*(注意)この記事は『キングスマン:ゴールデン・サークル』の重大なネタバレを含みます*
姫は間もなくして自分の行為を悔やみました。そして絶望のあまり自らの生命を断ちました。深い愛情をこめた手紙をトリストラム*1にあててしたため、それと同時に、日ごろ自分が可愛がっていた一匹の美しい利口な犬を彼に贈って、どうかこれをわたしの思い出としていつまでも飼ってやってほしい、と望みながら死んでいったのです。
もちろん、犬ではなくてはなりませんでしたとも。
その犬のあゆみしところ
『キングスマン:ゴールデン・サークル』の中盤、前任の「ガラハッド」としての記憶をなくしたハリー(コリン・ファース)は現「ガラハッド」であるエグジー(タロン・エガートン)から仔犬をプレゼントされる。愛らしいケアーン・テリアだ。
ハリーが仔犬を受け取るやいなや、エグジーは銃を仔犬につきつける。
「なぜそんなことを?」パニックに陥るハリー。「そんなことしちゃダメだ! 撃つなら私を撃ってくれ!」
「あんたを? じゃああんたを撃つよ」
エグジーは銃口をハリーに向ける。
強烈なプレッシャーが引き起こした混沌に、ハリーの若き日の記憶が呼び覚まされる。
そう、あのとき犬に銃を向けていたのはハリーだった。秘密結社「キングスマン」の入団最終試験のため、手塩にかけて育てた愛犬ミスター・ピックルを撃ってしまった……*2
Heart of a dog
なぜ犬でなくてはならなかったのか、という問いはさらに三つの問いに細分化されます。
「なぜ『他の動物ではなく』、犬でなければならなかったのか?」
「なぜ犬を『撃たねば』ならなかったのか?」
「なぜ『ケアーン・テリア』でなくてはいけなかったのか?」
イングランド、犬グランド
一つ目の問い。
「なぜ『犬』でなければならなかったのか?」
犬は人類にとって最も古い友だち(という名の家畜)であることは広く知られた事実です。が、なぜ『キングスマン』で犬を出さなければならなかったのか。
これはまあ簡単という一般常識の話で。
正義の秘密結社キングスマンは非常に英国的かつ貴族的な組織です。
英国貴族の嗜みといえば? そう、狩猟ですね。
狩猟に欠かせないのが獲物をご主人様のために追い立ててくれる狩猟犬。
しぜん、犬は騎士階級の象徴であるはずの馬を押しのけて、英国紳士の愛されナンバーワン動物になっていきます。
特に貴族文化華やかなりし十九世紀のイギリスでは「犬は礼節の象徴であり、犬に対する鑑識眼を養うことはジェントルマンのたしなみとされ」、「イギリスの犬の優秀さはイギリス人自身の優秀さを示す証拠であり、イギリス文化が及ぼす普遍的な文明化の影響を反映していた」*3のです。犬イズ英国。
英国を代表するスパイ組織であるキングスマンが「狩り」のパートナーに犬を戴くのも至極当然の理なわけですね。
特にハリーの選んだテリアの本来的な用途は、地中に潜む小害獣たちを駆逐すること。地下にあって自らの手で悪党どもを殲滅するハリーにお似合いの犬種といえます。
付言しておくならば、キングスマンはアーサー王の円卓の騎士を模した機構です。信頼できるゲーム会社の信頼している本によりますれば、円卓の騎士の一人、トリスタンは「犬を訓練した最初の人間」であるそうです。歴史的にはたわごとですけれども、そうした意味でもキングスマンと犬は関係が深いのですね。映画ではトリスタン全然出てきませんが。
彼らは灰犬を撃つ
では、そんなに仲良しであるならば、なぜ「キングスマン」の入団試験では犬を「撃たねば」ならなかったのでしょうか?
これは『キングスマン』の第一作でも問われるべき問題ですね。
犬を撃つ(殺す)、あるいは犬を撃とう(殺そう)とするシーンは映画に頻出します。
おおかたの映画において犬は無垢さ、純真さの象徴です。無辜の犬を殺すということは、悪役であればそのキャラの非情さや非人間性を端的に際立たせますし*4、主人公サイドの人間であれば(そもそも究極の選択を強いられてるとして)思いとどまるかどうかでそのキャラの道徳的葛藤や業の深さを描けます*5。ちなみに犬の無垢さを反転させて、悪役と一致させることで悪役の冷酷さや不気味さを増したり、悪役自身の人間不信を表現する手法もあって、*6これは『ゴールデン・サークル』の敵役ポピー(ジュリアン・ムーア)があやつるロボット犬のほうに顕れていますね。
ともかく脚本術的にはキャラクターの掘り下げが目的とされるのですが、もうちょっとここで『キングスマン』の固有性を考えてみましょう。
まず、ハリーは「犬を撃たない」キャラクターです。
第一作目の『キングスマン』ではエグジーが「育てた犬を撃つ最終試験」を課され、結局引き金をひくことができずに不合格となってしまいました。
エグジーに目をかけていたハリーは試験を乗り越えられなかった不肖の弟子に怒鳴ります。
「きみの限界が試されたんだよ……キングスマンは誰かをまもるためなら生命(a life)を危険にさらすことも厭わない。きみの父上が命がけでわたしを救ったようにね」
キングスマンとは大いなる目的のためなら多少の犠牲はやむをえない、ときには愛するものを見捨てる覚悟も必要とされる。そういうハードボイルドなスパイ組織なのです。
ところが主人公エグジーは、そんな任務優先のキングスマンの価値観に対して真っ向から否をつきつけます。彼が愛犬を殺せなかったのは場当たり的な温情からではなくて、根っからの「切り捨てられない男」だからです。
その性情は『ゴールデン・サークル』でより色濃くなります。
麻薬組織の首領ポピーがばらまいたウィルスの特効薬の製造工場を特定すべく、その鍵を握る女性に色仕掛けで迫りGPS発信機を仕込もうとする場面を思い出しましょう。
エグジーはノリノリなターゲットと性交に及ぶ直前でタンマをかけ、トイレへかけこんで恋人に電話します。「今から任務で別の女とセックスするけど、いい?」とりちぎに訊ねるのです。
当然、恋人はマジギレ。結局、エグジーはターゲットと本番に及ぶことなく発信機を埋め込むことに成功します(性交だけに)。
ここはあきらかにジェイムズ・ポンドのパロディなのですが、それよりも彼の割り切れない性格を表している一コマとして興味深い。
「任務は任務」で誤魔化さずに一対一のプライヴェートな結びつきを優先するという点では、一作目の犬を撃たないシーンと連続しています。
そんな彼だからこそ、麻薬中毒者たちを、そして喪ったはずのハリーを諦めきれないのです。
マーリン(マーク・ストロング)は初めこそキングスマンとしてのハリーの復帰を望みます。が、無理だとわかると撤収しようとします。
しかし、エグジーにはハリーとのより強い個人的な結びつきがある。任務だから、組織だから、以上の想いがあります。エグジーはまさにハリーの「個人的な関係」におけるトラウマを突くことで彼の記憶を取り戻すのです。
記憶を取り戻すシーンでエグジーがハリーに銃を向けたのはとても重要です。
なぜならこの瞬間、ハリーは犬になっている。
ようは第一作目の構図の反復です。エグジーは銃把を握りしめつつも、愛犬JBを諦めきれなかった。『ゴールデン・サークル』では、愛する師匠であるハリーを諦めきれない。
その「個人的な関係を切り捨てられない」己を貫くことで、エグジーは二作ともにおいて「犬」を救うことになるのです。*7JBは『ゴールデン・サークル』の序盤で死にますが。
犬色の彼方へ
そして、記憶の霧が晴れる場面こそが実は「なぜ、ハリーの愛犬はケアーン・テリアでなくてはならなかったのか?」にもつながってきます。
映画史において最も有名なケアーン・テリアは誰でしょう?
『オズの魔法使』(ヴィクター・フレミング監督)のトトです。
トトは飼い主のドロシーと共に竜巻に巻き込まれて*8、異世界のオズ王国でふしぎな旅に随伴することとなります。
劇中におけるトトのハイライトは、ラスボスである「オズの魔法使い」と対決するクライマックスです。トトはある行動をとって、おそろしい魔法使いの真実のすがたを白日のもとに晒し、ハッピーエンドに貢献します。
この偉大なるトトに連なるケアーン・テリア映画史の文脈では、ケアーン・テリアとは飼い主とともに夢の世界を旅する存在であり、「真の姿」を晴らす鍵なのです。まさに『ゴールデン・サークル』でのミスター・ピックルにぴったりの役回りではありませんか。彼がいなければ夢の国に住んでいたハリーが「元の世界」に戻ることはなかったのですから。
犬による犬のための犬映画『キングスマン:ゴールデン・サークル』。戌年の開幕にふさわしい一本です。
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*1:トリスタン
*2:結局それは空砲であったわけだけれど
*3:『犬が私たちをパートナーに選んだわけ』ジョン・ホーマンズ、訳・仲達志
*4:ホラー映画に多いですが、鮮烈な例をひとつあげるとしたら、ハネケの『ファニー・ゲーム』でしょうか
*6:去年の新作映画で特に印象的だった(『ノー・エスケープ』、『グリーン・ルーム』、『コクソン』)気がします
*7:ここでJB=パグが狩猟犬ではなく愛玩犬であることを思い出してもいいかもしれません。エグジーは機能ではなく、愛情を大事にするのです
*8:ちなみに竜巻ディザスター・ムービー『ツイスター』の竜巻が「ドロシー」と名付けられているレファレンスは有名ですが、この映画にもケアーン・テリアが出てきます