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の続き。今回は映画版・山田尚子編です。ちなみに今回は『聲の形』に関してのインタビューのみを扱います。
ちなみに監督を含めた俳優・スタッフのインタビューやメディア露出は映画公式サイトにまとめられています。ありがてえありがてえ。
原作・大今良時と監督・山田尚子の態度のちがい
『聲の形』の映画化するにあたって、作品テーマであるとかキャラの造形であるとか、基本的な方針は大今と製作スタッフの間で共有されています。
この二人に決定的な違いがあるとすれば、世界に対する肯定感の差なのだと思われます。
それを念頭おいて、とりあえず『聲の形』に関する山田尚子監督の証言を探っていきましょう。
テーマ・コンセプト
原作者大今良時は『聲の形』が「『いじめ』や『聴覚障害』を主題にしたつもりはなくて、『人と人とが互いに気持ちを伝えることの難しさ』や『コミュニケーション』を描こうとした作品」である、と主張しています。映画版監督である山田尚子のスタンスも、このテーゼにおおむね沿っています。
「障害、いじめ、手話といったものが出てくるが、軸は『わかり合いたい』という普遍的な思い」と山田。
山田監督「いじめや障害を描いている作品ではあるんですが、実際にこの作品に触れてみると、そのことだけがすべてではなくて、もっとその根っこにある、相手を知りたい思いとか、わからないものに対して手を伸ばしてみるような、すごく不器用だけれども人を知ろうとする、つながろうとする心が大切に描かれている作品だなと思いました。それで、とてもやってみたい題材だなと感じました。
「表面的なイメージだとこの作品って「聴覚障害へのいじめ」とかシリアスで重たいものを扱っているものだと思うかもしれない。……(中略)撮り方によってはいじめにフィーチャーしたハードな作品にできるかもしれないけど、そうしたくないというか。今回は精神的な作用がある作品だと思うので、色とか音とかで不快な精神作用を起こすものをなるべく排除しています。二時間のあいだじゅう、きれいで美しい――それを大事にしているかなと。『クイック・ジャパン Vol.127』
「いじめ」や「聴覚障害」についての態度、およびテーマとしての「わかり合うこと」「コミュニケーション」における両者の一致はおそらく脚本段階から、スタッフと大今良時が密にセッションを重ねていたことですり合わせられたものと思います。*1
映画化の企画が立ち上がった段階では、まだ監督は決まっておらず、山田尚子は監督を依頼されて初めて原作に目を通したといいます。そうしたフラットな地点からスタートして、脚本家の吉田玲子や原作者の大今と熱心に打ち合わせを重ねていきました。
「原作者の大今(良時)先生もたくさん話し合いに参加して教えてくださったので、より純度の高いものに仕上げるための取捨選択をしていくことができました。大今先生ご自身、作品に思い入れがあるので、お話いただける情報の量もすごいんですよ。その情報の海の中から、どこを拾っていくのが正解なんだろう、というところでかなり熟考しました」「映画『聲の形』」特集 山田尚子監督インタビュー “存在している”彼らを通して伝わるもの (1/4) - コミックナタリー Power Push
特に大今は、「毎回、打ち合わせに来る」ほど熱心に映画へコミットしていた様子が伺えます。
原作をアニメにするにあたって、山田監督は「脚本の吉田玲子さんとともに頑張りました。原作の大今良時さんも毎回打ち合わせに来てくださった」
— 牧眞司(shinji maki) (@ShindyMonkey) 2016年9月24日
『聲の形』に対してアツい想いを抱いている原作者・大今が同じくアツい人である山田尚子に、作品の方向性に関して直截的な影響を与えたことは否定できないでしょう。
主人公・石田将也
ただ、漫画をそのまま映画化することは不可能でしたし、映画監督・山田尚子の矜持にも反しました。七巻分の原作を二時間の映画に脚色するにあたり、山田は映画を「石田将也に寄り添った物語」にしようと志向します。
(漫画と)同じ文法で映画を作ってしまうと、ただの引き写しだし、ただのダイジェストになってしまう。そこに映像化の意味がなくなってしまうと思うので、私たちにお仕事をいただけたからには、ちゃんと1本の映像作品として石田将也に寄り添った物語を作る必要がありました。そのうえで表面的な表現方法が変わっているシーンもありますけど、たぶん芯に流れている解釈は変わっていなくて。「映画『聲の形』」特集 山田尚子監督インタビュー “存在している”彼らを通して伝わるもの (1/4) - コミックナタリー Power Push
前の記事でも紹介したように、原作でも石田は主人公であり、視点人物である彼の目撃していない情報が描かれることはあまりありませんでした。その形式を山田尚子はさらに突き詰めます。
サブキャラクターやサブストーリーを原作から徹底的に切り詰めることで、将也の物語に一切の焦点が絞られるように仕立てたのです。
その「将也の物語」とは何か。
高校生の将也は、小学生時代の自分が硝子にしてしまったことを罪だと思いこんでいる。確かに「何の罪もない」とは言い切れないかもしれないが、それ以上に彼が犯してしまった罪は「周りの世界を見なくなってしまったこと」だと言う。『月刊ニュータイプ 2016年10月号』
山田 何を削って何を残すかのバランスが難しくて、時間がかかってしまいました。でも、その中でも、最初に固めた芯はブレないように気をつけました。──芯というのは?
山田 やっぱり将也ですね。将也がちゃんと生きていくための産声を上げられることです。
──小学生の時の行為をすごく後悔したまま止まっている将也が、自分を認めて、もう一度生まれ変わる?
山田 そう。将也さえ、ちゃんと生まれることができたら、周りの人のこともどんどん見えてくると思っていたので。それが一番コアなところでした。
「将也の生まれなおし」、すなわち「周りの世界を見られるようになること」。それが映画『聲の形』固有のコンセプトです。そこを見誤ると、映画全体を読み間違ってしまう。
山田は「石田がどうすれば世界を愛せるようになるのか」「どうすれば観客に石田を愛してもらえるようんなるのか」に腐心します。
「聲の形」は“石田将也”という男の子が生まれるまでの作品という側面もあると思ったので、彼のことをちゃんと描いて、皆さんと石田将也にシンクロしていただきたいなと考えていたんです。
「映画『聲の形』」特集 山田尚子監督インタビュー “存在している”彼らを通して伝わるもの (1/4) - コミックナタリー Power Push
「いちばん大事にしたのは”石田将也”をきちんと描けるかどうかというところ。逆にいえば、将也が描けたら映画として成り立つだろうと思ったので、そこを失敗しないように気をつけました。……(中略)なので、将也という存在を揶揄するような描き方だけはしたくなかった。見ていただいて、将也をちょっとでも好きと思っていただけたらいいのかなと思っています」『月刊ニュータイプ 2016年10月号』
「将也の人となりに納得してほしいと思っていました。観てくださる方が、将也が反面教師になって、自分のことも嫌いになってしまったらイヤだなと。将也に寄り添うということを、すごく大事にしました」聲の形のニュース - 山田尚子監督、モットーは「セオリーを作らない」『聲の形』ヒロインは“天使じゃない” - 最新芸能ニュース一覧 - 楽天WOMAN
観客には、石田に寄り添ってもらいたい。
だから、自分も石田に寄り添って映画を作る。
山田の将也への感情移入はときに原作の枠を超えた域にまで達します。
Q.今回の作品には、いじめる側(がわ)、いじめられる側(がわ)が両方描かれているんですが、こういうテーマについてはどのように向き合われたのでしょうか。A.山田監督「今回に関して言えば、将也という男の子のセンセーショナルな出会い、この子が見たことないもの、感じたことのないものに対する興味っていうところが入り口だったので、そこに打算とかがあるようには描きたくなくて、すごく純粋で無垢(むく)なものだったのかなと思います。そうするしかなかった、というか。もっと触りたかったし、もっとしゃべりたかったし、「あなたに対して興味があるんです」ということを伝えたかっただけなんだろうなというふうに思いました。」
原作を読んだ人なら、小学生時代の将也は「もっと触りたかったし、もっとしゃべりたかったし、『あなたに対して興味があるんです』ということを伝えたかっただけなんだろうな」とはまず思わないでしょう。
彼は最初、転入してきた硝子を日々の退屈を晴らす道具としか見なしていなかった。将也によるいじめが本格化するシーンで彼は「これが西宮硝子の正しい使い方だ!」と言いますが、これは明らかに硝子をモノ扱いした見方です。
しかし、山田はそうした醜いさではなく、あくまで打算のない無垢で幼い人間性の発露を取る。
それはおそらく、山田がものごころのついていない時分の、狭い世界しか見ていない子どもたちに対して深いシンパシーを抱いているせいもあるでしょう。そして、原作『聲の形』に「そのつもりもなかったのに失敗、断絶してしまったコミュニケーションの物語」を見出したからでもあるのでしょう。
そのあたりの山田監督のオブセッションがよく出ているのが、文部科学省とのタイアップ企画でのインタビューです。ちょっと長いですが、山田尚子のエモさがストレートに伝わってくるいいインタビューなので略さず引用します。
山田監督「特に義務教育のときは世界が本当に狭くって、自分が見えているものしかなくて、だから隣にいる友達がいきなり敵になるっていうか、いきなりそっぽ向いたりすることもあるし、それが世の中の全てだと思ってるからすごく悩んじゃったりして、ふさぎ込んだりしたこともいっぱいありましたし、全然、引いた目で物事を見られなかった。
もちろん子供だからそうなんですけど、そういうときの気まずかった気持ちとか、悲しかったこととかが、この作品にはすごく描かれていて、そういう思いをしていたのは自分だけじゃなかったと救われたんですよね。
人に対して羨ましがったりとか、全然うまく伝えられなかったりとか、言い方が悪くて失敗しちゃったりとか。全部自分にとっての恥の部分で、これを持っていることが自分としては罪深いなと思っていることがあったので、原作ではそれを全部、すっと開けてきて。
周りのお母さんや、愛のある人たちもちゃんと描いていて、「あなたを無償で愛し続けますよ」って言う人のことまで描いていて。本人を求めてくる子たちもいて。
自分が当事者で、世界が狭かったときに、全然気づけなかったところもちゃんと描いていてくれていて、本当に救われた気がしたし、ちょっと人の目を見てしゃべれる勇気をもらえたというところがあるなと思いました。それで、それをちゃんと映画にして伝えていけることができたらなと思いました。「そこだけじゃないよ」って、みんな悩んでいるし、みんな不器用ながら、なんとかして生きていこうとしてるし、次の朝を向かえようとしてるし。少し視点を変えてみると、全然まだまだ良いことっていっぱいあって、愛してくれてる人もいて、っていうことがちゃんと伝えられればなと思いました。」
Q.「最後に、タイアップポスターなんですが、フキダシの中に言葉は入れていなくて、見たお子さんが、自分なら誰にどんな言葉を伝えようかなっていうことをイメージしてほしいという意図なんですが、山田監督でしたら、どのような相手をイメージして、どういったことを伝えてみたいですか。」A.山田監督「まさに今言ったようなことになりますが、上手くいかなかった友達とかに、「本当に好きなだけだったんです」、「もっと喋りたかっただけでした」、っていう感じでしょうか。「もっと喋りたい、あなたともっと喋りたいです」っていう感じです。」
「もっと喋りたい、あなたともっと喋りたいです」は、山田尚子の作家的な欲望がもっともよく反映されたフレーズであると思います。
ついでに「許す」という本来なら作品中で使われるべきワードを、監督が自分自身に向けているところも興味深い。
「この映画を作るときに、いろいろなことを考えたんですけど、一番の本音を言うと、"許されたい”と思ったんです。もう目もあてられないような失敗とか、人を傷つけたこととか、過去の過ちの呪縛から逃れられずに悩んでいる人が、そこから目をそらさずに後悔の先の未来を創るきっかけになれたら、嬉しいです」『エンタミクス 2016年10月号』
山田尚子が感じる将也の人間の臭さこそ、彼女が観客に愛してほしいと考えている部分なのかもしれません。私たちはかつて(おそらく、いまでも)みんな将也だったんだよ、と。まず、そこから目をそらさず、でも完全に否定しきらないところからはじめようよ、と。
山田 将也にとっては、硝子との出会いがとてもセンセーショナルだったのだと思います。将也のやったことは「すごく悪いことで汚いことだ」とだけ描いてしまうと希望も何も無くなってしまう。将也の感じた気持ちは多かれ少なかれ、誰にでもある感情のはずなので、それをすべて完全に否定したくはないなと思いました。「聲の形」山田尚子監督に聞く。気をつかったり同情したり、何なら可哀想だと思ったりするのは大間違いだ - エキレビ!(2/3)
西宮硝子について。
一方でヒロインの西宮硝子。
硝子をことさらに「聴覚障害」の面を扇情的に扱わず、一人の「女の子」として描きたい、という山田尚子の意志は一貫しています。
Q.今回の作品の中で、要素として障害というものが織り込まれている中で、どのような思いで作品に向き合われたのですか?」A.山田監督「人と人として向き合うために、必ず知っておかなければいけない相手の状況や状態があると思うんですけど、それに対して同情するということではなくて、その人個人をちゃんと尊重して、お互いが尊重できるというか、ただただ人と人が出会うだけの根っこの部分をちゃんと見ていければとは思います。
「原作者の大今先生から、“硝子は天使じゃないから”という言葉をいただいて。それが突破口になりました。硝子に対して変な気遣いはしたくないなと思い、普通の一人の女の子として冷静に見つめるようにしていました」聲の形のニュース - 山田尚子監督、モットーは「セオリーを作らない」『聲の形』ヒロインは“天使じゃない” - 最新芸能ニュース一覧 - 楽天WOMAN
山田 実は硝子に対しては、そんなに難しいキャラクターだと思った事はないんです。耳が聴こえないことは、硝子という人物の一つの個性であって。それに対して硝子は、試行錯誤しながらも一生懸命生きているんですよね。だから、そんな硝子を描く時、私たちが「そのことを触っちゃ駄目かな」と気をつかったり同情したり、何なら可哀想だと思ったりするのは大間違いだと思うんです。一人の女の子として、どういう風な目線で物事を考えるのかなと考えました。「聲の形」山田尚子監督に聞く。気をつかったり同情したり、何なら可哀想だと思ったりするのは大間違いだ - エキレビ!(2/3)
――では、硝子という女の子の性格については、どのように捉えていますか?
山田 すごく生きてるなと思いました。一見、可愛らしい感じで、いつも微笑んでいて天使みたいな子なのかなと思われがちですけど。彼女の行動を一個ずつ紐解いてみたら、自分の本能にすごく忠実に動いているんです。ダイナミックだし、すごく負けず嫌いだとも思います。そのあたりは少し羨ましいなと、憧れる気持ちもあります。原作者の大今先生からは、周りのことをすごく気にして、自分はこうあるべきだということをすごく考える子だとお聞きしたのですが、それにプラスして本能で動く部分もあると思うんですよね。その両極端さがすごく魅力的で惹かれました。
「聲の形」山田尚子監督に聞く。気をつかったり同情したり、何なら可哀想だと思ったりするのは大間違いだ - エキレビ!(3/3)
硝子に対する山田への視線は、将也に対するそれとは違い、あくまで「障害当事者ではない他人」からの視線です。自分を他者として認めた上で、どうやってコミュニケーションをとっていくのか。山田尚子の軸はそのあたりにあるように思われます。
そうした態度自体は、彼女の実経験によって培われたものです。
山田監督「硝子について知っておくべき情報としては耳が不自由ということですが、それに対して何か気をつかうような描き方をしたいと思わなかったので、まず一人の女の子、女性として向き合おうと思いました。私が大学生のときに特別支援学校に一週間行ったことがあって、実際に自閉症の子や聴覚障害がある子に接したのですが、お話したり、触れ合ったりすることが楽しかったですし、そのときの感覚がすごく残っていて。なんというか勝手にこちらが何かを慮(おもんぱか)って、勝手に距離をとる、というようなことが不自然だな、とその時の自分に対して感じたことがあったので。」
将也に感情移入する一方で、硝子は他者である、というスタンスだからといって、山田が彼女の内面をまったくののっぺらぼうに考えていたかといえば、それは違います。むしろ、逆です。彼女は西宮硝子が(理想化されていない)主体的な一人の人間として、どう世界を感じ、何を考えていたかを追求しました。
西宮硝子の人としてのスタンスもちゃんと描く必要があると思っていて。ただやられっぱなしになっている対象なだけではないというか、硝子もちゃんとしたたかな思いがあって生きているという、そのいじらしい部分もちゃんと描きたかったんです。「映画『聲の形』」特集 山田尚子監督インタビュー “存在している”彼らを通して伝わるもの (1/4) - コミックナタリー Power Push
それはテクニカルな面にも反映されています。
「ヒロインの硝子の耳が聞こえないことをフィーチャーするつもりはなく、特別扱いするような描き方はしていないんですけど、彼女が生活しているうえで「音ってどういう形のものなのかな」ということはすごく考えました。……(中略)「音を聞く」じゃなくて「感じる」ものとして描いていこうと。『クイック・ジャパン Vol.127』
音による西宮硝子の世界観描写は、『キネマ旬報』などに掲載されている音楽担当・牛尾憲輔のインタビューの領分ですので、ここではあまり深く立ち入りません。
注目したいのは、将也が背景の色味などの視覚的な「光」と結ばれるキャラクターであるのに対し、硝子が「音」と結ばれるキャラクターであることです。そうしたモチーフでプロットを舗装することで、物語のエモーショナルな部分をドライブさせたのですね。
山田尚子の描きたかった世界
大今良時は『公式ファンブック』のインタビューに答えて、「読者からは悪役と見られがちなキャラクター(小学校時代の担任や、硝子の父親家族)を、自分は悪人だとは考えていない」との旨を表明しています。
これはシニカルな物言いです。大今がそうしたキャラクターを善人として描いているわけではもちろんありません。あくまで「自分たちも下手すればこうなってたかもしれないし、現実にこういう人間は厳然として存在するよね」という諦めというか、「仕方ない」とニヒリスティックに突き放した発言であるといえます。
大今は今ある世界をあまり肯定的なものとして捉えていません。前記事で紹介した「因果応報」に対する向き合い方もその一面でしょう。
それに『聲の形』はあくまで将也の視点から描かれる話なので、将也が良きにつけ悪しきにつけ特別扱いされているように見えるかもしれないけれども、作者的には「硝子は将也を含めたみんなと平等に仲良くなりたがっただけ」「いじめっ子としての将也も、似たようないじめを色んなところで受けてきた硝子にとっては自分に辛い思いをさせた『その他大勢』の一人」*2なのです。
だから、最終話の時点になっても「あの時点で二人は恋愛関係にない」*3と言い、ラストの手をつなぐシーンを第一巻の二話(つまり、高校生になってからの初再会の場面)で将也に拒絶された「仲直りしよう」というジェスチャーのやりなおしでしかないものと語ります。*4
いじめっ子といじめられっ子が恋愛関係になる、どころか、あそこまでゴタゴタやっても「握手する」ところまでしか行けない。
一歩進むことすらハードな世界が、大今良時の考える今ある世界です。彼女はそこに実のところ、何も期待しない。期待するとしたら、個人個人の「学び」*5くらいなのでしょう。
かたや、山田尚子は今ある世界を、人間を*6、非常にポジティブなものとして考えています。ちゃんと顔をあげ、耳をすまし、目を開けば、自分がそういう態度でさえとれれば、そこには美しい世界が広がっているはずだと。ちゃんと話して通じ合えば、みんなイイ人達である、と。
映画『聲の形』とは、その美しい真の世界をうつむいてばかりの将也に垣間見せるための物語です。それを指して、山田尚子は「将也が生まれ直す」と言っているわけです。
「この作品では、“世界が美しくあること”というのは特に意識しました。みんなとても真剣に悩んでいるし、明日の一歩を踏み出すのすら辛そうな子たちばかり。でもすごく一生懸命に生きている。そんな彼らの悩みを肯定したいと思ったし、たくさん悩みがあっても、世の中には青空があるし、花も咲く。彼らを包む世界は、美しく優しくあってほしいと思ったんです」。
聲の形のニュース - 山田尚子監督、モットーは「セオリーを作らない」『聲の形』ヒロインは“天使じゃない” - 最新芸能ニュース一覧 - 楽天WOMAN
作品の性質上、なんとなくシリアスな話として受け取られがちなのかもしれないと思ったんです。それに将也たちはみんなそれぞれ悩んではいるけど、世の中や世界までは悩んでいない。だからその世界はお花も咲くし水もキレイだしっていうところを描きたくて。あとは些細なものでいいので、お花みたいに美しいものや儚いものを挟んでいくことで、彼らが生きている世界をいろんな情報で形成していきたいなと考えていました。「映画『聲の形』」特集 山田尚子監督インタビュー “存在している”彼らを通して伝わるもの (1/4) - コミックナタリー Power Push
だから、将也の周りの世界はそんなに悪い世界じゃないんです。そこに気づいていないところが、将也のいちばんの罪であるといえるのかもしれません。『月刊ニュータイプ 2016年10月号』
「今ある美しい世界を直視すること」がキモなわけですから、当然監督は背景のロケーションから色彩設定に至るまで委細凝らして世界を作り上げます。映画を観た人であれば、監督がそうした美術面や演出に心血を注いだであろうことを今更強調するまでもないでしょう。
そして、人間もまた愛すべき対象であると考える山田尚子はキャラクターの描写や作画にも労を惜しみません。
山田 基本的に、どのキャラクターも肯定していこうと思っているので、植野のことも分からないということはあまりなかったですね。
「アニメーションって「こういうポーズをしたら、怒っている」みたいなおきまりの表現があるんですけど、ふと「そのキャラクターの性格上、出てきた動きなのかな?」と考えると、違うから。それぞれくせがあるだろうし、人にものを伝えるときの振る舞いは誰ひとり同じじゃないだろうし、私は「普通」という言葉を疑っていて。みんな目線がそれぞれあって、同じものは一個もない。『クイックジャパン Vol.127』
キャラクターや背景などの技術面での努力については、各インタビューで詳しく触れられているので(ソフト化されたときにもコメンタリやメイキングが収録されるでしょうし)、興味ある人は直接そちらへ当たってください。
ともかくも、「主人公にこの世界を愛してもらいたい」「その主人公の視点を通じて、観客にこの世界を愛してもらいたい」。その「愛してもらう」目的のためにあらゆる映画表現、アニメーション技術、ストーリーテリングの技法を総動員する。
そうした愛されるための努力に妥協を許さない姿勢は、ピクサーのジョン・ラセターにも通じるところがあります。
人間はその人のいうことを聴こうとしなければその人を知れないし、世界を見ようとしなければその世界を永遠に見ることはできません。
山田尚子は今ある美しい世界の仲介者、いわば正しく世界を捉えるためのカメラのレンズであろうとしていると思います。*7
彼女の見せようとする景色を、我々は共有しうるのでしょうか。
それは観客の判断に委ねられるところではあります。
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聲の形 公式ファンブック (KCデラックス 週刊少年マガジン)
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インタビューとか全然読まずに書いた感想的なもの。
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*1:山田が元から大今に近い意識を抱いていた節はあって「『聲の形』という作品について語られる時、聴覚障害を持った子へのいじめなどのシリアスな部分を取り上げられる事が多い印象もありました。でも、私はあまりそういう作品だとは思わなかったというか、そこはこの作品の本質では無いと思ったんです。」「聲の形」山田尚子監督に聞く。気をつかったり同情したり、何なら可哀想だと思ったりするのは大間違いだ - エキレビ!(2/3) とも言っています
*2:「あくまで初めは」という注がつきます。転校直前に取っ組み合いの喧嘩をしたことで「将也にとって一番嫌いな相手として記憶されることとなります」(大今良時)『公式ファンブック』より
*3:ただし「まったくそういう感情がないとは言い切れない」らしい
*4:『公式ファンブック』より
*5:『公式ファンブック』で「なぜ主人公が硝子ではなく将也なのかを指して、大今は『将也の学びを描きたかった』と発言。
*6:「基本的に、どのキャラクターも肯定していこうと思っているので、植野のことも分からないということはあまりなかったですね。」 映画「聲の形」監督に聞く「開けたくない扉を開けてしまった感じでした」 - エキレビ!(1/4)
*7:その現状肯定的な姿勢は、ともすれば保守的で体制よりな態度と映るかもしれません。