普段はあんまりこういうことには口を差しはさまないんですが。
『聲の形』が晒されている倫理的な批判はだいたい以下の二点に切り分けられます。:「いじめ被害者がいじめ加害者を好きになる、というプロットが加害者側にとって都合良すぎる」「聴覚障害を題材にした映画であるのに、十分な量の字幕上映がなされていない」
前者は作品の内容面での問題、後者は作品外部の問題、と色分けされると思います。で、今回は前者、つまり、作品内容の倫理について触れます。
具体的には「漫画作者(大今良時)と監督(山田尚子)は『どういうつもり』で『聲の形』に取り組んだ」かです。インタビューを中心に二人の発言を拾っていき、私なりの脚本にそって並べていこうと思います。
もちろん、「作者がこう意図している、と言ってる」からといって、それがそのまま百パーセント読解として受け取られるべきとも思われません。作者がそのつもりで何らかの理由でも作品自体にうまく反映されていない場合もあるし、意図を完璧に再現したものであっても受け手によって解釈が異なる場合もあるし、ともすれば作者がインタビューで嘘やごまかしを言ってる可能性もないわけではない。発言を「編集」している私に対する信頼性の問題もある。
それでも作者の作品に対する態度について耳を傾けることは、作品を理解するうえで何がしかの材料になるでしょう。「作者なんて一から十まで関係ぇねえ! 作品がすべてで、すべてが作品だ」と考えている極左テクスト論者でもないかぎり。
映画も漫画も、不親切で一方的なメディアです。ターン制バトルのメディアです。週刊連載の漫画ならまた違うでしょうが、基本的にはただ作品をポンと出されて読者はそれを黙って受け取るしかない。そして作者の側も、それを読んだ読者が垂れ流す意見や感想に対して反応できない。
なぜなら作者と読者で「どういうつもりでそんなことを言ったのか」「どういうつもりであんなことをやったのか」と相互的に対話できるプラットフォームが存在しないからです。*1
そのような中にあって、作者インタビューという代物は作者-読者の殺伐とした関係に、擬似的なコミュニケーションの場を拓いてくれます。
それを読んだ上で『聲の形』をどうジャッジするかは、あなた次第です。
漫画版作者・大今良時。
まずは漫画版作者・大今良時の証言から見ていきましょう。
漫画『聲の形』を描くにあたって大今がどこで何をどう考え、どういうつもりでそうしたのか、については、講談社から発売されている『聲の形 公式ファンブック』に詳しく載っています。ここまで説明していいのかってレベルで載ってます。ぶっちゃけ、公式ファンブックさえ買えばこの記事はたぶん読む必要ないです。
聲の形 公式ファンブック (KCデラックス 週刊少年マガジン)
- 作者:大今良時
- 出版社/メーカー:講談社
- 発売日: 2016/09/16
- メディア:コミック
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『聲の形』のタイムライン
原作者・大今良時が『聲の形』の原型となる第80回(2008年)週刊少年マガジン新人漫画賞受賞作を描いたのは十八才、高校卒業後すぐ(2007年?)のことでした。*2センセーショナルな内容に尻込みした編集部は異例の「入選作掲載見送り」を決定。
その後、大今は2009年*3に冲方丁のSF小説『マルドゥック・スクランブル』(『別冊少年マガジン』)のコミカライズでデビューします。*4
『聲の形』がようやく世に出たのは、2011年になってからのことです。このときは『別冊少年マガジン』での掲載でしたが、2013年に全面的な改稿を施された読み切り『週刊少年マガジン』に載り、その年のうちに連載が始まりました。つまり、都合『聲の形』の小学校時代編は三ヴァージョンあるわけです。そのうち二つ(入選したときのヴァージョンと、『週刊少年マガジン』掲載時のヴァージョン)は現在発売されている『聲の形 公式ファンブック』で読めます。
連載が完結したのは2014年の暮。大今良時は足掛け約七年かかって『聲の形』の物語を完成させたわけです。
『聲の形』のテーマと文体
さて、大今はこれまでも繰り返し「『聲の形』のテーマは『人と人との関わりの難しさ』、『コミュニケーション』である」と主張してきました。
大今:私が大事にしていた『ことばだけでは伝わらないものがある。そういうものにこそ価値がある』という思いや、主人公の石田のテーマである『相手の気持ちに気づく』という課題を、アニメでも大事にしてほしいとお伝えしました。
……(中略)『聲の形』というタイトルが象徴している、『しゃべってること、手話、文字、そういう"ことば"だけじゃない、隠れたメッセージも感じ取ろう』ということが、私がこの作品に込めた思いです。そして、どれだけ読者に伝わってるかはわからないけど、コミュニケーションの多様性に気づいてもらえればと。『NEWTYPE』2016年10月号
大今 この作品は「人が人を知ろうとすること、関わろうとすることの尊さ」がテーマでした。その行為はたとえ成功しなくても、尊い。バラバラに、それぞれの事情を抱えて、勝手に生きている人たち。それがテーマだからこそ、多面的なキャラクター描写、わからない部分も作るようなかき方はやらないと意味がないと思ってました。
大今 最初は、「嫌いあっている者同士の繋がり」を描こうとしていただけなんです。そのふたりの間を思い浮かべると、たまたまいじめが挟まっていた。だから描いた。いじめを「売り」にしようとしていたわけではありません。描きたかったものを描くためには、いじめという行動が、発言が、その時の気持ちが、必要だったんです。
しかし、あまりに「いじめ」「聴覚障害」がフィーチャーされることへの反発からか、『公式ファンブック』では危うい感じのことばが出てしまいます。
大今:「いじめがテーマ」とシンプルに語られることに、少し違和感を抱いているところはあります。自分としては「いじめ」や「聴覚障害」を主題にしたつもりはなくて、「人と人とが互いに気持ちを伝えることの難しさ」を描こうとした作品です。だから、『聲の形』というタイトルにしても、「コミュニケーションそのものを描いた話」なんだよ、という想いを込めています。硝子の耳が聞こえないのは、あくまでも彼女を構成するもののひとつでしかないですし、この作品でのいじめはコミュニケーションが引き起こした結果のひとつなんです。
p.170, 『聲の形 公式ファンブック』
「硝子の耳が聞こえないのは、あくまでも彼女を構成するもののひとつでしかない」し、「いじめはコミュニケーションが引き起こした結果のひとつ」だと強調するのは、信念としてそう考えているのもあるでしょうが、あまりに「いじめ」や「聴覚障害」といったわかったようなワード(とそれに付随する「感動物語」)で語られがちになっている自作の現状に対するいらだちもあったのではないかと推察します。
というのは、インタビューを管見するかぎりにおいて、大今良時は非常にことばに対してコンシャスな作家だからです。
そもそも作中で使われる「いじめ」という言葉からして、彼女はかなりテクニカルな意味を持たせています。主人公の石田は自分が硝子に対して行ったことをけして「いじめ」だとは言わない。『公式ファンブック』のインタビューによると、それは自ら行った行為から目をそむける無意識の防衛機制であり、逆に石田を「いじめっ子」と呼ぶ当時のクラスメイトたちは彼をそう呼ぶことで自らの責任から逃れようとしているのです。
こうした紋切り型を峻拒する態度は作品の端々にまで及んでいます。
大今:私としては「因果応報」を大事な要素としてはとらえていません。「因果応報」という言葉が取り立てて重要視されるのは、この言葉を使うことで、読者も「すっきりする」からかもしれません。「因果応報」とか「罪と罰」「勧善懲悪」といった言葉や構図はストーリーにとてもよく馴染みますし、「何か悪いことをしてしまった登場人物は、罰せられるべきである」と期待されている読者もいらっしゃるとは思うのですが、そこはあまり意識しないようにしていました。
p.172『聲の形 公式ファンブック』
大今 そうなんですよー。恋愛漫画として描いたら捗ると思います(笑)。やっぱりわかりやすいものが求められてもいるとは思うので。誰と誰がくっつくか考えながら読むのは、面白いに決まっていますよね。ただそういう話じゃないと示しているつもりです。読者サービスもいれたりはしますが……。
大今:ただ、これははっきり言っておきたいのですが、川井だけではなく、竹内(小学校時代の担任)や硝子の父親家族(映画には未出演)にしても、決して「悪者」として描いているつもりはありません。……(中略)各キャラクターにはそれぞれの言い分があって、出てくるセリフや態度はそれらのキャラクターの偽らざる気持ちの現れだし、現に私だって身体障害者の方についてまったく理解できていなかったら、同じような言葉を口にしていたかもしれない。深刻な問題をつきつけられて選択を迫られたときに、「これはタブーかもしれないけど、それでも本音を言うよ?」と。
p.173 『聲の形 公式ファンブック』
ことばひとつひとつの用法に、キャラひとりひとりの内面に、ひとつひとつの表現に根本から向きあう。世界を割り切れないものとして扱う。そんな大今が『聲の形』を描くにあたって選んだのは「将也の一人称」という視点でした。
大今良時: 主人公の将也が知りえないことは読者には知らせない、将也が気づいていないことは取りあげない、つもりでした。
――物語の途中で「こういう人だ」と断定されるのは怖くありませんでした?
大今良時>怖いです。読者の方や、私の周囲の人が「こいつはこういうヤツだ」と言ってくれるんです。
それはありがたいことなのですが、そのキャラクターの印象もまた、その読者のフィルターを通した人物像でしかないんで。
このダシール・ハメットばりの「主人公の将也の知り得ないことは読者には知らせない、将也が気づいていないことは取り上げない」文体が一部で「硝子には内面がない」と捉えられる最大の要因となります。
特に「なぜ、いつ、どのようにして硝子が将也のことを好きになったのか」というあたりは漫画を読んでいてかなりわかりにくい部分です。『公式ファンブック』のインタビューで大今はそれを「◯◯巻◯ページ◯コマ目で好きになった」と恐るべき緻密さで言い抜いたりするわけですが、そこまで言ってしまうとアレなので、知りたい人は『公式ファンブック』を買ってください。
ここでは、硝子のキャラクターと、内面の機微について見ていきましょう。
西宮硝子という女
大今良時の描く西宮硝子に徹底しているのは自己評価の低さです。
――では、いじめにあっていた硝子はどう感じていたんでしょう。
大今:硝子は被害者ではありますが、自分に対する周囲の振る舞いは、自分がクラスメイトに迷惑をかけているからこそ、つまり硝子自身に原因があるというひどい自己嫌悪があります。硝子がなにされても起こらないのは、「自分が悪いんだから仕方ない」と思っているからです。将也だけでなく、硝子もまた加害者意識が強いんです。
硝子を「可哀想な子」だと思うのは、彼女を外から見る基準に照らした話でしかありません。彼女にとっては、からかわれたり、疎外感を味わったり、一人でいることはあたりまえ。マイナスでもなくプラスの状態でもなくゼロの状態です。p.179『聲の形 公式ファンブック』
将也たちの水門小学校に転入してきた硝子は筆談ノートを通じて周囲と健全な関係を築こうと試みます。
そうした中で、将也が最初から目立つ存在だったわけではありません。
Q. 硝子は最初から将也と仲良くなりたかったの?
大今:そういうことはありませんね。将也の目線で物語が描かれているので、将也とのやり取りが目立っていますが、硝子は将也以外のみんなともおんなじように仲良くなろうと話しかけています。最終的に取っ組み合いの喧嘩をすることで、硝子にとって将也は水門小学校でいちばん嫌いな相手として記憶されることになります。
p.130, 『聲の形 公式ファンブック』
映画の宣伝でも「一番嫌いだった相手が会いに来た〜」的な文句が打たれていましたが、まさに印象最悪な状態で硝子は将也と別れたのです。
硝子にとって、筆談ノートは、他者と繋がれる希望を象徴したアイテムです。*5そのため、ノートの喪失がコミュニケーションに対して期待を抱くことへの諦めそのものを引き起こしてしまいます。*6自分がいると、自分も周囲のみんなも不幸になってしまう。傷つけてしまう。そう考えたのです。コミュニケーションを諦めることが、結局は自分自身を守ることになる、と。
硝子は生まれてから「自らの壊したものをずっとカウントして」いました。*7水門小学校で筆談ノートを失うと同時に、コミュニケーションへの期待を手放し、同時にカウントも停止します。
しかし、時を経て、高校生になった将也が筆談ノートを伴って現れたときに「カウント」が再びはじまります。
Q.自分をもっとも嫌いだったはずの将也が会いに来た時、硝子は何を思ったの?
大今:自分が健聴者とのコミュニケーションへの期待を込めていた筆談ノート。それを将也が持って会いに来たのは、硝子とって驚くべき出来事でした。硝子は将也のことを、自分を叩く「アンチ」みたいな存在だと思っていたので、びっくりしてどんな顔していいかわからない。それで「そんな将也がなんで自分にそこまでこだわるの?」と知りたくなったんでしょうね。まさに「どうして?」と。将也を敵だと思っているからこそ、逆に彼の心情を知りたいという防衛本能が働いたゆえの反応であったかと思います。
p.134, 『聲の形 公式ファンブック』
――筆談ノートを失っていた間は、カウントは止まっていた?
大今:はい、止まっていました。将也は筆談ノートと一緒に硝子に希望を持ってきてくれましたが、同時に「周りを不幸にする自分」を思い出してまた苦しい思いをする。硝子と将也の二人は、近づけば近づくほど傷つき、死にたくなるのです。
p.176『聲の形 公式ファンブック』
読んだ人ならわかるかと思いますが、『聲の形』は、いじめてた人間といじめられてた人間が再会即和解し、恋愛モードへ突入する*8、というような単純な構造をとりません。
それは硝子から見た石田との関係も同様です。
石田はたしかに硝子が諦めた他人とつながる希望をもう一度開いてくれるかもしれない人物です。しかし一方で、同時に小学校時代のような破綻を招いて「自分のせいで」関係してくれた人たちを不幸にしてしまうかもしれない危険も孕んでいる。
石田は両極端な結果をもたらす、アンビバレントな可能性の象徴として現れました。コミュニケーションという知恵の実を齧ってしまったせいで有限の命を背負ってしまう、失楽園的なジレンマを最初から抱えていたのです。そういうものを私たちは「原罪」と呼んでいます。
当事者性について。
漫画『聲の形』を読んだ人なら誰もが「この作者は実際にいじめを経験したんだろうか?」という疑問、あるいは興味が湧きます。『聲の形』のいじめを「リアリティがある」と評する人もいれば、その逆のことを言う人もいる。
連載が半分終わったくらいの段階で受けたインタビューで、大今はこんなことを言っています。
荻上 大今さんがこの漫画を描くと決めたときから、そういった(注:障害者を題材として扱うことについての反発的な)反響があるとは、想定はしていましたか?
大今 いえ、なにがそんなにヤバいのかまだよくわかっていないです。
荻上 ちなみに、ご自身はいじめの経験はありますか?
大今 見聞きするほどのひどいことは経験していないですね。悪口くらいなら言われていましたしイヤでしたけど、自分に原因があると思っていたのでしょうがないというか……。心の中で文章にできない感情を残したまま成長して、卒業して、とくに和解のやりとりもなく、その子たちといつもの関係に戻る。仲の良い子たちだったので、言ったり言われたりすること自体がありふれていて特別なイベントだとは思わなかったです。そんなことより、イヤなやつとか敵に意識が向いていました。
先述したように大今にとって「いじめ」は主題ではない。それは彼女が当事者性を欠いていることを示しているのでしょうか?
ここで留意しておきたいのは、大今はむしろ「実体験」に意識的な作家だということです。そもそも舞台が大垣市なのも、彼女が上京するにあたって「今しか描けないもの」をということで、それまで中世ヨーロッパが舞台にしていた投稿作から打って変わって地元を描いた結果です。*9メイン二人を含めた登場人物のキャラの名前や性格には、中高時代の知人友人のそれが反映されています。*10
「聴覚障害」についても、母親が手話通訳者だったため彼女にとって身近なテーマでした。*11
肌で感じられる距離に問題が存在したからこそ「いじめ」や「聴覚障害」を作品に取り入れたのではないでしょうか。
大今:『聲の形』は、実体験に基づく要素がとても大きく影響しています。あの子の声をちゃんと聞けなかった、気づけなかった後悔が、「ちゃんと見る」、「ちゃんと聞く」という石田が抱える課題に影響を与えています。きっかけとなったその友達の耳が聞こえなかったわけではありませんし、自分にとっては、硝子の聴覚障害は作品のテーマを読者に気づかせるためのモチーフのひとつであって、描くべき『本題』ではなかったんです。
p.171、『聲の形 公式ファンブック』
彼女が声を聞けなかったという「あの子」とその出来事について、詳しいことはわかりません。ただ、直接的に大今の身にふりかかったのではないにしろ、その周辺で「何か」はあった。そして、その「何か」は大今に後悔を背負わせる結果に終わった。
その出来事が、『聲の形』を彼女に描かせるモチベーションの一つになったであろうことに疑いはありません。「いじめ」そのものが主題でないと話すのは、実体験を、後悔を経たからこそ、個人的な問題意識――「ちゃんと見る」「ちゃんと聞く」が立ち上がったからなのです。*12
ちなみに大今自身も不登校を経験しています。
――大今さんは中学生のころ不登校だった時期があるそうですが、どんな理由があったんですか?
「不登校というか、単にサボっていただけなんです。*13途中で学校が楽しくなくなってしまったので。それで天秤にかけたんです。学校に行って頭に入らない授業を聞くのがいいのか、家で好きな絵を描くのがいいのかって。
【独占インタビュー】作者・大今良時氏に聞く。FC岐阜とコラボ、異色の作品『聲の形』はどのように生まれたのか?(フットボールチャンネル) - goo ニュース
この時期に、大今は作品テーマや硝子の抱える悩みの根幹に関わる、ある体験を経るのですが、それはまあ、実際に『聲の形 公式ファンブック』(p.180)を読んでのお楽しみとしておきましょう。作者・大今良時の叫びが『聲の形』ともっともよく共鳴する重要で物語性溢れるポイントです。
次回予告
長くなりました。なるべく『公式ファンブック』をスポイルしないように、記事の趣旨に関わる部分だけを引用したつもりですが、それでもあんまり大丈夫な気がしません。
……みんな!!! 『聲の形 公式ファンブック』買ってね!!!!! 絶対おもしろいから!!!!!
次回は映画版の監督・山田尚子の証言を見ていきましょう。
*1:そして、「作意」の伝達精度の曖昧さこそ、芸術のある種の美点でもあるのでしょう
*2:【独占インタビュー】作者・大今良時氏に聞く。FC岐阜とコラボ、異色の作品『聲の形』はどのように生まれたのか?(フットボールチャンネル) - goo ニュース
*3:wikipediaでは「2010年に創刊された『別冊少年マガジン』」とあるが精確には2009年
*4:硝子が自殺する行動に出たのは『マルドゥック・スクランブル』のバロットの影響、と『聲の形 公式ファンブック』では語られています
*5:p.174
*6:p132, 公式ファンブック。
*7:p.176、『公式ファンブック』
*8:そもそも石田は恋愛感情を抱いていない、と大今は断言しています。
*10:『公式ファンブック』のキャラ紹介ページより
*11:合唱で硝子がハブられるエピソードも母から聴いた実話を取り入れたそうです。http://www.excite.co.jp/News/reviewbook/20130806/E1375724255410.html
*12:もちろん、当事者だからえらい、ある種の問題は当事者にしか描けないということではありません
*13:『公式ファンブック』によれば、p.80「クラスメイトが嫌で学校に行かなかった」