Celeste がそのままモチーフに用いていることからわかるように、死に覚えプラットフォームアクションは登山行為に近い。 Ori and the Blind forest がとりわけ登山めいて感じられるのは、おそらくセーブシステムのせいだろう。 スキルポイントを消費してセーブポイント作る。死んだら即その地点からリスタートだ。体力等の状況も保存されるため、自分で状況を判断して、的確なタイミング、的確な場所に設置しなければならない。下手にセーブすると、半端な体力で難局に当たらなければならなくなり、ことによったら詰んでしまう。
『ロックマンエグゼ』と Sly the Spire と弾幕シューティングを三神合体させた結果、人智ではとても及ばない化け物が生まれてしまいました。ドクターマンハッタンも戦慄する現代の原爆、それが One Step from Eden です。 速い、そして多い。とにかくじっくりと勘案べきことが山のようにあるのあるだけど、それを吟味している余裕がまるでない。 超高速で放たれる敵の攻撃を交わしつつ、ぼんやりと組み立てたデッキを「このカードの効果ってなんだったっけ?」となにもかもあやふやなままぶん回し続ける行為は現生人類のCPUではとても処理できないフロウであり、ゆえにこのゲームを超克したプレイヤーは楽園が約束されるのです。 サントラが最高。
某村映画のスペシャリスト氏から「アリ・アスターの全短編オンライン上映会やろうぜ」と誘われ、何それ超楽しそうやるやる〜〜〜と軽々に応じたものの、爆睡して約束の時間に間に合わなかったため、反省の印としてアリ・アスター全短編レビューを己に課した。 そのためにアリ・アスター全短編読本『”I HOPE THAT PEOPLE WILL FEEL UNSETTLED.”』(映画パンフは宇宙だ)を取り寄せたりなんかもした。なるべく内容がかぶらないようにがんばります。
それにしても”I hope that people will feel unsettled”(みんな不安になってくれればいいな)とはいいことばですね。エドワード・ゴーリーはかつて(うろおぼえですけれど)「私は毎日目覚めてベッドから起き上がるときに世界に対してとてつもない不安を催す。私の本を読んだみんなにも同じ気持ちを味わってほしい」と述べ、矢部嵩は(これまたうろおぼえなのですけれど)「読者に傷跡を残したい」といいました。 わたしたちは不安にならなければならないとおもいませんか。今でも十分不安でしょうけれど、もっと不安になるべきだとおもいませんか。 バルガス・リョサは「不完全な世界を補うために書いている」といいましたけれど、わたしたちの世界が不完全なのは不安が足らないせいなのではないですか。 わたしたちは普段あらゆる手段を尽くして安心を買っていて、そのせいで常に不安に欠乏しているのです。 でも嘆くことはない。少なくとも2020年の不完全な世界にはアリ・アスターがいる。全短編がネットで公開されている。金にも時間にも贖えないものが、そこにはある。
AV Club 誌曰く「アリ・アスターの短編フィルモグラフィから埋葬された一作」。もともと、Funny or Die というアダム・マッケイやウィル・ファレル(『おれたち〜』シリーズや『マネー・ショート』のコンビ)が作ったコメディ動画制作サイトに寄せられたものだったらしい。 内容はちんこで屁をこけるようになる器具の宣伝(通販番組パロディ)。やりかたを間違えるとちんこが破裂します。 まあ、くだんないしおもしろくもないんだけど、アリ・アスターの性器に対する興味はもはやオブセッションに近いのではないかとも思えてくる。 ちなみに主演ふたりのうちの片方がアリ・アスター。
The Strange Things About The Johnson’s で父親役を演じたビリー・マヨが再登場。The Strange Things〜に輪をかけてかわいそうな目にあっていく。 話としては、やたら心配性な男(どうやら不眠症であるよう)が紛失した鍵を盗難されたものと思い込んだことから侵入者の恐怖に怯え、どんどん強迫観念をエスカレートさせていくというもの。 衝撃的なラストカット含めアリ・アスター全短編中でもいちばん謎めいていて、多様な解釈を呼ぶ一編となっている。いろいろおかしな点は多いのだ*1が、個人的には庭も観葉植物もないアパート住まいの主人公が高枝切りハサミを所持しているのが地味に気になった。 神経症的なホラーを通して「母と子」のディスコミュニケーションが描かれ、それが世界の崩壊に直結していくのは『へレディタリー』っぽいといえるかもしれない。また「鍵」とモチーフをうまく回して、世界に対する不信感をよく醸し出している*2。 六分程度と短く、キャッチーな奇妙さに溢れていていかにも”アリ・アスターっぽい”ので、全短編中で一番親しみやすい作品かもしれない。 アリ・アスターがちょっとだけ出てる。
元はニューヨークの映画祭(第五十一回ニューヨーク・フィルム・フェスティバル)の「次世代の監督を発見する」というお題目の企画に応じて作ったもの*4で、アリ・アスターのライフワークである〈ポートレイト・シリーズ〉のひとつ。”C’set La Vie”とかもそう。完全にカメラを固定して、人物も極力動かさないことで絵画や写真のような印象の画作りを行い、さらに主演俳優を画面の向こうの観客に向かって語りかけさせるスタイルなどがシリーズに共通している。 本作の中身としては金持ちのお嬢様で若手女優役のレイチェル・ブロスナンが母親や恋人や役者人生について延々とひとりがたりする、という趣向。とにかくとりとめのないエピソードを並べていくため、全短編中でも要素やテーマを抽出しづらいが、宗教や母親を否定しながらも親から与えられた豪邸での生活から独り立ちすることのできない若手女優の焦燥と憧憬が常に反映されているとも見られる。彼女が俳優業をやっているのも演じることで「甘やかされた金持ちのお嬢様」という自分をしばる枠から抜け出して別人になれる(演技と演技に対する世間の評価療法を通じて)からではないか。 無理やり長編デビュー後のアリ・アスターの文脈につなげてしまえば、家族に呪縛された若者が別の自分に「脱皮」する、というところか。まあ『ミッドサマー』も『へレディタリー』も脱皮したところで別の地獄なんですが、はたして本作の主人公が俳優として成功を得たときはどうなるのだろう?
「フロイトは恐怖がいつ起こると言ったか。慣れ親しんだはずのものが自分の知らないものになったときだ。それを”不気味なもの”と呼んだ。*6この場所が正にそうだ。時代も国も何もかもが”不気味なもの”だ。」 (滝澤学訳, p69,『”I HOPE THAT PEOPLE WILL FEEL UNSTTLED”』)
これを The Turtle’s Head のときと同じように、アメリカ白人男性の断末魔のスケッチと見なすこともできる。しかし、ホームレスがマシンガンのように放つスマホ批判などはまるで生産性のない一方で不思議と共感をさそうし、彼が「もし市長になったらやること」のリストは明らかにむちゃくちゃだけれど一抹の痛快さも持つ。 いきとしいけるいけるもの全員が幸せとはいわないまでも、そこそこ便利に暮らしているはずのに、どこか閉塞している。そんな現代文明に対する根拠不明のいらだちが、home であるはずの世界を unhome にしていく。どこもかしこも居心地の悪い部屋で、誰も彼もがよそものだ。それでも「ここで小便をして、クソをして、ファックをして、最後は死ぬ」しかない。「ここにいる誰もが自分はこんな地獄に落ちると思っていなかった」*7だろうに。 わたしたちの人生と本作におけるホームレスの生活は不安という一点で共鳴している。
・主にベンソンがホロウカと出会って Night in the Woods を完成させるまでの開発作業と、その過程で垣間見えたホロウカのパーソナリティについて、ベンソンの視点から語られている。そのため Night in the Woods の制作史的な側面も帯びている。 ・めちゃ長い2万字くらいある。ホロウカの自死から三日後のめちゃくちゃな心理状態で書かれたためか、繰り返しになっているところも多い。めんどくさくなってテキトーに訳したり端折ったりしているとこもあるかもしれない。でもできるだけがんばって全文訳にしようとした。全文でないと意味がない文書だから。なので誤訳もたぶんというか絶対ある。ご寛恕を乞いたい。 ・モラル・ハラスメント等の虐待、自殺、メンタルヘルス的要素などが含まれているため、そういうのを読むべきでない状態の方は読まないでください。 ・今回訳してて感じたのは、 Abuse, Abusive という単語にしっくりくる訳語がないこと。これは toxic にも前々から感じていたのだけれど。
主な登場人物
スコット・ベンソン(Scott Benson)……インディゲーム開発者、アニメーター、イラストレーター。アメリカ人。Night in the Woods の開発元である Infinite Fall の共同設立者。元はフリーランスのアニメーターで、Night in the Woods までゲームの開発に携わった経験はなかった。アレックの自殺後、NITWの主要メンバーで妻でもあるベサニー・ホッケンベリーと新しいゲームスタジオ The Glory Society を設立。
アレック・ホロウカ(Alec Holowka)……インディゲーム開発者、プログラマー、作曲家。カナダのウィニペグ出身。十代の頃からプログラマーとして活躍したのち、22歳のときにフリーゲーム I'm O.K – A Murder Simulator で作曲家兼サウンドエンジニアとしてゲーム業界デビュー。I’m O.K のゲームデザイナーだったデレク・ユウとインディゲームディベロッパーの Bit Blot を立ち上げ、2007年にアクション・アドベンチャーの Aquaria をリリースすると、これがヒット。Independent Game Festival(IGF)で最高賞を受賞*1するなど一躍インディゲーム界隈の寵児となる。その後は主に作曲家として、Crayon Physics Deluxe 、TowerFall Ascension といったタイトルに関わる。NITWのサントラはほぼ彼の手による。 open.spotify.com
二人とも気分障害の薬を服用していた。なので、話すことはいっぱいあった。ぼくたちのゲーム開発がどんなふうにして始まったのかについてはいろんな場所で何度か話したので、ここで詳細を繰り返しはしない。約めると、数カ月間あまり独創性のないアイデアをいくつかこねくりまわしたあと、ある晩に『Night in the Woods』へと繋がる基礎的なアイデアを書き出し、アレックがそれを気に入った。その時点からアレックをぼくにゲーム開発におけるクリエイティブな決定をたくさん任せてくれるようになった。ゲーム開発の経験がなかったぼくは戦々恐々としていたけれど。 アレックは局面を解決するためのおもしろい方法を作り出すのがとてもうまく、何でもできるようになる小さなシステムを開発したり、初心者のぼくでも簡単に扱えるツールセットを生み出したりして、技術的なレベルにあることをうまく誰でもわかるレベルに落とし込んでいた。*7 少なくともぼくの知る限り、調子が最高にいいときの彼はそんな感じだった。かたや、ぼくはなにも知らない無能者だった。プロジェクトにほとんど貢献できず、ただのお荷物になるのではと怖れていた。 アレックは六ヶ月かけてゲームのプロトタイプ制作に専念しようと提案してきた。ぼくは請負仕事をやらずに六ヶ月も制作に費やすのは(経済的に)無理だと伝えた。彼がキックスターター*8で資金集めをしようと言ってきたとき、ぼくはそれが無残に失敗するだろうと考えた。 だが、成功した。*9そうしてあまりにも突然に、しかもその後幾度ととなくそうなるのだけれど、ぼくたちは「時の人」になった。何の前触れもなく、フリーランスのアニメーターではなくなってしまったのだ。ぼくはほとんど知らないような人たちとゲームを制作する法的な義務を負った、フルタイムのゲーム開発者になってしまった。ぼくたちはファンド成立の数週間後に小さな短編ゲームを作った。ぼくたちに制作能力があることをみんなに示す必要があった。ぼくはもともとアニメ版のユールログ*10みたいなものを作りたかったのだけれど、アレックが「ねえ、ぼくらはビデオゲームを作ってるんだからさ、インタラクティブ性を持たせてみようじゃないか」と言ってきた。それで、そうした。 ぼくは中心となるメカニックと物語を彼に提案し、ぼくの記憶が正しければ、10日目には完成にこぎつけた。 それが『Night in The Woods』プロジェクトにおける最初の本格的な作品、「Longhest Night」だった。*11粗削りで、脚本も稚拙だった。それでもぼくたちはとても盛り上がった。何かを作り上げたのだ。とりわけぼく自身にとっては初めて作ったゲームだった。アレックもスランプを抜け出せて喜んでいたように見えた。あるいは、あとで彼自身からそう言われたのだったか。
それからの半年間は嵐のようだった。ベサニー*12が開発メンバーの中枢に正式に加わった。ぼくたちは2014年の2月に『Night in the Woods』の本格的な開発に着手した。数カ月後には急ごしらえで不出来なデモをGDC*13で公開した。ぼくたちのパブリッシャーである Finji *14(ファンド成立からまもなくしてパブリッシャーとして名乗り出てくれた)はその年のE3*15の招待を勝ち取ってくれた。 E3はぼくにとっての最初のゲームイベントになった。アレックに直接会ったのもそれが初めてだった。それ以降も年に一二度ほどしか会わなかった。 初めてのE3はきつくて疲労困憊になったけれど、幸いにもデモは一部の記者から好評を博し、来たるべき期待作として話題になっていった。 その年の初めのGDCで、アレックがSNSで何人かの人物に対してキレて非常な悪意を示しているのを目撃した。彼は、自分は酔っている、誰かが自分を殺しに来るまでサンフランシスコを走り回ってやるつもりだ、といった内容のメッセージをぼくに送ってきた。業界のイベントで30代の仕事仲間から聞くセリフとしては奇妙だった。その晩は眠れなかった。翌朝、彼は薬を飲み忘れてしまい、そのせいで人の集まるところで不安を催したのだと言った。ぼくは納得し、ちゃんと薬を飲むように彼に言い聞かせた。
GDC2015の期間中*18、アレックは数日に渡って完全にぶっこわれていた。彼は周囲の人々に脅迫を行っていた。これが最初で、しかし最後にはならなかった。彼の望むとおりにやらなかったら自殺してやる、と僕を脅してきた。彼はどうにかしてすべてを好転させてほしいと望んでいた。みんなが彼の態度に怯えていることについて怒りをおぼえていて、その怒りは日に日に膨らんでいった。他のみんなが計らって彼に歯向かっていると思い込んでいた。「俺のせいじゃない」と彼は言った。 彼みたいなことをやる人間を見るのは初めてじゃなかった。ぼくは他の誰かの幸福や行動や気分についての責任を引き受ける人間になっていた。若い頃からぼくに染みついた悪癖だった。このことが昔からぼくを虐待者たちに目をつけられやすくしていた。ぼくは援助のためにすべてを投げ売っていた。そういう人たちを助けるために夜通しつきっきりになることもあった。教会にいたときは、ぼくはそういうことをまさに数え切れないほどやったアレックと働いていた何年間かのあいだにも、それとは気づかないまま、彼が雰囲気を悪くしたり、奇妙なことを言ったり、怒ったりするたびに、物事をなめらかにするために自分に対して都合よく説明付けを行ったり記憶を修正したりするようになりだしていた。 その年の残りのあいだに、ぼくは一生残る心の傷を刻まれた。GDCのすぐあとに、アレックはバンクーバーの住居から移るように要求された。そこの住民たちにとっての彼はもはや危険人物とみなされていた。ぼくが彼らでも同じように感じただろう。彼は最終的に彼の助けとなる実家のあるウィニペグ*19へ戻っていった。 アレックは自分に繋がる橋を燃やして回っているように見えた。少なくとも、ぼくが離れた地点から目撃したかぎりではそうだった。彼は元気がなさそうに見えた。そしてしばらく姿を消した。『Night in the Woods』の仕事もすべて止めた。ぼくたちが話かけても、彼はほとんどなにも喋らなかった。かと思えば、突然すさまじく怒り出すこともあった。ぼくに対して、世界に対して、元カノに対して、彼の元ハウスメイトに対して、他のあらゆるものに対して。
2015年の夏、いつのまにかぼくはパニック障害を連日起こすようになっていた。以前には発症したことのない病気だった。睡眠麻痺の症状も出はじめて、これも初めての経験だった。 アレックはしばらくのあいだプロジェクトにほとんど顔を出さなくなっていて、いたらいたで虐待的な振る舞いをしていた。 2013年にぼくが出会った男は、悪夢に成り果てていた。純粋な害毒だった。ぼくや他の誰かのせいで自殺する、という脅迫が増えた。彼はそのことについて暗号めいたことを言っては姿を消し、数日後にまた戻ってきてぼくたちをひとまずほっとさせた。もう彼の行動に口出しできなくなっていた。何かが起こったらぼくらのせいだ、と言い残し彼はまた去っていった。 そうして、ぼくたちのゲーム開発は窮地に陥りつつあった。ぼくは『Night in the Woods』のために他で築いてきたキャリアを投げうってしまっていたし、パブリッシャーが奇跡的な力のおかげで資金をかき集めてきてはいたけれど、ベサニーとぼくの借金は増えていった。そのせいもあって、公の場でのぼくは何もかも問題なく進んでいるような笑顔を保たなければいけなくなった。ぼくらの未来はアレックの手の中にあった。そして、彼は悪夢となった。
自分のやったことを理解した、と彼は言った。そして一週間もしないうちに彼は開発現場へ戻ってきた。2015年の12月にベサニーが twitterの愚痴アカに鍵をかけなかったことで『Night In The Woods』は救われたのだ。
2016年、ぼくはまだパニック発作を起こしていたけれど、以前より症状はすこし軽くなっていた。ぼくたちの目にはアレックが変わったように見えた。彼はセラピーで課されたワークシートにこなしていて、いつもそのことについて話していた。その年の春に十一日間、ぼくたちといっしょに過ごしたときもワークシートを持参してきていた。ぼくにも効果があるだろうと考えたのか、ぼくにもワークシートを見せたがっていた。そのなかのひとつは認知の歪みに対する認知行動療法のリストだった。100%、役に立っただろう。 彼は良くなっていった。やさしくて穏やかで感じが良くなった。2015年のあいだにぼくが雑に作り上げたデザインドキュメントからゲームを築き上げるために一日中働き、物事がうまく回り始めた。いくつかのシーンは2014年から2015年はじめの段階でほとんど完成していて、それらのシーン以外はグレーボックステストを始めたばかりだった。しかしまあ、まがりなりにもゲームを最初から最後までプレイできるヴァージョンではあった。 2013年の時点では3,4時間程度で終わるゲームになる予定だった。だが、この20%しか完成していないヴァージョンでも5.5時間の尺があった。ぼくたちの予想以上のサイズだった。 彼がアメリカを立つ前日、車に乗ってアレックを Night in The Woods のモデルにした場所へ案内した。2014年の彼はゲームの非デザイン的な部分に主に関わっていたし、2015年の彼はほとんど現場にいなかったからだ。彼はNITWが何についてのゲームかほとんど知らなかった。 ぼくたちはヴァンダーグリフト*24を訪れた。ポッサムスプリングス*25の中心街の参考にした場所だ。ぼくたちはゴーストタウン・トレイル*26の開始地点であるセイラー・パーク*27から川*28向こうにある、ブラックリック*29の鉱山用機械の墓場へ行った。ボリヴァー*30へも行った。傾斜地の上からジョンズタウン*31を見下ろし、シーツ*32を紹介した。アルトゥーナ*33の丘の上にも行った。かつて、どこかの子どもが家のなかで叫んでいる大人たちから逃れて屋根に登って本を読んでいる姿を目撃した場所だ。これはローリー*34というキャラクターのもとになった。 ぼくたちは半ば放置されて内部がごちゃちゃしている建物を通った。これは”マラードくんの墓”*35のインスパイア元だ。 夕食をともにし、彼は彼に下された診断について胸襟を開いて語り、彼の人生がどのように変化したか、彼自身がどのように変わったかについて話した。かれが完全におかしくなってバンクーバーへの追放されてから、一年も経っていなかった。変化は起きたのだ。ぼくはそう確信した。その後、ぼくが確かめたかぎりでは、彼が違う人間になったことにみんな同意してくれているようだった。アレックは自分のマンションを手に入れて一人暮らしを始め、自分の闘病生活について正直に明かした上でメンタルヘルスの問題を扱うポッドキャストを配信しはじめた*36。この11ヶ月間で何年分も成長したようにおもわれた。 ぼくは彼をやさしく励ました。彼が傷付けてきた人たちに対していつかつぐないをできるよう、手助けしたかった。彼もできるかぎりそうするといっていた。誰かがいつか自分の人生を破壊しようとしに来るとぼんやりした恐れを抱えたままではあったけれど。ときどき、間欠的な怒りの発作に見舞われることもあった。でも、彼はそのことについてもセラピストに相談していた。以前よりずっとずっとマシになっていた。 それから一年でぼくはアレックと真の友人関係を築けたと考えるようになった。いとこのような存在になったとさえ言えるかもしれない。彼は2016年の9月にふたたび訪米し、ほぼ完成したヴァージョンのNITWを遊んだ。(ついに)発売日も設定した。2015年から続けていた休みなしの労働をついに止めることができた。ここ数年はリリースまでの苦労をたくさん語ってきたとおもう。かなり強烈な体験をした。ぼくのある家族がリリースの一週間前に自殺未遂を起こした。ぼく自身、不眠症のせいでキッチンでいきなり卒倒して、目覚めたら頭に傷を負っていた、なんてことがあった。パニック障害にも絶えず襲われた。その間、アレックはなにもかもずっと平穏に過ごしていた。
彼が意識して邪悪になろうとしていたとはおもわない。こういうことをやる人は、たいていそうだ。自分のパラノイアが彼自身の苦しみによって生じたものだとアレックも気づいていた。それはわかる。だが、それでも彼の振る舞いは改善されなかった。 継続的に脅迫されていると思い込む一方で、彼は他者を物理的に脅していた。長年にわたって幾人もの女性を罠にかけてきたのに、その全員が彼に不当な恨みを抱いていると信じていた。今週アレックの知人たちと話していた気づいたのは、彼が他人をコントロールするために「自殺する」と脅す手法を色んな人たちに(主に彼の行動に責任を持とうとした人たちに)対して用いていたことだ。 彼の知り合いだった何名かの人たちから、そうした彼の態度を伝えなかったことについて謝罪を受けた。そして今、ぼくはこれを書いている。遅すぎた。アレックが彼が他人にしたことを内心どう感じていたにせよ、結果的に彼のやっていたことは虐待でしかなかった。アレックは死んだ。彼のつけた傷は残っている。 一週間で多くのことが人々に知られるところとなった。アレックから虐待を受けていた人々が同じ体験をした人と語り合いはじめた。ぼくもその一人だ。その体験をどうやって語ればいいかがわからなかった。でも今、こうして語っている。 彼が他者に対して行ってきたことの深刻さについて、ぼくは知らなかった。傍からすれば、この騒動は火曜日に始まって土曜日にすべて終わったように見えるだろう。しかし、ぼくたちにとってはそれより遥かに長い期間続いているのだ。ぼくにとっては2013年から続いている。ある人にっては2005年から。また別の人は2009年から。あるいは2018年から。アレックはぼくに対して自殺を匂わせる脅迫を止めて、他の誰を脅しはじめたのだろうか? 彼が標的を変えたことはわかっている。新しい街へ移り、新しいチームへ移り、心を許せる新しい人へ移る。 とても難しくつらい考えを山ほど検討したのち、ぼくたちはアレックとの関係を断つことを公表した。*41一部では「解雇」と報じられていたが、そのとき彼をクビにするようなプロジェクトはなかった。Infinite Fall*42は会社ではない。ぼくたちのコラボレーションにつけられた名前だ。Infinite Fall に上層本部なんて存在しない。カットする給料なんてのもない。ぼくたちの企画で大儲けにつながるようなものはなかったし、彼が一員となっているチームもなかった。彼とは「別れた」といったほうが相応しいだろう。というか、そのときすでに彼はとっくによそへ移っていた。
彼が(少なくともぼくに見えた範囲では)変化を遂げていたことを、ぼくは評価したい。すばらしいゲーム開発者でミュージシャンだった、と言ってやりたい。2015年の長い不在のあとで、彼は『Night In The Woods』を「自分のゲーム」だとはあまり見なさなくなった。2016年にカンブリア郡*43の田舎道をドライブしながら、彼は「いつか自分自身であるような何かを作りたい」と語っていた。完全に彼自身からできあがった何かを。 NITWが出たあと、バグ修正やパッチを仕上げつつも、さっさと別に移っていった。その後のことにはあまり関与しなかった。チームでの講演にも出席しなかったし、ぼくたちがやっていることについても関心が薄かった。(訳注・アレックが担当した)サウンドトラックのリリースには盛り上がっていたし、エピローグ用のミニゲームも共同で作っていた。でも、彼は死んでしまった。 アレックの業績を称える一方で、彼のせいで業界を離れていった人々を想う。自分の夢や、作りたかった作品を諦めざるをえなかった人たち。著名なインディー開発者との仕事に惹かれ、挫折と経済的安定と彼からの逃亡とのあいだに絡めとられてしまった人たち。破壊的な存在としての彼に何年も人生を費やしてしまった人たち。PTSDに罹ってしまった人たち。セラピーに時間とお金を支払わなければならなくなった人たち。彼に因われているように感じていた人たち。ひとりの人間の業績が、あまりにも多くの人々を傷付けてきた事実に値するのかどうか、ぼくにはわからない。 アレックには富と名声があった。ゲーム開発者になる夢を叶えるチケットのような存在に思われたことだろう。彼は興味を抱いた人物に取り入る術を心得ていた。性急なまでの早さでゲームをいっしょに作ろうと持ちかけ、彼を頼るように仕向け、プロジェクトとチームを投げ出し、ときにとてもひどいやりかたでふみにじる。今から振り返れば、そういうことが、ぼくが彼と知り合ってからも色んな人の身に起こっていたのだ。相手が女性である場合には、彼は彼女たちが本来与えられる以上の見返りを求めたりもした。関係を築く上では卑怯なやりかただった。ガキっぽくて、虐待的だった。そして望んだものを得ると、その人たちと彼らの夢を自分の道の脇に捨てて、また別の誰かを求めた。アレックとゲームを作るために職を捨てた人もいた。母国を離れた人もいた。なぜならアレックはフルタイムでのインディゲーム開発と、やりがいのある仕事と、業界での安定と未来を約束していたから。 就職難が叫ばれ、夢を実現するためには不公平で険しい障壁がしばしばたちはだかる時代にあって、多くの人々がアレックの誘いに乗った。ぼくが2013年の6月にそうしたように。そして彼が姿を消した2015年に、ぼくとベサニーはその報いを受けた。彼の周囲の環境と、ぼくたちの我慢強さと、アダムやベカーの援助と、キックスターターでの法的責任が彼を守った。そして、『Night In The Woods』の成功が彼により大きな名声を与え、彼と共に仕事をしたいと望む人々を増やした。彼となら夢が叶うと思う人々を。サイクルはまわり続けた。
*14:横スクロールランニングアクション『Canabalt』の開発者として知られるアダム・サルツマンとその妻のレベカーが2006年に立ち上げ、2014年に本格的なゲームスタジオとしてリニューアルされたパブリッシャー兼デベロッパー。ホロウカとは『Portico』というゲームを共同開発していたものの、途中で頓挫。その顛末はGDCの講演でアダム自身の口から語られている。https://www.youtube.com/watch?v=K0hO2ihn-Zw 『Night in the Woods』のパブリッシャーになったのもホロウカつながりだろうと推測される。
六十名からなる豆人間たちがひとところに集まって「ゲームショー」をやらされる。「エピソード」=ステージごとに二割から三割程度が失格となり、最終的にたったひとりが勝者となる。 わたしたちは Fall Guys でサバイバルのなんたるかを初めて知ることになるだろう。PUBG、Fortnite、Apex Legends、これらのバトルロイヤルは真の意味において人生ではなかった。厳しく残酷な命の取り合いを装いながらも、その実、小学校のグラウンドの行われる雪合戦となんらかわらない牧歌的な遊戯だった。 撃たれて死んだとしてもそれはプレイヤーの死ではなかったし、敗北はめぐり合わせでプレイヤーの敗北に直結しない。わたしたちは真剣に遊んでいたかもしれないが、真剣に殺し合ってはいなかったのかもしれない。
Fall Guys を本気(マジ)だと感じるのはなぜだろう。落ちるからだ。負けるときは落ちるときと定められている。タイトルにもそう定義されている。落ちるものども。そのバーティカルな破滅は、他のバトルロイヤルのごときホリゾンタルで(そこでは落下しても無傷で)フラットで(あたかも落下を検討すべき運動などとは考えてはいなくて)テイストレスな敗北(敗因がはっきりしている)とは一線を画している。本気がある。本物の生と死がかかっている。
*5:『Analogue: A Hate Story』、『Butterfly Soup』、『Gone Home』とかか。やったことあるやつとなると偏ってきますね。ネトフリドキュメンタリーの『ハイスコア:ゲーム黄金時代』でも、ゲイ&レズビアンテーマのインディーゲームのはしりみたいなタイトルが取り上げられてた。
死にゆく人々を傍らで見送る「死の妖精」という妖精のイラスト+フレーヴァーテキスト。死の妖精には二種類いて、黒いタイプは号泣して死者を悼む。白いタイプは不謹慎なまでに陽気に死者を送る。バンシーのようなものだろうか。 設定こそ人外であるものの、外見的には妖精たちは五体満足な少年少女の姿で描かれている。メカ要素や身体改造要素もなく*7、それまでの器械同人誌作品とは一線を画している。 あとがきによれば、器械先生がモリをメメントした結果生まれたらしい。 表紙でオマージュされているのは、アメリカの現代アーティスト、エドワード・キーンホルツ(Edward Kienholz)の The State Hospital。
「Limbs on Spheres」 青年サカキに恋する少女がサカキのためにお弁当を作って届ける。しかし、サカキは飼っているロボットのマールにベタベタで……というラブコメ。 マールの造形は『FRACTURE!』の「無題」のようにのっぺらぼうの顔で、身体部分は、劇中でハンス・ベルメールが引用されているように、球体関節人形が意識されている。ちなみに変形すると人型から四足歩行になり、頭部だった部分が股間に、股関部分だったところが頭部になる。食事もできる。
「Light My Fire」 クラブで働く*11アンティークライトを擬人化したような少女(上半身はほぼ普通の人間と変わりなく、スカートがライトの傘の役目を果たしていて、そこから光が漏れている。脚部も装飾的。)が”電球”の交換を同僚の青年に頼む。一発ネタのエロコメディ。 器物であるライトをそのまま人間的なシルエットに馴染ませた造形はすばらしいの一言。また器物の役割を人間に負わせる趣向はパオロ・バチガルピの「フルーテッド・ガールズ」を想起させる。数ページのコメディで使い果たすのがもったいない魅力的な世界観。
二十世紀の日本人が知りえた以上のトレイラー詐欺を、ポーランド人はとっくに過去のものにしている。*5 WIRED は、 CD PROJEKT RED が約束を破ったと糾弾した。 違う。 約束を守らなかったのは我々の方だ。1980年代の延長線上にあったはずの未来を裏切ったのは我々だ。アメリカ合衆国の破滅や核爆発、インプラントや企業国家という素敵な新世界ではなく、「いまどうしてる?」という一方的な問いかけに対し、考えていないことややっていないことを140文字以内で答える二十一世紀にしたのは我々だ。*6今まさにサイバーパンクであることによって、我々はかつて夢見られていたサイバーパンクを破産に追いやった。CDPRは不実な我々の代わりに約束を果たしたに過ぎない。そうだろ、ブロダー?*7
では、参りましょう。 2020年の YCPTDGOTY("You Can Pet the Dog” Game of The Year=年間犬撫でゲーム大賞)のノミネート作の発表です。 ちなみにこの場合の「犬」はネコや人食い大鷲などのあらゆる動物を含みます。なぜ含むかの理解については高度で複雑な専門知識を要するので、あなたがたは含むものとしてだけ了解してください。よろしいか?
もちろん、今回ご紹介できた犬撫でゲームはほんのひとにぎりです。有名所では Last of us Part II なんかも犬を撫でられたらしいですが、わたしはやってないのでカバーできておりません。TIMELIE とか Spiritfarer とかもまだ数十分しかできてないし。 犬撫でゲームの最新情報を知りたい向きは、"Can You Pet the Dog?"をフォローするといいんじゃないでしょうか。洪水のように犬撫でゲーム情報が流れてきます。今回触れたゲームも触れてないゲームもすべてここにあります。あら、この記事の存在意義が一瞬で消えましたね。たようなら、たようなら。永遠に無のバイトだけをネットに吐き出していたいな。 twitter.com