(Krisha, トレイ・エドワード・シュルツ監督、2015年、米)
『クリシャ』について
Krisha (2015) Official Trailer
最近の、あるいはむかしからそうだったのかもしれないけれど、アメリカのインディー映画は一幕目で出した銃を三幕目で撃つより、銃がなぜそこにあるのかを映画全体のストーリーテリングによって観客に想像させるほうが好みらしい。
『クリシャ』における撃たれない銃は欠けたひとさし指だ。
物語冒頭、主人公クリシャは六十代の老体には重そうなトランクをひきながら妹の家を訪ねる。
その扉の前でさりげなく包帯のまかれた右手のひとさし指が示されて、観客はオッ何かあるなと身構えるわけですが、期待に反してその傷の由来が説明されることはついにない。欠落や違和感を即座に伏線として認識するような、鍛えぬかれた現代の物語鑑賞者たちは肩透かしを食らうだろう。
けれど作品の文脈的に、監督の「語らない」という選択は正しい。『クリシャ』は、監督であるトレイ・エドワード・シュルツが自分の親類を題材にし*1、自分(自身を含めた)の親類を役者として起用した、極めて私小説的な映画だからだ*2。いや、私小説というよりはホームムービーに近いのかもしれない。伏線とその回収は、物語世界を作り物として見せてしまう副作用があるけれど、『クリシャ』は自然主義的な撮りっぱなしの作法とはまた異なるところであえて放置しているようにおもう。
あえてあえての説明のなさ。人工的に造られた自然な不自然さ。埋まらない欠落。そこに案外2010年代後半からのアートハウス系現代アメリカインディーホラーの潮流の鍵が眠っているのかも。
観客は主人公クリシャを寄り添うように追うカメラに導かれ、クリシャ一族の感謝祭パーティへ放り込まれる。合わせて十数名ほどの親戚縁者のうち、クリシャとの関係が明示されるのはほんの数名だ。しかも明かされるにしても、ほとんどの場合、物語が始まってからけっこう経った時点なので、とにかく序盤は話が掴みづらい。
映画なのだから我慢して観つづければ映画的に決定的な瞬間がいつかは訪れるだろう。そんな経験則にたのんで、観客はなんだかよくわからない不安定なクリシャにつきあっていく羽目になる。
映画の編集も精神的な疾患を抱えているっぽい*3クリシャの認知に沿ったつくりとなっていて、時系列が微妙に前後していたり、本筋と関係ない映像や音声があったりとみょうにノイズが多い。挙句の果てには不協和音めいたBGMがクリシャの不安と連動するかのようにえんえん鳴り響く。
登場人物たちを把握しきれないはがゆさとノンリニアな語り口のままならさは、本来あまり共感的なキャラといいがたいクリシャの感情を観客へとリンクさせるだろう。
すなわち、疎外感。
最もプリミティブなはずの「家族」という名の輪にひとりだけ外される。戻りたいのに戻れない。自分はそこに属しているべきなのに、属せない。
その悲しさを私たちは親密に共有しつつ、一方でおもう。でも、しょうがないんじゃないんじゃないか。よく知らないけれど、あなたの現状を見るかぎりでは。
クリシャは泣きわめく。「私だって頑張ってきたのよ!」
観客は彼女の「努力」を知らない。クリシャの家族も彼女の「努力」を知らない。見えるのは結果だけだ。今この瞬間のぶざまさだけだ。
他人の人生や家庭の一場面をアイスクリームのスクープですくうようにえぐりとって覗き、判断する。映画はそうした傲慢さを前提とする*4物語装置で、トレイ・エドワード・シュルツはそのいやらしさを自覚的に使い潰す。
なにがいちばんずるいって、クリシャの執着する息子役を監督自身が演じているところだ。役名まで「トレイ」。*5映画監督志望だったけれど大学では経営学の道を選んだという背景まで反映されている。*6
観客の眼に否応なくメタ視点のレンズを取り付けて、ご近所さんのゴシップ的な窃視欲をひきずりだす(それこそシチメンチョウの内臓を取り出すような手際で)監督のいじわるさは第二作となる『イット・カムズ・アット・ナイト』でもいかんなく発揮されている。
It Comes At Night | Trailer #2 | A24
2015〜16年にかけて当時無名だった若手監督によるものとして特に話題になったホラー作品が三本あって、ひとつはデイヴィッド・ロバート・ミッチェルの『イット・フォローズ』、ひとつはロバート・エガース『ウィッチ(The VVitch)』、そしてもうひとつがこの『クリシャ』だった。
三作とも今ふりかえれば、さまざまな点においてアリ・アスターの『へレディタリー』を準備していたといえなくもない時代性をまとっていた。唯一『クリシャ』だけが日本公開されずにおわるのは悔やまれるところだったけれど、この2015年における「欠けたひとさし指」を上映にまでもっていったグッチーズ・フリースクールさんは、ほんとうにいい仕事をしたとおもいます。
『Waves』について
WAVES | Official Trailer HD | A24
そして気になるシュルツ監督第三作にして最新作の『Waves』。すでにアメリカではテルライド映画祭にてプレミア上映され、批評家筋からも高い評価*7を集めている。10日にはアカデミー賞前哨戦トロント国際映画祭でお披露目される予定だ。
主演は『イット・カムズ・アット・ナイト』にもメインで出演したケルヴィン・ハリソン・ジュニア、共演にはエミー賞常連で『ブラックパンサー』や『ザ・プレデター』でも存在感を発揮したスターリング・K・ブラウン、ドラマ『ロスト・イン・スペース』で注目をあびたタイラー・ラッセル、そして『マンチェスター・バイ・ザ・シー』以来活躍の著しいルーカス・ヘッジスなど。
内容は父子の関係に焦点を当てたいつものシュルツの家庭不和ホラーかとおもいきや、後半からおもいがけなく「感動作」になってくるそうで、シュルツとしては新境地っぽい。英国ガーディアン紙は「今年最も視覚的に驚嘆した映画」として五ツ星を与えている。
インディーの余韻を残しつつもジャンル映画を脱してステップアップした一作であろうと予想され、トロント国際映画祭の評判次第ではアカデミー作品賞の候補にもあがってくるはずだ。
トレイ・エドワード・シュルツはまだ三十歳。アリ・アスター、ロバート・エガース、サフディ兄弟、ボー・バーナム、グレタ・ガーウィグといった80年代生まれ*8の”A24ギャング”でも、A24究極の秘蔵っ子としていよいよ飛躍していくだろう。
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*1:物語の核となるクリシャの設定はシュルツの父親といとこに依ったらしい。(https://www.npr.org/2016/03/16/470668069/we-couldnt-save-them-lessons-from-a-film-about-family-and-addiction)クリシャを演じるクリシャ・フェアチャイルドはシュルツの叔母にあたり、クリシャの姉役がシュルツの実母。祖母はそのまま祖母役で出演。ややこしい。
*2:シュルツ監督は精神科医を本業とする実母に出演を頼むにあたり、ジョン・カサヴェテスを引き合いに出したらしい。返ってきた反応は「だれ、それ?」https://nofilmschool.com/2016/03/trey-edward-shults-breakout-film-krisha-was-shot-9-days
*3:原因が何であるかは終盤になって明かされる
*4:二時間の映画で語られうる物語は小説に換算すると短編一本分、というのはよく言われる話だ
*5:ちなみにクリシャも本名は「クリシャ」。出演陣のほとんどは実名=役名に設定されている
*6:監督も両親に映画の道をいったん反対されたという過去があったようだ。「私の両親はビジネススクールを出て学位を取得し、いい仕事を得ることを私に望んでいました。」結果的に、彼は大学を中退してテレンス・マリックの現場に参加しながら映画を独学する道を選ぶ。https://nofilmschool.com/2016/03/trey-edward-shults-breakout-film-krisha-was-shot-9-days
*7:rotten tomatoes で9月8日現在、12個のレビューで支持率100%。スコアは8.8
*8:バーナムだけは90年生まれだが