(Paddington 2, 英、ポール・キング監督, 2018年)
前回までのあらすじ
『パディントン2』サイコ〜〜〜〜ッ!🐻
proxia.hateblo.jp
(『ズートピア』の反復についてはこちら)
(*以下、映画『パディントン』および『パディントン2』の盛大なネタバレです。ネタバレしかない。観てない人は今すぐ『パディントン』と『パディントン2』を観ましょう。ふたつ合わせて『バーフバリ』前後編の約七割くらいの時間で観られます)
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目次
パディントン、反復にこだわる。
『パディントン』ならびに『パディントン2』はそれぞれ個別に完成された反復芸映画です。
たとえば、『2』内部で完結するものだけでも、母親的存在に川から(手を握って)ひきあげられる、鳩、おばさんへの手紙、ブラウン家の人々(SL、水泳、ヨガ、新聞、昇進)、50ペンス硬貨、ご近所の人々(パディントンから朝ごはんをもらう自転車女、鍵をかけ忘れるインド系の男、新聞売りの女、新聞売りのオウム、自称自警団のカリー、孤独な大佐、ゴミ回収車の男、犬)、線路を走る汽車、マダムの絵本、おばさんとのロンドン観光、水、裁判長、マーマレード、留守中にかかってくる電話、窓に張り付くパディントン(身体で拭き掃除)、りんご飴、サーカスの看板の文句、折り畳みハシゴ、ザ・シャード(やたら高いビル)、アルバート橋、楽団、屋根裏の衣装室、白鳥、電話ボックス、法廷、大時計の歯車、洗濯場の山盛りになった洗濯物、面会室、ダクト越しの会話、「命中」(ブルズアイ)、ブキャナンのミュージカル、ブキャナンのマネージャーの会話録音、記憶力のわるいブキャナン(バードさんの名前を覚えられない)、「おれは他人を利用するだけだ」、演劇用のサーベル、おばさんに抱きしめてもらう、and etc と大小とりあわせた要素が複数回反復され、場面ごとにそれぞれ有機的に絡まり合って観客にマジカルな感覚をあたえてくれます。
ポール・キング監督の演出術は間違いなく一級品。ただ機械的に繰り返すのではなく、どこで何の要素をどのように再提示するのか、そのあたりをよく計算しつくしている。ときには(映画のリアリティラインに準じて)わざとらしく、ときには誰にも気づかれないほどの自然さでするりと映画にすべりこませてきます。なので、単体で観賞してもとてもたのしい。
ところが、ですよ。『パディントン2』の反復芸は104分の尺だけにおさまるものではありません。前作の『パディントン』との作品をまたいだ反復のダイナミクス、これこそがシリーズとしての『パディントン』をより魅力的にしたてているのです。
もちろん『パディントン2』について語るべきことは他にいくらでもあるでしょう。寓話としての見事さ、言い訳しようもないほどウェス・アンダーソンじみた美術とシンメトリー、不穏さに満ちた社会情勢との呼応、英国という背景との関わり、キャラごとの成長処理のさばきかた、リアルとフィクションのあいだをゆらぐパディントンの質感のみごとさ、コメディとしての完成度、ヒュー・グラントのノリノリな演技!、あるいは家族とはなにか、友人とはなにか、希望とは。
上記にあげた『2』単体の反復を逐一左見右見することだって可能です。ふいをつくようにあざやかな三度目の登場を果たす50ペンス硬貨と電話ボックス、冒頭とクライマックスで繰り返され作品テーマを刻印する川でのシークエンス、パディントンと悪役とのあいだで不穏にやりとりされる折りたたみハシゴ……。
しかし、ここではとりあえず1→2間の反復だけに着目していきましょう。比較していきましょう。
物語における反復にはほぼ必ず差異が含まれています。その差分によって「何か」を伝えること、それこそが映画における反復的な作劇の目的です。なので、目を向ける意味はある。特に、単体の作品内で見出される反復はまだしも、続編へとまたいで行われる反復にはほぼ必ず制作陣の意図が、偶然以上の意味がなにかしら込められているはずです。
『1』→『2』で反復されるアクション・要素一覧
とりあえず、テーマ的および効果的に重要だと思われるところから。
1.ルーシーおばさんと抱きあうパディントン
『2』で誰もが感動するであろうラストカット:ルーシーおばさんとパディントンが抱き合う図。
これ自体、『2』内部で反復されるものでもあります。すなわち、終盤手前でブラウン一家が刑務所の面会に来なかったことで孤独の涙にむせぶパディントンがペルーの森でのおばさんの幻影を見るシーンですね。
しかし幻影としてのおばさんは、ブラウン一家に見捨てられた(と思い込んでいる)パディントンにとっては自慰的な逃避先でしかありません。だからこそ儚く、すぐに消えてしまい、残されたパディントンにむなしさだけを残します。
では、なぜ独りになったパディントンは抱きしめてくれるおばさんを幻視してしまったでしょう?
実は『1』にその前フリといいますか、具体的な伏線が張ってありました。
『1』でパディントンがペルーの奥地からイギリスへやってくるきっかけになった出来事をおもいだしてみましょう。森で平和に暮らしていたパディントン一家を大地震が襲い、育ての父であるパストゥーゾおじさんが倒壊した大木の下敷きになって死んでしまう場面です。
ここで、おじさんを亡くして悲嘆にくれるパディントンとルーシーおばさんが抱き合うカットがあります。
強烈な既視感がありますね。そう、この構図はそのまま『2』のラストカットに反転された形で用いられるのです。
キャラ心理を察するならば、『2』の刑務所でブラウン一家という「家族」を失ったパディントンが、おなじくおじさんという「家族」を失ったときにすがれる思い出こそ、「ルーシーおばさんの腕のぬくもり」だったのですね。このぬくもりこそ彼にとっての唯一確かな「家族」のあかしです。文脈ですね。
また、ペルーの森の幻影を観るシーンも『1』にはあります。地理学協会から盗んできた探検家のモノクロフィルムを上映するシーンで、パディントンは探検家の目を通して色鮮やかな森の風景と幸福なパストゥーゾおじさんとルーシーおばさんを幻視するのです。
ちなみに『2』のラストで抱き合うシーンと『1』での包容シーンとでは決定的に異なる点があります。おばさんとパディントンの位置関係が左右で逆転しているのです。『1』で抱えていた不安が『2』のラストで反転される、そう読み取ってもよいでしょう。
『1』−『2』間でこうした喪失の反復と反転がなされるからこそ、『2』のラストで新しい家族とコミュニティへ古い家族であるルーシーおばさんを迎え入れることができたパディントンの感動と安心が観客にも共有されます。おじさんの死がようやくここで克服される、と言ってもいいでしょう。『1』であんなにも必死にもとめていた「Home」*1が完成したのです。
2.丸窓
窓は『パディントン』シリーズにおいてよく見られるオブジェクトであり、形態や使われ方も多様です。*2
パッと目につくのは、パディントンの住むブラウン家の屋根裏にそなえつけられた丸窓でしょう。
初登場するのは『1』でパディントンがブラウン家にやってきたばかりのころ。うっかり家を水びだしにしてしまったパディントンは丸窓のそばで落ち込みつつ、ルーシーおばさんへの報告を独白します。外は彼の心情をあらわすように土砂降りの雨です。
結露した丸窓に、パディントンはロンドンの街の輪郭をゆびでなぞり描きます。
この丸窓のアップは『1』の事件解決後のラストでおばさんへの再度の「報告」と共にもう一度登場します。そのときは雪が降っているものの、窓にも一点の曇もありません。
丸窓からズームアウトしていくカメラで『1』は終わるのですが、『2』では逆に丸窓へのズームインから始めることで*3、『1』から『2』へのひきづきをなめらかに行っています。
そして、その曇った丸窓に Paddington 2 とパディントンがウキウキと描くことでタイトルとなり、物語がはじまるという心憎い演出がなされます。あえて、「結露した丸窓に指で何かを描く」という動作を反復させることで、『1』初期と『2』のブラウン家での扱いの違い、そしてパディントン自身の心境の変化を際立たせます。
3.打って出るお父さん
偉大な続編はしばし、前作のプロットや展開をなぞります。それもただなぞるのではなく、ちょっとした変化を加えて。
『1』のロンドン自然史博物館でむかえる終盤、それまでパディントンとの信頼関係において他の家族から一歩遅れていたブラウン家のお父さんヘンリー(ヒュー・ボネヴィル)が、囚われのパディントンを救出するために勇気を振り絞って、妻と子どもたちが見守るなか博物館の窓から外へ打って出るシーン。このアクションによってヘンリーは妻メアリー(サリー・ホーキンス)からの愛と信頼をとりもどします。
『2』でもヘンリーは事件の真犯人さがしに関する方針の違いから、メアリーとすれちがいます。しかし捜査を進めるうちにメアリーのほうが正しかったことを知ります。そして、クライマックスでパディントンたちの乗る列車を追いかけるSLで、やはり家族が見守る中、離れた場所にいるパディントンを救うために昇降口から身を乗り出して車外へ出るのです。
『1』で取り戻したのはメアリーからの愛でしたが、『2』で最終的にヘンリーが取り戻すのは自らに対する信頼です。冒頭の家族紹介のシーンで提示される「中年の危機」から自分自身を救い出すサブプロットが、『1』でのアクションを繰り返すことによって強化されるのですね。
ヘンリー関連の反復要素で言えば、「演説」もハズせないところでしょう。『1』では悪役に対して、『2』ではカリーに対してパディントンへの愛と作品のメッセージを謳いあげます。基本的にはダメおやじなヘンリーですが、一家の家長としての見せ場はちゃんと用意されているのです。
4.落下するパディントンを上から救助する
『1』の自然史博物館で悪役のニコール・キッドマンに追い詰められたパディントンは、標本室の焼却炉パイプから逃走を図ります。が、煙突の出口まであと一歩というところで落下しかけてしまう。そこに駆けつけたブラウン一家が間一髪のところでパディントンの後肢を掴んで救助します。
離れ離れになりかけたブラウン家とパディントンが再会を果たす名場面です。どんぞこの暗闇から這い上がってきたパディントンをみんなで引き上げる。このアクションを通じて、家族としての絆がゆるぎないものとして決定づけられるわけですね。
『2』では、川底で電車に閉じ込められたパディントンをメアリーと刑務所仲間が助けに潜るシーン。作品単体では冒頭の「孤児だったパディントンを川から拾い上げるルーシーおばさんとパストゥーゾおじさん」の反復なわけですが、『1』から続く文脈も含意されています。
『1』は移民かつ孤児であるパディントンが見知らぬ土地で家(Home)と家族に受け入れられる物語でした。対して『2』では「家と家族」からさらに拡張する形で「友人」や「コミュニティ」といったテーマが付け加えられています。そのアップデート具合が、そのままパディントン救助シーンに登場する人物たちの違いに顯れているのですね。
5.パイプから響く絶望
リユニオンの前には一度信頼関係の崩壊があるわけで、『1』でも『2』でもパディントンは信を寄せていたブラウン家に裏切られる(とおもいこむ)展開が挿入されています。
そのときに使われる小道具が音声を伝達するパイプです。
『1』では悪役にブラウン家を荒らされたのをヘンリーはパディントンのしわざだと勘違いし、「うそをつくようなクマは家にはおいておけない」と追い出すことをメアリーに主張します。
夫婦の会話は寝室で行われているのですが、パディントンはそれを暖炉から屋根裏につながっているパイプを通して盗み聞きします。いったんは家族として受けいれられたという思いがあっただけにヘンリーのことばにショックを受け、家出を決意します。
『2』でもやはりブラウン家から見捨てられたと感じたときにパイプから声が聴こえてきます。場所は刑務所で、声の主は囚人仲間です。料理長ナックルズ(ブレンダン・グリーソン)をリーダーとする囚人たちは、パディントンに脱獄計画をもちかけます。
ブラウン家が自分の無実を晴らしてくれると信じているパディントンはその誘いをはねつけますが、彼らは「どうせ無理だ」「家族もだんだん面会日に来てくれなくなる」と仔熊に呪いめいた観念を植えつけます。
果たして、ブラウン家は翌日のパディントンとの面会に来ず、パディントンはふたたびパイプから聴こえてきた脱獄の誘いに乗ってしまうのです。
6.寝っ転がるパディントン
絶望が極に達したとき、パディントンは横臥せに寝転がります。
『1』では家出して公園のベンチで夜を越そうとしたときに、『2』ではブラウン家が面会にこないと知ったときに独房で。
どちらの場面でもカメラは上空から見下ろしの引いたショットで悲壮なパディントンを捉えます。そのためよく似た構図になるのですね。
前項にパイプとの相乗で、パディントンの孤独が印象づけられます。
7.洗うパディントン
では逆にパディントンと他者との日常的なつながりはいかに表現されているのか。
反復という観点でいけば、『1』でも『2』でもパディントンが他人と打ちとけるときにいつも「洗われて」るのは興味深いところです。
『1』ではブラウン家の子どもたちが風呂場でパディントンを洗う行為が最終的にはブラウン家に代々?引き継がれていた例の青い子ども用ダッフルコートの継承へと発展し、パディントンは家族にかぎりなく近い存在として認められます。*4*5
『2』では、窓拭きのアルバイトを志したパディントンがうっかり洗剤の入ったバケツを頭からかぶってしまったことをきっかけとして文字通り身体を張った窓拭き*6に挑戦。ご近所さんたちとの信頼関係をますます強めていき、ひとぎらいの大佐ともなかよくなります。*7
『1』では洗われることで家族に受け入れられ『2』では洗うことでコミュニティへ受け入れられるのですね。
濡れることがイニシエーションとして機能するのはさすが洗礼文化圏です。むやみに宗教的シンボルを濫用して読むのもどうかな、感とじなくはないですが、よそもの=異教徒であるパディントンがバブテスマを通じて英国に受けいられていくものと解くとこの場合はするりと入る。*8
ちなみに『1』では、パディントンが探し求めていた探検家のモンゴメリーの家を発見するきっかけとなるのも「洗われ」です。ただ、こちらの水はタクシーがハネたみずたまりの水で、どことなく不吉さと悪意をはらんでいます。事実、そのあとパディントンは「偽りの家族」から大変な目にあわされるわけですが。
8.カリプソ楽団
『1』が公開時に音楽ジャーナリストの高橋芳朗氏が「劇中でカリプソを流しているのは移民問題を意識しているからではないか」という旨を指摘していました。
この読みは正しい。監督のポール・キングはあくまで政治的な寓意についての言及こそ避けようとする人ですが、カリプソについては「五十年代に英国へ移民してきた人々によって創り上げられた音楽なんだ。西インド諸島とイギリスのすばらしい融合だ」と語ることでテーマをにおわせています。高橋氏の解説している歌詞の意味とあわせて考えると、パディントンが移民を象徴しているのはまちがいがありません。*9
パディントン自身はペルー出身なのでまあ西インド諸島と近いっちゃ近いだろ的な大英帝国的雑さが垣間見えるのはご愛嬌。
さて、『1』でも『2』でも劇中では派手な衣装を着てくりかえしカリプソを演奏する一団が登場します。Tobago Crusoe と D Lime(サントラの名義では Tobago and d'Lime) というバンドです。
要所要所で背景に出現する彼らの役割は、パディントンの心情を歌で表現することです。
『1』ではパディントンが駅で拾われてブラウン家へ連れて行かれる途中で初登場。歌っている曲は「London is the Place for Me」。ロード・キチナーというカリプソの大家のカヴァーです。
「俺もいろんな国を旅してきたけど、やっぱロンドンが最高だよ。人間はあったけえし、住み心地はいいし」というような内容で、高橋氏の言うとおり「ロンドン讃歌」です
ロンドンの華やかさにワクワクするパディントンの心情をよく表していますね。
2回目はブラウン家と役所へ向かうために地下鉄に乗る直前。「Gerrard Street」を演奏していますが、特に歌ってはいません。バンドの前を通りがかったパディントンは礼儀正しく帽子をとって彼らに挨拶します。
3回目はパディントンが家出して大雨のふるロンドンをさまようシーン。「Blow Wind Blow」という曲で「ロンドンがこんなに冷たい街だったとは」というパディントンの失望を歌っています。
そしてハッピーエンドを迎えるラストシーンで4回めの登場。「SAVITO」という曲で「ここでは色んな人種のひとたちと歌えてたのしいよ」と歌います。移民であったパディントンが心安らげる環境を獲得したことが陽気に表現されているのですね。
『2』では三度登場します。
一回目はパディントンが窓拭きの仕事でサクセスしていくシーン。「ザ・シャード」と呼ばれるロンドンのスゴクタカイビルディングで窓掃除をしているパディントンのカーゴに同乗しています。
そこで鳴らしているのは「Rub and Scrub」。タイトルのとおり「ドアやテーブルをブラシでごしごしこすってピカピカに磨こう」というお掃除ソング。パディントンの清掃活動にピッタリですね。
いいえ、卑猥な意味合いは一切ありません。誰ですか、先生、おこりますよ。
二度目は(記憶が若干怪しいのですがサントラによると)、刑務所にてパディントンがマーマレードサンドでナックルズと囚人たちを仲立ちし、みんなで毎日スイーツパーティを開くところ。
曲は「Love Thy Neighbour(汝が隣人を愛せよ)」。もとはロアーリング・ライオンという1930年代から50年代にかけて活躍したカリプソ歌手のもの。
「隣人が困っていたら助けてあげよう。ご近所さんを愛せば、もっとたのしくてウキウキするような人生を過ごせるよ」という隣人愛を歌った内容で、隣人愛によって囚人たちを救ったパディントンにぴったりですね。
「『2』の作品テーマとして、今回は家族だけではなく、隣人や友人を描きますよ」とここで宣言されているのです。
再登板は意外なところでエンディングクレジットシーン。刑務所に収監された悪役のブキャナン(ヒュー・グラント)が囚人たちとミュージカル*10を熱演する場面に出てきます。
ここからエンディング曲でハリー・ベラフォンテの名曲カヴァー「Jumping the Line」へとつながっていくのですね。*11
9.警備員のバリーさん
あと目立つところでは『2』で脚本もつとめたサイモン・ファーナビー演じる警備員のバリーでしょうか。彼はお約束の内輪ギャグみたいなものですね。
『1』では地理学協会の警備を担当しており、協会に潜入するために女装したヘンリーを見て「美人だ」と一目惚れします。
その後転職したのか、『2』ではセントポール大聖堂の警備副主任代理として登場。尼僧に女装したブキャナンを目撃してやはり「あんな美女は見たことない」と一目惚れします。
監督とファーナビーのインタビューによると、彼らは原作に名も無き警備員たちが登場するシーンの多さに眼をひかれ、バリーというコメディ・リリーフを創り上げたそうです。
ファーナビーとキング監督はTVコメディ時代からの盟友で、キングの監督デビュー作「Bunny and the Bull」(09年、日本未公開)でもファーナビーは主演を務めています。
ファーナビーとキングの作品史についてはここでは掘り下げません、というか掘り下げるだけの能力がないので誰か代わりに掘り下げてくれ。
10.「親愛なるルーシーおばさんへ」の報告
保護者的な存在への手紙の形式をとって物語中の状況や主人公の心理を説明する手法は児童文学の定番ですが*12、映画版『パディントン』では「遠く離れた老熊ホームに住むルーシーおばさんへの手紙」という形式で節目節目の状況が整理されます。
『1』では、1回目:ブラウン家到着&下水崩壊直後の屋根裏で「これからやっていけるんだろうか」と不安を吐露する内容。
2回目:地理学協会を攻略した直後に探検家のフィルムを観賞したことを報告するところ。ここではブラウン一家のキャラクターについても述べられていて、一家とパディントンが接近していることもわかります。
3回目:大団円を迎えるラストはルーシーおばさんへの語りかけから始まります。各キャラクターのその後が語られ、「メアリーさんは『ロンドンでは誰もが変わり者』と言います。つまり『誰もが溶け込める』ということです。ぼくもそれは正しいと思います。ぼくも変わり者だけど、ここは家みたいに居心地がいいです。人と違っていても大丈夫。なぜなら、ぼくはクマだから。クマのパディントンだから」というパディントン自身のまとめで映画ごとしめくくられます。
『2』では、1回目:冒頭でのブラウン一家の現況報告。ここでブラウン一家が物語中で見せる活躍のヒントがばらまかれます。
2回目:刑務所に収監されたパディントンの報告。おばさんを心配させないために「ここはビクトリア朝時代からある由緒正しい建物で、セキュリティも万全です」と言い訳するところがウソのつけないパディントンのキャラをよく表していておかしいですね。
そして『2』でも3回目は事件解決後のラスト……が今回はありません。そう、おばさんが直接ロンドンにあそびに来たからです。
前作で確立したリズムをあえて崩して「手紙が必要ない状況」を作ることで、『1』と『2』の違いを際出せて、かつラストシーンのエモーションも高める。実に続編ならではの心憎いやり口です。
11.歯ブラシで耳掃除
ここからは比較的些細な要素の雪かきになりますが。
『1』で印象的だったギャグに「ブラウン家にきたばかりのパディントンが歯ブラシを耳掃除に使ってしまう」というエグい汚物ギャグありましたね。『2』でも冒頭部にそのシーンを持ってきています。
ちなみに『1』では手動の歯ブラシだったのですが、『2』では電動にグレードアップ。前作で出てきたものがより豪華になって再登場するのは続編ものの鉄則です。
12.鳩
『1』で予想外の反復的活躍を見せた鳩も『2』の冒頭に顔を見せています。タイトルが描かれる窓の屋根にとまっていますね。
他にもマクガフィンとなる飛び出すロンドン名所絵本を想像上のルーシーおばさんとパディントンが巡るシーンでも出てきます。
13.パディントン駅
『1』でパディントンがブラウン一家と邂逅した場所であると同時に、彼の名前の由来となったパディントン駅。
前作ではいわば物語の出発点だったパディントン駅を、『2』ではクライマックスシーンへ進発するための「終わりのはじまりの場所」として再利用しました。
この駅を通過することで、ブラウン一家とパディントンはふたたびまとまり、さらには新しい友人を得るのです。
14.ブラウン家の壁画
ブラウン家の螺旋階段の壁に描かれたピンクい木(桜?)の絵。背景の一部なのでこれを反復要素として数えるのに不安がないわけでもありませんが、やはり『2』のラストシーンを成す重要な一部分であるので。
ブラウン家の気分が反映されるものであり、特に『1』では花が枯れたり咲いたりと忙しかったですね。
15.ぐるぐる巻きになるパディントン
『1』でニコール・キッドマンがブラウン家に侵入してきた際にパディントンは粘着テープでぐるぐる巻きになって身動きがとれなくなってしまいます。それが家出につながってしまう結果に。
『2』でもこのギャグは反復されています。床屋でアルバイトをするシーンですね。有線電話のコードでぐるぐる巻きになってしまい、またもや大惨事に見舞われます。
どうやらパディントンはぐるぐる巻きにされるとろくな目にあわないようです。ぐるぐる巻きの時点でろくな目ではないのはともかく。
16.パディントンの吸盤アクション
『1』にも『2』にもパディントンが日常的なアイテムを吸盤がわりに応用して壁や床にくっつきながら進む、というアクションがクライマックスに用意されています。
使われるガジェットは、『1』では卓上掃除機。『2』ではりんご飴。どちらも序盤で周到な前フリがされているので伏線好きにはたまらないですね。
ついでに言えば、『1』の卓上掃除機初登場シーンの「ハンディサイズの電動利器にふりまわされるパディントンの図」は、『2』でも床屋の髭剃りに繰り返されています。
17.ドールハウス風の建物断面図
『1』ではブラウン一家の紹介に二度使われたドールハウス風の演出。ウェス・アンダーソンの『ムーンライズ・キングダム』をほうふつとさせるオシャレさですけれども、『2』でもこの手法は登場します。パディントンが刑務所を脱獄するシーンですね。
単にかわいらしい雰囲気が出る、というだけではなくて、一画面内で離れた場所にいる人間たちのアクションをいっぺんに提示できたり、部屋をまたいだシークエンスをテンポよく見せられる合理的な手段でもあります。
18.犬
『1』ではチワワが二度出てきます。『2』ではウルフィーと呼ばれるアイリッシュ・ウルフハウンドが序盤で矢継ぎ早に三度出てきて大活劇を繰り広げます。どちらも犬種があらわすとおり、英国外の原産。チワワはメキシコ(南米)で、アイリッシュ・ウルフハウンドはアイルランドですね。彼らもまた「イギリスに受けいれられたよそもの」なのです。
喋るクマがものいわぬ犬に騎乗する絵面は愛らしくもリトル奇妙です。
19.蒸気機関車
ポール・キング監督から前作から増額された予算の一部を、『2』での二台の蒸気機関車を駆使したトレイン・チェイスに回しました。古き佳きアメリカ映画を好む彼らしい*13選択です。
『2』ではアクションに利用された蒸気機関車ですが、『1』では逆に静かな場面で文芸チックな場面に使われました。グルーバーさんの骨董品店をはじめて訪うくだりです。
グルーバーさんはパディントンとメアリーをもてなすためにミニチュアの蒸気機関車に紅茶を運ばせます。そして、自分の来歴を説明するのです。
「私も昔はこんな機関車にのってこの国に来たものさ。私の故郷はたくさんの戦争に巻き込まれてね。両親は私をヨーロッパの向こうへ送り出したのさ。今のきみ(パディントン)の歳とたいして変わらない時分の話だ」
「おうちは見つかりましたか」
「大叔母さんが迎えにきてくれてね。でも家というのは屋根のことだけを指すものじゃない。身体は先にこの国に着いたけれど、心が追いつくのには時間がかかった」
グルーバーさんはもともとハンガリー人*14です。ハンガリーは第一次世界大戦後に革命や領国の独立などでグダグダ戦火を延焼させつつ第二次世界大戦へ突入した国ですので、たしかに「たくさんの戦争をやってい」ました。半分難民のような形でイギリスへ疎開へ出されたのでしょう。
グルーバーさんの話を聞かされているあいだ、パディントンはミニチュアの機関車のなかにいる当時のグルーバーさんの姿を幻視します。少年時代のグルーバーさんは首に大きなタグをぶらさげ、心細さをおぼえつつも駅で親戚の姿をさがしていました。
「大きなタグをぶらさげた子ども」の像はそのままパディントン駅にやってきたばかりのパディントンの姿と一致します。*15パディントンは同じ境遇を持って同じくににやってきたグルーバーさんにシンパシーをおぼえるのです。
そもそも「大きなタグをぶらさげた子ども」のイメージは第二次世界大戦中にイギリス政府が行った学童疎開の光景に重ねられたものであるといえます。
『パディントン』と同じ2014年に公開されたイギリス映画『イミテーション・ゲーム』ではちょうどその時期の疎開児童たちのすがたも映っていますね(下図参照)
戦時中の子どもたちはロンドンから田舎へと疎開してきたわけですが、それを反転させてパディントンを外国からロンドンへとやってきた子どもとして描写することで、英国民の記憶に「保護すべき無垢の存在」を呼び起こさせたのでしょう。
20.「にらみの目(ハード・ステアー)」
パディントンがルーシーおばさんから「無礼な人に対する」防衛手段として教えられた必殺技です。野生の荒々しさを解き放った眼でパディントンから睨めつけられると、相手はなぜか全身に発熱を感じます。
『1』では地理学協会のエレベーターに忍び込んだとき、ヘンリーに「探検家なんて実在するのか? 作り話じゃないのか?」と疑われたときに使用。
『2』ではおばさんを侮辱したナックルズに向けて使われました。
ちなみに1976年に放送開始された人形アニメ版『パディントン』(邦題『パディントン・ベア』)では、第一話から使っています。タクシー運転手に乗車拒否されたためです。みなさんもクマに遭ったら失礼な態度をとらないように注意しましょう。
21.法廷
『1』でも『2』でも事件解決後、悪役は法廷で裁かれて判決もちゃんと出ます。映画としてはなかなか珍しいですね。
『1』のニコール・キッドマンは公共奉仕を言い渡され、大嫌いな動物園で働かされることに。
『2』のブキャナンは実刑判決を受けて刑務所に収監されますが、そこでミュージカルプロジェクトを立ち上げてむしろシャバよりハッピーな日々をエンジョイします。
明暗が分かれたのは、前者がパディントン殺害を企てたのに対して、後者は単なるこそ泥だったおかげでしょうか。
『2』単体の反復としては、一回目で善き熊のパディントンが被告人席に立たされていたところを、二回目では悪役のブキャナンが被告人席に立たせることで、世界があるべき姿に戻ったことを示しています。
他にも悪役ふたりの共通点としては、「パディントンと開けた水平な場所の直線上で対峙する」というのがありますね。『1』ではロンドン自然史博物館の屋根の上。『2』では汽車の上。
終わりに。
偉大な続編はしばしば一作目のコンセプトやプロット、要素をなぞるものです(二回目)。
しかし、ただなぞるだけでは縮小再生産になってしまいます。そうではなく、いかに反復や再利用で作品の幅を拡げていくのかなのです。『パディントン2』はそのもっとも幸福な成功例のひとつといえるでしょう。
はじめにも述べたとおり、『パディントン2』が最高な理由は反復以外にも二百個ほどある(たとえばパディントンがかわいい、あるいはパディントンがすごくかわいい、もしくはパディントンがちょうかわいい、など)わけですが、ひとまずこの記事はここで打ち止めにしておきます。
それではみなさん、よいクマを。🐻
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*1:『1』で最も反復される語彙。この単語に注目して『1』を観るとおもしろいです。
*2:『1』においてはニコール・キッドマン演じる悪役にとっても窓が大事なファクターであったことを銘記しておくべきでしょう。彼女は子ども時代に学会から排除された父親のみじめな姿にショックを受け、自宅の窓から雨の篠突くロンドンを眺めながら世間に対する復讐を誓います。また、彼女はブラウン家に侵入して工作を行う際にも天窓を外すのです。彼女が窓としばし結び付けられるのは、悪役としてのキャラクターがパディントンの裏返し、いわば鏡像関係にあることとと無縁ではないでしょう
*3:精確にいえば『2』の最初のシークエンスはパディントンとおばさんおじさんの出会いですが
*4:帽子の赤とダッフルコートの青。英国人からクマへと譲られた衣装が意図するところは赤青白の英国旗(ユニオンジャック)でしょう。ここで注意したいのは、ダッフルコートを譲られた時点のパディントンはまだ完全にブラウン家の一員となったわけではないこと。メアリーはダッフルコートを羽織ったパディントンを見てこう言います。「まるで家族の一員みたいね(You are like one of our family.)」あくまで「みたい」なのであって、家族そのものではない、という距離感です。
*5:単に「濡れる」だけなら『1』でブラウン家に到着した直後にトイレを破壊してしまうシーンがあります
*6:ちょっと『SING』の洗車シーンっぽい
*7:大佐の家の窓を拭くことで、大佐のこころのくもりまでぬぐいとる、という演出は端的にすばらしいですね。「窓のくもりを拭く」アクションは映画冒頭の「屋根裏の窓のくもりを指でなぞる動作=窓の曇りを消すものとしてのパディントン」の反復でもあります。
*8:さらに牽強付会を行うならば。いわゆる死海文書では、洗礼とは最後の審判において神から投じられる滅殺の炎を回避するための儀式という位置づけがされていたそうです。『1』でも「火」に飲み込まれそうになったパディントンがブラウン家によって守護されるシーンがありますね。
*9:ただわたしたちは寓話の持つ対応については一対一ではなく、ある程度の弾力性をもって解釈せねばなりません。そうでないと寓話の自由な効用を知らず潰してしまいます。
*10:パンフレットによるとミュージカル「フォーリーズ」のナンバー「Listen to the rain on the roof」
*11:『ビートルジュース』でウィノナ・ライダーが踊り狂っていたあの曲です。
*12:個人的にまっさきに例として思い出すのは『マイ・リトル・ポニー』の「背景、セレスティア様へ」ですが
*13:監督は本作を作るにあたってフランク・キャプラの『群衆』、『スミス都会へ行く』、『オペラハット』の三作を中心とした「善良な田舎の正直者が権謀術数うずまく都会で正直さをつらぬく」系の作品を参考にしたそうです
*14:グルーバーという姓自体は南ドイツやオーストリア系によくみられるもののようです
*15:原作から引き継がれた設定です