Quantcast
Channel: 名馬であれば馬のうち
Viewing all 264 articles
Browse latest View live

新潮クレスト・ブックス全レビュー〈11〉:『靴ひも』ドメニコ・スタルノーネ

$
0
0

ドメニコ・スタルノーネ『靴ひも』、Lacci、関口英子・訳、イタリア語



 その資料が果たして私なのだろうか。読んだ本に引かれた下線が私なのだろうか。本のタイトルや引用文にびっしりと書き込まれた紙が私なのだろうか。(中略)二十歳のときに認(したた)めた、長ったらしい小説が私なのだろうか。(p.72)



 本書はそれぞれ「第一の書」、「第二の書」、「第三の書」と銘打たれた三つのパートから成る。「第一の書」の舞台は一九七〇年代。妻から夫に当てられた書簡の形式を取り、若い女と不倫して妻子を放り出した夫に対する糾弾が綴られる。打って変わって「第二の書」では、老齢になったその夫が三人称視点で描かれる。彼が夫婦(どうやら寄りを戻したらしい)のヴァカンスから帰宅すると何者かによって自宅が荒らされている。しかし飼いネコを除いては何も消えていない。訝しがりながらも荒らされた室内を片づけていると、ふと古い便箋の束が目に入る。それはかつて、妻から自分にあてられた手紙だった。

 もちろん、その手紙とは「第一の書」で読者が読んだものである。
 妻の苛烈な手紙を読みながら、四十年後の夫は当時の心中を思い出そうとする。そこで描かれるのは中年にさしかかりつあった自分の老いから逃れるために、七〇年代の「解放」の雰囲気に便乗して自分の教え子と不倫に走り、結果的に妻を精神的に追い込んだ愚かな過去の彼だ。だが、妻同様に自分もまた追い詰められていたと自己弁護を展開する。自分のありえた可能性を諦め、夫として父として不自由に生きねばならなかったのか、と。ともかくも、「第一の書」と「第二の書」で夫婦それぞれの立場と主張がなされるわけだ。
 四十年の時を経て、互いに傷つけ合う夫婦だったが、彼らのあいだにも共通する聖域があった。子どもたちだ。
 夫は離れて住む妻に引き取られていた幼い兄妹と面会したときの思い出を呼び覚ます。兄妹に靴ひもの結び方を教えようとして失敗してしまう、些細な出来事だ。しかし、彼はそこに象徴的な意味を見出す。「靴ひもを結んではほどくという行為によって」、「二人が生まれた生まれたときから一度も感じたことのなかったような近さにまで距離を縮めてくれた」(p.116)と信じた。
 疎遠だった子どもたちと、何気なく「結ぶ」という動作を通じて絆を取り「結ぶ」。物語的には筋が通っている。
 だが、本書はそのような独りよがりな「注釈」をゆるさない。
「第三の書」で四十代になった夫婦の子どもたちが登場したときに、読者はそれを知る。
 かつて、家族とは社会の最小単位だとされた。そしていまやおそらく、すれちがいのための最小単位でもある。現在や過去に打ってきた解釈はただしかったのか。その不安をスタルノーネは容赦なく抉りだす。
(1111文字)

靴ひも (新潮クレスト・ブックス)

靴ひも (新潮クレスト・ブックス)


圧 vs 子どもたち――『たまご他五篇 光用千春作品集』

$
0
0



 きちんとしないと
 きちんとするのが
 普通。


 きちんとしたら
 きちんとしないのが
 普通。


(中略)


 どうしてみんな
 どこで教わるの。


 試験とかあったのかな
 普通認定試験。


 だとしたら私は
 教科書を
 もらい忘れたんだ。


  (本編より)



 月はその年の基準となる良い短編集が出る傾向があります。
 その短編集を読んでないことには一年間なにも読んでなかったのと同じという短編集が。
 2020年のそれはこれ。
 光用千春の『たまご他五篇 光用千春作品集』です。


概要



 ひとは誰しも外部から圧をかけられながら生きていて、その外部とは社会一般だったり職場だったり家族だったり友だちだったりします。
 それらの圧は(特定の誰かに起因していたとしても)顔のない圧であって基本対処しようがない。適応しつつ日々を生き延びていくしかないのが現実です。しかし、物語を噛ませればその圧の形を見定めることができるかもしれない。そういうのもフィクションの効用のひとつです。


 光用千春の第二単行本にして初の短編集となる『たまご他五篇 光用千春作品集』に出てくる圧は、どれもおそろしい。
事故死した両親に取り憑かれて娘を独支配する母親、空気の読めない天然な言動で妹をいたたまれない心地にする姉、同僚の愚痴のはけ口以外の人格をもたせてもらえない職場。そして、なによりそれらに対するストレスを吐き出せない、言語化できない、という状況。


 時にレゴブロックめいてさえいるシンプルな表情は、それぞれのキャラクターが抱えている感情の奔流を肚の底へ抑えこんでいるかのようなピリついた印象を読者に与えます。
 そして、その溜め込んだ感情が決壊しことばがあふれだし、かかっていた圧の輪郭が定まる。そこに生じるのは和解かもしれないし、そうでないかもしれない。
 とぼけているようで不穏、不穏なようでやさしい。光用千春はあまり語られていなかった領域を、マンガ独特の表現で征服した、間違いなく今最も注目すべき作家のひとりです。


f:id:Monomane:20200314165523p:plain
ことばの上では怜悧に状況を分析できる子どもでも、「大人としての力」を前にするとなすすべもない。こういう絶望をさらりと書くのが巧み。

個別論



 白眉を挙げるとするならば、やはり「エリコとカナコ」と「星に願いを」の、いわゆる”毒親もの”の二篇でしょうか。


「エリコとカナコ」で描かれるのは40才のシングルマザー・エリコと、11才の一人娘カナコ。
 エリコはちょっと善意が過剰なひとというか、自分の「善」を他人にところかまわず押し付けがちで、特に娘に対してはほとんど独善的といってもいいような態度でコントロールしようとします。*1


 エリコの強迫観念の出どころは死んだ実の両親。彼女は定期的にカナコを連れて両親の墓参りに訪れ、自分の近況やカナコの成長を墓前に(あたかもそこに両親がいるかのように)報告します。
 その行事が娘のカナコにはいやでたまらない。エリコはいまだに「エリコの両親の子ども」としてふるまいつづけていて、「カナコの親」ではないのです。
カナコと親子関係を築けそうなのは実の父親くらいですが、彼は彼で再婚して新しい家庭を持っており、早熟なカナコ*2は遠慮して甘えられません。
それでもカナコは勇気を振り絞って父親にワンピースをねだって買ってもらいます。ところがそれをエリコに見つかって……というお話。
親は親で親である以前には個人であり、もっと前には子どもだったんだよな、ということをエモ一辺倒でなくクールにいなす態度がユニークな逸品です。
クライマックスでの魔法的な演出*3もよく効いている。


「星に願いを」の主人公ミツル(9才)はもうちょっとモロに母親のアリサから虐待を受けています。エリコ同様に社会的に成功したシングルマザーであるミツルの母親は、男性トラブルが生じるたびに無茶ないいがかりをつけて、息子を物置部屋に閉じ込めます。
 大人びたミツルは物置にロックアウトされても慣れたもので、母親の激情が落ち着くまで、泣きもわめきもせずいにやりすごします。
 ところが翌朝、母親が物置のドアにつっかえ棒をしたまま出ていってしまった。途方に暮れかけるミツルでしたが、そこにある青年が現れ、つっかえ棒を外して彼を助け出します。それをきっかけとして、ミツルの母親の運転手兼雑用係、そしておそらくは新しい愛人である青年、菊池とミツルとのささやかな交流が始まります。


f:id:Monomane:20200314165423p:plain
キャプション。短編集中でもトップクラスに簡素化された顔つきのミツルくん。この顔がもたらす温度が光用作品最大の特徴といってもいい。


 あるトラウマから若さを追い求め、派手な装いで男をとっかえひっかえし、子どもにも自分を「アリサさん」と呼ばせ、恋人がマンションに来る時は「部屋に閉じこもっているように」と命じる母親の世界には、自分の息子は含まれていません。
 劇中、物置部屋に閉じ込めることで母親は息子を「なかったこと」にしたかったのだと悟ったミツルは、つとめて冷静な口調で「アリサさんは自分のなかの『おかあさん』をなかったことにしたかったんじゃないの」と看破し、こう呼びかけます。
「お母さん、お母さん、どこに閉じこめられちゃってるの」


 誰かを閉じ込めている人もまた、過去に閉じ込められて泣いている。そんな普遍的な悲劇にどう嘘なく、しかし希望のある未来を示せるか。
 ヘビーなテーマをソフトにくるんだ短編集です。

コスモス (CUE COMICS)

コスモス (CUE COMICS)

  • 作者:光用 千春
  • 発売日: 2019/04/07
  • メディア:コミック
作者のデビュー単行本。こちらも親子を描いた作品。

*1:エリコのキャラクタの説明を冒頭二ページですませて、さらに墓参りのシーンで異質さを爆上げする上手さはすさまじい。

*2:デビュー長編の『コスモス』もそうですが、光用作品の子どもたちは概して大人っぽい、という大人よりも優秀で冷静な観察眼を持っています

*3:高野文子の「田辺のつる」を思い出しました

死に場所を選ぶ:Ori and the Blind Forest のセーブシステムについて

$
0
0

f:id:Monomane:20200405202447p:plain


 Celeste がそのままモチーフに用いていることからわかるように、死に覚えプラットフォームアクションは登山行為に近い。
 Ori and the Blind forest がとりわけ登山めいて感じられるのは、おそらくセーブシステムのせいだろう。
 スキルポイントを消費してセーブポイント作る。死んだら即その地点からリスタートだ。体力等の状況も保存されるため、自分で状況を判断して、的確なタイミング、的確な場所に設置しなければならない。下手にセーブすると、半端な体力で難局に当たらなければならなくなり、ことによったら詰んでしまう。


f:id:Monomane:20200405202511p:plain


 さらに悩ましいのが、スキルポイントはセーブのためだけに使われるわけではない点だ。必殺技でも消費するし、扉を開けるのに費やすこともある。リソースの割り振りの判断を誤れば、森は容赦なく君を殺す。何度も。何度でも。
 そう、だからそれは、絶壁にザイルを打つ行為に似ている。慎重さと思慮と勘と経験でもって、命がけでコンマを打つのだ。
 そこでセーブしてしまったら、次にスキルポイントを補給できるのは十回死ぬような難所を三つほど越えたところかもしれない。残りライフ一つの状態でいやらしく配置されたトラップと敵の迷路をノーミスで突破することを要求してくるかもしれない。
 置かれた状況の理不尽さはすべてプレイヤーの責任だ。オートセーブなら制作者を責められもしよう。でもそこにザイルを打つと決めたのは自分なのだ。だからこそ、滑落したときの後悔も絶望も死そのものさえ、すべて君のものになる。


f:id:Monomane:20200405202607p:plain

 死が自分の掌中に在る感覚。それはほかの死に覚えプラットフォーマーにはない、 Ori and the Blind Forest 独特の体験だといってもいいだろう。*1自分のものであるからといって、自在なわけではないのだけれど。


Ori and the Blind Forest (Original Soundtrack)

Ori and the Blind Forest (Original Soundtrack)

  • 発売日: 2015/03/10
  • メディア: MP3 ダウンロード


死に覚えプラットフォーマーゲームについての記事シリーズ。シリーズにしたおぼえはない。
proxia.hateblo.jp
proxia.hateblo.jp
proxia.hateblo.jp
proxia.hateblo.jp

*1:ちなみに続編である Ori and the Will of the Wisps ではオートセーブ方式が採用されている。まあこの作品はこの作品でおもしろい。 というか、the Will of the wisps やってて the Blind Forest のこと思い出して今回書いたんだけれども。

友人がうちにやって来たときに見せる用のアニメ6選

$
0
0

 あけましておめでとうございます。2083年も変わらぬご愛顧のほどをよろしくおねがいします。
 わたしが子どものころ、なぜかひとびとが極端に他人に会いたがらない時期がありまして、疫病のせいとも地球がうつ病にかかったせいともいわれましたが、とにかくまあ友人宅を行き来するのがはばかられました。御存知の通り、その後ジェフ・ベゾスイーロン・マスクが共同で発表したコピーロボットのおかげでフィジカルな接触はキャベツ繊維で覆われた人形に代理され、生殖も専ら試験管の中で行われるようになり、わたしたちはこうして一日中湿布を剥がして抽出したフェンタニルを舐めながらハッピーに生きているわけで、それはそれで愉快なのですが、しかし月の裏側で剛力彩芽のミイラを発見した呪いで死んだマスクはともかく、ベゾスは世界を救う前にやることがあったのではないでしょうか? 具体的には kindleバイスの改善とか? なんで150年も生きていていまだに1400兆ドルの資産の使いみちをあやまりつづけるのか?
 

 さて、人々がフィジカルな接触をまがりなりにも取り返したとき、まず再開したのは他人のうちにあがってアニメを見せ合う行為でした。
 他人の領域へ侵入し、アニメを上映するのは人間としての本性であり、人間が「殺し合うサル」に進化したのもアニメのせいであるというのはもはや定説です。
 アインシュタインはかつて「第三次世界大戦でどのような兵器が使われるかについては、わたしはわからない。しかし、第四次世界大戦で使われる兵器ならわかる。アニメだ」といいました。
 他人にアニメを見せる。すなわち、戦争です。相手の視界を支配し、思考を乗っ取り、その後の人生を決定的に変えてしまう。あのときあなたが『ゆゆ式』を、『あいまいみー』を、『キルミーベイベー』を見せなかったら今頃あの人も健在だったでしょうが、しかし変容した運命は、失われた未来はけして帰ってこない。
 わたしたちはそのような覚悟で家に招いた友人にアニメを見せあいます。血を伴わない啓蒙はありえません。革命には犠牲がつきものです。あなたが本心から友人を想い、その救済を願うのであれば。
 
以下、NetflixAmazon Prime Video、あるいは Youtubeなどで視聴できる作品(2020年5月現在)に限定しております。あとまあ色々過去記事とかぶってたり有名作しか紹介してなかったりしますが、主題が主題なので。


f:id:Monomane:20200504083505p:plain


1.『おかしなガムボール』S2EP8「ええっ、パパが仕事!?」

www.youtube.com
(本編途中まで公式で公開中。続きはアマプラやネトフリやGYAOなどで観られる)

・ネコの男の子ガムボールと金魚の男の子のダーウィンのきょうだい二人を中心としたスラップスティックなコメディ。
・「ええっ、パパが仕事!?」は、おっちょこちょいで無職で怠け者のリチャード(ガムボールのパパ)がひょんなことからピザ配達の職を得たことで宇宙の法則が乱れ、各地で異常気象や異常現象が多発する。しっかりものでちょっと強迫症っぽいママは宇宙の崩壊を止めるべく、パパに配達をやめさせようと車で飛び出すのだが……といった話。
・「ええっ、パパが仕事!?」っていうタイトルがすでにひどすぎていいですよね。いきなり22話から観てもパパがどういうキャラかが一発でわかる。
・10分そこそこで家庭の危機が宇宙の危機へと発展する壮大なSF。JGバラード以来のイギリス・ニューウェーブSFのひとつの達成といえる。いうだけならここは自由の国だぜ。
・ママからパパをクビにするように迫られた雇い主のピザ屋店員の「宇宙の法則を乱したからといって、クビにする理由にはならないよ!」は本作でも屈指の名台詞のひとつ。コンプライアンスの大切さを考えさせられます。

2.『リック・アンド・モーティ』S1S1「アドベンチャーのはじまり」(22分)

www.youtube.com
(番組トレイラー)

アメリカではもはやミレニアル世代の一般教養。*1ひとことで言うなら「邪悪な『ドラえもん』」。思春期に悶々とするダメ少年モーティと、その祖父で天才科学者のリックが異次元や宇宙へ繰り出してさまざまな冒険に挑む。といえば聞こえはいいが、七割くらいはリックによるモーティへの虐待である。*2
・第一話にはそのアニメのすべてが詰まっているとよく言われますが、『リック・アンド・モーティ』の第一話もまさにそれ。テンポよく繰り出される悪趣味なギャグの数々、自分の目的のためなら自分の孫すら冷酷に利用するリックの暴虐性、とにかく主体性がなく欲望ドリヴンで流されまくるモーティ少年のダメダメさ、非常に細かい引用ネタの数々、細部はめちゃくちゃなようで実にコントロールの効いたプロット……。
 なにより象徴的なのはラストにおけるリックの感動的なセリフでしょう。リックというキャラクターと、作品全体の品性をよくあらわしています。
・これを見せた人物から後日「あんなひどいアニメを見せるあんたはひどいひとだ」というクレームがつきました。でも、そのときわたしに『プリパラ』を見せたおまえのほうがよほどひどい蛮行を働いたのではないでしょうか。

3.『ミッドナイト・ゴスペル』S1EP2「士官とオオカミ」(20分)

www.youtube.com
(番組予告編)

・2010年代を代表するTVアニメ『アドベンチャー・タイム』を生み出したペンドルトン・ウォードがアドベンチャー・タイムの映画版制作をサボ……映画版制作の傍ら生み出したサイケデリックアヴァンギャルドアニメ。
・作り方がすごい特殊なんですよ。まず主人公の声を当てているコメディアンが数年前にやっていたポッドキャストだかラジオだかのインタビュー番組からゲストとのトークを抜き出して(400以上あるエピソードから10個を厳選)、それを九割五分残しながらアニメの世界観に馴染むように脚本へ起こす。で、コメディアンとゲスト本人にまた声をアテてもらう*3
 主人公役のコメディアンはともかく、ゲストのほうは薬物中毒やセックス中毒から脱しようとするセレブたちのリアリティ番組の司会で有名になった医師、元アル中の活動家兼作家、葬儀業界を革命しようとしているユーチューバー、悪魔崇拝に基づいて男児を殺害したとして逮捕され冤罪説も根強い元服役囚などなど日本ではまったく無名、アメリカでもそこまで馴染みのないであろう半分素人みたいな人々ばかり。
・なので、当然、演技にも慣れておらず、ときどき素で主人公の名前を主人公を演じているコメディアンの本名と呼び間違えたりする。そして、その素材をそのまま使ってしまう。これだけでもまさにカオス。
・さらにケイオティックなのがペンドルトン・ウォードのアニメーション。70年代テイストをリファインしつつ『アドベンチャー・タイム』のドラッギーな回を*4さらに濃縮したようなアヴァンギャルドな画や展開はもはやなにかをキメながらストーリーボードを描いたとしかおもわれません。
・基本的にアニメ部分ではアニメで、ヴォイスの部分のはヴォイスでそれぞれ乖離した感じで進んでいきます。が、観ていくうちに死やドラッグや瞑想についての語りが、シカとカバをかけあわせたようなイヌがピエロのおもちゃみたいな生物にとらわれて食肉工場で加工される風景や、ゾンビの大群を撃ちまくって大統領といっしょにホワイトハウスから脱出する場面や、脱獄しようとして永劫の死を繰り返す囚人の輪廻とシンクロしていくような不思議な感覚があり、そこがトリップ感につながります。映像ドラッグアニメのニューブラック、それが『ミッドナイト・ゴスペル』です。
・「士官とオオカミ」は、さっき言った「シカとカバをかけあわせたようなイヌがピエロのおもちゃみたいな生物にとらわれて食肉工場で加工される」エピソードなのですが、そのイヌみたいな生物が語る内容はアル中を経たアメリカ人女性作家の遍歴です。
・わかりやすさを取るならEP5 「喜びのせん滅」がオススメ。

4.『サウスパーク』S18EP6「フリーミアムは無料じゃない」

www.youtube.com
(公式プレビュー)

・おまえのために言う。ソシャゲをやめろ。いますぐスマホを置け。わからないなら、いいか、「フリーミアムは無料じゃない」を見ろ。FGOをやめろ。おまえのための思って見せているんだ。道徳教材なんだよ。『サウスパーク』は。

 

5.『レギュラーSHOW〜コりない2人〜』S1EP1「悪魔のジャン・ケン・ポン!」(11分)

www.youtube.com
(公式の本編フル)

・『おかしなガムボール』の「ええっ、パパが仕事!?」では10分で宇宙の次元へ達していましたが、毎回そのエスカレーションをやるコメディアニメが『レギュラーSHOW』です。ちょっとダメなアオカケスのモーデカイと社会生活不能レベルでダメなアライグマのリグビーが特に目的もなくダラダラと愉快に生きる様はひとびとに勇気と希望を与えてくれます。
・そのゆるいルックに反して実はギチギチに計算された作品でもあります。短い尺に配された伏線、キャラクター描写、状況や設定の壮大さ、話の面白さ、手仕舞いの切れ味、いずれも『レギュラーSHOW』は2010年代でも完成度ではトップクラスの短編連作アニメといえるでしょう。おなじく2010年代のカートゥーンネットワークの看板アニメ『アドベンチャー・タイム』や『スティーブン・ユニバース』と違って日本語版のDVDが出てない
のが残念。っていうか一時期はアメリカ版もセレクションしかなかった気がする。

6.『リラックマとカオルさん』S1EP3「梅雨」(11分)

www.youtube.com
(番組予告編)

・国民的人気IPリラックマを題材にして生きづらい社会人女性の深刻なリアルを描いたネトフリオリジナルストップモーションアニメ。
・「梅雨」は現代と怪談噺といえるでしょう。リラックマに生えたキノコを焼いて食べる場面もけっこうホラーなのですが、最大の恐怖でありサプライズはラスト一分半のあいだに詰まっています。これを観たらあなたは今後リラックマを純粋な眼で見ることはできなくなるでしょう。イノセンスの破壊。それがアニメ鑑賞の本質です。




出てるシーズンは全部買え。

*1:『エイス・グレード』を観ればわかる

*2:いちおうリックはリックなりに孫や家族への愛情はもっているのだが、根がクレイジーなので伝わらない

*3:例外は最終話。理由は観ればわかります。むしろこのための手法だったんだなと

*4:もともとATもドラッギーなアニメなんですが

四月に遊んだゲーム:『グノーシア』、『Ori and the Will of the Wisps』、『Life is strange 2』、『Final Fantasy VII REMAKE』他

$
0
0

 いつのまにか映画を観られない世の中になってしまって、本も読めない気分になってしまいました。しかし、かなしむことはない。そういうときはゲームがあります。
 というわけで、四月はずっとゲームを遊んでいたのです。
 基本的には全作おもしろかったのでオススメです。


f:id:Monomane:20200506144733p:plain

One Step from Eden(Steam/Nintendo Switch

www.youtube.com


 『ロックマンエグゼ』と Sly the Spire と弾幕シューティングを三神合体させた結果、人智ではとても及ばない化け物が生まれてしまいました。ドクターマンハッタンも戦慄する現代の原爆、それが One Step from Eden です。
 速い、そして多い。とにかくじっくりと勘案べきことが山のようにあるのあるだけど、それを吟味している余裕がまるでない。
 超高速で放たれる敵の攻撃を交わしつつ、ぼんやりと組み立てたデッキを「このカードの効果ってなんだったっけ?」となにもかもあやふやなままぶん回し続ける行為は現生人類のCPUではとても処理できないフロウであり、ゆえにこのゲームを超克したプレイヤーは楽園が約束されるのです。
 サントラが最高。

Ori and the Will of Wisps(Steam/Xbox One

 あの大傑作 Ori and the blind forest の続編にして完結編。戦闘要素が大きく追加され、前作では妖精をセントリーガン代わりにしていたオリくんが今作では自ら剣をふるって敵を虐殺します。逃げるだけだったボス戦も戦いがプラス。
 デザイン的には見た目以上に大きく変わったのですが、プレイフィール、なにより「マジでもう無理とおもったステージをギリギリで切り抜けたときの麻薬的快感」は失われておらず、むしろボス戦の絶望感が深いだけ強化されている気すらします。
 それぞれのステージに配置されたヌシたちがかわいいのもいいですね。おっきなくまさんも出ます。
 物語面でも続編としてエモーショナルかつ巧緻なものに仕上がっており、〜 blind forest ともども Steam のスターターパックに入るべき逸品といえましょう。
 サントラがめちゃいい。

Ori and the Will of the Wisps (Original Soundtrack Recording)

Ori and the Will of the Wisps (Original Soundtrack Recording)

  • 発売日: 2020/03/10
  • メディア: MP3 ダウンロード


あつまれ どうぶつの森(Switch)

www.youtube.com


 思想を持たない人間にはつらいが楽しくはある。なぜならやることが多い。

あつまれ どうぶつの森 -Switch

あつまれ どうぶつの森 -Switch

  • 発売日: 2020/03/20
  • メディア: Video Game


リングフィット・アドベンチャー(Switch)

www.youtube.com

 健康になった。ステージが多い。

リングフィット アドベンチャー -Switch

リングフィット アドベンチャー -Switch

  • 発売日: 2019/10/18
  • メディア: Video Game


ことばのパズル もじぴったんアンコール(Switch)

www.youtube.com

 いまさらやるものでもないかな。サントラは至高。

ことばのパズル もじぴったんアンコール -Switch

ことばのパズル もじぴったんアンコール -Switch

  • 発売日: 2020/04/02
  • メディア: Video Game


Final Fantasy VII REMAKE(PS4

www.youtube.com

 総評としては世の流通している言説にいまさら付け加えるようなことはないです。スターウォーズのEP7みたいな作品だと思います。旧来ファンにたっぷりサービスしつつ、新規ファンにも間口を広く取ってーの、旧作とは決定的に違う展開を予感させる。
 その予感に世間は賛否両論なわけですが、わたし個人としては期待を抱いています。というか、あのボリューム感を保ったままオリジナルを忠実になぞるのはそりゃストーリー的にもシステム的にも無理だろっていう話でもあるし。
 スラムとか廃墟の描写は最高クラスというか最高そのものだろこれ、といった感じで、特に神羅本社に乗り込む直前に出てくる崩壊した街のくだりは痺れます。あとミッドガルって『ブレードランナー2049』っぽい輪郭だったんだなといいますか。
 あと、ウェッジの眼が妙にキラキラしてるのが怖かった。
 今後も買うとおもいます。「ナナキ、戻りました〜」が聞きたいので。
 これのあとでオリジナルのFF7を三倍速でやったらミッドガルパートが2時間半で終わって笑いましたね。

ファイナルファンタジーVII リメイク - PS4

ファイナルファンタジーVII リメイク - PS4

  • 発売日: 2020/04/10
  • メディア: Video Game


ペルソナ5 ザ・ロイヤル(PS4

www.youtube.com

『ペルソナ』やるのは2の罰以来です。つきなみですが、隔世の感がありますね。
 これも多い。やることが多い。タスクが切れ目なく供給されるのは『あつまれ、どうぶつの森』の印象とも近くて、とにかく暇になるということがない。メメントスでレベリングしてるときくらいかな。そういう感覚って個人的にはソシャゲでとりあえずデイリーミッションをこなして石をもらうときの作業感にも近いです。ネガティブな意味ではなく。
 日本でもアメリカでもAAAタイトルのRPGはクリアまでのプレイ時間が100時間を超えるのが当たり前になっている昨今ですが、そうまでして膨らませたリソースの費やし方がそれぞれアメリカ(ロックスター)と日本(アトラス)で違うのは興味深くて、たぶんよく言われてることというか雑認識なんでしょうけれど、あっちのRPGは映画からの発展型で、日本のそれはアニメに由来しているのでしょう。単にカットシーンがアニメ的だったり映画的だったりするだけではなくて、セリフ回しだったりとかプロットそのものの語られ方だったりとか世界の質感とかキャラとか細かいシステム周りの積み重ねとか、諸々ぜんぶひっくるめての話。
 そういう意味ではFF7Rもかなりアニメっぽくて、かつては映画を志向して破綻した*1野村哲也の夢のあとさきって感じですね。
 あと、かすみと丸喜が「ロイヤル」で後付された新キャラであるとクリアしたあとで知ってかなりビビりました。かなり違和感なくシナリオに溶け込んでいたので。『ファイナルファンタジー・タクティクス』にクラウドをチャプター1から出してメインストーリーに絡ませるクラスの芸当じゃないでしょうか。かなりすごいことやってるとおもいます。
 姉ゲームオブザイヤー。100時間やらないといけないのでサントラが耳に残りまくる。

ペルソナ5 ザ・ロイヤル - PS4

ペルソナ5 ザ・ロイヤル - PS4

  • 発売日: 2019/10/31
  • メディア: Video Game


グノーシア(Swtich/PS Vita)

www.youtube.com


 PS Vita の末期を看取った話題作がついに Switch に登場。人狼系ループADVと聞くと誰しも思い出すのは名作『レイジングループ』だと思うのですが、ゲーム性は正反対。ド直球のノベルゲーである『レイジングループ』に対して、『グノーシア』は物語性のある『FTL: faster than light』といった印象。要するに麻雀なんですよ。リプレイ性のある秀抜なゲームは例外なく麻雀です。
 『グノーシア』で特筆すべきはそのリプレイのストレスのなさ。人狼部分の出来栄えが一人用人狼として相当出来がいいんですよね。ADVっぽいキャラ要素は的確におさえつつも、システマティックにできるとこで抜くとこは抜いているので、一プレイ毎のカロリーがちょうどいい。おかげでエンディングにたどりつくまでの百数十回のループが苦にならない。
 そして何より楽しい。一人用人狼っていうとステッパーズ・ストップの『絶対的人狼』とかみたいに情報増やしてロジックで完璧に詰められるようにしていくのかな、と想像していたんですが、やってみると意外なほど忠実に人狼の元のデザインをなぞっている。
 じゃあ、どこで推理要素をおぎなっているかというと、キャラなんですよ。各NPCキャラに人格やプレイスタイルが設定されている。その塩梅が実に絶妙なんです。いちいち「このキャラはこういう場面で明確にこんな行動を取りますよ」とは説明してくれないんですが、何度かやっていくうちにプレイヤー自身が「ああ、このキャラがこういう発言するってことはもしかして○○なんじゃないか」と、ぼんやり状況を類推できるようになる。各キャラクターが取る行動自体も、ストーリーで明かされるキャラの性格とマッチしていて「このヒトならこうするのも妥当だな」と納得感が高い。

 このプレイ体験の豊かさって、まさに人狼そのものなんですよ。
 人狼ってよく「メタ推理禁止」とか言われるじゃないですか。でも、特に内輪でプレイする場合ってどうしても「○○さんはああいう人だから……」という想像がつい働いてしまう。行動原理だけじゃなくて人徳とかそういうのも大いに絡んで、「初日に吊られがちなひと」みたいなポジションがなんとなしにできあがってしまうのもありますよね。
 ネット人狼を見ているとまるで論理パズルみたいな印象を受けますけれど、人狼って本質的にはパーティゲームなんですよ。*2
『グノーシア』がすばらしいのは、「論理パズル的推理スポーツとしての人狼」が否定してきた人狼ゲームの本性*3をすくいとることで、むしろロジカルになっているというところ。
 人間同士でやる場合にはその日の気分やら体調やら人間関係やらで、どうしても行動原理がブレがちですが、ゲームの場合はそこは揺らがない。それでいて、マンネリ化しない程度にはぼんやりしている。このバランスですよね。奇跡じゃないですか。
 
 そして、ストーリー部分もいい。人狼のルールをSF的な設定に変換しつつ、そのルールをちゃんと深いレベルで物語に落とし込んでいる。ネタバレになるので多くは語りませんが、トゥルーエンド*4でこれまでキャラごとに積み重ねられてきた設定と人狼独自のルールが見事に噛み合ってひとつの「解決編」を生んだのには感心させられました。『レイジングループ』に比肩する傑作であることは間違いないでしょう。


Life is Strange 2 (Steam/PS4/Xbox One

www.youtube.com

 突然さずかった超能力をテコに自分自身と世界の運命を狂わせていくフランス製(でも舞台はアメリカな)ADVシリーズ第二弾。いや、第一作目の前日譚を含めると第三弾か。
 前作での「能力」は「時間巻き戻し」だったのですが、今回は直球に「サイコキネシス」。時間操作はADVのストーリーテリングとの相性がわかりやすかったのですが、今回はどうなるかなとなかば危ぶんでいましたけれど、けっこういい。

 プロットの基本線としては、メキシコ系アメリカ人の兄弟がとある悲劇によって父を喪い、自分たちも警察に追われる事態となったことから、もともと住んでいたシアトルから父の故郷であるメキシコへと北米大陸を縦断するロードムービーです。
 アメリカで文学界を揺るがす騒動を巻き起こし*5、日本でも最近早川書房から邦訳されたジャニーン・カミンズの『夕陽の道を北へゆけ』ではメキシコからアメリカへ向かって脱出する母子が描かれていて、それはまさに一般的な通念として「悲惨な状況に中南米からアメリカに逃れる」移民の姿に重なっているわけですが、LIS2ではその通念の逆を突くこと*6で、「逃れたくなるほど悲惨なアメリカ」を立ち上がらせています。
 兄弟たちがチャプターごとに立ち寄る先も、ガソリンスタンド(エドワード・ホッパーを筆頭にアメリカの画家たちが描き続けていたモチーフ!)、モーテル、オレゴンのド田舎にある老人宅、カリフォルニアの違法大麻農園、ネヴァダ福音派の教会、アリゾナのコミュニティ、そして米僕の国境線、と実に「アメリカ」なロケーションばかり。ストーリー的にも主人公兄弟たちはそうした場所に潜むアメリカ的な抑圧に毎回対峙していくことになります。

 その抑圧と対決するためのエンターテイメント的な武器が兄弟の弟に与えられたサイコキネシス能力なのです。未熟な精神に不釣り合いなほど強力な力を持ってしまった弟を兄=プレイヤーとしてどう導き守っていくか、というデザインの中心に据えられていて、プレイヤーはその力を巡るジレンマ的状況における選択で悩んでいく。
 マイノリティにスーパーパワーをもたせることで読者にカタルシスと同時に問題意識を喚起させる手法は『X-MEN』の時代からまあまあ定番で、近年でも女性が放電能力を持ったことで男性との地位が逆転する『ザ・パワー』なんていう小説も人気を博しておりましたけれど、LIS2もその例に漏れません。
 その「力」を使うことでどういう影響が出て、どういう眼で見られ、使用者自身がどう考えるようになるのか。前作とは違ってやりなおしのきかない選択の連続が、ふたりの逃亡劇をよりヘビーにしていきます。そうして、行き着いたメキシコ国境で、プレイヤーは兄弟に力が与えられた意味を悟ることでしょうーーメタ的な意味で。

 本作においてプレイヤーに求められるのは揺らぐことない信念です。つまりは選択の一貫性。その場その場の感情で判断していると弟から「前にいってたことと違うじゃんか!」とキレられ、どんどん信用を失っていきます。これはクソみたいなアメリカから少年という名のイノセンスの灯火を運ぶ旅でもあります。
 あなたが救いたいのは弟なのか、自分なのか、世界なのか。前作とは様々な部分で異なりながらも、エッセンシャルな部分ではブレないドント・ノッド社の気概が伝わってきます。

 それにしても、Death Stranding といい、真正面からアメリカ論を語ろうとするゲームはなぜ非アメリカ製ものばかりなのでしょうかね。グレート・アメリカン・ゲームという概念があるのかどうかは知りませんけれど。


ライフ イズ ストレンジ 2 - PS4

ライフ イズ ストレンジ 2 - PS4

  • 発売日: 2020/03/26
  • メディア: Video Game

*1:オリジナル版のFF7のオープニングカットも今見るとかなり映画を意識しているのがわかる

*2:そもそも論理パズルと見た場合にはデザインにいくつもの欠陥があるし。

*3:わたしは全然観てないけれど、よくネット番組とかでやってる芸能人のリアル人狼がいちばん人狼コンテンツの売り方として正しい気がする。視聴する側が「キャラ」を楽しめるという点で。

*4:存在がわかりにくいですが、ちゃんとあります

*5:https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200504-00010000-globeplus-int&p=2

*6:他に「アメリカ側からメキシコに亡命しようとする話」で真っ先に思い浮かぶのは(犯罪映画とかを除くと)『サウスパーク』だったりする

村に捧げるアリ・アスター全短編レビュー

$
0
0

"In fact, I've described the film as a horror movie about codependency. I guess I hope that people will feel unsettled.”

https://refinery29.com/en-us/2019/07/235908/midsommar-hereditary-connection-cult


前回までのあらすじ

 某村映画のスペシャリスト氏から「アリ・アスターの全短編オンライン上映会やろうぜ」と誘われ、何それ超楽しそうやるやる〜〜〜と軽々に応じたものの、爆睡して約束の時間に間に合わなかったため、反省の印としてアリ・アスター全短編レビューを己に課した。
 そのためにアリ・アスター全短編読本『”I HOPE THAT PEOPLE WILL FEEL UNSETTLED.”』(映画パンフは宇宙だ)を取り寄せたりなんかもした。なるべく内容がかぶらないようにがんばります。

pamphlet-uchuda.stores.jp
 

 それにしても”I hope that people will feel unsettled”(みんな不安になってくれればいいな)とはいいことばですね。エドワード・ゴーリーはかつて(うろおぼえですけれど)「私は毎日目覚めてベッドから起き上がるときに世界に対してとてつもない不安を催す。私の本を読んだみんなにも同じ気持ちを味わってほしい」と述べ、矢部嵩は(これまたうろおぼえなのですけれど)「読者に傷跡を残したい」といいました。
 わたしたちは不安にならなければならないとおもいませんか。今でも十分不安でしょうけれど、もっと不安になるべきだとおもいませんか。
 バルガス・リョサは「不完全な世界を補うために書いている」といいましたけれど、わたしたちの世界が不完全なのは不安が足らないせいなのではないですか。
 わたしたちは普段あらゆる手段を尽くして安心を買っていて、そのせいで常に不安に欠乏しているのです。
 でも嘆くことはない。少なくとも2020年の不完全な世界にはアリ・アスターがいる。全短編がネットで公開されている。金にも時間にも贖えないものが、そこにはある。

The Strange Thing About the Johnsons(2011)

vimeo.com

 息子が父親をレイプする(しかも黒人家庭)という衝撃的な内容で公開直後から話題を呼んだ問題作。アメリカン・フィルム・インスティチュートの大学院課程在籍中に撮ったもの。
 アリ・アスター本人的には「アメリカン・フィルム・インスティチュートじゃ学生はみんなハリウッド志向だったし、学校で見せられる作品もポリコレ映画ばっかで、じゃあそういう学校で作れる最悪な映画ってなんだろうな、って考えたときに思いついたのが『息子が父親をレイプする映画』だった」らしく、アリ・アスターが人をいやな気持にさせることしか考えてなかったことがよくわかる。
 現状確認できるアリ・アスター最古の作品であるけれど、作家としてのシグネイチャーはこのときから刻印されている。印象的な色使いやルック、時々出てくる箱庭感のある画、炎のモチーフ、叫ぶ母親(父と子の話になると思わせといてやっぱり母と子の話になっていく)など、いずれも長編デビュー後のテイストを伺わせる。
 でも、なによりアリ・アスターっぽいな、とおもったのはクライマックスで唐突に登場する白いバン。このバンがまたバカみたいに白い。安い。場面自体の茶番感と合わせてどう見てもギャグだろ、ギャグとして撮ってるだろ、という感じがする。
 冒頭の写真撮影シーンのビリー・マヨの表情などの顔芸も充実していてヨシ。

TDF Really Works(2011)

vimeo.com

 AV Club 誌曰く「アリ・アスターの短編フィルモグラフィから埋葬された一作」。もともと、Funny or Die というアダム・マッケイやウィル・ファレル(『おれたち〜』シリーズや『マネー・ショート』のコンビ)が作ったコメディ動画制作サイトに寄せられたものだったらしい。
 内容はちんこで屁をこけるようになる器具の宣伝(通販番組パロディ)。やりかたを間違えるとちんこが破裂します。
 まあ、くだんないしおもしろくもないんだけど、アリ・アスターの性器に対する興味はもはやオブセッションに近いのではないかとも思えてくる。
 ちなみに主演ふたりのうちの片方がアリ・アスター

Beau(2011)

vimeo.com


  The Strange Things About The Johnson’s で父親役を演じたビリー・マヨが再登場。The Strange Things〜に輪をかけてかわいそうな目にあっていく。
 話としては、やたら心配性な男(どうやら不眠症であるよう)が紛失した鍵を盗難されたものと思い込んだことから侵入者の恐怖に怯え、どんどん強迫観念をエスカレートさせていくというもの。
 衝撃的なラストカット含めアリ・アスター全短編中でもいちばん謎めいていて、多様な解釈を呼ぶ一編となっている。いろいろおかしな点は多いのだ*1が、個人的には庭も観葉植物もないアパート住まいの主人公が高枝切りハサミを所持しているのが地味に気になった。
 神経症的なホラーを通して「母と子」のディスコミュニケーションが描かれ、それが世界の崩壊に直結していくのは『へレディタリー』っぽいといえるかもしれない。また「鍵」とモチーフをうまく回して、世界に対する不信感をよく醸し出している*2
 六分程度と短く、キャッチーな奇妙さに溢れていていかにも”アリ・アスターっぽい”ので、全短編中で一番親しみやすい作品かもしれない。
 アリ・アスターがちょっとだけ出てる。

Munchausen(2013)

vimeo.com

 全編サイレント。大学進学のために巣立ちする息子に対して母親が寂しさと独占欲? から食事に毒薬を混ぜ、息子を昏倒させてさせてしまい……という内容。タイトルの意味は今更説明する必要もないだろう。タイトルのクロスステッチ刺繍は『ミッドサマー』のオープニングを彷彿とさせる。
 Youtubeでのアップ元の VICE によると”PIXAR-inspired”だそうで、本作の舞台裏(?)を描いた(??)”Untitled” でも「ピクサーに影響を受けた」と自分の口からいっているので、そういう前提でよいのかな。
 実際に冒頭の五十年代風のルックや息子の部屋の内装、「(成長による)旅立ちと別れ」といったセッティングなどは『トイ・ストーリー』を想起させずにはいられない。
 しかし、そこはアリ・アスター。バカ正直に「いい話」など作るわけもない。過剰な愛*3は呪いとなって子どもを蝕むだろう。全短編中では「母親と息子のトキシックな関係」というアリ・アスターにおける代表的モチーフがもっともよく現れている一作となっている。
 ショットは以前に比べてもより洗練されており、ただ観ているだけでも目に楽しい。

Basically(2013)

vimeo.com

 元はニューヨークの映画祭(第五十一回ニューヨーク・フィルム・フェスティバル)の「次世代の監督を発見する」というお題目の企画に応じて作ったもの*4で、アリ・アスターのライフワークである〈ポートレイト・シリーズ〉のひとつ。”C’set La Vie”とかもそう。完全にカメラを固定して、人物も極力動かさないことで絵画や写真のような印象の画作りを行い、さらに主演俳優を画面の向こうの観客に向かって語りかけさせるスタイルなどがシリーズに共通している。
 本作の中身としては金持ちのお嬢様で若手女優役のレイチェル・ブロスナンが母親や恋人や役者人生について延々とひとりがたりする、という趣向。とにかくとりとめのないエピソードを並べていくため、全短編中でも要素やテーマを抽出しづらいが、宗教や母親を否定しながらも親から与えられた豪邸での生活から独り立ちすることのできない若手女優の焦燥と憧憬が常に反映されているとも見られる。彼女が俳優業をやっているのも演じることで「甘やかされた金持ちのお嬢様」という自分をしばる枠から抜け出して別人になれる(演技と演技に対する世間の評価療法を通じて)からではないか。
 無理やり長編デビュー後のアリ・アスターの文脈につなげてしまえば、家族に呪縛された若者が別の自分に「脱皮」する、というところか。まあ『ミッドサマー』も『へレディタリー』も脱皮したところで別の地獄なんですが、はたして本作の主人公が俳優として成功を得たときはどうなるのだろう?

Untitled(2012)

vimeo.com

 『”I HOPE THAT PEOPLE WILL FEEL UNSETTLED.”』では「〈ポートレート・シリーズ〉の一作目」とされているが、同書付属のQRコードから飛べる公式チャンネルでは「The first installment of Ari Aster's Portrait Series.」と書かれており、消失してしまったアリ・アスターの公式サイト? では、The Turtle’s Head こそが(Basically, C’es La Vie に続く)三番目の〈ポートレート・シリーズ〉であると謳われていた、という情報もあって、なにがなんだかわからない。
 それはさておき内容だが、「Munchausen」の資金繰りに困ったアリ・アスターとプロデューサーのアレハンドロ・デ・レオンがキックスターターで支援を呼びかける動画を撮っていた別の映画制作者を拉致し、彼の映画の代わりに自分たちの映画に投資するようバッカーたちに呼びかけろと脅す、というもの。一発ギャグのようなもので評価しづらい。
もともとは「Munchausen」のクラウドファンディングキャンペーンに使われた動画で、同キャンペーンサイトには拉致された映画制作者に関する続報(といっていいのか)もある。
 そうした制作背景を鑑みるに、やはり〈ポートレート・シリーズ〉のうちではないように思われるだけれど。

The Turtle's Head(2014)

vimeo.com

 四六時中エロいことしか考えていない私立探偵の男が水産会社の不正を探って殺されたらしいジャーナリストの死についての調査を請け負うも、捜査の途中で自分のちんこがみるみる縮んでいっていることに気づき、事件そっちのけでその治療法を探す話。話か? これ?
 全体的にはコメディタッチ。
 TVドラマ版の『探偵マイク・ハマー』の主演だったときのステイシー・キーチを醜く老いさせたような主人公からもわかるとおり、キャラクター造形から画作りに至るまで古典的なハードボイルド探偵映画をパロディし、アメリカ人男性の理想としてのタフで、ダンディな私立探偵像を徹底的にコケにしている。
 縮小していくちんこが股間に吸い込まれ(=去勢されて)、アイデンティティが崩壊し、廃人になってしまうというオチは……あ、オチ言っちゃいましたけど……ひねりがないといえばひねりがない。
 しかし、ここで『C’est La Vie』(後述)で語られるフロイトの unheimlich の理論を借りれば、「home(ちんこ) だったものが unhome(ちんこじゃないものに) になってしまう」という、アメリカの*5白人男性が感じている居心地の悪さ、あるいは自分たちの時代が失われていくことへの恐怖を描いたタイムリーな寓話として見ることもできるのかも。

C’est La vie(2014)

vimeo.com

 “Basically”と同じく〈ポートレート・シリーズ〉のひとつ。
 薄汚いホームレスのおっさんが観客に向かって文明や現代人に対する悪態をつきまくりながら、以前はある会社のエグゼクティブだっただの、市長選に立候補したことがあるだの吹かしまくるが、どうみても狂人の戯言にしか見えない。彼はノンストップでおしゃべりを続けながら、ある一軒家に侵入し……といった内容。
 本作はラストカットのセリフに集約される。

フロイトは恐怖がいつ起こると言ったか。慣れ親しんだはずのものが自分の知らないものになったときだ。それを”不気味なもの”と呼んだ。*6この場所が正にそうだ。時代も国も何もかもが”不気味なもの”だ。」
(滝澤学訳, p69,『”I HOPE THAT PEOPLE WILL FEEL UNSTTLED”』)



 これを The Turtle’s Head のときと同じように、アメリカ白人男性の断末魔のスケッチと見なすこともできる。しかし、ホームレスがマシンガンのように放つスマホ批判などはまるで生産性のない一方で不思議と共感をさそうし、彼が「もし市長になったらやること」のリストは明らかにむちゃくちゃだけれど一抹の痛快さも持つ。
 いきとしいけるいけるもの全員が幸せとはいわないまでも、そこそこ便利に暮らしているはずのに、どこか閉塞している。そんな現代文明に対する根拠不明のいらだちが、home であるはずの世界を unhome にしていく。どこもかしこも居心地の悪い部屋で、誰も彼もがよそものだ。それでも「ここで小便をして、クソをして、ファックをして、最後は死ぬ」しかない。「ここにいる誰もが自分はこんな地獄に落ちると思っていなかった」*7だろうに。
 わたしたちの人生と本作におけるホームレスの生活は不安という一点で共鳴している。

*1:べランドの窓がなぜかいつも開いていたり、オポッサムを目撃してからやたらオポッサムに取り憑かれてクロスワードパズルに「Possum」と書きまくったりどっからどう見ても近所の住民や警察の対応が異常だったり、強盗が突き出したナイフをボーの身体が跳ね返したり

*2:ラストに出演する生き物の名前にも注目しよう

*3:家庭内における母親の不全感の発露でもある

*4:ちなみに同企画にはデイミアン・チャゼル、『アイ・キル・ジャイアンツ』のアンダース・ウォルター、『One week and a Day』のアサフ・ポロンスキー、『モータウンの魔法』のジョシュ・ウェイクリー、ベテランのマイケル・アルメレイダなどが参加していた。

*5:あるいは世界のマジョリティ男性と換言してもいいのかもしれませんが

*6:He says it’s when the home becomes unhome like, Unheimlich.

*7:滝澤学訳, p67,『”I HOPE THAT PEOPLE WILL FEEL UNSTTLED”』

わたしたちは思った以上にゾンビなんだ。ーー『デッド・ドント・ダイ』について

$
0
0

 気がふさぐと、いつもゾンビどものせいにするんだから。
 ーー『オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライヴ』

www.youtube.com

 大量消費主義の問題、ロメロの映画に織り込まれている問題は悪化しているだけだ。何も変わっちゃいない。僕たちは彼の映画で警告されていたことのせいで危機に陥っている。
 ーージム・ジャームッシュ*1

f:id:Monomane:20200605205144p:plain

 いまさら劇中で「ゾンビとは消費社会のメタファーである」とドヤ顔で指摘されたところであまりにもあたりまえすぎて気恥ずかしさすらおぼえるのだけれど、『デッド・ドント・ダイ』は、ジム・ジャームッシュの生まれ持ったリズムが、奇跡的にか運命的にか、ゾンビ映画のフォーマットにマッチしていてある程度まで救われている。
 

 本作におけるゾンビ発生のきっかけは環境破壊だ。北極だか南極だかでのフラッキング*2により地球の地軸が狂い、(たぶん)そのせいでアメリカじゅうの死者がよみがえる事態となる。
 人口七百人ちょっとの小さな町、センターヴィルも例外ではなく、アダム・ドライバービル・マーレイの警官コンビや日本刀を振り回す葬儀屋のティルダ・スウィントンなどがゾンビたちと対決するはめに陥る。


 未曾有の異常事態にあってアダム・ドライバーは終始無表情に淡々と職務をこなす。マチェーテを片手にマイナーリーグ仕込みのスイングでゾンビどもを屠りまくり、ゾンビに殺された死体を見つけたらゾンビ化を防ぐために躊躇なく首をはねすらする。
 そんなドライバーの態度に相棒であるビル・マーレイは「なんでそんなに落ち着いていられるんだ!」とキレる*3のだけれど、対してドライバーは「だってジムの渡してくれた脚本を全部読んだから、何が起こるか全部知っている。結末も」とメタ丸出しの返答をする。マーレイも「俺が読んだのは俺のパートだけだったよ」とぼやく。


 一見すると、つまらないメタギャグだ。けれど、「気候問題のメタファーとしてのゾンビ」と結びつけたならば、少し意味合いも変わってくるだろう。
 2020年現在、このまま欲望ドリヴンで消費文明を継続させていけば地球がやがてぶっ壊れてしまうことは、誰もが知っている。わたしたちはわたしたちの物語のオチをわかっているのだ。
 絶滅を免れたいならなにか行動を起こすべきなのだが、アダム・ドライバーであるところのわれわれには抗う気力が起きない。なにせ回りは物質主義のゾンビばかりなのだ*4。多少彼らをぶち殺したところで悲惨な結末に影響はない。
 しょせん自分は一介の取るに足らない個人でしかなく、結末は変わらない。そのような無力感が彼を無気力に、スクリプトに流されるだけの人間にしてしまう。*5ジム・ジャームッシュが尊敬しているというグレタ・トゥンベリなどとは対照的な人物といえるだろう。
 その一方で、「自分の出ている場面しか読まない」ビル・マーレイのような人間もいる。この種の人間はなぜ世界が滅びるかも把握しえないまま死んでいく。
 ドライバーとマーレイのコンビは今日滅びつつある人類の代表でもあるのだ。
『オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライヴ』に見られた永遠の倦怠としてのスロウでトボけたテンポは、本作では予感された不可避の滅びとして踏まれている。

 
 唯一、そのテンポと「脚本」から外れるキャラもいる。ティルダ・スウィントン演じる葬儀屋のゼルダだ。『ゴースト・ドッグ』の殺し屋よろしく日本のゼンに通じた凄腕の剣士であるスウィントンは、おろおろするばかりの町民たちを尻目に一人だけアクション映画ばりに刀を振り回してゾンビたちを鏖殺し、やがて「脚本」にない行動を取る。
 しかし、彼女が人類救済の希望であるかといえばそうではないわけで、ここにもジム・ジャームッシュの諦念(とある種のエリーティズム)がにおう。
 とはいえ、別にジャームッシュの映画を見て人類や地球の未来に希望を抱こうとはおもわないのだし、まあこれはこれで楽しく観られる。なんとなれば、映画だってマテリアリズムや消費文明のうちなのだし……。

オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライヴ(字幕版)

オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライヴ(字幕版)

  • 発売日: 2014/06/18
  • メディア: Prime Video

*1:http://indietokyo.com/?p=11872

*2:天然ガスや石油を採掘するために用いられる水圧式の破砕法。水質汚染の原因として世界各地で問題視されている。

*3:といっても落ち着き具合ではビル・マーレイもたいがいであって、劇中でパニック映画っぽく取り乱すのは婦人警官のクロエ・セヴィニーくらいだと言ってもいい

*4:生前の消費行動に執着するゾンビたちの姿は清々しいほどになんのひねりもなくロメロのゾンビ像をなぞっている。

*5:人によっては「冷笑的」と評するだろう。個人的にはこのタームが嫌いだ。世界における諸問題を真剣に考えたとき、一度は誰しも絶望と諦念の罠に陥らざるを得ないのだし、それを「行動しない人間以外は無価値」と糾弾するのは彼らにさらなる無力感を植え付ける行為であるから。

2020年上半期のベスト映画5作

$
0
0

 つってもコロナで数ヶ月くらい新作映画観られなかったんですけどね。いやまあ新作は配信でもありましたが。配信もなんかどん詰まってなかった?
 そういうわけで例年より新作映画に接する機会が少なかったので、毎年20作くらい挙げる上半期ベストも五作に絞りました。五作だとちょうどいい感じに悩ましくなりますね。

f:id:Monomane:20200701112139p:plain


2020年上半期のベスト5作

1. 『ジョジョ・ラビット』(タイカ・ワイティティ監督、米)


タイカ・ワイティティ監督がヒトラーに!映画『ジョジョ・ラビット』日本版予告編

https://proxia.hateblo.jp/entry/2020/02/18/044654

 最後にいい感じの音楽がかかってダンスが始まる映画は名作。市街戦のシーンのサム・ロックウェルは最高だったよね。タイカ・ワイティティはどんくさい映画しか撮らないイメージで、正直ジョジョにもそういう節はないでもないけれど、これは全体的にいいテンポだった。

2. 『ハスラーズ』(ローリーン・スカファリア監督、米)


映画『ハスラーズ』大ヒット上映中!

 ある空間でわしゃわしゃ集まってきゃいきゃいするシーンの多幸感、という点では『ストーリー・オブ・マイライフ』と同じかもしれない。

3. 『アンカット・ダイヤモンド』(サフディ兄弟監督、米)


Uncut Gems Trailer #2 (2019) | Movieclips Trailers

 どんくさいといえば、サフディ兄弟もあいかわらずどんくさい映画撮ってるな―と思うんですけど、これはそのどんくささが全体のテイストとアダム・サンドラーのたたずまいに好い作用を与えている。

4. 『ストーリー・オブ・マイライフ わたしの若草物語』(グレタ・ガーウィグ監督、米)


『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』6月12日(金)全国順次ロードショー

 
 シアーシャ・ローナンを出すときの選択肢ってシアーシャ・ローナンを最高に撮る以外の選択肢がないと思うんですが、グレタ・ガ―ウィグは少なくともそこをよくわかっていた。それとティモシー・シャラメにどういうポーズをさせたらいいかもわかっていた。そのふたつさえクリアできたら後は求愛ダンスみたいなもんさ。時系列シャッフルも観客を殴って判断能力を失わせ、みせたいものをむりやりみせるための手段だと思う。

5. 『ナイブス・アウト 名探偵と刃の館の秘密』(ライアン・ジョンソン監督、米)


映画『ナイブズ・アウト/名探偵と刃の館の秘密』予告編(60秒)

 いまさらわたしが指摘するまでもない厳然たる事実として、ミステリという形式は映画に決定的に向いてない。そしてミステリ映画の歴史とは、その向いてない形式をどうスクリーンにアダプトしていくかという制作者たちの血と汗の歴史なわけですが、『ナイブス・アウト』は形式・内容共にそうしたミステリ映画史のひとつの結晶といえます。社会問題すらタイプキャストに組み込むという徹底した本格フリークっぶり。

その他面白かったやつ

『ザ・ファイブ・ブラッズ』(スパイク・リー監督)
 最近のスパイク・リーではおもしろい方に属することはたしか。時勢とかみあいまくった幸運も大いにある。

『音楽』(岩井澤健治監督)
 音楽の初期衝動を描いた映画なんていくらでもあるけれど、そういうのの大半が「最初から美人」だったのに対して『音楽』は「最初から最後までブサイク」で感動させてくれるのが凄い。
 
『ミッドサマー』(アリ・アスター監督)
 「あのクマは無視していいの?」「クマはクマだよ」

『ひとつの太陽』(チョン・モンホン監督)
 台湾映画。役者を信頼しきっているのがいい。

『アップグレード』(リー・ワネル監督)
 意思と肉体が乖離しつつ進む格闘アクションがフレッシュ。まああるっちゃあるアイデアかもなんだけど、どう描けばいいかをよくわかっている。ようやくリー・ワネルの映像作家としての才能が開花した感。『透明人間』も楽しみ。

『リチャード・ジュエル』(クリント・イーストウッド監督)
「ぶっちゃけた話、今のクリント・イーストウッドとか褒めてるのは権威主義と惰性だろ?」とか言ってるやつは全員バカ。今のクリント・イーストウッドみたいな変なバランスの映画作家出してから言え。
 とは言い条、そのユニークなバランスが巨匠の地位を利用して好き勝手やっても周囲が看過してくれる、という部分も来ていて、女性記者の扱いとかはその残念な副作用ではある。

『パラサイト 半地下の家族』(ポン・ジュノ監督)
 一級のエンタメであることは間違いない。ポン・ジュノあんまり好きな監督ではないんですが、これは楽しかった。

『泣きたい私は猫をかぶる』(佐藤順一&柴山智隆監督)
 岡田麿里脚本か〜〜〜と思って観たら、岡田麿里のエグみがうまい具合にオミットされつつ巧いところはちゃんと巧い脚本になっていた。観客に明示してこなかった関係性の積み重ねみたいのの出し方が抜群だよねこの人。猫の世界の描写はジブリ劣化コピーっぽくて、山崎貴といい、これはもう和風ファンタジーのひとつの呪縛なんだなあといった印象。


三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実』(豊島圭介監督)
 正直、ドキュメンタリーとしては上等とはいえないんですが、三島と芥正彦のマッチングが最高。 

『初恋』(三池崇史監督)
 もうハジケようとしてハジケきられるお年でもないんだな……という感傷もおぼえつつ、チープ一辺倒に堕さないスラップスティックが成立していることに感動する。

『ジュディ 虹の彼方に』(ルパート・グールド監督)
 よくないところも多いんだけど、やはり愛嬌があるのは題材と主演の故か。

『ペイン・アンド・グローリー』(ペドロ・アルモドバル監督)
 遺書のような映画撮っておいて最後の最後で「ワイはまだ死なへんで〜〜〜」とやるのは、さすがというか、負けた気分になる。


 劇場行けないあいだ、映画なくても死なねえな〜と思ってましたけど、再開して『デッド・ドント・ダイ』観に行ったらやっぱり”良く”て、映画ないと生きてる感じしないな〜と思いました。下半期はいっぱい映画観られるといいですね。

ジョジョ・ラビット (字幕版)

ジョジョ・ラビット (字幕版)

  • 発売日: 2020/05/20
  • メディア: Prime Video

ついでに宣伝

 講談社の tree という文芸サイトの書評コーナー、「読書標識」で連載が始まりました。
主に新しめの小説の書評を書くようです。わりと好きにやっています。よろしくね。

読書標識|記事詳細|tree


 これまで書いたもの。

tree-novel.com

tree-novel.com


共同制作者という名の悪夢:『Night in the Woods』の制作とアレック・ホロウカの死【翻訳】

$
0
0

訳者前書

・以下は Night in the woods 共同開発者のひとり Scott Benson が同じく共同開発者だった Alec Holowka の自死(2019年8月)に関して2019年9月に寄せた文章の訳である。
medium.com

・ホロウカの死の背景については以下の記事から。
automaton-media.com

・主にベンソンがホロウカと出会って Night in the Woods を完成させるまでの開発作業と、その過程で垣間見えたホロウカのパーソナリティについて、ベンソンの視点から語られている。そのため Night in the Woods の制作史的な側面も帯びている。
・めちゃ長い2万字くらいある。ホロウカの自死から三日後のめちゃくちゃな心理状態で書かれたためか、繰り返しになっているところも多い。めんどくさくなってテキトーに訳したり端折ったりしているとこもあるかもしれない。でもできるだけがんばって全文訳にしようとした。全文でないと意味がない文書だから。なので誤訳もたぶんというか絶対ある。ご寛恕を乞いたい。
・モラル・ハラスメント等の虐待、自殺、メンタルヘルス的要素などが含まれているため、そういうのを読むべきでない状態の方は読まないでください。
・今回訳してて感じたのは、 Abuse, Abusive という単語にしっくりくる訳語がないこと。これは toxic にも前々から感じていたのだけれど。


f:id:Monomane:20200730074435j:plain

主な登場人物

 スコット・ベンソン(Scott Benson)……インディゲーム開発者、アニメーター、イラストレーター。アメリカ人。Night in the Woods の開発元である Infinite Fall の共同設立者。元はフリーランスのアニメーターで、Night in the Woods までゲームの開発に携わった経験はなかった。アレックの自殺後、NITWの主要メンバーで妻でもあるベサニー・ホッケンベリーと新しいゲームスタジオ The Glory Society を設立。

 アレック・ホロウカ(Alec Holowka)……インディゲーム開発者、プログラマー、作曲家。カナダのウィニペグ出身。十代の頃からプログラマーとして活躍したのち、22歳のときにフリーゲーム I'm O.K – A Murder Simulator で作曲家兼サウンドエンジニアとしてゲーム業界デビュー。I’m O.K のゲームデザイナーだったデレク・ユウとインディゲームディベロッパーの Bit Blot を立ち上げ、2007年にアクション・アドベンチャーの Aquaria をリリースすると、これがヒット。Independent Game Festival(IGF)で最高賞を受賞*1するなど一躍インディゲーム界隈の寵児となる。その後は主に作曲家として、Crayon Physics Deluxe 、TowerFall Ascension といったタイトルに関わる。NITWのサントラはほぼ彼の手による。
open.spotify.com


翻訳記事本文

 アレック・ホロウカ(Alec Holowka)が先週死んだ*2。いくつかの告発が彼の過去および現在の行いを明るみに出してから一週間後のことだ。彼のもとで働いていた人々に対する虐待や発作的暴力、およびその他の不正行為について糾弾されていた。ぼくはそれらの告発をすんなり信じられた。未だに信じてもいる。単なる主義主張の問題ではない。ぼくは軽率な気持ちで六年来の知己を叩くような人間じゃない。
 ぼくが告発を信じるのは、まさに彼といっしょに過ごした六年間の経験に根ざしている。

 その六年間のことについて語りたい。
 
 ここではアレックに対する個別の告発について、あまり深くは掘り下げない。それらはぼくが語るべき話じゃない。ぼくにはぼくの物語がある。

 このあいだまで彼はぼくの人生における「落とし穴」だった。
 ぼくとアレックの関係は複雑だった。間柄は尋ねられたときによって変わる。友人だったときもあった。共同制作者だったときもあった。ひとつの悪夢であったときもあれば、セラピーに通うはめになるトラウマの原因だったときもあった。ときにはこれらすべてでもあった。きっと彼についてまったく同じようなことを言う人は少なくないだろう。ぼくはそれを思い知りつつある。
 アレックと過ごした時間はさまざまな方法で公衆の眼に晒されていた。なにが言いたいかといえば、他人が知っていたのはネットに公開された部分だけだということだ。ツイッターだったり、ビデオだったり、ポッドキャストだったり。でもネットにあるのはネットにあることだけだ。人生の大半を占める残りの部分は、ぼくたちの関係は、ぼくたちが他の人にやったことは、パソコンの画面に映りなどしなくて、どこかの誰かが目を通したり、反応したり、イメージを作り上げることもない。
 ぼくたちは結局のところ、その人の現実全体や人生を満たす出来事や人格のほんの一部を撮ったスナップ写真の寄せ集めだ。純粋な観察なんて存在しない。
 インターネットのせいにするのは簡単だ。でも、現実もだいたい似たようなものだ。そして、それはしばしば悲劇的でありうる。

 2013年の6月、ぼくはひとやまいくらの冴えないフリーランスのアニメーター兼デザイナー兼アーティストだった。アレックはそんなぼくのツイートやアニメーションを見て、愉快に思ったらしい。連絡をよこして、ビデオゲームを作りたいと考えたことはないか、と訊ねてきた。もちろん、考えないではなかった。彼と初めて話したのは深夜だった。今振り返るとあれはインディーゲームブームの末期*3だったけれど、ぼくたちはカラフルで非暴力的でナラティブに優れたおもしろいインディーゲームを作ろうと語り合った。
 アレックは先立つこと数年前に『Aquaria』*4の共同開発者として賞を獲り、名を成していた。その後の数年間、彼はあちこちで仕事をしていた。一番有名なのは、心を持ったマリオネットのプロジェクト*5だろう。これは未完に終わっている。
 知り合って間もないのに彼はそのプロジェクトについて即座に話してくれた。彼はそのプロジェクトの完成形がまったく掴めなかったと言っていた。どういうふうなルックを持つのか、どういうプレイができるのか、2Dなのか3Dなのか*6、なにもわからなかった、と。
 彼は気晴らしをしたかったようで、ぼくのことをマンネリを打破してくれる強力なコラボレーターのようにおもったらしい。
 ぼくにはただ、こう聞こえた。「ビデオゲームを作りたくはないかい?」

 まったく異なるタイプの人間であるにもかかわらず、ぼくたちは出会ってすぐに意気投合した。ぼくは十八のころからずっと日々の暮らしに汲々としている三十二歳のアーティストだった。結婚して十年が経とうかとしていた。ピッツバーグに住んでいた。
 アレックは二十九歳。巨大な成功を手にした裕福なゲーム開発者で、バンクーバーで他の若い開発者たちといっしょに一つ屋根の下で暮らしていた。
 ぼくはカナダについてほとんど何も知らなかった。アレックもアメリカのことは何も知らなかった。
 (訳注:ベンソンの住む)ピッツバーグに行ったら撃たれる可能性はあるかな、と彼が訊ねてきたのを憶えている。まあありえないよ。ぼくはそう応えた。
 アレックはすさまじくアクティブで、決断即実行するタイプだった。熱しやすい性分で、思うにそのせいで攻撃的になりやすいところもあったけれど、同時に自分のやることへの限りない情熱によって均衡を保っていた。それがぼくの彼に対する第一印象だった。

 二人とも気分障害の薬を服用していた。なので、話すことはいっぱいあった。ぼくたちのゲーム開発がどんなふうにして始まったのかについてはいろんな場所で何度か話したので、ここで詳細を繰り返しはしない。約めると、数カ月間あまり独創性のないアイデアをいくつかこねくりまわしたあと、ある晩に『Night in the Woods』へと繋がる基礎的なアイデアを書き出し、アレックがそれを気に入った。その時点からアレックをぼくにゲーム開発におけるクリエイティブな決定をたくさん任せてくれるようになった。ゲーム開発の経験がなかったぼくは戦々恐々としていたけれど。
 アレックは局面を解決するためのおもしろい方法を作り出すのがとてもうまく、何でもできるようになる小さなシステムを開発したり、初心者のぼくでも簡単に扱えるツールセットを生み出したりして、技術的なレベルにあることをうまく誰でもわかるレベルに落とし込んでいた。*7
 少なくともぼくの知る限り、調子が最高にいいときの彼はそんな感じだった。かたや、ぼくはなにも知らない無能者だった。プロジェクトにほとんど貢献できず、ただのお荷物になるのではと怖れていた。
 アレックは六ヶ月かけてゲームのプロトタイプ制作に専念しようと提案してきた。ぼくは請負仕事をやらずに六ヶ月も制作に費やすのは(経済的に)無理だと伝えた。彼がキックスターター*8で資金集めをしようと言ってきたとき、ぼくはそれが無残に失敗するだろうと考えた。
 だが、成功した。*9そうしてあまりにも突然に、しかもその後幾度ととなくそうなるのだけれど、ぼくたちは「時の人」になった。何の前触れもなく、フリーランスのアニメーターではなくなってしまったのだ。ぼくはほとんど知らないような人たちとゲームを制作する法的な義務を負った、フルタイムのゲーム開発者になってしまった。ぼくたちはファンド成立の数週間後に小さな短編ゲームを作った。ぼくたちに制作能力があることをみんなに示す必要があった。ぼくはもともとアニメ版のユールログ*10みたいなものを作りたかったのだけれど、アレックが「ねえ、ぼくらはビデオゲームを作ってるんだからさ、インタラクティブ性を持たせてみようじゃないか」と言ってきた。それで、そうした。
 ぼくは中心となるメカニックと物語を彼に提案し、ぼくの記憶が正しければ、10日目には完成にこぎつけた。
 それが『Night in The Woods』プロジェクトにおける最初の本格的な作品、「Longhest Night」だった。*11粗削りで、脚本も稚拙だった。それでもぼくたちはとても盛り上がった。何かを作り上げたのだ。とりわけぼく自身にとっては初めて作ったゲームだった。アレックもスランプを抜け出せて喜んでいたように見えた。あるいは、あとで彼自身からそう言われたのだったか。

 それからの半年間は嵐のようだった。ベサニー*12が開発メンバーの中枢に正式に加わった。ぼくたちは2014年の2月に『Night in the Woods』の本格的な開発に着手した。数カ月後には急ごしらえで不出来なデモをGDC*13で公開した。ぼくたちのパブリッシャーである Finji *14(ファンド成立からまもなくしてパブリッシャーとして名乗り出てくれた)はその年のE3*15の招待を勝ち取ってくれた。
 E3はぼくにとっての最初のゲームイベントになった。アレックに直接会ったのもそれが初めてだった。それ以降も年に一二度ほどしか会わなかった。
 初めてのE3はきつくて疲労困憊になったけれど、幸いにもデモは一部の記者から好評を博し、来たるべき期待作として話題になっていった。
 その年の初めのGDCで、アレックがSNSで何人かの人物に対してキレて非常な悪意を示しているのを目撃した。彼は、自分は酔っている、誰かが自分を殺しに来るまでサンフランシスコを走り回ってやるつもりだ、といった内容のメッセージをぼくに送ってきた。業界のイベントで30代の仕事仲間から聞くセリフとしては奇妙だった。その晩は眠れなかった。翌朝、彼は薬を飲み忘れてしまい、そのせいで人の集まるところで不安を催したのだと言った。ぼくは納得し、ちゃんと薬を飲むように彼に言い聞かせた。 
 
 一ヶ月かそこらがたったころ、アレックのルームメイトが夜中にメールしてきた。アレックが彼を怖がらせている、という。アレックが自分自身や他の誰かになにか危害を加えるんじゃないかと心配していた。
 ぼくはアレックに何が起こっているか訊ねた。なんでもない、と彼は返した。彼のルームメイトは喧嘩した興奮でちょっと大げさになっていただけだ、と。
 ぼくは彼の知人がどういう人か知らなかった。ぼくらはそれぞれ違う国に住んでいた。真夜中だった。ぼくは落ち着かなかった。でも、翌日にはふたりの関係は修復されていたようで、オンライン上で冗談を言い合っていた。ルームメイトに関する奇妙な一幕にすぎないと思っていた。

 E3ではアレックとおおむね良い時間を過ごせた。パートナーとして通じ合っていた。ぼくはどちらかといえば社交好きだったので呼び込みを担当し、アレックは試遊をしている人たちを手伝ったり、つぎつぎと起こるクラッシュのたびにビルドを調整したりしていた。
 一日中立ちっぱなしだったフロアから解放されたぼくたちはホテルへ戻り、夕食を取るためにレストランへ向かった。ディナーのあいだ、彼がときどき元カノについて何かを言っていたのが耳に残っている。彼は付き合った相手については、何年経とうがものすごい悪口しか言わなかった。過去のデート相手はみんな恐ろしく、酷い人間で、彼を一切理解しようとしなかったのだそうだ。
 誰も? とぼくは訊ねた。
 彼はますます怒った。ぼくは話題を変えた。彼はあとで「疲れていて、なにを話しているのかよくわかっていなかった」といった。

 アレックは時折違和感のある発言をしていたけれど、いつもあとで「疲れていた」とか「自分で何をいっていたのかよくわからなかった」とか釈明した。ぼくはあの男のことをよくわかっていなかったのだ。わやくちゃっぽく見える一角以外のインディゲーム・シーンを知らなかった。彼が言及する人々についてもほとんど知らなかった。
 その年の秋、NITWの開発開始から一年が過ぎたころ、アレックの態度はより不安定になりはじめていた。彼の人生を破滅させようと陰謀をたくらんでいる人間が増えつつあると、ますます信じ込むようになっていった。ぼくは戸惑いをおぼえていたが、未だにそれだけだったともいえた。その時点でも、毎日ネットを介して交わされるプロジェクトについてのやりとりだけが彼という人物を知ることのできるほとんど唯一の手段だった。
 ぼくはそれまで精神的に不安定な人々にたくさん出会ってきた。というか、以前からぼく自身も精神的に不安定な人間だった。アレックは友人たちとの関係を自らぶちこわしにしているように思われた。薬を飲みつづける必要があった。
 お薬仲間として、ぼくは薬を飲まないと気分や雰囲気にどんな影響を及ぼすかを知っていた。ぼくはときどき彼の友人に声をかけて、こうした諸々について注意を喚起すると、彼らは「そうだね、アレックはときどきそんな状態になるんだ」と言った。彼は「そうなって」いたのだ。彼がよく「そうなって」いたのだとわかった。

 冬になり、NITW二作目のゲームを出した。『Lost Constellation』*16だ。たしか五週間かそこらで作った。あれは最高な出来事のひとつだったと思う。アレックはこれで精神を回復した。
 あのとき彼は、自分にとっては仕事こそ人生だからワーク・ライフ・バランスなんて必要ないんだと語っていた。ぼくは、以前にやっていた仕事の影響で、そんなふうな考え方はできなくなってしまった、と言った。
「なんてこった。俺も就職したことはあったけれど」アレックは言った。「あれは人生でも最悪な三週間だったな」
 ぼくは笑った。彼は冗談で言ってるんじゃないと説明した。ぼくはわかったと返した。アレックはときどきこういうことを言うのだった。
 彼はお金のことなんて気にかけないと話し、みんなが嫌っている仕事にしがみついているのがなぜなのか理解できないと語った。仕事なんかやめて、自分の夢を追える世の中になればいいのにと。つまるところ、いいゲームを作りさえすれば大金を稼げるのだし。
 そのときのぼくは彼をダウナーな知ったかぶり野郎みたいに感じ、世の中とはそれだけじゃ回っていかないものだと諭した。ベサニーとぼくは、アレックが豪邸で育ったお坊ちゃんだと想像していた。でも、そうではなかった。彼はただ、若くして金持ちになっただけの世間知らずな人間だったんだ。*17この彼の性分はNITWをすすめるにあたって次々と問題を引き起こした。
 ぼくはビー(家庭の事情により大学へ進学できなかったキャラクターだ)がなぜ実家を捨てて自身の夢を追うことができなかったのかをアレックに説明しなければならなかった。彼は、住んでいる街が嫌いならばただ出ていけばいいのに、と考えていた。
 しかし、アレックは学ぼうとする意欲も見せていた。「ああ」彼は言った。「そういうことだったんだね」
 そして、その後はまるで昔からそう知っていたかのようにふるまった。
 彼はぼくたちが権力者を嫌っていることも学んだ。そして、権力者について悪口をたくさん口にするようになった。「君たちが俺に良い影響を与えているんだ」と彼はいっていた。ぼくはそれを笑い飛ばした。

 2015年初頭、彼は前年の落ち込みから大きく回復していた。ぼくたちは彼があちこちでデートしていたと聞いていた。繰り返しになるけれど、その人たちの人となりや、その人と彼の関係については本当は何も知らなかった。ぼくたちはそのことについて話さなかった。アレックの衛星軌道上にある共通点のない人々とは話さなかった。
 話すわけがない。ぼくたちは違う国に住んでいた。じっくりと互いの情報を共有していたでもないし、普通は違う場所に住んでいる仕事仲間の知り合いを探し出して、その人について尋ねるなんてことはしないだろう。ぼくたちが知っていたのは、アレックは自由奔放で、よく子供じみた不機嫌っぽい振る舞いをする傾向があり、人の出入りが激しい幾分混沌とした家に住んでいて、よく誰かとデートはするが長期的な関係を築いたことはない、というぐらいだった。
 電話やネットの向こうにいる人達は、望むときに自分たちの物語を好きなように話すことができる。しかし、平日に仕事としてやりとりされるメッセージでは、その人たちの人生を余すとこなく描くことはできない。その人たちのツイートはその人たちの家や部屋のなかで起こっている出来事を示唆しない。結局のところ、ぼくたち誰もチャットウィンドウの向こうで何が起こっているのか知らなかったのだ。
 
 GDC2015の期間中*18、アレックは数日に渡って完全にぶっこわれていた。彼は周囲の人々に脅迫を行っていた。これが最初で、しかし最後にはならなかった。彼の望むとおりにやらなかったら自殺してやる、と僕を脅してきた。彼はどうにかしてすべてを好転させてほしいと望んでいた。みんなが彼の態度に怯えていることについて怒りをおぼえていて、その怒りは日に日に膨らんでいった。他のみんなが計らって彼に歯向かっていると思い込んでいた。「俺のせいじゃない」と彼は言った。
 彼みたいなことをやる人間を見るのは初めてじゃなかった。ぼくは他の誰かの幸福や行動や気分についての責任を引き受ける人間になっていた。若い頃からぼくに染みついた悪癖だった。このことが昔からぼくを虐待者たちに目をつけられやすくしていた。ぼくは援助のためにすべてを投げ売っていた。そういう人たちを助けるために夜通しつきっきりになることもあった。教会にいたときは、ぼくはそういうことをまさに数え切れないほどやったアレックと働いていた何年間かのあいだにも、それとは気づかないまま、彼が雰囲気を悪くしたり、奇妙なことを言ったり、怒ったりするたびに、物事をなめらかにするために自分に対して都合よく説明付けを行ったり記憶を修正したりするようになりだしていた。
 その年の残りのあいだに、ぼくは一生残る心の傷を刻まれた。GDCのすぐあとに、アレックはバンクーバーの住居から移るように要求された。そこの住民たちにとっての彼はもはや危険人物とみなされていた。ぼくが彼らでも同じように感じただろう。彼は最終的に彼の助けとなる実家のあるウィニペグ*19へ戻っていった。
 アレックは自分に繋がる橋を燃やして回っているように見えた。少なくとも、ぼくが離れた地点から目撃したかぎりではそうだった。彼は元気がなさそうに見えた。そしてしばらく姿を消した。『Night in the Woods』の仕事もすべて止めた。ぼくたちが話かけても、彼はほとんどなにも喋らなかった。かと思えば、突然すさまじく怒り出すこともあった。ぼくに対して、世界に対して、元カノに対して、彼の元ハウスメイトに対して、他のあらゆるものに対して。

 2015年の夏、いつのまにかぼくはパニック障害を連日起こすようになっていた。以前には発症したことのない病気だった。睡眠麻痺の症状も出はじめて、これも初めての経験だった。
 アレックはしばらくのあいだプロジェクトにほとんど顔を出さなくなっていて、いたらいたで虐待的な振る舞いをしていた。
 2013年にぼくが出会った男は、悪夢に成り果てていた。純粋な害毒だった。ぼくや他の誰かのせいで自殺する、という脅迫が増えた。彼はそのことについて暗号めいたことを言っては姿を消し、数日後にまた戻ってきてぼくたちをひとまずほっとさせた。もう彼の行動に口出しできなくなっていた。何かが起こったらぼくらのせいだ、と言い残し彼はまた去っていった。
 そうして、ぼくたちのゲーム開発は窮地に陥りつつあった。ぼくは『Night in the Woods』のために他で築いてきたキャリアを投げうってしまっていたし、パブリッシャーが奇跡的な力のおかげで資金をかき集めてきてはいたけれど、ベサニーとぼくの借金は増えていった。そのせいもあって、公の場でのぼくは何もかも問題なく進んでいるような笑顔を保たなければいけなくなった。ぼくらの未来はアレックの手の中にあった。そして、彼は悪夢となった。

 アレックの悪夢が数ヶ月ほど続いたその年の6月、ぼくはもうこんなことはやめさせようと決意した。ぼくならどうにか立て直せると。ぼくがプロジェクトを牽引するのだ。ゲームのディレクションについても急速に学びつつあった。ぼくはその年に七回もゲーム全体を一からデザインしなおした。そのたびごとにアレックを感心させようともした。彼はぼくの作ったプランを見ると「これは難しすぎるように思える」とか「どうでもいい」とか言って、ぼくはデザインをやりなおした。
 そのときゲームデザインについてぼくが記していた覚書を今読むととても笑える。それでも彼の不在のせいでぼくは成長を強いられた。ベサニーもだ。
 ぼくのパニック障害はどんどん悪くなっていった。パニック障害なんて感情の問題だと考えていたけれど、実は器質的なもので、たとえ不安を”信じて”いなくても発症するのだとわかった。パニック障害は単にパニックを起こすだけではない。胸を締めつけられ、凍えるような寒さを覚え、脳が警告を叫びまくるのだ。
 ベサニーはアレックを憎みだした。彼がぼくにやっていることを許せなかったのだ。
 ぼくの方は社会的な死を怖れていた。ゲーム制作が破綻すれば、ぼくらは破産し、借金まみれの状態で一からやりなおさなきゃいけなくなる。ぼくは一人の人間としてアレックに対して責任を負うのをやめて、プロジェクトに対する責任を引き受けた。チームを機能させるためだ。両方の責任を引き受けたのでは死んでしまう。
 セラピーにも毎週通い出した。抗不安薬を処方してもらった。セラピストは、ぼくがアレックの面倒をどれだけ見ていたかについてショックを受けていた。彼はぼくにアレックのやったことに対する責任を負う必要はないのだと繰り返し言い聞かせた。それは前からわかっていた。知っていた。でも、ぼくにはいまだにアレックのやることなすことすべてに対して責任があるような気がしていた。心のどこかで、静かにそう感じていた。今これを書いているあいだでさえ、そんな感覚が残っている。馬鹿げた話だ。これも虐待があなたに与える影響のひとつだ。当時は「虐待*20」という単語を口にするのさえつらかった。今だってちょっとつらい。

 資本主義や教えられて育った信仰への憎しみについて、いつか話したい。*21でも、特定の誰かがぼくにしてきた個別のことはあまり言わないつもりだ。それは馬鹿げた男らしさのうちなのかもしれないーー虐待とは他人の身に起こることであり、自分がその被害者になるわけがない、という。
 単にぼくの運が悪かっただけか、そもそも人生というものが不公平にできているせいかはわからないけれど、ぼくの身にそれが起こったとき、ぼくはタフになるしかなかった。あるいは、他のみんなにとっては大したことではなく、ぼくが過敏になっているだけなのかも。弱い人間なんだ。幼いころは大げさに感じすぎなのだとよく言われていた。
 小学四年生だったとき、父からパンチの仕方を教えられた。翌日にパンチを使う理由があったのだ。ぼくは学校でいじめられていて、骨折させられることさえあった。ぼくはいじめに立ち向かわねばならなかった。笑いとばすことも必要だった。そうとも、みんないじめっ子かクソ野郎だった。
 問題を抱えているなら直す必要がある。でもぼくは本当に虐待は受けていなかった。そんなことはありえない。

 その年の後半、アレックが五週間の集中セラピープログラムに参加してきたと言った。ぼくたちは大喜びした。彼は新しい薬を処方してもらい、それが自分にとって助けになると言った。もう一度、ぼくらは大喜びした。しかし、念のために言っておくと、その年の残りの期間のアレックは基本的に人を寄せ付けないままだった。ぼくはゲームにおけるアニメーションの制作の大部分を引き受けることで、彼のイメージを実現しやすくしようとした。ぼくはそれらの動画を今でも持っている。今夜も観なおしていた。アレックを励ませそうな曲もつけていた。たとえばロージー・プレイン*22の”Actually”*23とか。この曲はメイとビーが買い物に行って喧嘩するシーンのBGMだった。その年のぼくのテーマソングでもある。今この曲を聴こうとすると、不安感を催す。2015年は人生で最悪の年だった。

 12月が来た。アレックはあいかわらず不機嫌で、怒りっぽくて、開発にほとんど携わっていなかった。話しかけても反応しないか、キレるかのどちらかだった。ぼくは休みなく働くようになっていた。心も身体も次第に病んでいった。
 ゲームを完成させるには新しいメンバーが必要だとようやく思い立った。パブリッシャーである Finji のアダムとベカ―と話し合った。彼らとは知り合いではあったけれど、でもこのときはまだ大して親しいわけでもなかった。現場で何が起きているのかを話すと、彼らはショックを受けた。なにも知らなかったから。知っているわけがない。外からは順調なように見えていたのだ。彼らは即座に現場に介入し、アレックに援助の手を差し伸べた。そして、アダムはぼくたちのチームの生産性をあげる取り組みを考えはじめた。
 ちょうどそのとき、奇跡としか思えないことが起こった。あれはまさにクリスマスの奇跡だった、と後で冗談として言い合ったものだ。
 ベサニーは我慢の限界に達していた。ある朝、彼女はアレックに対する不満を友人たちに吐き出す用の twiiter の裏アカウントを作った。躊躇はなかった。アレックがいかにぼくらの人生をめちゃくちゃにしているかという内容を数十ほどツイートした。アレックがいかにぼくに対してひどい態度をとったか。ぼくがいかにして否応なくスキルを身に着けることを迫られ、ほとんどの仕事を負担しなければならなかったか、その他諸々。そして吐き出すだけ吐き出したあと、彼女は散歩へ出かけた。
 ぼくが目を覚ますと、アレックから Slack にメッセージが来ていた。彼女のツイートを写したスクリーンショットにこんな一言添えられていた。:「OK」
 ベサニーは裏アカに鍵をかけるのを忘れていたのだ。おそらくアレックは自分が以前携わったゲームについての言及が twitter上のどこかであると通知が来るように設定していて、彼女はそれを踏んでしまったのだろう。ぼくはパニックに陥り、ベサニーになにが起こっているかを問いただそうと靴も履かずに車に飛び乗り、彼女を拾うためにアクセル全開で近所を走りまわった。心臓発作に見舞われて死ぬかもしれないと思った。そのころは心臓の調子があまりよくない気がしていたのだ。加えて、過労が健康に影響していた。

 ベサニーはアカウントを消した。べカーとアダムがアレックと話し合った。

 その後の数日で、彼は……変わった。

 自分のやったことを理解した、と彼は言った。そして一週間もしないうちに彼は開発現場へ戻ってきた。2015年の12月にベサニーが twitterの愚痴アカに鍵をかけなかったことで『Night In The Woods』は救われたのだ。

 
 2016年、ぼくはまだパニック発作を起こしていたけれど、以前より症状はすこし軽くなっていた。ぼくたちの目にはアレックが変わったように見えた。彼はセラピーで課されたワークシートにこなしていて、いつもそのことについて話していた。その年の春に十一日間、ぼくたちといっしょに過ごしたときもワークシートを持参してきていた。ぼくにも効果があるだろうと考えたのか、ぼくにもワークシートを見せたがっていた。そのなかのひとつは認知の歪みに対する認知行動療法のリストだった。100%、役に立っただろう。
 彼は良くなっていった。やさしくて穏やかで感じが良くなった。2015年のあいだにぼくが雑に作り上げたデザインドキュメントからゲームを築き上げるために一日中働き、物事がうまく回り始めた。いくつかのシーンは2014年から2015年はじめの段階でほとんど完成していて、それらのシーン以外はグレーボックステストを始めたばかりだった。しかしまあ、まがりなりにもゲームを最初から最後までプレイできるヴァージョンではあった。
 2013年の時点では3,4時間程度で終わるゲームになる予定だった。だが、この20%しか完成していないヴァージョンでも5.5時間の尺があった。ぼくたちの予想以上のサイズだった。
 彼がアメリカを立つ前日、車に乗ってアレックを Night in The Woods のモデルにした場所へ案内した。2014年の彼はゲームの非デザイン的な部分に主に関わっていたし、2015年の彼はほとんど現場にいなかったからだ。彼はNITWが何についてのゲームかほとんど知らなかった。
 ぼくたちはヴァンダーグリフト*24を訪れた。ポッサムスプリングス*25の中心街の参考にした場所だ。ぼくたちはゴーストタウン・トレイル*26の開始地点であるセイラー・パーク*27から川*28向こうにある、ブラックリック*29の鉱山用機械の墓場へ行った。ボリヴァー*30へも行った。傾斜地の上からジョンズタウン*31を見下ろし、シーツ*32を紹介した。アルトゥーナ*33の丘の上にも行った。かつて、どこかの子どもが家のなかで叫んでいる大人たちから逃れて屋根に登って本を読んでいる姿を目撃した場所だ。これはローリー*34というキャラクターのもとになった。
 ぼくたちは半ば放置されて内部がごちゃちゃしている建物を通った。これは”マラードくんの墓”*35のインスパイア元だ。
 夕食をともにし、彼は彼に下された診断について胸襟を開いて語り、彼の人生がどのように変化したか、彼自身がどのように変わったかについて話した。かれが完全におかしくなってバンクーバーへの追放されてから、一年も経っていなかった。変化は起きたのだ。ぼくはそう確信した。その後、ぼくが確かめたかぎりでは、彼が違う人間になったことにみんな同意してくれているようだった。アレックは自分のマンションを手に入れて一人暮らしを始め、自分の闘病生活について正直に明かした上でメンタルヘルスの問題を扱うポッドキャストを配信しはじめた*36。この11ヶ月間で何年分も成長したようにおもわれた。
 ぼくは彼をやさしく励ました。彼が傷付けてきた人たちに対していつかつぐないをできるよう、手助けしたかった。彼もできるかぎりそうするといっていた。誰かがいつか自分の人生を破壊しようとしに来るとぼんやりした恐れを抱えたままではあったけれど。ときどき、間欠的な怒りの発作に見舞われることもあった。でも、彼はそのことについてもセラピストに相談していた。以前よりずっとずっとマシになっていた。
 それから一年でぼくはアレックと真の友人関係を築けたと考えるようになった。いとこのような存在になったとさえ言えるかもしれない。彼は2016年の9月にふたたび訪米し、ほぼ完成したヴァージョンのNITWを遊んだ。(ついに)発売日も設定した。2015年から続けていた休みなしの労働をついに止めることができた。ここ数年はリリースまでの苦労をたくさん語ってきたとおもう。かなり強烈な体験をした。ぼくのある家族がリリースの一週間前に自殺未遂を起こした。ぼく自身、不眠症のせいでキッチンでいきなり卒倒して、目覚めたら頭に傷を負っていた、なんてことがあった。パニック障害にも絶えず襲われた。その間、アレックはなにもかもずっと平穏に過ごしていた。

 業界のあるイベントで、めったに会わない友人何名かと顔を合わせて、ベサニーといっしょに夕食を食べることになった。かれらはゲームのラウンチについて尋ねてきた。今、どういう気分でいるのかと。
 ほとんどなんの前触れもなく、自分にすらわからないうちに、ぼくは泣き崩れながら、過去数年に起こった出来事をすべて吐露していた。最後にはほとんどパニック発作状態になっていた。アレックにも知られてしまうんじゃないかと怖くなった。なんといっても、ここはゲーム開発者のカンファレンスだ。もし、彼が聞いていたら? 誰かが彼に話したら? 一個の人間としてのアレックが怖かったわけじゃない。ただ、あまりに長い間、彼の機嫌の良し悪しに振り回されてパニックになるのを繰り返ししすぎた。彼が変わったあとでさえ、ぼくたちへ影響している。ゲーム発売されてだいぶ経っても、パニック発作は収まらなかった。消えてくれなかった。なぜかはわからない。
 困難な時期にあった男とチームを組んで、ゲームを作り方を学び、そして彼の状態が良くなり、ゲームを完成させ、なにもかも大丈夫になる。このときはそういう話だと思っていた。のちにぼくのセラピストは「そういうのはPTSDと呼ばれるもので、対処の方法はいくらでもあるんだよ」と教えてくれた。ここ一週間は何度も過去の出来事がぶりかえしている。すぐに戻ってきたんだ。でももちろん、ぼくはPTSDになるような男じゃない。だって虐待なんて受けたことがない。そうだろう? 虐待なんてなかった。あきらかに。*37
 2015年のぼくたちはもうアレックといっしょに仕事はしないと決めていた。友人たちには彼と働くべきではないと警告した。ぼくやベサニーに何が起きているかは、小さな知り合いグループに打ち明けていた。地元の友人であるダンはぼくをひどく心配し、「君と働いているあのカナダ野郎め」と怒ってくれた。ぼくの髪を切ってくれるローラーダービー*38仲間の女性は「あいつのケツを蹴飛ばしてやろうか」と言ってくれた。地元の友だちが大勢、憤慨してくれた。親友たちは実力行使を申し出た。
 ぼくはかれらに対して、この問題を誰にも言わないように頼んだ。よくあることだ。理由ならいくらでもあった。開発期間中はこのことについて公には話せなかったし、ぼくはアレックと公開の場でやりあうには疲れすぎていた。なにより、ぼくはアレックの社会の輪から遠いところにいて、そこで何が起こっていたかをまったく知らなかった。アレックについて似たような経験をした多くの人々も、ぼくや他の人には何も言わなかった。よくあることなのだ。アレックの秘密を守ろうとしたわけじゃない。ぼく自身を守ろうとしたんだ。そういうことだ。

 でもアレックは変わった! ぼくたちはそれを目撃した。彼が変わるさまを目の当たりにした。あたうるかぎり、注視していたんだ。
 アレックは2019年に新しいプロジェクトチームを唐突に発足させた。彼が問題行動まみれだったころから数年が経っていた。カンファレンスで講演し、新しい友人を作り、コーヒーや時間のマネジメントといった退屈な事柄についておしゃべりしたりした。私生活と仕事の両面でほんとうに健康的な関係を築けるようになっていた。ぼくは折りに触れてアレックの知り合いに彼がどうしているか訊ねた。順風満帆、と聞いた。ぼくは心の底から彼を誇らしくおもった。もう心配はいらない。ハッピーエンドだ。

 それから、すべてが崩壊した。*39

 先週はずっとアレックに親しい人ーー現在と過去の知り合いそれぞれーーを探し、話を聞かせてもらっていた。多くの関係者がぼくと同じような不気味な経験をしていたと知ってショックを受けた。良い話もあれば、おそろしい話もあった。苦しんでいるのが自分だけじゃないと知ったけれど、どんな気持ちになればいいのかわからなかった。
 ぼくたちがアレックと知り合う前の疑惑が先週報じられた。そのひとたちはぼくが信頼を置いている人々や、ぼくに親しい人々の支持を受けていた。突然、アレックが元恋人について語っていたことが脳裏を蘇った。よく愚痴っていた事柄。ぼくが彼をよく知らなかったときのことだ。すべて合点がいった。昔のことについて語っていた彼のセリフが今は全部合点がいく。過去の恋愛において起こった出来事が表沙汰になるの恐れて、彼は過去を糊塗していた。ひっかかりのない、さりげないセリフだった。でも確かにそこで気づけたはずだった。
 ぼくは疑惑について話そうとアレックと連絡を取った。彼は上の空で返事を返していた。そして、失踪した。それが彼との最後の会話だった。
 それからすぐに、沈黙が破られたときはしばしそうであるように*40、何名かの被害者が続々と名乗り出た。ぼくはアレックが変わったとおもっていたけれど、彼が2015年にぼくに対して行っていたような扱いを最近でも他のひとたちにしていたこともわかった。バンクーバーのシェアハウスでの問題がぼくが考えていたよりもっと深刻だったことも知った。そのせいで彼の友人のほとんどがもっともな理由によって彼と縁を切ったことも。
 アレックが上司として最低最悪だったことも知った。ぼくの知り合いの女性たちは、みんなそう感じてたと互いに知らなかったのだけれど、彼を恐れていた。過去に彼と働いたことのある人たちは、みんなぼくと似たような経験をしていた。アレックは同じパターンを何度も何度も繰り返し、そのたびに傷ついたり、うちのめされたり、虐待されたり、セラピー通いを余儀なくされたりした人々をあとに残していった。それらをいっぺんにやってしまうことだってあった。こうした告発のなかに当時知っていた男が再現されていると認めざるをえなかった。あらゆる細部が、彼がただの”キレやすいイジメっ子”ではないと証していた。アレックは他人を集団から孤立させるのに長けていて、そうした人々に彼をよりよい存在にしなければならないという負い目を背負わせていた。

 彼が意識して邪悪になろうとしていたとはおもわない。こういうことをやる人は、たいていそうだ。自分のパラノイアが彼自身の苦しみによって生じたものだとアレックも気づいていた。それはわかる。だが、それでも彼の振る舞いは改善されなかった。
 継続的に脅迫されていると思い込む一方で、彼は他者を物理的に脅していた。長年にわたって幾人もの女性を罠にかけてきたのに、その全員が彼に不当な恨みを抱いていると信じていた。今週アレックの知人たちと話していた気づいたのは、彼が他人をコントロールするために「自殺する」と脅す手法を色んな人たちに(主に彼の行動に責任を持とうとした人たちに)対して用いていたことだ。
 彼の知り合いだった何名かの人たちから、そうした彼の態度を伝えなかったことについて謝罪を受けた。そして今、ぼくはこれを書いている。遅すぎた。アレックが彼が他人にしたことを内心どう感じていたにせよ、結果的に彼のやっていたことは虐待でしかなかった。アレックは死んだ。彼のつけた傷は残っている。
 一週間で多くのことが人々に知られるところとなった。アレックから虐待を受けていた人々が同じ体験をした人と語り合いはじめた。ぼくもその一人だ。その体験をどうやって語ればいいかがわからなかった。でも今、こうして語っている。
 彼が他者に対して行ってきたことの深刻さについて、ぼくは知らなかった。傍からすれば、この騒動は火曜日に始まって土曜日にすべて終わったように見えるだろう。しかし、ぼくたちにとってはそれより遥かに長い期間続いているのだ。ぼくにとっては2013年から続いている。ある人にっては2005年から。また別の人は2009年から。あるいは2018年から。アレックはぼくに対して自殺を匂わせる脅迫を止めて、他の誰を脅しはじめたのだろうか? 彼が標的を変えたことはわかっている。新しい街へ移り、新しいチームへ移り、心を許せる新しい人へ移る。
 とても難しくつらい考えを山ほど検討したのち、ぼくたちはアレックとの関係を断つことを公表した。*41一部では「解雇」と報じられていたが、そのとき彼をクビにするようなプロジェクトはなかった。Infinite Fall*42は会社ではない。ぼくたちのコラボレーションにつけられた名前だ。Infinite Fall に上層本部なんて存在しない。カットする給料なんてのもない。ぼくたちの企画で大儲けにつながるようなものはなかったし、彼が一員となっているチームもなかった。彼とは「別れた」といったほうが相応しいだろう。というか、そのときすでに彼はとっくによそへ移っていた。

 彼が(少なくともぼくに見えた範囲では)変化を遂げていたことを、ぼくは評価したい。すばらしいゲーム開発者でミュージシャンだった、と言ってやりたい。2015年の長い不在のあとで、彼は『Night In The Woods』を「自分のゲーム」だとはあまり見なさなくなった。2016年にカンブリア郡*43の田舎道をドライブしながら、彼は「いつか自分自身であるような何かを作りたい」と語っていた。完全に彼自身からできあがった何かを。
 NITWが出たあと、バグ修正やパッチを仕上げつつも、さっさと別に移っていった。その後のことにはあまり関与しなかった。チームでの講演にも出席しなかったし、ぼくたちがやっていることについても関心が薄かった。(訳注・アレックが担当した)サウンドトラックのリリースには盛り上がっていたし、エピローグ用のミニゲームも共同で作っていた。でも、彼は死んでしまった。
 アレックの業績を称える一方で、彼のせいで業界を離れていった人々を想う。自分の夢や、作りたかった作品を諦めざるをえなかった人たち。著名なインディー開発者との仕事に惹かれ、挫折と経済的安定と彼からの逃亡とのあいだに絡めとられてしまった人たち。破壊的な存在としての彼に何年も人生を費やしてしまった人たち。PTSDに罹ってしまった人たち。セラピーに時間とお金を支払わなければならなくなった人たち。彼に因われているように感じていた人たち。ひとりの人間の業績が、あまりにも多くの人々を傷付けてきた事実に値するのかどうか、ぼくにはわからない。
 アレックには富と名声があった。ゲーム開発者になる夢を叶えるチケットのような存在に思われたことだろう。彼は興味を抱いた人物に取り入る術を心得ていた。性急なまでの早さでゲームをいっしょに作ろうと持ちかけ、彼を頼るように仕向け、プロジェクトとチームを投げ出し、ときにとてもひどいやりかたでふみにじる。今から振り返れば、そういうことが、ぼくが彼と知り合ってからも色んな人の身に起こっていたのだ。相手が女性である場合には、彼は彼女たちが本来与えられる以上の見返りを求めたりもした。関係を築く上では卑怯なやりかただった。ガキっぽくて、虐待的だった。そして望んだものを得ると、その人たちと彼らの夢を自分の道の脇に捨てて、また別の誰かを求めた。アレックとゲームを作るために職を捨てた人もいた。母国を離れた人もいた。なぜならアレックはフルタイムでのインディゲーム開発と、やりがいのある仕事と、業界での安定と未来を約束していたから。
 就職難が叫ばれ、夢を実現するためには不公平で険しい障壁がしばしばたちはだかる時代にあって、多くの人々がアレックの誘いに乗った。ぼくが2013年の6月にそうしたように。そして彼が姿を消した2015年に、ぼくとベサニーはその報いを受けた。彼の周囲の環境と、ぼくたちの我慢強さと、アダムやベカーの援助と、キックスターターでの法的責任が彼を守った。そして、『Night In The Woods』の成功が彼により大きな名声を与え、彼と共に仕事をしたいと望む人々を増やした。彼となら夢が叶うと思う人々を。サイクルはまわり続けた。

 一部の人々はアレックのひどい一面を見ずにすんだ。だがほとんどの人は見てしまった。

 ぼくはアレック・ホロウカのサバイバーだ。多くの関係者がぼくの想像よりひどい目にあってきたのだろう。なんといっても、ぼくは男だ。
 男性でない人たちはもっとひどい目にあった。ぼくは自分の受けた虐待の体験は特殊なものだろうと考えていた。彼を変えるのを手助けしたと思っていた。間違いだった。バカみたいな気分だ。気持ち悪い。これが、いかに一人の人間が何人もの犠牲者を食い物にし、それがバレなかったかの顛末だ。虐待はあなたを孤立させる。あなたを孤独な気分にする。虐待の経験を語ることさえ怖れさせるかもしれない。打ち明けたら打ち明けたで、誰もあなたを信じてくれないかもしれない。
 ほとんどの場合それは、静かに進行していく。何年もかけて。なぜなら、あなたは彼らに依存しているから。なぜなら、あなたの人生のいくらかが彼らに握られているから。なぜなら、あなたは打ちのめされ、沈黙させられてきたから。
 そしておそらく、あるときに何もかもが露見する。そのとき、あなたは自分のもっていたスナップ写真が現実の一部をなしていたことに気づき、他の人のものと比べてようやくその意味がわかるようになる。そのスナップ写真は寄せ集められ、ひとつの大きな画を形づくった。そして、アレックは死んだ。数年来の友人であり、共同制作者であり、家族であり、彼を生かし続けるプロだった。だが、自分のやっていることを止めない人を止めることはできないものだ。何年かけようが関係ない。アレックはついに自分自身に捕まったのだ。
 どんなことがあっても、ぼくはアレックを心から気にかけていた。でも、かばいだてして周囲の誰かを傷つけられるようにしてしまうことは、気にかけることとは違う。なにもかも、上向かないこともある。なにもかも、めちゃくちゃになることもある。なにもかも失敗に終わることもある

 彼は死んだ。彼がぼくにしてきたことと、それが今のぼくにどんな意味があるのかを、うまく言葉にできないままでいる。



proxia.hateblo.jp

proxia.hateblo.jp

*1:その後、Night in the Woods でも再受賞する

*2:ホロウカの自殺は告発から4日後の2019年8月31日。この記事が書かれたのは9月3日

*3:2000年代中盤にミドルウェアゲームエンジンの入手ハードルが低まったことにより、高クオリティなインディゲームがつぎつぎと生み出されて個人・小規模開発のゲームが業界的な注目を浴びた。しかしリリースされるインディーゲームが増えるにつれ、市場が飽和気味になりはじめると、過剰供給によって界隈ごと崩壊してしまうではないかという懸念が生まれた。これが”indiepocalypse”で、2015年ごろに起こるのではないかと予想されたものの、結局崩壊はしなかった。ただ、2016年以降インディー業界全体の成長は大きく鈍っていき、毎年のように頭打ちが叫ばれることとなる。

*4:2007年のアクション・アドベンチャーゲーム。ホロウカとデレク・ユウ(のちに Spelunky を開発)による共同制作

*5:Marian というタイトル。Aquaria をリリースしてから数年はこのタイトルにかかりきりだったという。開発中にホロウカがブログで「マリオネットにおける「他人をコントロールしている」「他人にコントロールされている」というアイディアに惹かれた」と語っているのは今になっては結構重要な発言かもしれない。https://www.gamasutra.com/blogs/AlexanderHolowka/20110214/88965/Marian_From_3D_to_2D.phphttps://www.gamasutra.com/blogs/AlexanderHolowka/20110214/88965/Marian_From_3D_to_2D.php

*6:Marian が当初3Dで開発されていたにもかかわらず、途中で2Dに切り替えて一から制作をやりなおしたことを指している。https://www.gamasutra.com/blogs/AlexanderHolowka/20110214/88965/Marian_From_3D_to_2D.php

*7:このへんのことは、2014年のインタビュー記事でも語られている。https://medium.com/@wsong/interview-scott-benson-on-night-in-the-woods-c6a7ed09367chttps://medium.com/@wsong/interview-scott-benson-on-night-in-the-woods-c6a7ed09367c

*8:クラウドファンディングサイト

*9:目標額の5万ドルを超える20万ドルを調達。https://www.kickstarter.com/projects/1307515311/night-in-the-woods/posts/639908

*10:アメリカなどでクリスマスの時期に流される、暖炉で燃える薪の画を背景に延々とクリスマスソングを垂れ流すテレビ番組。おそらくベンソンが言っているのはゲーム性のないアニメーションノベルみたいなもののことか

*11:Night in the Wood 本編のパッケージに収録されている。

*12:ベサニー・ホッケンベリー。ベンソンの妻。共同制作者の一人で、シナリオに深く関与。

*13:Game Developers Conference 毎年一〜数回、世界各地域ごとに行われるゲーム開発者のためのイベント。ベンソンが言ってるのは2014の3月にサンフランシスコで行われたGDC2014のこと

*14:横スクロールランニングアクション『Canabalt』の開発者として知られるアダム・サルツマンとその妻のレベカーが2006年に立ち上げ、2014年に本格的なゲームスタジオとしてリニューアルされたパブリッシャー兼デベロッパー。ホロウカとは『Portico』というゲームを共同開発していたものの、途中で頓挫。その顛末はGDCの講演でアダム自身の口から語られている。https://www.youtube.com/watch?v=K0hO2ihn-Zw 『Night in the Woods』のパブリッシャーになったのもホロウカつながりだろうと推測される。

*15:Electronic Entertainment Expo ロサンゼルで開催される世界最大級のコンピューターゲーム見本市(wikipediaより)。大手のビッグタイトルのお披露目の場であると同時に、インディー開発者にとっては注目を浴びる絶好の機会

*16:2014年12月リリース。現在は本編パッケージに同梱。

*17:前述のとおり、ホロウカは23歳でインディ業界トップのクリエイターとなっている

*18:3月初旬

*19:カナダの都市

*20:abuse

*21:ベンソンは信仰心の強いコミュニティで育ち、それがNITWにも影響したとインタビューでたびたび語っている。

*22:イングランド出身のフォーク・ロック/オルタナティブ・ロックバンド。

*23:https://www.youtube.com/watch?v=H4S0ME8Xyc0

*24:Vandergrift ペンシルバニア州西部に位置し、20世紀初期には世界最大級の板金工場を抱える街として栄えた。1940年には1万人を超える人口を抱えていたが、現在は人口5000人を割っていると見られている。住民の90%以上が白人で、人口の約16%が貧困線以下の生活をしている。

*25:NITWの舞台となる架空の田舎街。昔は工業地帯として栄えていたが、現在は活気がなく、うつうつとしている。

*26:Ghost Town Trail ブラックリック(街)からエデンズバーグまで60キロほど伸びているトレイル。不吉な名称は通り道に(石炭鉱業の衰退によりできた)ゴーストタウンが多く点在していることに由来する。自虐にも程がある。

*27:Saylor Park ブラックリック北側にある公園

*28:Blacklick Creek か

*29:Black Lick ペンシルバニア州西部の街。ヴァンダーグリフトから見て南東。石炭を多く産出したことが地名の由来

*30:Bolivar ブラックリックの南にある、0.46平方キロメートル程度の小さな町。人口は450人足らず。20世紀初頭にはれんが工場の街として栄えたが、大恐慌により衰退。

*31:ボリヴァーからさらに南東にある、比較的大きな都市。人口2万人程度。ブルース・スプリングスティーンの曲にも歌われているとか。

*32:Sheetz ペンシルバニアを中心に南部の州でコンビニ兼ガソリンスタンドを展開するチェーン。全国に六百店舗ほど。

*33:ジョンズタウン北東にある都市。人口4万5000人ほど。前述のシーツの本社があり、一時期そのシーツと『スーパーサイズ・ミー』で知られる映画監督のモーガン・スパーロックに市名のネーミングライツを売っていた。

*34:ポッサムスプリングスに住むネズミの少女。よく屋根の上で発見される。

*35:ポッサムスプリングスのお祭りでかつて使われていた大きな人形マラードくんの投棄された倉庫。マラードくんのなかにはネズミが住んでいる。

*36:ホロウカの開発会社 infinite Ammo のサイトにかつてアップされていたが、現在は非公開。初回のゲストはベンソンだった。

*37:ここは明らかに反語的表現

*38:ローラーゲームのこと。ローラースケートを履いて行うスポーツ。詳しくは映画『ローラーガールズ・ダイアリー』を観ろ。

*39:アレックに対する告発を指す。

*40:各業界で起こった metoo的なムーブメントのことを指している

*41:https://www.theverge.com/2019/8/28/20837342/night-in-the-woods-game-cancelled-alec-holowka-assault

*42:NITWのためにホロウカとベンソンが立ち上げたディベロッパ

*43:ペンシルヴァニア州。上述のジョンズタウンなどが属している区域

『レキヨミ』も読まずに天国へ行くつもりかい?

$
0
0



 神。信頼。犠牲。正義。
 信心。望み。愛。
 言うまでもなく、”姉”も。そう、そう。これはいつだってそう。

  ーーマーガレット・アトウッド『昏き眼の暗殺者』鴻巣友季子

f:id:Monomane:20200813001958p:plain


 レキとヨミは姉妹です。森の奥にふたりで暮らしています。妹のヨミは薬を作る才能はあるのですが、人見知りなために薬売りとの交渉以外の外向きの用事は姉のレキにまかせきりです。基調はファンタジーで、ふたりを含めた人間キャラには獣耳としっぽが生えている(かつ指行性)という世界観設定があるのですが、まあそれはここでは措いておきます。
 レキは妹のことが大好きです。大好きなのですが、第一話の冒頭でいきなり妹の財布を盗んで雑貨屋でお菓子を買おうとします。また、あるエピソードでは石化したレキをやはり雑貨屋に飴玉一個で売りとばします。
 繰り返しますが、レキは妹のことが大好きです。妹のよだれを何のためらいもなく飲むくらいには。まあしかし、愛情だの信頼だのといった感情を抱いているからといってひとはひとに全面的にやさしくしたり、その裏返しとしていじわるしたりするわけではありません。倫理や欲望といった行動基準は愛とはまた別の軸にあるのだし、妹を家の壁に埋めたまま一日じゅういじくり倒す姉妹愛だって存在します。おそらくは。
 ヨミは外では引っ込み思案ですが、姉妹の間に限っては活発に振る舞います。レキの行き過ぎた行いに不利益や不快を被るたびに思い切り腹パンし、レキは死にます。


 レキはよく死にます。

 
 一話に二度三度死ぬのもよくあります。この世界では死亡するとどうやら生首のような霊体が身体から抜けでて生者とも意思疎通を図れる仕組みらしいのですが、なにぶんギャグ漫画のことなのでよくわかりません。説明もありません。ただレキは繰り返し死に、繰り返し復活します。妹から殴られるだけではなく、ガラスの破片を踏んだり、すっ転んだだけでも死にます。死んだり生きたり直角になったり伸びたり分裂したりしながら、彼女なりに姉としての役割を果たそうとします。

 なぜならヨミにはレキしかいない。
 最初、ヨミとまともな関係(まともではないですが)を築けているのは姉のレキだけです。世間とはほとんどまともな交渉を持っていない。それでいて、ある冒険家の記した冒険記を耽読し、憧れたりもする。外界に興味がないわけではありません。
 混沌としたスラップスティックコメディである『レキヨミ』になんらかの筋を見出すとすれば、ヨミが「外」へ出る、というところでしょうか。
 一巻では、レキがひきこもりがちなヨミをなんとか外へ連れ出そうと試みたりもします。結局そのときは成功しないのですが、全三巻をつうじて、ヨミはすこしずつ外へと進出していきます。その媒介となるのが、雑貨屋のおねえさんや前述の冒険家のおねえさんや警察官のおねえさんやとにかく理不尽なキノコ屋のおねえさん(このまんがに出てくるのは基本女性キャラだけです)との交友で、要するに姉や姉的な人物が世界への窓口となっている。
 レキがよく死ぬのも姉だからです。妹に先立つ存在として姉がいるのだから、先に死ぬのはあたりまえです。そして死なないのもまた当然なのです。
 
 なにかと華美で華麗な作品のならぶ『ハルタ』誌上では「唾液と血と暴力にあふれた意地汚い『ハクメイとミコチ』」、「ファッショナブルでも耽美でもない『エニデヴィ』」などと不当な揶揄をされがちな本作[誰によって?]ですが、ことに姉妹の真理を射抜いている点ではこれ以上ないほどにうつくしく、2020年代を代表する姉まんがのひとつになることは間違いないでしょう。全三巻。おしい良作が終わりました。もって瞑すべし。


レキヨミ 1 (HARTA COMIX)

レキヨミ 1 (HARTA COMIX)

落ちる。――『Fall Guys: Ultimate Knockout』

$
0
0

f:id:Monomane:20200814012706j:plain

 六十名からなる豆人間たちがひとところに集まって「ゲームショー」をやらされる。「エピソード」=ステージごとに二割から三割程度が失格となり、最終的にたったひとりが勝者となる。
 わたしたちは Fall Guys でサバイバルのなんたるかを初めて知ることになるだろう。PUBG、Fortnite、Apex Legends、これらのバトルロイヤルは真の意味において人生ではなかった。厳しく残酷な命の取り合いを装いながらも、その実、小学校のグラウンドの行われる雪合戦となんらかわらない牧歌的な遊戯だった。
 撃たれて死んだとしてもそれはプレイヤーの死ではなかったし、敗北はめぐり合わせでプレイヤーの敗北に直結しない。わたしたちは真剣に遊んでいたかもしれないが、真剣に殺し合ってはいなかったのかもしれない。


 Fall Guys を本気(マジ)だと感じるのはなぜだろう。落ちるからだ。負けるときは落ちるときと定められている。タイトルにもそう定義されている。落ちるものども。そのバーティカルな破滅は、他のバトルロイヤルのごときホリゾンタルで(そこでは落下しても無傷で)フラットで(あたかも落下を検討すべき運動などとは考えてはいなくて)テイストレスな敗北(敗因がはっきりしている)とは一線を画している。本気がある。本物の生と死がかかっている。

 
 サバイバルの原義とは、他人をマスティフガンで撃ってアイテムの詰まった棺に変えることではない。特設ステージでクソデカなトラヴィス・スコットや米津玄師を愛でることでもない。生き残ることだ。『死のロングウォーク』のように、背後から迫ってくる死の境界からいかに逃れて続けていられるか。血を吐きながら続ける不毛な競歩こそがサバイバルだ。
 どこかで落ちたとき、あなたは Eliminate される。失格という意味だ。排除されるという意味だ。それは60名の参加者だれの身にも平等に訪れる。ランクマッチが用意されていないのはある種の教義でもある。次はあなたであるかもしれないし、わたしであるかもしれない。誰もが落とし穴に落ちる可能性がある世界。ふとしたスリップで排除されてしまうかもしれない世界。ひとりしか勝てない勝者総取りの世界。それをわたしたちは資本主義と呼ぶ。あるいは、たんに社会と。


 武器やアイテムなどどこにも落ちていない。アビリティやアルティメットなんてもの使えない。自分の肉体さえ自由とは言えない。できることはジャンプとタックルとエモート、それと哀れっぽく他人の袖を引く動作くらいだ。あなたは何度も落下し、回る棒やハンマーに弾き飛ばされ、ドラムの上を回り、シーソーで滑り、他人に踏み潰され、転ばされ、卵やボールを奪ったり奪われたりしながら、五つの「エピソード」を勝ち残っていく。
 そうだ。思い出してほしい。これは「ショー」だ。誰かがスライム床で滑りながらもがくあなたを見て笑っている。でもその観覧者の姿を捉えることはできない。それもまたリアルだ。必死な人間の姿を見るのはわれわれにとっての最高の娯楽だ。スポーツがそうだ。リアリティ番組がそうだ。インターネットがそうだ。現実がそうだ。生きるとはそういうことだ。


 山田風太郎だったかスティーブン・キングだったかが、物語には二つの型しか存在しないといっていた。穴に落ちる話か、落ちたあとその穴から這い上がる話か。
 誰もかれもが落ちていく。
 問題は落ちないでいられるかどうかではない。
 いつ落ちるのか、だ。

おまえはネコにふれるたびに人生をセーブする。ーー『Ikenfell』

$
0
0

ゲームの説明に必要なことは他で書いたので、ここでは書きたいことだけ書きます。

store.steampowered.com

姉について

f:id:Monomane:20201101001625p:plain
姉は何も教えちゃくれない。

『Ikenfell』は失踪した姉を探す妹の話だ。その妹が姉と出会えるのはラスボス戦直前で、直接会話するのはエンディング後のエピローグに入ってから。これは人探しの物語としてはけっこう珍しい。
 本作における姉は徹底して不在の中心であって、不在であるがゆえに関係するひとびとの心をかき乱す。
 主人公である Maritte は姉の Safina と仲良しの姉妹として育った。Safina には魔法の才能があり、実家から離れて魔法学校で生活している。その姉がいなくなった。魔法の力をもたない Maritte であったけれど、勇を鼓して Ikenfell(地名)にある魔法学校へ事情を探りにやってくる。
 捜索の過程で彼女は Safina の学友でありいたずら仲間である Rook や Petronella と出会うのだが、かれらは一様に Maritte の存在に驚く。「Safina に妹がいたなんて、聞いたことなかった」
 Safina は終始謎めいた存在として物語に影を落とす。現在進行系でどこで何をやっているのかがわからないだけでなく、過去にも多くの秘密を抱えていたらしい。親友である Rook たちにも明かしていない秘密を。
 その謎めきはかれらに不信の念を植えつける。自分たちが理解していたはずの Safina は本当は違う人間だったのではないか。いったい彼女は何を考えていたのか? 問いかけに応えるものは存在せず、ただ疑念は反響し、かれら自身に秘められた闇や秘密の種を膨らませていく。
 姉の秘密は世界の存亡にまつわる魔法よりも遥かにマジカルだ。

f:id:Monomane:20201101001910p:plain
戦闘はダンサブルでたのしい。

 
 エピローグで再会した姉が明かす「答え」は実に身勝手で、人間臭くて、矮小で、くだらない回答だ。20時間かけてたどりついたのがこんなものだったのかともおもう。しかし、ゆえに、だからこそ、『Ikenfell』は2020年でも最高の不在の姉ゲームでありうる。
 姉のつまらない自意識と桎梏は、世界の滅亡よりも破滅的だ。

音楽とセクシャルマイノリティ的なテーマについて

f:id:Monomane:20201101001548p:plain

『スティーブン・ユニバース』のエレクトロ・ユニットである aivi & surasshu がサウンドトラックをてがけている。めちゃくちゃいい。神。サントラだけで200点。*1
 ところで、ユニットの片割れである aivi はインタビューに応えてこんなことをいっている。


 クリエイターの Chevy Ray は、私(aivi)と Surasshu が結婚していることが、このゲームのバイブスにハマるだろうといってくれたんです。


https://hardcoregamer.com/2020/10/30/interview-with-ikenfell-composers-aivi-surasshu/391106/


 どういうこっちゃ、とおもわれるだろう。
 これは、Ikenfell で仲間になるキャラクター(主人公含めて)六名のうち三名がそれぞれ異なる三人称代名詞*2を持っていて、物語上でかれらの恋愛や友情といった他者との関係が大きなウェイトを占めていることと関係している。
 そして aivi はノンバイナリーを自認*3していて、クリエイターの Chevy Ray Johnston 自身もノンバイナリー*4だ。社会では現状規定されている男女二元の外にあるジェンダーであっても「他人と関係を築いて」結婚したという経歴を持つ aivi に、Chevy は「バイブス」を見たのかもしれない。
 そして、そうしたアングルは『スティーブン・ユニバース』とも近接している。気がする。

f:id:Monomane:20201101001455p:plain
ところでこれは百合

 セクシャルマイノリティを要素として取り入れることはインディーゲーム界隈においてSFジャンルを中心に枚挙にいとまなく、一歩進んで主題や物語の核に据えた作品もそれなりに存在する*5。それらはだいたいがゲイ&レズビアンの同性愛分野だったりしたのだけれど、近年では『Sweet little Heaven』や『If Found…』のようにトランスジェンダーだったりノンバイナリーだったりをド直球で扱う作品もすこしづつ目立ちはじめてきた。
 しかし、そこらへんの領域に限れば『Ikenfell』の立ち位置はやや独特で、ゲームの彩りにつまんどきました程度のものでもなければ、ジェンダーアイデンティティや自我の揺れについてガッツリ悩む系のものでもない。
 自分の人格は自分として既にあり、そのうえで外部との関係のうえで自分はどうあるべきなのかを悩む、という、まあいってしまえば普遍的な対人関係のテーマを扱っている。ゲーム中に占める割合は大きすぎもしないが小さくもない。そんなバランス。

ネコ

『Ikenfell』ではフィールドのいたるところにネコがいて、触ると体力が全回復する。すごい。さらにセーブまでできる。えらい。

f:id:Monomane:20201101002059p:plain
ネコなで

 あるいはその機構は現実に則っているのかもしれない。
 わたしたちはネコをなでるたびに消耗した身体が全快し、セーブしているのかもしれない。そう考えると極めて現実的におもえてくる。逆に、この世でネコ以外にセーブポイントにふさわしい存在があるだろうか? いや、ない。イヌは頼れるパーティメンバーにはなってくれるだろうが、セーブポイントには絶対にならない。ネコがセーブポイントにはなってくれても、パーティには絶対加入しないように。
 してみると、『Ikenfell』は落下するりんごに重力の作用を初めて見出すような転回を果たしたことになる。
 あなたは『Ikenfell』をやる前とやった後ではネコの見え方が違ってくる。にゃあ、と鳴く声はセーブ完了の証だ。すべてのネコは宇宙のどこかのアカシックレコードにつながっていて、あなたを随時記録している。あなたたちを記録している。

f:id:Monomane:20201101002208p:plain
かとおもえば、道に立ちふさがってプレイヤーを妨害するネコもいる。ネコたちも一枚岩ではない。ドアだけに(?)

 ところ、この世界でネコアレルギーのひとはセーブしたいときはどうすればいいんだろうか。まあオートセーブ機能もありはするのだけれど。

*1:ちなみに一部のキャラにキャラソンみたいなヴォーカル入りの歌がつくのだけれど、一応ゲームに沿ってはいるけど出てくる固有名詞がわたしたちの世界よりというか、サビでキング牧師を讃えたりとなかなかエッジが効いている。

*2:he/him, they/them, ze/zir

*3:https://twitter.com/waltzforluma/status/1283239018839199744

*4:twitterプロフィールより

*5:『Analogue: A Hate Story』、『Butterfly Soup』、『Gone Home』とかか。やったことあるやつとなると偏ってきますね。ネトフリドキュメンタリーの『ハイスコア:ゲーム黄金時代』でも、ゲイ&レズビアンテーマのインディーゲームのはしりみたいなタイトルが取り上げられてた。

日本姉SF傑作選を編む。

$
0
0

f:id:Monomane:20201120022810p:plain



お願いだから戻ってきて、置いていかないで、と頼んでみても、姉はもうどこにもいない。


――ケヴィン・ウィルソン「今は亡き姉ハンドブック:繊細な少年のための手引き」


日本姉SF短篇傑作選を編む。

2000年代海外SF傑作選 (ハヤカワ文庫 SF エ 7-1)

2000年代海外SF傑作選 (ハヤカワ文庫 SF エ 7-1)

  • 発売日: 2020/11/19
  • メディア:新書
f:id:Monomane:20201120021632p:plain
・予約注文してた『2000年代海外SF傑作選』が土曜日まで届かねえ〜。ということで織戸さんに便乗して何者にも影響されない、完全にオリジナルな発想から出た企画として架空のアンソロ組むあそびをやります。
saitonaname.hatenablog.com

・「姉SF」というワードが市民権を得たのは飛浩隆『自生の夢』(追記: 織戸さんから指摘がありましたが、単行本化は2016年で、2019年は文庫化の年です)が出た2019年ごろだったと記憶しています。「星窓」がなんか姉SFみたいな言われ方して、前年に出ていた『ランドスケープと夏の定理』もそうではないか、と騒がれ、秋頃に無料公開された小川哲の「魔術師」ですっかり定着しました。ええ、今ではすっかりおなじみです。まるで昔なじみのようなきやすさでここにいます。うるさいな、定着したんだってば。差別ですか? サブジャンル差別ですか? こっちはちゃんと合衆国憲法暗唱してグリーンカードを取得したんですよ。なにもやましいところなどありません。
・実際には定着しなかった。2020年に入るとあんまり言われなくなった。理由:ムーブメントにならず、供給が興らなかったから。*1
・本アンソロは影の歴史を救う試みです。たしかに姉SFはあったのです。論や定義ではなく、作品を並べるだけでそれを証明できる。それがアンソロというものではないですか。作品目次がタペストリーのごとく、ひとつの年表になる。それもアンソロというものでないですか。以下に記すリストは「金史」対する「金史別本」のようなものです。義経ジンギスカンだったんだよ。
・でもアンソロって長編を位置づけられなくない? うーん、そうね。
・なぜ姉でSFなのか。姉とは時間論であり、決定論的存在だから。はい論破。あとはみなさんおうちの人と考えてください。
・編者はSFのあまり良い読者ではない*2ので、「こういうのもあるぞ」というご意見も随時募っています。実力のある読み手がドシドシ編むべきだ。
・ある属性で括って消費することについての罪深さ、後味のわるさ、そうしたものを超克するためにも、わたしたちはわたしたちのテーマアンソロジーを編まねばならない。過去の総括からはじめねばならない。

レギュレーションというか都合

・日本人作家が日本語で発表したもの限定。
・ちゃんと一冊の文庫に収まる分量でまとめる。ゆえに中編(Kindle換算で1000越え)は一遍に絞った。とりあえず総計で5000未満に収めたい。
・編者の姉観に反するものでも歴史的に重要とおもえば入れる。
・確認作業の都合上 Kindleで読めるものに限る。あとページ計算も楽だし。
・以上。

日本姉SF傑作選ラインナップ

神林長平「綺文 kibun」(『言壺』ハヤカワ文庫JA)400
筒井康隆姉弟」「ラッパを吹く弟」(『幻想の未来』角川文庫)80
皆川博子「たまご猫」 (『たまご猫』ハヤカワ文庫JA)230
萩尾望都「半神」(『半神』小学館文庫)16p
高島雄哉 「ランドスケープと夏の定理」(『ランドスケープと夏の定理』創元SF文庫)1160
伏見完「「仮想の在処」(『伊藤計劃トリビュート』ハヤカワ文庫JA) 560
飛浩隆「星窓 remixed version」(『自生の夢』河出文庫) 390
小川哲「魔術師」(『嘘と正典』早川書房) 420
遠藤徹「姉飼」 (『姉飼』角川ホラー文庫)570
山田風太郎「万太郎の耳」(『奇想小説集』講談社文庫) 260
伴名練「ホーリーアイアンメイデン」(『なめらかな世界と、その敵』早川書房)480

総計:4810?

各篇紹介

神林長平「綺文 kibun」

言壺 (ハヤカワ文庫JA)

言壺 (ハヤカワ文庫JA)

 その*3姉観や扱いに同意するかどうかは別にして、日本の姉SFといえば何をおいても神林長平の名を出さないことにははじまりません。「綺文」は「おれが書きたい文は、こうだった。『私を生んだのは姉だった。姉は私をかわいがってくれた。姉にとって私は大切な息子であり、ただ一人の弟だった』」という象徴的な書き出しから始まる話で、恐るべきことに実体としての「姉」が終始登場しない。リテラルでラジカルな短篇です。どういう話かは『言壺』を読んでもらう*4として、デビュー短編集『狐と踊れ』に収録された「返して!」における「姉という属性と母という属性の二重性/背反性」という神林独特のフレームが発展的に盛り込まれていて、作家論の側面からも大変興味深い一編です。

筒井康隆姉弟」「ラッパを吹く弟」

幻想の未来 (角川文庫)

幻想の未来 (角川文庫)

男系のイメージの強い筒井一家ですが、存外に、あるいはだからこそ、というべきか、姉弟の繊細かつブルータルな関係を掌編サイズでファンタスティックに活写しています。高橋葉介のコミカライズもヨシ。

皆川博子「たまご猫」

たまご猫 (ハヤカワ文庫JA)

たまご猫 (ハヤカワ文庫JA)

 姉フィクション好きを自認するなら、小川未明と並んで皆川博子の短篇はマストでしょう。「禱鬼」「獣舎のスキャット、そして"「私は"姉”ですもの。弟のために滅びる姉ですもの。いつの世でも、姉と弟の物語を、姉が聞きわけないでいるものですか」”という姉文学史上最高の名文句でおなじみの厨子王」。SFのイメージが薄い作家ではあるものの、なんとかねじこみたいので幻想味の強めな「たまご猫」を入れました。『たまご猫』の文庫はハヤカワJAから出ているのでSFです。

萩尾望都「半神」

半神 (小学館文庫)

半神 (小学館文庫)

姉マンガの名作は枚挙にいとまがないのですが、連作や長編がかなりの割合を占め、独立した短篇となると限られてきます。それでも一作のみとなると識者の議論が紛糾することは間違いありません。本当はわたしだって「25時のバカンス」(市川春子をいれたい。でも本来イレギュラーなまんが枠で前後中編サイズのまんがをぶっこむほど非常識でもはしたなくもない。本当に本にするわけでもないのに、一体なにと闘っているのでしょうか。わかりませんか。最後の敵は己自身なのですよ。*5
 ということで、ここは萩尾望都の鉄板傑作でひとつ収めてもらいましょう。たった16pで「双子の姉妹」の関係が何度も反転していきながらその本質をえぐっていく巧みな構成。さすがの切れ味です。

高島雄哉「ランドスケープと夏の定理」

中編サイズでスペース取りまくるの*6ですが、やはり本作を入れないことには姉SFアンソロジーの看板は掲げられないでしょう。2020年代のわれわれはヒロイン的な文脈で理想化された姉をギミックとして扱うことを常に注意を払わねばならないわけですが、それはさておき本作が日本姉SF史におけるマイルストーンであることは間違いなく、たとえば稲田一声の「おねえちゃんのハンマースペース」なども(直接的な影響の有無は別にして)ポスト「ランドスケープ」の流れのなかに位置づけられます。日本姉SFの看板が欲しくば俺を倒してから行け、そんな著者の矜持が聞こえるようです。幻聴ですね。

伏見完「仮想(おもかげ)の在処」

本アンソロ中ではもっともセオレティカルな姉SFかもしれません。出生直後に呼吸が止まり、その脳機能をコンピュータ上に移植されて成長した双子の姉の話。「死んだ姉」は言うまでもなく姉フィクションにおいて最もポピュラーなモチーフであり、死んだ姉を幽霊として登場させればゴースト・ストーリーにもなる*7。「仮想の在処」ではそうした定型を上手くSF的なアイディアと合流させました。記憶SFにも分類されるかもしれない。伏見完は現状寡作で作風をジャッジしづらいのですが、本作のあとがきを読むかぎりでは百合の文脈を持った人らしい。

飛浩隆「星窓 remixed version」

自生の夢 (河出文庫)

自生の夢 (河出文庫)

夏、姉、星。いまさら編者がどうこう付言する必要もないでしょう。「本物の星は、美しくなんかない。星ぼしは人間にまったく関心なく、ただ超然と、荒涼とかがやくだけだ。だからこそいつまでも見ていたいんだ。」。わたしたちはこのような文章を目の当たりにしたときには一言、こう言うのです。「出来ている」、と。

山田風太郎「万太郎の耳」

奇想小説集 (講談社文庫)

奇想小説集 (講談社文庫)

人間を徹底的に一つの道具、一つの形式として捉える意識の在り処を探るには、まず山田風太郎を再読すべきなのかもしれません。いえ、欺瞞(ウソ)ですね。山田風太郎はいついかなる時に何を考えていようが何度でも読み返すべきです。「万太郎の耳」。耳だけなく全身のあらゆる器官が聴覚機能を有する特殊体質*8の男、万太郎。彼はそんな自分の体質にまつわるある恐ろしい告白を恋人の少女に対して行う……というミステリ短篇です。*9

小川哲「魔術師」

嘘と正典

嘘と正典

  • 作者:小川 哲
  • 発売日: 2019/09/19
  • メディア:単行本
姉は常に弟妹の先を行く(行ってしまう)存在である。そんな姉フィクションの基本的ドグマを文学の魔人である小川哲は当然のように体得していて、技巧的な短篇のエッセンスに組みこんでしまいます。「父」の人であるとよく指摘される小川哲ですが、姉の扱いひとつ見ても作法通りできてしまう*10のは、視野の広さゆえでしょうか。

遠藤徹「姉飼」

姉飼 (角川ホラー文庫)

姉飼 (角川ホラー文庫)

概念としての姉を弄ぶような人類には、いつか天罰が下ることでしょう。「姉飼」はその日のための黙示録です。「快楽の園」です。「神曲」です。たとえば巷間には「年下の姉」なる唾棄すべき空虚な言葉遊びがはびこっていますが(なぜ twitterはこのようなフェイクの跋扈を許すのでしょう?)、このフレーズがいみじくも表しているように、姉とは一通りの関係を指すものではない。実の姉もいれば義理の姉も制度としての姉もいる。「可哀相な姉」*11の姉も。では、「姉」とはどこまで「姉」なのか。その限界はどこにあるのか。「姉飼」に出てくる「姉」は目をそむけたくなるようにおぞましいなにかです。しかし、確実に「姉」でもある。なぜなのか。わたしたちは問い続けねばなりません。姉フィクションに対する我々の向き合い方を問う警世の書であります。*12

伴名練「ホーリーアイアンメイデン」

なめらかな世界と、その敵

なめらかな世界と、その敵

なぜ、「一蓮托掌」じゃないの? というご意見に関しては「『折り紙衛星の伝説』がどっかいってて現状あらためての確認がとれない」と回答しておきましょう。あと絶版だし、 kindle版がない。伴名練の書く姉妹はもちろん百合の文脈に根ざしていて、未だ勢いの衰えない百合SFのムーブメントと姉SFの結節点となっています。伴名練とはスタイルとコンセプトを自在に操る作家であり、つまりに非常に分析的な作家であり、そうした人物が「姉」を扱うときにどのような批評眼を見せるのか、今後も興味がつきません。

*1:そういえば、『シオンズ・フィクション イスラエルSF傑作選』のシモン・アダフ「立ち去らなくては」はよかったです。

*2:っていうか下記のリストもプロパーなSF短篇は少ないな

*3:ともすれば片岡義男めいた

*4:日本国民は義務として『言壺』を購入済みであるはずなので、ここでは「買って」という動詞は省きます

*5:精神に余裕がある人は尾玉なみえの「511姉ダーハイム」(『マコちゃんのリップクリーム』第六巻)を読んでください。サイコホラーギャグですが、日本で唯一、ケヴィン・ウィルソンの「今は亡き姉ハンドブック:繊細な少年のための手引き」に肉薄した短篇まんがです。

*6:他の中編作品の収録候補としては、仁木稔「「はじまりと終わりの世界樹」、 瀬名秀明「絆」、稲田一声「おねえちゃんのハンマースペース」などがあった。

*7:近年の作例だと、海野久遠「姉の弔い」https://shonenjumpplus.com/episode/13933686331711074857 ナカハラエイジ「リスおねえちゃん」http://www.moae.jp/comic/risuoneechan

*8:描写的には他人の所作や感情が音楽に聴こえるなど共感覚のすごいバージョンめいていて、実際「続発性聴覚」という架空の? 名称で共感覚の説明が挿入される。

*9:舞城王太郎の「アユの嫁」とどちらにするか迷ったけれど、SFならこっちかなと。

*10:「父」の話に姉がいっちょ噛みしてくるSF短篇で思い出されるのは円城塔の「良い夜を持っている Have a good night.」ですが、こちらはあくまでフレーバー程度に留まっています。

*11:渡辺温

*12:ちなみに姉ホラーという分野もあり、編者はSFに輪をかけてホラーに通じていないので詳しくないのですが、小川未明の「灰色の姉と桃色の妹」https://www.aozora.gr.jp/cards/001475/files/51030_51605.html)などは怪物としての姉を描いた、読まれるべき一作であるといえるでしょう。

器械『秋田モルグ・クロニクル』全レビュー

$
0
0



 少女の顔に少女以外の何かがくっつている。
 初めてそれを見た時、私がどう思ったのか、もう覚えていない。

  
    ――『Hollow Museum』   



以下は『秋田モルグ・クロニクル』収録作の全レビューである。

akitamorgue.booth.pm

『秋田モルグ・クロニクル』とはなにか。

『アキタランド・ゴシック』、『仮免サンタのサンディさん』、『スクール・アーキテクト』で知られる萌え四コマ界のケリー・リンク*1こと器械先生*2によって制作されたオリジナルまんが同人誌(05年〜15年にかけてのもの)をまとめた総集編。カトリックでは聖書の正典にも数えられる[要出典]が、プロテスタントの宗派ではこれを認めない。収録作の大半で、四肢の欠損した半人半人外(機械半分、蟲半分、義肢など)の少女が描かれる。*3

収録作紹介

FLEX』(2005年11月)

 フレックスと呼ばれる有機肢体(ざっくりいえば、アンドロイド的な半有機半機械知性体)が存在する世界。フレックスはもともと臓器のドナー用途にとある小国で開発されたもので、機械化を経て利便性の高い労働力として広範に使役されるようになった。しかし、やがてフレックスの蜜月は終焉を迎える。
 次世代フレックスの開発失敗によりフレックスたちは暴走、人類を襲いはじめ、小国を滅亡へおいやる。行き場も飼い主も失ったフレックスたちは野に放たれ、野生化する。
 フレックスの開発に従事していた研究者の娘、”お嬢様”はフレックス禍で半身不随になりながらも、理性を保ったフレックスである従者アスベスタ(ほぼ人型だが両腕が欠損していて、代わりに腰から機械のアームが生えている)の手助けによって国を脱出。父の研究成果に決着をつけるべく*4、アスベスタと足軽っぽい軽装に身を包んだ”ガイド”と共に旅に出る。
 ポストアポカリプス*5主従百合である。内容としては長編シリーズの第一話目、といった感じ。アスベスタたちの旅の日常がゆるいタッチで語られていく。ゆるい、とはいっても、アスベスタが自分の脚から削いだ肉を(もちろんよかれとおもって)”お嬢様”の食べるスープに混ぜるギャグが入るなど、どこかネジがぶっとんでいる。コミティアらしいといえばコミティアらしい。
 メイン三人のうち名前が与えられているのがフレックスのアスベスタのみで、他のふたりは”お嬢様”や”ガイド”としか呼ばれないのが印象的。名付けを避けがちというのは秋田モルグ同人誌における特徴のひとつ。

『NATIONAL MORGEAPHIC』(2006年2月)

 コピ本イラスト集。バリエーション豊かな”異形機械”少女が描かれている。あとがきによると、肋骨から上の上半身の改造が”性癖”だった作者があえて下半身中心の改造に挑戦してみた、というコンセプトらしい。この説明からもわかるとおり、一巻目ではあまり主張されていなかった「”性癖(性嗜好)”としての異形/切断/改造少女」を前面に打ち出している。といっても、一般的な意味での直接的なエロはないのでせいぜいR-15相当か。お子様でも安心してご覧いただけます。
 カニかザリガニっぽく機械化された少女(作者曰く「虫っぽくしてみました」)の説明文では「触覚のマイクはもちろん性感帯です。」と述べられていて、器械先生のツボを知るうえでヒントなる情報が散見される。
 変わったところでは「ぞんびあくま」の項では機械化のかわりに部分的に骨だけになった少女が取り上げられていて、作者の興味が機械化だけでないことがうかがえる。
 下半身を改造した場合の脚部がほぼ逆関節パーツになっているのはハオいですね。

FLEX 2』(2006年8月)

 『FELX』の続編。アスベスタ一行は資源調達のために入った廃ビルで飛行タイプの野良フレックスに襲われる。全体の半分ほどを戦闘シーンが占めるアツい構成。一方、物語面では「人類に搾取/奉仕するために生まれたフレックスの存在意義」や百合などのテーマが強調されて、作品のエモ面に奥行きを与えている。
 劇中、「他のフレックスから脊髄を奪って電力源にしている」といったセリフがあり、フレックスの具体的な設定が垣間見える。

『DAMAGING STORIES』(2007年2月)

 短いストーリーまんがが二篇収められている。タイトルはスピルバーグ制作のスーパーナチュラル・ドラマ『『世にも不思議なアメージング・ストーリー』(The Amaging Stories)が由来だろうか。センチメンタルでウィアードな雰囲気がそれっぽい。

「コーマ=コーマの密かな楽しみ」
 背中から羽根のようなもの、後頭部から角のようなものが生えたコーマ=コーマには密かな楽しみがあった。即席揚げ麺をお湯で戻さずに爪で一本ずつほぐしていくことだ。しかし、ある日、揚げ麺が改良され、へこみによってより圧縮されて爪でほぐしづらくなってしまった。
 欲求不満に陥ったコーマは心のへこみを埋めるため、メール=メールという四肢が機械でできた少女を捕らえ、大きなペンチでその関節部(ジョイント式になっている)をしめあげる。しかし、メール=メールの顔は苦痛にゆがむばかりでコーマのへこみは全然満たされず……というやたら陰鬱なあらすじだが、最終的にはハッピーな百合になるのでご安心ください。
 おとぎ話っぽい世界観で、コーマの造作は比較的人間に近いのだが、前述の通りなんか生えてたり、手が明らかに異形っぽかったりでやはり人外のようだ。孤独の解消法がわからずに、揚げ麺や野良人外? を虐待することで気を晴らそうと考えるあたりがガチでそれっぽい。
 イメージ的にはコーマ=コーマは悪魔、メール=メールは天使を模しているのではないかと推測される。

「マイ・フェイバリット・デス」
 顔の面半分だけ少女であとは全機械の死者解体器。解体器は運ばれてきた死者を解体する自動解体中心(中心はセンターと読むのだろうか)で働くうち、死者に憧れるようになり、「死」っぽいもの(タバコとか)を腹に溜め込んでいた。そんな感じ。
 秋田”モルグ”だけあってモルグ話の面目躍如。お面のような顔だけが人間っぽい、というのが不気味だが、話から察するに、これも死者からいただいたものだろうか*6
 死に取り囲まれた、死だけしかない場所なのに、機械であるがゆえに自分だけが死を知らない。人間の側から表層だけ眺めれば陰惨でビザールな短篇だが、少し視点をずらせば閉鎖的な矛盾から解放されるラストに美を見出すはずだ。

『NATIONAL MORGRAPHIC EXTRA ISSUE SPRING』(2007年5月5日)

 お菓子の〈コアラのマーチ〉にプリントされているコアラたちを下敷きに、主に両足の欠損した(ときに両手も)少女”コアラ姉さん”をバリエーション豊かに描くイラスト集。別に夢を題材にした二ページのまんがも掲載されている。
 コアラ姉さんのイラストにはそれぞれ「コアラ姉さんは○○する。」から始まるフレーヴァーテキストが付されており、その淡々とした叙述がかわいらしいコアラ姉さんとあいまって独特の感触を生んでいる。

『鋼鉄のなはと!』(2007年8月)

 少子化が深刻化した近未来――生徒不足にあえぐ学校機関では国からの給付金の少ないパイを争い、児童に対する強引な勧誘や他校への妨害工作が日常化していた。そんな中、フェニックス中学では他校の改造学生に対抗すべく、「鋼鉄の在校生」部隊を創設。
 母校と学区を守るべく多脚改造手術を受けた少女は7810型、すなわち「なはと」と呼称された。
 もともとは他の同人誌に寄せた作品に出した多脚少女を器械先生が気に入ってできた本。「なはと」の最大の特徴は四脚に変形すること(ふだんは普通の中学生の姿)。あとがきによると、これも先生の性癖らしい。終末っぽいガレキガレキした日本でメカメカしい学生が肉弾戦を繰り広げるイメージは山口貴由の『覚悟のススメ』を想起させる。
 

『Rest in Peace』(2008年2月)

 死にゆく人々を傍らで見送る「死の妖精」という妖精のイラスト+フレーヴァーテキスト。死の妖精には二種類いて、黒いタイプは号泣して死者を悼む。白いタイプは不謹慎なまでに陽気に死者を送る。バンシーのようなものだろうか。
 設定こそ人外であるものの、外見的には妖精たちは五体満足な少年少女の姿で描かれている。メカ要素や身体改造要素もなく*7、それまでの器械同人誌作品とは一線を画している。
 あとがきによれば、器械先生がモリをメメントした結果生まれたらしい。
 表紙でオマージュされているのは、アメリカの現代アーティスト、エドワード・キーンホルツ(Edward Kienholz)の The State Hospital。

『STUMBLE!』(2008年5月)

 DamasingStories Issue 2 の副題がつけられている。短篇が三つ収められている。どれも高度な趣味性を保ちつつも完成されており、ひとつの話としてまとまりがよい。ストーリーテラー器械先生の才能が花開いた一冊といえる。

「Heart Shaped Box」
 RPGダンジョンもの。そのダンジョンで死んだものはダンジョンの一部となる。そんな法則によって宝箱に閉じ込められた元冒険者の少女(みぞおちから下がごっそり欠落していて、代わりに鈎のような脚? と骨盤的ななにかにやわらかい筒状のサムシングがぶらさがっている。腕も機械っぽくて、刃物が仕込まれている)は、トラップとして宝箱をあけた冒険者たちにおそいかかるルーチンをこなしていた。
 ある日、見知った顔の男がトラップにかかる。少女が冒険者になる以前に通っていた訓練学校の同級生だった。彼女はボロボロになった同級生を介抱しながら、ふたりで昔話に花を咲かせる。
 表紙含めてわずか十ページだが、切なくも非常によくまとまっている好篇。
 意外にも(?)器械同人誌初の濡れ場がある。やはり直接的には描かれないが。
 
「ウォーレンじぃの小便話」
 ある老人が回想録を執筆しようとしていた。しかし、何を書けばいいのかわからない。そこで彼は自分の小便について詳細に振り返ろうと考えた。もっとも爺の小便事情など誰にも興味を持ってもらえないだろう。彼はさらに考えた。ならば、自分の姿をしなびら老人ではなく可愛らしい少女の姿で描写したらどうだろう……。
 二ページで語られるしょうもない馬鹿話。
 なのだが、「かわいい少女を使ってかけば、皆に読んでもらえる」という老人の発想は、もしかすると器械先生なりの物語論なのかもしれない。

「キメラアセンブル
 研究者の男(なんの研究者かは不明)が助手の少女ふたりに二股をかけていたことがバレてしまった。悋気の強い少女たちの恋の鞘当てはたちまち刃がむき出しの殺し合いに発展。みかねた研究者は「男として責任を取る」と言って、二人を縦に半分ずつし、その半分同士を縫い合わせて合体させるという強行(というか狂行)手段に出る。
 注がれる愛を一人分の身体でわかちあえるようになってハッピーエンド……かとおもいきや?
 これまたウィットの効いたコメディ短篇。ラストのツイストがガッチリはまっている。プロットだけなら道満晴明っぽい。斯界でも評価が高いらしくコミティア三十周年記念本『コミティア 30th クロニクル』にも採録されている。

『器行類』(2008年8月)

 ある地域が謎の機械生物によって制圧され、そこの住民たちは頭部以外の身体を機械化され思考も奪われ〈器行類〉と呼ばれる兵器に仕立てられてしまう。主人公の少女も改造被害に遭ったものの(みぞおちから下と腕部の肘から先が骨だけになったような姿。手には振り子ギロチンめいた形状の刃物が仕込まれている)、かろうじて理性は保っていた。
 〈器行類〉鎮圧にやってきた人間側の軍隊に保護された彼女は、とある自分の特性に気づき、〈器行類〉と戦うことに。
 ミリタリテイストがやや強く、人間兵器として悲壮な決意を背負った主人公は『最終兵器彼女』を彷彿とさせる。作中では「人間でなくなった自分、兵器になってしまった自分」について少女が今後揺れ動いていくことが示唆されており、そういう点でもセカイ系っぽい。自分の意志ではなく兵器として改造されてしまう悲劇という面からいえば、「Heart Shaped Box」からモチーフを受け継いでいるともいえる。
 アクションも以前より格段に洗練されている。アフタヌーンぽくなった。対峙する相手となるメガネ少女ロボ? のゴツい造形もいい。
 タイトルはハラルト・シュテュンプケ鼻行類』のもじりだろうか。

『FRACTURE!』(2009年2月)

 Damasing Stories Issue 3 。三篇が収められた短編集。

「オーダーメード」
 金持ちのお坊ちゃんが自らの屋敷をメイドロボ理想郷にするという野望を果たすために、四体のメイドロボをゲットした。それぞれに、ロボ的無感情、ツンデレ、どじっこ、ヤンデレ妹というコンセプチュアルな性格が設定されたメイドロボたちだったが、ご主人さまの寵愛を争ううちにどんどん歯止めが効かなくなり……というドタバタコメディ。
 メイドロボの性格付けはそのまま器械先生の好みなのだろうか。それはともかく、四人で殴り合ううちどんどんガワが剥げていって機械としての中身があらわになっていくプロセスが丁寧に描かれている。

「無題」(?)
 アパートで一人暮らししているロボットフェチの男が念願のロボット(人型ではあるものの人間としてのガワが一切ない、マジで完全にロボ)を手に入れ、ものすごい勢いでテンションが上がっていくだけの話。この造形に興奮をおぼえるかどうかがひとつロボ人外好きに試金石というか、分水嶺だとおもう。なんの? 人としての。

「Meat Market」
 あらゆる肉が揃うミート・マーケットにおつかいにきた少女。ひょんなことから裏路地に足を踏み入れてしまい、迷子になってしまう。そこにある男が来て、彼女に声をかけるが……というウィアード・ストーリー。
 アイデアはシンプルだが、屠殺される豚、各種肉屋の看板(トンカツ屋に豚の絵が描いてある系のアレ)、ラストのツイストといった要素やモチーフが巧みに織り込まれていて、読み応えがある。サイレントのように始まる序盤もおつかいにきた少女の不安とリンクしていて見事。収録作中の白眉。

『The Night At The Morgue』(2009年5月)

 ロボ&欠損少女イラスト集。短篇まんがも収録されている。
「今回は、そろそろか、そろそろかと自分でも思っていたのでメカっこや欠損を強めに出した本を打ち出す決定をしました。」今までの本はメカっこや欠損が弱かったのだろうか? それはともかくイントロ*8では、ドイツの産業用ロボットメーカーKUKA*9に影響を受けたと表明されている。
 いつになくコメンタリーで器械先生が饒舌に語っていて、器械先生の嗜好やデザイン思想などを汲み取れる。多脚はDOOMだっただね、とか。文中には「正面から見てベルト状になっているのが秋田県政的に理想のローレグ」「県民行事とさせて頂きたい」「秋田県政的にはそのように推奨いたします!」といったユニークな語彙が散見され、器械先生が秋田県と自分を同一視していることもわかる。
 まんが作品「夜は夜に」を挟んで後半部からは「Limbさんはボタンをかけれないので、ブラウスもシャツみたいに着るんですね。」と題されたテーマイラストが展開される。Limb(四肢)と名づけられたダルマ*10少女との日常を切り取っていく(ダルマだけに)。大部分を占めるのは、Limbさんに床ずれ防止用のクリームを塗っていくプロセス。ソフトエロ。

「夜は夜に」
 家庭教師(?)のT先生は授業終わりに毎回生徒の少女Nに睡眠薬入りのお茶を飲ませ、意識を奪ったのち、裸に剥いてその身体に臓物をぶちまけて写真を撮影していた。しかし、Nはそのことに勘づいており(そりゃそうだろう)、T先生の奇行の奥底にある更に後ろ暗い欲望も見抜いていた……。
 乱歩っぽい雰囲気すら漂う、アンニュイなエログロ短篇。表現とはある種の逃避の一種であることを思わずにはいられない。
 ちなみにこの短編を本書では「まんがポエム」と紹介している。この「まんがポエム」という表現は器械先生が自分の同人誌の短篇まんが作品を指してよく使うワードで、先生にとってまんがとは詩であるのだろうと察される。

 総じて器械先生のヤバ……個性がもっともよく溢れており、器械先生研究において最重要の文献の一つであることは間違いない。

『DAMAGING STORIES 4: 晩秋』(2009年11月?)

 短編集。三篇ともコメディ色とエロが強め。

「Limbs on Spheres
 青年サカキに恋する少女がサカキのためにお弁当を作って届ける。しかし、サカキは飼っているロボットのマールにベタベタで……というラブコメ
 マールの造形は『FRACTURE!』の「無題」のようにのっぺらぼうの顔で、身体部分は、劇中でハンス・ベルメールが引用されているように、球体関節人形が意識されている。ちなみに変形すると人型から四足歩行になり、頭部だった部分が股間に、股関部分だったところが頭部になる。食事もできる。

Light My Fire
 クラブで働く*11アンティークライトを擬人化したような少女(上半身はほぼ普通の人間と変わりなく、スカートがライトの傘の役目を果たしていて、そこから光が漏れている。脚部も装飾的。)が”電球”の交換を同僚の青年に頼む。一発ネタのエロコメディ。
 器物であるライトをそのまま人間的なシルエットに馴染ませた造形はすばらしいの一言。また器物の役割を人間に負わせる趣向はパオロ・バチガルピの「フルーテッド・ガールズ」を想起させる。数ページのコメディで使い果たすのがもったいない魅力的な世界観。

「SCULPTER」
 生命力を有した土を魔力で捏ねることで新たな生命を創造する”スカルプター”の少女。助手の青年トラヴィスは彼女の命令で新作の材料を調達しにでかけるが、モンスターに襲われ左足を奪われる。負い目を感じた少女は自らの再生技術を用い、彼の足を修復しようと試みる。
 微エロあり。男が欠損するのは器械先生作品としては珍しい。
 話としては「普通の枠からはみ出した才能の持ち主が”普通”にも役立てるように技術を修正(矯正)していく」というもので、ここだけ取り出すと『アナと雪の女王』である。
 異形が普通の人間の世界に組み入れられるという点では雰囲気こそかなり異なるものの『器行類』にもテーマ的に近い。
 

『秋田詩片』(2010年2月)

 タイトルのついてない短篇が二篇おさめられている。引き続き、コメディ色が強い。

「無題(丸ノコ少女とハサミ少年)」
両手が電動ノコギリ(丸ノコ)になっている少女と、手がハサミになっている少年のガール・ミーツ・ボーイ。伸びっぱなしの髪が作業中に電動ノコギリにひっかかるせいで常に痛い+見た目もボサボサな少女だったが、その様子を見かねたハサミ少年が髪を切って整えてやる。電ノコ少女は代わりに伸びている少年のうしろ髪を切ってあげようとするが……といったお話。
 男女が互いの足りない部分を補おうとすることで家族が生まれる、イザナギイザナミの国生み神話のような大枠を少しだけ外していて、ウィットが効いている。

「無題(ミステリーサークル)」
 ジョーンジーとローティーというふたりの女性が営む農場にミステリーサークルが発生。ふたりは下半身が円盤型で浮遊している女を捕らえ、容疑者としてしばきあげようとするのだが……といった短篇。
 しかけがあるお話なのであまり内容には触れられない。ちなみにローティーは上半身は人間で下半身がヘリというデザイン。先生曰く「ヘリ娘好き」。

『Under Within』(2010年8月)

 R-15表記。伝奇バトルもの。
 少女が校門前で男たちに突如拉致され、胸に謎の魔法陣のような紋章を刻まれたのちにまた校門前に解放される。すると、その胸の陣から異形の怪物が出現し、少女を襲い出す。そこに筋骨隆々の青年が駆けつけ、やはり胸の紋章から”エイリ”という全身紋章だらけの少女を召喚。”エイリ”は紋章からさまざまな武器を呼び出して異形たちに対抗する……。
 召喚のギミックこそはいかにも器械先生だが、大筋は青年マンガ誌に載ってそうな正統派伝奇バトル。商業デビューを控えた器械先生の”巧さ”で観せてくれる。

『秋又秋』(2010年11月)

 冒頭の1ページマンガ*12以外はイラスト集。
前半は(ゲームの)ハードモード×触手というコンセプトで、さまざまな触手が陳列される。植物成分も強め。
 後半では器械先生が Steam で積んでいるゲームを題材にしたイラストが展開される。モデルにしたゲーム名は「都市で幼女といちゃつくゲーム」*13「ロシアの地下道を行ったり来たりする内容のFPS*14などとなぜかぼかされている。
 2010年時点でゲームを積むほど買っていた*15器械先生は相当なゲーマーであることが伺える。

 本同人誌ではモデルチェンジが意識されていたらしく、文字は全編フォントではなく手書きに徹していて、全体のスタイルも「『絶対少女』*16から強く影響を受けました」とあとがきで掲げられており、献辞も「絶対少女」に捧げられている。*17得意のメカ娘も終盤で一ページちょろっと出るだけ。コメントも「思い出したようにメカっ子……。もっと描いた方が皆幸せになれるかな?」と弱気。
 秋田モルグの思春期ともいえる一冊。以降、商業デビュー*18に伴い秋田モルグの刊行ペースは開いていき、冊子からエッセイめいたコメンタリーやあとがきが後退していく。

『またあした』(2011年2月)

 多脚女子と二本足男子との甘酸っぱい会話劇コメディ。
 少年が自分の足につまづいて怪我をした少女のお見舞いにやってくる。怪我自体は大したことなかったのだが、病院の検査で少女の足が生物的には手だったことが判明し……という内容。
 足ごとに違う靴下を履かせたり、足を手と握らせてみたりと器械先生らしい多脚に対するフェティシズムがいかんなく注ぎ込まれた作品。
 これまでに比べて画のタッチがやわらかく、ほのぼのとした印象を与えている。
 タイトルは漢字になおすと「股・脚・多」。うまい。

 “old school swim wear arranging magazine”というサブタイトルが語る通り、スクール水着にインスパイアされた世界観で展開される設定資料集的イラスト集。
「すべてのスクール水着が幸せに暮らせる事が約束された地」、ウォーターフロント。多数派である「旧スクール水着」派の支配のもとでそれなりの秩序を保っていた国民たちだったが、「水着を自由に」のスローガンのもと水着デザインの改革を訴える水輝代表に率いられた革新派の登場により、守旧派と改革派のあいだで激しい闘争が勃発することとなる。
 お題目通り、スクール水着に対する細やかなフェティシズムに費やされている。映画の『ウォーターワールド』(海版マッド・マックス)みたいな話だろうか。

『ELF』(2013年5月)

 2年ぶり(コミティア換算では7回ぶり)の新作。
 甲殻類めいた異形の多脚を持つ怪物(腰から上は人型。腕は鋭い鉤状になっている)を狩る兄妹のお話。少年のモノローグとともカットインされる「ありえたかもしれない幸福な世界」*19のイメージが物悲しさを誘う。生まれついてしまった者同士の悲劇とでもいおうか。
 内省的でペシミスティックかつ詩的ありながらも短篇としての強度や風格もしっかりふせもつ。
 ときおりエフェクトや演出が平野耕太っぽくなる。

『Z-BOOK』(2014年11月)

 器械先生がコミティアで購入した縦長サイズのメモ帳に書き溜めたらくがきを収録した本。これまでのようにテーマが設定されてないので雑多な感じ。
 意外にも欠損やロボ娘は描かれておらず、普通の少女の絵や版権キャラが多い。特に『NEW GAME!』の涼風青葉がお気に入りで、二回もぞいぞい言わせている。もっとも器械先生は知人の描いている絵をみて好きになったそうで、「元ネタがあると知ったのは、このメモ帳が埋まる頃でした」。*20
 最後にはファンサービスの一環か、『アキタランド・ゴシック』のキャラが描かれている。

『モルブック』(2015年11月)

 『スクール・アーキテクト』終了直後くらいのタイミングで出された自称「らくがき本」。
 スク水ロボ娘、異形娘、兵器娘、欠損、多脚、と器械先生の興味がまんべんなく配置されている。『FLEX』のアスベスタもひさしぶりに再登場。魚の骨と甲殻類を合体させたような異形娘が特に印象的。

『あとがき』

 『クロニクル』のあとがきと共にペーパーやサークルカットを再録したもの。次回作の構想がちょろっと書かれている(商業で通るのか?)

おまけその1。『Hollow Museum』(2018年11月)

booth.pm

『クロニクル』には収録されなかった最近の作。
 ある女が晩秋になると、回想するように同じ夢を視る。子どものころのおぼろげな記憶。幼い彼女がふと立ち寄った美術館では頭部だけ少女で身体が昆虫や甲殻類や機械や骨格につながった人形が展示されていた。彼女は吸いこまれるように一際巨大な作品に魅入られる。そして――。
 という感じの幻想譚。主人公がそのまま器械先生に対応しているかは不明だが、私小説的な色合いがかなり濃いように思われる。劇中には『器行類』の文字や、ハンス・ベルメールめいた人形もあって、展示自体が「秋田モルグ」のイラスト集と映し鏡のようだ。
「向こう側」と「こちら側」があり、自分は本当は「向こう側」にいるべき人間ではないかと違和感を抱えながら、諦めたように「こちら側」で生きている。知らないままでいられたら幸せかもしれないが、見て、傷を負ってしまったら、それが「わるい」ものだとしても、もう知らなかったころには戻れない。異形への憧れが極めて鋭利に表現として昇華された一作。器械先生なりの異形論・芸術論でもあるのかもしれない。

総評というか所感

・神話の身体感覚は正しい。わたしたちは常にどこかが過剰であり、どこかが欠落している。器械作品のストーリーテリングに表れやすいのは後者だ。あらかじめ欠けてしまっているものを埋めようとする話。その欠落は欠損した肉体とそれを補完する機械という形で出たりもする。だが、身体の機能的過剰さが欠けた心を埋めることはない。
・『クロニクル』中の短篇ベスト3は「Meat Market」「Heart Shaped Box」「コーマ=コーマの密かな楽しみ」あたりでしょうか。ギャグものもきらいではないですが、つい切ないほうに惹かれてしまう。
・イラスト集では『NATIONAL MORGRAPHIC EXTRA ISSUE SPRING』のコアラ姉さん。


おまけその2。器械先生商業作品全(簡易)紹介

『アキタランド・ゴシック』(全二巻、『まんがタイムきららMAX』』連載、2011年〜2013年)

・角の生えた少女アキタ、アサヒ、コマチ、そしてアキタの姉の仲良し四人が不思議の県アキタランドで織りなす奇想日常コメディ。
・同人誌に比べてもちろん器械先生のあくの強さがマイルドにチューンナップされてはいるものの、唐突に身体がロボットっぽくなったり、(きぐるみとはいえ)アキタが身体が異形っぽくなったりとところどころで趣味性が発揮されている。
・趣味といえばゲームや映画の話が多い。
・同人誌とのからみでいえば「Meat Market」の「肉屋の看板に使われる動物」ネタがリサイクルされている。もちろん、人肉はありませんが。
・一話ワンシチュエーションの奇想がセッティングされ、アイデアがかなり濃い。
・なぜ二巻で終わったのかは永遠の謎とされている。未だに熱狂的なファン多数。

『スクール・アーキテクト』(全二巻、『まんがタイムきららMAX』連載、2013年〜16年*21

・地下が謎空間につながっている学校で、ちょっと個性的な仲間たちが織りなす学園群像四コマ。一巻と二巻でそれぞれ異なるメインストーリーめいた大枠があり、最初は日常系のように始まってだんだん大きな流れへとシフトしていく構成。
・一巻では姉妹の、二巻も姉弟の”願い”の物語が大きなウェイトを占める。
・一巻では特に百合の成分が濃い。
・基本的にはご家庭でも安心して読めるが、まれに半分強化外骨格めいた竹馬を校内で乗りまわす大道芸部女子や骨(骨格)にすさまじい執念を示す女子などが出てくる。
・特に竹馬女の話は器械思想のエッセンスが凝縮されている。必読。

『仮免サンタのサンディさん』(全二巻、『まんがライフオリジナル』連載、2017年〜2020年)

・ノリのかるいサンタ見習いのサンディさんが経験を積むためにしのぶという女の家に押しかけるドタバタコメディ。仮免サンタとなるサンディだが実は……というツイストも。
・前作に比べても割合カラッとした作品に仕上がっている。
・商業では初めての非四コマ。
・やっぱり角は生やす。
・あちらがわ(異界)とこちらがわの混ざり合う生活は商業三作では一貫したモチーフな気がする。

仮免サンタのサンディさん 1 (バンブー・コミックス)

仮免サンタのサンディさん 1 (バンブー・コミックス)

  • 作者:器械
  • 発売日: 2019/08/27
  • メディア:コミック

*1:『稀刊 奇想マガジン』準備号(鴨川書房)より

*2:こういうところでは敬称をつけない主義なのだが、あまりに普通名詞すぎるので便宜上器械先生と呼ぶ。

*3:初期は「異形機械化」「女子改造」などと器械先生は呼んでいた。

*4:研究成果に決着をつける、とは本編の解説の表現ママなのだが、具体的にどういう行為を指すのかよくわからない

*5:滅んだのは一国だけっぽいが

*6:人間の作業員が解体器を見て人間と勘違いするシーンが出てくる。つまり、解体器は”人間”っぽくないのが普通であるということ。

*7:かろうじてそれらしいと言えるのは黒い妖精たちが死体を弄んで損壊してしまうところくらいだおるか

*8:ダ・ヴィンチの人体スケッチのような絵が付されている

*9:現在は中国の美的集団の子会社

*10:四肢が欠損している状態を指す。Limbさんの場合は両腕が肘より少し下から、両足は股あたりからなくなっている。

*11:コンパニオンのような存在だろうか

*12:異世界に通じる本のいくつかのうちハードモードの書を選んでしまいひどい目に合う少女の話

*13:Bioshock

*14:Metro 2033

*15:当時 steam でダウンロードできるタイトルは1000ほどしかなかったはず

*16:FGOなどで有名なイラストレータRAITAの同人サークル

*17:『クロニクル』のあとがきでもSPECIAL THANKS がRAITAの名前がある。よほど思い入れが強いのだろう。会ったことはないとか。

*18:2011年1月発売の『まんがタイムきららMAX』3月号に『アキタランド・ゴシック』のパイロット版が掲載され、後に正式連載化されデビュー

*19:想像のなかで怪物は、ケンタウロスめいた下半身とヒツジっぽい渦巻状の角の生えた穏やかそうな生物として登場する。

*20:NEW GAME!』は『アキタランド・ゴシック』と同じくきらら系列ではあるのだが、前者は『まんがタイムきららキャラット』、後者は『まんがタイムきららMAX』。雑誌が違えば存在も知らないということは普通にあるだろう

*21:雑誌掲載から最終巻描き下ろしまでをカウントした場合

本物のサイバーパンク体験はPS4の壊れたナイトシティにしか存在しない――『サイバーパンク2077』

$
0
0



 過去を忘れることはできず、現在を思い出すことはできない。――マーク・フィッシャー



f:id:Monomane:20201222195903j:plain


 PC、PS5、Xbox series X。
 完成された棺桶(コフィン)で『サイバーパンク2077』を遊んでいる人間は不幸だ。
 なぜならきらびやかな高解像(ハイ・レズ)だとしてもそれは紛い物の夢に過ぎない。本物の端末機(ピーエスフォー)で〝夜の街(ナイト・シティ)〟に没入(ジャックイン)する400万人、そう、我々こそ、真のネットランナーであり、サイバーパンクだ。


 十二月。三度目か四度目の発売延期を経て、汎病禍(パンデミック)にあえぐ我々に福音が届く。『サイバーパンク2077』。ビタミンDの足りない憂鬱な我々にとって最高の妙薬だった。
 キャラメイク、チュートリアル、そして最初のクエストを手際よく終え、高鳴る鼓動をなだめつつ本編に突入する。グッドモーニング、ナイト・シティ。
 塒にしている高層環境建築(アーコロジー)から出る(暴走(クラッシュ)せず無事に出られたとして)と、屋台の立ち並ぶ広場がある。そこは行き交う人々で混雑しているはずだが、我々の眼には(ゼン)寺のように静謐で閑散とした空間のように映る。
 まずそこで不安に襲われる。
 悪徳都市(バビロン)に見合うだけの人間を計算できていない。
 だが、それは致命傷ではない。そうだろう、ブロダー? 人口密度の低い街、結構ではないか。他人にぶつかったりひっかかったりしていらだつこともないし、車を走らせているときに事故にあう危険も少なくなる。
 クエストをこなしに指定された目的地へと向かう。建物のドアの前にキャンディ菓子の包装めいた何かが立っている。”何”だ?


www.youtube.com


 なめらかに切削されていく女の身体を眺めながら、我々はニューロマンサー(マントラ)の一節を暗誦する。



顔が絶え間ないレーザ光に洗われて、眼鼻立ちが記号にまで還元されていた。魔術師の城が炎上すれば頬骨は深紅に輝き、ミュンヘンが戦車戦に陥落するとき、額は紺碧に濡れ、滑るように動く指標点が摩天楼の谷の壁面から火花を散らすと、唇が熱い金色に染まった。


  
夜の街(ナイト・シティ)〟ではアセットにおけるグラフィック表示遅延を通し、ゲームの歴史を追体験できる。たとえば、ここにあるドアはPS1からPS2PS3、そしてPS4と段階的にグラフィックを発展させていくことで、PS5クラスの微細処置装置(マイクロ・プロセッサ)は一朝一夕には手に入らないのであり、我々がPS5に乗換(フリップ)することもまた今日明日ではありえないと教えてくれる。


www.youtube.com


 良質な印度華麗(ガンジャ)には常に教えが含まれる。ジョン・レノンも知っている真理だ。


 だが、不具合はこれだけではない。
 2020年12月の〝夜の街(ナイト・シティ)〟は社会ダーウィン説の狂った実験に似ている。退屈しきった研究者が計画し、片手の親指で早送りボタンを押しっぱなしにしているようなものだ。ジャッキーが死にかければ、拳銃(オートマティック)は彼の頭に沈むし、ミッションの最中にちょっと早く動きすぎれば、逆さになったデラマンの危ういアクロバットに潰されてしまう。記憶(バンク)PS2メモリーカード並にしかもたず、それ以上(オーヴァドース)すると破裂(ハイ)になって記録喪失(ブラックアウト)。アイテムが無際限に増える。規制のおかげで性器(PKのD)が勝手にまろびでることはないが、コーヒーのカップが浮く、車が浮く、人が浮く、当然ジャッキーも浮く。HUD上のアイテム表示(リードアウト)や照準が勝手に出現しては画面上に居残り続ける。最終クエストを目前にしてVがどんな装備をつけても素っ裸になり、しょうがないからそれでラスボスに突っ込む。会話の途中で突然黙り込む人々。鳴り止まないホロ電話。致命的な進行不能バグ。致命的な進行不能バグ。致命的な進行不能バグ!!!!!!!! どう転んでもバグるしかない。パッチといっても、せいぜいネズミの一生のようなプレイ時間に、ぼんやりした延長が課されるだけだろう。*1
 叶和圓(イエへユアン)を吸う暇もない。

f:id:Monomane:20201222200344j:plain
これはゲームとはまったく関係ないアライグマ


 そして、システム暴走(クラッシュ)
 寿司(スシ)屋台で焼鳥(ヤキトリ)をつまもうとした瞬間、アフターライフに入ろうとした瞬間、ちょっと人の多いところに出ようとした瞬間、クエストとクエストのはざまの瞬間、特になんでもないような瞬間、壁伝いに進め。彎曲したコンクリートだ。両手は控制器(コンジーチー)に。歩きつづけろ。何も眼にはいらない顔、顔。どの眼もどこでもない一点を仰ぎ見ている。*2ラグ、停止した静寂、暴走(クラッシュ)の匂い。
 眼前の夢が燃え盲い、落ちる。
 無。
 水色の虚空。
 グラフィックなし、感覚幻想なし。電脳空間(ナイト・シティ)なし。*3
 その沈黙は何度も延期を重ねて冬にやってきた。だから我々はシステム暴走(クラッシュ)寂しさ(ミュート)冬寂(ウィンターミュート)と呼ぶ。
 暴走(クラッシュ)ログは何処へとも報告される。エラー識別子(コード)〈CE-34878-0〉。ありがたくも財閥(ソニー)サマから対処法を提案される。

 曰く、操作卓(コンソール)を再起動しろ。
 ――何度もやった。

 曰く、PS4のシステムソフト及びゲームを最新バージョンにアップデートしろ。
 ――とっくに最新だ。

 返金を行いたい方は個別にメールでご連絡ください。一秒でもプレイしていたら返金は受け付けません。返金申込みの締切は明後日までです。


 企業体に支配されたゲームのなかのディストピアから離脱(ジャックアウト)したと思ったら別の企業ディストピアに絡め取られている。三時間ごとに中断される夢。これがサイバーパンクでなくて、なんだろう?
 幸いというべきか、逐次的(シークエンシャル)実時間記録(オートセーブ)によって我々の記憶(バンク)はかろうじて保たれる。
 あとはお定まり──再起動(リスタート)呼出(ロード)、そして没入(ジャックイン)*4



f:id:Monomane:20201222200047p:plain


 
 二十世紀(ヴァンチエーム・シエクル)の日本人が知りえた以上のトレイラー詐欺を、ポーランド人はとっくに過去のものにしている。*5
 WIRED は、 CD PROJEKT RED が約束を破ったと糾弾した。
 違う。
 約束を守らなかったのは我々の方だ。1980年代の延長線上にあったはずの未来を裏切ったのは我々だ。アメリカ合衆国の破滅や核爆発、インプラントや企業国家という素敵な新世界ではなく、「いまどうしてる?」という一方的な問いかけに対し、考えていないことややっていないことを140文字以内で答える二十一世紀にしたのは我々だ。*6今まさにサイバーパンクであることによって、我々はかつて夢見られていたサイバーパンクを破産に追いやった。CDPRは不実な我々の代わりに約束(ビズ)を果たしたに過ぎない。そうだろ、ブロダー?*7

 まあ、しょうがないのかもしれない。

 我々の世代(ジェネレーション)は黒い雨の降りしきる路地裏で鬼滅のブレードランナーが怪しい合成ナンチャラのうどんをすするような未来を振り返って、特に羨ましいとも思わなかった。古びた希望は90年代の世紀末のハッピーな憂鬱に呑まれ、2000年代のユーフォリックな頽廃に溶かされた。再演されるものの多くがそうであるように、何度も蘇生(リヴァイバル)されるうちに形骸化し、摩滅し、疲労していった。
 すり減ったレコードのように、ヴィデオテープのように、なんとか今再生しようとしてもそれらはもう不吉な音飛びとグリッチにまみれている。 二十一世紀のテレビの空きチャンネルはもう砂嵐を映さない。(ウェブ)はもつれ、電脳空間(サイバースペース)は長らく過密状態にある。
 PS4版だけが正解なのだ。『サイバーパンク2077』とは、失われたもうひとつの未来および現在を語る試みだった。
 バグのない〝夜の街(ナイト・シティ)〟など〝夜の街(ナイト・シティ)〟ではない。150分以上継続する夢など夢ではない。空はいつでも最高密度の(エラー)色だ。そういう超現実的暴力(ラクティカル・ジョーク)。PS5以降の空は別の銀色だ。


 我々は CD PROJEKT RED のマーケ部に感謝しよう。
 事前の宣伝においてここまでコンソール版の完成度を隠し通してくれたことに。
 情報伝達(ゴートゥトラベル)の不足による未知の体験で、我々の驚愕を引き出してくれたことに。
 壊れた未来を現前させてくれたことに。

f:id:Monomane:20201222203638p:plain
夢の跡地

*1: No.132、以下特に注記のないかぎり番号は kindle版『ニューロマンサー』(ハヤカワSF文庫)における位置ナンバー

*2:No.855

*3:No.4852

*4:No.1381

*5:位置No.56

*6:サイバーパンク2077世界のインターネットに対する態度はその点正しかった――彼らは一度インターネットを滅ぼし、パンチカードの時代まで逆戻りさせてからやりなおしたのだ。

*7:ネタバレゆえ詳細は省くが、最終的にジャッキーはバイクになるので実質ウテナといえる。


この犬を撫でられるゲームオブジイヤーがすごい大賞アワード2020

$
0
0



 イヌを愛する者には誰でも大きな力を授けられるというのは本当だ。



           ――イロコイ族の言い伝え*1

 ンフ〜ン〜〜〜♪ メディックァ〜♪ ンフ〜(『ANUBIS: Zone of the Enders』のOPで流れる例の曲)*2


 ヴィデオゲームにおける傑作の条件とは……なにか?
 感動的なストーリー? 魅力的なキャラクター? 壮大な世界観? 深く没入させるナラティブ? ユニークで革新的なゲームメカニクス? 無限に遊べるリプレイ性? MODの受け入れによる自由な拡張可能性? metacritic の点数? 息を呑むようなリアリティ? 現実よりも美麗なグラフィック? 快楽? クリックにより、あるいは課金によって得られる絶大な快楽? 


 いいえ、これらはどれも私たちをゲームにのめりこませてくれはするものの、”傑作”を”傑作”にはしません。
 傑作ゲームに必要な美はただひとつ。


 犬を撫でられること。


 では、参りましょう。
 2020年の YCPTDGOTY("You Can Pet the Dog” Game of The Year=年間犬撫でゲーム大賞)のノミネート作の発表です。
 ちなみにこの場合の「犬」はネコや人食い大鷲などのあらゆる動物を含みます。なぜ含むかの理解については高度で複雑な専門知識を要するので、あなたがたは含むものとしてだけ了解してください。よろしいか?

Life is Strange 2(イヌ)

www.youtube.com

まず2020年の上半期でイヌパクト*3を残したのが、今やADVの大メジャーブランドとして君臨する『Life is Strange 2』です。
ある不幸な出来事から生まれ育ったシアトルを離れ、警察に追われながらも父親の故郷であるメキシコを目指すことになった年若の兄弟。そのふたりに守護天使のようについてくるのが元捨て犬の忠犬マッシュルーム*4です。
つぎつぎと困難と悪意に見舞われ、精神をすり減らしていく兄弟やプレイヤーにとり、純真なマッシュルームは心のオアシスとなっていきます。
当該の犬撫でシーンは山奥の廃屋に住み着くくだりで、それまで撫でさせてくれなかったマッシュルームを撫でられる感動的な場面です。
ちなみに、このゲームのテーマのひとつに「イノセンスの喪失」がありまして……あとはわかりますね。多くは語るまい。
捨て犬(ストレイドッグ)に放浪する家なき子のイメージを重ねる、古典的ながらも確実にプレイヤーのハートを掴む犬ストーリーテリングですね。トクトク情報としては、ゲーム終盤でもう一箇所犬撫でできるポイントがあります。


Final Fantasy VII REMAKE(イヌ)

f:id:Monomane:20210102191445j:plainf:id:Monomane:20210102191457j:plain

バナナのナナキはバナナナキ。バナナのナナキはまたのナをナナキ。
たぶん、REMAKEオリジナルかな? 宝条の研究施設から解き放たれた謎の犬(いったいナナ何なんだ……?)が暴走してクラウド一行に襲いかかる!!!! とおもいきや、エアリスが「こわくない、こわくない」とナウシカ力、もとい古代種パワーを発揮してやんちゃドッグを鎮めます。
この際の完全に""""""""堕ちた"""""""ワンちゃんの表情は必見。是非ムーヴィーでご覧になってください。声がミュウツー市村正親)です。
Part 2 ではコスモキャニオンまで行くのかな? 今後の活躍にも期待したい。



ちなみにFF7Rではネコを撫でることも……?

www.youtube.com


Ghost of Tsushima(キツネ)

www.youtube.com

『ゴースト・オブ・ツシマ』では「稲荷の祠」という隠しプレイスにお参りするとイイコトがありまして、その祠に案内してくれるのがこのおキツネさま。もっとも、参拝によるゲーム上のメリットなど我々誇りある真の侍には微々たるもの。もっとも大事な誉とは、参拝ごとに案内してくれたキツネを撫でられるようになること、これに尽きもうす。
本作を制作したのは海外のディベロッパーですが、ゲイシャスキヤキニンジャな日本描写と一線を画した日本の文化や風物に対するリスペクトはただごとではありませんで、もちろん2000年の伝統を持つジャパニーズ・イヌナデ・カルチャーもきちっと抑えております。
稲荷のキツネは神の遣いなので、エキノコックスの心配もいりません。私たちのデジタルディスタンスはかぎりなくゼロに近い。キューンと鳴いてかわいいね。撫でたあとにどこぞへと立ち去るモーションも最高です。浜で死んだ誉もこれで全快でござる。ござる、って誰もいうてへん。おまえの仁とやらは誉ではなく、キツネをおいかけておるぞ。しょうがないよね、志村殿。


Hades(イヌ)

f:id:Monomane:20210102194049j:plain
f:id:Monomane:20210102194103j:plain

犬撫で数千年の歴史といえばギリシャ神話も忘れてはいけません。
Hades では奈落の王子に身をやつし、地獄の定番犬*5ケロちゃんことケルベロスを撫でまくれます。good boy です。
Hades はいわゆるローグライトなアクションゲームで、死ぬごとに奈落の我が家にリスポンし、そのたびにケロちゃんが出迎えてくれます。いいこですね。このこに会えると思えば、死ぬのも辛くなくなる。『キングダム・ハーツ』も見習え。
デカい、赤い、頭が三つ、と三拍子揃った最強の撫でられ犬です。え? 違います。Helltaker ではありません。


天穂のサクナヒメ(イヌ・ネコ)

www.youtube.com

ギリシャ神話? いやいや、神✕犬といえば2020年はやはり『天穂のサクナヒメ』でしょう!
犬撫で要素ブームはいいにしても、一方で「撫でれればいいんだろ?」と申し訳程度に犬撫で要素を付加した雑なゲームも多く生まれているのはかなしいことです。
そんな風潮のなかでガチで犬を愛し、犬撫でを作り込んだ犬撫でシミュレーターこそが『サクナヒメ』なのです。
このふわふわ感、モーションのバリエーション、犬の表情、だっこ……そして、我々犬撫でラーは日頃見落としがちですが、”犬を撫でる側”であるサクナのリアクションにもきちんと注意が払われており、犬撫でとは犬とヒト(サクナは神ですが)とのコミュニケーションである、という基本中の基本がクリアに示されていて、目から籾殻が溢れ出すおもいです。やはり神話に学ぶべきことは多い……。
ちなみに犬は増やすことができて、増えるとゲーム上でちょっとしたメリットが得られます。
いい犬撫でゲームの犬は撫でられて、作り込まれてはいるものの主張しすぎず、かつちょっとオトク……まさにトライフォースの栄養素を備えた堆肥のようなものです。あれ? トライフォース農法ってやっちゃダメなんだっけ?


www.youtube.com
ザ・趣。


あと、サクナヒメではネコも抱っこできますが、私のセーブデータはそこにたどり着く前にぶっ壊れて消えました。


Evan's Remains(イヌ)

f:id:Monomane:20210102195918j:plain

ストーリードリヴンのアクションパズルゲーム。犬撫では申し訳程度ですが、この舌出したバカ犬ヅラが好(ハオ)い。


アンリアルライフ(イヌ)

『アンリアルライフ』では犬をなでることが……?

f:id:Monomane:20210102200242j:plain


できない……?

f:id:Monomane:20210102200058j:plain
f:id:Monomane:20210102200111j:plain


やっぱりできました〜〜〜!!!!!!ハイ、勝ち〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!


いったん拒んでおいてやっぱり撫でさせてくれる、というプロセスは最近の犬撫でゲームのトレンドなのでしょうか。
ところで『アンリアルライフ』で注目すべきは、犬が喋るところ。
喋る犬を撫でられるゲームは希少です。喋る犬は一般にプライドが高い傾向にあり、気軽に撫でられは……おい! ナナキ! その女誰よ!? デレデレするんじゃない!!!!!!!

ちなみに本作は犬をなでるだけではなくて、犬笛で犬を画面の端から端まで走り回せてハンドラー気分を味わうこともできます。私の良心は「犬は謎解きの道具じゃない!」と叫びますが、まあ冒険が挑戦を連れてくることもあるでしょう。

Headliner: novinews(イヌ)

www.youtube.com

そもさん――ディストピアといえば? 
そう、犬ですね。(rf. 『リベリオン』)
新聞社の編集長としての採用記事の判断が一国の運命を左右する『ヘッドライナー:ノヴィ・ニュース』にも、もちろん犬は出てきます。
スポンサーや新聞社上層部からの圧力と、現場の記者からの突き上げとのあいだで板挟みになり、病んでいく主人公を唯一温かく出迎えてくれる存在がこの犬(ビーグルかな?)です。無駄だとわかりながらも仕事の悩みを犬に吐き出すのが妙なリアリティがあってイヤですね。
ちなみに飛行ドローンも飼えますが、こちらは撫でられません。


Cyberpunk 2077(ネコ)

www.youtube.com

サイバーパンク2077』をプレイした犬撫でラーたちは悲嘆に暮れました。
バグが多かったせいではありません。
ナイト・シティには犬や猫が存在しなかったからです!

いちおう、街中に生物がいないのは設定らしい設定がなされていて、だからこそたまに現れる鳥がエモーショナルなアクセントを効かせているわけですが、撫でられる犬や猫がいないのでは2077年はまるでソウルレスで生きている実感が得られない時代なんだな。
しかし信じるものは救われる。犬撫での神は我々を見捨てませんでした。
プレイ時間が数十時間を超えようかというころ、そう、現れたのです! 猫が!
この猫はとあるメインミッションの最中に登場するのですが*6、この時点では遠くにあり撫でられません。
が、最終盤になると……?
割と後半の方に出てくるくせにゲーム中では結構イメージ的に重要なところをかっさらっていくのが心憎い。さすが猫。
ちなみに私はこの猫はゲーム中で死亡する*7あるキャラの生まれ変わりという説をとっています。

Yes, Your Grace(ネコ)

f:id:Monomane:20210102202729j:plain
f:id:Monomane:20210102202739j:plain

中世ファンタジー風王国経営ADV。城壁のところに猫が鎮座しており、撫でられます。

Ikenfell(ネコ)

f:id:Monomane:20210102203058p:plain

犬(猫)撫でゲームの永遠の課題。それは、「撫でる行為に必然性をどうもたせるか?」ということ。
撫でたくて撫でる純粋さにこそ聖性が宿るのだ、そこに疑問をいだいてはならない、と主張する原理主義者もいるものの、やはりヴィデオゲームとは行為の経済を考える科学です。犬撫でがあれば嬉しいし、そこに必然があればなお嬉しい。
Ikenfell はそうした”犬撫でゲームのジレンマ”を解決した、犬撫でゲーム界のグレゴリー・ペレルマンです。
Ikenfell ではRPGと不可分なあるシステムを猫撫でに組み込みました。
それは”セーブ”。
そう、本作では猫を撫でてセーブを行うのです!
しかも、HPの全回復までやってくれる!
Ikenfell の革新は単に猫撫でに合理性を与えたのみに留まりません。
考えてみてください。
私たちが現実で猫を撫でているとき、どのような効果が生じていると思いますか?
なんとなく、体と心が回復しているような気になっていませんか?
なんとなく、雲の上に自分のたましいが保存されているような気分になっていませんか?
なんとなれば、私たちは猫を撫でるといつもセーブと回復を行っていたのです。
Ikenfell は現実をゲームに転写したにすぎない。

如何様、Ikenfell はゲーム内で猫撫で行為の効用を定義することで、現実における猫撫でをも遡及的に定義したのです。ゲームが私たちの肌感覚をやっと言語化し、認知させてくれたのです。オキシトシンってこのことだったんですね。
なんとなにもかもがしっくりくるのでしょう。
これこそ、革新です。

proxia.hateblo.jp

if found.....(イヌ)

 
Ikenfell はジェンダーマイノリティの要素を取り入れつつもそれを社会問題とは接続しないファンタジーでありましたが、if found... はパブリッシャーをアンナプルナがつとめているだけあって、逆にモロに社会や世間とがっぷりよっつでぶつかるファンタジーADVです。
世界に受け入れてもらえない孤独のたましいを救うのは、やはり、犬。

f:id:Monomane:20210102211837p:plain
f:id:Monomane:20210102211848p:plain

Anodyne 2(イヌ)

f:id:Monomane:20210102215113j:plain
f:id:Monomane:20210102215123j:plain

犬……犬カナー、コレ?
犬だと思います。犬でしょう。
こういうゲームです。PS1時代を彷彿とさせるわがままさを発揮していて、おもしろいですよ。

Spelunky 2(イヌ)

 ブルドッグを撫でられます。画像及び映像はありません。*8
 クソむずい。なんだよ、死にゲーなのにローグライトって。死に憶えられないじゃないの。

大賞作品発表

f:id:Monomane:20210102212942j:plain
プレゼンターを務める昨年度受賞者、イヌヌワンさん

以上のノミニーから2020年度のYCPTDGOTYに選ばれたのは…………………


"IKENFELL"!


おめでとうございます。
犬撫でではなく猫撫でというハンデを負いながらも*9、Pet the Dog 要素の哲学に切り込んだ新規性が評価されました。

同時に、国産犬撫でゲームを顕彰する「クール・ドッグ・ジャパンで賞」は『天穂のサクナヒメ』に与えられます。こちらもおめでとうございます。



もちろん、今回ご紹介できた犬撫でゲームはほんのひとにぎりです。有名所では Last of us Part II なんかも犬を撫でられたらしいですが、わたしはやってないのでカバーできておりません。TIMELIE とか Spiritfarer とかもまだ数十分しかできてないし。
犬撫でゲームの最新情報を知りたい向きは、"Can You Pet the Dog?"をフォローするといいんじゃないでしょうか。洪水のように犬撫でゲーム情報が流れてきます。今回触れたゲームも触れてないゲームもすべてここにあります。あら、この記事の存在意義が一瞬で消えましたね。たようなら、たようなら。永遠に無のバイトだけをネットに吐き出していたいな。
twitter.com


では、また来年。来年? たぶん、やらない。




僕のワンダフル・ライフ (字幕版)

僕のワンダフル・ライフ (字幕版)

  • 発売日: 2018/02/21
  • メディア: Prime Video
ゲーム的リアリズムを取り入れた犬死にループ映画。

*1:『犬が私たちをパートナーに選んだわけ』

*2:「Beyond the Bounds」という

*3:イヌ・インパクトのこと

*4:スパニエル系

*5:定番と番犬をかけた高度なギャグ

*6:シャムかな?アビシニアン?

*7:聞いた話では生存ルートもあるらしい

*8:ググれば出てくる。

*9:表向きはどの動物を扱っていても平等に選考されるが、やはり犬が強い傾向があるのでは?という疑惑がある

2020年に観た新作映画ベスト10、ならびに、

$
0
0

毎年恒例のやつ。みなさんの毎年恒例はなんですか

f:id:Monomane:20210103181019p:plain

映画館に行かなければ映画を観られないひとなので、今年はあまり本数を観ませんでした。たぶん鑑賞数100作行ってないんじゃないかな? そんな状態で年度ベストを出すのはおこがましいのですが、これも習慣であり、ボケ防止によいと先生(誰?)に言われたので残しておきます。
どれも内容を全然おぼえておらず、ただよかったなという感触が残ります。
proxia.hateblo.jp

新作ベスト10

1.『ジョジョ・ラビット』(タイカ・ワイティティ監督、米)

 ・世界はどうしようもなく狂っていて、おまえもどうかしているのだが、それでも細部に美は宿っていて、最後はダンスで終わる。最高の映画の条件をすべて兼ね備えている。

proxia.hateblo.jp

2.『ハニーランド 永遠の谷』(リューボ・ステファノフ&タマラ・コテフスカ監督、北マケドニア

 ・絶望が反復がされていく。なのに、人は逞しく生きていて、蜂はびぃびぃ飛んでいる。

3.『鵞鳥湖の夜』(ディアオ・イーナン監督、中・仏)

 ・とにかく奇抜な画がとりたいという原初的な映画の稚気に満ちていて大変好ましい。

4.『幸せへのまわり道』(マリエル・ヘラ―監督、米)

 ・神様だって、いっぱいいっぱいなんだよ、というお話。見た目イイ話風のわりにはところどころトム・ハンクスがホラー的な非日常への裂け目と化す瞬間があってマジで最高。トム・ハンクスのイメージを逆手にとった上で遣い潰している。

5.『サンダーロード』(ジム・カミングス監督、米)

 ・生きづらくしているんだけど自分がなんで生きづらいのかわかんなくてグダグダしてる人間の話が好きです。最近の生きづら映画は生きづらさがどれもクリアすぎる。それはそれで映画なんだけど、感情表現の下手な人間が不器用にもがくのを割とストレスなく観られるというのも映像の効用なのではないですか。

6.『ハスラーズ』(ローリーン・スカファリア監督、米)

 ・勝つ→打ち上げ→勝つ→打ち上げの高速サイクルでキマりまくるいい映画ですが、いたいけなチワワを性風俗に従事させる動物虐待シーンがあるのでマイナス2000万点です。

7.『マロナの幻想的な物語り』(アンカ・ダミアン監督、仏・ルーマニア・ベルギー)

 ・イヌがひたすらひどい目にあうけどアニメなのでセーフ。罪深さでは『僕のワンダフル・ライフ』とどっこいでは。でもイヌ映画は罪深いほどおいしい。

8.『ストーリー・オブ・マイライフ 私の若草物語』(グレタ・ガ―ウィグ監督、米)

 ・役者がとにかくいい。特に自分がすべての罪が許されるイケメンであることを十二分に自覚しているシャラメの振る舞いは感動もの。

9.『アンカット・ダイヤモンド』(サフディ兄弟監督、米)

 ・OPNの音楽にノッていたらなんかよくわかんないままに気づいたら終わっていてそういう映画はいい映画です。オチもオチの付け方にこまった末の苦し紛れみたいなオチでよし。

10.『ウルフ・ウォーカー』(トム・ムーア&ロス・スチュアート監督、アイルランドルクセンブルク

 ・オオカミTS百合。前半部の幸福は2020年最大級。

その他おもしろかった新作

『行き止まりの世界に生まれて』(ビン・リュー監督、米)
 ・男性の脆さが映画によって救われていく、というまあ正しくドキュメンタリー映画的な映画ですね。

『異端の鳥』(バーツラフ・マルホウル監督、チェコ・スロバキアウクライナ
 ・寄る辺のない少年と理不尽な暴力は相性がいい。

『透明人間』(リー・ワネル監督、米)
 ・なんだかんだで、やっぱり首切りのシーンなんだよな。

『ボーイズ・ステイト』(ジェシー・モス&アマンダ・マクベイン監督、米)
 ・右と左にきっぱり分裂してしまったシンプルな現代アメリカの複雑でやわらかな部分。

『スパイの妻』(黒沢清、日)
 ・東出昌大の使い方がいっとう上手い。

『ナイブス・アウト』(ライアン・ジョンソン、米)
 ・ミステリ映画は本来退屈なものであり、ミステリ映画の歴史とはその退屈さをどう解決するか、という永遠の謎解きなのでありますが、本作はそれを一定程度解消している。

『エマ、愛の罠』(パブロ・ラライン、チリ)
 ・変な踊りをいっぱいやってて愉しい。ララインはなんかしらんけどおもしろいんですよ。

『パラサイト』(ポン・ジュノ、韓国)
 ・フツーにおもしろい。

『ミッドサマー』(アリ・アスター監督、米)
 ・アリ・アスターは本来コメディの人なのだと思います。たぶん観てる人がコメディと思ってないだけで。伏線とその発動のメカニズムがお笑いのそれ。

『ハースメル』(アレックス・ロス・ペリー監督、米)
 ・こんなむちゃくちゃな女をむちゃくちゃに撮って三時間も持つの? という疑問をぶっとばしてくれる出来ではあるものの、やはり20分くらい長い。まあでもむちゃくちゃな女の話はおもしろいです。

『リチャード・ジュエル』(クリント・イーストウッド監督、米)
 ・クリント・イーストウッドは正気を確信したまま狂ったものを撮られる唯一無二の監督であり、惰性で評価されてるだけだろとかいってるバカの意見はすべて無視していい。

『ソウルフル・ワールド』(ピート・ドクター監督、米)
 ・実質『C.M.B』の「冬木さんの一日」。ピクサーはだんだんクライマックスを劇エモにすればなんでもオーケーだろ路線になりつつある。なんでもオーケーなわけはないが、これはオッケ―です。

『アップグレード』(リー・ワネル監督、米)
 ・リー・ワネルって映画の才能ちゃんとあったんだなと確認させてくれた一本。自分の意志に反して身体がめっちゃ動く映画は普遍的によい。

『ラストブラックマン・イン・サンフランシスコ』(ジョー・タルボット監督、米)
 ・たまにとても変なお話なんだけど気持ちめっちゃわかる〜みたいな映画があり、これはそれです。

トランスジェンダーとハリウッド:過去、現在、そして』(サム・フェダー監督、米)
 ・お勉強になります。

『音楽』(岩井澤健治監督、日)
 ・冷めた情熱という確かに存在するはずなのにあまりメディアでは描かれない珍しい情動を描いた貴重なアニメ映画。

『泣きたい私は猫をかぶる』(佐藤順一&柴山智隆監督、日)
 ・岡田麿里のエッジィな部分をうま〜く削って丸めた作品。できるもんなんだな。

『初恋』(三池崇史監督、日)
 ・良い方寄りの三池崇史

『ザ・ファイブ・ブラッズ』(スパイク・リー監督、米)
 ・おもしろいのかどうかはわからんけど、とにかく情熱に満ちていてよいと思います。スパイク・リーは情熱ないくせにめっちゃ燃えてますみたいなフリがうまいからたちわるいんですよ。

『ひとつの太陽』(チョン・モンホン監督、台湾)
 ・うん。


あとまあなんかペドロ・アルモドバルとかもおもしろかったよ。ソフトスルーはあまり観られませんでした。

名馬三賞

姉(姉映画オブジイヤー

★『ストーリー・オブ・マイライフ』
 『ジョジョ・ラビット』
 『ポップスター』(ブラディ・コーベット監督、米)
 『どうにかなる日々』(佐藤卓哉監督、日)
 『泣きたい私は猫をかぶる』
 『ある画家の数奇な運命』(非姉参考候補作)(フロリアン・フォン・ドナースマルク監督、独) 

イヌ(ゴールデン・ドッグ・アワード)

★『マロナの幻想的な物語り』
 『ウルフ・ウォーカー』
 『わんわん物語』(チャーリー・ビーン監督、米)
 『野生の呼び声』(クリス・サンダース監督、米)
 『ペット・セメタリー』(ケヴィン・コルシュ&デニス・ウィドマイヤー監督)
 『ドッグマン』(旧作参考作)(マテオ・ガロ―ネ、イタリア)
 『アングスト 不安』(旧作参考作)(ジェラルド・カーゲル監督、オーストリア

クマ映画(クマミコドール)

★『ミッドサマー』
 『野生の呼び声』

ドラマシリーズ

★サクセッションS2
 ディキンスン
 フィール・グッド
 呪怨

アニメシリーズ

★ミッドナイト・ゴスペル
 リック・アンド・モーティS4
 ボージャック・ホースマンS6
 サウス・パークS22
 
 

ドキュメンタリーシリーズ

★タイガーキング:ブリーダーは虎より強者!?
 ザ・ファーマシスト:オピオイド危機の真相に迫る
 サンダーランドこそ我が人生
 ハイスコア:ゲーム黄金時代
 移民国家は語る



意外と書くことがあってホッとしました。今年はどうでしょうね。このままだと昨年に輪をかけて映画観なくなりそうな気がします。

proxia.hateblo.jp

proxia.hateblo.jp

proxia.hateblo.jp

proxia.hateblo.jp

proxia.hateblo.jp

2020年に第一巻が発売されたおもしろマンガ・ベスト10と+40作くらい

$
0
0

これまでのあらすじ

・村長から「俺は2020年の第一巻発売オススメまんが記事をアップしたけど、おまえはまだなの?」と煽られた。
msknmr.hatenablog.com

・わがブログ固有の文化・商標である年度第一巻発売マンガまとめ企画を村長に盗用され、怒りを禁じえません。目下、弁護士を通じて訴訟の準備中です。

レギュレーション

・タイトル後のカッコ内は掲載誌
・2020年1月〜12月に第一巻が発売された作品
・上下巻、短編集、アンソロジー、短期集中連載作などは扱いません(意外と判定むずい)*1。コミカライズに関してはこの限りではない。*2
・ナンバリングされてない作品等についても責任は持てない。
・前に70作とか80作とかあげてたら「多すぎて散漫」みたいなコメントがついたので反省して今回は限界まで絞りました。

並んでるタイトルだけ確認して満足する人用インデックス

ベスト10作(順不同)

つるまいかだ『メダリスト』(『アフタヌーン』連載)

 単に「第一巻が発売された」というくくりを除いても『メダリスト』は、2020年でもトップクラスにおもしろいマンガ作品です。ほんとうにマジで毎回おもしろい、ウソみたいに奇跡です。
 才能についてのフィクションとはどれだけ才能を残酷に描けるか、それでいて絶望に落ちきらずにいられるか、そこに尽きます。
 そう考えると日本のフィギュアスケート界ほど残酷な世界はないのかもしれません。なにせ小学五年生ですら本格的に始めるのには遅すぎるといわれる。まあ、人気のあるスポーツはだいたいそうなのかもしれませんが、それでも小学生にその現実に見せつけるのはあまりに酷といいますか、だって小五の主人公が小三でめっちゃ滑れるライバルを見て「昔から正しく積み重ねてきた子を見ると、頑張ろうじゃなくて、自分はもう頑張ってもこうなれないかもって気持ちが出てきちゃう」と落ち込むんですよ。ようやく年齢が二桁になったばかりの子どもがですよ。
 才能フィクションは主人公に圧をかければかけるほどおもしろくなるので、この時点で十二分に傑作の条件を満たしているんですが、他の部分もおしなべてレベルが高い。
 まず顔がいいですよね。どのキャラクターも活き活きとしていて、くるくる表情が変わる。シリアスな泣き顔からコミカルな笑いまでエモーションがすごい勢いで乱高下していくさまがそのままストーリーのメリハリとしても機能している。
 そして、キャラ。スポーツまんがなので個性豊かなライバルが矢継ぎ早に登場するのですが、これがまあ一人残らずビンビンにキャラ立ちしていて魅力的。配置も巧くて、主人公とのケミストリーが実によく計算されています。
「コーチと選手の関係」にフォーカスしてバディ感を高めているところもよくて、実はフィギュアスケートまんがって結構あるのですが*3、『ユーリオンアイス』のようなコーチとスケーターの関係性をそのまま熱血スポ根に持ち込んだようなあたりはいいとこどりもいいとこどりで、フィギュアスケートまんがの大正解出ちゃった感がすごい。
 そしてなによりダンスシーンの躍動感。これはもう問答無用で画で殴ってくる。
 さすがにそろそろ黄金期も終焉に近いかとおもわれていた『アフタヌーン』ですが、こういう作品が出てくるあたり、まだまだ当分覇権は続きそうです。

河部真道『鬼ゴロシ』(『漫画ゴラク』連載)

鬼ゴロシ 1

鬼ゴロシ 1

『バンデット』、そして『KILLER APE』。暴力と知性のダブルパンチで『モーニング』読者に衝撃を与えた河部真道は嵐のように去っていき、そして勢力を強めながら『漫画ゴラク』で最大瞬間風速を記録しました。
 話はシンプルです。
 なにものかにハメられ妻子殺害の濡れ衣を着せられた元ヤクザの十数年越しの復讐劇。でも、その迫力がハンパじゃない。
 ネーム、ストーリー、キャラ、セリフ、絵、世界観、すべてが「暴力」の一語によって貫かれた暴力ドリヴンの暴力漫画です。ときどきこういう異形の暴力まんがは現れるものですが、単に暴力が暴力をしていれば成り立つわけでもなく、まんがとしてパッケージングするには緻密に計算された暴力でなくてはいけません。
『鬼ゴロシ』の走りは研ぎ澄まされた短距離走者のようで、知性と暴力がひとつの拳で炸裂している。
 これまで賢しさ(『モーニング』読者に対する配慮でもあったでしょう)がどこかブレーキになっていた河部マンガですが、『ゴラク』というフィールドを得て、ようやくその真価が発揮されはじめたというべきか。

近藤信輔『忍者と極道』(『コミックDAYS』連載)

『ヤオチノ乱』打ち切りによってこの世に忍者ものの居場所はなくなってしまったことが証明された……とおもったら、そのコミックDAYSでまさに新しい忍者ものがハネてしまった。まだ世界に希望は残っているのかもしれません。
 異能忍者バトルとして太祖山田風太郎にリスペクトを捧げつつ*4、2010年代以降のバズりのテイストを戦略的に取り入れてもいて、話題にしやすいツイッタジェニックさで攻めつつも、展開もキャラもきっちり練り込まれていて読み応えがある。
 四方に隙がない。 
 ここまで作者の「おもしろくしたい」気持ちが読者側に伝わってくる作品も稀有でして、回を追うごとにエンタメのボルテージが上がっていく感覚もあり、週一で連載を追う体験としての愉しみも具えている作品です。

山田風太郎(原作)、勝田文(漫画・漫画原作)『風太郎不戦日記』(『モーニング』連載)

 奇しくも2020年の気分をなにより能く表すことになった一作。ほら、コロナ的な意味でね。
 山田風太郎という作家がいます。天才です。
 この人は作家になる前の医学生だった戦中から作家デビューした戦後初期にかけて日記を残していて、それは日記文学の名作として各出版社から出されています。「戦中派」を自認した山風の人間観に決定的な影響を与えた時期の日記だけに、山風理解の上で欠かせない本です。
 さて、そのコミカライズの本作は終戦間際から(現在のところ)終戦直後くらいまでの時期をコミカライズしたもの。(フィクションなので比較対象として不適当かもしれませんが)こうの史代の『この世界の片隅に』が呉という地方都市に絞った家庭の日常を描いたのに対して、本作では医学部のある東京を中心として山風の故郷である兵庫県の養父や疎開先の長野、あるいは通りがった京都などの色んな土地の戦時の風景を描きつつ、独りよるべなくさまよう青年の日々と心情が物語られていきます。
 モノがない。食糧もない。人手が足りない。爆弾は毎晩ふってくる。昨日普通に笑っていた同級生や近所のひとたちがあっけなく死んでいく。
 そういう凄絶な場所にも人々の日常のリアリティは生成されていくもので、青年山風が「苦手なテストやりたくないなから試験日にアメリカ軍が空爆しにきてくれないかな……(試験日に空襲があるとその日のテストは中止にされ自動的に全員合格判定がくだされる)」とぼんやり願い、それが叶えられて大喜びするシーン、あるいは赤紙の配達人に化けて知人を騙して笑うドッキリシーンなどはほんともうどういう感情になればいいのかわからない。
 そんなどういう感情になればいいのかわからないものを託されたのは『ジーヴス』シリーズのコミカライズでも知られる勝田文。これは『モーニング』編集部の大殊勲とたとうべきでしょう。淡々としたタッチで描かれる勝田版青年山風の生活は静謐さのなかにも昏い熱が籠もっていて、まさにこの漫画家以外にはありえなかった、非の打ち所のないコミカライズに仕上がっています。

杉浦次郎『僕の妻は感情がない』(『コミックフラッパー』連載)

 なんとなればわたしたちは後ろ暗さや罪深さをひっそりと共有するためにページを繰るのであり、その厳かさは中世に聖書の一言一句をていねいに転写していた修道士たちにも劣らない。
 杉浦次郎の描く家事用アンドロイド・ミーナとの新婚生活は不穏な平穏さに包まれています。
 正しいか間違っているでいえば、間違っているほうの話です。
 子どもや動物がそうであるように、所有者に尽くすことを至上目的とする人工知能は主体的な判断が可能な人格としての資格を欠いています。すくなくとも形式的には、そう。そのような対象を対等に愛するなど可能なのでしょうか。結論から申し上げれば、不可能です。根本的に間違っている。
 それを主人公は自覚している。自覚しているが、止まらない。その二律背反が作品世界にときおり影を差します。
 焼き上がった生首が皿に盛られて差し出されるときの不穏さはなんだろう? 生首の後ろでは頚椎部の断面からなんらかの液体がふきあがっている。
 身内の目から隠すためにミーナを暗い押入れに閉じ込めようするとき、決定的ななにかが犯されそうな心地をおぼえ、主人公は躊躇する。
 ですがまあ、すくなくとも外形的にはポジティブなまんがで、愛し方も愛され方もわからない不器用が二者が寄り添ってすこしずつ進んでいく。そしてそんなふたりを包む世界もまたやさしくデザインされている。
 たとえば、ミーナを開発した会社が点検員を派遣してくるくだりがあるのですが、会社の内部では通常の点検プロセスとは別に「家事ロボットをユーザーが家族扱いしている場合」のプロトコルが用意されていて、そのあたりの細部にちょっとしたSFを感じると同時に、孤独な異常者をちゃんとやわらかく受け止めてくれるなんてやさしいなあとおもったりもします。
 そこのあたりの次郎先生の理屈っぽい世界デザインセンスは pixiv で連載中の異世界転生もの『ニセモノの錬金術師(旧称・異世界でがんばる話)』にも反映されていて、こちらは冨樫フォロワーのなかでも群を抜いて『ハンター✕ハンター』の理屈バトルのエミュレート精度の高い逸品*5となっていて、めちゃおもしろいです。出版社はいますぐ拾うべき。

宮下裕樹『宇宙人ムームー』(『ヤングキングアワーズ』連載)

 宮下先生の『決闘裁判』は2019年に終わったまんがで最も過小評価された作品のひとつでしたが、かなしいかな、『宇宙人ムームー』もやはり2020年に始まったまんがで最も過小評価されている作品のひとつということになるでしょうか。*6
 戦争によって母星と発展した超科学技術を失ったネコ型の異星人が、ぼっち大学生・桜子の家に居候しつつ、低レベルな発展段階にある地球の家電からテクノロジーを構造から学びなおしていく家電学習コメディ。
 ブラックボックス化した文明の利器をふだん機構もわからず使っている我々凡愚でも楽しく家電のことを学べてためになります。掃除機の構造が「ほとんどモーターに直結しただけのファンで、ほぼ『風を造る』だけの機械」だとか、冷蔵庫は「冷たい空気を作っているのではなくて食品から熱を奪って外に出す機械」だとか、身もふたもない感じで分析されるのも気持ちよいですね。
 一巻の途中からは桜子が人類再生研究会(を名乗る家電研究会)というサークルに入会し、分解だけではなく修理・改造にも発展していきます。物語的にもファンタスティックどたばたトラブルバスター大学サークルもののノリが加わって重厚さを増していきます。スマホを遠隔充電する機械を工作しようとしてうっかりEMP兵器になってしまったりだとか。
 青春、恋愛、家電、宇宙人SF、ネコ、大学サークルと全部盛りで嬉しい仕上がり。家電の歴史や豆知識、節電術なども学べるコラムまでついてきて、大変お買い得な作品です。

ドリヤス工場異世界もう帰りたい』(『月刊ヒーローズ』連載)

 画風で出オチ扱いされがちなドリヤス工場ですが、十分にストーリーテラーとしての才覚もあって、冴えないサラリーマンが剣と魔法の異世界に召喚される『異世界もう帰りたい』ではそのセンスの一端を垣間見ることができます。
 底辺転生者*7である主人公・下山口一郎は召喚されて早々、使いみちのないあぶれものとして雑用に割当てられ、序盤はそんな彼のせぜこましい日常が描かれます。
 異世界での生活は一郎が日本で送ってきた生活とさして変わりません。地味で代用可能な労働があり、その疲れを癒やす日本食レストランや酒場がある。不要な日本人が召喚されては解き放たれた結果、どこの国にも日本人街みたいなものが形成されて文化的にも日本とあまり乖離がなくなってしまったのです。
 一方で、あきらかにソーシャルゲームのガチャを生のまま取り入れた(十連召喚や石という概念がある)転生者のシステムや魔術の設定や世界観は徐々に開陳されるにつれ、意外に作り込まれてたものであることがわかってきます。
 そうした理屈っぽい部分と所帯じみた地味日本パンクが合わさったとき、なんともオフビートで独特な読み味が立ち上がってきます。

背川昇『海辺のキュー』(『月刊ヒーローズ』連載)

 今年は『マグちゃん』『プリンタニア・ニッポン』『宇宙人ムームー』『バクちゃん』そして本作と謎かわいい生物まんがの当たり年でした。わけても『海辺のキュー』のキューちゃんのかわいさは忘れがたい。
 ウミウシみたいなアウトラインにイヌっぽいテイスト、くるんとした大きな目はたばよう先生の描くキャラのようで、無垢さのなかにもどこかあやうい印象を漂わせている災厄の獣、それがキューちゃんです。このキューちゃんを見ているだけもしあわせな気分に浸れます。
 しかし、ハッピー一辺倒でもないのが本作の侮れないところ。
 主人公の中学生・千穂は傍から見ると仲のいい友だちもいる快活な少女なのですが、実は細かいコンプレックス(流行りに疎くて友人同士の会話についていけない、部活の先輩がいじわるすぎる、片思い相手がそのいじわるな先輩と仲良し、友人グループでいじられキャラとして軽んじられている気がするなど)を降り積もらせていて、世界とのズレを抱えている。
 そこへキューちゃんが現れて彼女の「黒い部分」を呑んでくれる。キューちゃんに丸呑みにされた人間は、なぜかはわからないけれど、すごく晴れ晴れとスッキリした気持ちで戻ってくるんですね。ところが、そんなキューちゃんのセラピー能力にも副作用がある。もちろん、ある。
 志は高かったもののその野心ゆえに終盤チグハグになってしまったガールズフッドラップまんが『キャッチャー・イン・ザ・ライム』、そこでも見せたポップな絵柄に”生”感のある人間の悪意やどうしようもなさを宿らせる(宿らせつつも抜けがよく暗くならない)作風が物語にすばらしくマッチした快作です。
 基本不思議生物オチもの日常系のゆるやかなほのぼの感で生きつつも、キューちゃんが初めて千穂を丸呑みするロングショットなどの時折見せる突き放した不穏さも技巧的。
 ちなみにですが、わたしは丸呑みに興奮するヘキはありません。

灰田高鴻『スインギンドラゴンタイガーブギ』(『モーニング』連載)

 画が躍っている。
『スインギンドラゴンタイガーブギ』の第一話は衝撃でした。
『モーニング』なんていう動体視力と欲望の衰えたトロいおっさんの読む雑誌に、ヒリつくほどにヴィヴィッドなまんがが載っている。
 昭和二十六年、記憶喪失になった姉のために東京まで人探しにやってきた少女が奇縁からアメリカ軍の駐留地を回るジャズバンドにボーカルとして加入するお話で、アメリカ文化のジャズと活気を取り戻しつつある日本の芸能が猥雑に混淆していく、この時期特有のヴァイブスを物語より何よりまんがの画として表現しているのがすばらしい。
 展開のもたつき感を差し引いてもなお2020年において最も読まれるべき一作であることはゆるぎません。

雨隠ギド『ゆらゆらQ』(『ザ花とゆめ』連載)

 神の使いである狐の娘と神主の男が恋に落ちて*8産まれた九人のこどもたちはいずれ劣らぬ美男美女ばかり、そう、九番目の末っ子である久子を除いて。高校生の久子は自分のちんちくりんさにコンプレックスを抱き、幼馴染の春人への恋慕もひた隠しにしてきました。が、あるとき突然自分を美女に見せ周囲の人間を魅了する「魅力の化け力」に目覚ます。ところがその術が春人にだけは通じなくて……というドタバタコメディ。
 ある種ルッキズムを扱った作品ではあるのですが、安易に「外面が美しいこと/内面が美しいこと」の二元論に陥らず、主人公の久子もコンプレックスは抱えているものの性格はパッキリしていて「(他人がどうこうというよりも)自分が自分のことを好きになれるようにがんばりたい」という前向きガールで、読み味が非常に清々しい。
 春人や久子の家族といった周囲の人間が軒並みあたたかいのもいいですね。
 雨隠ギド作品を読むときは常に「人間があったけえ……」となります。
 そのぽかぽか具合とパラノーマルロマンスがギド先生のシグネイチャー。


【他におもしろかったもの・なんか心に残ったもの・ひとこと言いたいもの】*9

吉本浩二『定額制夫のこづかい万歳 月額2万千円の金欠ライフ』

・狂っている。
・毎回のゲスト登場人物、作者、作者の家族、日本社会、編集部、メディア、そして読者。すべてが狂っている。令和をこんな日本にしてしまったわたしたちにはこの狂気を直視する義務がある。
・『カツシン』や『ブラックジャック創作秘話』などで確立した作者独特の決めゴマが得も言われぬパワーで殴りかかってくる。ここでは読むことも暴力であるなら、読ませられることも暴力だ。

山田縫人(原作)、アベツカサ(作画)『葬送のフリーレン』

・気がついたらいまさら褒めてもな状態になっていた。
・ギャグパートの切れ味がむしろ本篇よりすさまじいの何。
・基本的にアベツカサの作画は「静」のまんがで、バトル・アクションパートになる途端に端切れが悪くなるかな、という印象だったのだけれど、最新巻ではそこを逆手にとってくるというか、むしろ魔術師メインという題材を考えるとこっちのがしっくりくる気さえしてきた。

都留泰作『竜女戦記』

・理知的ではあるのに独特のリビドーに彩られているせいでなかなかとっつきづらい都留作品にあって比較的入りやすい一作なのではないか。
・和風架空戦記としては二巻時点でもまだ導入という感じなのでこれからどう転ぶのか。
・日本準拠のファンタジー世界で、龍がいて、戦記もの(?)となると『皇国の守護者』を思い出してしまいます。

赤坂アカ横槍メンゴ『推しの子』

・『かぐや様は告らせたい』で一世を風靡した赤坂アカチェンソーマン連載時に毎週死んでいたことでおなじみの横槍メンゴ*10のコラボレーション。タイトルの通り、推しの子どもに転生した男女の人生を描く。けっこうな大河ロマン。

魚豊『チ。――地球の運動について――』

・激アツ情熱ロングショット地動説まんが。おもしろキチガイがたくさん出てくるもののまだ『ひゃくえむ。』ほどのインパクトには欠けるかなといった印象。
・とはいえ、いい意味で展開の予想がつかなくて新刊が最も楽しみなまんがのひとつ。

米代恭『往生際の意味を知れ!』

・非常にざっくりいえば、強烈な片思い的未練と毒親ものを混ぜたドログチャ情念もの。あのエッセイまんが家とあのエッセイまんが家を合体させたような悪役を出してくるので大丈夫か、これ??? となる。
・出てくる人間全員むちゃくちゃな狂人コメディなのだが、たまにまっとうな恋愛ものの描写をはさむことで正気であることを担保してくるというか、読者を騙しにかかっている。
・なにげにエッセイまんがの虚実という業界的にフェイタルな部分にも突っ込みつつ、それをドキュメンタリー映画として撮ることをフィクションマンガを描くというややこしくも興味深い多層構造になっていて、ここのあたり堀りがいがありそう。

古部亮『狩猟のユメカ』

・僕たちが夢見た動物バディもの。喋る動物とペアを組んで異世界化した日本でサバイブする。
・敵キャラに結構キレた性格の人物が多いところが愉しい。「おれたち猟師は自由に猟銃を撃てる世界を心の底で望んでいた」って、猟師さんそれでいいのか?
・え? もう最終回?

ゆーき『魔々ならぬ』

異世界から魔王(ダメ人間)と勇者パーティの脳筋魔術師(ダメ人間)が平々凡々な青年(ダメ人間)の元にころがりこんでてんやわんやを巻き起こすダメ人間落ちもの(たぶん)コメディ。
・一巻は物語のコントロールできていなさを絵の良さで押し通している印象が強かったけれど、キャラも出揃った二巻はふつうに安定しておもしろい。

蒼井まもる『恋のはじまり』

・他人の恋愛は報われないほうがおもしろい。でもまあ、これもいつかは報われていくんだろうな。

ビエラー長谷川『抜刀』

・性的なリビドーをテコにむちゃくちゃな話をドライブさせていくマンガはどの時代にもあって、これはどこまで燃料が持つのかな。

江島絵里『対ありでした。〜お嬢様は格闘ゲームなんてしない』

・ただ戦って勝ちたい、というプリミティブな欲動をここまで称揚してくれる作品もなかなかなない。

迷子『プリンタニア・ニッポン』

・謎の生物を飼う系のまんがは結構あるのだけれど、そのなかでもわりとSF的な世界構築に関心が向けられているのがよい。

AMPHIBIAN(原作)、中山敦支(作画)『こっくりマジョ裁判』

・へえ、村長は中山敦支で『スーサイドガール』を推すんですねえ。だったらこちらはこのカード! 『こっくりマジョ裁判』!
・『レイジングループ』などで有名なゲームシナリオライター Amphibian によるデスゲームもの。始めからすべてのルールを提示せずに手探りで進行していくさまがむしろ妙味。むしろ、なので真っ当な特殊設定知的デスゲームを期待するとちょっと期待にそぐわないかもしれない。

門馬司(原作)、鹿子(漫画)『満州アヘンスクワッド』

・みんな大好きドラッグとみんな大好き満州国を合体させるフックは強靭なのだが、やや展開に安直なところが見え隠れするのが不安材料。

愛南ぜろ『さよならエデン』

・90年代セカイ系の延長線上にあるような終末戦闘少女日常。悪い意味ではない。

和山やま『女の園の星』

・そこまでハネるか? と思わなくはないものの、ふつうによい。

若木民喜『16bitセンセーション』

・90年代エロゲ制作年代記。その時代を知っている人にしか描けないディティールが詰め込まれ過ぎない程度に詰め込まれていて、そのバランスがうまい。
・エロゲ史は日本のゲーム文化に多大な影響を及ぼしたわりには歴史としてまとめられることが少なくとも表立ってはあまりないとIGNのひとが言ってた記憶があるので、そこにスポットライトを当てるのは公共的にも意義があるんじゃないんでしょうか。そこの意識があるからこそちゃんと版権の承認とってくるんだろうし。

筒井いつき『この愛を終わらせてくれないか』

・完結済。暗黒系入れ替わり百合。作者は仲良し女子グループで死体を埋めに行くドロドロ相互依存暗黒百合『少女支配』を書いた筒井いつき。
・クラスメイトに芸能活動をやっている推しを持つ陰キャの高校生がある日推しの親友と身体が入れ替わってしまい、寵愛を一身に受けることに。夢見ていたはずのポジションを手に入れたはずの彼女だったが……? というお話
・出てくる女が全員STRに極振りしており、攻撃力がヤバくて防御が紙。
・筒井作品がわたしは大好きなのだけれど、周囲の百合好きに勧めても「そういうエグいのはちょっと……」と軒並み敬遠される。百合好きは精神的に惰弱な人が多いのではないだろうか。ちゃんと朝夕の乾布摩擦とボクササイズと栄養バランスのとれた食事で心身の健康を養った上で百合に相対してほしい。そんなんじゃ社会でやっていけないぞ。

雨隠ギド『おとなりに銀河』

・女性視点の『ゆらゆらQ』と同時に男性視点の本作と、パラノーマルロマンスを二作並行して描けるところが雨隠先生の才を証している。
・人間があったけえよ……となりたいときに読むとよい。

雨玉さき『JSのトリセツ』

・『なかよし』で連載されている小学生向け多方面教育まんが。トピックは性、恋愛、友達関係、勉強とさまざま。
・とにかくまんがが上手い。一話ごとの構成が見事だし、キメるコマはキッチリキメる。教育目的の啓蒙マンガはとにかく押し付けがましくなりがちだが、そうした視点にも注意が払われていて、大人たちはあくまで大人という立場から小学生に寄り添った助言を行う。2020年の教育マンガ最前線というかんじ。保護者や教育者が読むことも意識されているのか、そのへんの目配せもなされている。
・ふつうに小学生目線の友情・恋愛物語としても読める。というか、一般的な意味での教育マンガよりもそちらの比重が大きくなっているのかもしれない。

柳本光晴『龍と苺』

・『響』は序列がつけづらいはずに小説というものにギリギリのバランスで「強さ」という要素を持ち込んだところが魅力も危うさもあったのだけれど、今回はフツーに将棋という勝負事の話なので安心して読める。
・暴力(主人公はほぼ響)と「勝てない」人たちへの圧倒的シンパシーは健在。
・”世間”のクソさもちゃんと響で地続き。作品世界のトーンのひとつに「女を徹底的に見下す将棋界(のムカつくおっさんたち)」というのがあり、まあ一面ではリアルにそういう空気はあるんだろうなとは推測がつくんだけど、作中ではなんぼなんでもここまではやらんでしょというフルアクセルの誇張加減でおっさんたちが主人公の苺に対してクソナメくさった態度をとりまくるので、「世界は敵」感がすさまじく、だからこそ苺が孤高に世界をぶん殴っていくさまが気持ちいい。そこらへんのカタルシスは、『響』でもすくいとろうとしていたけれど、ここまでよどみなくすくいとれていなかった気がします。

畳ゆか『泣いたって画になるね』

ビッグコミックス系列が浄土るるとならんで、2020年に送り出した二大新人のひとり。ザ・サブカルってかんじでサブカりたいならこれ。
スクールカーストサブカル恋愛と三角関係を混ぜようとした結果、百合とおもっていたらアンチ百合になったかとおもいきややっぱり百合だったみいな展開になり、プロットの化学反応とはおもしろいものだとおもいます。
・誰かも愛されているクラスの人気者が「私のことを好きなひとは私のどこを好きかはわかんないけど、私のことを嫌いな人は私のことをよく知っている気がする」と考えるアンチ理論は完全に0048

上木敬『破壊神マグちゃん』

・ジャンプでこういうほのぼのかわいい生物まんがが続いているのはいいことだと思います。
・爆発的人気なイメージはないし、掲載順も恵まれてはけしていないんだけど、なんとなく続いていきそう。

縁山『家庭教師なずなさん』

・メイド(?)ギャグ漫画
・いったん区切りをつけておいてからのボケ重ねが上手い。絵といいギャグといい、この完成度で週刊誌連載はすごいとおもいます。
・四巻で完結っすか。そうですか。
・結果論になってしまいますが、設定が弱いといったらそれはそう。でも弱さを感じさせないキャラメイクをしているのはすごい。

宮崎周平『僕とロボコ』

・スタイルは大石浩二の後継者っぽいけれど、大石浩二よりは良識を持ち合わせている。いや、最近の『トマトイプーのリコピン』けっこービビりますよ。
・ガチゴリラが”おいしいキャラ”だと気づいてからはずいぶん悪どい笑いのとり方をするようになった。
・編集部的にもタイアップとかで使いでがありまくる作品だし、連載も安定しそう。

左藤真通『この世界は不完全すぎる』

・没入型のVR世界*11でデバッガーをしていた主人公が事故によってゲーム世界に閉じ込められてしまったが、とりあえずデバッグ作業を続けるお話。
・設定の勝利。物語もきっちり作ってあるので、出落ちに留まっていない。デバッガー同士で内紛みたいなことになって戦ったりもするのだが、もちろんバグを活かした技で勝つとかやる。

ゆうち巳くみ『友達として大好き』

アフタヌーン新連載三銃士™*12の一角。設定だけ聞くとエロコメディのようだがセクシャルな要素はそんなないっていうか、善人だけどコミュニケーション下手すぎるひとがメンターを得て世間にソフトランディングしていくさまがやさしく描かれる青春コメディ。
・コミュ障がまともに生きようとするまんがに弱いんだよな〜〜〜。

真鍋昌平(原作)、福田博一(漫画)『ピックアップ』

・二〇二〇年にコレかっていう感情もある一方で、逆に二〇二〇年にしか出せないだろコレっていうバイブスもあるナンパ師マンガ。
・煮詰めたように濃厚なホモソーシャルミソジニー、サクセスストーリーなはずなのにどこかダークで虚ろな空気感が特徴。どこかニール・ストラウスの『ザ・ゲーム』とか好きな人は好きそう。*13男が憧れの男に承認してもらうために女をコマそうとする話。女性はこの世界では「打倒すべき敵」として描かれる。
・原作者(『闇金ウシジマくん』のひと)がどこまで自覚的に綱渡りしているかはわからないけれど、二巻の終わりのほうで主人公がナンパで勝つことに虚無感をおぼえたり、価値観を相対化されるような描写も入ってくるので今後はそういう方面の話になるかもしれない。
・完結扱いかどうか微妙なところだけど、一応取り上げた。

深町秋生(原作)、イイヅカケイタ(漫画)『ヘルドッグス 地獄の犬たち』

・現代ヤクザはAIによる顔認証システムで潜入捜査官をあぶり出す!!!!!! など、とにかくパンチが利いててたのしい。

横山旬『午後9時15分の演劇論』

・変態みたいなマンガしか描いてなかった横山旬がわりとまっとうな青春学園演劇マンガを描いていて驚いたけれど、読んでみたらやっぱり六つ子の魂百までという感じで、それでも万人にオススメできる作品ではある。
・夜間大学の演劇コースが舞台であるせいか、どこか陰々とした雰囲気が漂っているのがこの手のものとして珍しい。集まる学生のメンツも20才前後ばかりではなく、おっさんおばさん(社会人や主婦を経てから入学してきた組)が普通にいて、年齢層がバラバラ。ここらへんを活かしきればさらに化けるかもしれない。
・ヒロイン? の眉が太い。

座紀光倫『ヒーロー探偵ニック』

・スーパーヒーロー専門の探偵が主人公。わりと日常寄り。前作『少年の残響』とはうってかわって陽性のコメディだけれど、作者のヘキは健在。ネタがどこまで持つだろうか。父子関係の話が好き。

森高夕次(作)、水上あきら(画)『ハーラーダービー

・コージィ先生*14は野球ネタが尽きないな……。切り口はいいのだけれど、主人公たちの価値観がかなりとっつきづらいのが難点。*15
・今年の野球まんが新作で思い出すのは『ビッグ・シックス』(六大学もの)、『松井さんはスーパールーキー』(草野球✕女子選手もの、単行本未発売)あたりか。まさかのリメイク『名門!第三野球部~リスタート~』はビビった。さすがに原作の価値観が古すぎるせいで2020年へのフィットできてさが目立っていたけれど。『グラゼニ』スピンオフの『グラゼニ ~夏之介の青春~』はやりたいことの焦点があんまり定まってない印象だった。高校生編に入ったらふつうに高校野球まんがになるんだろうか。*16
・切り口の斬新さでいえば、サッカーの『フットボールアルケミスト』(原作・木崎伸也、漫画・12Log)も「フットボール代理人」という珍しいアングルを取り上げたスポーツ漫画。語られる代理人のエグい手口は興味深いものの、今のところの物語はよくあるアンチヒーロー物語の枠を出切っていない印象。

つくみず『しめじシミュレーション』

・姉マンガ。
・四コマまんがというフォーマットを「安定的な日常」と結びつける発想はおそらくマンガ史的にも正統なのだろう。こういう趣向は『スクール・アーキテクト』を彷彿とさせる。器械先生……。
・異常なまんがを描く人間は団地や集合住宅を描くのが好きなんだな―という印象がある。異常な映画に出てきやすいオブジェクトだからだろうか?

黒崎冬子『無敵の未来大作戦』

・一夫多妻、一妻多夫制が認められた日本で展開される学園恋愛ドラマ。題材自体はよくある系なものの、オールドな雰囲気のある画調といかにもネット世代っぽいギャグセンスの取り合わせが意外と合う。
・あまりマンガとして整理されているとはいいづらいけれど、まかり通るだけのパワーを持ち合わせている。楽しみな作家。

うぐいす祥子『ときめきのいけにえ』

・ヤバいカルト集団でまともに生きて恋しようとと奮闘する女の子が主人公のホラー。うぐいす祥子がおもしろくないわけがない。

星来『ガチ恋粘着獣〜ネット配信者の彼女になりたくて〜』

・TLで話題になってたから読んでみたらおもしろかった枠。
・YouTuberのガチ恋勢になって実際にそのお手つきになるが、もちろんそんなやつは他に似たようなグルーピーを抱えているわけで……というお話。各種表現がマジでゲスなんだけど、恋する気持ちだけは本物なんですよ。だから救えない。

ウシハシル『ちょっと社会不適合者さん』

・タイトルどおり。社会と会社になじめない陰キャの会社員が理解ある彼くん的な存在を得て生き延びていく話といえば身も蓋のない。一巻時点ではおもしろいのかおもしろくないのかわかんないんだけど、どう転がるのかは気になる。
・大丈夫なのか、これ?[誰に対して?

財賀アカネ『プレデュール家の娘たち』

・財賀アカネがウルトラひさしぶりに復活したというだけでも事件だ。
・財賀アカネの持ち味であるかわいさが前面に押し出されている。そのぶん、もうひとつの持ち味であるビザールさが後景に退いてはいるが、それでもそのバイブスは残してあるので今後に期待したい。

カレー沢薫『ひとりでしにたい』

・カレー沢先生最高傑作であるとおもう。カレー沢先生は現実のハードな部分を人間のおもしろ哀しさでくるんで万人におもしろおかしく読ませるタイプのエッセイストであるので、こういう題材にもともと向いていたのかもしれない。2020年だと猫マンガ『きみに飼われるまえに』も、あざといが、ギリギリの上品でよい。
・エッセイ要素のあるフィクションだと『僕の妻は発達障害』(ナナトエリ・亀山聡)なんかも注目株。エッセイまんがは制約も多いので、描ける人はフィクションでやったほうが幅が出るのだろう。*17

島田荘司(原作)、嶋星光壱(漫画)『漱石と倫敦ミイラ殺人事件』

島田荘司御大がすさまじい細密さで登場してきて”われわれ”に直接語りかけてくる稀有なマンガであり、そういうとわたしが勝手に作り出した幻覚のようなものだと勘違いされるかもしれないが、ちゃんと『漱石と倫敦ミイラ』のコミカライズでもあり、わたしはなにひとつウソをいっていない。
・同じくがんばっているミステリコミカライズといえば碓水ツカサ版『十角館の殺人』で、こちらも原作未読・既読勢両方にオススメできる。とはいえ、『十角館の殺人』といえば「○○○・○○○です」をどう描くかであるので、完結までは評価を保留したいところ。
・つい先日、見富拓哉研究家の織戸さんが「冒頭で殺人事件が起こるタイプのミステリって、キャラの書き込みが薄い状態で退場することになるので、エモが沸かないじゃないですか」みたいなことをおっしゃっていて、それは一人頭の命とキャラが軽い連続殺人ものにも通じる問題意識でもあり、その観点から言えば絵でどういうキャラか一発で読者にわからせることのできるまんがという形式は強いにゃんね〜とおもいます。でもどう見てもオタサーの姫にしか見えないオルツィの解釈はいいのだろうか。
・倫敦ミイラより十角館の話のほうが長くない?
・ミステリコミカライズのラインなら厳密にはコミカライズではない*18のだが、志水アキの『中禅寺先生物怪講義録 先生が謎を解いてしまうから。』も長年〈百鬼夜行〉シリーズの漫画化をてがけてきた志水先生がとうとう京極堂を自家薬籠中にしてしまったという点で興味深いです。

滝川廉治(原作)、陶延リュウ(漫画)、沙村広明(協力)『無限の住人〜幕末ノ章〜』

・さすがに最初は物語面でも作画面でも「神の真似は無理だろ」という感想しかわかなかったのだけれど、だんだん、オ……これは……無限の住人!? と間欠的に錯覚できる場面が増えてきて、現状ではオフィシャル続編の名に恥じない出来になっているとおもう。ファンサービスもいいしね。

カワディMAX『やったね、たえちゃん!』

・二重人格の少女がゴミみたいな大人たちを殺しまくる殺し屋1的仕置人マンガ。これを読むと『忍者と極道』は非常に健全で道徳に適っているマンガにおもえてくる。
・タイトル通り、もとはネットミームとして古くから有名な成人マンガなのだけれど、既読者の話を聞くと元ネタに仕置人要素はないらしい。
・おおむね行儀の悪いスプラッタが展開されていくのだけれど、残虐描写で笑わせてくるセンスに長けていて、悪役のチ―ジ―のキャラ造形もすばらしい。「病(ヤ)ン坊、魔ー坊の天気予報」は天才の冴え。

小梅けいと(漫画)、スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ(原作)、速水螺旋人(監修)『戦争は女の顔をしていない』

・オーラルな回想は基本的にマンガの形式に向いておらず、かといってエモい語りをあたら”かしこく”編集してしまうと原作の特質が失われてしまう。そうしたジレンマにさいなまされながらもうまくやっている方だといいたいが、そもそも(よく言われる倫理的な観点でなく前述のような技術的な問題から)漫画化すべきだったのかと言われると微妙なところで、しかしマア、マンガが文学作品の入門編を担ってきた歴史もあることだし、そのアングルから眺めるとアリではあるのかもしれない。
・あと基本的にマンガがマンガとしての美点を活かそうとするとエモーションは高まる。これがよくない。原作である『戦争は女の顔をしていない』の証言者たちの語りは淡々として、語り手の表情が見えないし、地の文でどういう表情をしていたとか説明されたりしない。この読者を少し突き放したような閉じた距離感がむしろエモさを増幅させるのだけれど、マンガ版ではマンガであろうとするがゆえに表情を「描いて」しまう。むちゃくちゃに泣かせてしまう。それはしかし、コミカライズがへたくそとかいう属人的な話ではなく、マンガがそもそもそうやって絵で伝えるために発展したジャンルであることに基づいているのであって*19*20、たとえば、「マンガとしてマンガ的であるほどウソっぽく見えてしまう」問題はエッセイまんがなどにも胚胎されている*21
・わたしの感想を約めると「善いマンガではあるのだが、なるべくなら、というか絶対に原作のほうを読んだほうがよい」であって、そういう感想になってしまう作品をオススメしてもいいものか、迷ってしまう。*22*23

岩岡ヒサエ『きちじつごよみ』

・ホテルに所属するウェディングプランナーががんばるお仕事まんが。
岩岡ヒサエの短篇連作のうまさはあらためてここで言い募るようなことでもない。
・結婚というのはドラマが生まれやすい場なんだなと感心する。ふたりの人間がひとつのことを行おうとするとき、当然そこには意見や感情の相違が生じ、その壁を崩すためにウェディングプランナーという役割が活きてくる。このウェディングプランナーを凄腕仕事人みたいに設定する手もあったんだろう*24けれど、本作では人間臭い若手として置くことで、彼女自身のエゴや拙さも絡んできて……とさらに深みが生まれる。

雁須磨子『あした死ぬには。』(追記:2019年発売でした。テヘッ)

・映画宣伝会社でバリバリ働く42歳の独身女性が実際の年齢と自分の感覚のズレに不安になっていくさまを軸に、「歳をとること」についての人間模様が展開されていく。視点人物がときどき主人公の高校時代の同級生に入れ替わる(それぞれに主人公の同様の「中年になれなさ」を抱えている)半群像劇。
・人間ドラマの回し方がとにかくうまいし、演出も気が利いている。積み重なっていく自分の年齢に目を背けつづけることへの罪悪感がスマホのメールアプリの未読件数表示と重ねられる(しかもそれとなく)くだりなどはしびれる。
・若者が若者の感覚のまま大人になっていくことが叫ばれてひさしいけれど、今は若者が若者の感覚のまま中年、そして老年になっていく時代かもしれなくて、まあしかし誰かの配偶者だとか誰かの親だとか祖父母だとかいう役割を担わされたからその型におさまりますとも簡単にはいきづらい時代でもあり、時代よ時代という感じである。もしかしたら昔からある問題なのかもしれないが。

近藤ようこ(漫画)、澁澤龍彥(原作)『高丘親王航海記』

・村長に同じ。わたしが特に付け加えることはありません。なんか今月も近藤先生のまんがが出ていて、怪物か? ビビリましたが、よく見たら復刊でした。

鬼頭莫宏(原作)、カエデミノル(漫画)『ヨリシロトランク』

・フィクショナルな特殊設定の装置をそのまま「装置」として作品世界に具現化させることと、世界を変えられるほどの力を与えられたものがどう考えどう行動するかを問う鬼頭莫宏の作風は2020年に至ってもなお一貫しているわけですが、『ヨリシロトランク』では世界を変えられるの異能の大衆化が図られ、『能力:主人公補正』では異能を与えられた主人公がどこまでも受動的な存在として描かれる。
・『ヨリシロトランク』は設定が現代だけかとおもいきや未来を舞台にした「冷たい方程式」パロディをいきなり出してきて、二巻でも戦国時代へも飛ぶようで、思考実験的なSFとして広がりをもたせたいようですね。
・などと言っていてたら『主人公補正』のほうは完結してしまいました。これ以上ないほどの打ち切り最終回。半分ハーレムものっぽかったのに絵柄が硬すぎたのがウケなかったか。
・っていうかさ。
鬼頭莫宏はあの絵があってこそなので、さっさと自分で描いてほしい。止まってるアレとか。止まってるソレとか。もうボルダリングまんがでもいいからさ。

肋骨凹介『宙に参る』

・本格派のSFマンガは生存率が低いので現存する個体は常に貴重。
・うまくやれば『プラネテス』みたいな作品になりそうだけれど、作者の興味はそこにないっぽい。

池井戸潤(原作)、フジモトシゲキ(漫画)、津覇圭一(構成)『半沢直樹

・単なる小説のコミカライズではなく、ドラマの戯画化というバランスはありそうでなかった。わたしはドラマ版を観たことはありませんが。

城平京(原作)、戸賀環(漫画)『雨の日も神様と相撲を』

・農家の跡継ぎなどの重要イベントが相撲によって決められる村に短期間滞在することになった相撲博士の少年が神様であるカエルたちに「外からやって来たカエルに相撲で負けそうだから強くなる方法を教えてほしい」と乞われて相撲技術を指導する。なにいってるかわかんないというおもいますけど、ほんとにそういう話です。
・もしかしたらミステリ作家というくくりのなかではトップクラスに稼いでるかもしれない城平京の小説のコミカライズ。雑誌では『虚構推理』と二本立てで載っている。
・「どうしたらカエルが相撲で強くなれるか」についての綿密な考察*25やカエルが相撲を取っているシーンを読めるのは本作だけ。どうかしてる具合は以下の画像をごらんいただきたい。

f:id:Monomane:20210120184906p:plain

・あとなんかついでに殺人事件も発生する。ミステリですね。
・元がノンシリーズの長編小説なので最初から終わりは見えていたが、全3巻で完結。

*1:単発のまんがベストもやりたいけどこのままだと書き終わるの4月とかになるかも

*2:理由はない。

*3:日笠希望の『キスアンドクライ』は惜しかった

*4:主人公の忍葉とヤクザの首魁である極道の関係はどうしたって「甲賀ロミオと伊賀ジュリエット」こと『甲賀忍法帖』からでしょう

*5:『呪術廻戦』の再現度が0.35くらいとすれば0.7くらい。むろん、高ければよいというものでもない。それはともかく最も活きのいいフォロワーがそろって「呪い」にフォーカスした作品になっているのはおもしろい

*6:記憶が正しければ、言及してたのは『S-Fマガジン』の書評欄くらい

*7:その世界では異世界(主人公たちにとっては元いた世界)からやってきた”聖訪者”は星でランク分けされ、主人公は最弱の星一

*8:神社本庁的にそういうのはオッケーなんだろうか

*9:どの作品がどれに該当するかはニュアンスでわかってほしい

*10:wikipediaで代表作とされているのは『クズの本懐

*11:といえば、週刊少年マガジンの『シャングリラ・フロンティア~クソゲーハンター、神ゲーに挑まんとす~』もあった。マガジンの新連載は最近意欲的なのが多い。

*12:『メダリスト』『友だちとして大好き』『スポットライト』。村長発案。

*13:要するに『ファイトクラブ』。

*14:グラゼニ』は最近2020年回、つまりコロナ回をやっている。日本には星の数ほど野球漫画があるわりにはコロナに直球勝負で向き合うような作品は少なくて、『グラゼニ』で扱ったのはリアルタイムでマイライフをやっている性質上避けえないトピックだったというのもあるのんだろうけれど、それ以上に「フィクションによって時代を追う」というコージィ先生の矜持が強いように受け取れた。『チェイサー』とかもそうだったじゃないですか。

*15:防御率のわりには勝運にめちゃくちゃ恵まれないエースピッチャーがキャッチャーと組み、わざと失点することで勝ち星をあげようとする物語。「わざと失点すること」の理屈づけはもちろん精神論なんだけど、野球的にはいちおう理屈になっているところがミソ。ただ、もちろん「結局プロ野球選手は自営業者なのだから、勝ち星よりも防御率優先させたほうがよくない? ってか、移籍したら?」というひっかかりはぬぐえない。

*16:他に2020年に第一巻が発売されたまんがとしては『あの月に向かって打て!』、『オーライ』、『ぼっちなエースをリードしたい』、『クワトロバッテリー』(いずれも高校野球もの)など。唯一『ボールパークでつかまえて』は球場の売り子にフォーカスした珍しいバリエーション。

*17:ただ、『ぼくの妻は発達障害』は「プライベードモード」のときの妻を子どもっぽく、「社会人モード」のときの妻を大人っぽくそれぞれデフォルメして描き分けていて、そこらへんマンガというフォーマットの長所でもあり危ういところでもある。

*18:京極夏彦作品をシェアワールド化する企画の一環

*19:たとえば本作の監修にクレジットされている速水螺旋人はマンガにおけるデフォルメの技法を熟知した作家のひとりで、コテコテに記号化された表現を操る一方で、そこに付随するウソっぽさを自覚的に戦争という”リアルであるべきもの”にも拡げてみせる。いっそ、本作も螺旋人先生自身が描いてれば……とおもわなくもないが、まあ商業的には「少女」の部分が日本的な文脈で強調されていないと読者は詐欺っぽく感じるのだろう、という判断が働いたか。マンガとはやはり興行だ。悪い意味でなく。←この場合の「悪い意味ではない」は本当にわたしはそう考えています。

*20:おなじくオーラルな語りが特徴的な名作文学のコミカライズといえば2020年には高浜寛によるデュラス『ラマン 愛人』のコミカライズがあったわけだけれど、こちらは活字メディアのぎこちなさを引き受けつつマンガというよりはバンド・デシネ的な方面(つまりは”絵”の連続)に流している。これはこれで誠実なのだが、やはりちょっと読むのがつらい

*21:とはいえ、エッセイまんがジャンルでこのことを問題視しているのはわたし一人っぽくて、なら『戦争は女の顔をしていない』もこれでよいのではないかともおもえる

*22:文字よりも絵としての記憶のほうが残るというわたしのようなタイプの読者には勧めてもよいのかもしれない。あなたがたは一つのイメージに固定化されることの弊害を言い立てるかもしれないが、ぜんぜん記憶しないよりはいいだろう

*23:もっとも小キャラのかきわけや絵面的な立たせという面で、頭に話が定着しづらいきらいもある

*24:半分ハウトゥ的なお仕事まんがではよくある

*25:「カエルはまわしをしておらず首もないので決まり手が限られる」など

名バであれば、ウマのうち。ーー『ウマ娘 プリティーダービー』について

$
0
0



「そのほうが語って聞かせるレースをことごとく観戦する暇が、いつそのほうにあったのか不思議なことよ。そのほうはこのコロナ渦、一歩もスマホの前から動いた様子さえないように朕には思えるのだが。 」


「私が見、またおこなうことはすべてこのスマホ画面と同じ静謐、同じ薄明、また同じネイチャのささやき*1渡るこの静寂が支配する精神の空間において意味を得るのでございます。恐らく、この世界で残されているものはジュエルと金を永遠に吸いこみつづける巨大な虚無と、ウマたちが戯れ遊ぶサークルのミニキャラ画面だけでございます。この二つの場所を距てているのはわれらの瞼でございますが、そのいずれが内にあり、いずれが外にあるかは、だれにもわかりません。」*2


「して、そのほうはこの一月でどれほどのウマを育てたのだ」

 
「200」


「200」


 200のウマがあり、200の生があり、200の死があった。*3



 あれのような名馬だけが馬のうちよ、ほかの馬などすべて獣と呼べばよいのだ。
       (he is indeed a horse, and all other jades you may call beasts.)
                     シェイクスピア『ヘンリー五世』


f:id:Monomane:20210329200828j:plain
人間に蹂躙されてきた家畜の例。



 競走馬の世界に「もし」はない。
 Youtubeにおいて、第118回天皇賞(秋)を記録したある動画は2021年3月現在、82万回も再生されているけれど、その82万回の出走で82万回とも、サイレンスズカは四コーナーを回ることなくレースを終える。

 同様にアグネスタキオンがダービーに出走することはなく、ライスシャワーはあらゆる不安材料を飲み込みつつ京都競馬場へと赴き、ハルウララは113戦して一度も勝つことなく、ツインターボの逃げはゴール手前500mで壊滅し、ゴールドシップは宝塚のゲートで誇るように一着のポーズをキメる。 

 記録を幾度観直しても歴史は変わらない。

 やりなおしの効かなさは競馬のレースプログラムにも組み込まれている。たとえば、一部のレースは再挑戦すらゆるされない。国内最高峰とされる日本ダービーもそうだ。三歳馬のみという年齢制限の関係上、生涯一度しか走れない*4。日本国民にとっての最高の玩具である高校球児ですら、理論上は五回も甲子園に挑戦できるのに。そんな一回性に一回性を重ねた容赦のなさが競馬をドラマにしてきた。


 一方、ビデオゲーム*5は「もし」を希求するメディアだ。コンティニューすること、やりなおすこと、過去の結果を修正していくこと、それがゲームをゲームにする。


 ここでわたしたちのテーゼを今一度確認しておきたい。

「あまねく傑作ゲームとは麻雀であり、ローグライトである」。*6


 限られた配牌を一定のランダム性のうねりのなかで上手くやりくりしていき、その局での最善を尽くす。最初はルールや役を把握するだけでもおぼつかないが、繰り返すうちにプレイヤーのなかでなんとなく正解の手筋のようなものが絞られていき、それを軸に場面ごとの最善手を探っていく。

 ローグライトを遊ぶことは、そのゲームにおけるシステムの核心へと掘り進むことであり、その過程でゲームそのものと同化することだと言える。言うのは自由だ。おまえが同意するかどうかはここでは問題ではない。

 こと、ローグライト的な、という条件が付く場合、ビデオゲームのハードコアはインタラクティブ性にはなくなる。*7リプレイ性こそに宿る。


 だが、その”ライフ”はやりなおしてよいものなのだろうか。




ウマ娘』は矛盾したコンセプトを内包している。 

 一回性を極限まで高めた存在である競走馬の一生を何度もやりなおす。しかも、その馬たちは『ダービースタリオン』や『ウイニングポスト』といった他の競馬関連ゲームと違い*8、実在の名馬にもとづいた”物語”を持っている。

 リプレイ性はときに代替可能性に置き換えられがちだが、そのセンでいけば本来代替不可能なものを代替可能としていることになる。


 ウマごとの物語は固有かつ不変であって、経路に多少の差異こそあれ、最終的にはひとつの”グッドエンド”へ収束していく。段階ごとの目標(「○○というレースで何着以上に入れ」など)をクリアできなければ、あっさりとプレイが断ち切られる。分岐はしない。一本道だ。つまりはトレーナーにそれを読め、ということ。

 育成部分の元になったのは『パワフルプロ野球』のサクセスモードであるけれど、そちらは架空の選手が架空の球団・学校で選手生活を送る*9のであって、製作側もその時々によってドラマ性を盛り込もうとしたりしなかったりの努力を計ってはいたものの、基本的には「スコア(能力値)の高い選手を作る遊び」と割り切られていたように思う。リプレイ性が高ければ高いほど、ドラマ性は薄まるものだ。*10

 ところが、『ウマ娘』ではプレイヤーの視点をウマ娘のコーチ役たるトレーナーに置き、パートナーであるウマ娘との濃密な関係を描く。メンター-アプレンティス的な関係の設計自体はサイゲームスがてがけてきたアイドルプロデュース系ソシャゲ等との延長にあるのは明らかではあるが、*11その濃密さを「競走馬」の世界に持ち込んでよいのか。*12


 どこへ向かおうとも問いかけは消えない。

 それはやりなおしていい物語なのか。

 おまえはどう思う?

 




 胸つぶるるもの 
 競馬*13見る。元結よる。親などの心地あしとて、例ならぬけしきなる。まして、世の中などさわがしと聞こゆる頃は、よろづのことおぼえず。


                    清少納言枕草子


f:id:Monomane:20210329200721j:plain
レースの演出とカメラワークがすごい。



 日本人が馬を擬人化すると戦争や人死にを招く。それは歴史が証明している。サイゲの布告した「馬主を刺激するな」という詔は、「第二の源頼政を生むな」*14という源氏さんサイドの史観に基づいている。でも、あいつら、崖からお馬さん突き落としたりしてたよね。

 ところで、競馬は競技者の死亡率が飛び抜けて高いスポーツだ。医療や知見が発展した現代でさえ、年平均すればレース100回につき1回の割合でレース中に「予後不良」と診断が下される馬を出している。*15*16

 そして、その不吉さから、あるいはうしろめたさから目を背けるように人は競走馬の死に詩や物語を見出してきた。たとえば、沢木耕太郎日本ダービーの勝利後に破傷風安楽死となったトキノミノルについて、こう謳いあげている。「トキノミノルの死には、確かに人間においても夭逝した詩人だけが持ちうる特権的な輝きがあった」。*17

 こうも続く。「悲劇的な死ではあったが、ダービーという"たった一度"のために生まれ、走り、勝ち、そして死んでいったトキノミノルは、至福の生涯を送ったともいえる。」

 競走馬にとっての「至福の生涯」とはなんだろう、という疑問はおそらくここで手に負えるものではない。

 沢木耕太郎はこうも言った。馬には"たった一度"が許される。騎手には、そしてほとんどの人間にはその"たった一度"が許されない。どういうことかといえば、競走馬は生涯でたった一度だけダービーや皐月賞に出走して、勝とうが負けようがそこで終わりだ。しかし騎手には幸か不幸か”次”がある。あってしまう。*18トキノミノルに騎乗してダービーを制した岩下密政はその二十年後に事故で亡くなった。沢木は岩下の姿をギリシャ神話のシジフォスに重ねた。ここにも詩がある。

 でも、シジフォスの苦行に詩はあるだろうか。あるのは単調に刻まれるリズムだけではないのか。

f:id:Monomane:20210329193907j:plain
アニメでもゲームでも開始二秒でこう断言される。ホモサピの手前勝手さにあふれているが、まあコロコロコミックの玩具バトルまんがみたいな世界観だと了解すればよい。

 


 そして、ウマは?


 トウィンクルシリーズへの挑戦はウマ娘たちにとっても"たった一度"のイベントであり、トレーナーと過ごす三年間もそうだ。だが、トレーナーたる我々はその"たった一度"を無限に繰り返す罰を課されている。なんの罰か。わかるだろう。わかるはずだ。おまえには。


 ヘロドトスに言う。

 英雄ヘラクレスが失踪した愛馬を探していたときのこと。

 馬を捜索するうち、ヒュライアという土地で半人半蛇の女と出会った。

 蛇女は「馬は自分の許にいる」と告げ、馬を返す代わりに自分と交われと要求した。

 ヘラクレスは応じたが、契ったのちも蛇女は言を左右にしてなかなか馬を渡さない。

 しばらくのち、蛇女が突然ヘラクレスに馬を返却してきた。と同時に、自分が妊娠したこと*19を報せ、生まれてくる子どもたちを自分の国に住まわせるか、ヘラクレスのもとに送るかを問うた。

 ヘラクレスは蛇女にこういった。

「そなたは子供らが成人したならば、私がこれからいうようにすれば間違いなかろう。子供らのうち、この弓をこのようにと仕草を示し引き絞り、またこの帯をこのように締める者があったならば、その子をこの国に住まわせよ。しかしながら私の命ずるこれらの業を仕損じた子は、この国から追放してしまえ。」*20

 蛇女からは三人の子が生まれたが、ヘラクレスの言いつけた試練を合格できたのは末っ子のスキュテスのみだった。騎馬民族として名高いスキュタイ人はその末裔だという。

 わたしたちトレーナーは、薄情なヘラクレスのほうの末裔だ。

f:id:Monomane:20210329192239p:plain


 Do you know you’re all my very best friends?

    『My Little Pony: Friendship is Magic』主題歌



 いつの頃からか、ダイジョーブ博士ダイジョーブ博士ではない)が姿を現さなくなった。

 なぜだろうか。この世の構造を知って、彼女を必要としなくなったからだろうか。

 この世には二種類のウマしかない。名バと、そうでないウマだ。

 名バとは、対人レースに出せる強いウマ。それと、優秀な因子を有したウマ。

 その二者だけが本物のウマ娘として学園のロビーに受肉できる。それら以外は、ただの肉(ポイント)に換えられる。

 200名の収容人数を誇るにもかかわらず、常にガランと寂しいウマ娘の殿堂に、某名調教師のあのことばが響く。「馬は走るために生まれてきた。鍛えて強くせねば肉にされてしまう」。
 戸山師の厩舎がそうであったように、最初我々の元に来るのも”血統”的に貧相なウマだ。青1因子とフレンド青2因子の仔。もしセリという概念が『ウマ娘』にあったら*21、ロクな値がつかないだろう。

 そんなウマを鍛える。徹底的に鍛える。大食いイベントでは「太り気味」のリスクを意識しつつも常に体力が30回復するほうの選択肢を選び、故障率30%はむしろの分のいい賭けだとうそぶきながらぶっこむ。
 肉にしないために鍛えてに鍛えて、走らせて、また鍛えて。そうして。

 みごとな駄バができあがる。

 スピード因子1。

 先行因子1。

 あとは……なんだろう? 垂れウマ回避とか?

 使えないウマだ。

 有馬記念に、URAファイナルに勝った。

 だが、肉だ。

 温泉にも行って、最高のグッドエンドを迎えた。

 だが、肉だ。

 おまえは肉なんだよ、”グラスワンダー”。


f:id:Monomane:20210329194037j:plain
「一定の成績」を残せなかったら……残せなかったら、どうなるんですか。

 ほんとうにすまない。でも、おまえは”グラスワンダー”という名前で三年を過ごしただけで、本物のグラスワンダーにはなれなかった。なにがわるかったのかすらわからなくて、何が間違っていたのかといえばすべて間違いだったのかもしれないけれど、この判断だけは間違えることができない。許してほしい。



 努力や根性*22だけではどうにもならない領域がある。


 血だ。


 人類が5000年かけて改造してきた家畜としての馬の歴史がここでプレイヤーにも牙を剥く。あの三大始祖の像は仰ぎ見てありがたがるような御本尊ではない。敵だ。わたしたちが倒すべきは、終始ライバル面してるくせになんかぼんやり最後のレースにぴょっこり出てきて強いとも弱いともいえない微妙な走りを見せて去っていくハッピーミークではありえない。

 近代競馬400年の蹄跡こそ真の敵だ。

 その400年を凌駕する血の量を獲得しなければならない。大量の死体、大量の肉。

 聞くところによれば大塚英志は「ビデオゲームは死を描きえない」と断じたそうだが、むしろ逆だろう。ゲームは死しか描けない。そこいらじゅうにリストカットよりも手軽な死が充満している。

「死が私たちをどこで待っているかは定かではないのだから、私たちのほうが死をいたるところで待ち受けよう」とモンテーニュは呼びかけた。*23

 積極的かつ能動的な死の繰り返しによって世界を洗練させていくこと、肌触りと身体で真理の形をかたどること、それがローグライトの教義となる。

 必要なのは、リプレイの速さ。

「すべてのイベントをスキップする」にチェックし、テキスト送り最大速度でシナリオをすっとばし、ただ機械的な速度に身を委ねて三年を駆け抜けろ。個体で認識するな。星の数だけ数えろ。アブラハムのように。*24ライアン・テダーのように。*25

f:id:Monomane:20210329194319j:plain
「移籍」。どこへ?


 やりなおすたびにウマたちは前世の記憶を桜井裕章のごとく忘却していく。

 そうやって一回一回のゲームプレイをかぎりなく圧縮させていけば、どのウマも等しくのっぺらぼうにしてしまえば、どうだろう、忘れられるか、いや、無理だ。忘れたくない。忘れたくねーよ。

 シナリオは飛ばせる。だが、レースは観てしまう。なぜか。わからない。物語は走るだけで完成する。もうどこにもいかない。

 ヘミングウェイは「最高の競馬アニメが読みたかったら、アニメ版『ウマ娘』を観ろ」と提言した。違った。「最高の小説が読みたかったら、競馬新聞を読め」といったんだ。

 馬は喋らないからこそ、人間が過剰に思いを乗せる器にふさわしい。ウマ娘たちもまた語らない。

 わたしたちの思い出は、地獄は、レース結果の積み重ねとリザルト画面にある。

 ウマ娘たちのモデルになった競走馬たちに固有のドラマがあったように、わたしたちの”グラスワンダー”や”エルコンドルパサー”にもそのプレイ限りのドラマがある。30頭の”シンボリルドルフ”は、誰一人として同じ”シンボリルドルフ”ではない。
 
 それでも依然、ウマはウマで、肉は肉だ。

 この絶望に見覚えはないか。

f:id:Monomane:20210327180101p:plain
市川春子「虫と歌」より)



 替えのきかない物語を重ね、間引き、継いでいく。


 継がれていく血は選りすぐられた勝ちウマだけだ。だが、わたしたちは選ばれなかったウマたちも覚えている。

 生き残ったウマの血の中に、血統表の系統樹以上のウマたちがひしめいていることを知っている。

 憶えているがゆえに、わたしたちは日々削られていく。

 わたしたちにはチェンソーマン*26はいないし、リメイク版『サスペリア』のスージー・バニヨン*27もいない。すべて憶えている。記憶しつづけることで、何かを支払っている。あなたが『ウマ娘』をプレイすることに疲れているのは、ゲームのせいではあるがゲームのせいではない。

 シェイクスピアのリチャード三世は、最後の戦場で自らの王国と引き換えに一頭のウマを望んだ。*28

 キュロスの王は、あるトレーナーに彼のウマと王国を交換しないかと持ちかけた。*29

 本来ならそのくらいの対価が必要なのだ。

 寺山修司が「トウィンクルシリーズは人生のメタファーではない。人生がトウィンクルシリーズのメタファーなのだ」と言ったのは有名であるが、これは荘子の「万物は一頭のウマであると同時にウマではない」という万物斉ウマ説を踏まえている。つまり、世界とはウマである。

 世界というマクロコスモスと等価に引き換えできるのは、自分というミクロコスモスだけだ。

 全部ギブしろ。

 全身全霊で自分のウマに賭けろ。

 2500メートルはそのまま最高の小説だ。

 レースはすべて観ろ。勝ちも負けもすべて聞け。

 償え。


 そして、第四コーナーだ。大歓声です。中山の直線は短いぞ。澄み切った師走の空気を切り裂いて、最後の力競べが始まります。

 ハッピーミークがまだ先頭。ハッピーミークがまだ先頭。テイエムは今日は来ないのか。外の方からトウカイテイオーも来ている。ビワハヤヒデトウカイテイオー。ダービーバの意地を見せるか。それともグランプリ史上にスピード全振りの栄冠を刻むか、サクラバクシンオー。しかしアグネス、アグネス。いや、外からぐーんと飛んできた。物凄い脚、物凄い脚だ。来たぞ来た来た来たぞ、シンボリルドルフがやって来た。こっからが強い、こっからが強い! キングは追いつくか。ライアン、マックイーンはまだ後方。そして内からエアグルーヴがバ群を食いちぎっていく。グラスワンダーもちぎっていくか。そして、大外から、大外からゴールドシップ。今年もまた大波乱。その荒波の向こうにはスペシャルウィークエルコンドルパサータイキシャトルハルウララナイスネイチャサクラバクシンオーマヤノトップガンウオッカダイワスカーレットスーパークリークマルゼンスキーミホノブルボンウイニングチケットライスシャワーサイレンススズカ。みんないます、みんな走っています。あなたは憶えています。そうだ。見えないのか。感じないのか。伝説はここにある。風は吹いている。有馬記念、冬の中山、雪、重バ場、あなたの夢、わたしの夢、懐かしい未来、そして永遠、すべての美しい君の愛バが。


 あの坂を越えて、やってくる。


 おまえだけが、やってくる。





f:id:Monomane:20210329200500j:plain
浅田次郎『競馬どんぶり』より。『競馬どんぶり』には今日からソシャゲにも適用できる金言がいっぱい詰まっているのでみんな読もう))

なんか女神像すげえくれるらしい。

*1:効果:「レース中盤にすぐ前のウマ娘をわずかに戸惑わせる<中距離>」。ナイスネイチャだけでなくスイープトウショウでも取得可能

*2:カルヴィーノ『見えない都市』米川良夫訳

*3:注意:これはゲームの攻略記事でもなければ、分析記事でも、ウマ娘と社会を絡めて何か世相を語っているふうな記事でもない。一切、あなたのためにならない。世の中には吐き出さなければどうにもならないことがあり、このブログの他の記事同様、これもまたそのように排泄されたものだ。

*4:そもそも出られるようになるだけでも大変なのだが

*5:ここではデジタルベースのゲームくらいの意味にとってほしい

*6:これはうちのテーゼなので、あなたは信じても信じなくてもいい。なんとなれば、私も『The Return of the Obra Dinn』とか大好きだ

*7:グラント・タヴィナーは芸術の形式としてのビデオゲームをこう定義している。「Xは、以下のときにビデオゲーム作品である。それが視覚的なデジタル媒体を持った人工物であり、かつ娯楽の対象として意図されており、かつ、そのような娯楽が、以下のいずれかまたは両方の参加方式を使って提供されるように意図されているとき、ルールと目的を持ったゲームプレイ、インタラクティブなフィクション」:松永伸司『ビデオゲームの美学』

*8:厳密にいえば、『ウイニングポスト』では実在の名馬の足跡を追体験できる要素がある。

*9:7あたりで実在のプロ野球チームに入団できたことはあった

*10:この妥協に抗おうとしたのが『パワプロクンポケット』シリーズだということはできる。

*11:「”美少女”を”育成”する」という合せ技は『パワプロ』以前にも『プリンセスメーカー』(ガイナックス)が存在し、恋愛ゲームの『ときめきメモリアル』に引き継がれていった。アイマスとかもその系譜ということになるんじゃないかと思うんだけど、あんまり詳しくない分野なので深入りは避ける。rf. 多根清史『教養としてのゲーム史』

*12:前注に出てきたゲーム研究者の多根清史は『ダービースタリオン』の楽しさを「プレイヤーが馬主と生産者と調教師の三役を兼ねる」点にあると指摘したけれど、この見方に則れば、『ウマ娘』は「(ヒトとして対等な)パートナー」という役割を追加したといえる。

*13:くらべうま

*14:いわゆる、以仁王の乱

*15:参考:https://umas.club/stat-fatality”レース中に負ったけがによって予後不良の診断が下された馬が対象で、レース前後(発走前や入線後)に生じたけがによるものは含まれていません。予後不良であっても安楽死処置がとられないこともあります。”

*16:ちなみに騎手の死亡率はドイツで約17万5000人に1人。サッカーで死ぬ人は約10万人に1人で、水泳は5万6000人に1人なので、人間に関しては比較的安全なスポーツといえる。http://www.bandolier.org.uk/booth/Risk/sports.html

*17:イシノヒカル、おまえは走った!」より

*18:だからこそ、テイエムオペラオーの主戦騎手だった和田竜二などにもドラマが生まれる

*19:フロイトによれば、馬は(馬にかぎらずフロイトの手にかかれば何でもそうなるのだが)それ自体、性的なシンボルである。サイゲウマ娘のエロ同人を禁じたのは馬主からの反発を恐れたためではない。在るだけでセクシャルな象徴についてエロを描くなどとは、屋上屋を重ねるごとき不粋である。風流を知る企業であるサイゲはその恥辱に耐えられなかったのだろう。

*20:ヘロドトス『歴史』松平千秋訳

*21:種付け権に関しては、ある。フレンド機能で実行できる

*22:スペシャルウィークは根性トレーニングのときだけでなくスピードトレーニングのときも「根性です!」と叫ぶ。

*23:『エセー』宮下志朗・訳を一部改変

*24:”そして主は彼を外に連れ出して言われた、「天を仰いで、星を数えることができるなら、数えてみなさい」。また彼に言われた、「あなたの子孫はあのようになるでしょう」”『創世記』15:5

*25:「最近、どうもなんだか眠れない/僕たちの後悔を夢に見るようで/だけどね、ベイビー。一生懸命祈ってもいるんだ/金を数えるのをやめて、星を数えよう」One Republic「Counting Stars

*26:漫画『チェンソーマン』に出てくるチェンソーの悪魔が食べた悪魔は概念ごと抹殺される。

*27:ルカ・グァダニーノ監督版『サスペリア』では魔女として覚醒した主人公スージーは、ある辛い経験に苛まさてきた老人の記憶を消してあげる。

*28:ウィリアム・シェイクスピア『リチャード三世』

*29:クセノポン『キュロスの教育』

コミックDAYSで読める2021年上半期追加分の新人賞作品20選

$
0
0



ひいきは小学館スピリッツ読ませてBABY
MONSTERの最終巻 謎解きまかせてBABY*1


 ――相対性理論小学館



f:id:Monomane:20210628152948p:plain

【もくじ】


【校歌斉唱】

 はてなブックマークを信じるな。
 おもしろいマンガは自分で読んで決めろ。
 ぜんぶ読んで決めろ。
 ジャンプラに載ってるまんがに対して「アフタヌーンぽいね(笑)」としか言わねえやつの評価なんか信じなくていいよ。
 たまにはおれもそれいっちゃうけれど。たまにだけとおもう。けっこうよくいってるんじゃないかな。まあちょっとは覚悟しておけ。
 嗚呼、われらコミックDAYSにある新人賞作・読み切りまんがぜんぶ読め高校。
 ラララ ララララ ラララ ララララ

【背景】

講談社の出しているまんがアプリ・ウェブサイト「コミックDAYS」では講談社系列の雑誌から出されている新人賞系読み切り作品がほぼすべて読める。
comic-days.com

・期間は受賞したタイミングからズレ(2018年に出た賞の作品が2021年の日付で追加されていたり)があったりで不明瞭だが、だいたい2018年ごろの作品から収録されている。
・つまり、あくまで「2021年内の半年間にコミックDAYSに登録された作品」であって、「2021年に受賞した作品」ではかならずしもないのにご留意ください。
・本記事で扱うのはコミックDAYSで2021年1月〜6月付けで登録されているもの。
・DAYSのやりかたはよくわかんなくて、本記事公開以後にも対象期間内の公開作品が増えるかもしれない*2
・2021.01〜06以前/以降のものについては後日やるかもしれんし、やらんかもしれん。
・現時点での対象作品数は97。
・個人的に好みは、あんまし端正でなくとも、なんかガリッとした力強い作品。
・そのときどきの気分で選んでいるので、ここで書いてないものについてもおもしろい作品はいくらもあります。っていうか、新人賞ってある程度高いハードル抜けてるんだからだいたい一定以上おもしろいんですよ。みんなも全部読んできみだけのフェイバリットを決めましょう。
・筆者だけだとなにかとぽんにゃりしがちなので、いくつかの作品については、まんがにくわしいことで知られる村長をゲストにお呼びしてするどいコメントをいだたきました。多様性の導入。Q.村長ってなんの村長なんですか。A.おれたちの村のだよ。

【これが村長だ】

<「いまいちばんおもしろい週刊少年漫画誌は『サンデー』


・村長はまんがとホラーと怪奇小説と競馬にくわしく、任意のまんがを読ませると秀抜なコメントをくれます。

【私的二十選】

「リスおねえちゃん」ナカハラエイジ(アフタヌーン四季賞2020年夏・四季賞

comic-days.com
・いじめられっこの主人公の少年の前に三年前に死んだ姉がリスの姿で現れる。おせっかいで心配性なリスおねえちゃんはなんとか主人公を助けようとするが……というお話。
・いじめもの+姉が別のなにかに変異するというよくあるパターンの組み合わせながらも、線の繊細な力強さとキャラ造形で圧倒的に勝っている。
・なんかこういうザリッとした個性が好きなんやよね。大好き。
・リスかわいいし。
・そうなんですよね、ふつうは死んだ姉が幽霊になって戻ってくる、とかだと思うんですが。そこであえてリスをチョイスするクソ度胸。教室内で帰ってきたドラえもんやるにはたしかにこのサイズ感がよいのかも。
・姉=しっぽ=ライナスの安心毛布的な逃避先を手放すことで成長を遂げるというモチーフ。ところどころやや強引さかもだけれど全体的にはうまくはまっている。
・「鼻を噛む」というアクションが姉弟で重なっているのもエモい。
・いじめっこのほうもよく見れば、ちょくちょくビビり入りながらいじめやってるのもいいですね。ちゃんと主人公程度のへたれでも勝てることが示唆されている。
・筆箱からリスが出てくるシーンが妙に性的。
・第七十五回(2019年)ちばてつや*3準優秀新人賞作品「ぼくらがまちでくらすには」もマガジンのウェブから読める。少女とその誘拐犯の話。この底のないさびしさに惹かれてしまうのか。
f:id:Monomane:20210628152807p:plain:smallなるほどね

「いろはちゃんはキモい」奥灘幾多(第78回ちばてつや賞一般部門奨励賞受賞作品)

comic-days.com

・百合。かつては憧れだった年上の幼馴染いろはちゃんがひきこもってキモいひとになってしまった。大学生のかなは、いろはちゃんが社会復帰できるように色々と手助けする。
・最大の特徴はコマの外の内枠がノート用紙みたいになっていて、そこにかなのナレーションが日記調で綴られていること。単にメタ演出というだけでなくラストの展開にも絡んでくるのがニクい。
・いろはちゃんはかなが助けてくれるけれど、かなのことは誰も助けてくれないという非対称な関係。かなはどんどん歪んでいくのだけれど、本質的にはいいヒトなのでいろはちゃんを突き放すことも不幸にすることもできない。そういう地獄ってあるんだな。
・いろはちゃんがちゃんとキモいのがよい。
・ラストの「これからもいろはちゃんとは関わっていくんだろうなと思いました」という一文もすごい。「関わっていくんだろうな」ですよ。
・作者はヒトトセシキの名義で2020春の四季賞で佳作。「童卒20分」twitterでもイラストや過去作を掲載している
2019年にも「好きな人がいた」でモーニングゼロ2019年1月期奨励賞。たった数年でメキメキまんががうまくなっていった様子が伺える。大学を出た*4ばかりらしく、今後の伸びも期待される。

「タコトカラス」松冨まこと(アフタヌーン四季賞2020夏・幸村誠特別賞)

comic-days.com

・行きずりのセックスと成り行きで頭がタコの女と同棲することになったキャバのボーイが、タコ女の前の男であるホタテ男との痴話喧嘩に巻き込まれるコメディ。
2020年代にこんな80s感あふれるキュートな(高橋葉介直系?)絵を新人賞で拝めるとはおもわなかった。そして、ノリもいい意味で古い。
・けっこう好き勝手展開しているようで細かい伏線の張り方やまとめかたはかなりコンストラクティブ。
・さんざん魚介類で愁嘆場を繰り広げたあとに「魚介類の話聞いてたら寿司食いたくなっちゃった」はしびれる。タコが「私も行く!」って言ってるのも。
・最初主人公の幻覚をにわすようなところから始めておいて、やっぱり他のヒトにとっても魚介でしたとスライドしていくのは巧みというかディジーというか。
・あおりも「タコだけに八方丸くおさまりました!」ではないんですが。八方丸くおさまりました! では。
・2021年の『アフタヌーン』4月号(とモアイ)に新作読み切り「ポチとボク」掲載。こちらもアニマルでアブノーマルな性癖をテコにした恋愛コメディ。
f:id:Monomane:20210628152807p:plain:smallこれたしかに高橋葉介なんだけど……これは高橋葉介なんだけど……むずかしいのはやっぱシモに寄りすぎているせいですかね。(むずかしいっていうのは?)高橋葉介にならない理由は。」「期待する才能ではあるんだけど。このままでは性欲が強すぎる

「背に負はば月影の重き」久保田かど(アフタヌーン四季賞2018年夏・四季大賞)

comic-days.com

・大学お笑い研究会で一つ抜けた実力を誇る漫才コンビ「安倍・大貫」。圧倒的なカリスマ性とセンスを持つ安倍に対し、研究会の後輩でもある大貫は引け目を感じていた。所詮大学生レベルのお笑いではプロで食ってはいけない、と大貫は安倍に黙って就活をはじめる。青春ドラマ。
・四季大賞にはどれも”格”がある。これもそのひとつ。
・いわゆるワナビものは新人賞作品ではポピュラーな題材なのだが、「お笑い」しかも大学のお笑い研究会という舞台選びのものめずらしさ。その上で、自分のすぐ隣にいる破格の才能、プロとアマのあいだでちゅうぶらりんな自分、「社会」や「世間」「他人」に対する距離といったモラトリアム期の鬱屈を見事な質感で描いている。
・主人公の自分の人生への決着(ヒトひとりの人生でいえば「区切り」のほうがふさわしいんだろうけれど、この時点ではこのヒトにとっては「決着」なんですよね)のつけかたがビターで、しかしフレッシュ。そこに至るまでの見せ方もすばらしい。
・そういえば、自分にとってあまりに巨大な依存先を手放すことで思春期から成長していく、というのセッティングは「リスおねえちゃん」と似ている。個人的にそういう話が好きなのかもしれない。ピクサーの『インサイド・ヘッド』とか好きだし。
・これも「タコトカラス」同様に幸村誠プッシュ作。好みが似てるんだろうか。いままで幸村先生の好みなんて意識したことなかったけれど。
・第二作は『good! アフタヌーン』2020年3月号掲載の「二度目の行列」。こちらはプロの世界、元大学お笑いサークル出身の若手芸人の描く。やっぱりコンビ解散もので「背に負はわば〜」の安倍側の話。そういう点では対になってるのかな。相方と別れを話し合う場面が完全に恋愛のそれなのがウケる。
twitterで別名義が「久保田之都」となっているのだけれど、『ジャンプ』の新人発掘企画「ストキン炎」*5のプリンス部門(高校生限定部門)で2009年に準プリンスになったヒトと同一人物か?
・ゲンロンが主催しているひらめきマンガスクールで2019年度の大賞を獲っている。「蔓延性フラットライナーズ」*6こちらもはやりマルチ商法という題材とゾンビ映画というモチーフを軸に「夢を達成できなかった自分とそれを値踏みする周囲」という状況が描かれている。ここまでくると作家性の域。
f:id:Monomane:20210628152807p:plain:smallこれは受賞時に読んだかな。たしかにうまい

「ひみつ倶楽部」赤鹿衣里(アフタヌーン四季賞2018夏・佳作)

comic-days.com

・百合。舞台は女子校。陰湿ないじめを受けていたミカだったが、転校生の真理子に気に入られたことで一転クラスの人気者に。真理子はミカに「ふたりでクラスメイトたちの秘密を集めて共有しよう」と持ちかけ、その秘密を巧みに利用することで彼女たちの地位はますます盤石になっていくものと思われたが……。
・また四季賞でごわすか!
・しょーがねーだろ、サブカルクソオタクベイビーなんだから。
・まじめに答えると、対象期間の登録作品の九割が四季賞ちばてつや賞・モーニング月例賞で構成されているからほんとに不可抗力。
・特にミステリ部分の展開がかなり強引だったり、人物の出し入れがややモタっているところはあるものの、そんなことがどうでもよくなるくらいにパワフル。
・暗黒百合で大事なのはパワー。一にパワー、二にパワー。レゼ篇のラストでパワーが言ったセリフも「パパパパパパパパワー」。
・ではパワーはなにでできているのか。キャラの狂いぷり。画の迫力。顔相撲の角力
f:id:Monomane:20210628152807p:plain:small『りぼん』とか『ちゃお』とかで連載したらおもしろいなって思いました

「熊送り」大森センター (アフタヌーン四季賞2020夏・四季大賞)

comic-days.com

・子どもに人間競馬をやらせる謎賭博が発展した街で、そのレースの競技者として生きる子どもたちの艱難辛苦と友情を描く。走れなくなったり、勝てない子どもは死にます。
・また四季賞でごわすか!(2) しかも2020年夏から三作目。
・文句なら幸村誠に言ってくれ。
・このままだと単なる四季賞作品紹介記事になってしまう。
・ところで「熊送り」はウマ娘です。
・人間競馬仕切っているヤクザのキャラがたいへんによい。顔はマスコット的でかわいいのに肩幅が広くてやたらゴツいという絶妙ないびつさ。悪意をもった悪役というよりはメフィストフェレス的と言うか、残酷な機械としての世を駆動させるパーツ的なポジションの酷薄さ、冷たさ。まどマギのきゅうべえみたいなものだと思えば、魔法少女ものであるともいえなくない。
f:id:Monomane:20210628152807p:plain:smallベスト、といったらこれじゃないですか?

「草木を駆ける素足」蔦森つむぎ(モーニング月例賞2021年1月期・佳作)

comic-days.com

・親戚の残した裏山に住んでいる姉にひさしぶりに会いにいったら山の神様と結婚してわけのわからない存在になっていた。
・また四季賞で……いや、モーニング月例賞だった。
・とにかくある場面の見開きがとてつもなくよい。人外描写として。
・姉まんがとしてはかなり典型的だが理想的でもある。
・姉という存在の不定さ、不可解さがそのまま「どんどんメタモルフォーゼしていく姉」という身体性に直結していて、そのビジュアルの不可思議が再帰的に姉という存在の不可解さについて内省させるという、まんが的な技巧。
・キャラデザもピッと、シュッとしてて、いいよね。
・作者には商売っ気皆無の twitterアカウントがあって、ツイート数も三個程度なのだが、そのファーストツイートがすばらしくよい。*7


「はじめてのおばけの飼い方・育て方」SUGINAMI(アフタヌーン四季賞2020春・佳作)

comic-days.com

・両親を亡くした少女が通販でお化けを買って育てようとする。
・かわいらしい表面にひたすらウィアードでビザールで居心地の悪い感覚がつらなっていく。オチはややむりやりつけてしまった印象。
・きみたちがジャンプラがアフタっぽい、ジャンプラがアフタっぽい、ってなんどもいうからへそをまげちゃったアフタがくらげバンチみたいになっちゃったじゃないか。反省しなさい。*8
作者のサイト管見するかぎりにおいては、「はじめてのおばけ〜」は作者的にはイレギュラーなテイストっぽい。かなり意識してこっち系の技法をラーニングしたのでしょうか。がんばりがすごい。
・2020年にも四季賞(夏)で「プラネタリウムの花嫁」が準入選。こちらははじおばに比べて画的にも話的にもストレート寄り。作者が制作背景・意図をブログで縷縷語っている点はめずらしい。このひとのブログは全体的におもしろいです。

「福音」佐藤丈裕(アフタヌーン四季賞2020春・準入選)

comic-days.com

・突然世界中の人間の魂が抜けたようになって、どこかへと去っていった。それと入れ替わるように変な生き物たちが跋扈するようになった。そんな世界で唯一正気でサバイブするアリカとミカの話。
・新人賞の人気ジャンル、ポストアポカリプスもの。
・クリーチャーと異質な世界の描写がべらぼうによい。
・緻密に描き込まれていた世界が文字通り「空白」になっていく演出はもうちょっと効果的な運びようがあったんじゃないのとはおもうが、それでもよい。
これは専門在籍時の作品だろうか。少女ふたりの関係を軸にクリーチャー的な怪異で回していく作風は共通している。
 

「みんなニンゲン」春琉渡璃(モーニング月例賞2020年11月期奨励賞)

comic-days.com

・自分に自信がなくつい周囲に合わせてしまい、そのせいで恋人ができないことに悩む男が占い師から紹介された幽霊のコンパニオンサービスで女の幽霊と契約。彼女と同居して楽しく過ごしはじめるが。
・「私が幽霊だからでしょ」「触れないから体関係の生々しい面倒事は起こらないし警戒もされない。現実世界のコミュニティとは無縁だから人間関係も気まずくなることはないし、好きな時に呼び出せて1時間経てば勝手に消えてくれる幽霊だからでしょ?」「人間(ヒト)は怖いもんね」
・インターネットの話ですか。わたしはインターネットの話はだいすきです。
・他人に対する距離感や怖れを見事に具現できている。対人恐怖症でインターネット大好きなら読むとよし。

「神さま、愛を救って下さい」菊屋あさひ(2020年12月期ヤングマガジン月間賞・入選)

comic-days.com

・恋人がヤバそうな新興宗教にハマってしまった。心配になった主人公の男は教団にさぐりを入れるが、そこで教祖に祭り上げられている少女と出会ってしまったことから運命と愛が狂い始める。
・オメラスものというジャンルがあるとおもう。誰か(たいていは無力で無垢な存在)を犠牲にすることで最大多数の最大幸福がなりたっているような世界を扱ったお話。『天気の子』とかね。
・これもそのバリエーションのひとつなんですけれど、そこで義憤と愛を発揮して少女を救おうとする主人公が結構独善的に描かれるというのがおもしろくて、隣でもがき苦しんでいる身近な人より遠くのシンボリカルな少女を優先しようとするヒロイズムの歪みが出てくる。いじわるであると同時に切実なお話。
・絵も好き。
作者の pixiv で過去作をいっぱい読める。サンデーうぇぶりにも掲載歴があるとか。コミティアにも精力的に出品している模様。
・村長からの評価はやや渋かった記憶。

「ボーイズ・ピー」たなまん(第84回ちばてつや賞ヤング部門・佳作)

comic-days.com

・モテない男子二人組がモテるために奮闘するもののいざ片方がモテだすと簡単に友情が崩壊してしまい、罪悪感はおぼえたモテたほうは贖罪のために一計を案じる。
・日本版『スーパーバッド』。『スーパーバッド』ほどカラッとはしてないけれど。
・ただひたすらかなしくなる。
・友情と恋愛は本来対立する概念ではないんだけれど、極まったホモソ内では択一にされてしまう。その視野狭窄に気づけないのもまたいやにねっとりしたリアリティがあります。
・「twitterで有名人にクソリプしまくってフォロワーをふやす『クソリプの鬼』」などをギャグっぽく入れていることからも作者がそうした視点をちゃんと相対化して、ギリギリのバランスで綱渡りしているのが伺える。
・こういうギリギリの作品が”おもしろ”くなってしまうとこあるな〜〜〜。
・作者はヤンマガでも2020年8月期で期待賞。カメントツや窓ハルカを輩出?したトキワ荘プロジェクト出身でもある。

「昼花火」野火けーたろ(第84回ちばてつや賞ヤング部門・期待賞)

comic-days.com

・乳首がめっちゃ伸びました、って話。
・出落ちの一発ギャグをロジカルに転がせてちゃんとテンション保てるのは貴重。
・全編(6ページとか特に)でかぎりなくしょーもないことに技巧を凝らしているのがよい。
・いいコメディというのは馬鹿らしさのなかにどこかかなしみを孕んでいる、と誰か有名なひとがいってましたね。だれだったかな。だれもいってなかったらわたしがいったってことにしておいてください。
・こちらもトキワ荘プロジェクト出身者。

いいんちょ」伊毛野めそ子(モーニング月例賞2021年3月期・奨励賞)

comic-days.com

・やたらハリキリまくっているものの誰にも相手にされてないクラス委員長。彼女は登校途中で母校を爆破しようとしているアブナいオッサンを目撃する。クラスメイトに危険を訴えるがびっくりするくらい相手にされない……そして思った。「こんな学校、爆破されればいいのよ」。
・最初テロリストを防ごうとしていた人間が闇落ちしてテロリストになる。
・「あいつの良さを知っているのはおれだけ」的なところから発して、「あなたはちゃんと世界に影響し関係しているんだよ」という話に終着したのはさりげなく快い。
メントスコーラの絵面のしょーもなさもすき。
・空回りしてる委員長キャラっていいですよね。
・いい……。
・いま、あなたが思い浮かべたキャラをわたしも思い浮かべています。
・これが、メンタリズムです。
Daysneoをはじめとした各種SNSや投稿サイトに痕跡を観測される。承認のテーマにめちゃ興味があるっぽい。

「ゆけ!日果さん」井戸畑机(第84回ちばてつや賞ヤング部門・準優秀新人賞)

comic-days.com

・ルーチン化した日々のタスクをこなすことに多大なリソースをついやしている日果(ニチカ)さん。ところが「外の世界を見てこい」と勝手に母親が南極の郵便業務に日果さんを送り出し、未知の南極行が始まる。
・いまさら特にいえることって、ある?
・あらゆる面で高度に完成されている。ちばてつや賞の選評では「メッセージ性が見えにくい」というあやがつけられたものの、あんまりそういうのが前面にですぎるのも違う気がするし。*9雰囲気に反して、さらりと読むことを許さないコンデンスさみたいなのはあるもしれません。
・絵の独特のやわらかさみたいな感触(絵柄とかではない。あんまり自分にはまんがを語ることばがなくて、むつかしいな)は無二で、そこらへんの質感が全編通してのあったかさにつながっている。で、そのあったかさが発揮される舞台が南極というのもマッチするミスマッチ感があってよい。
・作者は「ゆりかごのアルバム」で2018年にもヤングマガジン月例賞佳作。このころから世界ができている。
このひとの挙げてるベストまんがから由来を探れるかも。そうなんだよな。『りとる・けいおす』なんですよね。

「やすお」吉田博嗣(ヤングマガジン月間賞・入選)

comic-days.com

・もうみんな読んでいるだろうからいまさらあらすじを説明する必要もないとおもうのだが、いちおういっておくと、やたら暴力的な女のもとに(ロボット相手とか関係なしにもともと暴の気にみちみちている)お手伝いロボット”的な存在”、「やすお」が姉から届く。女は「やすお」をしばきあげながら教育していくのだが、なんだかうまくいかず……。
・ネットでめちゃめちゃバズってインタビューまでされた
・これもいまさら言うことない気がする。これとかヨメばよろし
・それはまあさておきつ。
・寓話としての風刺性みたいなところばっかりクローズアップされがちけれど、まんが運びの手際みたいなものもけっこう好きというか、基本的には多動的なハイテンションギャグの文法で描かれてところがよいとおもいます。
・広義のオメラスもの。ただ、オメラスものは設定の適用される範囲を広げれば広げるほど説明づけに無理が出てくるもので、そういう点で小さなコミュニティに絞った「神さま、愛を救ってください」などに比べると破綻した印象を与えてしまう。読者の興味の比重は寓話部分にあるだろうし、別にいいんじゃないかなっておもいます。
・さっきもいったけれど、表情やアクションの豊かさでガンガン押していく読みごこちがとにかく楽しい。それがラストの転調における居心地のわるさにつながってくるのもうまい。テンポでストーリーテリングできるひとは希少なのではなかろうか。
・逆に画面のうるささが話の飲み込みを阻害するところはあるので、一長一短か。個人的には三長一短くらいだとおもう。
・ラストのコマで顔の上半分映さないことはひっじょ〜にいじわるだな〜〜〜〜って。
・人間のマテリアルさ加減を描くのがうまいっていうか、他の作品読んでるとそもそも人間をマテリアルとして捉えている感がある。
スラップスティックギャグで見たいが、根がスラップスティックなのは他のジャンルとブレンドするくらいでちょうどよくなる気がする。
・次回作は8月公開だそうです。

「相思相殺」鷹野聖月(アフタヌーン四季賞2018夏・佳作)

comic-days.com

・最果ての国の皇帝、その命運が侵略戦争によっていままさに断たれようとしていた。敵側の王は背中に箱を背負っており、そのなかに「傾国」という女性が入ってた。いったい、どういう経緯でかれらは出会い、最果ての国を、そして世界を滅ぼすにいたったのか?
・タイトルがアニメ『バジリスク甲賀忍法帖〜』の第一話。
・ナラティブから何からなにもかも強引で盛り盛りで放埒でめちゃくちゃなんだけれど、あらゆる欠点を覆すほどに愛さずにいられない魅力がある。こういうマンガはたまに出てくるものですね。
・この作家はこの後も四季賞に入選しまくり、2020年秋にはついに「他向け花」で大賞を射止めた。「他向け花」は「相思相殺」時点で原石だったものをアフタヌーン方面に極限まで鍛え抜かいた完成の美といった趣でヒストリーをかんじさせる。『ヒストリエ』はもうちょっとゆっくりでもいいんですよ、アフタヌーン。他には2019年春準入選の「イエスタデイレイトショウ」など。すでにして明日の『アフタヌーン』を担う人材であることは疑いがない。
 

「貸した漫画返してください!」西村たまじ(2021年4月期ヤングマガジン月間賞・奨励賞)

comic-days.com

陰キャの大学生のゲイが勇気をふりしぼって好きな男に告白しようとするも、出てきてセリフは「好きです」ではなく「貸した漫画返してください!」だった。甘酸っぱくて爽やかな恋物語
・「月が綺麗ですね」式の言語的な奥ゆかしさがよいですね。このアイデア一発だけでも相当噛める。
心理的な距離を縮めるきっかけになる一言がやや安易すぎるきらいはある。まあ、相手側もうすうす勘付いてたから出たセリフかもしれない。
・最後まで告白できないけどなんか勝った感出しているのもよい。ウジウジ陰キャにとっては目的地への到達ではなく、日々の前進こそ勝利なのである。
・これもTwitterでそこそこバズってた模様。気づかなかった。
daysneoのページをつら読むかぎりではギャグ漫画志向なのかな。たしかにその方面で読んでみたいです。

「インスタントミュージック」伊藤拓登(第78回ちばてつや賞一般部門)

comic-days.com

・AI作曲ソフトが普及した時代。主人公・神田はDJ兼トラックメイカーとしてそこそこ成功をおさめていた。しかし彼はどこかもやもやした気持ちを抱えているようで……。
・良くも悪くも話は非常にわかりやすい。でも、静謐な中心で主人公を取り巻く世界がにぎやかで豊かとでもいうのかな。なんかそういうのがいい。
石野卓球が出てきてしゃべってるだけで超おもしろいみたいな。*10
・作者はdaysneoでも作品を公開していて、「無駄な才能」なんかは「インスタントミュージック」とわりと興味が近い。「できること」と「やりたいこと」が食い違ったときに発生する位置エネルギーで物語を駆動させる、みたいな。
・過去作はぎこちなさすぎるという意味で画が固いんだけれど、「インスタントミュージック」の固さはテイストとして機能していていい気がする。
f:id:Monomane:20210628152807p:plain:small絵とかコマ割りはクセがないんだけど、切り取りかたがおもしろいんだよな、このひとに関しては。他の作品を読んでみないとまだ評価が定まらないかな

「幽霊とゆーれい」春日井さゆり(アフタヌーン四季賞2019冬・佳作)

comic-days.com

・夫が引きこもりに陥る一方で、妻である主人公は弁当屋で働いて生活を支えていた。しかし、ストーカーめいたキモい若者につきまとわれるに至って日々のストレスが決壊。職場と夫の世話を放棄に「幽霊」になる。
・21世紀も1/5を過ぎようとしているころに、80年代90年代のはかないトレンディ感を琥珀のように封じ込めた才能が出てくるあたりも四季賞のおっとろしいところなのでありますよ。
・冒頭の弁当を作るシーンのメカニカルな画作りと運びはまさに、といったかんじ。
・作者はinstagram でナイスでしゃれたイラストを公開しておられます。グループ展とかにも出品してるし、美大出身っぽい。似顔絵でも活躍しているらしい。もっとまんがが読んでみたいところ。
f:id:Monomane:20210628152807p:plain:smallこのひとはいいですよ。『ニューウェーブ』とか言って売り出しておけば売れそうな予感はあります。圧倒的に絵作りが独特だから替えが効かないっていうか。実験的なコマ割りをしているんだけど、それを感じさせない読みやすさもあるし。ただ、完成されちゃいすぎてる」「西村ツチカ先生とおなじようなポジションになってくれたら


【その他気になったもの】

「完璧な庭」小野未練
・さすがに「姉がとつぜん怪異な存在に変身するもの」系を三つもリストに入れるのもどうかなと思ってしまい、選に漏れてしまった。
・ラストがよい

「チタンのナイフ」竜丸
・青春ドロドロ三角関係。キックのシーンがたいへんすてき。
・こういう系の作家ってあとから変化していくものだし、作品自体もいろいろ試行錯誤してますって感じが出ていて、今後が楽しみ。

「いつか帰郷をくちずさんで」佐武原
・題材選びのニッチさと興味深さの絶妙なバランス、説得力のある細部。世界を作れる作家ってかんじ。
・めちゃくちゃバズった「宗教的プログラムの構造と解釈」にもいえるんですが、尺に対してややトゥーマッチな印象。
・とはいえ、まあそこは「セリフが多いSFまんがは苦手」という個人的な好き嫌いのせいではある。
・アフタエリートの四季大賞クラス作家を躊躇なくひっぱってくるのが今のジャンプラの暴力性。

「聖女失格」ふわとろおふとん
・ギャグのテンポがよい作品は貴重。

「こころよるやま」景山五月
・パラノーマルおねショタ。おねショタ?
・主人公の抱える鬱屈の落とし所として厳しくて優しい、みたいなバランスは好印象。どっちかに振ってしまうのは雰囲気に合わないとおもうので。
・調べたら2019年度のゲンロンまんが学校の受講生で、本作は同講座の大賞*11の最終選考に残った作品。同年の大賞が上に挙げた久保田かど。
f:id:Monomane:20210628152807p:plain:smallいいですね。ショタのほうはどうかわからないけれど、おねのほうを描きたいというのは伝わってくる。それを描ききっているので、よいと思います」「根本的にショタの悩みを解決しきらないところもいいですね」「解決させて話を終えたくなる誘惑ってあるじゃないですか。そこを解決しきらないまま終えられるのは才能

「隣のじゃま子」狙井
・年の差×恋のライバル関係から発展していくガール(ズ)フッド。
・なにかもがちょうどよい。
・Kiss WAVE という『KISS』主催の新人賞から。いわれてみれば、コマの構成が『KISS』っぽい。

「種を踏む者」前野温泉
・文化相対主義という異星ものにありがちな視点をうまくショッキングに料理している。
f:id:Monomane:20210628152807p:plain:small話としては好きだけど、デザインが既視感しかないので……(異文化SFの)おもしろさに欠ける。異文化接触ものだったら見たことも聞いたことない絵が見たい。その点で説得力が弱い。

「変貌」光紡麦
f:id:Monomane:20210628152807p:plain:small非常に好きな話ではある。感性も合うんだけど、ただ、この路線はもうみんなやってるからやらないほうがいいぞって思います」「いじめてくるおばさんがいいですね」「通しで読んだときに一番印象に残るのはメタ表現ではなく、おばさんの顔ですね。平手打ちのときとかなかなか描けないいい顔をしている。おばさんがでてくるコマぜんぶおもしろい
・村コメにつけくわえることがない。

「コズミック・リリイ」吉高直
・冷たい方程式百合SFというジャンルをぶったてやがった

「御蚕様育成記録」光秀日量
・ずばぬけてユニークなのだけれど、あらゆる面で情報の量がツメツメすぎる。
・カイコガがかわいい。

「stairway to heaven」澤一慶
・たしかな画作りとテンポコントロール

「神風お兄さんといっしょ」うづきあお
・連載の一話目みたいで舌足らずだが、元気がとにかくいい。

「小さな愛と素敵な日々を」甘木あずき
・『デザート』の新人賞からひとつ選ぶとなると、これでしょうか。ルックが完成されている。

「オオアタリ」オニムシ
・虫捕り百合。徐晃よ、ひとはなぜ虫で百合をやりたがるのであろうな。


【書いてわかったこと】
・めちゃめちゃ疲れるんで、今度やるとしたら挙げる数減らします。
・村長にまんがを読ませてコメントを引き出すのはおもしろいし勉強になるので今後もやりたい。


*1:『MONSTER』の最終巻ってそんな謎解き要素あったっけ?

*2:おおむね、雑誌の発売日に合わせている?

*3:同期の受賞者に『この愛を終わらせてくれないか』の筒井いつきや『KING BOTTOM』の樋野貴浩など。大賞は今月新潮社から初単行本『泥濘の食卓』が出た伊奈子

*4:京都芸術大学マンガ学科の公式サイトより。https://www.kyoto-art.ac.jp/production/?p=110600

*5:『忍者と極道』の近藤信輔や『恋するワンピース』の伊原大貴など、今となってはクセの強すぎる人気作家を輩出したことで知られる

*6:現在最終実作課題進行中の2020年度もひきつづき受講している模様

*7:開設が2020年10月なので、受賞が決まってから以前のツイートを消した可能性もある。そもそも別垢をもっている可能性が大いにあるのだが、ここではあまり深くほりさげない。

*8:作者のブログに寄るとある出版社から「この作品で商業は厳しい」と指摘されたそうで、まあ、マイナーっぽさという点でわからなくはない。

*9:絵の抑揚で語れみたいな話ならわからんくもない

*10:女性ミュージシャンのほうも元ネタいるんだろうか。音楽には詳しくないので

*11:SFのやつなどと同様、スクールの名前を冠する最終実作課題が出される。

Viewing all 264 articles
Browse latest View live