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ひさしぶりだな、俺だ、今 VRChat にいる。おまえはどこに?

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 あっちこっちへ 余計な話が多い

 まるで聞いた話が全部右から左に流れていくように

 興味が持てん


  ――『邦キチ!映子さん』Season 7 第八話 

 はじめに忠告しておくけれど、このテキストは長く、一貫性を欠いており、有益な知見も含まれていない。帰ってくれ。


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Gunkanjimaverse より。軍艦島を原寸大で再現したワールド。



あれは2019年のことだった。

 VRChatがアツい、と聞いたのは二年前の京都の旅館さわやで開かれた京都SFフェスティバルの夜の部でのことだった。錬金術師として巷間に広く知られる xcloche さんがVRchatについて語る企画部屋を建て、そこでVR専用のおもしろ美術展示を開催した人のことや、他人のアバターを乗っ取る荒しや、毎日ヘッドセットを装着することで視力を回復した体験談などを語ってくれた。そんなことがほんとにあるの? といった魅力的かつ魔術的な物語の連続で、まるで大航海時代に信じがたい冒険をした船乗りの報告やマンデヴィル卿の旅行記を聞いている心地だった。同時に、わたしには遠い出来事のようでもあった。わたしは開拓者精神にも冒険心にも薄い。船乗りどころか、社会と経済が許容してくれるのであれば一生家に引きこもっているタイプだ。VRChatは部屋にこもったままで海原へこぎ出せる機会を提供してくれるけれど、機会くらいで生まれつきの怠惰さが解消されるわけではない。ザッカーバーグはわたしのめんどくさがりっぷりをなめないでほしい。
 だいいち、アーリーアダプターたちがひとつかみの勇気と好奇心を携えて集うようなコミュニティは性に合わない。わたしは技能面でも性向としても自分でなにかしらの価値を生み出す有用な人材ではなくて、そういうひとたちがひとところに集まってわいわいしているのを見るとまぶしくて眼が焼けてしまう。

 そういうわけで、待った。

 VRのかがやきが十分に褪せるまで、ぴかぴかの冒険心や好奇心がすり減るまで。先駆者たちが飽きるまで。といえばなにやら作戦っぽいけれど、ようするに日々縦になったり横になったりを繰り返しながらもたもたしていただけだった。
 そうこうしているあいだに Oculus Quest 2 が出た。より正確にいうならば、AirLink機能が追加された。どういうことかといえば、ヘッドセットをパソコンに直接つながなくてもパソコン上で動くVRソフトにアクセスできるようになったのだ。OQも最近ではソフトがちょっとは充実するようになったのだけれど、ゲーム機として考えた場合にはヴァーチャルデスクトップにつなげるかどうかで遊びの幅が十倍は違ってくる。まあ、Steam で売られているようなVRゲームソフトはたいがいOclulusのストアにもあるのだけれど、気持ちとしてはザッカーバーグよりもValveにショバ代を払いたい。どちらもシャブを売っているエグいヤクザではあるのだけれど、ザッカーバーグよりかはValveのほうがまだマシな気がする。

スラムとイヌとビリオネア

 OQ2を購入してすぐにVRChatにつないだ。わたしのtwitterのTL上にいる先輩たちはのきなみオリジナルのアバターを制作していて、そういうものがないと(そういうものを作れる技術がないと)市民権が得られないのかと思っていたけれど、オフィシャルのほうで用意されているアバター(ホットドッグとかバターとか)もあんがい充実していて、とりあえず着るアバターがなくて外に出るのが恥ずかしい、といった事態は避けられる。だが。
 途方にくれてしまう。どこにいけばいいのかわからない。
 VRChatは、なんていうの? ワールド? と呼ばれる島宇宙インスタンスに分かれていて、ユーザーは行きたいワールドを適宜指定して飛ぶ。プレイステーション世代なら『サガ・フロンティア』みたいな感じと説明すれば一発で通じる。それ以外の世代にはどういってあげたものかわからない。とりあえず、今サガフロのリマスター版が steam とかで売ってるから買ってやればよろしいのではないだろうか。おもしろいよ。
 ところで、花が咲くのはVRだからでしょうか。鳥が飛ぶのはVRだからでしょうか。それはサガフロ1ではなく2での問いかけなのだが、わたしはてきとうに選んで入ったワールドで、生まれて初めてVRを介して他者と邂逅し、英語で罵詈雑言を浴びせられている。


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 声はかなり幼い。どうやら向こうのことばでいうところのキッズであるようだ。
 わたしは留学先だったブライトンの学校の校長室から泣きながら母国に「帰りたい」と電話した日から英語が耳に入ると全身が小刻みに震えて吐き気を催し一言も発することができなくなってしまう。つまり英語で話しかけれても返答できないわけで、知ってか知らずか向こうのキッズは「聞こえないのか? もしかして、×××か、テメー?」などと罵りを重ねてくる。


 耐えがたくなって別のワールドに飛ぶと、そこは街一つがまるごとナイト・クラブのような場所になっている。グルーヴィなヴァイブスが心地よい。オフィシャルで用意されたマシュマロ人間みたいなアバターをぶよぶよ揺らしながら、歩き回っていると突然、「おいっ、あそこに変なのがいるぞっ」と四五名の十代?らしき若者グループに追いかけ回されだす。逃げても笑いながら「待てよ~」などと囃されて、追い詰められた末に路地の隅で取り囲まれる。実世界での経験上、英語をしゃべる四五名くらいの十代のグループはランダムに選んだアジア人を特に理由なく追いかけ回してもよい、と考えているのは知っていて、関わるとろくなことにはならないのもわかっていた。もっとも、わたしのガワはぶよぶよ人間なので国籍まではわからないだろうが。
 かれらはなにやらぶよぶよ人間にコミュニケーションを求めている風だったが、わたしのほうとしては逃げる相手を集団で追いかけるようなやつらには恐怖しかおぼえず、震える指でコントローラを操作してなんとかホームワールドへ脱出した。


 三番目に訪れたワールドでは誰にも絡まれることはなかった。
 そこは「陣内智則の動画を24時間流すだけの部屋」と名付けられたワールドで、日本のひとが作ったようだった。行ってみると、なるほど一室だけのスペースしかなく、壁には Youtubeを再生できるスクリーンがあった。ワールドの趣旨からすると、そのスクリーンは陣内智則Youtube動画を流す目的で設置されたのだろう。
 しかし、その画面に映っているのは陣内智則ではなく、Happy Tree Friendsっぽいカートゥーン調のアニメで、数名のキッズたちが床に座ってそれを鑑賞しながら、なにやら英語でささやきあっていた。その反対側では、有名なゲームキャラのアバターを着たなにものかが鏡の前でひとり無言でポーズを取っていた。なにやら縦にした口と目だけでできた奇妙なキャラもいる。わたしの足元には「陣内智則」と書かれたプレートが変死体のように転がっている。もとは壁にでも飾ってあったのだろうか。スラムだな、という感想がわいた。


 このようなプレミアムなファーストコンタクトを経たわたしが「VRChatは知らんガキに絡まれる、治安最悪ろくでもないクソみたいなソフトである」と判断したのは至極当然であった、とご理解いただけることとおもう。OQ2をしばらくは Tetris Effect や Rez:Infinity といったゲームに見せかけた映像ドラッグでたまにキマる用の置物として自室に転がしていた。ちなみに Half-Life:Alyx も買ったけれど、めちゃくちゃ3D酔いする体質なので三十分で放り出した。Vrchat など二度と触るまい。そうおもっていた。


 そんなある日、ひょんな流れからネット上の知人数名と VRChat にログインしておしゃべりすることになった。行ったのは、広いけれど何かおもしろいギミックが用意されているでもない、ふつうのワールド。
 これがめちゃくちゃ楽しかった。
 なにか特別な出来事があったわけではない。特別なトピックの会話が交わされたわけでもない。会話の内容はといえば、Vrchat経験者による初心者へのちょっとしたTips講義、それにワールド内でカーテンを見て「カーテンがある!」とまんま述べるような観光客みたいなはしゃぎかただけだった。
 そんな雑な発話がむしょうにおもしろい。ふだんは Discord 上でやりとりしている無形の存在がエメラルドグリーンの鹿や怪人ミラーボール男やペスト医師に身をやつして動いてしゃべるだけで、なんともいえない愉快さが醸し出されてくる。他人がデジタルに身体あるものとしてたちあがってくると、ひるがえって二足歩行するカエルになっている自分の身体性まで興味の対象となる。
 ここで初めて、OQ2の性能に気づく。OQ2のトラッキング機能は実はけっこうすごくて、腕の位置が精密に反映されるのはもちろん、自分が座れば高低差を感知してVRchat内のアバターも座るし、指も一本単位で動かしてじゃんけんまで可能だったりする。その時接続していた他のユーザーがみなPC組(VRchatはヘッドセットがなくともPCの画面上でプレイできる)だったので、動作のダイナミックさがより際だった。「身体がある」そういう感情、日常生活ではけして確認することのない事実に対する新鮮な驚愕が、わたしのなかに生じた。

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カエルになって火にあたると、ほんとにあたたかくなったかんじがする。


ピクニック・アット・ザの。

 めちゃくちゃ怖いワールドがあるらしい。
 わたしは谷戸(仮名)と織林(仮名)とマンソン(仮名)にそう告げた。三人ともわたしと同時期にVRchatを始めた新米で、Vrchatで目にするすべてがフレッシュにきらめいて見えるお年頃だった。
 わたしは『早稲田文学』のホラー特集号を広げた。もともとマーク・フィッシャーの the wierd and the eerie の抄訳が載ると聞いて購入したもので、さっさと全訳を出版してほしいものであるけれど、それはともかくとして、わたしが示したのはホラーゲーム実況者の座談会の記事だった。実況者たちのなかにVRchatのホラーワールドをめぐっているVtuberがいて、そのひとが「いちばん怖い」だかなんだかの触れ込みで Sad Amelia というワールドを記事中で挙げていたのだ。
 わたしはホラーが好きであるし苦手でもある。ジャンプスケアなどの表現にまるで耐性がなく、たまにホラー映画を観にいって怖くなりそうな場面に出くわすと、席のせもたれにのけぞって薄目がちになってしまう。その上、鑑賞後まで恐懼を引きずり、帰りの夜道や就寝前にくらがりが気になっておびえまくる。家でひとりでホラー映画やホラーゲームを観るなどは考えれない。他の誰かといっしょではないとまずやらない。
 そういうわけで、ひとりでは怖いので、いっしょに Sad Amelia に同行してほしい。わたしは三人にそう頼んだ。
 谷戸と織林はしぶった。かれらもまたホラーが苦手だった。「VRchatのなかで一番怖い」のならなおさらだ。「仕事が忙しい」だの「ワクチンの副反応がつらい」だの理由にもならない理由をつけて煮え切らない態度を取る。
「友だちの一生の願いば聞き届けんで何が親友でごわすか」
 そういいきったのはマンソンだった。マンソンがそういうなら・・・・・・と残りのふたりも同意した。持つべきものは決断力を備えた友である。

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たすけてくれ。


 Sad Amelia で起こった出来事についてはあまり語りたくはない。
 わたしがいえるのは、政府は友人を見捨てて逃げるような輩に対しては150%の所得税率を課すべきである、という政治的な意見だけだ。
 一方で Sad Amelia のゲーム性についてはある程度語ることができる。
 織戸によると、ホラーワールドとは、つまるところ、ヴァーチャルなお化け屋敷である。フィジカルなお化け屋敷と異なって現実の物理法則や予算に縛られないぶんだけ、仕掛けでそうとうな無茶をできる。
 たとえば、Sad Amelia のある場所では天地が逆転する。ユーザーは自分がさかさまになった状態で歩かされるわけで、ホラーとしての効果はともかく、かなりビビる。
 また、ある場所ではアバターを剥奪される。一ユーザーが制作したワールドにそんな権限が付与されていることにも驚かされるが、いきなり自分の外見が強制的にチェンジさせられるのは、すごい。この世界では自分が自分であることすら確かではないのだ。いとも簡単に自己同一性を剥ぎ取ってしまえることはホラーコンテンツにおいて大きなアドバンテージではないだろうか。
 そして、ヘッドセットをつけていることで恐怖は倍加する。
 映画なら顔を背けるだけで画面で起こっている出来事から逃げられる。耳をふさぐだけで制作者の罠を避けられる。だが、VRの世界では逃げ場所がない。これはこわい。かなり、そおっとろしい。実際、途中からコントローラーを握った手にいやな汗がにじんでいた。ずっと、同行者の名前を呼ぶだけの動物になっていた。
 ゲームにしろ映画にしろ(すくなくともアメリカの)エンターテイメントは没入感を第一義に発展してきた歴史があるけれど、没入という点ではこれに勝る体験はなかったようにおもう。
 

 翌る週末、わたしたちは終わらない夏にいた。ぬけるような青い空、やさしい輪郭の入道雲、陽光を跳ね返して うそみたいに SHINY な BEACH……。

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 Project:Summer Flare は謎解き型のワールドだ。ビーチや水族館や神社を巡りながら、夏休み感あふれる世界の秘密を解き明かしていく。
 ホラーワールドがお化け屋敷であるならば、謎解き型のアドベンチャーワールドはさしずめ脱出ゲームだ。そして、ホラーワールドと同じく、脱出ゲームにはない体験がPSFにはついてくる。
 まずはアクションだ。PSFでは折々で飛んだり跳ねたり撃ったり振ったりのゲームゲームしたアクションが求められる。そのアクションが謎解きにもからんでいて、これがなかなかよくできている。
 そして、拡張された演出。これは実際にPSFをやってもらわないことには説明しづらい(ネタバレになるので)のだけれど、大規模な舞台の切り替えなどはデジタルな空間でないとなかなかお目にかかれない。
 しかし、ゲーム的な面でPSFに何よりシビれるのは「VRchatというシステム」そのものを利用したある仕掛けだ。ああしたメタなギミックはその媒体やジャンルがある程度成熟したときにようやく登場するものだけれど、VRchatではもうその域に達しているのか、とその成長速度に驚かされる。
 

 続けて、ヴァリア・ライドへも行った。

www.youtube.com

 世界観や設定についての説明は省くが、ここは要するにディズニーランドやユニバーサル・スタジオにあるようなライド施設を再現したワールドだ。というか、ディズニーやUSJのライドをかなり深く研究しているようで、「それっぽさ」の精度に舌を巻く。そうそう、ライドにはナビゲート役のおとぼけキャラがつくんだよな、とか、そうそう、ライドはこういう展開になりがちなんだよな、という定石を踏まえまくっているのだ。ディズニーランドファンやUSJファンはぜひ試してほしい。

ぐーちょでぱーく。

 わたしはVRchatをアトラクションのハブとして受容した。すなわち、テーマパークとして。
 限定された空間を細部まで高度に精緻にデザインすることで”ここ”ではない世界をもうひとつ造り出す、という発想はそのままディズニーランドの設計思想だ。ウォルト・ディズニーの世界創造は単に静止した空間を切り取るだけでなくて、そこに生える動植物が成長していく時間軸まで視野にいれた、パラノイアックなものだった。*1かれはメインの客層である子どもたちの視点にパーク全体の縮尺を合わせ、世界を見せることに徹底的にこだわった。そのことを示す有名なエピソードがある。ウォルトは毎日のようにおしのびでディズニーランドを訪れ、ひとつひとつの施設をゲスト目線で味わっていた。そんなある日にかれは〈ジャングル・クルーズ〉を訪れたあと、スタッフをこう叱ったのだ。「〈ジャングル・クルーズ〉は七分半の川下りだったはずだ。今回は四分しかなかった。きみは半端にはぶかれた映画を観せられたらどうおもうかね? あのカバをゲストに見てもらうためにどれだけの費用をついやしたかきみも知っているだろう?」*2
 グランドデザインを行ったのはウォルトだったが、パーク内のエリアやアトラクションを具体化させたのは「イマジニア」と呼ばれるひとびとだ。イマジネーション(想像)とエンジニア(技術者)を合わせた造語で、それまでディズニー本体でアニメ映画にたずさわっていたアニメイターなどがイマジニアとして多数登用された。かれらはある空間に生じる世界を、時間を、体験をデザインした。夢としてではなく、現実として。
 ディズニーランドのアトラクションとは大なり小なり、物語を語る自然である。本来の自然は少なくとも理解のたやすい形ではわたしたちに物語らない。難解な他者であるはずの自然を物語るための装置としてパッケージングし、親しみやすいものに造る。
 そうして物語のために造られた自然は、言語では語らない。いや言語を使いはするかもしれない。だが、ある種の映画やゲームが夢見るように、いちばん大事ななにかは言語の外であなたがたへ伝えられる。
 Project: Summer Flare の作者であるヨツミフレームはインタビューでこんなことを述べている。



人間は『言葉』というプロトコルを用いてわかりあう生き物であり、同時になにかと「言葉」に縛られる生き物だと思います。VRChat のワールドにせよ、本来はVRChatはUnityを動かすオンラインプラットフォームのようなものなので、文字通りなんでもできるはずなんです。…(中略)…これまで存在した概念を壊し、これまで存在しなかったものを造りたい。そういう思いから、「言葉を壊す」というフレーズが出てきています。


「言葉」を壊した先にあるもの――VRChat「PROJECT: SUMMER FLARE」で過ごした夏 | Mogura VR



 ゲームの分野には、環境(型)ストーリーテリングというタームが存在する。*3ストーリーを主に言語によらず、シーンに配置されたオブジェクトや風景などによって受け手に能動的な読解をしてもらう手法だ。
 たとえば、あなたが誰かの部屋に入るとする。そこには部屋の主はいないが、部屋の主が所有しているモノや活動の痕跡が残されている。たとえば、机に教科書や参考書が積まれていたら、あなたは部屋の主は学生であろう、と推測するかもしれない。その横に古ぼけたクマのぬいぐるみがあって、室内には他にぬいぐるみが見当たらなかったとしたら、あなたは「このクマはきっと部屋の主の思い出の品、あるいはライナスの安心毛布なのだ」などと、不在であるぬいぐるみ所有者のパーソナリティについて思いを馳せることもできる。そもそも、なぜ部屋の主は不在なのだろう? 学校に行っているのか? とおもってふと壁にかけられたひめくりカレンダーを見れば、一ヶ月前でストップしている。毎日めくるのをおっくうがったのだろうか? だが、一月から始めて十月の途中で突然日課をストップするとは考えにくい。もしや、かれの身に、その日なにごとかがあったのではーー?
 こうした受け手の想像を触発するデザインは多かれ少なかれゲームや映画に取り入れられている。極端にいってしまえば、RPGなんかでどこかの街に入り、街をすみずみまで散策する、街の住民と挨拶を交わす、それだけでもう環境ストーリーテリングだ。特にオープンワールドとよばれるジャンルではこうした細部のデザインがプレイ全体の体験の深さに関わってくる。
 環境ストーリーテリングそのものを全面に打ち出したジャンルもあって、ウォーキング・シミュレーターと呼ばれるジャンルがそれだ。プレイヤーは視点人物となるキャラクターに視点を憑依させ、一人称視点で3Dの世界を探索する。
 作例として挙げるなら『GONE HOME』。視点人物(=プレイヤー)の実家を舞台とする。ひさしぶりに帰省してみると、両親も妹もなぜかいない。プレイヤーは家のなかを探索してかれらの生活の断片を拾い集めることで、家族それぞれの人生の物語を知る。『GONE HOME』においては物語やテーマを要約して語ってくれるようなキャラクタ、あるいはナレーターは存在しない。*4バラバラに配置されたてがかりや風景からプレイヤーが脳内でファミリー・ポートレイトを独自に描き出す必要がある。ちなみに『GONE HOME』に限らず、ウォーキング・シムには「そこにいるはずの人々が何らかの理由で失踪している」シチュエーションが多い。それは単に一家族ないし街まるごとひとつぶんのキャラクターを配置するのが大変だという労働リソース上の制約もあるかもしれないけれど、環境ストーリーテリングの手法がそうした状況においてもっとも引き立つから、という理由もあるだろう。VRChatにおけるワールドも、どういう技術的制約があるのかは知らないが、NPCが配されているものは少ない。そうした点ではウォーキング・シム的なゲーム性と親和的であることは理解される。

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『GONE HOME』より


 現代のゲーム、すくなくともアドベンチャー的な要素を含む作品で「環境」について配慮されていないものはまずあり得ない。『Outer Wilds』の作者アレックス・ビーチャムはのちに同作のブループリントとなった学位論文で『Outer Wilds』の目的を「好奇心駆動型の冒険(curiosity-driven exploration)」と定義した。



これらの定義(「冒険」と「好奇心」という好奇心駆動型の冒険を構成する二大要素)をもちいれば、好奇心駆動型の冒険とは、あるひとが自分の知識や理解を拡充させることを主目的として(現実であれバーチャルであれ)じしんの環境を探索することを選択したシチュエーションと説明できます


「訳文;「"好奇心駆動型の冒険"とでも言うべき特殊なタイプの冒険に報酬を与えるゲームをつくりたい、それが『Outer Wilds』の主目的です」A・ビーチャム氏の論文より」―『すやすや眠るみたくすらすら書けたら』
https://zzz-zzzz.hatenablog.com/entry/2020/09/21/215800


 
ビーチャムの論文を翻訳したブログ「すやすや眠るみたくすらすら書けたら」では、環境ストーリーテリングという語の起源についても触れている。それによれば、確認しうるかぎりでゲームの文脈における「環境ストーリーテリング」の最古の用例はディズニーのイマジニアであったドン・カーソンの論考「Environmental Story Telling: Creating Immersive 3D Worlds Using Lessons」であるらしく、そこでは「環境ストーリーテリング」はまずディズニーランドをデザインするための思想として用いられている。
 あるエンターテイメント空間の環境設計においてゲーム開発者とディズニーのイマジニアが見る夢が似ているというのは、あまり驚くべきことでもないかもしれない。たとえば、ATARIの創業者であるノーラン・ブッシュネルはゲーム会社を立ち上げる以前は、ディズニーランドへの就職を希望していた。のちにATARIが経営難に陥った際には、会社をディズニーへ売ろうとまでしていたという*5
 ゲームにおける空間設計や建築の重要性は「す眠す書」を参照してもらうとして、VRによってディズニーランド的なイマジニアリングとゲームの世界構築がさらに接近していった印象がある。
 それがただちにメタヴァースの進歩の方向性を規定することになるかはわからない。これは局所的な現象にすぎず、失われたカリフォルニアン・イデオロギーの理想の復活にすがりつくひとびとや、メタヴァースにサード・サマー・オブ・ラブ(何度目だ?)を待望するヒッピーのなりそこないたちとも関係なく未来は更新されていくのかもしれない。
 わたしは世界を作る側の人間ではない。いい魔法使いにもわるい魔法使いにもなれない。くちばしを開けて待つことしかないフリーライダーであり、きみらが憎んでいる「一般人」あるいは大衆そのものだ。お仕着せのレディメイドのアトラクションで遊ぶことしかしないしできない。究極的に欲しているのはめまいを誘ってくれるアシッドな映像ドラッグだ。そんなわたしはとりあえず今はVRChatがたまらなく楽しいけれど、いつかは飽きるんだろうな、とはおもう。アトラクションであるかぎりはコンテンツには賞味期限がつく。*6賞味期限のないプラットフォームのことをわたしたちはインフラと呼ぶ。なぜひとは Facebooktwitterに入り浸るのか。インフラになってしまったからだ。おどろくべきことに mixiにすら住民が残っている。あの核戦争後の終末のような mixiにさえ。インフラになってしまったからだ。なりはててしまったからだ。賞味期限がないからといって、不朽や防腐まで保証してくれるわけではない。

心地よく秘密めいた場所

 マンソンはあの mixiのさびれぐあいが好きだという。かつて人が居て、今はいなくなった空間のさびしさが好きだという。
 わたしは同じ理由で VRChat の非アトラクション的な個人制作のワールドが好きだ。たいていは過疎で、万人に向けて開放されている Public のインスタンスにすら自分以外の訪問者がいない。mixiと違うのは、そこにはかつても人が居らず、現在もいない、という点だが、ふしぎに「かつて人が居た」感覚を嗅ぎ取ってしまう。
 名付けが大好きなわたしたちのインターネットはそうした感覚にもとっくに名前をつけている。Liminal Sapace(s).

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適当な liminal space のスクショがフォルダになかったから、筆者のリミナルアトモスヒア原体験である『クロックタワー2』の画像でも見てくれ。


 リミナル・スペースの概要やホラー性やノスタルジーオントロジーについては fnmnl で木澤佐登志が述べた記事があるのでそれを読めばいいとして、VRChat はワールド自体のクオリティの高低にかかわらず、どこもそんな雰囲気に満たされている。ホラーワールドがコズミックホラー的なインターナルな恐怖だとすれば、誰も居ない寂れワールドを歩くことはHGウェルズの「白壁の緑の扉」的なエクスターナルな不安かもしれない。
 たとえば、ワールド名を忘れてしまったが、わたしはあるとき「美術館」を名乗る過疎ワールドを訪ねた。「美術館」の概要文にはアート作品が飾られているということだったが、壁に掲げてある作品はいずれも英語圏のネットミームでよく使われるキャラたちを雑にコラージュしたもので、中には縦にした口と目だけの気色悪いホラーめいた、知らないキャラまでいた。だがあくまで人を驚かせたり怖がらせたりする意図で置かれたものではないようで、作品の大半はまったくおもしろくないネタ画像の域をでないものだった。建築としても凝ったところはない。ただ間取りがすこし美術館っぽいかな、という程度。
 「美術館」を見て回っていると、だんだん用意した作品が足りなくなったのか、アートの飾られていないスペースが広くなっていく。壁は壁だ。そこには白い地肌しか見えない。
 到着から十分ほどが経過して、わたしは突如としてそのワールドから出たくなった。
「ワールド」タブからてきとうに「陣内智則の動画を24時間流すだけの部屋」を選び、逃げ出すようにして「GO」ボタンを押した。
陣内智則の動画を24時間流すだけの部屋」では、Happy Tree Friendsのパロディのような動画が流れていて、数名の子どもたちがささやきあいながらそれを観賞していた。かれらから目を離して横をみやると、あの縦にした口と目だけの怪物がいた。怪物は動画のほうを向かず、背後のミラーのほうも見ず、なにもないほうの壁をただ茫洋と見つめて立ち尽くしていた。

 そう、それと壊れている世界が好き。フォトグラメトリの手法で造られたワールドはリアルである一方で、一部が崩れたり歪んだり浮いたり壊れたりしている。

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 ヴァーチャルな世界が傷ついているさまはいい。しょせんヴァーチャルがリアルのコピーにすぎないから劣化していて当然、というわけではなくて、2021年のリアルワールドもおなじように崩れたり歪んだり浮いたり壊れたりしているからで、ただしく世界の有様を写し取っている。ここも世界なんだという気がしてくる。なんか記事の文字数が1万字越えてめんどくさくなったので、このへんは別の機会にまた語りましょう。ね?


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vanilla sky, anal hospital.



 ね? とわたしはマンソンにいい添えた。
 マンソンはわたしの話すことにたいして興味をそそられなかったようで、あいまいな相づちを打ちながら聞き流していた。そして、話が終わると、Magic Heist なるワールドが今アツいらしい、というようなことをいう。今度行ってみよう、とどちらからともなく提案される。いつもの四人で。きっと楽しいよ。そうかもな。






Oculus Quest 2—完全ワイヤレスのオールインワンVRヘッドセット—128GB
サガフロンティア 裏解体真書 (ファミ通の攻略本)

*1:ウォルト・ディズニーは晩年には実際に街を文字通りまるごと一つ造り出そうとした。その試みはかれの死によって頓挫することになる。映画版の『トゥモローランド』はウォルト最後の野望の残り香めいた作品であるといえるかもしれない。

*2:うろおおぼえだが『ウォルト・ディズニー 創造と冒険の生涯』から

*3:ゲームの分野では、といっても私の知る限り日本でこのタームを批評用語として頻用しているのはIGN JAPANのクラベ・エスラくらいしか存じ上げない

*4:ただ、「本筋」のようなものはあって、それはかなり直接的に語られたりはする。

*5:結果的にはワーナーの傘下へと収まることとなる

*6:わたしはゲームとメタバースの区別がついていないのだろうか。おそらく、そうだろう。


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