『陽気なお葬式』リュドミラ・ウリツカヤ(奈倉有里・訳、新潮クレスト・ブックス、2016年2月25日)
ここにいる、ロシアに生まれた人々は、生まれ持った才能も受けた教育も、あるいは単に人間としての素養も、何もかも違ったが、ひとつ共通点があった――みんな、なんらかの事情でロシアを出てきた人々だ。ほとんどは合法的に出国していたが、なかにはもう国に戻れない者もいるし、いちばん無茶な者は不法に国境線を越えてきていた。けれども国を出てきたのだという共通項が、彼らを繋いでいた。いくら考え方が違っても、亡命後の人生が違っても、亡命という一致はゆるぎなくひとつだ――それは越えた国境線であり、途切れた人生であり、また先端の切り落とされた古き根を、成分も香りも異なる新しい土地に貼り直すことである。
p.117
老画家が死にかけている。1991年、夏、ニューヨーク。彼の容態を聞きつけて、かつての恋人や愛人を含む友人たちがアパートの一室に集う。ロシア正教に帰依している妻は、天に召される前になんとか不信心な夫を改宗させたいと考える。それを夫に伝える。夫は妻の要求を呑むが、正教の司祭といっしょにユダヤ教のラビも呼びたいという。彼は亡命ロシア人でもあり、ユダヤ人でもあるから。「別の可能性を検討させてもらう権利だってあるだろう……」。
こうして物語の登場人物は増えていき、現れるごとにその人の来歴が語られる。
イリーナは老画家の元恋人で、サーカス一家に生まれた。彼女はサーカスを脱け出すと、ユダヤ教徒を夫に迎えて二年ほど信仰篤く生きたのち、ここからも脱け出して弁護士になる。彼女は老画家に対して妙な未練を抱いている。悪徳画廊に騙されて困窮している夫婦を陰ながら援助したりもするけれど、無邪気な画家夫婦はそんなこととはつゆ知らず、放埒な生活に明け暮れる。彼女はほのかな嫉妬を燃やす。
そのイリーナの元夫を介して招かれたラビは、イスラエル建国翌日に生まれてからというもの人生の大半をイスラエルで過ごしてきた生粋のユダヤ人。大学でユダヤ学の講座を受けもつために訪米して、まだ三月だ。ユダヤ教を教えられずに育ったユダヤ人たちが「本物のユダヤ人」たちより多くなった現状を半ば嘆きつつ、「私は生まれたときからユダヤ人だった」と枕元で言う彼に、老画家は「こいつも選択しないで生きてきたのか。なぜ俺には山のような選択肢が与えられてきたんだろう」と考える。
実はラビにも選択の機会がないではなかった。彼は若い頃に西洋哲学を学ぶためにドイツへ留学し、のちに宗教へ回帰した人物だった。ニーチェ、マルクス、ショーペンハウアー、夜の乏しきドイツ哲学は無神論の本場だ。彼はドイツを通過してイスラエルへと帰還し、彼より一世紀前に生まれた哲学者の裔たちはロシアで神なき国を興した。
あまねく人生は選択の連続であって、その小さな選択の集積が歴史になる。生き死にはどうにもならない事柄だけれども、それでも「どう」生まれたり死んだりするかに関しては各々の裁量に委ねられるところも多い。亡命や逃走や脱出といった行動もまた選択肢のひとつであり、そして言ってみれば、アメリカやニューヨークとは亡命者たちの国だ*1。選択したものたちによる、可能性の国。
そんな人たちの人生が、老画家の死を中心にして十数人ぶん、ウリツカヤ一流のやわらかなタッチでスケッチされていく。
(1050文字)
- 作者:リュドミラ・ウリツカヤ,奈倉有里
- 出版社/メーカー:新潮社
- 発売日: 2016/02/26
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*1:まあもちろん、自らの選択によらず連れこられた人々も多いわけだけれど、それはあんまりロシア的な視点ではないんだろう