Quantcast
Channel: 名馬であれば馬のうち
Viewing all articles
Browse latest Browse all 264

『ズートピア』におけるハードコア反復/伏線芸のすべて

$
0
0

 TLで『ズートピア』鑑賞済み人数が『マッドマックス:FR』並に達した(肌感覚)のでそろそろ『ズートピア』のネタバレをしてもいいんじゃないかと思った。


 そういうわけで、本記事は『ズートピア』の重大なネタバレを多数含んでいます。
 っていうか基本的に観た人向けに書かれてます。


チェーホフの機関銃

 「チェーホフの銃」という概念がある。
 ソ連になる直前のロシアで生きて書いて死んだ小説家・劇作家のアントン・チェーホフにちなむ言葉で、「小説や劇において、オブジェクト/アイテムを意味もなく出すな。出した以上はかならずもう一度登場させて使え」という作劇の心得を説いている。本邦では簡単に「MOTTAINAI精神」と訳されたりもする。二文字に略せば、「反復」。

 一方でこの箴言は、「銃を出したら必ずいつかは撃て」とも解される。
 要するに、ただ反復すればいいというものではなく、反復するなら意味や目的をつけてからやれ、ということだ。
 合目的性を持った反復。
 そういうものは一般に「伏線」と呼ばれる。
 一般に呼ぶだけ呼んでいるだけで、実際のところ、そこまで世間的に「反復」と「伏線」の区別が明確にひかれているわけでもない。
 ここでは世間様の基準に合わせよう。曖昧に運用しよう。


 伏線や反復を増やせば増やすほど喜ぶ奇特な人種が存在する。この手の人々は映画や小説で何かが反復されるたび、快楽中枢を刺激されてアハ体験に達し、その麻薬的な快楽を求めてどんどん反復を希求していく。彼らの作品評価は反復のあるなしですべて決まるから、実際に作品が感動的であるとかは関係ない。どうか、そんな気持ち悪いものを見る目でみないでもらいたい。
 で、そういうたぐいの人々にとって、2016年にウォルト・ディズニー・アニメーション・スタジオが発表した『ズートピア』はまさに至高の「チェーホフの銃」映画、否、「チェーホフのマシンガン」映画とも呼ぶべき作品だった。
 反復に次ぐ反復、伏線に次ぐ伏線、一度何かが出てきたらそれは n 分後に必ず再登場する。それも、観客がそのオブジェクトやアイテムを感知できるかどうかに関係なく。


 アメリカ人は伏線と反復に対してパラノイアを抱いている種族のひとつで、特に一部のコメディ映画や子供向け映画でその病疾を発揮する。たぶんコメディやアニメが世界や構図を意のままに作りこみやすいから、というのがあるのだろうけれど、たまにそんな安い説明がふっとぶくらい伏線と反復にこだわるチェーホフのトリガーハッピー映画が出来してしまう。
 有名なところで言えば、フィル・ロード&クリストファー・ミラーのコンビが作る映画なんかがそう。


 しかし、アニメ界には彼らを軽く凌ぐような伏線パラノイアの二大巨頭がそびえている。
 ご存知、ディズニーとピクサーだ。
 ここではいちいち過去作をプレイバックしてる暇がないのでアレなのだけれど、まあディズニーは『ボルト』以降、つまりジョン・ラセターが本格的にディズニー作品に関わりだしてよりこのかた作を重ねるごとに伏線マニアっぷりがひどくなってきている。
 たぶん、ストーリーづくりでピクサーと同じ多人数合議制システムを取り入れた影響だろう。


 そうした症状が極まって生まれた病的な作品が、『ズートピア』だ。本記事ではその『ズートピア』に仕込まれた反復と伏線を可能な限り洗い出して、作劇における効果をなんとなく推察したい。


 先にテーマにかかわる大きな弾から扱っていこう。
 『ズートピア』で反復される重要なエレメンツは四つある。


 寸劇とバッヂとペンと言葉だ。



1. 「肉食獣に襲われるジュディ」の寸劇(構図)

 当然のことながら観客には知らされないわけだけれど、開始一分で極めて重大な弾が装填される。
 幼き日のジュディ・ホップスが、職業選択の自由とズートピアの理想を称える寸劇を演じる場面だ。
 文明開化以前の野生状態の草食獣を演じる彼女は、友人のヒョウ演じる肉食獣に喉元をがぶりとやられ、ぶざまにのたうちながら「血だ! 血だ! ……そして死んだ」と死んだふりを演じる。


 演じる、という動詞が重要だ。
 過去の事実を元にしたドラマであれ、一から作り上げたフィクションであれ、演じられるものは常に今その場にない物語だ。
 現実にウサギを食べるトラが存在しなくなった世界だからこそ、子どもたちは半分ふざけたような劇として過去を上演できる。
 偽物の血、偽物の死。
 それはもはや存在しない死の形態だ。
 文明化されたズートピア世界にあっては捕食者-被捕食者の関係はもはや過去の記憶なのであって、我々にとっての時代劇がそうであるように、もはや演じることでしか追憶できない虚構でしかない。肉食は理性によって克服しうる。忌まわしい野蛮(Savage)はフィクションの中にしか存在しない。文明は勝利した。ハイル・ズートピア。


 ところがほんの数分後、次のシークエンスではそういう呑気さがひっくりかえされる。
 ジュディがいじめっこの仔狐、ギデオン・グレイに「さっきの劇みたいに」襲われるのだ。
 ジュディは友人の手前、気丈に振る舞って立ち上がり「私は夢をあきらめない」と宣言する。けれども彼女は顔に負った以上に深い傷を心に負ってしまっているのは明らかで、そのことがその後の彼女の兎生に大きな影を落とす。*1
 フィクションとして上演されたはずの過去が、現実上で再演されることにより、昔と今が地続きであること、「まだ肉食獣は本性に野生を残していること」をジュディに刻印する。


 文明的で理知的な生活を送っているように見える彼らでも、一皮むけば……。


 三度目の再演はクライマックスで決定的な役割を果たす。
 ベルウェザー(副市長と呼ぶべきか、市長と呼ぶべきか、当時の市長と呼ぶべきか)の策略によって、クスリを撃ちこまれ*2野生化したニックがジュディを追い詰め、その喉元に食らいつく――ものの、実は彼らはドッキリの仕掛け人。彼らはベルウェザーを逆に罠に誘うために、わざとクスリが効いて野生化したように装っていたのだった。
 ジュディは冒頭の寸劇でのセリフ、「血だ! 血だ! そして、死んだ」を繰り返して死んだふりを演じる。


 やはり、演じるという動詞が重要だ。
 ギデオンによって顕現してしまった野蛮な肉食獣(キツネ)という神話*3を、ジュディは芝居気たっぷりに、できるだけ馬鹿らしく演じることで「キツネに食われるウサギ」という構図そのものを再度、虚構化してしまった。


 この場面が単にベルウェザーを欺瞞する以上の意味を帯びているのは明らかで、ジュディはニックとの寸劇を通じて「肉食獣が草食獣を今でも襲うという神話」と「キツネが自分を脅かす存在であるという個人的体験」、マクロとミクロのトラウマをいっぺんに解消した。
 それはつまり、ジュディの個人的な物語がズートピアそのものの物語と一致したことでもある。


 ちょっとびっくりするくらい技巧的、と評さざるをえない。


 『ズートピア』並にトラウマ解放のカタルシスと、表面上起こっている出来事(アクション/サスペンス)のカタルシスをかくまでにキレイに一致させた脚本は、近年だとシャマランの『ヴィジット』が真っ先にあがる。あれはよかった。あれはいい。



2. 録音機能付ペンと警察バッヂ

 なぜこの二つ(精確に言えば三つ)をまとめるかといえば、これらがどちらもジュディとニックの連帯と離散を表すアイテムだからだ。


 警察バッヂがまず先に登場する。
 ジュディが警察学校を卒業し、バッヂを受け取る場面。
 このときのバッヂはジュディの夢やあこがれそのものの象徴で、この「夢の達成」を開始十分で持ってくるところに『ズートピア』が「めでたしめでたしのその後」の物語であることが伺える。


 かなえられた夢だとしても警察が職業である以上、常に剥奪される危険があるわけで、肉食獣大量失踪事件の捜査にあたってジュディを快く思わないボゴ署長からバッヂ返還の圧力がかけられる。
 最初は、カワウソのオッタートン夫人による夫の捜索願を勝手に聞き入れたジュディに対して、ボゴが「48時間以内にオッタートンを見つけ出さなかった場合は辞職しろ」と迫る。このときはまだ言葉上での脅迫にすぎない。
 しかし、ジュディたちがレインフォレスト地区でジャガーを取り逃がすと、ボゴははっきりと彼女のバッヂを剥奪しようとする。
 彼女の夢が潰えようとした瞬間、もう一つの警官バッヂをつけたニックがジュディの免職について異議を唱えだす。


 このニックのつけたバッヂはどこから出てきたのか。


 オッタートン夫人の依頼以前に時間を巻き戻す。
 ジュディはゾウさんのアイスクリームパーラーでニックとフィニックの偽装親子に遭遇する。彼らが詐欺師であることをまだ知らぬ彼女は、赤ん坊を演じるフィニックの胸に、警官バッヂを模した子供用のシールをつけてやる。
 このシールは、ジュディがニックに捜査協力を強いるために一計を案じた場面で、ジュディのずるがしこさに感心したフィニックから「お前らおにあいだよ」とばかりにニックへ譲られ、以降ニックが身につけることとなる。
 このとき、バッヂシールをつけることでニックが「仮の警官、パートタイムのバディ」であることが示される。
 嫌々ながらに警官に協力させられている人間ではあるけれども、警官そのものではない。微妙な立場だ。
 なにはともあれ、これで彼らがチームになったことが示される。


 そうして、事件の捜査を進めていくうちに、ジュディとの間に友情が芽生え始める。
 クリフサイドのアサイラムを摘発し、ライオンハート市長を逮捕するシーンでは、ニックは彼の両脇にいる警官たちへ、これみよがしにバッヂシールを誇って無言でアピールする。「おれが捕まえたんだよ」といわんばかりに。
 このときのニックはもはやジュディの奸計に騙されて無理やり協力させらている詐欺師ではない。立派なジュディのバディだ。*4
 そして、ジュディは晴れの舞台である事件解決の報告を行う記者会見の直前に、ニックへ例の録音機能付きのペン(後述)と一枚の用紙を手渡す。婚姻届かな? と観客が想像を逞しゅうしているとどっこい、警察学校への志願書である。
 これを申しこめば、ニックも今つけているの「仮のバッヂ」ではない本物のバッヂを手に入れられ、ジュディの本当のパートナーになれる……。
 はずだった。が。
 会見に臨んだジュディが肉食獣への致命的な偏見を世間にばらまいてしまい、彼らの仲も決裂してしまう。
 そのときにニックはくしゃくしゃに丸めた申込用紙とともに、バッヂシールも剥がして床に放り捨てる。
 チームの解散、「警官」であるジュディとの訣別を無言で表現した非常にスマートなシーンだ。実はペンを持ち帰っているところも含めて。


 ニックとの別れのあと、ズートピアの英雄にまつりあげられたジュディだったが、彼女もまもなくバッヂの返上を決意する。
 彼女にとって警官とは「世の中をよりよくする」ための手段であり、バッヂは警官という職業の象徴というよりは、彼女の崇高な目的の象徴であるはずだった。
 ところが、実際に警官となった彼女はズートピアの人々を分断し、対立を煽ってしまった。*5
 自分は世界をよりよくするどころか、より悪くしてしまっている。
 そんな自らに対する失望から、彼女は自分がバッヂを身につけるに値しないと判断し、職を辞したのだった。
 どうでもいいけれど、俺の正義は警察みたいなクソ組織にはおさまんねー、とばかりにバッヂを投げ捨てたダーティーハリーさんとは対称的ですね。


 チームの証明であるバッヂを両者とも捨ててしまった。
 もうジュディとニックをつなぐよすがはないのか。彼らをつなげることのできる絆はないのか。


 ある。人参型のペンだ。
 ここで、録音機能付きのペンが再会のための重要な役割を演じる。


 もう一度時系列を遡る。
 このペンの初登場シーンはジュディがニックを捜査に引きこむシークエンスの冒頭部だ。
 彼女はなんの変哲もない筆記用具と見せかけておいて、ニックの脱税の告白を録音し、それを脅迫の材料に捜査協力を得る。


 ニックは当初、ペンが返却されるかどうかだけを気に病んでいて割と事件などどうでもいい。
 一方のジュディもペンを交渉の道具として徹底的に使い潰す。


 ヌーディストクラブでオッタートンの乗った車*6のナンバーをつきとめたジュディは、しかし警察署で登録ナンバーを調べる権限を持たないため、ペンの返却をせがむニックをうまくあしらって協力を継続させる。


 こうして得た登録情報を元に、ツンドラタウンの駐車場までたどりつく。が、時刻は深夜で駐車場はとっくに閉鎖されていた。私有地なので無理やり入るわけにもいかない。
 ここでもジュディはニックを捜査を進展させる道具としてペンを用いる。「ペンを渡す」と言って敷地内へ投げ入れ、「なんとこどもっぽい」と呆れながらフェンスを越えたニックを追う形で自分も敷地に入る。不審者を追跡するであれば、無許可で警官が私有地に侵入しても許される、という屁理屈だ。
 ペンは当然先んじて回収しており、この時点でまだジュディの手中にある。


 ペンの持つ意味合いが変わりだすのは、先述のジュディが記者会見前にニックへ警察学校の願書とともにペンを渡すシーンでだ。
 ペンと一緒に申込用紙、というのが心憎い。
 ここで単にペンを渡すだけなら、ジュディは単に契約を履行しただけにすぎない。使うものと使われるもの、それ以上ではなかったはずだ。
 しかし、ここでペンと用紙を同時に渡すことで、ペンは脅迫の材料が詰まった録音機としての機能よりも本来的な筆記用具としての役割のほうが重視される。
 ペンとして使うことで、ニックはジュディの真のパートナーとなる第一歩を踏み出すことができる。
 筆記用具と録音機能、一つのペンがふせ持った二つの機能のどちらを使用するかで彼らの関係が更新される、というのは興味深い。


 もっとも、ニックが筆記用具としてペンを使うことはない。
 彼はジュディの記者会見での言葉に失望し、バッヂと申込用紙を投げ捨てて警察署を後にする。


 しかし、ペンは持ったままだ。
 彼がその後の展開を予測していたかは定かではない。詐欺師としての長年の性が取らせた無意識の手癖でもあったのだろうが、それ以上にジュディとの思い出を完全に捨てきるまでに思いきれなかったのだろう。ともかくも、彼はギリギリのところでジュディとのつながりを保った。
 そして、その忘れがたきペンがジュディをニックの元まで呼び戻す。


 肉食獣凶暴化の原因に気づいたジュディは隠遁していたクソ田舎から飛び出して、おんぼろトラックを駆ってズートピアへと舞い戻る。
 そうして、水の抜かれた川にかかった石橋のたもとでくつろいでるニックを探しだす。
 顔をそむけるニックの背中に、ジュディは泣きながら謝罪する。
「私が全部間違っていた。ほんと、なんてマヌケなウサギなのかしら……」
「”なんてマヌケなウサギなのかしら”」
 ジュディの耳に聞こえてきたのは自分の声だった。
 ニックはペンを振ってこう告げる。「心配すんな。四十八時間たったら消してやるよ」


 ここで反復されている行為は、そう、「脅迫」だ。
 なんとまあ美しい脅迫だろう。
 ニックはここでペンが元々脅迫の道具であることを観客に思い出させ、ジュディに(戯れに)脅迫を仕返す(のを演じる)ことで二人の間に貸し借りがないことを示した。
 言うまでもなく、この脅迫劇は構図を反転した儀式にすぎない。
 普通の作劇ならば、不信を生じた二人の仲を取り戻すためには何かしらの劇的なイベントを挿入するのだろう。
 しかし、ディズニーのストーリー制作者たちはジュディにただ「ごめんさい」を言わせた。
 これは決裂したきっかけがそれだけ根深いものであることの裏返しでもある。単なる誤解やすれちがいではなく、あのときあの瞬間、決定的にジュディは差別しており、「間違ってい」た。*7
 間違いに対しては、謝るしかない。そして、反省は行動で示すしか無い。その点でもディズニーはかぎりなく誠実な作劇を行っているといえる。そして、その「ただ謝る」の効果を最大限高めるために極めて映画的なシチュエーション(橋の下、光と影)をえらび、最高に気の利いたダイアログと儀式を書いた。


 最後にペンはもう一度、重要な役割を果たす。
 これも先述しているが、博物館でのクライマックスとなる寸劇の後、調子に乗ったベルウェザーのくっちゃべった悪事を録音する、その道具としての大役だ。
 このときペンはいつのまにかニックから返却され、ジュディの左手に握られているが、そんなことはどうでもいい。留意すべきは二人がガッチリと肩に手を回しあって繋がっていることで、ペンはジュディの手に握られていたとしても実際上は二人の共有物なのだ。
 それまで片方がもう片方をだまし討するための道具でしかなかったペンが、二人が協力して共通の敵を倒すための必殺の武器と化す。すごい。*8


 ペンは二人のあいだでやりとりされる唯一の目に見えるアイテムと言っていい。「目に見える」とつけたのは、彼らは言語上で極めて活発な交換を行っているからで、その解説は後項に譲る。


 バッヂを忘れていた。
 いや、ほんとうは忘れていない。


 捕物劇の後、ジュディは復職し、バッヂを取り戻す。
 そして、ニックも警官学校へ入学し、卒業時にジュディから本物のバッヂを受け取る。
 これで、一度壊れかけた「真の相棒になる」という夢が象徴の面でも達成される。
 そして、物語は相棒同士となったニックとジュディの日常へと移る。
 夢がかなって「めでたしめでたし」の後は、いつだってその後の現的な日常が待っている。そして、現実とはかならずしもカカオ100%である必要はない。


 かくのごとく、バッヂとペンは有機的に二人の関係のダイナミクスを表している。


3.Hustler, Sly Fox, Dumb Bunny and Biology.

カラー図解 アメリカ版 大学生物学の教科書 第1巻 細胞生物学 (ブルーバックス)

カラー図解 アメリカ版 大学生物学の教科書 第1巻 細胞生物学 (ブルーバックス)

 有形のアイテムやオブジェクト以上に反復されるのが言葉だ。
 ミスター・ビッグの「氷漬けだ!」みたいな細かいセリフまで拾っていったらきりがない。
 しかるによって、ここではジュディとニックの間で反復される言葉のみにフォーカスしよう。


 概説から入ると、ジュディとニックのセリフには反復が多い。それも、ジュディの使った言葉をジュディが繰り返すのではなく、ジュディの使った言葉をニックが、逆に、ニックが使った言葉をジュディが繰り返すというパターンが多い。
 そうやって語彙を交換していくことによって二人の親密さを描くのと同時に、何かと取りざたされるポリティカル・コレクトネス的な観点から言えば、二人の間に横たわる種族差、性差、格差などを均す作用もあるんではないかと思われる。


3.1 Hustler - わかちあうためのキャラクター
 たとえば、詐欺師(Hustler)という単語。
 これは、謀られたことを知ったジュディにニックが投げつける言葉だが、真面目一辺倒でまっすぐなジュディの生活範囲のボキャブラリーには(辞書的な意味は知っていても)ないワードだ。
 法の外側の人間であるニックにその何たるかを不本意ながら教育されることで、ジュディはその言葉と付随するキツネ的な狡猾さを体得し、後日ニックをペテンに掛け返す。*9
 そのときに、ジュディはニックに対して「詐欺師って呼んで」と意趣返しを行う。警官学校でのトレーニングでも垣間見えるが、一見強情にも見える彼女は意外に目的を最短距離で達成するための柔軟な合理性を具えている。
 いっぽうで、彼女はニックの詐術を真似る内に、ニックという人間(キツネ)を理解するための縁に手をかける。

 「詐欺師って呼んで」というセリフは、はジュディの口を通じて、実質的には二人からベルウェザーに対してもう一度繰り返される。
 ジュディへ一回、ニックへ一回、そしてベルウェザーへ一回。三度繰り返すのは反復の基本である。

 こうしてニックの語彙であった「詐欺師」は真似という名の反復を経て、最終的に二人の共有の辞書に登録される。


 3.2 Sly Fox, Damn Bunny - ステレオタイプから自由になるための交換
 こうした語彙の中で最重要のフレーズといえば、「ずるがしこいキツネとお馬鹿なウサギ a sly fox & a damn bunny」だろう。
 どちらも英語の慣用表現(sly as a fox で「キツネのように狡猾」、damn bunny は「おばかさん」)でそれがそのまま『ズートピア』ではそれぞれの種のイメージにはめこまれている。
 ニックはジュディに対して、「ズートピアではなりたい自分になれるなんてウソだ。自分は自分でしかない」と言ってこのフレーズを引く。*10彼自身、「狡猾」という世間的なキツネのステロタイプを演じて恥じる様子がない。

 ところが、実のところ、その「狡猾なキツネ」の姿は、彼が積極的に望んだ自己像ではなかった。
 彼は幼少時のあるトラウマから、「世界がキツネをずるくて信用出来ないと決めつけるなら、何をしても意味は無い」*11と悟り、捨て鉢半分自己防衛半分でそうしたイメージを演じていたに過ぎない。

 終局的にはニックは世界から決めつけられたキツネのイメージを拒絶し、幼い日の夢だったレンジャー隊の亜種ともいえる警官に就職する。
 そして、パートナーとなったジュディにこんな言葉をかけられる。
「頼んだわよ、おばかなキツネさん(Dumb Fox)」。
 ニックは微笑んで「ずるいウサギ(Sly Bunny)」*12と返す。
 このときの彼は押し付けられたイメージから自由だ。
 「警官なんて無理だ」「重大事件を解決するなんて無理だ」と「愚かなウサギさん」としてさんざん可能性を否定されてきたジュディもまた、世界の押し付けを回避している。
 お互いに、形容詞を交換することによって、望んだ自分を生きられる。二人がパートナーである意味は、こんなところにも見受けられる。


3.3 Biology - 言語による差別の構成プロセス
 さらにもう一つ、作品のテーマに係る重要な単語がある。*13
 Biology あるいは Biological だ。

 この言葉は都合五カ所で発される。
 一番最初は開幕早々のジュディによるナレーション。
「太古の肉食獣たちは抑えがたい、本能的な衝動(Biological urge)によって……」草食獣たちをズタズタに食いちぎっていた、という。

 より重要な用例はジュディがバニーバローからズートピアへ旅立つ駅構内で母親からかけられるセリフだ。
 愛娘がギデオンにてひどい扱いを受けたこともあり、両親はキツネに対してあまり良い感情を抱いていない。

ストゥー(父親)「そして最悪なのがキツネどもだ」
ボニー(母親)「実際、あなたのお父さんは正しいことを言ってるわ。それが彼らの本能(their biology)なのよ。ギデオンがあなたに何したか覚えてるでしょう?」

 ジュディは表面上は両親の偏見に対して渋い顔をして、「あいつみたいなキツネばかりじゃない」と反論する。
 しかし、彼らの言葉はしっかりと彼女の深い部分に刻み込まれてしまっている。

 言語が思想を規定するかどうかは今でも議論が分かれるらしいが、環境は間違いなく言語を規定する。ジュディの両親は悪人ではない。むしろ、世間的には善人の部類に属する。*14しかし、彼らが日常的にキツネを含めた肉食獣へ向ける無意識のバイアスがそのまま語彙へと影響し、トラウマ持ちのジュディを蝕んでいったのは想像に難くない。
 ボニーの使う biology というのが英語圏で日常的に使われる言い回しなのかはわからないけれども、わりあい遠回しな表現であり、彼女なりに気を使っていることも窺い知れる。
 それだけになおさら、というところもある。
 娘を思いやっての善意から発される言葉だけに、ジュディのほうでも抗しがたい。


 三箇所目はクリフサイドのアサイラムライオンハート市長(当時)とマッジ博士の会話を盗み聞きするシーンだ。

博士「市長、彼ら(凶暴化した肉食獣たちのこと)の本性(biology)を考慮にいれるべき時かもしれません」
市長「なんだと? "本性"とはどういう意味だ?」
博士「凶暴化しているのは肉食獣だけです。私たちはいつまでも秘密を隠し通せなどしません。公表すべきです」

 これで決定的にジュディの脳に「凶暴化する=肉食獣」の図式がインプットされる。もともと緩く(頭では正しくないとわかっていても)バイアスに支配されていた彼女はこれでもう後戻りできなくなる。


 かくして、四度目の「Biology」は記者会見の場でジュディ自身の口から発される。それが悲劇の引き金となる。

ジュディ「何が起こっているのかは私たちでもまだ把握していません。しかし、おそらくこれには彼らの本性(biology)が関係しているかと」
記者「どういう意味でしょうか?」
ジュディ「生物学的な理由(biological component)です。ええと、DNAにまつわるものです」

 「DNA」もまた彼女に刻印された言葉であることを思い出したい。
 ギデオンに襲われる直前、彼の口から「DNA」という言葉が飛び出していた。それがジュディにトラウマ体験の一部として、肉食獣への無意識の不信と関連付けられた語として刻まれていたとしても不思議ではない。

 記者会見が終わっても、浮ついたジュディは自分がどれだけ重大な失言をしたか気づいていない。
 ニックに難詰されてようやく自分の過ちに気づく。

ニック「 "明らかに生物学的な理由がある”だって? 肉食獣はみんな野蛮な原始時代に戻るってか? 正気か?」

 「昔はそうだったんだから、今もそうだろう」という安易でリニアな接続を彼女は田舎の善良な両親との日常の中で育み、事件の決定的な瞬間を通じて決定的に固着させてしまった。
 それまでジュディなら信じてもいいと思わせていたニックすらもドン引きさせるほどのナチュラルな偏見。

 差別や偏見が形成されていくプロセスを辿ったものとして、これほど周到でリアリスティックなものは他に類を見ないと過言じゃないだろう。

 『ズートピア』が「政治的な正しさ」の鋭さをもって称揚されるべき点があるとしたら、まさにこの「Biology」の使い方をもって銘されるべきなのではないだろうか。


 五番目の biology を忘れていた。
 博物館でのクライマックス。
 ベルウェザーが凶暴化麻薬(本当はブルーベリー)をニックに打ち込み、ニックが凶暴化する(ふりをする)シーン。
 文字通り目つきが豹変したニックを見て、ジュディは怯える。「やめて!」
 ベルウェザーは二人を高みから見下ろして哄笑する。

「あら、でもやめられないんでしょう? だって、肉食獣は”生物学的(biologically)"に野蛮なんだもの!」

 語調からして明らかにジュディの記者会見の引用である。
 彼女は自分で作り上げた悪夢のつけを払わされることとなった――かに思われたが、それがお芝居であったことは周知のとおり。

 あえて、悪役のベルウェザーに「Biology」という呪われた単語を使わせ、それに打ち勝つことで、ジュディに焼き付けられた刻印を取り除いた脚本の妙。


4.その他の反復たち。

  なんかいい感じの話になってきたがとんでもない。本記事はディズニー内部に巣食う偏執的な反復狂いを告発するために立てられたのである。以下、そういうものを列挙していきたい。

 あらかじめて端的に言ってしまえば、
「『ズートピア』において一度出てきたものは、すべて、全部、なにもかも、漏らさず、あまさず、必ず、オールウェイズ、後で再登場する。
 また、いきなり出てきたように見える場合でも、必ず以前どこかにこっそり顔を出している」
 ということだ。


4.1. ブルーベリー

 本作の騒動の元凶となる精製麻薬はブルーベリーのような外見を有している。
 初登場はどこか。
「ニックとジュディが仲直りした直後のトラックで」
 と答えたあなたは五十点。

「ジュディが田舎で野菜を売ってる時の荷台」
 と答えたあなたは七十点。

 正解は、
「ニックとフィニックに騙されたと知ったジュディがニックを見つけて、二人して歩きながら会話するシーン」だ。
 このくだりにおいて、ニックは露天のくだもの商からブルーベリーをくすねて口に入れている。
 ニックがブルーベリーに目がない事実はここで既に示唆されている。

 トラックの中で、ニックはほくほく嬉しそうにハンカチにブルーベリーを包む。
 そして、そのブルーベリーを博物館での逃走中に床にぶちまけてしまう(よく電車でのアクションのときにぶちまけなかったものだ)。
 足を怪我して走れないジュディは「私を置いて、証拠品を持って警察へ行って」とニックに懇願するが彼は「そんなことができるわけない。なんとか方法を考えなきゃ」と慌てる……そして、その視線は床に散らばっているブルーベリーに向けられている。

 こうして、クライマックスでメリウェザーが麻薬入りと思い込んで撃った弾は、ニックがすり替えておいたブルーベリーだったという展開に至る。


4.2 たまねぎのような植物
 麻薬の原料となるのが長ったらしい学名を持つたまねぎのような植物だ。
 ウィーゼルトンが麻薬ラボのダグに渡すために花屋からバッグに詰めてかっぱらおうとして、ジュディに逮捕されて失敗。ボゴ署長が署長室でバッグの中身をぶちまけて、「たまねぎを守るためにあんな大捕り物を演じたのか?」と皮肉を言うシーンで初出。
 ジュディは「これはたまねぎじゃありません。うちは農家だから知ってるんですが、ちゃんと名前があって……」と言う。
 このセリフからジュディの実家でも栽培している、という事実がわかり、そして後々(ジュディが依願退職して田舎へひっこむところ)、実際にその様子が出てくる。
 そして、ギデオンのセリフから、ジュディはこのたまねぎのような植物こそが麻薬の原料であり、肉食獣凶暴化の原因であると見ぬくのだった。


4.3 沈黙する羊たち
 『ズートピア』の黒幕は羊のメリウェザーを首魁とする羊の一派である。初期設定資料集を見てみると、どうやら羊たちはKKKだかフリーメーソンだかっぽい秘密結社を結成しているようで、そうなると劇中に登場する羊たち、特に目が「➖」になっている羊たちはダンチに怪しい。
 見直すときにはこういう羊たちの暗躍に注意を向けてみると面白いかもしれない。


 4.3.1 ダグ
 たまねぎのような麻薬の原料をヤミで大量に仕入れているのが麻薬製造ラボの作業員兼狙撃手の羊、ダグだ。*15要するに、事件の実行犯。
 彼は地下鉄の廃墟のラボが初登場シーンなように思える。ところが、実はとっくの前に彼の姿を我々は目撃している。

 ニックとフィニックが初登場するシーンで道路から車を出そうとして「邪魔だ! どけキツネ!」と声をあらげる冷凍車に乗った羊がいる。これが実はダグだ。
 もちろん、その時点で気づけという方が無理な話なのだが。

 ちなみにダグという名前も、彼の再登場以前に我々の視界に入っている。
 副市長室でCCTVにアクセスするさいに、メリウェザーの机が出てくる。やたら付箋だのマグネットだの市長のプロマイドがベタベタはってある乱雑な机だが、そのなかのポストイットのひとつに「ダグ」という名前と彼の電話番号「805-555-0127」が書いてある。らしい。(disney.wikia 情報であり、実際にこの目で確認したわけではないので自信がない)

 まあこれもそのとき気づいたからといってどうもこうもない要素ではある。


 4.3.2 羊の新聞記者

 記者会見のシーンは一見自然な流れでああいう雰囲気が醸成されたように見える。
 だが、よくよく見直すと「絵図をひいた」人物が存在したりする。

 記者会見において、ジュディが「これまで凶暴化したのは全員肉食獣でした」と答えたのを受けて「つまり、肉食獣”だけ”が凶暴化するということですね?」と質問した記者がいた。
 これが羊の記者だった。一説にはダグであるという説もある。
 ジュディはその言葉が持つ意味の重大性を考えもせず、「そうですね、それが精確……精確な表現だと思います、はい」とお墨付きを与えてしまう。
 こうして「肉食獣だけが凶暴化する」という方向へと会見は誘導されていく。


 4.3.3 無害な羊?

 「➖」目の羊がすべて悪人かといえば、そういうわけでもなさそうだ。
 本編の冒頭の幼ジュディの寸劇を観覧する人々の中に、一匹だけ「➖」目の羊が紛れ込んでいる。
 そのあとギデオンにいじめられているのが羊の子どもたちであることを考えると、彼らのうちの親のひとりだろうか。
 なんにせよ、ジュディが子供の頃(十五年以上前)なので事件との関わりはなさそう。

(以下、基本的にキャラクターそのものは対象から外す。セリフ付きのキャラで二度以上出てこないキャラはヌーディストクラブの会員たちなど除いてほとんどいない)



 4.4 「素敵な髪型ね」
 ズートピアの裏社会の顔役、ミスター・ビッグの愛娘フル―・フル―に対してジュディがかける言葉。
 ウィーゼルトンがローデンシアで逃げている最中に、巻き添えを食らってあやうく命を落としかけたところを救われる。

 再登場時、ミスター・ビッグの燗気に触れて処刑されそうになっているジュディの姿を認めて、フルー・フル―はすんでのところで助け返す。そのときにジュディはリフレーズする。
「すてきなウェディングドレスね」


 4.5. ドーナツ
 ZPDの受付係クロウハウザーのアイテム。
 初登場時からめっちゃ食ってる。
 ローデンシアでの捕物劇で、ジュディはおおきなドーナツの模型を縄がわかりにウィーゼルトンを捕縛し、クロウハウザーの前でゴロゴロと転がす。

 ちなみにクロウハウザーが資料室勤務から受付に復帰した時も同僚がドーナツを箱ごと差し入れている。


 4.6 電車
 ローデンシアでのウィーゼルトンとの追いかけっこの時に登場。
 そのときの電車はネズミサイズ相応のミニチュアだが、後にフルサイズの電車の中でアクションする羽目に。


 4.7 ゾウの鳴きマネ
 赤ん坊を装うフィニックを、ニックが「こいつゾウの鳴きマネが好きなんだよ」と言う。そのときジュディもついゾウの鳴きマネをしてあげてしまい、後でニックからバカにされる。

 地下電車でのアクションシーンで電車をのっとった際、ニックは「昔からの夢だった。ゾウのパオパオしていいかい・」と言って電車の汽笛を鳴らす。


 4.8 ボイラールーム。
 メリウェザーの副市長室はボイラーのある地下室に設置されている。
 クロウハウザーの左遷先の資料室もボイラーの横。


 4.9 親からの携帯電話コール
 勤務初日、ニックにさんざんバカにされたあと両親からジュディへ電話がかかってくる。

 クリフサイドのアサイラムで、身を隠している最中に両親からの電話の呼び出しがなってしまい、隠れていたことがバレる。


 4.10 便器
 警官学校時代、ジュディは肉食獣サイズの便器で足を滑らせて落下してしまう。
 その体験がヒントとなり、アサイラムで追い詰められたときに、下水を通って外部へ脱出するアイディアを思いつく。


 4.11 ボゴ署長の朝礼
 ジュディ着任時。
 ニック着任時。
 反復することでジュディたちに対する親密さの変化を表している。


 4.12 ミスター・ビッグの冷凍庫
 一回目はジュディとニックが放り込まれそうになる。
 二回目はウィーゼルトンから証言を引き出すため、ジュディとニックがミスター・ビッグに頼んでウィーゼルトンを吊るしてもらう。
 これも反復することで関係の変化を表している。


 4.13 ガゼルのアプリ
 一回目はクロウハウザー。
 二回目はボゴ署長。
 クロウハウザーみたいな頭の軽いやつが喜ぶアプリを硬派なボゴ署長も使っている、という笑いのシーン。
 アメリカのコメディ番組のいちシーンからの引用という説もある。


 4.14 ニュース番組
 一回目は凶暴化した肉食獣とそれに伴う都市の不安を報じる内容。
 二回目は事件の解決と状況改善を報じる内容。
 ニュース内容のトーンの違いが際立つ。
 それにしても雪豹のキャスターのお姉さんが超絶美人ですね。


 4.15 キツネ撃退スプレー
 ジュディのキツネに対する根源的な恐怖を象徴する重要なアイテム。
 一回目はズートピア出立時に両親からジュディへ渡されるとき。
 二回目は初出勤時に携帯して出ようかどうか迷うとき。
 三回目は不審げな初登場ニックをみかけて尾行するとき。
 四回目は記者会見の後ニックから「気づいてないと思ったのかそのスプレー! 最初から気づいていたさ!」と指摘されるとき。


 4.16 メリウェザーの頭のふわふわ
 一回目は、副市長室でのCCTVアクセス時にパソコン作業にいそがしいメリウェザーのあたまをニックが触りまくる。
 二回目は、エンディングでメリウェザーの両隣に座った囚人が彼女の頭をさわりまくる。


 4.17 パウシクル・アイス
 一回目、ニックがゾウのアイスを溶かして製造販売しているところをジュディが目撃
 二回目、オッタートン失踪事件のてがかりに
 三回目、ラスト、なぜかパトカーに乗ったニックが舐めてる。


 4.18 「ウサギ」「にんじん」
 ニックがジュディを呼ぶ時のアダ名。
 「ジュディ」と呼ぶのは滝壺に落ちたときの一回だけ。


 4.19 ニックのサングラス
 アサイラムで肉食獣を開放した直後、ジュディが仲直りにしにきた時、ニックの警官学校の卒業式、ラストのパトカー。
 まあ警官といえば、これ、なイメージはある。


 4.20 オオカミの遠吠え
 一回目はCCTVに映ったとき。
 二回目は一回目を踏まえてジュディがその習性を利用したとき。


 4.21 警察学校の卒業式
 一回目はジュディの、二回目はニックの。


 4.22 「90%は草食動物」
 一回目はジュディがメリウェザー昇格後の市長室に呼びだされた時にメリウェザーが、
 二回目は博物館でメリウェザーが再び口にする。


 4.23 「質問には質問で返して自分で答えろ」
 某氏*16に言われるまで気づかなかった。

 記者会見時にニックが緊張するジュディへ送ったアドバイス。実際に記者会見で使用するもすぐに場の雰囲気に呑まれてしまう。
 このテクニックがラストでも再利用される。
 パトカーでニックが運転席のジュディに「俺のこと大好きなんだって、お前自分でわかってるんだろ?(Do you know you love me?)」と訊ねると、ジュディは「私がわかってるか、って?(Do I know that?)」と疑問形で返し、「Yes, yes i do.(うん。わかってる)」と自分で答える。
 精確に言うとニックが教えたテクニックは質問された内容に含まれていないこと(単語)について自問して答える、という形式なので、ラストのやりとりと微妙に違うのだけれど、論点を巧妙にはぐらかす(「そうだね」は直截的には「Love」ではなく「Know」にかかってる)点では一緒なので、反復に含まれると思う。


 さがせばもっと出てくるんでしょうけれど、もう疲れた。


かもめ・ワーニャ伯父さん (新潮文庫)

かもめ・ワーニャ伯父さん (新潮文庫)

チェーホフは晦渋でよければ青空文庫にだいたいある。

*1:決定的なのは記者会見のシーンにおける用語と親から渡されるキツネ撃退用のスプレーであるけれども、これらについては後述

*2:誤字ではない

*3:そういうわけでこのラストシーンにつなげるためにはギデオンと和解する場面を描くことが不可欠だった。

*4:脚韻

*5:こうしたズートピア全体の不和は、ジュディとニックの個人的な対立と同調していて、ここでも1で述べたマクロとミクロのシンクロが行われている

*6:今思ったのだけど、ミスター・ビッグ曰くオッタートンと家族ぐるみの付き合いだったのなら、オッタートン夫人が夫の仕事先を知らないのはおかしくないか? オッタートンは根っからはミスター・ビッグを信頼しておらず、家族には付き合いを隠していたのだろうか。

*7:そしてニックもジュディがその間違いを自覚し、悔恨していることは重々承知していた

*8:録音機が声を囚えるツールであると解釈した場合、ニックは仲直り時にジュディの声を捕獲することで遠回しに「おまえは俺のもんだぜ」と愛の告白をしたという解釈も可能だが、いささか古風すぎる気もする。

*9:ジュディがニックを捜査に勧誘するシーン

*10:"All right, look, everyone comes to Zootopia thinking they can be anything they want. Well, you can’t. You can only be what you are. Sly fox, dumb bunny.” - 「みんな成りたい自分になれると信じてズートピアに来る。だが、なれない。自分は自分にしかなれないのさ。ずるいキツネ、間抜けなウサギ」。このセリフを受けてジュディは「私はマヌケなウサギじゃない」と即レスする

*11:原文は “If the world’s only gonna see a fox as shift and untrustworthy, there’s no point in trying to be anything else.” - 「もし世界がキツネをずる賢くて信用出来ない存在としてしか捉えないのなら、「別のなにか」になろうなんて努力は無駄さ」

*12:クリフサイドのアサイラムに狼の習性を利用するシーンで、ニックはジュディのことを「Clever」と褒めている。たしかこれも前にジュディが言ったセリフのはず

*13:単語単位で言えば、tryなども重要なんだけどまあ

*14:因縁あるギデオンを受け入れ、ビジネスパートナーになるという寛容さは並大抵ではない

*15:ちなみに声を当ててるのは監督のリッチ・ムーア

*16:https://twitter.com/simiteru8150/status/727159969733206016


Viewing all articles
Browse latest Browse all 264

Trending Articles