おまえがメキシコに戻ってきたのは、生者といるより死者といるほうが落ち着くからだ。
――ドン・ウィンズロウ、田口俊樹・訳『ザ・ボーダー』
【経緯】
ふだんいじらない各種設定欄をいじってるうち、プロフィール欄全部埋めちゃえ生年月日も埋めちゃえというノリになり(深夜0時ごろだった)、2005年生と大嘘を提出。
13才以上ならイケたはずという算段だったものの、それまであらゆる軽口をアルカイックに流していた twitterさんがとつぜん「”登録時の年齢”が13才以上じゃないとダメなの! 2009年時点だと4才じゃん!! 死ね!」とマジギレしだし、秒でアカウントが停止してしまう。
返してほしくば政府機関の発行する身分証を出せということなので、おとなしく保険証に黒塗りをかけて提出した。
すると今度は返信メールで「顔写真がないとダメ」とか抜かしやがる。最初から言えよ。
顔写真つきの身分証といえば要するに運転免許証なのであるけれど、わたしは免許証というものを持たない。
パスポート探すのもめんどいし、役所に頼るとなると光年の彼方の気分です。ネトフリで『グレート・ハック』見た直後でもあったし、ぶっちゃけよくわからん理由で twitterごときにセンシティブな公的書類わたしたくねえ……。
てきとうにすむやつないかなー、と財布をひっくりかえして出てきたのが動物園の年間パス。
写真も名前も歳も有効期限も示されてるし、いちおう公的機関発行でもあるから大丈夫だよねーこれでダメなら明日またパスポート探すなりすればいいし、で提出して後はどうにかなるさと肩を組んだ。
もちろん大丈夫なわけはありません。どうにかもならない。肩を組んでる場合ではない。
そのうえ、証明画像のアップロードにまごまごしていたせいで twitterさんの逆鱗に触れたらしい。*1
「もう貴様からのお問い合わせは受け付けません。ツイをつづけたいなら新しいアカウントを作れ!! さもなくば死ね」
とお叱りを受け、わたしは死んだ……。*2
【かなしいこと】
・フォローしていたおともだちの大半が失われてしまった。彼らから見ればわたしが死んだことになりますが、わたしから見たら彼らのほうが大絶滅。わたしたちはもう二度と『将太の寿司』で盛り上がる世界を目撃することはないだろう。
・過去のフォロー欄にもアクセスできないので、誰をフォローをしていたか九割がた思い出せない。
・nemanoc というID、上半分がまるくておさまりよくてかわいくて好きだったのに二度と使えなくなった*3
・過去ログが全部消えた。定期的にバックアップは取っていたんだけど、ここ半年くらいはアップデートしてなかったのでそのあいだに見た映画の感想とかもう見られない……。年末のまとめとかつくるのに難儀する。
【今度の方針】
・特に以前と変わらない。
・数ヶ月前に別アカ的なものをこしらえていたのでとりあえずそっちに移るっていうか合併する。*4
・思い出せるかぎり前にフォローしていた人たちをちょくちょく見つけていく。せっかくだし以前とは違うTLを作りたいというアレはある。
・アカウントが変わるとふしぎなもので、実際上はなにも変わっていないはずなのに、ポストする文の感触が変わってくる。ほんの一時的な現象なのかもしれません。
・子供のころにインターネットをはじめてから、数年ごとにハンドルネームを変えながら生きてきたのだけれど、nemanocは6年?*5くらい続いて、これが終の名になるのだろうか、ツイだけに……と予感していたところにこれですから、なんといいますか、連続して在るのはむつかしいですね。かつてわたしたちは四肢と頭によって統合された肉体だけが身体だったけれど、今やインターネットに不可視の王冠かぶった自分の複製がいる。それは無料で登録できる不滅でもある一方、いともたやすく失われもする。
・誰もが簡単に死ねるのに死ねない。ならば、どう死ねばいいのか。レベッカ・ソルニットも「忘却ではなく手放す技法こそが肝要なのだ」といっているのだし、意図するにせよしないにせよ過去を洗い磨いていくための切断は大事なのだとおもう。あるいは忘れられることによって自分も研ぎ澄まされていくのかもだけれど、そういうのは年をとると怖くなるよねえ。
・というわけで半端にわたしの twitterはつづいていくのです。
【教訓】
・余計なことはしないほうがいい。
- 作者:ヘレン・マクロイ,駒月雅子
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