます。
 それでも悲惨一辺倒に落ち込まないのは、「現在」における回復した一家の姿を合間合間に挿入してくれるからです。この手の雨は止むとは限らないものですが、少なくとも大月先生は40代になって親と和解し、自分なりの幸福を築くことができました。
 ある種の覗き見的な残酷物語ショーといってしまえばそれまででしょうが、サバイバーの証言というのはどんな時代でも価値を持つものです。
 おなじく漫画家転落物語として、のむらしんぼの『コロコロ創刊伝説』も推しておきましょう。
 

来るべき32の獣たち

 ここからは将来性溢れる作品たちの紹介。このままいくと書いてる方も表示するブログの方もパンクするので、一文二文でおさめるようにがんばっていきたいと思います。けして飽きたとか疲れたとかではないです。けして。

41柱『貧民、聖櫃、大富豪』(高橋慶太郎、2巻)

sundaygx.com

 FGOでキャラデザをやった漫画家がオリジナルで聖杯戦争をやる。ただしいよ、高橋慶太郎先生。あなたは圧倒的にただしい。若干スロースターターの気がありますが、キャラ描写があったまってからが本番。


42柱『漫画の森から女子高生』(美川べるの、2巻)

漫画の森から女子高生 / 美川べるの / まんがライフWIN

 常にマンガの枠組とメタネタに挑戦しつづけるハードコアギャグファイター美川べるの先生が一番輝くのは、もちろん漫画家ネタをやるときでありますな。私は美川べるの作品は何読んでも笑える性分なので、他の人が果たしてマッチするかどうかで正常な判断ができません。


43柱『七都市物語』(原作:田中芳樹、漫画:フクダイクミ、1巻)

七都市物語(1) (ヤングマガジンコミックス)

七都市物語(1) (ヤングマガジンコミックス)

漫画『七都市物語』公式ページ « ヤングマガジン公式サイト|無料試し読みと作品情報満載!

 地軸が傾いてやばいことになり大陸がむっちゃ変形した近未来の地球を舞台にヤン・ウェンリーみたいな智謀の師がひょうひょうとこずるく立ち回る。『銀河英雄伝説』(道原版、フジリュー版ともに)、『アルスラーン戦記』、そして同じく新連載枠である『天竺熱風録』(画・伊藤勢)と、田中芳樹原作にハズレなしのジンクスは健在。


44柱『マッドキメラワールド』(岸本聖史、1巻)

マッドキメラワールド / 岸本聖史 - モーニング公式サイト - モアイ

 ポストアポカリプス人外サバイバル。冨樫義博のデザインするような魔物しか存在しない地獄です。さすがに腹蹴られた衝撃で卵をぼこぼこ吐き出す人外女の絵面見せられたら何もいえねえ。姉漫画かどうかは審議中。
 奇っ怪世界で地獄生物に襲われるSFはつばな先生の『惑星クローゼット』もメンションに値します。


45柱『マグメル深海水族館』(椙下聖海、1巻)

マグメル深海水族館 1 (BUNCH COMICS)

マグメル深海水族館 1 (BUNCH COMICS)

マグメル深海水族館 | コミックバンチweb

 深海生物好きが昂じて水族館で働くようになった青年の成長ロマン。この手のお仕事ものとしては、うんちくとストーリーの塩梅がうまい。ちゃんとキャラ立てにうんちくを従属させている。


46柱『竜と勇者と配達人』(グレゴリウス山田、2巻)

竜と勇者と配達人 1 (ヤングジャンプコミックスDIGITAL)

竜と勇者と配達人 1 (ヤングジャンプコミックスDIGITAL)

[第1話] 竜と勇者と配達人 - グレゴリウス山田 | となりのヤングジャンプ

 剣と魔法のファンタジー世界と中世ヨーロッパの法体系とのマッシュアップ。現実の知識に裏打ちされているぶんだけあって、世界観は骨太。ファンタジー版『大砲とスタンプ』っぽい雰囲気もまとっている。


47柱『私は君を泣かせたい』(文尾文、2巻)

私は君を泣かせたい / 文尾文 - ニコニコ静画 (マンガ)

 コミュニケーションが下手な人たちによる百合。モノローグで考えすぎてしまう系の主人公にあんまハズレはないですよね。


48柱『セレベスト織田信長』(ジェントルメン中村、1巻)

セレベスト織田信長 (1) (SPコミックス)

セレベスト織田信長 (1) (SPコミックス)

セレベスト織田信長 – LEED Cafe

 特濃とんこつ味。野蛮でありつつも洗練されている。系統的には『五大湖フルバースト』みたいなかんじ、と言えばだいたいわかってもらえるはずで、わからない人は別にわからないままでいいです。そういう人生もあるだろう。

 

49柱『1123』(渡辺ペコ、2巻)

『1122(1)』(渡辺 ペコ)|講談社コミックプラス

 セックスレスの夫婦が妻公認のもとで夫に不倫をさせてみる話で、へーオープンマリッジってやつ? 70年代っぽくてナウいじゃん、などと思っていたら当然すべて綺麗事で進むはずもなく……みたいな。長文のセリフでドライブしていく女子会の様子がよい。


50柱『ドレッドノット』(緋鍵龍彦、1巻)

ドレッドノット / 緋鍵龍彦 - アフタヌーン公式サイト - モアイ

・とりあえず第一話で殴ってくる系なので、とりあえず上のリンクから読んでみてほしい。単なる出落ちにとどまらず、扱ってる題材がちゃんと作劇の手法とリンクしているのが好ましい。


51柱『パンクティーンエイジガールデスロックンロールヘブン』(ハトポポコ、1巻)

パンクティーンエイジガールデスロックンロールヘブン|まんがライフSTORIA´(ストーリアダッシュ)

 この人の四コマにはアクセルペダルとニトロブースト用スイッチしかついていない。だから誰も追いつけない。


52柱『人形の国』(弐瓶勉、1巻)

『人形の国(1)』(弐瓶 勉)|講談社コミックプラス

 第一話でかわいい戦闘少女をを出せばパンピーにもちょう売れるということにやっと気づいた弐瓶勉先生にもはや死角などなく、なんとなれば進化をまだ四段階ほど残している。


53柱『バジリスク桜花忍法帖』(原作:山田正紀、漫画:シヒラ竜也、キャラ原案:せがわまさき、1巻)

漫画『バジリスク〜桜花忍法帖〜』公式ページ « ヤングマガジン公式サイト|無料試し読みと作品情報満載!

 原作には複雑な気持ちが去来するけど、やはりせがわデザインに乗せた瞬間になにもかも許せてしまう。いかつい武士同士のキッスに1ページまるごと割く暴力よ。


54柱『アマネギムナジウム』(古屋兎丸、2巻)

アマネ†ギムナジウム / 古屋兎丸 - モーニング公式サイト - モアイ

 イカれた女が自分で作った球体関節人形たちのギムナジウムで幻想に耽る話。『帝一の國』でシリアスな笑いを完璧に自家薬籠中の物にした古屋先生の職人芸を見物できる。自分で設定したはずの世界や人物にふりまわされてしまう作家的な苦悩がなんと滑稽なことか。関係あるようでないですけど、古屋先生が前にコミカライズしてた太宰の『人間失格』を、今度は伊藤潤二がホラー風味全開でやってますね。


55柱『男爵にふさわしい銀河旅行』(速水螺旋人、1巻)

男爵にふさわしい銀河旅行 | コミックバンチweb

 懐かしい匂いのするスペースオペラ。特に確変とかは起きてないときのいつもの螺旋人先生。


56柱『放課後ていぼう日誌』(小坂泰之、1巻)

放課後ていぼう日誌_読み切り|秋田書店

 女子高生が部活で釣りをする。長崎弁のレベルが高い。絵がいい。リズムがいい。扱ってる対象に一切興味がなくても読ませてくれる日常マンガはそれだけですごいんですよ。活きのいい新人みつけてきたなあ。


57柱『科学的に存在しうるクリーチャー娘の観察日誌』(KAKERU、1巻)

KAKERU | 科学的に存在しうるクリ―チャー娘の観察日誌 - チャンピオンクロス

 異世界転生人外娘形態考察マンガ。頭で考えた設定を十分になじませきれてないきらいはあるけれど、その性欲は応援したい。社会的生態の考察やエロもあるよ。異世界転生といえば『Dr.STONE』の存在をすっかり忘れていたけれど、リストを作ってしまったあとなのでどうにもならない。


58柱『大蜘蛛ちゃんフラッシュバック』(植芝理一、1巻)

大蜘蛛ちゃんフラッシュ・バック / 植芝理一 - アフタヌーン公式サイト - モアイ

 時間SFマザコン漫画。あいかわらず植芝理一はどんなふうにつきあったらよいのかわかりませんが、これは設定で勝ってる。似てるようで全然似てない母ものなら押見修造の『血の轍』もありましたね。


59柱『ラッパーに噛まれたらラッパーになる漫画』(インカ帝国、1巻)

LINE マンガは日本でのみご利用いただけます|LINE マンガ

 ラッパーに噛まれたらラッパーになるんですよ。フリースタイルダンジョンの影響か、最近同時多発的にラップ漫画が増えているらしいですが、これはラッパーの監修がついていない点でめずらしい。出落ちかと思いきやゾンビ化を文化ムーブメントとして読み換えることである程度のディティールと強度を生み出すことに成功しています。特にゾンビ仲間からリスペクトを捧げられると死んだゾンビが生き返る(死んでるんですが)くだりが最高。一方で素人目にもこの題材を扱うにはちょっと危うい部分があるのでは、と思ってしまう部分も。エピソード間に挟まってる人物紹介ページがなかなかキテいます。


60柱『ハヴ・ア・グレイト・サンデー』(オノ・ナツメ、1巻)

ハヴ・ア・グレイト・サンデー/オノ・ナツメ - モーニング・アフタヌーン・イブニング合同Webコミックサイト モアイ

 日本人小説家とその息子(日米ハーフ)と娘婿(日本人)とのほんわか同居生活。オノナツメは常に安定しています。この安定っぷりにはもはや枯淡のあじわいすらある。でもマンネリかというと、やっぱりちょっと違うんですよねえ。


61柱『昭和天皇物語』(漫画:能條純一、原作:半藤一利、脚本:永福一成、監修:志波秀宇、1巻)

昭和天皇物語 │ ビッグコミックオリジナル連載中

 昭和天皇を愛でるというよりは昭和天皇の周囲でおろおろしてる偉人たちを愛でるためのマンガ。題材が題材であるためか、制作陣営がなにげに豪華。

62柱『サーカスの娘オルガ』(山本ルンルン、1巻)

サーカスの娘オルガ 1巻 :無料・試し読みも!コミック 漫画(まんが)・電子書籍のコミックシーモア

 サーカスに引き取られた孤児オルガの甘い恋のメロディ。山本ルンルン先生はこうやってときどきやればパンピー向けのものをかけ
るんだアピールをかかしません。ある程度とんがった独自性みたいなのを保ちつつ、このレベルで話まとめられる作家って、希少ですよねえ。

63柱『ノイン』(高橋ツトム、1巻)

NeuN(1) (ヤンマガKCスペシャル)

NeuN(1) (ヤンマガKCスペシャル)

漫画『NeuN〈ノイン〉』公式ページ « ヤングマガジン公式サイト|無料試し読みと作品情報満載!

 ヒトラーのクローンをいっぱい作ったはいいけどなんか邪魔になったので皆殺すことに決めました、っていうナチス漫画。1巻だとまだジャブ程度しか明かさず、どうやって転がるかの期待感が煽られます。

64柱『北北西に曇と往け』(入江亜季、1巻)

北北西に曇と往け 1巻 入江 亜季:コミック | KADOKAWA

 入江亜季先生待望の新連載はアイスランド漫画。ミステリものは基本的に温まるまで時間がかかるものですが、わりと矢継ぎ早に展開をこなしていくので退屈はしません。というか、入江亜季は絵を眺めているだけで幸福です。


65柱『鉤月のオルタ』(麻日隆、1巻)

鉤月のオルタ(1) (KCデラックス 週刊少年マガジン)

鉤月のオルタ(1) (KCデラックス 週刊少年マガジン)

マガメガ MAGAMEGA | 鉤月のオルタ
 
 このところの歴史冒険ものはいかにニッチな題材を掘り当てるかがキーとなっている感がありますが、わけても十六世紀のオスマン帝国が舞台で、イエニチェリが題材、という本作はさらにめずらしい部類に属するでしょう。中身は少年マガジン風味の貴種流離譚復讐劇。


66柱『異種族レビュアーズ』(原作:天原、作画:masha、1巻)

異種族レビュアーズ / 原作:天原 作画:masha - ニコニコ静画 (マンガ)

 人外娘風俗をクロスレビューする漫画。センス・オブ・ワンダーというのはこんなところにも生えているものなのだなあ、って点ですなおに感心させられます。


67柱『針棘クレミーと王の家』(唯根、1巻)

針棘クレミーと王の家 - pixivコミック | 無料連載マンガ

 ソロモンの指輪っぽいもので動物と会話できる英国紳士とそのペットたち(ハリネズミ、ネコ、犬)との日常。とにかくかわいい。かわいさのメガ盛り丼や。かわいいオブザイヤーを授けましょう。純粋なかわいさ比べでいったらリュウミックスの『恐竜の飼い方』もよい。


68柱『イサック』(原作:真刈信二、漫画:DOUBLE-S、2巻)

イサック(1) (アフタヌーンコミックス)

イサック(1) (アフタヌーンコミックス)

イサック / 原作 真刈信二 漫画 DOUBLE-S - アフタヌーン公式サイト - モアイ

 1600年代のヨーロッパで仇をもとめる日本人銃士が籠城戦します。なにげに史実ベース。緻密な作画で大量の兵士がわちゃわちゃしてるマンガは貴重なので死なない程度にこのクオリティを維持していただきたいものです。

69柱『きみを死なせないための物語』(吟鳥子、2巻)

きみを死なせないための物語 1巻【電子書籍のソク読み】豊富な無料試し読み

 極端に長生きなポストヒューマンが極端に短命な種族を愛してしまったがゆえの悲劇。考えたSF設定を伝えたいあまりにセリフが不自然に先走ってる感があるものの、その生硬さがむしろ道徳&理論優先プチ管理社会のヤクさ描写にプラスに働いています。あとネットにおけるアイドルファンダムの描写がやたら現代的でウケる。
 他にもSFなら田中相の『LIMBO THE KING』も2000年代初頭的なソリッドさがあります。


70柱『青高チア部はかわいくない!』(conix、1巻)

青高チア部はかわいくない! 無料漫画詳細 - 無料コミック ComicWalker

 それぞれ異なる性格や利害を抱えた部員たちがひとところに集まってひとつのことを成す。そのシンクロニシティをな……。意表をつくほどポップな絵柄でありつつも、集団部活ものの快楽は遵守されている。


71柱『魔女と野獣』(佐竹幸典、2巻)

魔女と野獣(1) (ヤングマガジンコミックス)

魔女と野獣(1) (ヤングマガジンコミックス)

漫画『魔女と野獣』公式ページ « ヤングマガジン公式サイト|無料試し読みと作品情報満載!

 スタイリッシュトランス魔女狩りマンガ。顔のいい少女とイカれた男を一粒で摂取できてお得。絵がよい。濃い。


72柱『悪魔を憐れむ歌』(梶本レイカ、2巻)

悪魔を憐れむ歌 1巻 (バンチコミックス)

悪魔を憐れむ歌 1巻 (バンチコミックス)

悪魔を憐れむ歌 | コミックバンチweb

 最初は『雪と松』にしようかな、と思っていたんですが、ギリギリで大変重要なBLを思い出して差し替えました。
 暴力、セックス、猟奇殺人。梶本レイカは読者に高負荷を与えて愉しむひどいサディストです。



漫理の終わりに

 いかがでしたでしょうか。
 雑誌やジャンルごと視野に入ってない作品群があるうえに、完全に趣味と嗜好で選んでしまったので、アレが入ってないコレが入ってないといったご意見もあろうかと存じます。そもそも何を存続させて何を存続させないのか、私の一存で決めるのは無茶なのではないかと。


 なればこそ、あたらしきマスター。
 あなたがあなた自身の命題を発見するのです。
 そのKindleに、未知の作霊(サーヴァント)を召喚しましょう。
 福袋ガチャを回す金でマンガを買いましょう。
 そうしていつか、あなただけのヨムデアを完成させましょう。
 連載継続保障機関ヨムデアにようこそ。
 わたしたちは、あなたを歓迎します。
 
 

*1:実在の出版社、団体とは何の関係もございません

*2:twitterによれば有馬先生は新作を執筆中とのことですが

*3:文字通りというか、においに結び付けられた表現がなされている

*4:生物学的知識の正誤というよりは物語世界に馴染んでいるかどうかという意味

*5:稀に倫理的にやばい感じのエピソードが入るのはともかく

*6:翻訳元のレッテルです

*7:使ってみて初めて気付いたが、実に怖気をもよおすワードだ

*8:ハルタの新人は主に「入江亜季っぽい絵」と「森薫っぽい絵」に大別され、高江洲先生は前者です

*9:作中では「百野」と名前が変えてある

*10:追記:元祖は田房永子の『母がしんどい』らしいです。ほー。https://twitter.com/kurapond/status/948614316416155648

2017年の映画ベスト20選と+αと犬とドラマとアニメと

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目次

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 年末のベスト作品選定はゆーすけさんのおっしゃるとおり「本当に自分がつまらない人間だと確認する作業」で、それなりに観たはずなのに好きなものを選んでみると自分でも他の誰でも良いような、節操と個性と信念と一貫性のないセレクションができあがってしまい、俗だなあ世間だなあこんなんで自由意志を持った人間だと証明できるのかなあと泣きたくなるわけですが、まあそれはしょせん個人の問題なので、選んだ作品のおもしろさには関係ない。おもしろいものはおもしろい。公共は選者の自意識などどうでもいいのです。
 というわけで2017年に公開された映画、ドラマ、アニメのベスト。

映画部門

 なんか選んでみればアメリカ映画ばかりですね。ミニシアターあんまし行かなかったせいでしょうか。それともアメリカがおもしろい年だからでしょうか。


映画ベスト20作

1『20センチュリー・ウーマン』(マイク・ミルズ監督、米)

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 母子&疑似姉カミングエイジ映画。映画というものは現実には絶対ありえない完璧な空間を二時間の空き瓶、あるいはガラス玉にとじこめた何かであって、そういう観点において『20センチュリー・ウーマン』は紛うことなき幸福の完成形。俳優、ストーリー、プロット、スタイル、セリフ、演出、美術、画調、ネコ、なにもかも、そう、なにもかもだよ。

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2『お嬢さん』(パク・チャヌク監督、韓)

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 レズビアンやすりムービー。ときおり強大な怪物じみた作品に出会って為す術なく喰われてしまうことがあり、そんなときはしゃーないとあきらめるしかないです。あなたはあきらめましたか?


3『マイヤーウィッツ家の人々(改訂版)』(ノア・バームバック監督、米)

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 クソ家族映画。大人になってもわかったりわからなかったり許したり許せなかったりを繰り返すんだ私も君も。それを家族と呼ぶのですね。これも『20CW』と一緒で「どんなに親しくなったつもりでも、やはり自分と他人との間には決定的な隔絶がある。それが肉親であったとしても」という点が癖(ヘキ)です。犬がいいです。


4『ノクターナル・アニマルズ』(トム・フォード監督、米)

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 読書人映画大賞。読むという行為は慢性の多動症に罹った映画の運動においてもっとも鈍重かつ無粋な、忌避すべき運動であって、撮るにあたって最も困難を極める主題のひとつです。たとえば濱口竜介の『ハッピーアワー』なんかもその壁に対する挑戦でした。まさかトム・フォードが超克するとはね。

5『ベイビー・ドライバー』(エドガー・ライト監督、米)

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 繊細で傷つきやすい童心をハッピーな音楽とスタイルで包んだやさしいファンタジー。こういう自分だけの閉じた世界に耽溺するピュアな魂がゆさぶりをかけられるサンドボックスめいたお話は好きですね。つうか映画で好きなのはそんなんばっかだ。

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6『アイ・イン・ザ・スカイ 世界一安全な戦場』(ギャヴィン・フッド監督、英)

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 ドローン爆撃サスペンス。2017年のわりと早い時期に観てむっちゃいいなと思った感触だけは残っているけれど、よそさまの年度ベストにはあんま入ってきてないっぽいところを見ると自分の感覚を疑ってしまいますよね。ともかく、視線による監視と官僚的な事務手続きにおける駆け引きという二つのサスペンスがエキサイティングに混ざりあった良いエンタメです。


7『パターソン』(ジム・ジャームッシュ監督、米)

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 退屈な瞬間が一つもない偉大なる倦怠。物語的な指向性をもたない反復をライミングとして機能させるマジックはどこからどうして生まれたんだろう。犬がいいです。

パターソン [Blu-ray]

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8『ローガン・ラッキー』(スティーヴン・ソダーバーグ監督、米)

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 ド田舎ケイパー映画。登場人物が「カントリー・ロード」を歌い出す映画は名作(rf. 『キングスマン:ゴールデン・サークル』)。今年もアメリカ人はアメリカ論映画をいっぱい作りましたね。そのなかでも白眉がこの一作。


9『夜は短し歩けよ乙女』(湯浅政明、日)

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 おれたちにとってのカントリー・ロードであり、森見登美彦は日本のジョン・デンヴァー。後天的に京都を獲得する才能がなかったきみにはわかるまいが。

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10『三度目の殺人』(是枝裕和監督、日)

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 法廷ミステリ。法廷をゲームのフィールドの作品として見なす作品は多いんですけれど、そこに「ムラ社会としての法曹界」という視点を持ち込めるのはさすが是枝。そのことがちゃんとミステリ劇のエンタメ性に貢献してますしね。
 ところで『凶悪』もそうだったんですけど、こういう映画で登場人物の口からテーマというか構図の企みみたいなのを語っちゃうのは日本映画の悪癖だと思います。


11『コクソン』(ナ・ホンジン監督、韓国)

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 呪術師や犬や素っ裸の國村隼が出てきて隕石のように存在を刻むだけ刻んで帰っていく。凄まじさだけでいったら今年ナンバーワン。そして映画とは凄まじさだけを体感するための装置であるので、実質今年の裏ナンバーワンであるといえます。犬がいいです。


12『ドリーム』(セオドア・メルフィ監督、米)

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 黒人女性がNASAで働いてロケット飛ばす映画。清く輝く恒星のような作品であることはたしかで、それをもって忌避する向きもあるようだけれど、それはまああくまで題材の問題でしかなく、たとうべきはその観客の快楽スイッチを知り尽くした演出の妙なのです。  


13『美しい星』(吉田大八監督、日)

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 変なSF。ネームドキャラはもちろん、画面の端に写っているモブを含めて「生きている」感がにおいたつ映画も希少で、その一点だけでも吉田大八は信頼に値します。

美しい星 通常版 [DVD]

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14『グリーン・ルーム』(ジェレミー・ソルニエ監督、米)

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 ネオナチに閉じ込められて殺される映画。この敵も味方もほんとうにもうどうしようもなく頼りない感じがソルニエ映画の醍醐味で、三十分に一秒くらいは真理の端に触れているのかもしれないという錯覚を抱かせます。犬がいいです。

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グリーンルーム [DVD]

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15『ナイス・ガイズ』(シェーン・ブラック監督、米)

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 ライアン・ゴズリングが少女のように泣き叫ぶ映画。ブルータルなノリながらも、底に流れる善良さはある種の人間讃歌なのだとおもいます。あとやかましいガキが作劇の足をひっぱらない珍しい映画。


16『ラビング 愛という名のふたり』(ジェフ・ニコルズ監督、米)

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 50年代のヴァージニアで黒人と白人が結婚することになってもちろんひどい目に合わされる映画。わたしの脳みそでは、「いいなあ」とおもった細かい演出の記憶が経時揮発していく仕組みになっていて、よってそういうものの集積であるところの本作も今となっては「なんかめっちゃよかった」の残滓しか残っていないのですが、そのよすがさえ忘れてなければ善く生きていけるのではないでしょうか、人間は。
 あとまあジョエル・エドガートンは常にいいですね。『ジェーン・ゴット・ガン』や『ブライト』といった作品単位ではダメなものでも、彼はいい。

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17『帝一の國』(永井聡監督、日)

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 原作ファンだったのでとりあえず観に行ったんですけれど、ぜんぜん期待してなかった映画が思ったよりおもしろいとお得感倍増ですよね。原作のアホらしさはしっかり汲みつつ、アクの強すぎるところは抑え、その穴を気の利いたオリジナルのギャグで埋め、原作を解釈することでいい感じにテーマ性を付加し、かつ十巻分の話を無理なくちゃんと映画としてまとめ上げた、最高峰の国産漫画原作映画のひとつでしょう。*1
 野球場で殴り合うシーンで泣きかけた思い出がある。

帝一の國 通常版DVD

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18『ジョン・ウィック:チャプター2』(チャド・スタエルスキ監督、米)

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 『アトミック・ブロンド』もよかったっちゃよかったんですが、やっぱりキアヌ・リーヴスじゃないとニューヨークは暗殺者という名の恋人たちの街にならないんですよ、甘犯ですよ。
 犬が前作よりパワーアップしてロケットランチャー食らっても死なないボディになっていました。

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19『ファウンダー ハンバーガー帝国のヒミツ』(ジョン・リー・ハンコック監督、米)

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 マクドナルドの「創業者」の伝記映画。わたしの大好きなジャンルである「アメリカン・ドリーム残酷話(夢見るクズが成り上がって破滅したりしなかったりする系の話)」ものは2017年も豊作で、『ウォードッグス』や『バリー・シール』も銘記されるべき収穫物でしたね。
 アメリカン・ドリームでサクセスするためにはアメリカン・ドリームそのものを売らなければならない、という本質のつきかた(ではアメリカン・ドリームとは何か、という問いかけ含め)が冴えている。それを成り立たせるためのマイケル・キートンの気迫とハンコックの演出も。


 

20『この世に私の居場所なんてない』(メイコン・ブレア監督、米)

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 絶望的な人生であがく系映画。メイコン・ブレアは今年の新人王(監督)。
 ジェレミー・ソルニエの盟友だけあってダメな小市民がダメなプチ悪役相手に奮闘する情けない物語ですが、それでもかすかでも人間としての尊厳と希望をつかもうとするメラニー・リンスキーと、ニンジャマスター・イライジャ・ウッドのすがたにわれわれは滂沱の涙をながすわけです。メイコン・ブレア関連では『スモール・クライム』も要チェック。

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+5

デ・パルマ』(ノア・バームバック&ジェイク・パルトロウ監督、米)
 ブライアン・デ・パルマのドキュメンタリー。ほとんどデ・パルマによる独り語りみたいな内容で、観客はつねに「このうさんくさいおっさんは信用できるのか???」という疑問に苛まされながら観ることになる。さいこうにスリリングですね。


『バリー・シール アメリカをはめた男』(ダグ・リーマン監督、米)
 アメリカ残酷話。それまで状況に流されるしかなかったトム・クルーズが他人に利用されてされてされ尽くして切り捨てられた果てにやっと自分の「声」で語りはじめるのが最高にアツいんですよ。その顛末を含めてね。
 ダグ・リーマンは2017年にもう一本公開されていて、『ザ・ウォール』もなかなかいい具合にアメリカに対して辛辣でした。

 
『静かなる情熱 エミリ・ディキンスン』(テレンス・デイビーズ監督、英)
 詩人エミリ・ディキンスンの伝記映画。全編に渡ってセリフが、それこそ詩のように美しく、ときにウィットがきいていてここちよい。
 とにかくこれみよがしに扉を閉ざす演出を使いまくるのでなんでかな、と思ってたらまさかあのオチに使うためとは。いかにもアートハウス系映画っぽいようで、なかなかゴリラみたいなマッチョな一面もふせもちます


『はじまりへの旅』(マット・ロス監督、米)
 大家族ロード・ムーヴィ。深い森の奥でサバイバル生活を営んでいたり、娘の『ロリータ』の読解をテストしたり、クリスマスの代わりにチョムスキーの誕生日を祝ったり、とにかくエキセントリックなヴィゴ・モーテンセンおとうさんを観ているだけで楽しい。
 内容は陽性でありながらもわりあいビターで、オトナはオトナやってるけどそれはかならずしも完璧な人間って意味じゃないんだよ、とやさしく教えてくれる映画です。
 ラストカットがめちゃくちゃ好き。


『俺たちポップスター』(アキバ・シェイファー&ヨーマ・タコンヌ監督、米)
 『ブルックリン・ナイン・ナイン』のアンディ・サムバーグ(と彼の率いるコメディバンド「ザ・ロンリー・アイランド」)による音楽モキュメンタリー。
 とにかく出演陣がめちゃくちゃ豪華。現在のアメリカ音楽界のトップティアーに位置する人たちが勢揃いといった様相です。そんな豪華メンツに何させるかといえば、アンディ・サムバーグ扮するクソ歌手をひたすら褒め称えさせる。あるいはオオカミに喰わせる。すごいね。すごいよ。


映画作品各部門賞

アニメーション映画ベスト

☆『夜は短し歩けよ乙女』(湯浅政明監督)
 『夜明け告げるルーのうた』(湯浅政明監督)
 『レゴ(R)バットマン』(クリス・マッケイ監督)
 『モアナと伝説の海』(ロン・クレメンツ&ジョン・マスカー監督)
 『カーズ クロスロード』(ブライアン・フィー監督)
 『ガールズ&パンツァー最終章 第一話』(水島努監督)

『ルーのうた』はタイトルクレジットの出方で泣くでしょ。本エンドのベストオープニング・クレジットです。
『レゴバットマン』は、みんな言ってることではありますけど、バットマン映画として一番誠実な作り方をしている。

ドキュメンタリー映画十選

☆『デ・パルマ』(ノア・バームバック&ジェイク・パルトロー監督)
 『テキサスタワー』(キース・メイトランド監督)
 『くすぐり』(デイビッド・ファリアー&ディラン・リーブ監督)
 『ストロング・アイランド』(ヤンス・フォード監督)
 『イカロス』(ブライアン・フォーゲル監督)
 『覗くモーテル』(マイケル・カネ&ジョシュ・クーリー監督)
 『リュミエール!』(ティエリー・フレモー監督)
 『ぼくと魔法の言葉たち』(ロジャー・ロス・ウィリアムズ監督)
 『ジム&アンディ』(クリス・スミス監督)
 『目標株価ゼロ』(テッド・ブラウン監督)


 2017年のドキュメンタリーは「私達の眼の前で語っているこの人物のことばは『真実』なのか?」といった問いかけを投げかける作品が印象的でした。『デ・パルマ』の怪しさ全開のデ・パルマじいさんは感触レベルとはいえ、『ストロング・アイランド』や『覗くモーテル』などははっきり「うそ」がテーマになるし、ジム・キャリーのドキュメンタリー『ジム&アンディ』に至っては虚構と現実の境界がどこにあるのかさえわからなくなってくる。
 あるいはエスカレートしていく世界の闇。自転車レースでのちょっとした実験から世界を巻き込んだロシア・スポーツ界ドーピング疑惑の渦中へと巻き込まれていく『イカロス』、大の男たちがくすぐりあいっこをするという奇妙ではあるけれども一見無害そうな謎の動画から底なしの悪意を垣間見る『くすぐり』はホラーとしても一級でしたね。

 『ストロング・アイランド』については、個別に付言しておく必要があるでしょう。この作品はNYに住むある黒人女性が白人とのトラブルから銃殺された兄についての真実を追っていくという内容で、ネットフリックスに溢れる黒人受難系のドキュメンタリーのひとつ。
 しかし、終盤明かされる「ある情報」が本作をシンプルな人種差別告発問題とは異なるパースペクティブを提示するのです。ある種叙述トリック的な仕掛けであるのですが、それは観客を劇映画的に驚かせようとするため、というよりは監督自身の懊悩と誠実さの発露として顕れるものであって、この仕掛けがあるからこそむしろ告発がより力強さを増すのだといえます。
 語りの虚構性、作為性に言及した映画はドキュメンタリーにかぎらず近年増えているように感じますが、語り手の気持ちの揺れがミステリ的なトリックとして表出してしまう映画はめずらしいですね。


ソフトスルー部門

☆『ウォー・ドッグス』(トッド・フィリップス監督)
 『ライフ・ゴーズ・オン』(ケリー・ライヒャルト監督)
 『ハーフネルソン』(ライアン・フレック監督)
 『ハント・フォー・ザ・ワイルダーピープル』(タイカ・ワイティティ監督)
 『疑わしき戦い』(ジェームズ・フランコ監督)


 『人生はローリングストーン』や『アメリカン・ミストレス』で殴られた2016年度と比べるとインパクトに欠けるメンツ(そもそも本数あんま見てなかったせい)ですが、どれも一癖二癖あってなかなか粒ぞろいです。長年放置されてきたR・ゴズリング主演の『ハーフネルソン』が出たのは嬉しかったですね。『ラ・ラ・ランド』さまさまです。ヤクでへろへろになった情けないゴズリングさんの姿が見られます。さすがにクズ野郎映画の手練、フレック&ボーデンコンビ。
 上記のメンツで唯一『疑わしき戦い』だけはダメなかんじのやつですが、まあ来年の『ディザスター・アーティスト』公開への伏線ということで。


ネットフリックス・オリジナル(独占配信)作品10選

☆『マイヤーウィッツ家の人々(改訂版)』
 『この世に私の居場所なんてない』
 『ストロング・アイランド』
 『ザ・ベビーシッター』(マックG監督)
 『マッド・バウンド 悲しき友情』(ディー・リース監督)
 『ギャンブラー』(ジョー・スワンバーグ監督)
 『イカロス』
 『ジェラルドのゲーム』(マイク・フラナガン監督)
 『オクジャ』(ポン・ジュノ監督)
 『マインドホーン』(シーン・フォーリー監督)

 ネトフリ・オリジナルはいい具合に玉石混淆といった様相を呈してきて、ポン・ジュノを起用したりマイク・フラナガンをやたら厚遇したりマックGを復活させたりメイコン・ブレアをデビューさせたりしてくれる一方で、『ブライト』とか『デスノート』とか『ホイールマン』とかではしっかりガッカリさせてくれました。アダム・ヴィンガードもデイヴィッド・エアーもフツーにファンなのに、なんてことだ。
 一つこの場で言及するとしたら『ザ・ベビーシッター』でしょうか。甘酸っぱい疑似姉ものの良作です。『20センチュリー・ウーマン』とコインの裏表とまで言ってしまうのは……さすがに過言でした、謝罪します。


ベスト犬映画

☆『ノー・エスケープ』(ホナス・キュアロン監督)
 『グリーン・ルーム』(ジェレミー・ソルニエ監督)
 『ワイルド 私の中の獣』(ニコレッテ・クレビッツ監督)
 『トッド・ソロンズの仔犬物語』(トッド・ソロンズ監督)
 『パターソン』(ジム・ジャームッシュ監督)
 『コクソン』(ナ・ホンジン監督)

 戌年を前にして2017年もいい犬映画がそろいました。
 とりわけ『ノー・エスケープ』における犬と人間の結びつきには心打たれるものがありましたね。愛犬家は涙なくして観られないとおもいます。犬の口に発煙弾打ち込んで殺すようなクソ野郎どもはみな死ぬべきなのです。われわれは犬を失ってしまえば、孤独になるしかないのですから。
 ちなみにリストでは『ぼくのワンダフル・ライフ』がノミネーションされてませんが、まあ、そんなに悪い映画ではありません。しかし、犬映画としては、犬を人間の恋愛の道具として使うのを看過できませんね。*2
 『マイティ・ソーラグナロク』のおおきいわんちゃんや『マイヤーウィッツ家』のワンポイント犬もなかなか乙でした。

ベスト姉映画部門

☆『ウィッチ』(姉弟)(ロバート・エガース監督)
 『マイティ・ソーラグナロク』(姉弟)(タイカ・ワイティティ監督)
 『マイヤーウィッツ家の人々[改訂版]』(姉弟
 『ガーディアンズ・オブ・ザ・ギャラクシー2』(姉妹)(ジェームズ・ガン監督)
 『静かなる情熱』(姉妹)(テレンス・デイビーズ監督)
 『プラネタリウム』(姉妹)(レベッカ・ズロトヴスキ監督)

 特につけくわえることはない。実姉ではない疑似姉部門でも『20センチュリー・ウーマン』や『ザ・ベビーシッター』がありましたね。


私的ブレークスルー俳優

 アダム・ドライバー(『ローガン・ラッキー』、『パターソン』、『スター・ウォーズ 最後のジェダイ』、『マイヤーウィッツ家の人々』)
 ケイレブ・ランドリー・ジョーンズ(『ゲットアウト』、『バリー・シール』)
 アニヤ・テイラー・ジョイ(『ウィッチ』、『スプリット』)
 エル・ファニング(『ネオンデーモン』、『20センチュリー
・ウーマン』、『夜に生きる』)
 エズラ・ミラー(『ジャスティス・リーグ』、『ファンタスティック・ビースト』)
 
 アダム・ドライバーはほんとにいいサブカルクソ野郎俳優へ成長しましたね。
 注目しておきたいのは2018年公開作では『スリー・ビルボーズ』にも出演するケイレブ・ランドリー・ジョーンズ。次世代のクズ野郎役俳優のホープとして着々と足場を固めております。

ドラマ、テレビアニメ

ドラマ十五選

☆『ハノーバー高校落書き事件簿』
 『アメリカン・クライム・ストーリー:O・J・シンプソン事件』
 『シリコン・バレー』S4
 『アトランタ』S1
 『マスター・オブ・ゼロ』S2
 『ビッグ・リトル・ライズ』S1
 『ウエスト・ワールド』S1
 『アメリカン・ゴッズ』S1
 『ナイト・オブ・キリング 失われた記憶』
 『ファーゴ』S2
 『ブラック・ミラー』S3
 『伝説の映画監督 ハリウッドと第二次世界大戦
 『グッド・プレイス』S1&2
 『マインド・ハンター』S1


 ミステリドラマの当たり年。
 特に『ハノーバー高校落書き事件簿』は探偵論ドラマとしても秀抜。法廷劇なら『アメリカン・クライム・ストーリー』と『ナイト・オブ・キリング』。SFやファンタジーにおけるミステリ的仕掛けなら『ウエスト・ワールド』(ノーラン弟らしい細工)や『グッド・プレイス』(ループものをまさかこう使うとは)。正攻法でありつつもフレッシュな新味を残した『マインド・ハンター』と『ビッグ・リトル・ライズ』にも乾杯を。
 コメディでいったら『アトランタ』と『マスター・オブ・ゼロ』の年。ダイバーシティですね。『シリコンバレー』も安定のおもしろさ。
 基本的に上記の十五作品はどれも傑作級に、ちょっと考えられないレベルでおもしろい。いよいよといいますか、もう完全にアメリカのコンテンツ業界はドラマにシフトしてしまったなあ。
 特に意味もなく選外になってしまいましたが『十三の理由』や『ストレンジャー・シングス』S2や『またの名をグレイス』、『ミスター・ロボット』S3も当然最高ですよ。勢いの落ちた『ハウス・オブ・カード』のS5でさえ圧倒的なパフォーマンスだった。  
 ちなみに2017年配信開始じゃないですけど『TRUE DETECTIVE』や『ミルドレッド・ピアース』も今年観ました。


アニメ十選

『ボージャック・ホースマン』S4
『リック・アンド・モーティ』S3
『Just Because!』S1
『アニマルズ』S1
『ビッグ・マウス』S1
少女終末旅行』S1
宝石の国』S1
フリップフラッパーズ』S1
『ネオ・ヨキオ』S1
『ラブ米』S1&2

 国産のやつは原作好きなやつか、他人から教えられた作品しか観てないな……。『ラブ米』はほんとうに革命だとおもいました。
 アメリカ産アニメのニューフェイス組は『ビッグ・マウス』のイカれっぷりと、『アニマルズ』の意外な端正さが心に残りました。




今年はもうちょっと逐次的に記録をつけていきたいですね。
よろしくお願いします。
今年は戌年なので犬映画の年になるとおもいます。
犬映画の年になるといいですね。

*1:https://twitter.com/nemanoc/status/860465739370700802

*2:だったら『101匹わんちゃん』もダメじゃん、と言われそうですがそれはそれなんだよ!!!


生きるのが最高になる2017年の単発完結(短編集、長編)漫画作品・私選ベスト20

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これまでのあらすじ:


 わかんないよ!


 どうするのがよかったのかも
 どうしてこんな世界にふたりっきりなのかも…

 
 ……なにもわかんないけど……



 生きるのは最高だったよね……



(『少女終末旅行』第42話』)


proxia.hateblo.jp


 自分かマンガかのどちらかを救えないのならば感想やレビューを記す意味などなく、つまり方舟はデカく設計しておいたほうがいい。つくみず先生のまんがには人生のだいじなことが全部つまっていますね。
 というわけで、今回は2017年内に発売された短編集、単発長編、年内打切マンガのベストセレクションです。
 一巻か二巻でまとまっているのですぐに読めて、きっちり面白く、かつ続きを気にしなくていい。そういう作品の話です。

選定ルール🐰

*ルール1:(奥付の発行日で)2017年中に発表された単発長編、短編集、アンソロジー、および同年内に第一巻と最終巻が発売された作品を扱います。
*ルール2:よって「最終巻だけ2017年」は対象外です。『エリア51』はもちろん、『青猫について』なども除外されます。かなしむナナチもかわいいですね。
*ルール3:興味の範囲的に、アフタヌーン、モーニング、ハルタ、バーズといった系統の青年マンガが中心です。
*ルール4:読書環境的に、紙でしか出てない作品は扱っておりません。短編集や単発もののくくりだとわりと厳しい縛りですが。『オッドマン11』とか。『ファン・ホーム』は全員買いましょう。
*ルール5:完全版や新装版は基本的に扱いません。私が『クウデタア』や『総合タワーリシチ』に向き合えてないせいです。『ファン・ホーム』は全員買いましょう。
*ルール6:振ってある数字はそのまま面白かった順位と受け取ってもらってかまいません。
*ルール7:文中で太字にされている書籍は「2017年度新刊(新連載)」を意味しています。

スト20作品

1『崖際のワルツ』(椎名うみ、短編集、新人)


 手足は全部で四本あって
 すべて抑えられると終わる


kc.kodansha.co.jp


青野くんに触りたいから死にたい』と『崖際のワルツ』。
 2017年は圧倒的に椎名うみ先生の年でした。
 偉大なる漫画家とは単に作画や物語の技術的優劣と別にして、「この人は何か大切なことを知ってるのではないか、語っているのではないか」という予感を読者に与えてくれます。椎名うみはその「何か」を知っている。いくら口頭で説明を尽くしても語り得ない、その余白を語るための声を持っています。
 この声だけは聴き逃してはならない。

 人が語り得ないものの最たる例は、自らの気持ちです。
『崖際のワルツ』における連作短編の第二話「セーラー服を燃やして」は、ある日突然不登校になった中学生・内藤さんの話です。内藤さんの母親やクラス担任の先生は何度も内藤さんの部屋に押しかけては「学校に来ない理由」を問いただします。「本当のこと」を聞かせてくれと。
 内藤さんは「行きたくないから行きたくない」の一点張りで大人たちをはねつけます。劇中で不登校についての直截的な理由が明示されることはついになく、読者は作中に散りばめられた要素からなんとなく推し量るしかありません。
 とはいえ、そもそも量りしれないのが人間の感情ですよね。劇中でも担任の先生が「愛は形がないけれど、どうやって量るのかしら」と独りごちるシーンがあります。先生は本気で内藤さんに学校に復帰してもらいたがっていて、その情熱はほとんど狂気的です。なんども訪問すれば、むりやりにでも押しかければ、言語的な対話をやればそれは相手に通じるのか。愛を示せるのか。
 
 内藤さんは内藤さんでおそらく自分の気持ちがよくわかっていない。第一話の「ボインちゃん」で描かれる小学生時代では、「空気読めない藤」とあだ名され、おそらく現在では発達障害などと呼ばれるたぐいであるとおぼしき、難しいこどもの一人でした。どんなグループにもこうした「たましいがない」と見なされている人間がひとりはいて、軽んじられているのか愛されているのかわからない扱いを受けているものです。
 内藤さん自身も「空気読めない藤」という他人の定義を内面化し、「全然わかんないんだよね みんなが何考えてんのか」と諦め、他人の気持ちや動機をあえて訊こうとはしません。
 ところが実際には、そういう人間にもひとなみの気持ちはある。ただ自分の気持ちを言語化する訓練を経ていないので、行動以外に選択肢がない。*1「セーラー服を燃やして」では対話を拒絶すること自体が彼女にとってひとつのメッセージなわけですが、それをおとなたちは誰も理解してはくれない。
 椎名先生は、その微妙なさじ加減を絶妙なシンパシーで描ける作家です。
 そしてその処方箋も。本短編集でもっともわかりやすい形で問われるテーマは「親友とは何か」でしょう。人間はそれぞれ固有の困難さを抱えているもので、ユニークであるがゆえに基本的には誰にも理解されないのだけれども、気持ちは気持ちとしてはそのままで他者とつながることはできる。救済はある。
 椎名うみを信じなさい。
 

 

2『スペクトラル・ウィザード』(模造クリスタル、連作短編集)

スペクトラルウィザード

スペクトラルウィザード


 あの頃に戻りたい…
 まだ元気だったあの頃に…
 孤独を言葉でしか知らなかったあの頃に…

 

www.cmoa.jp


 そして私たちはいつだって模造クリスタル先生を信頼しています。なぜなら、この人は世間から廃棄された人間の孤独を描こうとする作家だから。
 
 なにかが始まる物語に比して、なにもかもが終わってしまった後の物語というのはすくない。というのも、みんな「その後」にはなにもないと考えている。
 でも実際には終わってしまったあとも人は生きているし、現実はつづきます。別の名前で呼ぶとするなら地獄でしょう。模造クリスタル先生は常にあらゆる形態の地獄を描く漫画家です。

 『スペクトラル・ウィザード』の世界では、かつて魔法を操る「魔術師」たちが存在し、魔術ギルドなる(世間的には悪と見られる)結社を作って平和をおびやかしていました。が、人類たちは科学の力でギルドを撃滅。生き残った魔術師たちは散り散りになり、社会の底辺で生き延びることとなります。
 主人公スペクトラもそんな魔術師の生き残りのひとりです。自分の体をゴースト化させてあらゆる攻撃を無効化し、どんな場所にも自在に出入りできる最強クラスの魔術を有していますが、文明社会にあってはやや鬱気味のさびしい一人暮らしの女。定期的に話す相手といえば独り身に耐えきれずに購入したぬいぐるみと、反魔術師組織の一員であるミサキちゃんくらいです。
 いちおう世界にはまだ魔導書と呼ばれる、一冊で世界を危機に陥れかねない邪悪かつ強大な書物が残存していて、それを巡る騒動が全編を通じての物語を推進させる原動力となります。
 が、そんな魔導書さえ、結局のところは「大きな物語が終わってしまったあとであること」の重力から逃れきれません。第一話「スペクトラル・ウィザード」の終盤で、スペクトラはある二択を迫られます。それは要するに「過去の夢と世界」を選ぶか、「現在の現実と自分」を選ぶかの選択です。そこで後者を選んでしまうことにスペクトラの主人公になりきれなさがあり、同時に彼女の絶望の深さが語られるのです。
 
 しかし『スペクトラル・ウィザード』は絶望一辺倒ではありません。
 孤独は人間性を摩滅させ、ときには命すらも奪います。しかし孤独に使いみちはないのでしょうか。害毒でしかないのか。そうではない。そうではないのだ、と模造クリスタル先生は謳います。
 孤独であるがゆえに他者の孤独を分かち合えることもある。それこそが有用性なのであると、第五話「リレントレスオーバータワー」で証明されるにあたって、わたしたちは感涙を禁じえません。
 模造クリスタル先生は安直な開き直りや安っぽいお題目を唱えて鬱屈を打破するような、そんな欺瞞には頼りません。あくまで弱いこころに寄り添って、そのさみしさを掬い取ってあげることを処方とします。
 ツラさに満ちた世界を描く模造クリスタル先生の作品を読んでいて救われるのは、そうした誠実さがあるからです。


3『メダカくん、さよなら』(こうのとり昇、一話完結方式連作、新人)


 親兄姉 みんな 死んだぞ
 今日から ぼくは
 ひとりぼっちっす!


web-ace.jp
(単行本に収録されているのは14話まで。15話から最終回まではリンク先のWEBで確認してください。たぶん単行本にはならないので)

 ペット用魚類生態擬人化不条理ギャグものですね、
 と、ひとことでくくってしまうのは簡単だけれど、奥底にはすさまじく複雑な人間への絶望が潜んでいます。

 人はなぜ動物を擬人化したがるのでしょうか。
 あまねく擬人化は寓話であり、メタファーです。厳然たる他者であるところの動物のなかに見いだされる人間的な教訓や共感、そういうものをわれわれは求めているのであって、その究極の桃源郷ジャパリパークであるといえます。
 共感で他者と通じ合うこと、人間ではないものを人間にしていくこと、それが擬人化の鉄則です。すくなくとも、これまでの動物擬人化マンガはその作法に則っていました。
 『メダカくん、さよなら』までは。

 本作の挑戦はまったくその逆です。なんとなれば、人間から人間性を剥奪するために擬人化が行われています。*2
 頭の足りないメダカくんやその愉快な仲間たちは気まぐれな神である飼い主の人間*3から理不尽に家族を奪われ、苦しめられる。なぜかといえば、魚に人権などないからです。やつらはノータイムで他人のうんこを食ういきものだ。
 飼い主にとって大切なのはアロワナといった「一軍」の魚たち。メダカくんたちの住む「二軍」の雑居水槽はよくて神のおもちゃか、御光の届かぬ不毛の地です。しかしそれでも魚たちは神を信仰してそこで生きるしかない。彼らに心はないかもしれませんが、痛覚はある。その痛みが作者すら気づかないうちにメダカくんたちの日常を削り取っていく。まるで旧約聖書の趣。
 たとえスイス議会や神のご加護などなくとも、メダカくんはちっちぇえプライド、もとい尊厳を守るために日々悪戦苦闘します。はたから見たら大体どれもキチガイのわがままですが、そこには他者と繋がりたい構われたい大切にされたい人間でいたいというプライマリーで切実な希いがある。
 だからこそ、テンポのよい非定型発達ギャグを読むまなじりから、知らずしらず涙があふれてくるのです。


4『売野機子のハートビート』(売野機子、短編集)


 おれたちは
 ゆらぐものと ゆるぎないものとの
 波間を遊ぶ


comic.pixiv.net


 売野先生の短編って個人的に当たりハズレが結構はげしいんですが、これはどの収録作も掛け値なしに傑作。
 いちおうどれも音楽にまつわる物語というふうに題材が統一されており、絞られた情報量、考え抜かれたモチーフの配置、話運びの妙、情緒の抜き出し方、いずれをとっても神域に達しているといっても過言ではありません。
 収録された四編には「音楽」以外にも共通項みたいなものがいくつかあって、そのうちのひとつが「過去に置かれた幻想の打破」でしょう。
 といっても抱いていた幻想が崩れて人間が絶望する系のやつではなくて、むしろその崩壊が希望につながるたぐいのやつです。その崩し方がどの話でもひじょうに巧い。ビル爆破ひとすじ四十年の職人レベルです。

 たとえば三番目に収録されている「夫のイヤホン」。
 主夫をやっている夫の様子がなぜか最近おかしい。十年前のヒットソングをひたすら聴いているのですが、夫自身にもなんでそれをヘビーにリピートしているのかがわからない。
 妻は「自分がなにか悪いことをしたのでは?」とパニックになりますが、やがて夫は聴いていくうちにその曲が自分の中学生時代とつよく紐付けられていたことを思い出します。
 かつて「死にたくなるようなことがようさんあって」通学路で嘔吐していたとき、「14才のおれを通学路から救い出してくれた」音楽なのでした。
 それが十年という歳月を経て、今度は「おれを14才の通学路に連れ戻してしまう」ことになる。辛かった過去を思い出すよすがとなってしまう。
 逃避のための鎮静剤が今度は呪いとなる、この反転にはうならされます。
 そのままで終われば哀しい話ですけれど、夫の過去を聴いた妻は、思い出されてしまったつらさに打ち勝つための提案をします。それもまた「音楽」を利用した対処法で、話としてもうつくしい。

 そして、題材の使い潰し方でいったら第一話の「イントロダクション」が出色でしょう。39才のおっさんミュージシャンが34才のパンピー女にミーツするラブストーリーですが、これもまた幻想の崩し方と恢復の情景がすばらしい。
「よく出来た短編集」を読みたいなら本作をおいて他にはありません。

 

5『青春の光となんか』(平尾アウリ、掌編ギャグ集)


 私たちは何も間違ってないんだもの……!!


mangalifewin.takeshobo.co.jp


 連作のようなそうじゃないような、主に高校を舞台にしたギャグ短編集。
 あらゆるギャグ漫画に通じる話ですが、これについてはもう読んでみてくださいとしかいえないですね。
 平尾アウリの唯才はBPM300で淀みゼロのセリフ回しにあり、それに卓抜したギャグセンスがあわさって最強に見えます。 本作における疾走感は先生の人気作『推しが武道館に行ってくれないと死ぬ』から理性を抜いて暴走するだけ暴走させたようなかんじで、その破滅的な暴力性は終末の獣そのもの。読める滅びがありますね。

 そんなペンを持ったバルバロイことアウリ先生ですが、見た目に反して存外に受けが広い作家でもあります。
 作品に散りばめられた要素要素から「平尾アウリ好きな読者ならこんな共通点のあるこういう作家も好きだと思われます、と人力サジェスチョンしやすいです。そういう意味では現代マンガ界のタコ足USBハブ、もとい結節点であり、平尾アウリに「今」が詰まっているともいえます。言うだけならタダですね。
 他人の話で恐縮ですが、私はインターネットで平尾アウリを介して売野機子先生(目の描き方が似てるとかなんとか)や椎名うみ先生を薦める人間を見てきました。逆にいえば、売野機子椎名うみでウェルカムトゥようこそ平尾アウリを読ませるのもアリなわけで、そうやって無限に興味を広げていけば救われるマンガも増えるのかしらね。


6『ねえ、ママ』(池辺葵、短編集)

ねぇ、ママ (A.L.C.DX)

ねぇ、ママ (A.L.C.DX)


 あの子の人生を私たちが代わりに生きてやることはできないんだから。


www.cmoa.jp


 母と子についての短編集。
 ゆったりとしたコマ割りにゆったりとしたセリフ回し、まさしく池辺葵先生だけに許された贅沢さです。
 本短編集のように母の視点と子の視点とがバランスよく織り交ざった作品はめずらしくて、そのどちらにもやさしいまなざしが注がれているものとなるとこれはほとんど希少でしょう。
 子どもは子どもなりにバカだけれども、大人が思っているより切なくて強い生き物です。そんな子どもたちをきちんと自由なままに包容してあげるのがおとなに叶いうる最大限の介入であって、しかしそれがなんと至難であることか。本作ではそうした子どもとおとなの関係がちゃんと日常の物語に落としこまれていて、しかも読み応えがあります。

 なかでも第三話の「夕焼けカーニバル」は傑作でしょう。
 主人公は小学校低学年くらいの女の子。この子はいつも団地のアパートでひとり本を読みながらお留守番をしていて、小学校のお弁当には市販のパンを一個だけ持参してきます。クラスメイトからは物珍しがられ、先生からはネグレクトを心配される毎日です。
 そんな彼女がある日、偏屈な骨董屋のおばあさんに出会って「魔女だ」と思い込んでしまう。おばあさんのほうでは一旦否定しかけますが、少女の眼に浮かびかけた失望を見て、魔女であると認めて彼女のファンタジーを守ってあげます。
 その後はこのおばあさんと少女との交流の話が中心になってきます。少女の置かれた境遇を考えると、基調には哀しい話です。が、読んでいてそういうふうにとられないのは、おばあさんとの心温まる交流のおかげもありますが、ギリギリのところで周囲のひとびとのやさしさを(あるいは育児放棄した母親のものですらも)描いているところも大きくて、こうした世界の捨てたもんじゃなさ加減を表現するのが絶妙にうまいなあ、という感想です。

 ときにラジカルなまでに説明を排した物語を描く池辺葵先生ですが、去年出た本作と『雑草たちよ、大志を抱け』は比較的わかりやすい。入門編としてオススメです。


7『魔術師A』(意志強ナツ子、短編集、新人)

魔術師A (トーチコミックス)

魔術師A (トーチコミックス)


 すごいすごいすごいすごい
 きっと あたしだけがわかる
 あたしにしかわからない魅力を持ってる子


to-ti.in
 
 特別になりたい。「あいつら」とは違う自分になりたい。今の自分じゃない何かになりたい。
 万国のティーンエイジャーが共通して抱く普遍的な願いを意志強ナツ子先生は描きます。その出力の仕方があまりにも変態的かつ複雑なせいで誤解されやすいのですけれども、基本的にはわかりやすく洗練されたプロットラインばかりです。
 コースアウト願望を持った少女が特別な誰かとつながって特別な儀式を行うことでその夢に手を伸ばそうとし、うらぎられる。本短編集に収録されているのは、基本的にはだいたいなそんな話です。
 その期待してしまう過程がほんとうにいい。世間や俗っぽさをバカにしつつも自分もまたその俗っぽさから逃れきれない事実、まさに思春期の自意識が切実に空回っている。かつてそういう青春を過ごしたであろう私たちの胸にもぐさぐさ刺さってきます。
 本短編集では、後半の方からそうした自意識や幻想が挫折したあとの「その後」も描かれるようになり、そこあたりの邪悪なイノセンスも心打たれます。 
 
 不吉さのふんぷんたる画風には好き嫌いがわかれるでしょうけれども、おさえておかないと損をする作家です。こうのとり昇、椎名うみに並ぶ2017年度三大異才新人と称してさしつかえはありますまいか。


8『我らコンタクティ』(森田るい、長編、新人)


「これ映画のフィルムでしょ なつかし〜〜 なんでこんなモノあるの?」
「飛ばすから」
「飛ばすって?」
「宇宙に」


afternoon.moae.jp


 打算的な女が天才的な技術者である元同級生の男を利用して町工場から下町ロケット飛ばして一攫千金を目論む話。

 間違いなく2017年を代表するマンガであり、新人でしょう。アフタ系でここまでの完成度は『子供はわかってあげない』の田島列島先生以来では。
 まずね、オープニングが100点ですよ。
 会社の飲み会のカラオケ会場で上司から理不尽な説教を受けて俯いているキツネ目三白眼の女。説教が途切れた一瞬のすきをついて会場から脱出し、夜の街を「クソ……クソが……クソ野郎……」と怨念たっぷりに歩く。ためいきをついて人気のない歩道橋にさしかかったとき、ふと道路に走る自動車のライト(この夜の表現がすばらしい)を見下ろして、「きれいだな」と感じ、「会社辞めちゃおっかな」とぼんやり考える。
 そこに声をかけてくる謎の男。最初は認識できなかったものの、なんでも小学校のころに同じクラスだった変人らしい。ストーカーと勘違いして一旦は逃げ出す女だったが、つかまって(説得する描写を飛ばして)彼の工場へとつれていかれる。
 そこにあったのは巨大なエンジン。「燃焼実験をします。ホントにすごいから」。
 そしてホントにものすごい熱を吐き出すエンジン筒を目撃してしまう。「すごいじゃん。すごいよ」。男は、これを宇宙に飛ばしたいと言う。法的には許可がおりるかわからないが、技術的には飛ばせると。
 その男の後ろ姿を見ながら考える女、単行本15ページ目の大ゴマ三段、上のコマから徐々にクローズアップしていく女の顔。
「こいつ バカだ」
「でも 金になりそう」
「会社、やめられるかな」

 完璧です。
 本編をここまで読んで心が一ミリを動かされなかった人はたぶん疲れているとおもうので、今すぐスパに行って温泉浸かってマッサージを受けてコーヒー牛乳飲んでデトックスして寝ましょう。

 とにかく現代アフタヌーンにおけるサブカルマンガの粋を集めたような絵、構図、コマ割り、キャラ、夜や陰影の表情がいちいち考え抜かれていて良いに良いに良い。各項目に点数をつけるだけならほぼ満点だとおもいます。
 長嶋有ことブルボン小林せんせいはかつて「本は出たときの『気分』を切り取る」とおっしゃっていました。それはなにも社会的な「気分」だけではなくて、マンガという界隈の流行りや空気みたいなものも反映されてくるものです。
 2018年1月現在、サブカルマンガ界の気分はこれです。サブカルマンガさんに「最近どうよ?」と訊ねたら、きっと「あー、『我らコンタクティ』みたいな?」と返してくるでしょう。語尾をあげるな、語尾を。
 新人としてはちょっと空恐ろしいレベルに完成されすぎているので今後どうなるかな、と思わないでもないですが、別にマンガ界においては最初から完成されていることは罪ではないのでもりもりと傑作を量産していってほしい。

 

9『甘木唯子のツノと愛』(久野遥子、短編集、新人)

甘木唯子のツノと愛 (ビームコミックス)

甘木唯子のツノと愛 (ビームコミックス)


 やつらときたら
 世界は見えるものだけなの

comic.pixiv.net

 まずひかれるのは圧倒的な画の緻密さ。
 まるっこくやわらかい感じにデザインされたキャラたちがそよぐように立っている。とにかくひとコマひとコマが眼をなでる感触だけでも愉しい。
 透明人間を信じる小学生、巨大ヒーローとして戦う女子高生、ある科学者の死んだ娘のきぐるみを着せられて過ごす誰か、頭にツノの生えた少女。本短編集に収録された物語はいずれも「視線、視ること」が強調されていて、特に「見られることに対する少女の意識」をSF設定を通してみごとに消化しています。ツボです。
 かわいらしい絵柄とは裏腹にちょっとビターな味付けの話が多いのが『ビーム』っぽさなのかな、といいますかなんというか。なつかしいサブカルマンガのかおりがする。半面、画力と雰囲気と初期衝動でドライブさせているように見えながらどの短編もストンと気の利いたオチをつけるインテリジェンスもふせもっていて、まあとんでもないですよ。

 新人といってもデビューは2010年。そのときの受賞作からこつこつと描きためていったものがようやく初単行本にまとまったのが本作です。
 では七年のあいだに何もクリエイティブな活動をしていなかったかというとさにあらず。ところ離れたアニメ業界では一線級の活躍をしておりました。岩井俊二が帯を寄せているのも『花とアリス殺人事件』でディレクションを務めた関係ですね*4昨年は『宝石の国』のエンディングを担当したり、本編でも演出をしたりしていたそうです。マジでアニメ界のホープやんけ。
 そんな実力者が2016年を機にマンガ制作に回帰したのはマンガ界にとってもよろこばしいニュース。本業との兼ね合いから多作とはいかないでしょうが、コンスタントに読んでみたい作家です。


10『インコンニウスの城砦』(野村亮馬、長編)


 美味い物を食べるのは死ぬ時のための準備だと思え
 今後死ぬような目に遭った時には食事のことを思い出すんだ
 悪くない人生だったと思えるはずだ

 氷期を迎え、わずかに残された居住空間を人々が奪い合っている惑星。少年カロは上司のニネットとともにスパイとして敵軍の移動城砦に潜入する。そこで彼らは労働者を偽装しつつ、敵軍の英雄インコンニウス暗殺を目論むのだった。というスチームパンクSFスパイもの。

 宮﨑駿を連想させつつも確かにオリジナルで細密な世界観、シャープでハードボイルドなセリフの数々、魅力的なキャラ、謎の労働、フックとサプライズに満ちたプロット、三つ編み眼鏡のおねえさんからケツ穴に指をつっこまれるショタ、などなどのきらめきが200ページ弱にタイトにおさまっていて、単発長編としてはずば抜けた完成度を誇ります。スパイものらしく心情描写などは最小限以下に抑えられていますが、それでいてキャラクター同士のエモーションが実に能く響いてくる。
 野村先生は『ベントラー、ベントラー』におけるオフビートコメディの印象が強いんですけれど、本作はシリアスに絞った体脂肪率3%の硬派な長編です。イノセンスを喪失する少年の話はどんなジャンルでもよいものですね、ナナチ。

 ちなみに本作は自費出版。年始にけっこう話題になってたのでどこかの出版社が野村先生に新連載を持たせてくれると期待していたんですが、ぜんぜん音沙汰がありませんね。なぜだ……? 同じWEB発の『映画大好きポンポさん』は商業出版されたのに……? 真摯にSFまんがを作ることができる貴重な描き手なはずなのですが……誰か……助け……。
 KINDLEアンリミテッドで読み放題なので実質タダ。読み耽りましょう。


11『15で少女はアレになる』(江本晴、短編集)

15で少女は、あれになる。

15で少女は、あれになる。

matogrosso.jp

 雰囲気系の闇鍋ことマトグロッソ今期最良の仕事。
 謎の外来生物に対する自衛策として、15歳に達した女性に『寄生獣』のミギーみたいな戦闘力を持つ生体兵器(外見はウミウシっぽくてかわいい)を埋め込む世界の青春オムニバス。
 
 「思春期になると身体に発生するグロテスクではずかしいもの」とは、直球というか豪速球で初潮のメタファー。自然、性や男子との距離感にまつわる話が多くなってくるのですけれど、その転がし方がとても繊細でナラティブです。少女たちがそれぞれ自分なりの付き合い方を模索していく感じ。
「自分を守る武器なんだけど、なんかしっくりこないんだよね。誰かから決めつけられてる感じ。私の一部なんだから私なりの使い方がなにかあると思うんだけど」というセリフにすべて象徴されていて、なんかもうこれ以上の解説はいらない気もします。恋、憧れ、女同士の連帯、そしてバトル。
 『WOMBS』を例に取るまでもなく、女性の身体に対する意識とSFは相性がいい気がします。思春期の女の子の自意識がそのままファンタジー的に漏出としてしまう作品でいえば、昨年では『ストレンジ・ファニー・ラブ』(チョー・ヒカル)『熱海の宇宙人』(原百合子)なんかもありましたね。
 今後発展が愉しみな分野です。

12『大人スキップ』(松田洋子、長編、二巻完結)

www.cmoa.jp

 「大人のための童話」を謳った本はいくらでもありますが、真に大人のためのファンタジーを描ける作家は稀です。松田洋子先生はその希少種のひとりでしょう。
 人生のきびしさ、恋愛のどうしようもなさをとことん突き詰めながらも最後の最後で甘い希望を忘れない。パンドラの箱みたいな作品ばかりを描く人ですが、今回もまたどうしようもない希望を世に放ってくれました。

 主人公は14歳の女子中学生……だったのが事故で昏睡状態に陥り、目覚めたときには40歳。思春期も青年期もすっとばして中年になってしまった元少女の戸惑いを、つきそいの看護師さんの助力を通して少しずつ解消していこうとがんばります。
 ですが、恋愛も就職も生活もほとんどまともに経験したことがないので当然つまづかないわけもなく……。

 半分ファンタジーじみた奇想天外な導入から直でリアルの辛酸をぶっかけてくるハードな作家性は本作でも健在です。
 人には誰しも子どものころに想像していた大人像があったはずで、10代、20代を経て徐々に現実となるにつれ、ほどよい幻滅を味わいつつもなんとか現実と折り合っていくものです。ところが、本作の主人公は14歳のころのファンタジーを100%維持したまま40代のリアルと向き合わざるをえなくなる。これはつらい、そうです、人生っていうのはつらいんです。「子どもの感覚のまま、気がついたら大人になってしまっていた」は普遍的かつ現実的な恐怖でもあります。
 それでも不思議と希望と救いはあって、本作の場合はそれは看護師さんとの友情に見出されます。そこのあたり、ちょっとびっくりするような仕掛けもあるんですが、それは読んでからのおたのしみ。

 本作は二巻完結の連載ものです。どうやら打ち切りっぽい。なのでやや駆け足に感じるところも少なくないのですけれど、それでも一つの物語としてきっちりまとめてくるあたりがベテランの腕ですね。


13『アイスバーン』(西村ツチカ、短編集)

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 マンガに愛されながらもその愛を全力で拒絶し続けてきた絶後の鬼才・西村ツチカ先生が今回はチューまで行きました。比較的読みやすいので読みましょう。あいかわらずエキセントリックな表現が多いですけれど。たまに横山裕一すれすれの域に達してるぞ。やっぱり読みにくいのかもしれない。
 オブセッションと思い込みが支配するツチカワールドは本作でも健在です。

 先生にしてはちょっと異色だな、とおもったのは最後に収録されている「友達の描いたマンガ」という短編。
「マキさん」という漫画家とシェアハウスで共同生活していたころの話*5、という体で描かれたものです。
「マキさん」は気難しい作家です。彼の持ち込み用原稿をツチカ先生が読んで「おもしろかった」と伝えるんですけれども、その感想をガン無視して「自分のまんがはなぜつまらないのか」というのを延々自問した挙句、「描き直す」と宣言します。
 そんな「マキさん」とツチカ先生には共通点があって、どちらも石黒正数藤子・F・不二雄が大好きなんですね。
 藤子・F・不二雄を熱く語る「マキさん」に、ツチカ先生は「自分がいつかマキさんのことをマンガに描くときはF先生キャラみたいにする」と約束するのですが、まさに「マキさん」の顔はF先生キャラっぽく描かれていて、読者になんだか不思議な異化効果を与えます。そのせいもあって、なんだか全体的に『まんが道』っぽい印象も受ける。ツチカ先生なりの『まんが道』なのでしょう。
 

14『少女終末旅行公式アンソロジーコミック』(アンソロジー)

少女終末旅行 公式アンソロジーコミック (MFC)

少女終末旅行 公式アンソロジーコミック (MFC)

 たばよう先生、器械先生*6などメインストリームから抹殺された(されてない)コミティア組による一揆。生きるのは最高だったよね……。

 アンソロジーというのはファンブックのようなもので、「まあ、アンソロジーだしね……」(by 位置原先生)なクオリティの本が多いですが、これはようよう高水準。参加者たちがちゃんと原作を読み込んでいるのもありますけれど、最大の成功要因は、ややとんがり気味の人たちが多い作家陣をみごとに許容する原作の度量の広さでしょう。

 そして二次創作として誰よりも「わかっている」ものを描いているのが、誰あろう、つくみず先生自身です。
 主人公二人が現代の日本で大学生活を送りながら怠惰にセックスを重ねるというパラレルな日常を描いた内容で、そこは確かにわれわれと地続きの世界なんだけれども、彼女たちの世界観は実はポストアポカリプス的な原作世界とあまり変わっていない。「私 過去も未来も好きじゃないもん 今しか欲しくない」というセリフには原作テーマの告白ですらありえます。

 ちなみに本書が出版されたときにはファンの「二人が(原作世界でも)日常的にセックスしてるのを仄めかしている!」というツイートがバズっていましたが、これはあきらかに間違いで、もしそうであったのなら157ページでちーちゃんが映画の性交シーンを見て「なんかムズムズする映像だね」などとは言わないでしょう。ちーちゃんに性的な知識はおそらくない(読書家のユーは知識としては知っている)。
 それよりは「ちーちゃんが性教育を受けたもう一つの現実世界では、こういう関係もありえた」という、その偏差にこそわびさびを見出すべきではないか、とそうおもうのですが、いかがでしょうか。いかがでしょうか。
 漫画原作のアンソロジーでは『メイド・イン・アビス公式アンソロジー』もなかなか粒ぞろいでした。んなぁーとしか言えねえ。


15『ライオン』(園田ゆり、短編集、新人)

ライオン 園田ゆり短編集

ライオン 園田ゆり短編集

note.mu

 高校の放送部を舞台にした連作青春短編を中心とした短編集。
 自分を抑圧している主人公が何かものすごい才能や熱意をもった人間を羨みながら傍観しつつ、自分の弱さを見つめ直していく話が多いですね。一話一話がほんとによくまとまっていて新人離れしています。
 特に学校に配されているモチーフやアイテムの使い方が絶妙で、表題作の「ライオン」では授業参観の作文発表をこんなふうに使うのか、という新鮮な驚きがありますし、その次に収録されている「ブルーレター」では放送部という舞台とリクエストボックスという装置を物語を動かすのにすごくうまく使っている。現在連載されている『あしあと探偵』でもそうですが、端正なマンガを描く人です。
 
 高校生の青春ものも好きですけれど、収録作で一番のお気に入りは「弟の外出」。今年最高の姉短編マンガです。姉フィクション読みはマストリード。
 ちなみに本書も『インコンニウスの城砦』とおなじくKindleアンリミテッドでも読めます。実質タダだやったぜ!!!!!!!!!!!!!!!!!


16『裸足で、空を掴むように』(梅田阿比、短編集)

sokuyomi.jp

 作家はときに連載作では言えないような昏い欲望を短編集で吐き出します。福島鉄平の『アマリリス』がそうであったように。そういうものを読むと作家の秘奥に触れたような気がして、わたしたちの昏い欲望もまた満たされるのです。
 さて、昨年に『クジラの子らは砂上に歌う』がアニメ化された梅田阿比先生ですが、本短編集に収録された「銀の誓約」はヤバい。
 田舎の旧家でメガネの女中に世話されながら女装で過ごす少年。別にトランスジェンダーとかそういうのではありません。なぜ女装しているのかといえば、友人だった二人の女子から同時に告白を受けて、態度をきめかねた挙句、「三人でずっと仲良くする」解決策として「中学まで女として過ごす」ことを自ら提案してしまったためです。女子たちもそれを容れてしまった。
 なかなかどうかしていますが、その女装少年を嬉々として「お嬢様」と呼ぶメガネ女中もぶっとんでいます。途中で心が折れて女装をやめたいと告白する少年に対して、「男が一度した約束を破ってはいけない」と叱ったりもする。もうなんていうか、欲望と欲望のデスマッチじゃねえか。
 なぜ一介の女中が主人に対して、そこまで強い態度を取るのか。その謎は終盤で明かされますが、明かされても「ええ……」というドン引きまじりの驚愕しかなくて、だがそれがよい。
 一から十まで狂っているのに、なんとなくイイ話っぽい感じで落ちるのも高得点です。
 この一編だけでも木戸賃を取るだけのクオリティはあります。


17『イワとニキの新婚旅行』(白井弓子、連作短編集)

イワとニキの新婚旅行(ボニータ・コミックス)

イワとニキの新婚旅行(ボニータ・コミックス)

tap.akitashoten.co.jp

 『WOMBS』で日本SF大賞を受賞した白岩弓子のSF短編集。
 コンセプトとしては「各国の神話をSFとしてリイマジンする」ってところですが、そのためにいったん宇宙人に地球を征服させるプロセスを経るところが律儀ですね。
 特に神話をよく料理できてるのが、表題作の「イワとニキの新婚旅行」。ニニギノミコトイワナガヒメコノハナサクヤヒメの婚姻譚を材に取っているんですけれど、岩石っぽいパワードスーツめいた「イワナガヒメ」の背中に装着されたハッチをあけると、中のコノハナサクヤヒメと御対面できる仕組み、というね。こういうの、ワンダーですよね。
 人間の尊厳がきちんとしているお話がそろっています。


18『ウムヴェルト』(五十嵐大介、短編集)

kc.kodansha.co.jp

 讃えよ崇めよ平伏せよ、五十嵐大介の短編集である。
 正直『エソラ』とかの短編は一生まとまらないんだろうなあ、と思っていたので、平成のうちにこれを読めるわれわれは果報者ですね。
 どの短編がどう、というよりは、ほぼ十年のタームのあいだに一人の漫画家が急速に理屈っぽくなっていく過程の記録として大変に資料的価値が高い。
 あとなんだかんだ五十嵐先生は女子高生に殺されたい願望があるんだなあ……というのが。


19『美しい犬』(原作:ハジメ、漫画:オオイシヒロト、長編、上下巻)

www.cmoa.jp

 巨乳に恋する男の子の暗黒性欲青春ホラー。話としても面白いのですが、「エロい犬の動画でオナニーする少年」のインパクトだけでも漫画史に残ってしまう。
 犬をレイプするシーンの詳細な指示書をあとがきに載せてしまった施川ユウ……ハジメ先生はもう後戻りできないと思います。


20『まんがでわかるまんがの歴史』(作:大塚英志、まんが:ひらりん、その他)

comic-walker.com

 大塚英志によるマンガ論&マンガ史のアンチョコ。マテリアルはともかく、大塚先生の史観がどこまで妥当なのかはわかりませんが、大塚先生ファンとしてはやはり「KADOKAWA=大日本帝国」説には胸躍らざるをえません。新書で出されたみなもと太郎先生(『風雲児たち』)の『マンガの歴史』稀見理都の『エロマンガ表現史』ともども、マンガの表現史を知ればもっとマンガがおもしろく読めるはずの一冊。
 

その他面白かったやつ。

『大人のためのコミック版世界文学傑作選』(アンソロジー、上下巻)

大人のためのコミック版世界文学傑作選 上

大人のためのコミック版世界文学傑作選 上

大人のためのコミック版世界文学傑作選 下

大人のためのコミック版世界文学傑作選 下

 ・海外の漫画家やイラストレーターたちが古今東西の世界文学を数ページずつコミカライズしていく気宇壮大な企画。だいたいは名作の名シーンを切り取ってはるんですが、ピンチョンのは高校生時代に書いた短編だったり、フォークナーのは大学生時代に学生新聞に寄稿した作品集未収録作だったりと、ときおり選者のマニアックさが暴発しています。個人的なお気に入りはカフカ「変身」、「チャールズ・シュルツカフカっぽい」という理由で『ピーナッツ(スヌーピー)』とマッシュアップしてまう。



『モテ考 30歳独身漫画家がマイナスから始める恋愛修業』(緒方波子、ルポ)

モテ考 30歳独身漫画家がマイナスから始める恋愛修業 緒方 波子:コミック | KADOKAWA

 わたしが日本語漢字能力検定協会に代わって2017年の漢字を選ぶとしたら、「北」ではなく、「緒方波子はいいから全部読め」です。わかってくれるか、一文字におさまりきれないビッグなこの想い。
 モテないマイナー漫画家緒方先生がモテを目指して野球観戦に行ったり断食修行をやったり街コンに参加したりして頑張ってるうちに意外とするする恋人ができちゃったり。モテに対する自意識が薄いわりに漫画家としての自意識はちゃんと見せる(それも奇妙な形で)ところもご愛嬌ですね。
 ルポはルポでいいんですけれど、本領はストーリー漫画にあると思うので、また『ちいさい梅小路さん』みたいな傑作をものしてほしいところです。


『正しいスカートの使い方』(位置原光Z、短編集)

正しいスカートの使い方 (楽園コミックス)

正しいスカートの使い方 (楽園コミックス)

正しいスカートの使い方|白泉社

 ずっと同じようなノリなのに気がついたらマンガも漫才も華麗に熟練していた位置原先生。私たちはまだ貴方の単眼娘をお待ち申し上げております。



『酔うとバケモノになる父が辛い』(菊池真理子、エッセイ・体験談)

酔うと化け物になる父がつらい(書籍扱いコミックス)

酔うと化け物になる父がつらい(書籍扱いコミックス)

菊池真理子 | 酔うと化け物になる父がつらい - チャンピオンクロス

 エッセンマンガって物理攻撃力(作者の経験)を頼りに素手の通常攻撃でガンガン殴ってくるだけの作品が多いですよね。それはそれでといいますか、別にマンガ的な体験を求めて読んでるわけではないのでいいんですけれど、それでもたまに「マンガだなあ」と思えるエッセイマンガに出会えるとラッキーな気持ちになります。本作は、この手のエッセイものとして一つ頭抜けてうまい。
 基本的にはグデングデンになって帰ってきて他人をないがしろにする、日常的に殴る蹴るなどの暴行を働いているわけでもない、だが確実に家族に悪影響を及ぼしている父親って描くときのバランスに困ると思うんですけれど、この作者はよく自分の気持ちを掴んで表現の器に移し替えてるなあと。



『雑草家族』(小路啓之、長編、未完)

雑草家族 /小路 啓之|集英社コミック公式 S-MANGA

 絶筆。何者かにレイプされた姉の仇をとるために家族総出で復讐に赴く話で、軽快な引用芸とちょっとどうかと思うレベルで底がぬけた倫理観は要するにいつもの小路節。もっとこういうのを読みたかった。こういうのを続けるだけでよかったのに。



『山本アットホーム』(山本アットホーム、ショートギャグ、新人)

山本アットホーム (MFC)

山本アットホーム (MFC)

山本アットホーム 無料漫画詳細 - 無料コミック ComicWalker

 単行本としてまとまるのが遅きに失した感もあるけれど、それでも依然ツイッタージェニックWEBギャグマンガにおける数少ない収穫。



『春と盆暗』(熊倉献、短編集、新人)

春と盆暗 (アフタヌーンKC)

春と盆暗 (アフタヌーンKC)

春と盆暗 / 熊倉 献 - アフタヌーン公式サイト - モアイ

 ボーイ・ミーツ・ガールの話題作で、初読時の印象は最悪に近かったんですが、読み直してみるとやっぱり力でねじ伏せられるうまさ。奇妙で象徴的なヒロインのクセを主人公とリンクさせる手段に使うストーリーテリングとかはわかりやすいほうで、キャラの顔をどの方向に向かせるのかとか、どのくらい間を作るのかとか、とにかく練られてらっしゃる。「水中都市と中央線」がフェイバリットでしょうか。


『本田鹿の子の本棚』(佐藤将、連作短編)

本田鹿の子の本棚 – LEED Cafe

 愛娘の部屋に忍び込んで愛読書をチェックすることで、娘とのコミュニケーションを円滑にしようと目論むダメな父親の奮闘記。佐藤先生は『別冊少年マガジン』で『嵐の伝説』を連載していた人ですね。
 実在する小説やマンガのをストーリーを題材にして読書人セラピーをやろうとする話って、人を癒やす目的のために扱ってる本を一元的なストーリーへ押しこめる安い窮屈さがきらいなんですけれども、本作では扱う本をすべて架空のものに設定することでその問題を回避しています。
 でっちあげられている小説の内容自体はそんなに新鮮でもおもしろいわけでもないんですが、むしろそのおかげで、娘に接近したがる親父の哀愁とキモさが際立っている気がします。
 よく見たら連載継続中なんですけど、いまさら前の記事に移動さすのめんどくさいのでここに置いておきます。



『零落』(浅野いにお、単発長編)

零落 | 小学館

 今年もいろんな漫画家マンガがでましたね。『先生白書』『終わった漫画家』、「友達の描いたマンガ」、『怪奇まんが道』2巻『そして僕は外道マンになる』、『コロコロ創刊伝説』『カメントツの漫画ならず道』、『藤子スタジオアシスタント日記 まいっちんぐマンガ道』2巻、『描クえもん』、『かくしごと』に『アオイホノオ』……あ、『チェイサー』の五巻は今月か。
 本作は背後にすけている作者自身との距離の取り方がうまいです。あきらかに浅野いにお先生を想起させるようにできているんだけど、ギリギリで逃げ道も用意してある。そういうとこで好き嫌いが分かれるんだろうけど。



『ヒャッケンマワリ』(竹田昼、その他、新人)

ヒャッケンマワリ (楽園コミックス)

ヒャッケンマワリ (楽園コミックス)

ヒャッケンマワリ|白泉社

 主として内田百閒のエッセイに関するエッセイマンガ、とでも言えばいいのか。
 百閒の生活なんて百閒本人の文章を読めばよろしかろうと思う人も多いだろうけど、やっぱり絵で見ると楽だし、何を切り取るかで切り取る人の個性が出ます。切り取り方のセンスでいったら、竹田先生はよほどセンスがある人でせう。
 内田百閒は漱石の弟子だったので、もちろん漱石やその周辺のエピソードもちょろちょろ出てきます。よって香日ゆらファンにもオススメ。
 そういえば谷口ジロー先生の絶筆である『いざなうもの』も百閒ものですね。こちらはまだKindleになってませんが。
 文学ものだと文学作品に描写された土地の風景をひたすら幻視していくカラスヤサトシの日本文学紀行』(カラスヤサトシもなかなかチャレンジングな試みでした。超絶読みにくかったけど。



『サザンウィンドウ・サザンドア』(石山さやか、連作短編集、新人)

サザンウィンドウ・サザンドア (フィールコミックス)

サザンウィンドウ・サザンドア (フィールコミックス)

サザン ウィンドウ, サザン ドア 石山さやか | FEEL FREE

 団地を舞台にした掌編集。すでにして老若男女の書き分けがうまく、複雑な話を複雑なまま短くまとめる技術にも恵まれている。



『雑草たちよ、大志を抱け』(池辺葵、連作短編集)

雑草たちよ 大志を抱け - pixivコミック | 無料連載マンガ

 女子高生たちの日常。某氏も言ってたけど、池辺葵のなかではいちばんわかりやすい。



『エイトドッグス』(山口譲司、単発長編、上下巻)

エイトドッグス 忍法八犬伝 1巻 :無料・試し読みも!コミック 漫画(まんが)・電子書籍のコミックシーモア

 『忍法八犬伝』のコミカライズ。とにかくスピーディでありながらも見せ場ではきっちり見せてくる。巻数の短い山風長編原作はしょっぱい、のジンクスを跳ね返す出来。考えてみりゃ、合うはずですよね、山口譲司と山風。



『差配さん』(塩川桐子、連作短編集)

差配さん

差配さん

株式会社リイド社 » 差配さん

 犬とくれば猫。江戸時代人情連作短編集。ある設定(思いっきりあらすじと表紙でバレてますが)のせいで全編に叙述トリックを孕んでおり、読書中はずっと警戒を強いられます。が、その設定を無意味に浪費せず、きっかりかっちりとストーリーテリングに織り込んでいるのが好印象です。個人的ベスト短編は「乙女の祈り」。
 ネコマンガといえば松本大洋先生の『ルーヴルの猫』も出てましたね。



『真説☆世界史大全』(駕籠真太郎、短編集)

真説★世界史大全

真説★世界史大全

真説★世界史大全 - 太田出版

 歴史上の偉人や出来事をバカホラー風味にパロっていくギャグ漫画。第九話「カメラ・映像の世紀」における網膜残像記憶(疑似科学)を利用したネクロテック史は特に最高にグロくてバカ度マックス。



『湯気と誘惑のバカンス』(雁須磨子、単発長編)

湯気と誘惑のバカンス - pixivコミック | 無料連載マンガ

 いい感じにお近づきになるんだけど今一歩踏み込めない男と男の不器用なBL。互いのセクシャリティに触れずに触れずに進行していって、全体の三分の二くらいが終わったところでやっとカミングアウトするもどかしさ。恋愛ものの作られたタンマタイムってBLだと自然に表現できるルートがあるんだなという学びがありました。


拾っておきたい短編たち

 上で扱えなかった短編集で、それでもこの短編だけはメンションしておきたいなー的なもの。


「小さい犬」(スケラッコ『大きい犬』所収)

大きい犬 (torch comics)

大きい犬 (torch comics)

 ・表題作「大きい犬」の続編。大きい犬(一軒家サイズ)とちいさい犬(ふつうのチワワ)との交流。
 圧倒的な他者に出会ったときの好奇心、おそれ、あこがれ、ひがみ、そんなもろもろの感情をつきやぶった果てにコミュニケーションはあるんだというお話です。
 犬のケツ穴を描くマンガは信頼できる(市川春子とか)。


ひかわ博一先生」「高橋留美子先生」(カメントツ『カメントツの漫画ならず道』二巻所収)

 『漫画ならず道』はこの二人のインタビュー回に尽きます。心が折れて漫画家ではいられなくなった人間と、どんな世界にあっても漫画家でしかいられない人間。この二者の並びがまぶしい。



「出張!プレジャーストリート」(『サクライプレジャーストリート』所収)

 ケモい。エロ漫画雑誌編集部という舞台でエロ漫画規制についての議論をギャグに使う根性な。わたしのなかで『める子』(縁山)は続き物、『サクライ』は単発扱いになっています。どっちかっていうと、める子なんですけれども。あるの、派閥。



「ザ・人間チャレンジ」(カラシユニコ『メメント非日常』所収)

メメント飛日常 (ビッグコミックス)

メメント飛日常 (ビッグコミックス)

 ネコがオフィスで人間の労働に挑戦してみるはなし。完成度でいうとこの後に来る犬労働短編「BAR 俺のドッグフード」のほうが上なんですけれど、こっちは人間が世間で味わう無力感のアレゴリーとして非常に泣かせます。
 木下古栗にもトラがオフィスで労働しようとしてうまくできない話がありましたね。ああいう……、そう、ああいう、ね。



「パンドラボーイ」(ゆきのぶ『ぼくらのトランキライザー』所収)

ぼくらのトランキライザー (IDコミックス)

ぼくらのトランキライザー (IDコミックス)

 男子高校生が希死念慮で壊れていく話。オチがセンセーショナル。本短編集はどの話も着眼点はすばらしいんですけれど、話が進むにつれてどんどん安易で雑なごまかしに流れていってしまっていて、ほんとうに惜しい。この原石は、どこかでもっと真剣に磨き上げてほしい。



「FEVER』(谷口トモオ『《完全版》サイコ工場・Ω』所収)

《完全版》サイコ工場 Ω(オメガ) (LEED Cafe comics)

《完全版》サイコ工場 Ω(オメガ) (LEED Cafe comics)

  誤解と事故が重なって玉突き式に連続殺人を犯していってしまう青年のホラートラジコメディ。作者コメントによるとヒッチコックの『ハリーの災難』や安部公房の「無関係な死」を下敷きにしたそうです。ものすごい勢いで人が死にまくる疾走感がグッド。「ルール5:完全版や新装版はあつかいません」はどうした。



「寄木屋敷の夜叉の巻」(ドリヤス工場『テアトル最終回』所収)

テアトル最終回 (サイコミ)

テアトル最終回 (サイコミ)

 金田一耕助っぽい名探偵ものの解決編パロディ。最初のコマのインパクトが出落ちオブジイヤーです。画面奥中央でぼんやりと棒立ちになっている和装の男、その眼にはたくわんめいた謎の目隠しが巻かれている。読者がなんだこの奇天烈さんは、と訝しんでいると、その男を挟むようにして画面手前両端の人間たちが「VR探偵!」「VR探偵じゃねえか」と叫ぶので強制的に「こいつはVRを駆使して事件を解決する名探偵なんだ!」と一コマ一発で把握させられてしまう。VR探偵の背後でびっくらこいている少年もいいアクセントだ。おそろしいまでの情報プレゼン力。



「第三夜」(近藤ようこ夢十夜』所収)

夢十夜

夢十夜

 夏目漱石の『夢十夜』のコミカライズ。赤ん坊をおぶるアノ話です。原作はわりあいフラットな調子で淡々と綴られていくんですけれど、近藤ようこはある程度まではそうしたノリを引き継ぎつつ、漫画家らしい抑揚をつけます。その手管に気取りや不自然さをまるで感じさせないのが手腕というものです。
 近藤ようこといえば、『怪奇まんが道 奇想天外篇』の近藤ようこはめっっっっちゃよかったですね。『漫画ならず道』の高橋留美子回と合わせて三点セットです。


「四人の迷宮」(駕籠真太郎『ブレインダメージ』所収)

 気がついた謎の部屋に同じ顔の女が三人、さてどうなる、のソリッドシチュエーションスリラー。殺人鬼が襲ってくるパートはオフビートですが、ホワイダニット部分というか、ラストの趣向はいいですね。案出するのに多大なエネルギーを要するであろう駕籠先生の芸風には敬意を払いたいものです。


やっと

 2017年のまとめがおわりました。あけましておめでとうございます。今年もふしだらな記事ばかり生産していきたいです。インターネットがふしあわせになっていくね。変わらぬご愛顧のほどよろしくおねがいいたします。かしこ


proxia.hateblo.jp

*1:だからこそ大人たちも「行動」するしかなくなり、あの「手足は全部で四本あって、すべて抑えられると終わる」の謎のホラー的感動につながるのですね

*2:「人間から人権を抜く」試みは今月発売された『ヤングエース』2月号に掲載された読み切り「葬式探し」に、より直截的な形で表現されています。

*3:アクアリストへの風評被害を心配するレベルのクズ

*4:巻末の著者プロフィールから経歴を引用しましょう。"1990年生まれ、多摩美術大学グラフィックデザイン学科卒。在学中の2010年に第12回えんため大賞を受賞し、月刊コミックビームに漫画作品を発表。卒業制作のアニメーション『Airy Me』で第17回文化庁メディア芸術祭アニメーション部門新人賞を受賞。卒業後はアニメーション制作へ進み、岩井俊二監督作の長編映画花とアリス殺人事件』でロトスコープアニメーションディレクターを務める。また2016年にはNHKの『おかあさんといっしょ』番組内人形劇『ガラピコぷ〜』のオープニングアニメーションを制作。2017年公開の『映画クレヨンしんちゃん 襲来!!宇宙人シリリ』でメインキャラクター等のデザインを担当"赫々たる、という形容の似合う実績です。

*5:西村ツチカ先生はトキワ荘プロジェクトというシェアハウス生活していたのは事実ですが、「マキさん」に該当する人物が誰であったのかを調べる気力はない。『チャンピオン』で描いていた人らしいのですが

*6:新連載おめでとうございます

なぜ犬でなくてはいけなかったのかーー犬映画としての『キングスマン:ゴールデン・サークル』感想

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*(注意)この記事は『キングスマン:ゴールデン・サークル』の重大なネタバレを含みます*



 姫は間もなくして自分の行為を悔やみました。そして絶望のあまり自らの生命を断ちました。深い愛情をこめた手紙をトリストラム*1にあててしたため、それと同時に、日ごろ自分が可愛がっていた一匹の美しい利口な犬を彼に贈って、どうかこれをわたしの思い出としていつまでも飼ってやってほしい、と望みながら死んでいったのです。



トマス・ブルフィンチ『新訳 アーサー王物語』(角川文庫)


映画「キングスマン:ゴールデン・サークル」予告B



 もちろん、犬ではなくてはなりませんでしたとも。


その犬のあゆみしところ

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キングスマン:ゴールデン・サークル』の中盤、前任の「ガラハッド」としての記憶をなくしたハリー(コリン・ファース)は現「ガラハッド」であるエグジー(タロン・エガートン)から仔犬をプレゼントされる。愛らしいケアーン・テリアだ。

 ハリーが仔犬を受け取るやいなや、エグジーは銃を仔犬につきつける。

「なぜそんなことを?」パニックに陥るハリー。「そんなことしちゃダメだ! 撃つなら私を撃ってくれ!」

「あんたを? じゃああんたを撃つよ」

 エグジーは銃口をハリーに向ける。

 強烈なプレッシャーが引き起こした混沌に、ハリーの若き日の記憶が呼び覚まされる。

 そう、あのとき犬に銃を向けていたのはハリーだった。秘密結社「キングスマン」の入団最終試験のため、手塩にかけて育てた愛犬ミスター・ピックルを撃ってしまった……*2


Heart of a dog

 なぜ犬でなくてはならなかったのか、という問いはさらに三つの問いに細分化されます。
「なぜ『他の動物ではなく』、犬でなければならなかったのか?」
「なぜ犬を『撃たねば』ならなかったのか?」
「なぜ『ケアーン・テリア』でなくてはいけなかったのか?」


イングランド、犬グランド

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 一つ目の問い。

「なぜ『犬』でなければならなかったのか?」

 犬は人類にとって最も古い友だち(という名の家畜)であることは広く知られた事実です。が、なぜ『キングスマン』で犬を出さなければならなかったのか。


 これはまあ簡単という一般常識の話で。

 正義の秘密結社キングスマンは非常に英国的かつ貴族的な組織です。
 英国貴族の嗜みといえば? そう、狩猟ですね。
 狩猟に欠かせないのが獲物をご主人様のために追い立ててくれる狩猟犬。
 しぜん、犬は騎士階級の象徴であるはずの馬を押しのけて、英国紳士の愛されナンバーワン動物になっていきます。

 特に貴族文化華やかなりし十九世紀のイギリスでは「犬は礼節の象徴であり、犬に対する鑑識眼を養うことはジェントルマンのたしなみとされ」、「イギリスの犬の優秀さはイギリス人自身の優秀さを示す証拠であり、イギリス文化が及ぼす普遍的な文明化の影響を反映していた」*3のです。犬イズ英国。
 英国を代表するスパイ組織であるキングスマンが「狩り」のパートナーに犬を戴くのも至極当然の理なわけですね。
 特にハリーの選んだテリアの本来的な用途は、地中に潜む小害獣たちを駆逐すること。地下にあって自らの手で悪党どもを殲滅するハリーにお似合いの犬種といえます。

 付言しておくならば、キングスマンアーサー王の円卓の騎士を模した機構です。信頼できるゲーム会社の信頼している本によりますれば、円卓の騎士の一人、トリスタンは「犬を訓練した最初の人間」であるそうです。歴史的にはたわごとですけれども、そうした意味でもキングスマンと犬は関係が深いのですね。映画ではトリスタン全然出てきませんが。


彼らは灰犬を撃つ

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 では、そんなに仲良しであるならば、なぜ「キングスマン」の入団試験では犬を「撃たねば」ならなかったのでしょうか?
 これは『キングスマン』の第一作でも問われるべき問題ですね。

 犬を撃つ(殺す)、あるいは犬を撃とう(殺そう)とするシーンは映画に頻出します。
 おおかたの映画において犬は無垢さ、純真さの象徴です。無辜の犬を殺すということは、悪役であればそのキャラの非情さや非人間性を端的に際立たせますし*4、主人公サイドの人間であれば(そもそも究極の選択を強いられてるとして)思いとどまるかどうかでそのキャラの道徳的葛藤や業の深さを描けます*5。ちなみに犬の無垢さを反転させて、悪役と一致させることで悪役の冷酷さや不気味さを増したり、悪役自身の人間不信を表現する手法もあって、*6これは『ゴールデン・サークル』の敵役ポピー(ジュリアン・ムーア)があやつるロボット犬のほうに顕れていますね。


 ともかく脚本術的にはキャラクターの掘り下げが目的とされるのですが、もうちょっとここでキングスマン』の固有性を考えてみましょう。
 
 まず、ハリーは「犬を撃たない」キャラクターです。
 第一作目の『キングスマン』ではエグジーが「育てた犬を撃つ最終試験」を課され、結局引き金をひくことができずに不合格となってしまいました。
 エグジーに目をかけていたハリーは試験を乗り越えられなかった不肖の弟子に怒鳴ります。
「きみの限界が試されたんだよ……キングスマンは誰かをまもるためなら生命(a life)を危険にさらすことも厭わない。きみの父上が命がけでわたしを救ったようにね」
 
 キングスマンとは大いなる目的のためなら多少の犠牲はやむをえない、ときには愛するものを見捨てる覚悟も必要とされる。そういうハードボイルドなスパイ組織なのです。
 ところが主人公エグジーは、そんな任務優先のキングスマンの価値観に対して真っ向から否をつきつけます。彼が愛犬を殺せなかったのは場当たり的な温情からではなくて、根っからの「切り捨てられない男」だからです。

 その性情は『ゴールデン・サークル』でより色濃くなります。
 麻薬組織の首領ポピーがばらまいたウィルスの特効薬の製造工場を特定すべく、その鍵を握る女性に色仕掛けで迫りGPS発信機を仕込もうとする場面を思い出しましょう。
 エグジーはノリノリなターゲットと性交に及ぶ直前でタンマをかけ、トイレへかけこんで恋人に電話します。「今から任務で別の女とセックスするけど、いい?」とりちぎに訊ねるのです。
 当然、恋人はマジギレ。結局、エグジーはターゲットと本番に及ぶことなく発信機を埋め込むことに成功します(性交だけに)。
 ここはあきらかにジェイムズ・ポンドのパロディなのですが、それよりも彼の割り切れない性格を表している一コマとして興味深い。
 「任務は任務」で誤魔化さずに一対一のプライヴェートな結びつきを優先するという点では、一作目の犬を撃たないシーンと連続しています。
 そんな彼だからこそ、麻薬中毒者たちを、そして喪ったはずのハリーを諦めきれないのです。
 マーリン(マーク・ストロング)は初めこそキングスマンとしてのハリーの復帰を望みます。が、無理だとわかると撤収しようとします。
 しかし、エグジーにはハリーとのより強い個人的な結びつきがある。任務だから、組織だから、以上の想いがあります。エグジーはまさにハリーの「個人的な関係」におけるトラウマを突くことで彼の記憶を取り戻すのです。

 記憶を取り戻すシーンでエグジーがハリーに銃を向けたのはとても重要です。


 なぜならこの瞬間、ハリーは犬になっている。


 ようは第一作目の構図の反復です。エグジーは銃把を握りしめつつも、愛犬JBを諦めきれなかった。『ゴールデン・サークル』では、愛する師匠であるハリーを諦めきれない。
 その「個人的な関係を切り捨てられない」己を貫くことで、エグジーは二作ともにおいて「犬」を救うことになるのです。*7JBは『ゴールデン・サークル』の序盤で死にますが。


犬色の彼方へ

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 そして、記憶の霧が晴れる場面こそが実は「なぜ、ハリーの愛犬はケアーン・テリアでなくてはならなかったのか?」にもつながってきます。


 映画史において最も有名なケアーン・テリアは誰でしょう?


オズの魔法使』(ヴィクター・フレミング監督)のトトです。


 トトは飼い主のドロシーと共に竜巻に巻き込まれて*8異世界のオズ王国でふしぎな旅に随伴することとなります。
 劇中におけるトトのハイライトは、ラスボスである「オズの魔法使い」と対決するクライマックスです。トトはある行動をとって、おそろしい魔法使いの真実のすがたを白日のもとに晒し、ハッピーエンドに貢献します。


 この偉大なるトトに連なるケアーン・テリア映画史の文脈では、ケアーン・テリアとは飼い主とともに夢の世界を旅する存在であり、「真の姿」を晴らす鍵なのです。まさに『ゴールデン・サークル』でのミスター・ピックルにぴったりの役回りではありませんか。彼がいなければ夢の国に住んでいたハリーが「元の世界」に戻ることはなかったのですから。


 犬による犬のための犬映画『キングスマン:ゴールデン・サークル』。戌年の開幕にふさわしい一本です。



[asin:B017SNHE8M:detail]
前作。


ホワイト・ドッグ~魔犬 [DVD]

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 戌年にふさわしい泣ける犬映画です。かわいいワンちゃんと人間との体当たりの友情を描いた感動作。オススメ。

*1:トリスタン

*2:結局それは空砲であったわけだけれど

*3:『犬が私たちをパートナーに選んだわけ』ジョン・ホーマンズ、訳・仲達志

*4:ホラー映画に多いですが、鮮烈な例をひとつあげるとしたら、ハネケの『ファニー・ゲーム』でしょうか

*5:親切なクムジャさん』な。

*6:去年の新作映画で特に印象的だった(『ノー・エスケープ』、『グリーン・ルーム』、『コクソン』)気がします

*7:ここでJB=パグが狩猟犬ではなく愛玩犬であることを思い出してもいいかもしれません。エグジーは機能ではなく、愛情を大事にするのです

*8:ちなみに竜巻ディザスター・ムービー『ツイスター』の竜巻が「ドロシー」と名付けられているレファレンスは有名ですが、この映画にもケアーン・テリアが出てきます

続編でやる反復芸:『パディントン』から『パディントン2』へ

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Paddington 2, 英、ポール・キング監督, 2018年)

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前回までのあらすじ


パディントン2』サイコ〜〜〜〜ッ!🐻



proxia.hateblo.jp
(『ズートピア』の反復についてはこちら)



(*以下、映画『パディントン』および『パディントン2』の盛大なネタバレです。ネタバレしかない。観てない人は今すぐ『パディントン』と『パディントン2』を観ましょう。ふたつ合わせて『バーフバリ』前後編の約七割くらいの時間で観られます)



パディントン、反復にこだわる。


映画『パディントン2』予告篇

 『パディントン』ならびに『パディントン2』はそれぞれ個別に完成された反復芸映画です。

 たとえば、『2』内部で完結するものだけでも、母親的存在に川から(手を握って)ひきあげられる、鳩、おばさんへの手紙、ブラウン家の人々(SL、水泳、ヨガ、新聞、昇進)、50ペンス硬貨、ご近所の人々(パディントンから朝ごはんをもらう自転車女、鍵をかけ忘れるインド系の男、新聞売りの女、新聞売りのオウム、自称自警団のカリー、孤独な大佐、ゴミ回収車の男、犬)、線路を走る汽車、マダムの絵本、おばさんとのロンドン観光、水、裁判長、マーマレード、留守中にかかってくる電話、窓に張り付くパディントン(身体で拭き掃除)、りんご飴、サーカスの看板の文句、折り畳みハシゴ、ザ・シャード(やたら高いビル)、アルバート橋、楽団、屋根裏の衣装室、白鳥、電話ボックス、法廷、大時計の歯車、洗濯場の山盛りになった洗濯物、面会室、ダクト越しの会話、「命中」(ブルズアイ)、ブキャナンのミュージカル、ブキャナンのマネージャーの会話録音、記憶力のわるいブキャナン(バードさんの名前を覚えられない)、「おれは他人を利用するだけだ」、演劇用のサーベル、おばさんに抱きしめてもらう、and etc と大小とりあわせた要素が複数回反復され、場面ごとにそれぞれ有機的に絡まり合って観客にマジカルな感覚をあたえてくれます。

 ポール・キング監督の演出術は間違いなく一級品。ただ機械的に繰り返すのではなく、どこで何の要素をどのように再提示するのか、そのあたりをよく計算しつくしている。ときには(映画のリアリティラインに準じて)わざとらしく、ときには誰にも気づかれないほどの自然さでするりと映画にすべりこませてきます。なので、単体で観賞してもとてもたのしい。


 ところが、ですよ。『パディントン2』の反復芸は104分の尺だけにおさまるものではありません。前作の『パディントン』との作品をまたいだ反復のダイナミクス、これこそがシリーズとしての『パディントン』をより魅力的にしたてているのです。

 もちろん『パディントン2』について語るべきことは他にいくらでもあるでしょう。寓話としての見事さ、言い訳しようもないほどウェス・アンダーソンじみた美術とシンメトリー、不穏さに満ちた社会情勢との呼応、英国という背景との関わり、キャラごとの成長処理のさばきかた、リアルとフィクションのあいだをゆらぐパディントンの質感のみごとさ、コメディとしての完成度、ヒュー・グラントのノリノリな演技!、あるいは家族とはなにか、友人とはなにか、希望とは。

 上記にあげた『2』単体の反復を逐一左見右見することだって可能です。ふいをつくようにあざやかな三度目の登場を果たす50ペンス硬貨と電話ボックス、冒頭とクライマックスで繰り返され作品テーマを刻印する川でのシークエンス、パディントンと悪役とのあいだで不穏にやりとりされる折りたたみハシゴ……。

 しかし、ここではとりあえず1→2間の反復だけに着目していきましょう。比較していきましょう。
 物語における反復にはほぼ必ず差異が含まれています。その差分によって「何か」を伝えること、それこそが映画における反復的な作劇の目的です。なので、目を向ける意味はある。特に、単体の作品内で見出される反復はまだしも、続編へとまたいで行われる反復にはほぼ必ず制作陣の意図が、偶然以上の意味がなにかしら込められているはずです。


『1』→『2』で反復されるアクション・要素一覧

 とりあえず、テーマ的および効果的に重要だと思われるところから。

1.ルーシーおばさんと抱きあうパディントン

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 『2』で誰もが感動するであろうラストカット:ルーシーおばさんとパディントンが抱き合う図。
 これ自体、『2』内部で反復されるものでもあります。すなわち、終盤手前でブラウン一家が刑務所の面会に来なかったことで孤独の涙にむせぶパディントンがペルーの森でのおばさんの幻影を見るシーンですね。
 しかし幻影としてのおばさんは、ブラウン一家に見捨てられた(と思い込んでいる)パディントンにとっては自慰的な逃避先でしかありません。だからこそ儚く、すぐに消えてしまい、残されたパディントンにむなしさだけを残します。
 では、なぜ独りになったパディントンは抱きしめてくれるおばさんを幻視してしまったでしょう?
 実は『1』にその前フリといいますか、具体的な伏線が張ってありました。

 『1』でパディントンがペルーの奥地からイギリスへやってくるきっかけになった出来事をおもいだしてみましょう。森で平和に暮らしていたパディントン一家を大地震が襲い、育ての父であるパストゥーゾおじさんが倒壊した大木の下敷きになって死んでしまう場面です。
 ここで、おじさんを亡くして悲嘆にくれるパディントンとルーシーおばさんが抱き合うカットがあります。

 強烈な既視感がありますね。そう、この構図はそのまま『2』のラストカットに反転された形で用いられるのです。
 キャラ心理を察するならば、『2』の刑務所でブラウン一家という「家族」を失ったパディントンが、おなじくおじさんという「家族」を失ったときにすがれる思い出こそ、「ルーシーおばさんの腕のぬくもり」だったのですね。このぬくもりこそ彼にとっての唯一確かな「家族」のあかしです。文脈ですね。
 また、ペルーの森の幻影を観るシーンも『1』にはあります。地理学協会から盗んできた探検家のモノクロフィルムを上映するシーンで、パディントンは探検家の目を通して色鮮やかな森の風景と幸福なパストゥーゾおじさんとルーシーおばさんを幻視するのです。

 ちなみに『2』のラストで抱き合うシーンと『1』での包容シーンとでは決定的に異なる点があります。おばさんとパディントンの位置関係が左右で逆転しているのです。『1』で抱えていた不安が『2』のラストで反転される、そう読み取ってもよいでしょう。
 『1』−『2』間でこうした喪失の反復と反転がなされるからこそ、『2』のラストで新しい家族とコミュニティへ古い家族であるルーシーおばさんを迎え入れることができたパディントンの感動と安心が観客にも共有されます。おじさんの死がようやくここで克服される、と言ってもいいでしょう。『1』であんなにも必死にもとめていた「Home」*1が完成したのです。


2.丸窓

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 窓は『パディントン』シリーズにおいてよく見られるオブジェクトであり、形態や使われ方も多様です。*2

 パッと目につくのは、パディントンの住むブラウン家の屋根裏にそなえつけられた丸窓でしょう。

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 初登場するのは『1』でパディントンがブラウン家にやってきたばかりのころ。うっかり家を水びだしにしてしまったパディントンは丸窓のそばで落ち込みつつ、ルーシーおばさんへの報告を独白します。外は彼の心情をあらわすように土砂降りの雨です。
 結露した丸窓に、パディントンはロンドンの街の輪郭をゆびでなぞり描きます。

 この丸窓のアップは『1』の事件解決後のラストでおばさんへの再度の「報告」と共にもう一度登場します。そのときは雪が降っているものの、窓にも一点の曇もありません。
 丸窓からズームアウトしていくカメラで『1』は終わるのですが、『2』では逆に丸窓へのズームインから始めることで*3、『1』から『2』へのひきづきをなめらかに行っています。
 そして、その曇った丸窓に Paddington 2 とパディントンがウキウキと描くことでタイトルとなり、物語がはじまるという心憎い演出がなされます。あえて、「結露した丸窓に指で何かを描く」という動作を反復させることで、『1』初期と『2』のブラウン家での扱いの違い、そしてパディントン自身の心境の変化を際立たせます。


3.打って出るお父さん

偉大な続編はしばし、前作のプロットや展開をなぞります。それもただなぞるのではなく、ちょっとした変化を加えて。

『1』のロンドン自然史博物館でむかえる終盤、それまでパディントンとの信頼関係において他の家族から一歩遅れていたブラウン家のお父さんヘンリー(ヒュー・ボネヴィル)が、囚われのパディントンを救出するために勇気を振り絞って、妻と子どもたちが見守るなか博物館の窓から外へ打って出るシーン。このアクションによってヘンリーは妻メアリー(サリー・ホーキンス)からの愛と信頼をとりもどします。
『2』でもヘンリーは事件の真犯人さがしに関する方針の違いから、メアリーとすれちがいます。しかし捜査を進めるうちにメアリーのほうが正しかったことを知ります。そして、クライマックスでパディントンたちの乗る列車を追いかけるSLで、やはり家族が見守る中、離れた場所にいるパディントンを救うために昇降口から身を乗り出して車外へ出るのです。

『1』で取り戻したのはメアリーからの愛でしたが、『2』で最終的にヘンリーが取り戻すのは自らに対する信頼です。冒頭の家族紹介のシーンで提示される「中年の危機」から自分自身を救い出すサブプロットが、『1』でのアクションを繰り返すことによって強化されるのですね。

 ヘンリー関連の反復要素で言えば、「演説」もハズせないところでしょう。『1』では悪役に対して、『2』ではカリーに対してパディントンへの愛と作品のメッセージを謳いあげます。基本的にはダメおやじなヘンリーですが、一家の家長としての見せ場はちゃんと用意されているのです。

4.落下するパディントンを上から救助する

『1』の自然史博物館で悪役のニコール・キッドマンに追い詰められたパディントンは、標本室の焼却炉パイプから逃走を図ります。が、煙突の出口まであと一歩というところで落下しかけてしまう。そこに駆けつけたブラウン一家が間一髪のところでパディントンの後肢を掴んで救助します。

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 離れ離れになりかけたブラウン家とパディントンが再会を果たす名場面です。どんぞこの暗闇から這い上がってきたパディントンをみんなで引き上げる。このアクションを通じて、家族としての絆がゆるぎないものとして決定づけられるわけですね。

『2』では、川底で電車に閉じ込められたパディントンをメアリーと刑務所仲間が助けに潜るシーン。作品単体では冒頭の「孤児だったパディントンを川から拾い上げるルーシーおばさんとパストゥーゾおじさん」の反復なわけですが、『1』から続く文脈も含意されています。
 『1』は移民かつ孤児であるパディントンが見知らぬ土地で家(Home)と家族に受け入れられる物語でした。対して『2』では「家と家族」からさらに拡張する形で「友人」や「コミュニティ」といったテーマが付け加えられています。そのアップデート具合が、そのままパディントン救助シーンに登場する人物たちの違いに顯れているのですね。


5.パイプから響く絶望

 リユニオンの前には一度信頼関係の崩壊があるわけで、『1』でも『2』でもパディントンは信を寄せていたブラウン家に裏切られる(とおもいこむ)展開が挿入されています。
 そのときに使われる小道具が音声を伝達するパイプです。
『1』では悪役にブラウン家を荒らされたのをヘンリーはパディントンのしわざだと勘違いし、「うそをつくようなクマは家にはおいておけない」と追い出すことをメアリーに主張します。
 夫婦の会話は寝室で行われているのですが、パディントンはそれを暖炉から屋根裏につながっているパイプを通して盗み聞きします。いったんは家族として受けいれられたという思いがあっただけにヘンリーのことばにショックを受け、家出を決意します。
 
『2』でもやはりブラウン家から見捨てられたと感じたときにパイプから声が聴こえてきます。場所は刑務所で、声の主は囚人仲間です。料理長ナックルズ(ブレンダン・グリーソン)をリーダーとする囚人たちは、パディントンに脱獄計画をもちかけます。
 ブラウン家が自分の無実を晴らしてくれると信じているパディントンはその誘いをはねつけますが、彼らは「どうせ無理だ」「家族もだんだん面会日に来てくれなくなる」と仔熊に呪いめいた観念を植えつけます。
 果たして、ブラウン家は翌日のパディントンとの面会に来ず、パディントンはふたたびパイプから聴こえてきた脱獄の誘いに乗ってしまうのです。


6.寝っ転がるパディントン

 絶望が極に達したとき、パディントンは横臥せに寝転がります。

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『1』では家出して公園のベンチで夜を越そうとしたときに、『2』ではブラウン家が面会にこないと知ったときに独房で。
 どちらの場面でもカメラは上空から見下ろしの引いたショットで悲壮なパディントンを捉えます。そのためよく似た構図になるのですね。
 前項にパイプとの相乗で、パディントンの孤独が印象づけられます。


7.洗うパディントン

 では逆にパディントンと他者との日常的なつながりはいかに表現されているのか。
 反復という観点でいけば、『1』でも『2』でもパディントンが他人と打ちとけるときにいつも「洗われて」るのは興味深いところです。

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 『1』ではブラウン家の子どもたちが風呂場でパディントンを洗う行為が最終的にはブラウン家に代々?引き継がれていた例の青い子ども用ダッフルコートの継承へと発展し、パディントンは家族にかぎりなく近い存在として認められます。*4*5

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 『2』では、窓拭きのアルバイトを志したパディントンがうっかり洗剤の入ったバケツを頭からかぶってしまったことをきっかけとして文字通り身体を張った窓拭き*6に挑戦。ご近所さんたちとの信頼関係をますます強めていき、ひとぎらいの大佐ともなかよくなります。*7

 『1』では洗われることで家族に受け入れられ『2』では洗うことでコミュニティへ受け入れられるのですね。

 濡れることがイニシエーションとして機能するのはさすが洗礼文化圏です。むやみに宗教的シンボルを濫用して読むのもどうかな、感とじなくはないですが、よそもの=異教徒であるパディントンがバブテスマを通じて英国に受けいられていくものと解くとこの場合はするりと入る。*8

 ちなみに『1』では、パディントンが探し求めていた探検家のモンゴメリーの家を発見するきっかけとなるのも「洗われ」です。ただ、こちらの水はタクシーがハネたみずたまりの水で、どことなく不吉さと悪意をはらんでいます。事実、そのあとパディントンは「偽りの家族」から大変な目にあわされるわけですが。


8.カリプソ楽団

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 『1』が公開時に音楽ジャーナリストの高橋芳朗氏が「劇中でカリプソを流しているのは移民問題を意識しているからではないか」という旨を指摘していました。

miyearnzzlabo.com


 この読みは正しい。監督のポール・キングはあくまで政治的な寓意についての言及こそ避けようとする人ですが、カリプソについては「五十年代に英国へ移民してきた人々によって創り上げられた音楽なんだ。西インド諸島とイギリスのすばらしい融合だ」と語ることでテーマをにおわせています。高橋氏の解説している歌詞の意味とあわせて考えると、パディントンが移民を象徴しているのはまちがいがありません。*9
パディントン自身はペルー出身なのでまあ西インド諸島と近いっちゃ近いだろ的な大英帝国的雑さが垣間見えるのはご愛嬌。

 さて、『1』でも『2』でも劇中では派手な衣装を着てくりかえしカリプソを演奏する一団が登場します。Tobago Crusoe と D Lime(サントラの名義では Tobago and d'Lime) というバンドです。

 要所要所で背景に出現する彼らの役割は、パディントンの心情を歌で表現することです。

 『1』ではパディントンが駅で拾われてブラウン家へ連れて行かれる途中で初登場。歌っている曲は「London is the Place for Me」。ロード・キチナーというカリプソの大家のカヴァーです。
 「俺もいろんな国を旅してきたけど、やっぱロンドンが最高だよ。人間はあったけえし、住み心地はいいし」というような内容で、高橋氏の言うとおり「ロンドン讃歌」です
 ロンドンの華やかさにワクワクするパディントンの心情をよく表していますね。
 
 2回目はブラウン家と役所へ向かうために地下鉄に乗る直前。「Gerrard Street」を演奏していますが、特に歌ってはいません。バンドの前を通りがかったパディントンは礼儀正しく帽子をとって彼らに挨拶します。

 3回目はパディントンが家出して大雨のふるロンドンをさまようシーン。「Blow Wind Blow」という曲で「ロンドンがこんなに冷たい街だったとは」というパディントンの失望を歌っています。

 そしてハッピーエンドを迎えるラストシーンで4回めの登場。「SAVITO」という曲で「ここでは色んな人種のひとたちと歌えてたのしいよ」と歌います。移民であったパディントンが心安らげる環境を獲得したことが陽気に表現されているのですね。


『2』では三度登場します。
 一回目はパディントンが窓拭きの仕事でサクセスしていくシーン。「ザ・シャード」と呼ばれるロンドンのスゴクタカイビルディングで窓掃除をしているパディントンのカーゴに同乗しています。
 そこで鳴らしているのは「Rub and Scrub」。タイトルのとおり「ドアやテーブルをブラシでごしごしこすってピカピカに磨こう」というお掃除ソング。パディントンの清掃活動にピッタリですね。
 いいえ、卑猥な意味合いは一切ありません。誰ですか、先生、おこりますよ。

 二度目は(記憶が若干怪しいのですがサントラによると)、刑務所にてパディントンがマーマレードサンドでナックルズと囚人たちを仲立ちし、みんなで毎日スイーツパーティを開くところ。
 曲は「Love Thy Neighbour(汝が隣人を愛せよ)」。もとはロアーリング・ライオンという1930年代から50年代にかけて活躍したカリプソ歌手のもの。
「隣人が困っていたら助けてあげよう。ご近所さんを愛せば、もっとたのしくてウキウキするような人生を過ごせるよ」という隣人愛を歌った内容で、隣人愛によって囚人たちを救ったパディントンにぴったりですね。
「『2』の作品テーマとして、今回は家族だけではなく、隣人や友人を描きますよ」とここで宣言されているのです。

 再登板は意外なところでエンディングクレジットシーン。刑務所に収監された悪役のブキャナン(ヒュー・グラント)が囚人たちとミュージカル*10を熱演する場面に出てきます。
 ここからエンディング曲でハリー・ベラフォンテの名曲カヴァー「Jumping the Line」へとつながっていくのですね。*11


9.警備員のバリーさん

 あと目立つところでは『2』で脚本もつとめたサイモン・ファーナビー演じる警備員のバリーでしょうか。彼はお約束の内輪ギャグみたいなものですね。

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 『1』では地理学協会の警備を担当しており、協会に潜入するために女装したヘンリーを見て「美人だ」と一目惚れします。
 その後転職したのか、『2』ではセントポール大聖堂の警備副主任代理として登場。尼僧に女装したブキャナンを目撃してやはり「あんな美女は見たことない」と一目惚れします。
 監督とファーナビーのインタビューによると、彼らは原作に名も無き警備員たちが登場するシーンの多さに眼をひかれ、バリーというコメディ・リリーフを創り上げたそうです。
 
 ファーナビーとキング監督はTVコメディ時代からの盟友で、キングの監督デビュー作「Bunny and the Bull」(09年、日本未公開)でもファーナビーは主演を務めています。
 ファーナビーとキングの作品史についてはここでは掘り下げません、というか掘り下げるだけの能力がないので誰か代わりに掘り下げてくれ。


10.「親愛なるルーシーおばさんへ」の報告

 保護者的な存在への手紙の形式をとって物語中の状況や主人公の心理を説明する手法は児童文学の定番ですが*12、映画版『パディントン』では「遠く離れた老熊ホームに住むルーシーおばさんへの手紙」という形式で節目節目の状況が整理されます。

『1』では、1回目:ブラウン家到着&下水崩壊直後の屋根裏で「これからやっていけるんだろうか」と不安を吐露する内容。
 2回目:地理学協会を攻略した直後に探検家のフィルムを観賞したことを報告するところ。ここではブラウン一家のキャラクターについても述べられていて、一家パディントンが接近していることもわかります。
 3回目:大団円を迎えるラストはルーシーおばさんへの語りかけから始まります。各キャラクターのその後が語られ、「メアリーさんは『ロンドンでは誰もが変わり者』と言います。つまり『誰もが溶け込める』ということです。ぼくもそれは正しいと思います。ぼくも変わり者だけど、ここは家みたいに居心地がいいです。人と違っていても大丈夫。なぜなら、ぼくはクマだから。クマのパディントンだから」というパディントン自身のまとめで映画ごとしめくくられます。

『2』では、1回目:冒頭でのブラウン一家の現況報告。ここでブラウン一家が物語中で見せる活躍のヒントがばらまかれます。
 2回目:刑務所に収監されたパディントンの報告。おばさんを心配させないために「ここはビクトリア朝時代からある由緒正しい建物で、セキュリティも万全です」と言い訳するところがウソのつけないパディントンのキャラをよく表していておかしいですね。
 そして『2』でも3回目は事件解決後のラスト……が今回はありません。そう、おばさんが直接ロンドンにあそびに来たからです。
 前作で確立したリズムをあえて崩して「手紙が必要ない状況」を作ることで、『1』と『2』の違いを際出せて、かつラストシーンのエモーションも高める。実に続編ならではの心憎いやり口です。


11.歯ブラシで耳掃除

 ここからは比較的些細な要素の雪かきになりますが。

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『1』で印象的だったギャグに「ブラウン家にきたばかりのパディントンが歯ブラシを耳掃除に使ってしまう」というエグい汚物ギャグありましたね。『2』でも冒頭部にそのシーンを持ってきています。
 ちなみに『1』では手動の歯ブラシだったのですが、『2』では電動にグレードアップ。前作で出てきたものがより豪華になって再登場するのは続編ものの鉄則です。


12.鳩

 『1』で予想外の反復的活躍を見せた鳩も『2』の冒頭に顔を見せています。タイトルが描かれる窓の屋根にとまっていますね。
 他にもマクガフィンとなる飛び出すロンドン名所絵本を想像上のルーシーおばさんとパディントンが巡るシーンでも出てきます。


13.パディントン

 『1』でパディントンがブラウン一家と邂逅した場所であると同時に、彼の名前の由来となったパディントン駅。
 前作ではいわば物語の出発点だったパディントン駅を、『2』ではクライマックスシーンへ進発するための「終わりのはじまりの場所」として再利用しました。
 この駅を通過することで、ブラウン一家パディントンはふたたびまとまり、さらには新しい友人を得るのです。

14.ブラウン家の壁画

 ブラウン家の螺旋階段の壁に描かれたピンクい木(桜?)の絵。背景の一部なのでこれを反復要素として数えるのに不安がないわけでもありませんが、やはり『2』のラストシーンを成す重要な一部分であるので。
 ブラウン家の気分が反映されるものであり、特に『1』では花が枯れたり咲いたりと忙しかったですね。

15.ぐるぐる巻きになるパディントン

『1』でニコール・キッドマンがブラウン家に侵入してきた際にパディントンは粘着テープでぐるぐる巻きになって身動きがとれなくなってしまいます。それが家出につながってしまう結果に。
『2』でもこのギャグは反復されています。床屋でアルバイトをするシーンですね。有線電話のコードでぐるぐる巻きになってしまい、またもや大惨事に見舞われます。
 どうやらパディントンはぐるぐる巻きにされるとろくな目にあわないようです。ぐるぐる巻きの時点でろくな目ではないのはともかく。

16.パディントンの吸盤アクション

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『1』にも『2』にもパディントンが日常的なアイテムを吸盤がわりに応用して壁や床にくっつきながら進む、というアクションがクライマックスに用意されています。
 使われるガジェットは、『1』では卓上掃除機。『2』ではりんご飴。どちらも序盤で周到な前フリがされているので伏線好きにはたまらないですね。
 ついでに言えば、『1』の卓上掃除機初登場シーンの「ハンディサイズの電動利器にふりまわされるパディントンの図」は、『2』でも床屋の髭剃りに繰り返されています。


17.ドールハウス風の建物断面図

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『1』ではブラウン一家の紹介に二度使われたドールハウス風の演出。ウェス・アンダーソンの『ムーンライズ・キングダム』をほうふつとさせるオシャレさですけれども、『2』でもこの手法は登場します。パディントンが刑務所を脱獄するシーンですね。
 単にかわいらしい雰囲気が出る、というだけではなくて、一画面内で離れた場所にいる人間たちのアクションをいっぺんに提示できたり、部屋をまたいだシークエンスをテンポよく見せられる合理的な手段でもあります。


18.犬

 『1』ではチワワが二度出てきます。『2』ではウルフィーと呼ばれるアイリッシュ・ウルフハウンドが序盤で矢継ぎ早に三度出てきて大活劇を繰り広げます。どちらも犬種があらわすとおり、英国外の原産。チワワはメキシコ(南米)で、アイリッシュ・ウルフハウンドはアイルランドですね。彼らもまた「イギリスに受けいれられたよそもの」なのです。
 喋るクマがものいわぬ犬に騎乗する絵面は愛らしくもリトル奇妙です。


19.蒸気機関車

 ポール・キング監督から前作から増額された予算の一部を、『2』での二台の蒸気機関車を駆使したトレイン・チェイスに回しました。古き佳きアメリカ映画を好む彼らしい*13選択です。
 『2』ではアクションに利用された蒸気機関車ですが、『1』では逆に静かな場面で文芸チックな場面に使われました。グルーバーさんの骨董品店をはじめて訪うくだりです。

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 グルーバーさんはパディントンとメアリーをもてなすためにミニチュアの蒸気機関車に紅茶を運ばせます。そして、自分の来歴を説明するのです。

「私も昔はこんな機関車にのってこの国に来たものさ。私の故郷はたくさんの戦争に巻き込まれてね。両親は私をヨーロッパの向こうへ送り出したのさ。今のきみ(パディントン)の歳とたいして変わらない時分の話だ」

「おうちは見つかりましたか」

「大叔母さんが迎えにきてくれてね。でも家というのは屋根のことだけを指すものじゃない。身体は先にこの国に着いたけれど、心が追いつくのには時間がかかった」


 グルーバーさんはもともとハンガリー*14です。ハンガリー第一次世界大戦後に革命や領国の独立などでグダグダ戦火を延焼させつつ第二次世界大戦へ突入した国ですので、たしかに「たくさんの戦争をやってい」ました。半分難民のような形でイギリスへ疎開へ出されたのでしょう。
 グルーバーさんの話を聞かされているあいだ、パディントンはミニチュアの機関車のなかにいる当時のグルーバーさんの姿を幻視します。少年時代のグルーバーさんは首に大きなタグをぶらさげ、心細さをおぼえつつも駅で親戚の姿をさがしていました。
 「大きなタグをぶらさげた子ども」の像はそのままパディントン駅にやってきたばかりのパディントンの姿と一致します。*15パディントンは同じ境遇を持って同じくににやってきたグルーバーさんにシンパシーをおぼえるのです。
 そもそも「大きなタグをぶらさげた子ども」のイメージは第二次世界大戦中にイギリス政府が行った学童疎開の光景に重ねられたものであるといえます。
 『パディントン』と同じ2014年に公開されたイギリス映画『イミテーション・ゲーム』ではちょうどその時期の疎開児童たちのすがたも映っていますね(下図参照)

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 戦時中の子どもたちはロンドンから田舎へと疎開してきたわけですが、それを反転させてパディントンを外国からロンドンへとやってきた子どもとして描写することで、英国民の記憶に「保護すべき無垢の存在」を呼び起こさせたのでしょう。



20.「にらみの目(ハード・ステアー)」

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 パディントンがルーシーおばさんから「無礼な人に対する」防衛手段として教えられた必殺技です。野生の荒々しさを解き放った眼でパディントンから睨めつけられると、相手はなぜか全身に発熱を感じます。
『1』では地理学協会のエレベーターに忍び込んだとき、ヘンリーに「探検家なんて実在するのか? 作り話じゃないのか?」と疑われたときに使用。
『2』ではおばさんを侮辱したナックルズに向けて使われました。

 ちなみに1976年に放送開始された人形アニメ版『パディントン』(邦題『パディントン・ベア』)では、第一話から使っています。タクシー運転手に乗車拒否されたためです。みなさんもクマに遭ったら失礼な態度をとらないように注意しましょう。


21.法廷

 『1』でも『2』でも事件解決後、悪役は法廷で裁かれて判決もちゃんと出ます。映画としてはなかなか珍しいですね。
 『1』のニコール・キッドマンは公共奉仕を言い渡され、大嫌いな動物園で働かされることに。
 『2』のブキャナンは実刑判決を受けて刑務所に収監されますが、そこでミュージカルプロジェクトを立ち上げてむしろシャバよりハッピーな日々をエンジョイします。
 明暗が分かれたのは、前者がパディントン殺害を企てたのに対して、後者は単なるこそ泥だったおかげでしょうか。
 『2』単体の反復としては、一回目で善き熊のパディントンが被告人席に立たされていたところを、二回目では悪役のブキャナンが被告人席に立たせることで、世界があるべき姿に戻ったことを示しています。
 
 他にも悪役ふたりの共通点としては、「パディントンと開けた水平な場所の直線上で対峙する」というのがありますね。『1』ではロンドン自然史博物館の屋根の上。『2』では汽車の上。


終わりに。

 偉大な続編はしばしば一作目のコンセプトやプロット、要素をなぞるものです(二回目)。
 しかし、ただなぞるだけでは縮小再生産になってしまいます。そうではなく、いかに反復や再利用で作品の幅を拡げていくのかなのです。『パディントン2』はそのもっとも幸福な成功例のひとつといえるでしょう。

 はじめにも述べたとおり、『パディントン2』が最高な理由は反復以外にも二百個ほどある(たとえばパディントンがかわいい、あるいはパディントンがすごくかわいい、もしくはパディントンがちょうかわいい、など)わけですが、ひとまずこの記事はここで打ち止めにしておきます。
 それではみなさん、よいクマを。🐻


クマのパディントン

クマのパディントン

ユリ熊嵐 (1) (バーズコミックス)

ユリ熊嵐 (1) (バーズコミックス)

*1:『1』で最も反復される語彙。この単語に注目して『1』を観るとおもしろいです。

*2:『1』においてはニコール・キッドマン演じる悪役にとっても窓が大事なファクターであったことを銘記しておくべきでしょう。彼女は子ども時代に学会から排除された父親のみじめな姿にショックを受け、自宅の窓から雨の篠突くロンドンを眺めながら世間に対する復讐を誓います。また、彼女はブラウン家に侵入して工作を行う際にも天窓を外すのです。彼女が窓としばし結び付けられるのは、悪役としてのキャラクターがパディントンの裏返し、いわば鏡像関係にあることとと無縁ではないでしょう

*3:精確にいえば『2』の最初のシークエンスはパディントンとおばさんおじさんの出会いですが

*4:帽子の赤とダッフルコートの青。英国人からクマへと譲られた衣装が意図するところは赤青白の英国旗(ユニオンジャック)でしょう。ここで注意したいのは、ダッフルコートを譲られた時点のパディントンはまだ完全にブラウン家の一員となったわけではないこと。メアリーはダッフルコートを羽織ったパディントンを見てこう言います。「まるで家族の一員みたいね(You are like one of our family.)」あくまで「みたい」なのであって、家族そのものではない、という距離感です。

*5:単に「濡れる」だけなら『1』でブラウン家に到着した直後にトイレを破壊してしまうシーンがあります

*6:ちょっと『SING』の洗車シーンっぽい

*7:大佐の家の窓を拭くことで、大佐のこころのくもりまでぬぐいとる、という演出は端的にすばらしいですね。「窓のくもりを拭く」アクションは映画冒頭の「屋根裏の窓のくもりを指でなぞる動作=窓の曇りを消すものとしてのパディントン」の反復でもあります。

*8:さらに牽強付会を行うならば。いわゆる死海文書では、洗礼とは最後の審判において神から投じられる滅殺の炎を回避するための儀式という位置づけがされていたそうです。『1』でも「火」に飲み込まれそうになったパディントンがブラウン家によって守護されるシーンがありますね。

*9:ただわたしたちは寓話の持つ対応については一対一ではなく、ある程度の弾力性をもって解釈せねばなりません。そうでないと寓話の自由な効用を知らず潰してしまいます。

*10:パンフレットによるとミュージカル「フォーリーズ」のナンバー「Listen to the rain on the roof」

*11:ビートルジュース』でウィノナ・ライダーが踊り狂っていたあの曲です。

*12:個人的にまっさきに例として思い出すのは『マイ・リトル・ポニー』の「背景、セレスティア様へ」ですが

*13:監督は本作を作るにあたってフランク・キャプラの『群衆』、『スミス都会へ行く』、『オペラハット』の三作を中心とした「善良な田舎の正直者が権謀術数うずまく都会で正直さをつらぬく」系の作品を参考にしたそうです

*14:グルーバーという姓自体は南ドイツやオーストリア系によくみられるもののようです

*15:原作から引き継がれた設定です

一月に出た新刊マンガでおもしろかったやつベスト10

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 年末にいちいち思い出してまとめるのは大変で、適宜、所感の記録をとっておいたほうがいいだろう、ということになった。
 書き上げたあとで作者名は頭ではなく、カッコ内に配したほうがよかったな、とおもってちょっぴりおちこみました。

とりあえずタイトルだけ確認したいときの目次

今月の十冊

1.コージィ城倉『チェイサー』(5巻、ビッグコミックス

csbs.shogakukan.co.jp

 ・この瞬間に『チェイサー』は「手塚治虫まんが」のテッペンを獲りました。
 ・とかく偽史制作は窮屈ですね。ガンバレガンバレ俺TUEEEが過ぎると鼻白むし、かといって行儀がよすぎてもノリきれない。
 その点『チェイサー』は「手塚治虫」という偉大な歴史に適度な間合いをずっと取り続けてきました。が、ここで大きく一歩踏みこんできた。つまり、オリキャラである漫画家を手塚治虫相手に(かなりの数の留保をつけつつも)「勝たせて」しまった。
 時は折しも『週刊少年ジャンプ』創刊〜『ブラックジャック』前夜。少年漫画家としての手塚治虫がどんどん打ち切りを食らい、「終わった漫画家」とみなされていた時代のこと。
 たしかにここで一度オリキャラに勝たせておいたほうが展開は盛り上がるし、『ジャンプ』を組み込まない手はないし、必然といえば必然の一手なんだけれども、ここで攻めきれる人もなかなかいないんじゃないんでしょうか。結果的にこれ以上ないベストなタイミングで、ベストな仕掛けが発動できたのだとおもいます。コージィ先生を信じていてよかった。
 この五巻ラストページのヒキのために『チェイサー』という漫画が存在しているのだと言っても過言ではない。


2.panpanya『二匹目の金魚』(短編集、楽園コミックス

二匹目の金魚

二匹目の金魚

www.hakusensha.co.jp

 ・マジックかリアリズムかのスペクトラムでいうなら、panpanya先生の初期作はマジックの風景にリアリズムが散在しているかんじだったと思うんですが、近作はリアリズムに穴をうがってマジックをのぞき見ている感覚があります。
 本短編集ではそこからさらに発展して、いや、改めて怪しい非日常的な世界を創り上げなくたって、今われわれのいるこの日常にいくらでもファンタジーの種はあるんだ、と訴えてきます。
 日常に潜んで黄金色に輝く死角を狩る作家を、わたしたちはエッセイストと呼び習わします。本作で言うなら「今年を振り返って」や「知恵」、「小物入れの世界」といったところがどこに出してもするりと通る、いい意味でエッセイっぽい作品です。
 それでいて、わたしたちが夢見たころの panpanya先生がそのままの姿でそこにいる安心もうしなわれてはいません。なぜでしょうね。おそらく、先生が日常の死角を収穫するだけではなくて、日常と日常のすきまにある暗黒空間を非日常的な想像力で埋めて現実として均していく、そんな営みをおこなっているからではないでしょうか。

・一巻に一話は謎プロレタリア文学回をはさむくせは健在なものの、いちばんマス受けしやすいかんじに仕上がった本作。そしてこのタイミングでの既刊 kindle化。これはもう、売れということですね。panpanya先生は百万部売れる作家だし白泉社としても強力に売り込んでいくという意思表示ですよね? そうですよね?

・今回も傑作ぞろいです。特に個人的なお気に入りは謎どうぶつペットブームが起きる「シンプルアニマル」、かくれんぼに関する考察「かくれんぼの心得」、一つの街の驚異的な発展の歴史がすさまじい時間感覚で捉えられた「開発」の三点あたりでしょうか。


3.町田翠『ようことよしなに』(2巻、ビッグコミックス

ようことよしなに 2 (ビッグコミックス)

ようことよしなに 2 (ビッグコミックス)

comics.shogakukan.co.jp

 自由奔放だけれど決して無神経ではない女と引っ込み思案で色々考えすぎてしまう女との関係性のビルドアンドスクラップ実験が快楽的に継続されており、このまま永遠でいてほしい。


4.コナリミサト『凪のお暇』(3巻、A. L. C. DX)

凪のお暇 3 (A.L.C. DX)

凪のお暇 3 (A.L.C. DX)

tap.akitashoten.co.jp

 ・あいかわらずの凪さん地獄めぐり。物語世界にガンガン奥行きが出ている。
 ・ふたりで同一の光景を眺めているのに捉え方や出てくるセリフがまったく異なって、それが二者の人生に裏打ちされた価値観から発しているもので、しかもそれを通じたコミュニケーションで決定的に齟齬が起きてしまう、っていうのはいいですよね、百点。
 ・モラハラ男から逃れて、自分にやさしくしてくれる新しい男を見つけたとおもったらそいつが無自覚な快楽主義的八方美人だったと判明し、やはり自分が大切にされている肯定感が得られずどんどん病んでいく、ってのもすばらしいですよね、百億兆点。


5.近藤聡乃『ニューヨークで考え中』(2巻、亜紀書房

ニューヨークで考え中(2)

ニューヨークで考え中(2)

ニューヨークで考え中 - もうすぐ十年 | ウェブマガジン「あき地」

 ・一貫してる作家なんていくらでもいるんだけど、近藤聡乃先生の一貫性はカーボンファイバーなみで、それが二ページエッセイの連載でさえ美しいリズム感として発揮されておる。
 ・「クリスマスイブに地下鉄で号泣している女の人を見てなんとなくいいなあと思ってしまう近藤先生」を見てなんとなくいいなあと思ってしまう読者。感情のシェアですよ。


6.仲川麻子『飼育少女』(1巻、モーニングコミックス

babymofu.tokyo

・高校の実験室で科学教師と女子高生がヒドラやナマコやイソギンチャクといった地味ないきものたちを飼育するギャグ漫画。派遣OL日常マンガと思わせといてからのまさかの虫マニアマンガだった、という叙述トリックで衝撃の一巻打ち切りを食らった『ハケンの麻生さん』仲川先生起死回生の快作。適材適所という言葉が浮かびます。
 ・『麻生さん』とは売って変わり、キャラの表情のつくりかたやギャグの打ち方から強い濃度の沙村広明臭を感じます。別にサブカルネタとか、憂いを帯びた顔のクールな殺人マシン女とか、憂いを帯びた顔のクールな殺人マシンスラヴ系女とかは出てこないんですけれど、文体としてとても近いものを感じる。違っていたらすいません。
 ・飼育ネタのマンガであんまり笑った経験はないんですけれど、これはウケた。


7.谷口菜津子『彼女は宇宙一』(短編集、ビームコミックス

comic.pixiv.net

 ・一月はサブカルマンガの月と決まっていて、去年も『魔術師A』や『春と盆暗』といったサブカルクソ野郎大好きオブザイヤー級のサブカルマンガが連発されていたわけですけれど、今年もサブカルクソ野郎大好きマンガを占う上で基準となるマンガが出ました。ヴィレヴァン山積みにしてくれ頼むッ!(頼む前から山積みにされてる)
 ・ポップな絵柄でキャラの希望(というか愛)をへし折る嗜虐的な作風……とおもわせといてギリギリで救いを残すところに良心があります。その救いがおためごかしではなくて、たしかに明日につながりそうな愛とは別種の未来をかかげてくれているのが今日的ですね。サディスティックになりすぎず、セラピーにも傾きすぎない、このバランス感覚は貴重。


8.仲谷鳰やがて君になる』(5巻、電撃コミックスNEXT)

daioh.dengeki.com

 ・これは七海先輩が一個の人格を持った人間になるまでのお話だったんだなあ、だから対等な恋愛関係がこれまで結べなかったんだなあ、といよいよ明らかになる。
 人間でなかったものが人間になる話によわいです。


9.山田芳裕へうげもの』(25巻、モーニングコミックス

morning.moae.jp

 ・マジで古田織部切腹まで描き切りやがったよ……。第一話の伏線回収までこなしがった……。
 ・後半から登場人物全員が宗匠に堕ちていくハーレムマンガというラインで考えると当然最後は最難関ヒロインの攻略&トゥルーヒロインの決定ということになるはずで、果たしてそうなりました。
 ・あらゆる誘惑に抗って、最終話で「出さない」選択をできたのはやはりこれだけのマンガを描いた漫画家であるなあと。
 ・まちがいなく人生の一作です。ありがとう宗匠、フォーエバー山田芳裕


10.猪ノ谷言葉『ランウェイで笑って』(3巻、週刊少年マガジンミックス

kc.kodansha.co.jp

 ・まちがいなく今一番「走ってる」連載作のひとつ。
 ・来ました新しい天才キャラ。ファション業界の分業制と育人の未熟さもあって、ライバルや壁といった役割ではないんですが、そういうこととは別のパースペクティブから攻めてくるのでほんとうに飽きない。単に題材が新鮮なだけではあたらしいマンガが産まれるとはかぎらないわけですが、『ランウェイ』はちゃんと展開もフレッシュに持っていこうという気概がある。力がある。引力が……。




その他おもしろかった新刊マンガ

 単純におもしろかったやつというより、回顧するとき用のメモとして残しておきたいタイトルですかね。

水上悟志『放浪世界 水上悟志短編集』(短編集、コミックガーデン

・まあーーーーーーーーーーー、「虚無をゆく」ですよね。少年が宇宙でロボットで戦う。なにはともあれ。なにはなくとも姉がある。
・『アフタヌーン』最新号(17年3月号)の「もう、しませんから。」で石黒正数先生が「姉マンガ革命を起こしたい」旨を強く主張なされていましたが、水上先生もまた運動を牽引する立場におられるのではないでしょうか。ぜひ二人で姉革命を起こして、強力な二頭独裁体制を敷いてほしい。そしてお互いの姉革命観や姉ドクトリンの相違によってケンカ別れしてほしい。レーニンとトロツキーのように。

水上悟志『二本松兄妹と木造渓谷の冒険』(単発長編、ヤングキングミックス

・ものすごい勢いではじまってものすごい勢いで終わる、嵐か通り魔のような犯行ですが、まあ騙されたとおもって刺されてみると案外良かった。
・少ない手数でキャラをビンビンに立たせることに関しては水上先生は達人です。


ハトポポコ『みなくず with 男子校系男子』(連作短編集、電撃コミックスEX)

・クズを描かせたら世界一のハトポポコ先生がもし登場人物全員クズのマンガの描いたらどうなる? という夢のような企画。
・「男子校系男子」のほうは読み始めでは「いらねえな」と舌打ちしていたのですが良い姉が出てきたので優勝です。姉マンガ・オブ・ザ・マンス。


いけだたかし『時計じかけの姉』(2巻、バーズコミックス

 ・色んな意味でひどい話であるのに、どこか温かいのは、倫理も道徳も家族も性欲も人間も何もかも壊れてしまったあとで、それらをギリギリで支えようとするひとたちを描けているからなのでしょう。次で最終巻らしいです。いくらも続く話じゃないとわかっていても、かなしい。


『星色ガールドロップ コミックアンソロジー』(アンソロジー、バンブーコミックス

星色ガールドロップコミックアンソロジー (バンブーコミックス WINセレクション)

星色ガールドロップコミックアンソロジー (バンブーコミックス WINセレクション)

 ・メンツの豪華さだけでいったら書房が建つレベル。なのですが。
 ・500年後の人類のために説明しておくと、『星色ガールドロップ』っていうのは『ポプテピピック』という四コマギャグ漫画の……もういい、わたしは酒のんで寝る!!!!
 ・要するに必要最低限以下の設定だけを渡された作家たちが、各人が想像するかぎりにおいての『星色ガールドロップ』を創造する話で、それはいわば麻雀のルールを知らないやつに麻雀牌だけ渡して麻雀をやれと命令するような蛮行であり、もちろん成立するわけないのですが、不揃いな手配を四人でなんとなくツモっている様子を外から眺めていると、絵ヅラ的にはギリギリ成立しているかのような不思議があります。
 ・マジで作家間のコンセンサスがとれてない。絶望的にすれちがいまくっている。たぶん打ち合わせとか何もなかったんでしょう。
 そこらへん顕著にあらわれているのが、キャラクターごとの口調で、ある作家はAというキャラを丁寧語で喋られているかと思えば、別の作家はAを関西弁で喋らせている。幸いなことにマンガは外見である程度キャラづけを規定される表現であるため、メインキャラ三人のポジションは意外とそこまで齟齬が生じないのですが、むしろそこだけ収まりがいいのがきもちわるさを増幅させている。そう考えると、オリキャラを主軸に据えた今井哲也先生なんかは最もクレバーな選択をしたのかも。
 ・大川ぶくぶ先生御本人も参加されているのですが、ここまで御本人登場感が薄い人もいないだろうといいますか、「他作家作品のアンソロに参加してるときのぶくぶ先生」っぽさのが勝っていて、混乱に拍車をかけている。


武富智『ロマンスの騎士』(1巻、スポーツもの、裏サンデーミックス

・近世のヨーロッパ騎士が現代の少年の身体に転生してフェンシングをやる……というあらすじを聞いて「逆『ビロードの悪魔』かよ」と興味を惹かれましたが、読んでみると真っ当にアツい青春スポーツもの。フェンシングのスタイリッシュな絵面と武富智先生の躍動感あふれる画作りが幸福にマッチしています。


交田稜『ブランク・アーカイヴス』(1巻、アフタヌーンミックス

ブランクアーカイヴズ(1) (アフタヌーンKC)

ブランクアーカイヴズ(1) (アフタヌーンKC)

・「認知拡張症候群」という奇病によって脳の機能を「拡張」されてしまった人々(他人から視認されなくなったり、他人の思考を読むことができたり、他人に強制的に幻覚を見せることができたり)のゴタゴタを解決していく……ぶっちゃけていえば異能ミステリですね。
・(認知拡張症候群ゆえに)社会から排除されてしまった人々をどう救うのか、といった話を軸に展開していく様子。まだ序盤ということもあるのでしょうが、あるエピソードでこの事件解決したからこの話はもうおしまい、ではなく有機的に個々のエピソードや人物を絡ませていく意欲が伺えます。
・交田先生は『ビブリア古書堂の事件手帖』のコミカライズをしていた人ですね。オリジナルは初かな。
・『good! アフタヌーン』からのSF新連載では『バタフライ・ストレージ』も出ましたね。作者の欲望がストレートに反映されているところは好みです。


大谷アキラ、原案・夏原武、脚本/水野光博『正直不動産』(1巻、ビッグコミックス

・本自体は去年出ましたが、Kindle版は今月。
・ありがたい祠を蹴り飛ばしたたたりで本音しか喋られなくなった凄腕不動産営業マン(ヤなやつ)が逆に本音しか言えないことを武器にしてなんとか業界で生き残っていこうと頑張るお話。
・こういう設定が成り立つということは、不動産業界でそれだけ「不正直」がまかり通っていることの裏返しでもあって*1、そういう「意外と知らない豆知識」を拾っていくだけでも知的好奇心が満たされます。
 悪徳不動産業者のケーススタディを紹介するまんが、といえばそれまでなところもありますが。


五宝『MIA 雲上のネバーランド』(単発長編、ジャンプ・コミックス

MIA 雲上のネバーランド (ジャンプコミックス)

MIA 雲上のネバーランド (ジャンプコミックス)

・たまにジャンプ・コミックスがどこからから拾ってくる海外コミック翻訳もの。今回の出処は中国だそう。よいものです。



原作・村田真哉、作画・柳井伸彦『ヒメノスピア』(1巻、ヒーローズコミックス

ヒメノスピア 1(ヒーローズコミックス)

ヒメノスピア 1(ヒーローズコミックス)

 ・最近、過剰に酷使されすぎな感がある村田真哉先生。以前から続いているキリングバイツはともかくも、村田版山風忍法帖『蝶撫の忍』まで始まったし……過労が心配です。
 ・『蝶撫』がいつもの生物(昆虫)ネタバトルで展開的にもマンネリ感を免れていない一方で、「女王蜂」となったぼっち女子高生がどんどん他人を洗脳してユートピアを作り上げる『ヒメノスピア』は好感触。わりと重たい過去設定をキャラにつけたがるわりに現在軸でさほど活かされる印象のなかった村田作品にあって、ヤバい状況に陥りつつあると認識していながら「他人とつながりたい」という欲望に負けてドライブしていく元いじめられっ子の悪堕ちオブセッションは際立っています。
 ・生物学バトルといえば『楽園の神娘』という植物系のやつも出ましたけれど、こっちはどうなるか。


ステファン・セジク『サンストーン』(1巻、G-NOVELS)

サンストーン vol.1

サンストーン vol.1


・マジでホットなレズビアンがボンテージセックスするだけの話です。
・「だけ」は言いすぎですね。顔はいいが何かと考え詰めすぎるせいで繊細なコミュニケーションの要求される場になると一人相撲にあたふたしてしまう女ふたりがボンテージセックスを通じて真の和合へと至るゼンの教えです。


川浪いずみ『籠の少女は恋をする』(1巻、電撃コミックスNEXT)

 ・可憐で品格のある優秀な少女たちの集うお嬢様学校――そこは富裕層の男に「買われて」引き取られていくことが「卒業」である、という残酷なシステムに支配された地獄だった。そんな地獄で少女たち百合をやる話。愛されることについての物語です。
・主人公こそまっすぐでピュアなんですけど、それ以外のキャラがだいたい性根腐っていて、その腐り具合がちょうどいいかんじです。愛で人を食い物にするクズが出てくるマンガは大概良いものです。


田村由美『ミステリという勿れ』(1巻、フラワーコミックスアルファ)

・クソムカつく面構えのクソムカつく大学生がクソムカつく口調でクソムカつくトークをかましつつ、なんとなく周囲の人を巻き込んでミステリ的にいいかんじの話へと落ち着かせるマンガです。
・読者のなんとなく想定している「なんとなくのプロット」を適度に外しつつ、でも最終的に物語としてちゃんとまとめてくるあたり、構成力は万民の光であり貴様を黙らせる暴力〜〜〜〜〜〜〜〜〜というかんじがしてよいです。

・ミステリと言えば『金田一少年の事件簿』の樹林伸先生が原作を務めた島耕作の事件簿』なんてのもありましたが、あれも変な意味ですごかった。
 島耕作がいつも通り女をこましたベッドでめざめると、その女が死んでいる。このまま警察に通報したら確実に捕まる! と判断した島はなんと自ら捜査に乗り出すことに。当然、会社には出勤できません。そこでどうするかといえば、上司に直接電話をかけて洗いざらい状況を白状するのです。普通の会社ならふざけんなぼけで即通報ですが、さずが天下の初芝は違います。上司は通報どころか「事情はわかった!行って来い!」と島を励まし欠勤を認めるのです。社員的にはホワイトですが、世間的には反社会的という意味でブラックですね……。


人生負組『ぼくらのペットフレンズ』(1巻、電撃コミックスEX)

 ・また電撃コミックスは人権が終わった世界のマンガを出す……。
 ・人権が始まるマンガを読みたいなら村山慶先生の新連載『荒野の花嫁』を読みましょう。


徳弘正也『もっこり半兵衛』(1巻、ヤングジャンプミックス

 ・余裕のあるコマ割りをとりつつもきっちり単話ごとにいいかんじに話をまとめてくる器量は週刊少年マンガ家のあるべき最終形態という感じがします。


菅野文『薔薇王の葬列』(9巻、プリンセス・コミックス

 ・ついにジョージが死ぬあたり(『リチャード三世』は一般常識であるのでネタバレではない)。いきなり王様ゲームがはじまったときはどうしようかとおもった。
 ・『リチャード三世』本編突入以後はもう文先生に眼球をゆだねるだけでハッピーが約束されていますよね。

涼川りんあそびあそばせ』(5巻、ヤングアニマルミックス

 ・アニメ化おめでとうございます。やはり今巻はFPS対戦ゲーム回でしょう。あと弟回と先生のタイムカプセル回。


五十嵐大介『ディザインズ』(3巻、アフタヌーンミックス

 ・読むドラッグ。
 ・ゆうきまさみ先生のでぃす×こみ最終巻(3巻)にもこっそり五十嵐大介先生塗り回がありましたね。


河部真道『バンデット』(6巻、完結、モーニングコミックス

バンデット(6) (モーニングコミックス)

バンデット(6) (モーニングコミックス)

 ・『太平記』で扱う年代(鎌倉幕府末期から南北朝時代まで)を題材にしたマンガってわりあい希少価値あったとおもうんですけれど、魅力的な伏線をばらまくだけばらまいて終わってしまいました。
 ・歴史マンガの必須条件である「フレッシュで魅力的なキャラクター解釈」、「その時代特有のエグい倫理や価値観」、「群像劇におけるキャラ転がしの巧さ」、「迫力あるチャンバラ・合戦シーン」はどれも高水準でクリアしてたはずですが、いかんせん「扱ってる時代がマイナーすぎる」の枷には打ち勝てなかったか。『応仁の乱』がブームになるなら南北朝もいけるでしょ、楠木正成だぜこっちは、楽勝楽勝……とはいきませんでした。
 ・そういえば、ゆうきまさみ先生の新作は応仁の乱を舞台にしたお話だそうで、やっぱりベテランはどこかで時代劇を描きたくなるものかしら。


美代マチ子『ぶっきんぐ!!』(1巻、裏少年サンデーコミックス

ぶっきんぐ!! 1 (裏少年サンデーコミックス)

ぶっきんぐ!! 1 (裏少年サンデーコミックス)

 ・書店員ものってわるい意味でブッキッシュな作品が多い印象があるんですけれど、『ぶっきんぐ!!』はちゃんと「書店員の話」をしてくれるので好印象です。とはいっても変に業務についての細部を羅列するわけでもなくて、ちゃんと作劇のパースを取りつつ書店員の世界観で話を進行させていくかんじ。
・時代設定が絶妙ですよね。2006年。電子書籍以前で、amazonなどに押されつつもぎりぎり個人書店文化が残っていた時期。その時代に対するノスタルジーが発端となったようですが、その思いをどこまで理性的にコントロールできるかで今後の展開もまた変わってくるのかも。


宮永麻也『ニコラのおゆるり魔界紀行』(1巻、ハルタミックス

 ・獣人や魔法の存在する魔界に迷い込んだ少女とその道連れというか保護者的な立場の悪魔のロードストーリー。一話一話マァー丁寧です。

平川哲弘『ヒマワリ』(1巻、チャンピオンコミックス

・田舎の男子高校生がアイドルを目指すマンガ。
・なんですけど、描いてるのが『クローバー』や『クローズZEROII』の平川哲弘先生なんですよね。タッチがやはり不良マンガのそれというか、一巻までの話作りは手堅いんですが、ちょっと追ってみたくなるような、あたらしい予感をおぼえさせてくれます。


漫☆画太郎『星の☆王子さま』(1巻、ジャンプ・コミックス

星の王子さま 1 (ジャンプコミックス)

星の王子さま 1 (ジャンプコミックス)

・最悪なことに、ちゃんと『星の王子さま』をやってしまっている。

*1:法律のからんだ業界なんてどこもそうだと思いますが

一月の新作映画でおもしろかったやつ

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パディントン2』(ポール・キング監督、英)☆


映画『パディントン2』予告篇


 喋るクマ映画パート2.孤児が新しい家族に受け入れられるまでが1で、次いでご近所さんや友人といった共同体に受け入れられるまでが2。そういうストーリーを画で見せてくれるからすばらしい。
 脚本も伏線芸もパディントンのかわいさも前作からパワーアップしていて、これだけ続編であることに意義のある続編は最近ではめずらしい。

proxia.hateblo.jp



嘘八百』(武正晴監督、日)☆


映画『嘘八百』予告編 2018年1月5日(金)公開

 零細骨董商と詐欺作陶家がチームを組んで悪徳骨董商を退治する大阪版『スティング』。中井貴一佐々木蔵之介の連れ立って歩く後ろ姿ふたつ、これに尽きる。最高のブロマンス。


キングスマン:ゴールデン・サークル』(マシュー・ヴォーン監督、英)


映画「キングスマン:ゴールデン・サークル」予告B

 イギリス紳士スパイ&スウェーデン国辱映画パート2。エンタメという方面ではむしろわかりやすく悪趣味でビザールだった前作に対して、いよいよわけのわからないような逆にわかるようなやっぱりわからない方面に振り切れてしまっている。マシュー・ヴォーンはどこへ向かうのか。
 とりあえず、『ローガン・ラッキー』につづいて、「キャラが『カントリーロード』を唐突にうたいだす映画は名作」の法則が完成されつつある。

proxia.hateblo.jp


『バーフバリ 王の凱旋』(S・S・ラージャマウリ監督、インド)


「バーフバリ 王の凱旋」予告編


 インドすごい映画の後編。みんな大好きなケレン味といい、「渡し」の構図の反復といい、映画の妙味にあふれた映画です。隣国のダメ王子が父バーフバリさんの薫陶を受けて一人前の男として成長するシーンはフツーに泣きそうになりました。ターメリックをかければゾウがおとなしくなるってほんとうなんでしょうか。


デトロイト』(キャスリン・ビグロー監督、米)


『デトロイト』予告編/シネマトクラス


 デトロイト暴動下で起こった警官による黒人虐殺事件を扱ったドキュメンタリー。違法酒場検挙のときのちょっとした不手際が発火点となってついに街一つを破壊し尽くす大暴動へと発展してしまったように、誰もが最初から完全な悪人だったわけじゃなくて、ちょっとしたボタンの掛け違いからズルズル自身の抱えていた底なしの闇に呑まれていってしまう。冒頭のナレーションであったように「あとはいつ爆発するかの問題でしかなかった」としても、やはり「なぜそこで」「この人たちが」という問いは常についてまわるわけで、そこに悲劇を撮る意味が生じる。
 悪役である警官三人組(『おバカンス家族』のニセ息子役ウィル・ポールターに、『シング・ストリート』のお兄ちゃん役ジャック・レイナー、『ハクソー・リッジ』のジェソップ伍長役ベン・オトゥール)にボンクラフェイスを揃えてきたのは大正解で、実在する悲劇や悪というのはそんなにシャープでかっこよいものではなく、ひたすらグダグダなのだな、とおもいます。


女の一生』(ステファヌ・ブリゼ監督、仏)


映画『女の一生』予告編


 ひたすら女がひどい目にあう話。数十年スパンの物語を四季のうつろいに凝縮して語る手法で湯浅版『夜は短し歩けよ乙女』をおもいだしたりなんかもした。スタンダードサイズでのドキュメンタリックな撮影は人物のナチュラルさを観客に意識させるのだけれど、光の具合で主人公の状態を表現するあたりは巧まれた繊細さ。
 原作との違いでいえば、放蕩息子の少年時代があきらかにADHDとかそのへんの現代的な不登校児をイメージされている*1ところで、ここに母親の過剰な保護感情が反映されるといかにも今日的なダメな親子関係といったおもむきで、静謐なみてくれに反して古典をリバイバルしてやろうというブリゼ監督の野心が見え隠れする。

 ところで原作でも野村芳太郎版でも本作でもラストは「奥様、人生ってあなたが思ってるよりも良いものでも悪いものでもないのかもしれませんねえ」という元召使のなんだか普遍っぽいセリフで〆られるんだけれども、フツーにこの人の人生は一般的な基準から鑑みても最悪だとおもいます。


猫が教えてくれたこと』(ジェイダ・トルン監督、米)


全米で1館→130館の大ヒット!『猫が教えてくれたこと』予告編

 イスタンブールに住む野良ネコたちを追うドキュメンタリー。開発に伴って都市の相貌が変化するにつれてネコたちもまた変わりつつあるみたいな問題意識が設定されてはいるんだけど、まあ実際そんなことはどだいどうでもよくて、ネコがネコやってる姿をひたすら眺める映画です。

*1:大人になって会社潰すくだりで「会社が火災で燃えて破産しました」と報告したときは「未来の国からはるばると」ののび太くんかよ……とおもった

地獄でなぜ悪い ーー『魔女の子供はやってこない』を読むための六夜(4)

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第四話「魔法少女粉と煙」
 

 

ハロウィンの季節 ーー『魔女の子供はやってこない』を読むための六夜(3) - 名馬であれば馬のうちのつづき。

 

 矢部嵩twitterアカウント名は「konakemuri」といいます。粉と煙。まさに第四話の主要モチーフです。

 

地獄でなぜ悪い

地獄でなぜ悪い

 

 出だし*1はこんな感じ。

 

 春の小虫が付いたのに気付き、掛けていた眼鏡を私は外しました。
 眼鏡を外すと視界は霞み、刺繍の裏地で出来た世界みたいでした。

 

「刺繍の裏地で出来た世界」は、眼鏡外しを含めて、もちろん第一話の「文字のない世界」に呼応しています。今回は皮の裏側から世界を眺める話である、と直接的に表現しているのです。
 今回で初めて自主的な依頼人が現れます。鍔広の帽子とお面で顔を隠した中年女性、タヒチさんです。
 タヒチさんには亡くなった姉妹がいて、その息子であるビルマくんがある難病にかかっている。なるべく速やかに手術を受けない病状なのだけれども、ビルマくん本人が頑として手術を拒んでいる。甥が手術をいやがる理由を究明し、なんとか説得してやってくれないだろうかーー。との次第。
 ぬりえちゃんはビルマくん説得のために、ビルマくんの亡母をひきずりだすことにします。といっても生き返らせるのではなく、本人そっくりのきぐるみを作って夏子に母親を演じさせようというのです。ちなみに着ぐるみはちぎり絵式で作ります。ここにも絵画のイメージですね。
 かくして夏子 in ビルマくんのお母さんはビルマくんのお母さんとして病院へ向かいます。病室に入るとそこは粉の霧が舞う世界。ビルマくんの患った難病とは、ひどいかゆみなのでした。粉とは彼が掻いた皮膚の落屑、煙とはその滓が舞い上がる様を指します。

 他人の皮をかぶった夏子と自分の皮を掻きまくった結果エレファントマンじみてしまったビルマくんとの対峙は、それだけでエキサイティングな光景です。ビルマくんは常識人ですから、いくら本物と見分けがつかない外見をしていてもお母さんがそこに実在しているわけがないと疑います。しかし同時に失った母を想う息子でもありますから、疑いつつもそうであってくれという希望にひっぱられていく。このあたりのプログレッシブな機微のうつろいは非常に洗練されています。
 信じたいビルマくんは夏子をテストにかけます。親戚の名前、ビルマくんの好きなこと嫌いなこと、往事のこまごまとしたエピソード、身体的特徴。外見だけではなく内面の連続性も証明することで、目の前に表れたお母さんが「本物」であると示そうとするのです。
 ここで以前誰かが言った「スワンプマン」ということばが思い出されます。「スワンプマン」がなんであるかは各自で適宜 wikipediaか何かを参照してください。問題は「誰が」スワンプマンと言ったのか。
 ずん田くんです。第一話です。亡くなったお母さんを生き返らせたかった彼は魔女に対してこんな質問をぶつけます。

 

「生き返ったそれはどれくらい小倉なんですか。家族が見ても小倉に見える?」「完璧同じにするよ」「それは不可能でしょうどんだけ同じでも似せて作れば偽物ですよ」「例えばお金なら見て触って機械で読めてあらゆるシチュエーションで流通相成れば本物として使えるでしょ。これ本物だオッケーという基準があってそれを通れば本物でしょ」「がわが一緒でも精神と歴史はどうなるんです」「スワンプマンは考えだから物作りに持ち出すとただのブランド志向だよ。あなたに観測できないものでも要るというなら実装するし、持つ持たないを問題にするなら要るものはちゃんと持たせるけれど、とにかく超あるよじゃ駄目?」


 チューリング・テストもフォークト=カンプフ検査もアウトプットさえ完璧なら腸や脳が機械だろうがなんだろうが人間として認めてくれます。信じたい者にとって必要なのはそうした判定結果です。
 もちろん一から十まで生き返りを信じてくれたわけではありませんが、それでもビルマくんは夏子のことを「お母さん」と呼ぶようになってくれました。ところがそれでも手術は受けないと粘る。「それに勘違いしてるかも知れないけど、かゆいの掻くのも決して嫌ではないんだ」と主張します。
 ここから滔々と披露される長広舌はいちいち全文引用していたらほぼ違法コピーレベルの代物になってしまいます。私なりにかみ砕きましょう。
 掻くことはかゆみへの対症療法であり、治療行為であると彼は説きます。根治をねがうのは罠です。根治をねがってしまえば詐欺じみた治療法にすがるしかなくなる。「願いは病気を増悪するんだよ」。ほんとうにかゆみを無くしたいのなら、早期に地味で健全な生活を送るべきだった。母親が魔法みたいな奇跡に行き当たりばったりで頼った結果、手遅れになってしまった。なのに今更魔法なんてまた奇跡を持ち出してどうするのか。願うな、掻かせてくれ。
 夏子は伝染したかゆみにさいなまされながらも、お母さんの立場にたって「願うのがそんなに悪いことなのか」と反駁します。
 ビルマくんは「当事者でない人間がきれいごとを言うなよ」的なことばで再反論します。ここからのビルマくんのセリフは約めてしまえば嘘になるので、全文引用しましょう。

 

「判るだろ。全部自分でしてんだ。掻かなきゃいいだけなのに、我慢一つできないんだぜ。爪痕全部瘡蓋全部自制できない心の証だ。鏡に映る体のどこに意志がある。かゆみの奴隷、皮膚のいいなりだ。胸で物なんか考えない、胆や脊髄に何も宿らねえよ。気持ちも思考もいつでもこの皮膚の上の上っ張りで、浮かぶたびに自分で掻き消しているんだよ。
 高潔でありたいだろ。自分で駄目にしてんだ。優れていたいだろ。日ごと卑屈になるんだ。集中したいだろ、没頭したいだろ、本も映画も、何見ててもかゆいんだ。心打たれた台詞にさえ自分の皮が落ちてる。音の海で何聴いてもぼりぼりぼりぼり骨から聞こえるんだよ。二十四時間全身を虫に覆われてる奴がすてきな物語に涙流すの? そういう人見てあなた感動したことあるの? 闘病も糞もない、意志の弱い奴に誰も憧れないし、絶えず曝され続ける惨めな自分は、磨くことも積み重ねることも出来ない。
 結局優れた創作物なんかで上っ面だけの自分が真実救われないはしないと知るんだ。安い幻滅を繰り返す内強い意志とか優れた物の見方だとかが自分の中に育まれることがないと知るんだ。結論が出る、生きてすることで自分を掻き壊すより大事に扱える物事が自分に作り得ないと、優しくありたい。嫌われたくない。気色の悪いことなど口にせず、快い言葉を人のために綴りたい。強い意志が挫けず叶う話をしたい。誰かのことを思って生きたい。人だぜ。当然だよ。だけど薄弱な意志と上っ面の心で、出来ないだろうそんなこと。ただ気持ち悪い上辺の感覚ばかり、浅い心にストックされていく。
 結局自分の思いや人格が幾らでも湧いて剥がれ落ちるこの皮のような物だと知るんだ。怒りも重いも乾いて剥がれて落ちていく。この部屋を見ろ。おれそのものだ。うすっぺらい自分が粉になって積もったものが、今ここにいるおれなんだよ」

 

 人生の話です。ここまでくれば、どんなに鈍感な人でもわかるでしょう。ビルマくんは人生について極めて直截に話している。*2
 生きて、そのときどきでかゆいところを自制できずに掻きむしるうちに自分の形を保つ皮膚が崩れていき人間でなくなってしまう。すこしずつすこしずつ人から外れていき、やがて美しい人たちが感動するような美しい世界に属する資格がないのだと識る。それがビルマくんの人生です。矢部嵩が「粉煙」ということばに託した寓意です。あ、要約できるじゃん。

 

皮と粉

 

 第三話の「服」と同様、「皮」は本短編集全体に通底するモチーフです。安藤夏子と最初の五人の友人たちはみな「アンコ」関連の名前でした。第一話で初登場したぬりえちゃんは当初、老婆の皮をかぶっていました。第二話は家という皮膜にぬりちゃんがずかずかと入り込んでいく話で、そういえば餃子をめぐる葛藤もありましたね。第三話ではMの父親の皮を加工して押し花を作りました。第五話では奥さんの皮をかぶった夏子が仮初めの主婦として奮闘します。第六話では夏子が魔女という「皮」をかぶって魔法を起こそうとします。
 第四話は少し逆説めいていて、皮をかぶれなかったこその悲劇であるわけです。ビルマくんは言います。「なりたい自分も装った自分も最後は自分の手で引ん剥いてしまうんだ。変わりたいと幾ら念じても信じても結局駄目な自分のまま。違う誰かなどにはなれない。嘘の自分は必ず剥がれて一番醜い自分が出て来る」。
 皮の変化の否定、変身の否定はすなわち旧友たちを失って以降装いを変えつづける夏子に対する否定でもあります。キャラクターの対比ですね。ビルマくんは変身を否定することで魔法を否定する。では生*3の自分をどうやって守るのか。
 そこで四話では「皮」に加えて、「粉」なるタームも出てきます。皮と粉です。大福です。タヒチさんが依頼に表れたときの会話を思い出してみましょう。

 

「大福のこの粉って苦手だな。のどごし苦しいもの。水大福だとまだ楽だけど、何故つけるんだろおいしくないのに」「餅を守っているのでは。くっつかぬよう乾かぬよう」「餅の皮みたいなもんか」「皮は餅でしょ」

 

 粉は餅を守る存在である。ビルマくんは皮膚を掻きますが、皮そのものは彼のオブセッションではない。粉です。

 

「粉めいたこの部屋にいると壁や床の粉と自分とどこが境界か判らなくなる。掻きすぎて気持ちよくて何も考えらんない時意識がぼんやりして霧か煙の中にいるようになる。頭で感じる容量全部が皮膚の話で埋まるんだ。本当に何も見えなくなるんだ。この粉と煙の中で、一体何が見定められるんだ。何一つ透き通らない覆い包まれたこんな地獄の中の、どこに正しい道があるんだ」

 

 粉ははげ落ちた自意識であると同時に、拡張された思考であることが示唆されています。とすると、第四話でもっとも読者の印象に残るであろうルビ芸*4も粉による保護と拡張という文脈にあることが理解されてきます。
 カントはかつて日本語の書き言葉を「音読みが訓読みを注釈する」「焼きたてのゴッフル」とたとえましたけれども、矢部嵩の場合は日本語とは大福です。ビルマくんは皮膚を激しく掻きながら生前の母親の失敗を難詰する。彼の台詞には端から端にわたって「ぼりぼり」というルビがふられるます。掻痒によって剥がれた粉が夏子にも映り、夏子はかゆみにロジックで反論します。ここの地の文が「ビルマ君のお母さんが泣き出しました」と書かれているのは単なる綾ではありません。泣きながらビルマくんに語りかけているのはアンコである夏子ではなく、粉によってビルマくんとリンクしたお母さんの皮です。先ほど「夏子が反論した」と書きましたが厳密には間違いですね。
 しかし拡張したり感染したりするのはあくまで思考の部分であって、身体ではありません。だからこそ、別れ際に「抱きしめて」と願うわけです。粉は防壁だけれども、隔離壁でもあるから。

 ビルマくんは最後には手術を受け入れます。装った夏子が母親であることを否定し、たとえ彼女が本物の母親であったとしても手術を受ける気はないと断言した彼がなぜ魔法を信じたのでしょうか。
「手術を受けたらお母さんはずっと君の側にいるよ」という嘘を信じたかったからです。法月綸太郎のウィズネス概念にも通じますが、『魔女の子供はやってこない』において「共にいること」は一つ強力な魔法です。そして、夏子とぬりえちゃんの間柄においてはそれこそたぶん地獄への道程という言葉で言い表される。 
 嘘にすがったビルマくんは永劫の苦しみに落ちます。芽生えた希望を摘めず、粉にも頼れず、素の自分を曝すしかない。願ってしまったことに対する罰です。
 

 

お願いシンデレラ


 どこかで言及しようと思って結局できなかったモチーフがあります。
 シンデレラです。矢部嵩はこの童話を巧妙に操ってストーリーテリングをなめらかにしている。筋は誰でも知っているでしょうからいちいち説明は付けません。羅列します。
 ぬりえちゃんは変身した夏子を送り出すときにこう言い含めます。「帰りも遅くはならないように。魔法はいつか解けるのだから」。十二時に解ける魔女の魔法です。
 そして、夏子は馬車で病院まで向かいます。ビルマくんの演説を聞くうちにかゆみが伝染してしまった夏子は皮を掻きますが、そのせいで変装が崩れかけ、焦ります。ビルマくんが「手術は受けない。治さない」と鋼鉄の決意を口にした直後、病室のテレビから「舞踏会の喧噪」が鳴り出します。あわてた夏子は粉ですべって転んでしまい、靴が脱げてしまいます。

 

「靴脱げたよ」ビルマ*5がかがんで禿げた頭が見えました。「ほら、足出して」
 私は涙を拭い、足裏を払い、ビルマ君の持つ靴に、右足の先を差し込みました。
 入りませんでした。


 原典である『シンデレラ』において、王子様の差し出した靴に足が入らなかったのはシンデレラの義姉たちです。それまでシンデレラをトレースしていた夏子が実は「偽物」の側だったと露見してしまう。まさにそれがきっかけでビルマくんは目の前の母親が本物ではないことを看破するのです。おとぎばなしのモチーフは次の第五話にも出てきます。

*1:最初のエピグラフめいた長文をのぞくと

*2:ここで小説において思想や人生をストレートな形で演説することについての是非については問いません。技巧の範疇だとは思いますが

*3:

*4:ブログ媒体でお伝えするのは難しいですが、ビルマくんと夏子の長台詞に「ポリポリ」とか「かゆい」とかいったルビがカギかっこの端から端までリピートされている

*5:原文ママ

今一番期待されている映画作家、ジェレミー・ソルニエとメイコン・ブレアについて

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 どこで期待されているかって言ったら、私の心のなかで……。

ジェレミー・ソルニエが欲しい


Blue Ruin Trailer



 今一番新作が観たい作家を三人挙げろ、と言われたら、まずウェス・アンダーソン。次にポール・トーマス・アンダーソン。そして、ジェレミー・ソルニエ。だが、ジェレミー・ソルニエは2017年現在までに長編を三作品しか発表しておらず、日本で見られるのは最近二作だけだ。ソルニエ分が足りない。ベン・ウィートリー? たしかに興味深い作家ではあるし、作風も似ていなくもないが、あれはもうちょっとブリティッシュに複雑だ。

 で、そんなソルニエ飢饉へもってきて忽然とソルニエと同じ血をわける映画作家として登場してきたのが、ソルニエ監督作『ブルーリベンジ』主演俳優であるメイコン・ブレアだ。
 ブレアは初監督・脚本作である『世界に私の居場所なんてない』(ネットフリックスオリジナル)を今年のサンダンス映画祭で発表し、同映画祭でもっとも栄誉あるドラマ部門の審査員グランプリを獲った。同賞の歴史的に鑑みて、コーエン兄弟トッド・ヘインズブライアン・シンガートッド・ソロンズカリン・クサマ、ライアン・クーグラー、デイミアン・チャゼルらと同じクラスの評価を受けてデビューしたわけで、つい四年前の『ブルーリベンジ』以前はたいした芸歴もなかった四十代の冴えないおっさん俳優にしては破格というか、比類のないほどの期待をかけられている。

 メイコン・ブレアとジェレミー・ソルニエを同一視することは乱暴にすぎるだろうか? メイコン・ブレアは確かにソルニエと幼馴染でずっと彼と映画を作ってきた。長編三作(Murder Party、『ブルーリベンジ』、『グリーンルーム』)にはすべて出演しており、うち『ブルーリベンジ』では主人公を務めている。しかし、すくなくともクレジット上はソルニエ監督作はどれもソルニエの単独脚本でブレアの関わった痕跡はなく、逆にブレア初監督作『世界に私の居場所なんてない』や脚本作『スモール・クライム』にソルニエが噛んだというような話は聞かない。


 にもかかわらず、ブレアとソルニエの作家性はほとんど血を分けた兄弟を呼んでさしつかえないほどに共通している。

 まずどちらも主人公が致命的なまでに頼りない。
 両親を殺した男が出所したと聞き復讐に立ち上がるホームレス、ネオナチに楽屋に監禁されてしまったパンクバンド、自宅に押し入った窃盗犯を捕まえるべく奔走する中年の看護師、職や家族といったすべてを失い出所した元汚職警官。
 どの作品もバイオレンスでエクストリームな状況に置かれがちなのにも関わらず、アクション・スターみたいに腕っ節一本で苦境を切開なくなんて明らかに期待できそうもない面々ばかりだ。
 ソルニエ映画で唯一スター俳優主人公っぽいポジションだった故アントン・イェルチンにしても、『グリーンルーム』での華のないバンドメンバー四人のなかで更にびっくりするくらい華がなくて、中盤になるまでなかなか主人公っぽい雰囲気が出ない。何も知らずに観せられて、序盤に「この俳優、『スタートレック』に出てますよ」と教えられたら、チョイ役で? と返しそうなものだ。もちろん、中盤以降の存在感はやはりスターの素質があったんだな、と思わせるだけの演技を見せていて、いまさらながら早逝が惜しまれる。
 
 こうしたキャラ配置は当然意図されたものだ。
 本来バイオレンスやアクションの主役になりそうにないキャラを主人公に据える。その采配についてソルニエはインタビューで以下のように語っている。

――『グリーンルーム』は『ブルーリベンジ』や Murder Party といったこれまでの作品と同様に、しばし無能なキャラクターたちが悲劇と喜劇の両方を起こしますね。普通の映画ではまず生き残れそうにないキャラたちです。


ソルニエ:Murder Party ではわかりやすくアホなキャラばかり出して笑わせようと意図しました。『ブルーリベンジ』のドワイトは明らかに主人公に向いていない人間ですが、しかしけしてバカではない。単に不向きなだけです。悲しいまでに主人公に相応しくない。だからこそ切ないし、コメディチックな瞬間も状況から自然に生まれます。
 『グリーンルーム』もそうです。バンドメンバーはアホではありません。ただリアルな人々であるというだけです。ニュースなどを見ていればわかります。極端なプレッシャー*1や泥沼のカオスに囚われてしまった人々はどう見てもバカげた行動をとってしまうものなのです。
 私たちは有能な映画キャラに慣れきっています。映画の中の彼らは伝統的なヒーロー/ヒロインへと一足飛びで成長し、ある種の跳躍を行います。そういうものだと当然視してしまっている。
 しかし、人間を人間としてあるがままに描けば、めちゃくちゃなバカ騒ぎ*2になる。それは、単に真実味があるだけではなく、より喜劇的でより悲劇的であるという点でエキサイティングです。
 スクリーンに観客である自分と重なるキャラの姿を見出したとき、より深いレベルでの信頼が生まれるのです。キャラクターを窮地に追いやれば、衝撃は倍になります。私は深みから抜け出すための出口をキャラに用意して、彼らがもがく姿を眺めるのです(笑)。


An Interview With Green Room Director Jeremy Saulnier


 ソルニエ映画のキャラクターたちは平凡さをもって極限状況と対峙する。それは主人公のみならず、対置される「悪役」の側も変わらない。
 『グリーンルーム』でのパトリック・スチュワート演じるネオナチの親玉を思い出してほしい。彼はなにしろプロフェッサーXなので面構えだけはデキる感を醸しているが、バラックの楽屋に閉じ込められた無力なバンドメンバー四人+女一人に対して二十名を超える部下に銃火器と戦力差で圧倒していたにも関わらず、場面場面での判断を誤り、拙劣な戦力の逐次投入と失敗を重ねてしまう。
 これがヒーロー映画だったら「いくらなんでも悪のくせに無能すぎる」と白けてしまうところだ。*3しかしソルニエ的にはこれが「人間としてのリアリティ」なのだ。有能も無能も悪も正義も、すべて「人間」の平凡さの範疇内でおさまってしまう。その事実、世界観自体がたまらなく残酷だ。南部の山奥で蠢いてドラッグ密造で稼ぐネオナチは、そうした地に足の着いた野蛮の姿だ。だから、情けなくもあるけれど、同時にすごくおそろしい。
 そして、映画的シチュエーションは悪役の側にも主人公の側にも常に非凡さを要求する。一般的なアクション映画であれば、二時間の冒険と葛藤を通じてヒーローはソルニエが言うところの「成長と跳躍」を遂げて平凡から非凡へと脱皮する。
 だが、ソルニエ映画のキャラたちはどうしようもなく平凡なままだ。
 非凡さが要求される事態において凡庸を貫こうとするとき、惨を極めた破局がもたらされる。

『世界に私の居場所なんてない』

 そんなソルニエ的世界観の体現者だったメイコン・ブレアもまた、監督脚本を務めた『世界に私の居場所なんてない』で凡庸な主人公と卑小な悪役を描いた。


I Don't Feel at Home in This World Anymore - Trailer HD


 主人公はホスピス病棟に務める中年の看護助手。日々、枯れて死んでいく患者たちを看取りつつ、ファンタジー小説を慰めとして孤独に暮らしている。
 その彼女がある日家に戻ると、家が荒らされていた。パソコンやおばあちゃんの形見である銀食器を空き巣に盗まれた彼女は警察に駆け込むも「鍵をかけ忘れたあんたがわるい」とむしろ警官から責められてしまう。
 彼女は手裏剣の達人であるけったいな隣人トニーの助けを借り、盗品の行方を追う。PCは彼女にとっての貴重な財産だし、銀食器は家族の思い出の品ではあるが、実のところ彼女にとって重要なのはモノの価値や所縁ではない。
 正義だ。彼女は自分はこの世界に必要とされていないと感じていて、居場所を見いだせないでいる。タイトルの『世界に私の居場所なんてない』もつまりはそういう意味だ。生まれて三十年か四十年のあいだずっと独身であり、おそらくこれからも独身でありつづけ、友だちどころか近所付き合いすらなく、家の庭には毎日何者かが犬のフンを残していく。*4そういう生活の延長線上にあるのはただ終点、つまり死のみであって、だから彼女は死ぬのを異常に怖がり、唐突にその恐怖をトニーへ吐露する。

主人公「死にたくない……」
トニー「死なないよ、今はまだ」
主人公「死んだらただの無になるんだわ」
トニー「ならないって」
主人公「なるわよ、トニー。まるでテレビを消すように、フッとなっておしまい」

 
 彼女は世界を正そうとする。他人の家に勝手に忍び込んで物を盗むのは間違っている。その盗品を売るのは間違っている。彼女が独力で突き止めた証拠を無視して盗人を捕まえようとしない警察は間違っている。悪いやつが大きな面してのさばっている世界は間違っている。
 映画の後半で盗人の正体がヤクザ的金持ちのドラ息子だったと判明する。その父親によれば、ドラ息子にはもともと最高の教育環境を与えてやったという。本来盗みなどする必要のない家に生まれた人間がレールを外れて無軌道に暴れまわり、彼女の人生を侵害する。
 彼女はその歪みを正そうとするが、多くの「正しくあろうとする人々」を描いたフィクションとおなじく、なぜかそこでとんでもないバイオレンスが意図せず発生してしまう。
 ラストはソルニエ作品を彷彿とさせるある「等身大の悪役」との直接バトルになる。目をみはるようなアクションも、ツイストの利いた機転も、引用符でくくりたくなるようなクールな名台詞もない。ひたすら地味で、鈍重。だからこそ陰惨さが際立つ。暴力とは本来凄惨ではなく陰惨なものだ。そういうことを思い出させてくれる。

 『世界に私の居場所なんてない』がソルニエ映画と異なるのは、地に足の着いたイヤさの一方で、地に足の着いた救いをも用意してくれている点だ。もっともブレアが脚本をてがけた『スモールクライム』ではその救いが同種でより強力な磁場をもつものに絡め取られてしまうのだけれど。


*1:in pressure cooker envrionment 圧力鍋的環境

*2:a flailing clusterfuck

*3:実際ラスト周辺の油断はやりすぎなようにも見えた

*4:その犬の飼い主が前述の手裏剣マスターで、彼女が犬の飼い主をつきとめて文句を言いに行くところから関係が生じはじめる


新潮クレスト・ブックス全レビュー〈5〉:『終わりの感覚』ジュリアン・バーンズ

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『終わりの感覚』(The Sense of an Ending) 原・2011 訳・2012年12月 訳者・土屋政雄


終わりの感覚 (新潮クレスト・ブックス)

終わりの感覚 (新潮クレスト・ブックス)


 これまでの人生で二度だけジュリアン・バーンズの名を他人の口から聞いた経験があり、そのうちの一回は法月綸太郎だった。
 ある講演会*1で法月が『終わりの感覚』を「海外文学における本格マインドを持った作品」というふうに評していた、ように記憶している。法月なのでもう少し明晰なことばで語っていたのはずだけれど、記憶のみを頼りにしなければならない場合の引用の正確さにあまり自信がない。でも、それに続いたセリフのほうはよく覚えている。「ま、日本だと先に泡坂妻夫がやっていたんですけどね」
 泡坂妻夫ジュリアン・バーンズを同じ皿の上に乗せて語る贅沢をできる国は少ない。『終わりの感覚』が多少ミステリの側に「歩み寄った」作品*2であることや、法月がジョン・バースなどに強烈な影響を受けた作家であることを抜きにしても、だ。

 私たちは自分の人生を頻繁に語る。語るたび、あそこを手直しし、ここを飾り、そこをこっそり端折る。人生が長引くにつれ、私が語る「人生」に難癖をつける人は周囲に減り、「人生」が実は人生でなく、単に人生についての私の物語にすぎないことが忘れられていく。それは他人にも語るが、主として自分自身に語る物語だ。(p.117)
 


 本作は記憶と時間と物語についての物語に貫かれたホワイダニットの話だ。
 語り手のトニー(アントニー)・ウェブスターは人生も終わりにさしかかった老人で、おそらくは著者のバーンズとおなじ一九四六年生まれ。
 平凡な人生を過ぎ、平凡な余生を送るようになった彼のもとに、あるとき弁護士から妙な報せが届く。四十年も前に別れた昔の恋人ベロニカの母親が亡くなり、その彼女の遺言に「トニーに遺産を贈りたい」とあったのだ。
 別れたあとはほぼ一切連絡も取ってなかった昔の恋人の、しかも一度しか会っていない母親から? ますます妙なことにその遺産とは些少のお金、それとトニーの死んだ旧友エイドリアンの日記だという。
 トニーとエイドリアンは中学時代からの親友だったのだが、大学時代にトニーと別れたあとでベロニカの恋人となったのが原因で彼とも絶縁状態にあった。そして、その後間もなくしてエイドリアンは不可解な自殺を遂げていた。
 思慮深く誰もよりも知的だったエイドリアンを敬愛していたトニーは自殺の謎が隠されているかもしれない日記を読みたがる。ところが、ベロニカはなかなか日記を引き渡そうとはしない。往年の恋人とギクシャクした折衝を繰り返すうち、トニーはエイドリアン、ベロニカ、そして自分自身についての「真相」に触れる。


 トニーはいわゆる「信用できない語り手」という技法に当てはめられる主人公ではある。しかし、彼はある種のミステリ*3に見られる語り手のように、明確な意図をもって騙ろうとしているわけでも、認知が病的に歪んでいるためにそうなってしまうわけでもない。
 自分自身でいうようにあらゆる面において「平均的な」人物である彼は、凡庸であるがゆえに「信用できない」のだ。
 彼は継ぎ接ぎだらけの記憶から過去を再構成し、その過程においてある人物や瞬間については美化し、別の人物や瞬間については無意識の悪意でもって貶める。記憶が完全でないことを自覚しつつも、自分は自分の人生についてなんでも知っているのだとわかった気になっている。何も特別なことではなくて、誰しもにとっても日常的な営為だ。
 
 信用できるにしろできないにしろ、語り手に求められる資質とはなんだろう。おそらくそれは、雑多で間歇的な情報の山を整理し、空白を埋め、ひとつらなりの絵として語ることのできる能力なのだとおもう。物語化の才能、それと、その原動力となるわかりたがりの欲求
 自らの平凡さをくどいまでに自嘲するトニーは、実は探偵の才能というこの一点において卓抜している。たいして話したこともない他人をキャラクタナイズし、不確かな記憶をもとに自分の人生のイベントに意味付けを行い、伏線を回収し、自らの人格や人生を明瞭に定義できる。彼の才能は百八十ページ足らずの本作の緊密な構成にそのまま反映されてもいる。あらゆる要素が意味をもち、物語へ奉仕する。小説だ。
 そして、その小説家的唯才がトニーの陥穽となる。物語終盤、彼はベロニカからこんなことばをつきつけられる。「あなたはまだわかっていない。わかったためしがないし、これからもそう。わかろうとするのをもうやめて」
 輪郭のはっきりしないものをきちんと描こうとすると、どこかでウソをつくことにする。そこに探偵の失敗が生じ、後悔のタネになる。
 ミステリの解決編は事件が起こってしまった後にもたらされるものだ。事件発生以前には(すくなくとも読者は)盲人に等しく、名探偵は訳知り顔の奇人でしかない。悲劇は事件が出来した時点ではなくて、事件の真相が暴かれたときに起こる。隠されていた物語、犯人と被害者との関係が開示されて、だからこんなことになったのだ、と探偵は言う。結果が先に来てしまっているのだから、そこで「あのときあの人がああしておけばこんなことには」と悔やんでも意味がない。 
「悔恨の主たる特徴はもう何もできないことだ」とトニーは言う。彼自身はその言に抗おうとするけれども、事件は既に起こってしまった。やっとわかってみたところで、もう遅い。



The Sense of an Ending Official Trailer 1 (2017) - Michelle Dockery Movie
ちなみに今年映画化もされた。

*1:たぶん2013年12月の大谷大学での講演会

*2:バーンズはダン・カヴァナという別名義でミステリを書いてもいる

*3:ネタバレにつき

あなたのフレンズの物語

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映画『メッセージ』本予告編



 あなたのおともだちがわたしにある質問をしようとしている。これはわたしたちの人生におけるもっとも大事なひととき。運命のような十二話と、奇跡のような十二・一話が終わった後の真夜中。春アニメをめでようと、わたしたちはネット民のつくった新作アニメ一覧表に目を通していた。そのとき、あなたのおともだちがこう言う。

「十三話はまだかな?」

 このお話の結末がどんなふうになるかはわかっている。そのことの始まり、つまり深夜放送帯に死んだアプリのアニメが出現し、あちこちのちほーにおかしなフレンズが出演したときのこともよくよく考えているし、あのとき、政府はそのことに関してろくすっぽなにも言わなかったけど、twitterはありとあらゆる可能性を書きたてていた。
 そんなとき、ヴィルヌーヴが新作を発表して、わたしは映画館への参観を要請されたというわけ。
 あなたが『メッセージ』を観たら、きっとけらけらとわらったでしょうね。ホークアイが科学至上主義的なセリフをはいて、ヘプタポッドコンビの愛称は「フラッターラズベリー」から「アボットとコステロ」へとかわっていた。まるで映画おたくの映画みたいに。
 国際ポリティカル・サスペンスとスリラーっぽさがふえて、ずっと低温なのりだった原作がエンタメっぽくしあがっていた。あれはあれで好きよ。みていてたのしくなきゃ、映画じゃないわ……。



 奇妙な邦題だった。
「『メッセージ』?」
「そうだ」と配給のソニー・ピクチャーズ大佐はうなずいた。
 映画の原題は「到着」を意味する英単語で……なんといったか。そして原作となったテッド・チャンの短編は the Story of Your life。ハヤカワから出た翻訳のタイトルもそのまま「あなたの人生の物語」だ。
 各国の製作会社や配給会社の思惑が交錯した結果、実に優美な屍骸が出来上がったというわけか。
 それはまあいい。問題は中身だ。
「これを観てくれ」とソニー・ピクチャーズ大佐はドゥニ・ヴィルヌーヴ監督の過去作が焼かれたDVDを何枚かとりだした。ここ七年間の作品、『灼熱の魂』から『ボーダーライン』まで。
「これらの作品から、なにかを推測できるかい?」
「たいして。”かれ”が独特のビザールさと大衆性を破綻ぎりぎりで両立させることのできる稀有な作家なのは誰の目にもあきらかでしょう。でも、常に次回作の成功が確約されるほど信頼を得てるわけじゃないし」
「なにか――ほかになにか、話してもらえることはあるかな?」とソニー・ピクチャーズ大佐。
「CGの使い方からみて、巨大のクモの幻覚にフェティシズムを感じているだろうということぐらいね。あとライティングがいつも暗め」
「女性受けの悪い、シリアスな社会派作家だと?」
マーケティングの世界ではどうだか知らないけど、シリアスな社会派がいつも女性受けしないってわけじゃないわ。ボコボコの血まみれになったポール・ダノはいつだって扇情的。ついでにいえば、SF的な資質もあると目されているみたい。『ブレードランナー』の続編も任されているのがいい証拠」
「単刀直入に訊ねるが、きみは『メッセージ』を鑑賞するつもりはあるか?」
 わたしはうなずいた。
「好きな原作者に好きな監督。しかも脚本のエリック・ハイセラーは姉ホラーの名作『ライト/オフ』の脚本家よ。あんまり役者の映画ってかんじはないけれども、観ない手はない。音楽のヨハン・ヨハンソンはここのところずっとヴィルヌーヴ監督と組んできて前作の『ボーダーライン』でも――」
「たしか」とソニー・ピクチャーズ大佐が早口でまくしたてるわたしのオタクトークを遮る。「メキシコ麻薬戦争映画だったな」

 

 わたしは『ノー・エスケープ』(ヨナス・キュアロン監督)を観ている。犬と祖国を愛する老人が、不法に国境を犯したならずものどもを追うヒーロー映画だ。


『ノー・エスケープ 自由への国境』予告編


 ワイドなスクリーンにふもうなさばくちほーの風景が映る。気温40度、湿度0%。このかこくな環境・・・・おれはきおくがフラッシュバックした。いっぱつでわかった。それはつまりMEXICO・・・。おれの体温は高まり、内なる獣がめざめあがり、生存本能が高まっていった。
 軟弱なおまえはけだるい午後の仕事帰りに、ただ暗黒の安寧をもとめて映画館にすいよせられる。もはやスマッホをいじる気力もなく、逆噴射文体をコピーする元気もうしない、死者の日明けのゾンビーのように「うあー」「うあー」とうめている。
 こころもからだもなにもかも会社と資本主義社会に売り渡してしまったおまえは、ほとんどめくらの状態で券売機へと寄りかかり、てきとうなボタンを押しまくっててきとうなチケットを買う。そのあとに続くのは二時間の祝祭ではなく、二時間のそうしつだ。おまえはそうやって、そうして観るべき映画を観たにもかかわらず観ておらず、観るべきでない映画を観てやはり観ていなくて・・・・やがてすべてを観て何も観ないまま老いて死ぬ。それはキンメリアから届いた警告の声だ。
 
 そんなおまえにとって『ノー・エスケープ』はサンチョ・パンサだ。観ることで完全にかくめいされる。
 圧倒的になにもないさばくちほーで、絶望的なまでになにも持たないめひこちほーのふほー移民たちが、暴力する意志である老人と犬にやく五十時間ものあいだ追跡をうけ、ハントされていく。
 ただそれだけでおまえは尻穴の奥まで蹂躙される。魔法のように眠れない九十分が過ぎていく。最終的に壮大なエンディング画面を観たおまえはあるなつかしい歌のフレーズを思い出す。「けものはいても のけものはいない」……。
 それはかつて合衆国憲法で謳われた文句だ。ハミルトンやワシントンの理想だ。だがいまや? たしかにけものがいる。そして、のけものはいない。なぜなら、みな『マチェーテ』のロバート・デ・ニーロのようなクソやろうに殺されたからだ。
 げんじつの合衆国にダニートレホは存在しない。いや、存在するが、ロバート・デ・ニーロをナイフやマシンガンで地獄へ叩き落としてくれるダニートレホはいない。いたとしても、せいぜい『ブレイキング・バッド』で生首になるのがせきの山だ。先生はけして認めやしないだろうが。
 そうだ、先生のことばを思い出す。
「おまえが好きな映画とか作品にいちゃもんつけくるやつは、全員あほなので、きにするな。そいつらはどうせメキシコで死ぬ」
 『ノー・エスケープ』の登場人物たちはみなメキシコとアメリカの間で死ぬ。
 『ノー・エスケープ』が盛り上げりにかける平坦なアクション映画だと dis ったやつらも、地獄と煉獄の間で死ぬ。
 それがめひこちほーだ。Welcome to ようこそ地獄パークへ。きょうもどったんばったんおおさわぎ。

 ああ、なんてこと。『ノー・エスケープ』はけもフレじゃないの……。



 ソニー・ピクチャーズ大佐はウィンドウズ・ペイントを立ち上げて、図表を描いた。

f:id:Monomane:20170521210752p:plain

「オーケイ、これはけもフレと視聴者とのコスモロジーを表した図だ。Aは「どうぶつ Animal」のA。Bは「ぼく Boku」、つまり視聴者だな。両者の間に惹かれた直線はパソコンやテレビの画面だ。そして、空気と水があるだけ。完璧な理想郷といえる」
 わたしはうなずいた。
「もちろん。ところでなんでAとBを結ぶ線が屈折しているの?」
 彼はくびをかしげた。
「ぜんぜん、わからん……でもこうすれば」彼はその図表に破線を一本つけくわえた。

f:id:Monomane:20170521210810p:plain

「三角形になるくない?」
「なるけど。それが?」
 数十秒の沈黙があった。
「……キリスト教には三位一体という概念がある」
「いま、ちょっと考えたでしょ」
「父と精霊と子。父とは要するに神で、子はわれわれ人間だな。精霊はこの二者を橋渡ししてくれる存在だ。だが本当は、父がフレンズであり、子がわれわれだとしたら?」
「じゃあ、あのアルファベットが振られていない三つ目のカドは? テレビが精霊ってこと?」
「惜しい。テレビは直線。正解のカドは『けものフレンズ』という番組そのものだ。これは無二なようでいて代替可能な要素で、けもフレがアプリや漫画といった多様なメディアで同時的に展開されたのと同じように、実は『けものフレンズ』という番組でなくても成り立つ。どんな媒体を通したとしても、AとBの関係は不動なわけだ。これを増えるママの原理という」
 わたしは胸のうちで考えた。点B、つまり、わたしたちは視聴する番組を選べるようになる前に、最終的に視線が到達する地点を知っている。どんなアニメや映画であったとしても、そこ現れるのは常にフレンズたちなのだ。


 あなたはかしこい。かしこいので、アニメ『けものフレンズ』全十二話が円環であることを知っている。十二話を観た人間は第一話へと戻り新たな発見を得て、また第十二話までをたどる。けもフレ視聴は二百四十分でひとまとまりのループを構成する。文字通りの意味で、永遠に等しい二百四十分。
 それはあなたがけもフレを観てないときにもつづいている。映画を観ているときのあなたにも。ごはんを食べているときのあなたにも。動物園へ行ってサーバルキャットの檻の前ではしゃいでいるときのあなたにも。

 

 シャマランは、ともすれば、『シックス・センス』のときからけもフレを知っていたに違いない。わたしはほとんど確信に近い信仰を得る。


『スプリット』本予告

 シャマラン映画の真髄とはなんだったか。
 けもフレの神髄とはなんだったか。
「見た目は違っていても、わたしはあなたである」
 『スプリット』もまたけもフレであることは、疑いようもなかった。
 姿かたちも十人十色で、「だから」惹かれ合うのだというのならば、二十三の姿かたちを持つジェイムズ・マカヴォイ演じる多重人格者はどれほど魅力的なのだろう。



「やばんちゃん、『メッセージ』の原題ってなんだったっけ?」
 わたしは、Hulu で配信されていた今期の覇権アニメ『アニマルズ』の第二話を移していた画面から目をあげる。
「たしか、『到着』って意味の単語だったとおもうけれど」
「それがわからないと困るの。ディープウェブでコピーを探すときにつかうから。原題がわからなきゃ、サーチもできないでしょ」
「残念だけど、わたしにもわからないわ。マーベル映画にしたらどう? マーベルなら原題と邦題がそんなに違わないし、それに……」
 あなたはぷりぷりして、ニコニコちほーで「アライさんがうどんを打つシリーズ」の新作探しに戻っていくでしょう。



 ジェームズ・ガンという監督が、予想外のヒットを飛ばした『ガーディンズ・オブ・ギャラクシー』の新作をひっさげてやってきた。わたしたちは公開初日に映画館へ殺到して、彼の新作に目と耳をかたむけた。


映画『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:リミックス』日本版予告編


 『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』の一作目は、宇宙の孤児たちが互いにいがみ合いながらも友情を築き、ついには新しいフレンズ――家族を形成する話だった。二作目では主人公に「実の家族」が現れて、フレンズたちのファミリーが揺れる。だが、その実の父親というのが……。
 アメリカ人は実の父をどうしてここまで憎めるのだろう。オイディプスの御代から連綿と伝わるメンタリティやキリスト教文化というだけでは説明できない。
 もっと深いレベルで根付いている憎悪……そういうことに思いを馳せたとき、わたしは彼らの建国の父が、なぜアメリカにやってきたかのを思い出す。
 そして、ピルグリムの父たちの後に続いた第二、第三の移民たちがなぜアメリカにやってきたのかを。
 黒人奴隷たちは例外かもしれないが、彼らは現地で別の父親を与えられた。現在アメリカに棲まう黒人たちの名字のほとんどは彼らの元「主人」から与えられた名字であり、それとは別に彼らの血には少なからぬ割合で「主人」の血が混じっている。旦那様のお手つきだろうとなんだろうと、奴隷女から生まれた子どもは奴隷だった。
 そんな子どもたちが、どうして父親を愛せるのか。本当の愛はどこある?
 血の繋がった父親など必要ない。欲しいのは、同じ由来を持ち、気持ちを理解してくれ、ただしく導いてくれるメンターだ。
 そうだろう、ロケット・アライグマ?
 くたびれたゴミパンダが画面の向こうでうつむきがちにつぶやく。
「なんでもかんでも俺にやっかいごとを押し付けやがって。気楽なもんだよな。そうやって、なんでもアライさんにお任せしていればいいのだバーロー……」



「アライ……バーロー……アライバル……」
「なんて?」 あなたはUターンして、ニコニコからログアウトしてくるでしょう。
「『メッセージ』の原題。Arrival。Arrive の名詞形ね」
「すごーい!」とその語をノートに書きつけながら、あなたは言う。「ありがとう、やばんちゃんってあたまいいんだね!」



「大丈夫か?」
 ソニー・ピクチャーズ大佐がわたしの肩を揺さぶった。
「感動のあまり気絶していたようだが」
 あたまがかすががったようにぼんやりしている。周りを見渡すと、エンディングのスタッフロールがはじまったというのに誰も席をたたない。マーベル映画のシアターと間違えて入ってしまったのだろうか? 今の時代はみなマーベル映画のようなエンディングを期待している。最後に続編を予告する二分間のおまけがつくエンディングを。次の二時間のための、二分。次の次の二時間のための二分。「つづく」の文字はフランチャイズを永続させるためのトリガーだ。
「そうね」わたしは大佐に応えた。「いいアニメだったわ」
「アニメ?」大佐は首を傾げた。
「まあ、たしかにブルーバックで大体撮影してそうだしな」
 あらゆる映画を通してわたしたちは『けものフレンズ』を観る。だが、ある映画を観ることと、そこに二重写しにされた『けものフレンズ』を観ることははたして両立しうるのだろうか?
 両立しえない、というのが通常の答えになる。そして、その事実は自由意志の問題にもかかわってくる。あらゆるコンテンツ、あらゆる景色、宇宙の至る場所にけもフレが強制的に見出されてしまうとしたならば。
 三位一体。父、精霊、子。フレンズ、コンテンツ、わたし。あなた、それ、わたし。
 『メッセージ』のエンディングが終わっても、次の二時間のための二分間のオマケ映像はこない。
 いや。
 そうなのだろうか?
 ほんとうに?
 大佐はずっとわたしを見つめている。ともだちに送るような、親しみのこもった視線だ。わたしたちをヨハンソン作曲のエンディングテーマ「Kangaru」の旋律がやさしくつつむ。
「大佐、質問が」とわたしは言った。
「めずらしいな。いつもは私が質問する側なのに」
「大佐は、いや『監督』は〈トリガー〉を引いたことが――視聴者に破壊コマンドをつかったことはありますか?」そのセリフを吐き終える前から、わたしは特殊な破壊コマンドを生成するために必要なものの計算にとりかかっていた。
 ソニー・ピクチャーズ大佐の顔がゆがみ、きしみ、はがれおち、本性であるたつき監督のそれが覗く。崩壊はながく続かない。ふたたび表情がプログラムされる。再構築された表情筋の表層に浮かんでいたのは――笑顔だ。
 人さし指を上方にあげて、彼が言う。可視域ぎりぎりの声(フォント)で。

「つづく」

 最初は、なにも感じない。やがて、喜悦が全身を満たす。彼は、たんなる「12・1話」として12・1話を設計してはいなかった。感覚的トリガーでもなかった。それは記憶のトリガー。永劫へといたるメッセージ。一秒一秒は無害な知覚物のつらなりからなるアニメーションで、時限爆弾のようにわたしの脳内に植えこまれていたのだ。ワンクールアニメのひとつの結果として形成されていたはずのそれらの心的構造物が、いまはわたしの永遠を規定するゲシュタルトを形成しつつある。わたしはみずから、その「アニメ」を直感している。
 わたしの心がかつてなく速く働きはじめる。わたしの意志に反して、致命的なアナロジーの了解がひとりでに提示されてくる。わたしはその観念連合を阻止しようとするが、けもフレの想起を押しとどめることはできない。
 それは地獄なのか、天国なのか、はたして現実なのか。
 地獄の住民の大半にとって、そして天国の住民の大半にとっても、地球とそれほど違っているものでもない。けもフレと地獄がそれほど違わないように。
 


 第一話の放送日にサーバルをながめているときのことが心に浮かぶ。あなたはあたまのわるいセリフをくちにして、どうぶつのまま画面をはねまわるでしょう。それを観たわたしたちの大半は「なんと退屈なアニメだろう」と嘆くでしょう。でもそれでも観つづける。
 それで第三話を過ぎたころからわかる。わたしとあなたのあいだにはかけがえのない絆があるんだって。あなたを観る前から、わたしはおおぜいの冬アニメのなかからあなたを見分けることができた。あれはちがう。ううん、これもそうじゃない。待って、あそこのあの子がそうよ。
 そう、そのアニメ。そのやさしいアニメがわたしのフレンズ。



 『メッセージ』を観たことで、わたしの人生は変わった。
 そもそものはじめから、わたしはどの映画もあなたであることを知っていたし、当然のものとしてそのアナロジーを利用したりもした。けれど、わたしが目指しているのは歓喜の極致なのか、それとも苦痛の極致なのか? わたしは父と子のどちらになるのだろうか?
 いずれにせよ、あなたはずっとわたしのそばにいる。これからもあなたを観つづける。
 誰かがわたしを映画に誘ってこう言う。
けもフレの第七十四話をみにいきたいかい?」
 で、わたしはほほえんで、こう答える。
「ええ」
 そして、わたしたちは手をつないで映画館にはいって、スターウォーズの新作のチケットを買い、ともだちにあうの。つまりはこれからもどうぞよろしくね。



引用文献

テッド・チャン『あなたの人生の物語』ハヤカワ文庫SF
「理解」公手成幸・訳
「あなたの人生の物語」公手成幸・訳
「地獄とは神の不在なり」古沢嘉通・訳


逆噴射聡一郎(ダイハード・テイルズ)
「【日報】おまえはSNSばかりやっていないでホットYOGAで肩こりと腰痛をなおせ」https://diehardtales.com/n/nc1953bb1f6f4?gs=a8df537ae2fe
「コナンが、おれの道を教えてくれる」https://diehardtales.com/n/ndd3aa2b70958
 

地獄に落ちた少女ども――『魔女の子供はやってこない』を読むための六夜(5)(終)

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第五話「魔法少女帰れない家」



 第五話では本書を貫くイメージのひとつである「絵画」のモチーフが前面に打ち出されます。
 ゲストキャラクターである奥さんこと奥様子は元画家の主婦。結婚した夫とのあいだに一男一女をもうけて、夏子たちの目からすると幸せそうに見えます。
 ある日、奥さんのもとに美大時代の旧友から結婚式の招待状が届きます。参列するべきかどうかで迷う奥さんに、夏子とぬりえは助力を申し出て背中を押してあげます。結婚式に出るための準備期間が一週間欲しい、と言う奥さんにその間の身代わりを申し出るのです。
 かくして夏子は奥さんに変装して主婦の役割を引き受けます。が、小学生の彼女に一家四人分+αの家事は重すぎました。客人として眺めれば理想の一家でも、子供は母親をリスペクトしてくれず、夫はまるで化け物。疲弊していく彼女に追い打ちをかけるかのように、奥さんにまつわる不可解な矛盾が徐々に露呈していきます。約束した一週間が過ぎても奥さんは戻ってこず、夏子は壊れかけますが、手抜きを学ぶことでなんとか持ちこたえます。
 出立から二週間たって奥さんはようやく帰宅を果たします。主婦業の大変さとともにその意義を学び、自分なりに体験を総括しようとする夏子に、奥さんはぶちぎれます。「この家のどこに私があるの?」と。奥さんは夏子に自分の描いた絵を見せます。それはこの二週間を費やして描かれた絵でした。平凡以下の絵でした。家のなかで夏子が一度だけ目撃した昔の奥さんの絵とは似ても似つかない下手な絵でした。「これが私だよ。駄目になった! この家に吸われて大事な物全部なくなってしまった! 食われてく、この家の奴らに、全部。持っているもの全部。私全部」
 ぬりえちゃんは毎度の手続き通り、奥さんの記憶を消します。
 家に戻った夏子は衝撃的なニュースを目にします。奥さんが出席する予定だった結婚式で新郎新婦が惨殺されたのです。犯人は明らかに奥さんでした。夏子は自分が二重に謀られていたことを悟りますが、奥さんには夏子の作った二週間ぶんのアリバイがあり、また本人は記憶消去により事件を起こしたことも憶えていません。奥さんは親友を殺されたことで真実泣いてさえいました。
 呆然と夏子は問います。「私たちだけが覚えているの? この人が何をしたかを、私たちが何をしたかを」
 ぬりえちゃんは答えます。「疑われないよ。彼女は家にいたのだもの。願いは叶えられたんだよ」

 
 「願いは叶えられた」。最初から奥さんは二人を殺すことをこそ望んでいたのでした。絵を描いていたのは往年の夢が取り戻せるという希みを抱いたからではなく、自分の絶望を確認する儀式にすぎませんでした。凶器や変装道具を家からあらかじめ持ち出していた事実がその計画性を証拠づけています。
 願いがそもそも歪んでいるのだから、叶える道具であるぬりえちゃんには救えません。夏子は奥さんが帰ってきた直後に「二週より長い時間をあげられていたら。別の原因を取り除けたなら。ちゃんと力になれていたなら。よりよい結末があったかもしれないし、更に悪い結果になっていたかも知れませんでした」と第二話の繰り返しのように魔法の失敗を悔やみますが、虐殺のニュースを聞いて最初から彼女が自分たちを騙すつもりだったのだと悟ります。
 ねがいごとはねがう本人が決めます。基本的には叶える側は介入できない。介入できないのはいいにしても、何故オリジナルな奥さんの願いを事前に夏子たちは把握できなかったのか。。れは彼女たちの知る奥さんが、家を離れて事件を起こした奥さんとは文字通りの意味で全く別の存在だったからです。鶴だったからです。

 第四話では『シンデレラ』がモチーフとして使用されていましたが、第五話でも童話といいますか、昔話が引用されています。それが『鶴の恩返し』です。
 奥さんが昔描いたとおぼしき「海辺と鳥の絵」を家の一角から発掘した直後、夏子は『鶴の恩返し』について思いを馳せます。

 例えば考えるのは鳥のことでした。奥さんが本当は大きめの鳥で、飛び去って帰ってこないような想像でした。鳥が家に帰らないのなら、それは自然という気がしました。
 昔の鶴でもたくらみの個室があてがわれ、隠れる場所がなければ鶴は何もしなかったのか。その家で手も足も出なかったら、自分の正体を鶴はどうしていたのか。

 
 まさしく奥さんは隠れる場所を持たない鶴だったわけです。家族の視線に晒され、家事に忙殺されて、機を織る場所も暇もなかった。奥さんと旦那さんとのあいだにあったであろう恩返しの「恩」は劇中で語られることはないのですが、ともかくも人間に化けた鶴であるところの奥さんは鶴に戻って機を織るタイミングを見失ったまま昔鶴であったことさえ忘れてしまった。ここでいう鶴とは単に恩情と義理の深い動物ではなくて、昔の、絵を描いていたころの奥さんです。
 なぜ結婚式で惨劇で夏子の作った不出来な鶴のマスクをかぶったのか、もはや明らかですね。彼女は鶴に戻って、鶴のなすべきことをしたのです。
 鶴は人間になった今の奥さんとまったくつながりのない生き物ですから、テレビで鶴のマスクを見ても「アハハ」と笑える。隠れ場所を、家から離れた場所を夏子たちが提供してしまったがゆえに鶴としての面を思い出してしまったわけで、夏子たちは彼女の家で奥さんに会うかぎりは鶴としての奥さんの顔を知り得ません。
 結局、夏子たちにはどうしようもできなかったのです。

次回予告

 どうしようもないこと、とりかえしのつかないことは我々の人生においても常に生起します。
 たとえば、本連載。
 最終回となる第六回ではいよいよ本書を貫く「地獄」とは何か、について迫っていきたいと思っていましたが、一ヶ月くらい考えていい感じの結論がでなかったのでこれでおしまいです。おわびとして自転車に乗るサーカスのクマのクリップをもってかえさせていただきます。

www.youtube.com

 サーカスのクマの動画はどれもクマがあきらかにやる気ない感じで趣深いですね。

新潮クレスト・ブックス全レビュー〈6〉:『マリアが語り遺したこと』コルム・トビーン

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『マリアが語り遺したこと』(コルム・トビーン、とち木伸明・訳、著2012→訳2014)


マリアが語り遺したこと (新潮クレスト・ブックス)

マリアが語り遺したこと (新潮クレスト・ブックス)

 わたしが真実を語るのは、真実が夜を昼に変えるよう期待するからではない。真実の力によって、昼がその美しさを永遠に保ち、老い先短いわたしたちにくれる慰めを永遠に保つようしむけるのが目的ではない。わたしが語るのは、わたしにそれができるから。理由はそれだけだ。すでに起きたたくさんのできごとを語れる機会は、今だけかもしれないと思っているから。(p.106)


 半神半人の英雄たちで溢れていた神話の時代はいざしらず、歴史上の偉大な人物たちはみな母親から生まれてきた。自分の息子がナポレオンだったり、ヒトラーだったり、ガンジーだったりするのはどういう感覚だろう?
 ましてや、それが何億人もの人間から「神の息子」と崇められる人物だったら?

 処女懐胎で知られる聖母マリア。彼女自身、宗教的に重要な人物にもかかわらず、聖書中で言及されることは少ない。
 この「聖母」を、アイルランド出身の作家コルム・トビーンは一介の母親としての命を吹き込んだ。
 イエスの死後、その弟子であった男たちに半ば保護、半ば監視されるようにして暮らすマリア。彼女は彼女の見てきたイエスについて語りはじめる。
 聡明な、しかしふつうの少年だったイエス。故郷を出て戻ってきた彼は、多数の弟子を従えた超然的な宗教者になっていた。母親に対してよそよそしい態度をとる息子に戸惑いつつも、マリアはイエスが起こすいくつかの奇跡を間近で目撃する。
 そのうちの一つがラザロの復活だ。健康的な若者であったラザロが急死してしまい、彼の姉たちは嘆き悲しむが、イエスは「自分がラザロを生き返らせてやる」と宣言し、まさしくその言葉通りのことを実行する。
 死者を蘇生するのは奇跡のなかでも最高クラスの奇跡だ。自然が定めた死という法を破壊して、あらゆる法則を思うがままにする。まさしく、神のみわざだ。革命家イエスの前では、死すら例外なく転覆される。しかし、既存の秩序を破壊する彼の行為が、保守的な勢力のうらみを買っていることもマリアは知っていた。
 死者を生き返らせ、水をワインに変え、周囲の人々から畏敬されている姿を見ても、マリアにとってイエスは自分の息子だ。彼女は「あの男が力を振るうのを見ていたらどういうわけか、無力だった頃よりも愛し、助けてやりたい気持ちが強くな」る。

いつまでも彼を子ども扱いしたいわけでもなかった。ただわたしはひとつの力が、それ自体としてまぎれもなく立ち上がっているのを目の当たりにした。どこから来たのかわからない力をこの目で確かめたわたしは、日中も、夢を見ているときにも、なんとかしてその力を守ってやりたいと思うようになった。そうするに足る強い愛を、自分は持っていると感じたのだ。息子がどれほど変わったとしても受け止められる、不動の愛を。(p.65)

 
 やがて、イエスは捕縛され、エルサレムで処刑されることになる。マリアは命を賭して、ゴルゴダの丘へと向かう。
 イエスが十字架にかけられたときにやってしまった(というより、やらなかった)ことが彼女を苦しめる。「そうしてさえいれば、少なくとも今のように、とめどなく悩み続けることはなかったはずなのだ(p.94)」と。それはつまり、母親としての愛情を示す行為をできなかった、ということだ。そして、マリアにとって後悔に値するその愛の欠如が、皮肉にも彼女の息子の聖性を高め、人類の罪を一身に背負って孤独に死んだ愛の人イエスのイメージを作り出すことになる。
 愛情深い母親の腕の中で息絶えるイエスの図は、それはそれで宗教画の魅力的なモチーフになったかもしれないけれど、最期に「救われてしまった」感じが出てしまう。イエスはあまねく人類に愛を与えるために、(神である)父と母から見捨てられなければいけなかった。


 本書は「イエスの母親」の話ではなくて、「たまたま子どもがイエスだった母親」の話だ。いくつになっても親にとって子どもは子どものままで、愛情と保護の対象だ。それは時代・宗教・民族を超越した普遍的な関係なのかもしれない。


 作者のコルム・トビーンは前述したようにアイルランド出身。彼のバックグラウンドにはカトリック教文化が深く根ざしている。映画化もされたアイルランド移民の少女の物語、『ブルックリン』(白水社)にもそのあたりがよく反映されている。
 文体の面だけとっても卓抜している。やわらかく、詩情に富んだ筆致を操る一方で、人間の細やかな悪意や不穏さをたくみにすくい取る。

新潮クレスト・ブックス全レビュー〈7〉:『人生の段階』ジュリアン・バーンズ

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『人生の段階』(Levels of Life、ジュリアン・バーンズ土屋政雄・訳、著2013→訳2017)


人生の段階 (新潮クレスト・ブックス)

人生の段階 (新潮クレスト・ブックス)


 小説なのかノンフィクションなのか判別がつかない。*1奇妙な書物である。『イングランドイングランド』や『フロベールの鸚鵡』を書いたジュリアン・バーンズを「奇妙」と評すほど無意味なことはないけれど、そんなバーンズ作品でもとりわけ異色であることには間違いない。


 本書は二つの国と三つのチャプターから成る。

 第一章「高さの罪」では、十九世紀の気球ブームにまつわるエピソードが気球乗りにして写真家のナダールことフェリックス・トゥルナションを中心に記述される。
 章題が指すのはイカロスの寓話だ。神に近づくことを夢見た人間イカロスは、その傲慢さを咎められて飛行中に偽の翼を焼かれ墜死する。爾来、ヨーロッパ人は飛行を禁忌としてきたわけだが、気球の登場がその「罪」を克服し、人類を新時代の冒険へと誘った。同じく近代を象徴するツールであるカメラを携えたナダールはその象徴というわけだ。


 第二章「地表で」では、第一章でもそれぞれ気球乗りとして言及された英国人冒険家フレッド・バーナビーとフランス人女優サラ・ベルナール恋物語が綴られる。
 どちらも実在の人物だ。バーナビーはヴィクトリア朝を代表する冒険家で、伊藤計劃の遺作『屍者の帝国』(で円城塔が引き継いだパート)では豪放磊落な人物として描かれているが、本作ではむしろ繊細な青年といった印象。ベルナールはベル・エポックを代表する女優で、ユゴーオスカー・ワイルドとも交流を持ち同時代の文化に大きく貢献した。
 ベルナールは恋多き人物として知られているが、バーナビーと付き合っていたという史料はおそらく存在しない。第一章とは打って変わって、この章はバーンズの創作だ。
 だから、冒頭に宣言される「これまで組み合わせたことのないものを、二つ、組み合わせてみる」は第一章とまったく同じだけれど、続くセンテンスが違う。「うまくいくこともあれば、そうでないこともある。」
 続く文章は気球の技術についてのもので、つまりバーンズは愛とその行く末を気球になぞらえている。

 実際に、地に這いつくばる人間がときに神々の高みに達することがある。ある者は芸術で、ある者は宗教で、だがほとんどは愛の力で飛ぶ。もちろん、飛ぶことには墜落がつきものだ。軟着陸はまず不可能で、脚を砕くほどの力で地面に転がされたり、どこか外国の鉄道線路に突き落とされたりする。すべての恋愛は潜在的に悲しみの物語だ。(p.46)


 悲しみの物語であるところの恋愛はそのまま第二章のベルナールとバーナビーの顛末を暗示すると同時に、第三章のバーンズ自身の物語を予告する。


 第三章「深さの喪失」では、妻を病気で失ったバーンズの彷徨が描かれる。人生の半分を共に過ごした伴侶を亡くした老小説家は、世界に対する関心をなくし、友人や知人たちの言葉や態度に反発し、妻を想起させるあらゆる出来事に涙し、やがては希死念慮を抱くようになる。
 妻の死は彼の趣味すら変える。以前は興味を抱けなかったオペラがきゅうに理解できるようになる。彼は『オルフェオとエウリディーチェ』を観劇しにでかける。イカロスと同じくギリシャ神話に材を取ったオペラで、オルフェウスという男が喪った妻を取り戻しに冥界まで降り、妻の手を引いて現世へ戻ろうとするも、「冥界から脱出するときは決して振り返っていけない」という禁忌を破って妻のほうを振り向いてしまったために再度妻を失ってしまう話。
 最初、バーンズはオルフェウスをバカげた愚か者と考える。絶対ダメと念を押されたはずのルールをなぜ破ってしまうのか。結果がわかりきっているのに、なぜ、と。しかし『オルフェオ』を観たバーンズは一転してオルフェウスに共感する。

 どうして見ずにいられよう。「正気の人間」なら決してしなくても、オルフェオは愛と悲しみと希望で正気をなくした男だ。ほんの一瞥のために世界を失うようなことをするか。もちろん、する。世界は、こういう状況で失われるためにある。(p.115)

 
 墜落するとわかっていてもやめられない。その物語が今のバーンズには納得できる。
 ギリシャ神話、写真、オペラ、愛のメタファーとしての気球、バーナビーとベルナール、イギリスとフランス……反復はパターンを構成する。そしてパターンによって人生は物語化される。バーンズは言う。「たぶん、悲しみはすべてのパターンを打ち壊すだけでなく、パターンが存在するという信念を破壊する。だが、私たちはその信念なしには生きていけないと思う」

 壊れてしまったパターンを直すために断片的な事柄から要素を見出し拾いあつめること。それこそが作家としてのバーンスが行わずにはいられなかった自己セラピー、作中のことばを借りるなら「グリーフ・ワーク」だ。それはそのまま小説を書く作業でもある。本を読み、文豪たちの名言を引き、気球や写真について調べ、ひとつの組織された虚構を著述する。
 その結果として、本書が生まれ、ジュリアン・バーンズはなお生きている。

(2064文字)
 

*1:英語版 wikipediaの作者ページでは「Nonfiction, memoir」にカテゴライズされている

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