『人生の段階』(Levels of Life、ジュリアン・バーンズ、土屋政雄・訳、著2013→訳2017)
- 作者:ジュリアンバーンズ,Julian Barnes,土屋政雄
- 出版社/メーカー:新潮社
- 発売日: 2017/03/30
- メディア:単行本
- この商品を含むブログ (1件) を見る
小説なのかノンフィクションなのか判別がつかない。*1奇妙な書物である。『イングランド・イングランド』や『フロベールの鸚鵡』を書いたジュリアン・バーンズを「奇妙」と評すほど無意味なことはないけれど、そんなバーンズ作品でもとりわけ異色であることには間違いない。
本書は二つの国と三つのチャプターから成る。
第一章「高さの罪」では、十九世紀の気球ブームにまつわるエピソードが気球乗りにして写真家のナダールことフェリックス・トゥルナションを中心に記述される。
章題が指すのはイカロスの寓話だ。神に近づくことを夢見た人間イカロスは、その傲慢さを咎められて飛行中に偽の翼を焼かれ墜死する。爾来、ヨーロッパ人は飛行を禁忌としてきたわけだが、気球の登場がその「罪」を克服し、人類を新時代の冒険へと誘った。同じく近代を象徴するツールであるカメラを携えたナダールはその象徴というわけだ。
第二章「地表で」では、第一章でもそれぞれ気球乗りとして言及された英国人冒険家フレッド・バーナビーとフランス人女優サラ・ベルナールの恋物語が綴られる。
どちらも実在の人物だ。バーナビーはヴィクトリア朝を代表する冒険家で、伊藤計劃の遺作『屍者の帝国』(で円城塔が引き継いだパート)では豪放磊落な人物として描かれているが、本作ではむしろ繊細な青年といった印象。ベルナールはベル・エポックを代表する女優で、ユゴーやオスカー・ワイルドとも交流を持ち同時代の文化に大きく貢献した。
ベルナールは恋多き人物として知られているが、バーナビーと付き合っていたという史料はおそらく存在しない。第一章とは打って変わって、この章はバーンズの創作だ。
だから、冒頭に宣言される「これまで組み合わせたことのないものを、二つ、組み合わせてみる」は第一章とまったく同じだけれど、続くセンテンスが違う。「うまくいくこともあれば、そうでないこともある。」
続く文章は気球の技術についてのもので、つまりバーンズは愛とその行く末を気球になぞらえている。
実際に、地に這いつくばる人間がときに神々の高みに達することがある。ある者は芸術で、ある者は宗教で、だがほとんどは愛の力で飛ぶ。もちろん、飛ぶことには墜落がつきものだ。軟着陸はまず不可能で、脚を砕くほどの力で地面に転がされたり、どこか外国の鉄道線路に突き落とされたりする。すべての恋愛は潜在的に悲しみの物語だ。(p.46)
悲しみの物語であるところの恋愛はそのまま第二章のベルナールとバーナビーの顛末を暗示すると同時に、第三章のバーンズ自身の物語を予告する。
第三章「深さの喪失」では、妻を病気で失ったバーンズの彷徨が描かれる。人生の半分を共に過ごした伴侶を亡くした老小説家は、世界に対する関心をなくし、友人や知人たちの言葉や態度に反発し、妻を想起させるあらゆる出来事に涙し、やがては希死念慮を抱くようになる。
妻の死は彼の趣味すら変える。以前は興味を抱けなかったオペラがきゅうに理解できるようになる。彼は『オルフェオとエウリディーチェ』を観劇しにでかける。イカロスと同じくギリシャ神話に材を取ったオペラで、オルフェウスという男が喪った妻を取り戻しに冥界まで降り、妻の手を引いて現世へ戻ろうとするも、「冥界から脱出するときは決して振り返っていけない」という禁忌を破って妻のほうを振り向いてしまったために再度妻を失ってしまう話。
最初、バーンズはオルフェウスをバカげた愚か者と考える。絶対ダメと念を押されたはずのルールをなぜ破ってしまうのか。結果がわかりきっているのに、なぜ、と。しかし『オルフェオ』を観たバーンズは一転してオルフェウスに共感する。
どうして見ずにいられよう。「正気の人間」なら決してしなくても、オルフェオは愛と悲しみと希望で正気をなくした男だ。ほんの一瞥のために世界を失うようなことをするか。もちろん、する。世界は、こういう状況で失われるためにある。(p.115)
墜落するとわかっていてもやめられない。その物語が今のバーンズには納得できる。
ギリシャ神話、写真、オペラ、愛のメタファーとしての気球、バーナビーとベルナール、イギリスとフランス……反復はパターンを構成する。そしてパターンによって人生は物語化される。バーンズは言う。「たぶん、悲しみはすべてのパターンを打ち壊すだけでなく、パターンが存在するという信念を破壊する。だが、私たちはその信念なしには生きていけないと思う」
壊れてしまったパターンを直すために断片的な事柄から要素を見出し拾いあつめること。それこそが作家としてのバーンスが行わずにはいられなかった自己セラピー、作中のことばを借りるなら「グリーフ・ワーク」だ。それはそのまま小説を書く作業でもある。本を読み、文豪たちの名言を引き、気球や写真について調べ、ひとつの組織された虚構を著述する。
その結果として、本書が生まれ、ジュリアン・バーンズはなお生きている。
(2064文字)