『ズートピア』バブルも一段落ついたので、ぼちぼち通常営業に戻ります。
ダン・ハーモン、ジャスティン・ロイランド『リック・アンド・モーティ』
『コミ・カレ!(Community)』のダン・ハーモンと、その愛弟子ジャスティン・ロイランドがクリエーターを務めた大人向けアニメ*1。日本では今のところ Netflix 限定配信。
Film Theory: Rick's True Crime EXPOSED! (Rick and Morty)
要約すれば、『ドラえもん』のドラえもんが十秒に一回えずく自己中な天才科学爺さん(リック)になって、のび太であるところのダメな孫(モーティ)をあっちこっちのふしぎワールドへ引っ張り回す一話完結型スラップスティック・コメディ。
っていうかほんと『ドラえもん』っぽい。
出てくるおじいちゃんの発明品もどこかドラえもんのひみつ道具っぽいし、モーティの服装(いつも黄色)や時々見せる(・3・)フェイスも完全にのび太。
たまにそのことを指摘してるファンも見かけるけど、しかしクリエーター自身が言及している記事はないので、本当に影響を受けているのかはわからない。
ともあれ、そこはやはり群像劇コメディの傑作『コミ・カレ!』のダン・ハーモン、一筋縄ではいかない。
構成は『コミ・カレ』に似ている。メインである五人のキャラ(『コミ・カレ』の場合は自習仲間、本作の場合には家族三世代)を二チームに分けて、同時並行的に物語を進行させつつ最終的に一点に収斂させてオチをまとめる。これをたった二十分間に過不足なくやってのける手際はまさに熟練の域。
そして一話完結型であるにはあるけれど、その話でリックとモーティが行ったことはリセットされず、なんとなく次回以降に引き継がれる。そして、彼らは毎回わりととんでもない蛮行をやりまくるので、一シーズン全十一話が終わるころにはかなりとんでもない事態に発展している。
そこにどう決着をつけるのか。祖父と孫の愛憎の、夫婦の倦怠期の、ティーエイジャーの姉の反抗期の、それぞれの問題の行末はどうなるのか。
間違いなく今アメリカで一番面白いコメディ番組クリエーターが作った今アメリカで一番おもしろいコメディ・アニメ番組。
チャーリー・カウフマン、デューク・ジョンソン『アノマリサ』
で、ダン・ハーモンが『コミ・カレ』でストップモーション(人形)アニメ回をやるために『リック・アンド・モーティ』でもプロデューサーを務めているジョー・ルッソ二世*2らと立ち上げたのがアニメ会社スターバーンズ・インダストリーズ*3。
そのスターバーンズ・インダストリーズにとって初めての長編作品となったのが、アカデミー長編アニメ賞にもノミネートされた『アノマリサ』だ。
監督脚本は"あの"チャーリー・カウフマン。ハリウッドの鬼子、『マルコヴィッチの穴』や『脳内ニューヨーク』の、あのチャーリー・カウフマン。
舞台は2005年だから、iPodも懐かしのホイール式だ。
人気ビジネス本の著者であるマイケル(デヴィッド・シューリス)には全ての人間が、家族ですら、同じ顔で同じ声(トム・ヌーナン)をしているように映り、そのせいで非常な孤独感を抱えていた。
物語は、彼が講演会のスピーカーとして招かれたシンシナティに降り立つところから始まる。
妻子と住むロサンゼルスを離れたところで彼の視覚的聴覚的異常が癒えるはずもなく、相変わらず同じ顔と声ばかり。いらだちと慢性的な疲労感のあまり、送迎のタクシーから滞在先の高級ホテルに至るまで話しかけてくる人々に対してつっけんどんな態度をとりまくる。
「寂しい」「孤独だ」を連発し、現地に住む元カノと連絡をつけて再会するものの、彼女とも結局険悪な雰囲気となって喧嘩別れしてしまう。
そんな散々な彼の前に、他とは違う声、違う顔を持つ女性リサ(ジェニファー・ジェイソン・リー)が現れる。
運命を感じたマイケルは彼女に対しアプローチをかけていく。
実写には実写でしか、アニメではアニメでしか表現しえないことがある。この作品はストップモーションアニメだけれど、確かにストップモーションでしか達成されえない表現に満ちている。
あらゆる他人が人間ではない人間に見える。
自分でさえも、人間ではない何かに思える。
妄想じみた孤絶感と愛情への飢餓感はチャーリー・カウフマン作品に特有の強迫観念であるけれども、それを希釈すれば普遍的な不安にも繋がる。
みんな人間ではないかもしれない、ひょっとすると自分すらも人間でもないのかもしれない。そんな素朴なパラノイアを描写するにあたって、実際に人間ではなく人形を用いる媒体は『アノマリサ』の物語をセリフより何より雄弁に語っている。
ストップモーションアニメでリアルな人間に寄せて造形しようとする作品は少ない。『ひつじのショーン』や『ウォレスとグルミット』のアードマンスタジオは動物がメインだし、『コララインとボタンの魔女』や『パラノーマン』などのライカも人間主人公であるけれどもやはりアニメ的に誇張されている。
『アノマリサ』に出てくる人形は精巧でリアルだ。人間のような彫りの深い顔で、人間のように微細な表情の変化を見せる。
しかし、リアルであればあるほど「これは本物でない」感じがする。
その違和感は不気味の谷を越えられない製作側の努力不足、というよりはかなり作為的なものだ。
『アノマリサ』の人形の顔には目もとから顔を一周する太い線が施されていて、最初は表情を切り替えるための継ぎ目なのかな、と観ているこちらは思う。しかし、そんな技術程度の会社が『アノマリサ』のような豊穣な作品を作り得るわけがない。
つまり、意図的でないとこの「継ぎ目」はない。
事実、この「継ぎ目」は劇中でも重大な意味合いを帯びていて、そのことが後々の展開で明かされる。
けれども、ストーリーテリング以前の問題として、観るものに異質な印象を与え、人形がリアルに振る舞えば振る舞うほどに非人間的に思えてしまう。
実写でも手描き・CGアニメにも不可能な、ストップモーションならではのバランスと、それに見合うだけのストーリー。
極めつきの異色作だ。
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ルッソ兄弟『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』
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ルッソ兄弟のキャリアは紆余曲折あったとはいえ、『コミカレ』で一皮向けたのは間違いなく、限られた尺内で複数人数の一人ひとりのバックストーリーを如才なく観客に飲み込ませていく手腕はテレビ監督の本領と言ったところ。そういう意味では大河シリーズ化するマーベル・シネマティック・ユニバースのまとめ役としては適役なんだろう。そういえば、ジョス・ウェドンも元々はテレビドラマ出身だった。
とにかもかくにもこのところ、観るもの聴くものみんなダン・ハーモン帝国の支族ばかりで『コミカレ』万歳という感じだ。ルッソ兄弟もその自覚があるのか、『ウィンター・ソルジャー』にはダニー・プディが、『シビル・ウォー』にはジム・ラッシュが、『コミカレ』まんまの役柄でカメオ出演している。ここまで出世したか、とファンには感激もひとしおだ。内容はもはやどうでもいい。
実際、プロットはかなりどうでもいい。
悪役の陰謀によってヒーローたちが分断され、たがいに醜く相争う構図は先日公開されたばかりの『BvS』とさして変わらない。
ただ、BvSが実質それ一作だけでヒーローの不和を創りださなければならかったのに対して、さすがにこちらは積み上げてきた作品数が違う。
『シビルウォー』ではスーパーヒーローの圧倒的な力に対する制約を受け入れるか否かに加え、個人的な人間関係や友情が絡まり合い、かなり錯綜した大げんかになっているものの、その糸が混線している印象は受けないし、決別が決定的となる瞬間もセリフではなく映像一発で説明していてとてもスマート。
それまでマーベルがキャラクターを、シリーズを、全体図を丁寧に彫琢してきた結果の産物であり、またその豊穣な実りを効率的に収穫できるルッソ兄弟のディレクティングの賜物だ。
まあ、第一、アベンジャーズって毎回喧嘩してるようなもんだし、今更チームに別れて殴りあったところでどうせ最後は幸せなキスをしておしまいなんだろう? と観ているこちらも踏んでいるので今更物語の深みを重視するわけでもないし、むしろ重要なのはキャラそのものの輝き、キャラ同士の関係性、それらを表現する場としてのアクションシーンであって、その点では今回は『エイジ・オブ・ウルトロン』に比べてよほど愉しかった。
単にアベンジャーズ同士の内輪もめならシリアスで陰鬱にならざるをえないところを、アイアンマン側にスパイダーマン(トム・ホランド)、キャップ側にアントマン(ポール・ラッド)というヨソものを加入させることでほどよい軽薄さに仕上がっている。そのせいか知らないけれども、これまでお固い感じだったウィンター・ソルジャーもコメディチックな面を見せてくれる。
公開前は正直興味をいっこも持てなかったブラックパンサーですらも超カッコいい。チャドウィック・ボーズマンってスポーツ選手役が多かったとはいえそんなゴツゴツした印象はなかったんだけれども、ブラックパンサーの重量感溢れるアクションシーンは(まあ全身タイツなんで当然スタントとCGなんだけど)これまでのアベンジャーズには意外になかったフレッシュさを提供してくれる。敬遠しかけていた単独映画『ブラックパンサー』が楽しみになってきた。
やっぱり、スーパーヒーローには殴りあって対話してほしいし、説得も反駁も拳でやってほしい。アクションで物語や関係性を語って欲しい。
ママの名前なんてもので通じあってる場合じゃなくてね。
ヨルゴス・ランティモス『ロブスター』
独身者はホテルに収容されて、そこで一定期間内に結婚相手を見つけられなければ動物に変えられてしまうという世界の話。
どうせ出落ちだろ、と値踏んで実際に観ていると意外とそれなりにおもしろいのがヨルゴス・ランティモスという人の作品で、特に『ロブスター』は主人公(コリン・ファレル)がぼんくら仲間(ジョン・C・ライリーとベン・ウィショー)とともに結婚相手を探そうと頑張る(最初はあんまり頑張ってるようには見えないけど)前半部がべらぼうに愉しい。
イケメンベン・ウィショーが自分を尻目にさっさと相手を見つけたのに焦ってコリン・ファレルもホテル内で孤立しているサイコパス女(ランティモス作品の常連で『籠の中の乙女』では長女役だったアンゲリキ・パプリア)に近づくんだけど、なぜよりにもよってサイコパス。
ホテル内では「自分と共通点のある人物を相手に選びましょう」というルールめいたものがあるらしく、ファレルもサイコパス女に通じるために薄情なサイコパスを演じるんだけれども、彼女を口説くシーンがオフビートなコメディすぎて非常に笑える。こういうコミュニケーションできない人たちがコミュニケーションしようとして結果シリアスなギャグを産んでしまうコメディがもっと増えればなあ、と思います。
あと、ひどい目にあう動物が出てくる。
シェットランド・シープドッグだと思うのだけれど、この犬はもともとファレルの兄で、結婚できないために犬にされてしまったため、ファレルが飼うはめになってしまった。
この犬があるシーンで凄惨に蹴り殺されてしまう。
殺害シーンは直接描かれないものの、死体ははっきりと映される。内臓が飛び出ていてとてもエグい。
どの国の映画であれ、犬が直接的にひどい目に会う描写というのは避けられる傾向にある昨今にあっては希少なカットだ。まあ、案の定、イヌをひどい目にあわせるやつにはしっぺ返しがくるのだけれども。
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アンドリュー・ヘイ『さざなみ』
仲睦まじい老夫婦が結婚四十五周年の記念パーティを前にして、ある危機に直面する。夫(トム・コートネイ)の元カノの遺体がスイスの山中で氷漬けになって発見されたのだ。五十年前の、若い姿のままで。
その遺体を見に来ないかと誘う手紙に夫は動揺する。
妻(シャーロット・ランプリング)も心穏やかではない。結婚する前の恋愛とはいえ、恋人は恋人だ。自分以外に愛していた人物がいたとは。
しかも、いまや老いてしまった自分とは違う、昔の美しい姿のままで現れるとは。
遺体を見に行きたいと願う夫。それを必死で止める妻。
老境に入り、穏やかに凪いでいたはずの夫婦生活が、静かにさざなみ立つ。
この作品にも犬が出てくる。いかにもアホそうなシェパードだ。この犬があるシーンで印象的な使われ方をする。
夫は昔の写真やスクラップブックやフィルムを自宅の屋根裏に置いていて、例の一報を聞かされてからというもの夜な夜な妻に隠れて屋根裏に登り、昔の恋人の思い出をなつかしむ。
妻はそれがわかっていながら、なかなか屋根裏に踏み込めない。ハシゴの渡されていない状態の屋根裏への入り口を床からじっと見つめる妻の構図が卓抜している。
ようやく屋根裏にのぼる決心をし、ハシゴをのばして足をかける。
すると隣で犬がわんわんと妻に吠えかける。登るな、と警告しているかのように。
あまりにしつこく吠えるので、つい妻は「黙って!」と叫んでしまう。そして制止をふりきって屋根裏へ入る。
そこで彼女は、夫が美しかった時代の、美しいままに保存されている恋人の思い出を垣間見る。
ある日、妻は夫に言う。
「写真をもっと撮っておけばよかったわね」
しょせん写真など記憶に敵わない、というのは若者のロマンであって、人間の記憶というものは老いるごとに失われていくようにできている。
その老いをも楽しめるようになれば仙人の境地に達することができようものだがけれども、実際のところ、日々切り捨てられていく細かやな体験などは思い出せなければそもそも愛でられさえしない。
そして、写真は追憶の手段として時に記憶に勝る。
それがもう二度と戻ってこない青春の一枚であれば、なおさらだ。
テリー・ジョーンズ『ミラクル・ニール!』
犬のデニスの質問にキャストが答える/映画『ミラクル・ニール!』インタビュー
犬映画といえばこれも。
宇宙の支配者的宇宙人から地球人類が生き残るにふさわしい種族かをテストすべく、アトランダムに「振って願えばなんでも叶う手」を授けられたワナビのおっさん(サイモン・ペグ)が大騒動を巻き起こす藤子・F・不二雄か手塚治虫みたいなロマンティック・すこしふしぎ・コメディ。
このサイモン・ペグの愛犬が雑種(おそらくテリアの血が混ざっている)で、ペグの願いによって喋れるようになる。故ロビン・ウィリアムズの声で。
で、このロビン・ウィリアムズ犬が終盤、サイモン・ペグの手の価値に気づいた悪役に犬質に取られるんだけれども、ここでサイモン・ペグは恋焦がれていた女性かロビンウィリアムズ犬かの究極の二択を迫られる。
そう、いわゆるところの、『少年と犬』問題である。
少年は犬と女の子の両方を手に入れることはできなくて、どちらか片方だけを選ばないといけない哀しい宿命があるのだ……なんということはなくて、サイモン・ペグは両取りするんですけどね。
相対性理論『天声ジングル』発売
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はやくデジタル音源を出版してください……。
カセット版とか出してる場合か……。
*1:アダルトスイムという、カートゥーン・ネットワークの大人向け枠で放映された
*2:『キャプテン・アメリカ』シリーズの監督で、『コミカレ』でも多数回監督を務めたルッソ兄弟のジョセフ・ルッソとは別人
*3:由来は『コミカレ』に出てくる星形のもみあげをもつ脇役