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「『スリー・ビルボード』は本当にフラナリー・オコナーなの?」を考える。

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『善人はなかなかいない』を読む人

フラナリー・オコナー全短篇〈上〉 (ちくま文庫)

フラナリー・オコナー全短篇〈上〉 (ちくま文庫)

フラナリー・オコナー全短篇〈下〉 (ちくま文庫)

フラナリー・オコナー全短篇〈下〉 (ちくま文庫)

 フランシス・マクドーマンド演じる中年女性ミルドレッドが看板広告を出すために、レッドという青年(ケイレブ・ランドリー・ジョーンズ)が経営する広告会社を訪問する。
 初登場シーンでレッドは椅子に座り、本を広げている。本のタイトルは『善人はなかなかいない』。アメリカの作家、フラナリー・オコナーの短編集だ。


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 映画評論家の町山智浩が『スリー・ビルボード』とフラナリー・オコナーを関連付けてくれた影響かどうかは知らないけれども、ちくま文庫がながらく絶版だった『フラナリー・オコナー全短編』を復刊し、ネットでもフラナリー・オコナーと『スリー・ビルボード』を結びつけて語る言説が多く見られるようになるなど、本邦における本作の評価はフラナリー・オコナーの名と分かちがたいものとなりつつあるように思われる。
 そんななかでフラナリー・オコナー/『スリー・ビルボード』論でも優れた映画評がふたつ出た。劇場用パンフに掲載されている町山智浩のものと、ライターの将来の終わり氏がブログに載せたものだ。

lovekuzz.hatenablog.com


 どちらもフラナリー・オコナーの読解から『スリー・ビルボード』を解釈する内容で、フラナリー・オコナー未読者にもわかりやすく、一読の価値がある。


 むろん、フラナリー・オコナーと『スリー・ビルボード』を結びつけるのは何も日本固有の現象ではない。
 アメリカのネットを管見しても、レビューの公開が解禁された2017年11月から多くの『スリー・ビルボード』評がフラナリー・オコナーに触れている。

 昔から南部を舞台にしたイヤなかんじの話はフラナリー・オコナーだねと言われがちなきらいはあるけれど、本作の場合は印象以上の理由がある。劇中ではっきりとめくばせがされている――わざわざ短編集の表紙を登場させているのだ。
 映画に出てくる小道具に意味のないものはほとんどない。
 引用するのがこれほどの作家であるからには、何かしらの意図があってしかるべきだ。

 
 ところがである。
 本作の監督であるマーティン・マクドナー自身のほうで『スリー・ビルボード』とフラナリー・オコナーを直接に関連させた発言はほとんどない。せいぜいインタビューで「好きなアメリカ人作家のひとり」として挙げる程度で、フラナリー・オコナーを意識したとまでは言っていない。*1

 劇中に登場させているフラナリー・オコナーの短編集についての解説もしていない。

 マーティン・マクドナーはインタビューで絵合わせをしてくれるタイプではないところも大きいとはいえ、評論家たちの盛り上がり具合に比べて、この距離感はなんなのか。*2


脚本ではどうなっているのか


Three Billboards Outside Ebbing, Missouri (English Edition)

Three Billboards Outside Ebbing, Missouri (English Edition)


 そこで脚本ではどうなっていたのか、とKindleでリリースされている本作のスクリプト*3をチェックしてみると、ない。


 「『善人はなかなかいない』をレッドが読んでいる」シーンなど、どこにも存在しない。


 代わりに脚本の1ページ目に書かれているのはこんなシーンだ。



場所:ウェルビーのオフィス、エビング広告社――日中

メインストリートと警察署に面したレッド・ウェルビーのオフィス。クールな見目の若者レッドは〈ペンギン・クラシック〉(a Penguin Classic)の何かを読むふりをして、パメラというキュートな服を着たホットな事務員を眺め回している。ミルドレッドがオフィスにやってくる。

〈ペンギン・クラシック〉、あるいは〈ペンギン・クラシックス〉というのはイギリス発祥の権威ある文学叢書。日本における岩波文庫みたいなものを想像しておいてください。いわゆる古典が網羅されていて、イギリス人の家に行くとだいたい読まれた形跡のない感じで置いてある。

 厳密に調べて行くと〈ペンギン・クラシック〉と〈ペンギン・クラシックス〉で微妙に違うっぽいんだけれど*4マーティン・マクドナーがどちらのつもりで指定したにしろ、フラナリー・オコナーはラインナップに含まれていない。*5

 脚本というのは出回っているものと実際の映画を比べてみると異なる箇所が多かったりするものだけれど、本作の場合はプロットはもちろんのこと、セリフや動作、配置された小道具までほぼそっくり映画と一致している。映画版に限りなく近い版であることは間違いない。

 ここまでだと将来の終わり氏の映画評の追記部分をなぞっただけに終わるので、もう少し考えてみよう。


脚本をもっと読んでみる。

 マーティン・マクドナーは脚本・監督・製作を兼任している。映画制作における前・中・後、いずれのプロセスにおいても強い権限を握っているものと見るべきだろう。ある小道具や演出に対して意図を込めているならば、脚本段階から反映させるはずでは?

 たとえば、劇中で直截的に示されるのことない(示唆レベルだが大半の観客は気づく)あるキャラクターのある属性についての手がかりとなるABBAの「チキチータ」という曲。この固有名詞に関してはきちんと脚本段階から明示されている。*6
 あるいは歯医者の体型。ミルドレッドが歯医者のことを「デブ」と罵るセリフがあるためか、ト書きでもこの歯医者は「fat」と書かれ、実際映画でもふくよかな体型の役者が演じている。

 逆に劇中でさして明確な役割を持たないシリアルについては「シリアル」と書かれているのみだ。銘柄も特に指定されていない。

 では、レッドの読んでいる本はマクドナーにとってシリアルやうさぎの置物程度の意味しかなかったのだろうか?
 

 ここでヒントとなりそうなのが、主要人物の一人、ディクソンが愛好しているコミックブックだ。
 脚本では彼の読むコミックは「コミックブック(a comic book)」として書かれていない。

 しかし、slashfilmのインタビューで、マクドナーはディクソンのコミックブックについてこんな発言を残している。


 ディクソンはぜったいに本を読むようなタイプではない。じゃあ何を読むんだろう、と考えたときに、それはコミックだろうということになったんですね。でも私は彼に読ませる本をマーベルやDCのような大手のものにしたくはなかった。私が子どもの頃に読んでいたインディペンデント系のコミック・ブックにしたかったんです。

 ディクソンのような人物がインディーコミックにハマることは本当にあるものでしょうか? たぶん、ないんじゃないんでしょうか。でも、わたしはマーベルやDCのものより、インディー系のコミックを映画に出したかったんです。

 
http://www.slashfilm.com/martin-mcdonagh-interview/


 劇中でディクソンが読みふけっている『Incorruptible』(Boom!Studios、日本未発売)はヴィラン(悪役)がヒーローの役目を強いられる話で、作品を読み解くうえで重要なキーとなっている。*7

 こうした重要な設定が「後付け」であるならば、追加されたタイミングで軽重を判断するのはよろしくない。むしろ、監督が撮影している最中に「これは作品を説明する要素になるな」と思いついて付け加えられたっぽい要素であるぶん、重要ですらある。

「脚本を書いている最中は特段にフラナリー・オコナーを特段に意識してなかった。が、撮影するときに実際にどんな小道具を置くのかを決める段になり、物語全体を俯瞰してみると、実にフラナリー・オコナーっぽいと自分で思った(好きな作家だし影響は否定できない)。なのでケイレブ・ランドリー・ジョーンズに『善人はなかなかいない』をもたせた」というあたりが妥当な線だろうか。これならインタビューでのマクドナーのフラナリー・オコナーに対する微妙な間合いも説明がつく。
 映画のプロダクション過程については無知なのだけれど、脚本→撮影に移行していく中で作中世界の解像度があがっていくのが伺えてなんだかよい。


 やはりフラナリー・オコナーを通して『スリー・ビルボード』を語ることは、なんら見当ハズレではない。あとは「どのくらい重要か」の話になってくる。そこはもう語る人の意志に左右されてくるんだろう。絶対に欠かせないわけではないが、ちゃんと深ったならば確実に「何か」が出てくる鉱床。それが『スリー・ビルボード』におけるフラナリー・オコナーであり、その「何か」をいかにして磨き上げるかが評論であり批評なのだとおもいます。



もう一人のマクドナーとフラナリー・オコナーの関係について

 余談になるけれども、フラナリー・オコナーと縁深い「マクドナー」がもう一人いる。
 マーティン・マクドナーの兄で、同じく映画監督でもあるジョン・マイケル・マクドナーだ。

 彼のこれまでに発表した長編映画三作中二作(『ザ・ガード 西部の相棒』と『ある神父の希望と絶望の七日間』)はブレンダン・グリーソンを主演にアイルランドで撮ったものだった。ジョン・マイケルは『ある神父の〜』公開時のインタビューで、「アイリッシュ」三部作を締めくくる作品として、やはりグリーソン主演で「The Lame Shall Enter First」というタイトルの作品を制作するつもりだと述べている。曰く、「このタイトルは私の大好きな作家の一人であるフラナリー・オコナーからのいただきだ」と。

「The Lame Shall Enter First」はちくま文庫の『フラナリー・オコナー全短編』に「障害者優先」という邦題で収録されている。インタビューで語られている内容を見るかぎり、あくまで題名を借りるだけでフラナリー・オコナーのものとは違うものになりそうだ。
 とは言い条、借りてきたタイトルをわざわざそのまま使うのだから、相当好きな作家なのだろう。あるいはマーティンがフラナリー・オコナーを好きなのも、ジョン・マイケルの影響だったのかもしれない。
 ジョン・マイケルはもともと本好きらしく、映画でもニーチェバートランド・ラッセルゴンチャロフ、ベルナノス、さらには2010年にフランス出たばかりだったローラン・ビネの『HHhH』までが引用される多分にブッキッシュな脚本を書いている。マーティンも読書家ではあるようだが、引用芸でいえば映画の比重が大きいように思われる。

 ジョン・マイケル・マクドナー作品には、たしかにフラナリー・オコナー的な雰囲気が流れている。『ある神父の希望と絶望の七日間』(2014年)はアイルランドの田舎に棲む善良な神父が懺悔の場でいきなり「俺は七歳のころに神父からレイプされて心に深い傷を負った。その神父は死んだが、代わりにお前を一週間後に殺してやる」と殺害予告を宣言されて、その後の七日間、村人たちに接しながら神と信仰についてずっと悩み続ける話だ。理想(信念)と現実のはざまで思いがけない苦難や暴力にさらされる善人像、そしてそうした世界を覆い尽くすカトリック的な世界はフラナリー・オコナー作品と通底している。*8
 『ある神父の〜』の終盤、主人公の神父は過去に自殺未遂を起こした娘*9とこんなやりとりを交わす。


「罪の話はもうたくさんだろう。徳についてもっと話すべきだ」
「そうだね。お父さんの考える一番の徳って何?」
「赦し(Forgiveness)だろうな」



 やはり兄弟なのだな、と『スリー・ビルボード』を観た観客ならうなずくかもしれない。


*1:フランス語圏のインタビューでもフラナリー・オコナーについて触れているインタビューがあったようだけれども、フランス語が読めないので具体的に何を言ってるのかはよくわからない。それもあまり大したことは語っていないようだけれど

*2:そもそも作者の意図など読解のうえで顧慮する必要などなく、ただスクリーンで展開される表層的な運動のみを注視すべきなのだというテクスト論的な態度をとる向きもいるだろうし、それはそれでわたしも美しいとはおもう。作者自身が証言していることだって勘違いがあったりウソをついたりで全面的に信頼できるものではないし、そもそも作者の意図通りにしか物語を読めないのであるならそんなにさびしいことはない。それにも同意だ。けれど、小説にしろ映画にしろなんにしろフィクションというのは読者と作者のコミュニケーションでなりたっているのだし、だとするならば読者側としては相手=作者のコンテキストをできうるかぎりは知っておきたい。というか、そういうことを調べるのに快楽がある。

*3:劇作家出身だけあってマーティン・マクドナー作品は映画も含めて脚本が手に入れやすい

*4:もしかしたら現地人はクラシックスの愛称でクラシックと呼ぶことがあるのかもしれない。詳しい人おしえてください

*5:ちなみに〈ペンギン・クラシックス〉ならマクドナー監督の過去作にも出てくる。デビュー作の『ヒットマンズ・レクイエム』でブレンダン・グリーソンが読んでいる本だ。このときグリーソンがどんな本を読んでいるか、具体的なタイトルは視認できないが、ネットに流れているスクリプトだとK.K.Katurianの『The Death of Capone』ということになっている。Katurianとはマクドナー監督の戯曲『ピローマン』に登場する人物で、この本も架空のものなのだろう。ネットで見つかる脚本はどの版かわかりにくいことが多いので、なるべくなら『ヒットマンズ・レクイエム』も出版されたやつで読みたかったけれど、書籍化されてはいるもののKindle化されていない。未Kindleは悪ですね

*6:kindle版位置984あたり

*7:imdbトリビア集より。http://www.imdb.com/title/tt5027774/trivia

*8:アメリカにおけるカソリック神父の児童虐待事件は『スリー・ビルボード』でも言及されていた。前々回のアカデミー作品賞受賞作である『スポットライト』に詳しいこの事件は、遠く離れたイギリスやアイルランドにあってもショッキングな出来事だったのだろう。

*9:カソリックの出家は生涯独身が信条だが、彼の場合は結婚後に教会に入ったため娘がいる


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