今年に入ってから映画の感想をブログに残していないことに気づいたのでよくないなーとおもったので、時期も時期もだし、アカデミー賞の作品賞候補になっている十作品のうち、日本で公開済みの九作品についての感想を書いておきます。正直、そこまで興味持てなくて関連情報も掘ってない作品ばかりなので、表層的なことしか言えませんが。以下、好きな順。
『ナイトメア・アリー』(ギレルモ・デル・トロ)
フリークショー(見世物小屋)映画とペテン師映画のハイブリッド。デルトロ作品のなかではベストではないだろうけど、いちばん好きかも。
とにかく前半の見世物小屋描写が最高で、カーニバルの夜の陰気ないかがわしさも昼の陽気な愉しさも両方ともたっぷり描いてくれます。これはリメイク元である『悪魔の往く町』にはなかったところ。*1ウィレム・デフォーがウィレム・デフォーしているのも見所。
ただまあ、これは主演のブラッドリー・クーパーの映画ですよね。最初は寡黙でひょろりとした正体不明のあんちゃんとして現れたクーパーがマジシャンの弟子になり、やがて口先という天分を見つけて都会でペテン師として成り上がっていく。その過程が「ギーク」*2というカーニバルの見世物*3に重ねられているのが痺れるといいますか、わたしの好きなタイプのプロットです。これがクーパーによく合うんです。
ラストのある場面でクーパーは「Mister, I was born for it.(そのために生まれてきたんです。)」と言います。このセリフは原作には存在せず、『悪魔の往く町』では「I was made for it.」でした。 made ではなく born 。どちらも意味的には代わりません。*4
しかし、どこまで行っても身ぎれいで、顔立ちや瞳に強さを宿したタイロン・パワーはたしかに「作られて」そこに在るのかもしれないけれど、どんなに男らしく強権的に振る舞っていても眼からフラジャイルさが消えないクーパーの場合は「生まれた」ときの運命から抜け出せない。ささやかでありつつも、極めて重要な変更点です。まだあんまりうまく言語化できないのでこれから考えていきたい。
こういう生まれ持った宿命に呪われて抜け出せない系の物語によわいな……。クリント・イーストウッドの言うところの「運命に後ろから追いつかれる」的な。
『ウエスト・サイド・ストーリー』(スティーブン・スピルバーグ)
同名のミュージカル映画(1961年、ロバート・ワイズ監督)のリメイク。
ミュージカルっていうよりは映画なんだけど、やっぱりミュージカルでもある。ふしぎな作品です。映画的な制約の要請としてミュージカルを映画的に撮らざるをえない窮屈な作品は多いというか、実写のミュージカル作品ってそういうものばかりなんですけれど、これはスピルバーグが映画的に撮りたいからそう撮っているという感じがする。
たとえば、終盤のレイチェル・セグナーとアリアナ・デボーズが言い争う場面で、ふたりとも歌いながらなのに普通のドラマのような顔どアップの切り返しでカットを割っていて、これが成立するのスピルバーグくらいでしょう。
主役二人が恋に落ちる体育館での集団ダンスシーンもバッキバキに決まっていて最高で、ある映画評論家が「歌だけじゃなくてコレオグラフも含めてのミュージカル」って言っていたけれど、まさにそれが体現された快楽的なシーンだとおもいます。
今年去年とミュージカル映画がやたら多いですけれど、この調子でどんどん増えていってほしいですね。好きなジャンルなので。といっても、新作で自分に完全にフィットするものは少ないのですけれど。『シラノ』(ジョー・ライト監督)なんかも曲はよかったんだけど……。
『パワー・オブ・ザ・ドッグ』(ジェーン・カンピオン)
アートハウス~~~~~ってかんじ。
最初、カンヌのコンペにノミネートされたときは「えっ!? まさか、ドン・ウィンズロウの映画化!?」と興奮しましたけれど、違いました。いちおう、ウィンズロウのカルテル三部作もFXでのドラマ化が進んでいるらしいです。最初はリドリー・スコットで撮る予定だったらしいけど、どうなるのやら。
それはさておきつ、ジェーン・カンピオンのほうの『パワー・オブ・ザ・ドッグ』。弟を子持ちの女にとられて嫉妬で狂うカンバーバッチがいいですよね。弟役のジェシー・プレモンスもあいかわらずいい。カンバーバッチと比べてどっちがインテリ感あるかっていうとカンバーバッチのほうなんですが、モンタナにいそうな男感はプレモンス。っていうか、カンバーバッチは英国人だしね。コディ・スミット=マクフィーもオスカーの助演男優賞ノミニーに値する存在感。
こうして見るとなんかウジウジした男ばかりで、『パワー・オブ・ザ・ドッグ』とはアメリカの田舎のウジウジした男たち映画だったのかもしれません。アメリカ人はアメリカのうじうじした男映画が大好きなので毎年ひとつはその風味のある映画が作品賞候補に入っているものですが、受賞となると『ムーンライト』以来?
『コーダ あいのうた』(シアン・ヘダー)
毎年オスカー候補に一作は入ってる系のふつーにいい話だなあ、っていいますか。ふつーにいい話だなあ映画ってそんなきらいじゃないですよ、わたしは。『ニュー・シネマ・パラダイス』に感動するタイプの人間なので。
他人に感想を述べるなら以上でおしまいなんですが、それだけだと他に比べてバランスがわるいか、そうですね……。
主人公は、耳が聴こない家族のなかで唯一の健聴者で、ある種の通訳者として家族と地域社会との橋渡しを担っている。タイトルにもなっている「コーダ(CODA)」とはこうしたひとのことです。両親が仕事を行う上でも彼女の存在は欠かせないわけで、家族としては高校生の娘に依存して生活しなければならない、といういびつな状況に陥ってしまっています。しかし大学進学を控えた主人公にも将来の夢ややりたいことはあるわけで……という、このジレンマの作り方がうまい。「親も子も互いのことを大事に思っているし好きなんだけれど、関係としてはトキシックになってしまっている」という悪人のいない悲劇的なシチュエーションは最近だとピクサーの新作『私ときどきレッサーパンダ』もそうでしたね。毒親ものが増えてきた今だからこそのバランスというのもあるのかな。
『ベルファスト』(ケネス・ブラナー)
北アイルランドのベルファストのある通りに住む少年と家族を描いた、ブラナーの自伝的作品。
冒頭からその通りに対して覆面の集団が襲撃をしかけてきて、なんだと思ったらマジョリティであるプロテスタントがマイノリティであるカソリックを追い出そうとしているんですね。そんな地域で主人公である少年家族はプロテスタント、という少々呑み込みづらい設定。しかし複雑な設定であるからこそ、差別的な対立の恣意性や不毛さが際だつのかもしれません。主人公と近所のお姉さんが「プロテスタントっぽい名前とカソリックっぽい名前の違い」を並べあうシーンは皮肉かつ象徴的です。
俳優は全員がんばっていて魅力的。
ただ正直、この題材ならもっとおもしろく撮れたんじゃないかな。そうならないのがブラナー的というかなんというか。モノクロで撮っているところなんかさしづめアルフォンソ・キュアロンの『ローマ』で、無垢な少年が差別的な社会のまっただ中に放り込まれるさまは、タイカ・ワイティティの『ジョジョ・ラビット』なんですけれど、キュアロンほどの格もワイティティほどの愛嬌もブラナーにはないんですよね。そこが最近は好ましくも感じられるんですけれど。
作品としてはともかく(今やってる『ナイル殺人事件』のほうが好き)、ブラナーの個人史としてはなかなか興味深い。というのも、後年ブラナーが映画として撮ることになる「ケネス・ブラナー少年が大好きだったもの」がちょくちょく映り込んでくるからです。観ていると、ああ『オリエント急行』をああいうオープニングにしたのは少年時代にこういう状況を体験したからなのだなあ、とか、請負仕事でやっていたとばかり思っていたけど意外と『マイティ・ソー』に思い入れがあったんだなあ、とか、微笑ましい気持ちになれます。
『ドライブ・マイ・カー』(濱口竜介)
去年の映画鑑賞まとめにも書いたんですけど、『偶然と想像』のほうが好きなんですよね。わかりやすくおもしろいから。むつかしい映画はわからん。
まあしかし、いくらいけすかねえな~とおもってても濱口作品を観られてしまうのは、そのキッチュな部分、つまり人間のどうしようもなさ(主に痴情のもつれ)とそのヤバさを確実に見せてくれるからです。*5
特に西島秀俊が岡田将生演じる東出昌大(東出昌大ではない)とある共演者が一緒にいるところに出くわしてしまう場面のアチャ~感はすごい。「通りすがってしまい、そのまま通り過ぎざるをえない」という点で、車の特性を他のシーンよりもよほどうまく利用していたのではないでしょうか。
基本的にはコメディの人なんだとおもいますが、シリアスであればあるほどコメディ部分が際立つので、塩梅がむつかしいですね。また『寝ても覚めても』みたいなのを撮ってほしいですが、ここまでのクラスになってしまうと無理なのかな。
『DUNE 砂の惑星』(ドゥニ・ヴィルヌーヴ)
デュ~~~~~ン、ってかんじの映画でした。
ヴィルヌーヴのSFに感心したことってあんまりないかもしれない。重いもん。でもまあ、『メッセージ』なんかと比べるとその重たさに向いた原作だったかもしれません。
『ドリームプラン』(レイナルド・マーカス・グリーン)
女子プロテニスのレジェンド、ウィリアムズ姉妹を育て上げた父親を主人公にした映画。
アメリカンドリームを追い求めるゆがんだ狂人を題材にした映画は好きです。なのですが、本作に関しては無理にホームドラマ的な側面も盛り込もうとしたからか、どっちつかずになってしまった印象。あれはもうたまたまうまくいっただけの毒親だろ。
姉妹たちに『シンデレラ』を観せ、ひとりずつ学んだ教訓を真剣に訊ねていく場面は狂いっぷりという点で好きです。
『ドント・ルック・アップ』(アダム・マッケイ)
好ましい部分は多々あるものの、他者を見下して徹底的にバカにせずにはおられないアメリカンリベラルの悪癖が悪い形で作用していて(『バイス』とかはまだ調和が取れていたと思う)なんだかな~~~という気持ちになる。
ティモシー・シャラメがティモシー・シャラメ役と以外形容しようがない天使みたいな役回り(お祈りするシーンで中心になるし)で出ているのはウケた。あの最後の晩餐のシーン、シャマランの『サイン』っぽくありません? ない?
こうしてみたら十作品中四作品がリメイクというか映画化済作品なんですね。こんな年はあんまりない気がする。単にスピルバーグ、デルトロ、ヴィルヌーヴといった巨匠たちが懐古趣味に走っているだけといえばそうなので、映画界全体の潮流とむすびつけるのはどうなのかな。
そうして、ずばぬけて面白い作品も、どうしようもないほどつまらない作品もない。ようするにいつものアカデミー賞候補作って印象。ここに並んだ作品よりはいまやってるマイケル・ベイの『アンビュランス』のほうが好きです。あれはいいですよ。自分はもしかしたら銀行強盗ものにかんしてはあんまりあたまよくないほうが好きかもしんない*6。
予想ですか。オスカーは『コーダ』が獲るんじゃないんでしょうか。そんなことはどうでもいいから、『リコリス・ピザ』を今すぐ公開してほしい。
*1:1947年版との比較はここに詳しい。 Nightmare Alley (2021) vs. Nightmare Alley (1947): What Are the Differences? | Den of Geek
*2:字幕では Geekという語に「獣」という字が当てられています。辞書的にはただしくありませんが、この映画に関してはフィットしていると思います
*3:特にアメリカでは本来「ギーク」といったらこのカーニバルのギークのことで、「おたく」などの意味はあとからつけられた
*4:まさかブラッドリー・クーパーが監督主演した『アリー スター誕生』(A Star is born)にかけたわけでもなかろうが
*5:おなじキッチュさでもクラシック音楽づかいのダサさは『偶然と想像』でもどうかとおもいましたが……。
*6:ここでいう「頭のいい」はマイケル・マンとか『ザ・タウン』とかであり、「頭がわるい」には『キャッシュ・トラック』とか『アンビュランス』が入ります