(The Lion King, ジョン・ファヴロー監督、2019年、米)
ふだんはあんまり愚痴っぽい感想を書かないようにしているんですが、今回だけは思い入れの強さが段違いなので許してください。
原作厨モードなので「オリジナル版」との比較ばかりとなっております。
顔あるけもの
ディズニー・アニメのマジックは、個性が内面化したように描かれることである。「ものが動くのではなく、生きて考えているように描かねばならない」とウォルトは言う。ディズニーのアニメーターであるケン・ピーターソンによると、「アニメーション」という言葉は、「動き」を意味すると考えられがちだが、実際はそうではなく、「ANIMUS」とは「生命の原動力・生命」あるいは「生きる」ことを意味するのである。
ディズニーのアニメーションは生命を描いている。というようりも生命上に大きいものを描いている。ウォルトが追求したのは生命の模倣ではなく、その誇張である。
ウォルトの言う「生命の風刺」はリアリズムにもとづいて、そのうえに膨張していく。そしてリアリズムは彼の世界を単純化し完璧なものにし、世界をコントロールする。
――ニール・ゲイブラー、中谷和男訳『創造の狂気 ウォルト・ディズニー』ダイヤモンド社
原作をそのままやる。
ただそれだけがなんと至難であることでしょう。
この夏話題の『ドラゴン・クエスト ユア・ストーリー』はまさにそのままやれなかったことが*1炎上につながる結果となりました。*2
ひるがえって、リメイク版『ライオン・キング』は極めてオリジナルのストーリーに忠実です。プロット単位はもちろん、シーン単位、ともすればカット単位で見てもオリジナル版(1994年)とかなり一致しており、2010年代のディズニークラシック・リメイク作品群のなかでも「そのままやった度」では群を抜いているのではないでしょうか。
アメリカでの映評のなかにはガス・ヴァン・サントの『サイコ』リメイクと重ねる声もあるくらいです。*3
にもかかわらず。
この違和感はなんなのでしょう。
シンバも、ナラも、スカーも、ザズーも、ハイエナたちも何かが違う。同じセリフを吐き、同じ歌を歌っているはずなのにオリジナルの『ライオン・キング』となにかが決定的に違う。
そのなにかとはなんなのか。
わたしたちの眼に映っているもの、まさにそれです。
そう、シンバたちがあまりにリアルすぎる。
顔が、ではなく、動きが。
ジョン・ファヴロー監督曰く「自然ドキュメンタリーのような」*4フォトリアルな造作と挙動。それがアニメーションのキャラとしての自由さを制限してしまっているのです。
「“完璧すぎない”ことが大事だったんだ。アニメーターたちが動物を動かすときは、本物の動物がやること以上の行動はさせないことも大切だ。キャラクターが人間的な表情をしてしまうと、逆に変になるんだよ。最初の頃のテストで表情を感情的にしてみたら、僕たちが違和感を覚えてしまったんだ。『今見ている映像はリアルかもしれない』と、観客にイリュージョンを感じてもらうことに意味があると僕は思っている」
――ジョン・ファヴロー
「ライオン・キング」ジョン・ファブロー監督、目指したのは“完璧すぎない”こと : 映画ニュース - 映画.com
多くのディズニーアニメと同じく、オリジナル版『ライオン・キング』のキャラクターたちはかなりデフォルメされた動きをします。端的に言えば、人間っぽく振る舞うのですね。
たとえば、プライドランドを追放されたシンバがティモンとプンバァ*5と知り合い、彼らから虫を勧められて食べるシーンがあります。
オリジナル版だとシンバはティモンから渡された虫を前肢の指で器用につまんで口にいれます。現実のライオンにはできない芸当です。
いっぽう、リメイク版だとシンバは四足獣らしく、這っている虫を口だけで拾い上げ食らうのです。
このように、オリジナル版に出てきた「本来動物には出来ない動作」は軒並みそれぞれの身の丈にあったアクションに置き換えられています。 *6
オリジナル版ではどのキャラも表情をコロコロと変えるのも人間くさくて印象的でしたが、リメイク版ではそちらもかなり平坦な演技に変わっています。そりゃ、ふつう動物は笑いませんからね。
骨格から表情筋までリアル動物基準に合わせてしまったがために、『ライオン・キング』は仏頂面のオンパレードです。「ふつうの動物」の範囲では精一杯表情豊かにふるまっているのですけれど……。
オリジナル版の活力に溢れた顔に比べると、なんだか本物の動物に『ライオンキング』のセリフを当てて作ったMAD動画のような不吉ささえ帯びています。*7
スカーフェイズ
「動物化」路線にとりわけ影響を受けたのは悪役のスカーでしょうか。
彼はオリジナル版だと細身で能弁な策士で、そのオーバーアクト気味な演技力でムファサとシンバの親子を破滅へと追いやっていきます。卑怯者の情けなさと謀略家の冷酷さを伏せ持つ彼のイメージに、シェイクスピア俳優ジェレミー・アイアンズの声はまさにぴったりでした。
ところがリメイク版のスカーは、ムファサと比べれば若干痩せ気味なものの、それなりに立派な体格のオスライオン。面構えもゴツい。
演じたのはキウェテル・イジョフォーです。『それでも夜が明ける』や『ドクター・ストレンジ』での朴訥で生真面目なイメージが強いですが、本作でも策士であることは策士なんだけれど、過剰な演技でシンバを誘導するようなことはせず、芯を持ってぶっきらぼうに釣り餌をまいていくアンタッチャブルなヤクザめいた印象です。声そのものはオリジナル版のアイアンズに寄せてきたな、というかんじ。
ふたりのスカーの違いをよく表しているのは隠れた名曲「Be Prepared」*8。
ディズニー公式チャンネルで上がっているクリップを見てみましょう。
こちらはオリジナル版。
www.youtube.com
実に躍動感溢れるノリで数々のギミック(?)に飛び移ってはハイエナたちとドツキあいつつ、セクシーなシブい声で高らかに自分の野望を歌い上げます。特に最後の"Be king undisputed, respected, saluted, and seen for the wonder I am! Yes, my teeth and ambitions are bared. Be prepared.”は名曲ぞろいの『ライオン・キング』挿入歌中でも屈指のパンチラインではないでしょうか。めちゃくちゃかっこよくて高揚しますね。
で、イジョフォー版の映像は用意できませんでしたが、曲調はこんな感じ。
場面としては、薄暗い岩陰で足場を(オリジナル版よりは幾分控えめに)飛び移りながら、歌うというよりはハイエナたちへ演説するような調子でリリック*9を乗せます。*10
ハイエナたちもノリが悪く*11、全体的にヘビーでおとなしめです。たしかに単体の曲としては悪くないし、場面の雰囲気とマッチしてはいて方向性は理解できるのですが、あまりに荒涼としていて愉しさにかけます。
夢と魔法を引かれたアニマルキングダム
そうなんですよね。ミュージカルシーンが愉しくないのが問題なんです。
リメイク版は動物たちを「動物化」すると同時に、オリジナル版にあった魔法をも消してしまった。具体的にはこんな感じです。
挿入歌"I JUST CAN’T TO BE KING”比較。
(オリジナル版)
(リメイク版)
オリジナル版ではシンバが歌い始めた途端に画面がアフリカンアートめいたカラフルな色調に塗り替えられ、シンバたちが表情豊かに飛んだり跳ねたりしながらモブ動物たちの大コーラスをバックに狂った世界でシャウトします。同時にザズーとのスピーディな掛け合いもコメディとして良好に機能しています。これがミュージカルの魔法です。
ところがリメイク版ではその魔法がかからない。オリジナル版に似ていながらも縮小された景色を行きながら歌詞をなぞるだけです。
誇張した表現を使わずとも、ハイパーリアルな映像美で観客を圧倒できる、そういう計算だったのかもしれませんが、実際に展開される光景はナショナルジオグラフィックめいていて退屈です。とてもシンバとナラのわくわくに満ちた子供時代を再現できているとは思えません。
意味かい? 「ぼくたちは大丈夫」だってことさ。(By ティモン)
たしかにたてがみの一本一本が細やかに風になびく映像技術はすばらしい。実際の動物のモーションを再現するためのリサーチも十分尽くしたのでしょう。
スクリーンにいるのは完璧なライオンです。ライオンたちが人間的な感情を有していたらこんな感じなんだろうな、と想像させます。そこはすごい。
ですが、その完璧なまでにリアルなライオンたちに『ライオン・キング』を演じさせたのは、果たして正解だったのでしょうか?
『ライオン・キング』はもともと人間寄りに戯画化されたキャラクターたちのために作られた作品です。だからこそディズニーアニメ作品のミュージカル化にあたって真っ先に選ばれたのでしょうし、今に続くロングラン作品となりえたのでしょう。
そんなものに本物のライオンたちをアテたって馴染むわけがない。奇妙なパロディの感覚を喚ぶだけです。*12
やはりディズニークラシックのリメイクであったファヴロー監督の前作『ジャングル・ブック』でも登場動物たちは誇張を捨てたリアルな装いを身にまとっていました。しかし、あの作品の中心には人間であるモーグリ少年がいて、「人間と動物」の線を引くことが物語の核心に関わってくるよう構成されていたため、『ライオン・キング』ほどの異物感はありませんでした。
リアルさを追求するな、リアルっぽい動物に人間のことばを喋らせるな、と言っているわけではありません。
むしろ、誇張を抑えてリアルに再現された動物たちだけが出てきて喋るCG映画作品があったら何としてでも見てみたい。わたしはそういうものが大好きです。
もし、あの本物のライオンたちのために用意されたシナリオが、作品があれば、あるいは幸福な映画の可能性もあったやもしれません。
しかしディズニーはその道を選びませんでした。多額のコストをかけてオリジナル作品に賭けるよりは、すでにヒットの実績があって知名度も高い過去作という器を選んでしまったのです。その器が自分たちの手法に合っているかどうかを考慮することもなく。*13*14
「原作をそのままやる」ことがかならずしも幸せにはつながらない。ストーリーやセリフだけをなぞっても「そのまま」にはけしてならない。
映画とは、なんと繊細で深遠なことでしょう(テキトーなシメ)。
こうした挑戦をひとつひとつ噛み締めながら、人類は進歩していきます。わたしたちは薪に座し、吊るした肝を舐めながら次なるディズニーのリアル動物リメイクものに Be Prepared しましょう。
で、「次」とは?
『わんわん物語』です*15。
アメリカでは2019年12月公開予定。*16
監督はカートゥーン・ネットワークで長年活躍したベテラン、チャーリー・ビーン。
脚本はなんとあの「マンブルコアの帝王」、アンドリュー・バジャルスキです。
現段階ではティーザーすら出ていないのでどうなるかまったくわからない。
もしかしたら、リアルなイヌの挙作をするリアルなイヌたちに、ミクロなバジャルスキ脚本はマッチしてしまうかもしれない。そういう希望だけを抱いて生きていきましょう。
ハクナ・マタタ。心配すんなってことさ。
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なにかと批判の多かった続編ビデオ商法ですが、『ライオン・キング』に限っては三作とも好きです。
*1:そもそも異なるメディア間でのアダプテーションは格段に難しいにしろ
*2:一方でおなじ山崎貴作品の『アルキメデスの大戦』は改変具合こそを褒められたりもしていた
*3:さすがにヴァン・サント版『サイコ』ほど偏執的な完コピ芸ではありませんが。
*4:https://www.gizmodo.jp/2019/08/lion-king-jon-favreau-interview.html
*5:彼らは劇中で唯一、「自然ドキュメンタリー」であることの制約から逃れ得ている存在です。「ハクナ・マタタ」は本編のミュージカル中で唯一オリジナル版に伍することができる出来でしょう。なんたって自由人なのです。彼らには既存秩序から遠く離れて自由であってほしかったからこそ、リメイク版で「サークル・オブ・ライフ」に取り込まれるのはかなしかったですが……
*6:セリフやシチュエーションも微妙に改変が加えられているのだけれど、ここではあまり触れません。シンバの母親やハイエナのリーダー格といったメスキャラたちのプレゼンスが意識的に上がっていることは確かです。
*7:この動物的な無表情が面白さに寄与している場面がひとつだけあります。プライドランドに舞い戻ってきたシンバが囮としてプンバァたちを繰り出そうとする場面。シンバとナラのあのキョトンとした表情はフォトリアルならではの通じなさです。圧倒的他者として現れる動物本来の映画的用法だと思います。
*8:ディズニーアニメでヴィランが歌うものとしてはベスト級では
*9:ファヴロー監督曰く、ハイエナのキャラ付けを深めるために歌詞を変更したそう。
*10:こういうふうに「突然ラララと歌い出すミュージカル」というよりは会話の延長線上での歌唱っぽいものが全体として志向されているように思う。https://saebou.hatenablog.com/entry/2019/07/24/152834:=この傾向はリメイク実写版『アラジン』にも見られる。
*11:ハイエナたちのキャラ変更ははっきり改悪だと思います。ハイエナ三匹組のリーダー格であるシェンジ(オリジナル版ではウーピー・ゴールドバーグ、リメイク版ではフローレンス・カサンバ)が毅然とした女族長のポジションに据えられたのは、ラストバトル時にサラビやナラといったメスライオンのカウンターパートに置く意図があったのでしょうが、彼女が理性的に群れを統率しているものとして描かれてしまっているためにオリジナル版におけるハイエナたちの壊れた狂気が後退し、スカー始末の場面があまり効かなくなってしまっている。
*12:重要なのはディズニーのクラシック作品はけしてリアリズムを軽視していなかったことです。『バンビ』でシカの動作を追求するために動物学者を雇ったり、本物のシカをスタジオ内に連れ込んだエピソードは有名です。リアリズムとフィクションのバランスをどう取るか、どうすれば作品の雰囲気にマッチするのか、そういう問題なのです。
*13:悲しいことにディズニー実写リメイク群の多くが多かれ少なかれ似たような轍を踏んでいるとおもいます
*14:話は若干それますが、ディズニーのアニメ映画リメイクにはディズニーにおける過去の贖罪と再創造――ようするに多様性の要素を吹き込むことで現代的な強度をもたせて「王国」を延命する、という目論見があるように思われます。現状ではお仕着せ感が拭えないものが多いですが。一見動物しか出てこないので人種的な多様性など関係なさそうな『ライオン・キング』もその流れにあって、オリジナル版では白人(マシュー・ブロデリックとモイラ・ケリー)が演じていた主人公カップルを黒人(ドナルド・グローヴァーとビヨンセ)に置き換えたりしています。簒奪されてきたアフリカ的な文化を黒人の手に返す、という意味では『ブラックパンサー』あたりも意識しているのかな。グローヴァー大好きだしそれはそれはいいのですが、そもそも『ライオン・キング』自体がアフリカという土地に対するオリエンタリズムでできているのは否ませんし、そんなこといったらそもそもリメイク対象になってるディズニー映画だいたいそうですよね。特に九十年代はオリエンタリズムを金に変えまくってきましたよね。昔の基準で作られたものをなんとなく声優だとか、ガワだけ現代のクライテリアにあわせて、内実を真剣に検討することなく安易に今のリメイク作品として出してしまうのは危険なのじゃないな、と『アラジン』くらいから考えています。なにせ次に待機しているのはあの『ムーラン』。割とガチ目な中国系俳優(ドニー・イェン!)でキャストを固めてきているようですが、はたして物語としてはどうなるのか。当時でさえ色々批判が多かったからなあ
*15:正確には人間も出てくるので動物オンリーというわけではない
*16:ディズニーの新しい動画ストリーミングプラットフォームであるDisney+のサービス開始同時に配信されるらしいですが、もしかして配信限定?