過去を忘れることはできず、現在を思い出すことはできない。――マーク・フィッシャー
PC、PS5、Xbox series X。
完成された棺桶で『サイバーパンク2077』を遊んでいる人間は不幸だ。
なぜならきらびやかな高解像だとしてもそれは紛い物の夢に過ぎない。本物の端末機で〝夜の街〟に没入する400万人、そう、我々こそ、真のネットランナーであり、サイバーパンクだ。
十二月。三度目か四度目の発売延期を経て、汎病禍にあえぐ我々に福音が届く。『サイバーパンク2077』。ビタミンDの足りない憂鬱な我々にとって最高の妙薬だった。
キャラメイク、チュートリアル、そして最初のクエストを手際よく終え、高鳴る鼓動をなだめつつ本編に突入する。グッドモーニング、ナイト・シティ。
塒にしている高層環境建築から出る(暴走せず無事に出られたとして)と、屋台の立ち並ぶ広場がある。そこは行き交う人々で混雑しているはずだが、我々の眼には禅寺のように静謐で閑散とした空間のように映る。
まずそこで不安に襲われる。
悪徳都市に見合うだけの人間を計算できていない。
だが、それは致命傷ではない。そうだろう、ブロダー? 人口密度の低い街、結構ではないか。他人にぶつかったりひっかかったりしていらだつこともないし、車を走らせているときに事故にあう危険も少なくなる。
クエストをこなしに指定された目的地へと向かう。建物のドアの前にキャンディ菓子の包装めいた何かが立っている。”何”だ?
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なめらかに切削されていく女の身体を眺めながら、我々は『ニューロマンサー』の一節を暗誦する。
顔が絶え間ないレーザ光に洗われて、眼鼻立ちが記号にまで還元されていた。魔術師の城が炎上すれば頬骨は深紅に輝き、ミュンヘンが戦車戦に陥落するとき、額は紺碧に濡れ、滑るように動く指標点が摩天楼の谷の壁面から火花を散らすと、唇が熱い金色に染まった。
〝夜の街〟ではアセットにおけるグラフィック表示遅延を通し、ゲームの歴史を追体験できる。たとえば、ここにあるドアはPS1からPS2、PS3、そしてPS4と段階的にグラフィックを発展させていくことで、PS5クラスの微細処置装置は一朝一夕には手に入らないのであり、我々がPS5に乗換することもまた今日明日ではありえないと教えてくれる。
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良質な印度華麗には常に教えが含まれる。ジョン・レノンも知っている真理だ。
だが、不具合はこれだけではない。
2020年12月の〝夜の街〟は社会ダーウィン説の狂った実験に似ている。退屈しきった研究者が計画し、片手の親指で早送りボタンを押しっぱなしにしているようなものだ。ジャッキーが死にかければ、拳銃は彼の頭に沈むし、ミッションの最中にちょっと早く動きすぎれば、逆さになったデラマンの危ういアクロバットに潰されてしまう。記憶はPS2のメモリーカード並にしかもたず、それ以上すると破裂になって記録喪失。アイテムが無際限に増える。規制のおかげで性器が勝手にまろびでることはないが、コーヒーのカップが浮く、車が浮く、人が浮く、当然ジャッキーも浮く。HUD上のアイテム表示や照準が勝手に出現しては画面上に居残り続ける。最終クエストを目前にしてVがどんな装備をつけても素っ裸になり、しょうがないからそれでラスボスに突っ込む。会話の途中で突然黙り込む人々。鳴り止まないホロ電話。致命的な進行不能バグ。致命的な進行不能バグ。致命的な進行不能バグ!!!!!!!! どう転んでもバグるしかない。パッチといっても、せいぜいネズミの一生のようなプレイ時間に、ぼんやりした延長が課されるだけだろう。*1
叶和圓を吸う暇もない。
そして、システム暴走。
寿司屋台で焼鳥をつまもうとした瞬間、アフターライフに入ろうとした瞬間、ちょっと人の多いところに出ようとした瞬間、クエストとクエストのはざまの瞬間、特になんでもないような瞬間、壁伝いに進め。彎曲したコンクリートだ。両手は控制器に。歩きつづけろ。何も眼にはいらない顔、顔。どの眼もどこでもない一点を仰ぎ見ている。*2ラグ、停止した静寂、暴走の匂い。
眼前の夢が燃え盲い、落ちる。
無。
水色の虚空。
グラフィックなし、感覚幻想なし。電脳空間なし。*3
その沈黙は何度も延期を重ねて冬にやってきた。だから我々はシステム暴走の寂しさを冬寂と呼ぶ。
暴走ログは何処へとも報告される。エラー識別子〈CE-34878-0〉。ありがたくも財閥サマから対処法を提案される。
曰く、操作卓を再起動しろ。
――何度もやった。
曰く、PS4のシステムソフト及びゲームを最新バージョンにアップデートしろ。
――とっくに最新だ。
返金を行いたい方は個別にメールでご連絡ください。一秒でもプレイしていたら返金は受け付けません。返金申込みの締切は明後日までです。
企業体に支配されたゲームのなかのディストピアから離脱したと思ったら別の企業ディストピアに絡め取られている。三時間ごとに中断される夢。これがサイバーパンクでなくて、なんだろう?
幸いというべきか、逐次的な実時間記録によって我々の記憶はかろうじて保たれる。
あとはお定まり──再起動、呼出、そして没入。*4
二十世紀の日本人が知りえた以上のトレイラー詐欺を、ポーランド人はとっくに過去のものにしている。*5
WIRED は、 CD PROJEKT RED が約束を破ったと糾弾した。
違う。
約束を守らなかったのは我々の方だ。1980年代の延長線上にあったはずの未来を裏切ったのは我々だ。アメリカ合衆国の破滅や核爆発、インプラントや企業国家という素敵な新世界ではなく、「いまどうしてる?」という一方的な問いかけに対し、考えていないことややっていないことを140文字以内で答える二十一世紀にしたのは我々だ。*6今まさにサイバーパンクであることによって、我々はかつて夢見られていたサイバーパンクを破産に追いやった。CDPRは不実な我々の代わりに約束を果たしたに過ぎない。そうだろ、ブロダー?*7
まあ、しょうがないのかもしれない。
我々の世代は黒い雨の降りしきる路地裏で鬼滅のブレードランナーが怪しい合成ナンチャラのうどんをすするような未来を振り返って、特に羨ましいとも思わなかった。古びた希望は90年代の世紀末のハッピーな憂鬱に呑まれ、2000年代のユーフォリックな頽廃に溶かされた。再演されるものの多くがそうであるように、何度も蘇生されるうちに形骸化し、摩滅し、疲労していった。
すり減ったレコードのように、ヴィデオテープのように、なんとか今再生しようとしてもそれらはもう不吉な音飛びとグリッチにまみれている。 二十一世紀のテレビの空きチャンネルはもう砂嵐を映さない。網はもつれ、電脳空間は長らく過密状態にある。
PS4版だけが正解なのだ。『サイバーパンク2077』とは、失われたもうひとつの未来および現在を語る試みだった。
バグのない〝夜の街〟など〝夜の街〟ではない。150分以上継続する夢など夢ではない。空はいつでも最高密度の青色だ。そういう超現実的暴力。PS5以降の空は別の銀色だ。
我々は CD PROJEKT RED のマーケ部に感謝しよう。
事前の宣伝においてここまでコンソール版の完成度を隠し通してくれたことに。
情報伝達の不足による未知の体験で、我々の驚愕を引き出してくれたことに。
壊れた未来を現前させてくれたことに。