(Baby Driver, エドガー・ライト監督, 2017, 米)
音楽が鳴っているあいだはきみも音楽。
パンフレットにも載ってある「カーチェイス版『ラ・ラ・ランド』」という惹句に尽きる。ミュージカル的な快楽の点ではララを越えてさえいるのかもしれない。
思えば常にエドガー・ライトの映画は音楽と共にあった。いまさら、『ショーン・オブ・ザ・デッド』でクイーンの「Don’t Stop Me Now」をかけながらゾンビをビリヤードのキューでたこなぐりにするシーンや、『ワールズ・エンド』でザ・ドアーズの「Alabama Song」がかかるシーンのミュージカル性を指摘するのも恥ずかしいくらい。『ホット・ファズ』でも『スコット・ピルグリム』でもエドガー・ライトはずっとビートを刻んできた。音楽は彼の映画そのものだ。
『ベイビー・ドライバー』の主人公、逃がし屋のベイビー(アンセル・エルゴート)にとっては音楽も車も逃避の手段であり、同時に彼自身だ。幼いころに歌手だった母親を父親ともども車の事故で亡くして以後、彼は耳鳴りを抑えるため常時イヤフォンを耳にはめ、アクセルペダルを踏んできた。
バディ 「耳鳴りを抑えるために音楽を聴いてるって、ほんとか?」
ベイビー「うん、まあね。ついでに物事*2も考えずにすむ。
バディ 「つまりは逃避だな。なるほど」
ベイビー「速く動けるようにもなる。音楽のおかげでなにもかも上手くいくんだ」――本編より
彼にとっての世界とは、プラスチックのイヤフォン越しに聴こえ、車のフロントガラス、あるいはサングラス越しに見えるものだ。
グラスとイヤフォン。ベイビーはこの二つのアイテムによって世界を拒絶している。直に触れるにはあまりにハードすぎるから。イヤフォン越しでなら強盗集団のボスであるドク(ケヴィン・スペイシー)が垂れる犯罪計画(本来のベイビーは正直な正義漢だ)も聞ける。
聴くことを視ることを拒む、というのは裏を返せば、聴かれることも見られることを嫌いだということにもなる。
映画の後半で、ドクに命じられてイヤフォンとサングラスをオフにしたまま、郵便局に入るシーンがあったことを思いだそう。彼は耳鳴りに苛まれ、監視カメラに怯える。あるいはヒロインのデボラ(リリー・ジェームズ)に出合うまで唯一の「家族」だった里親のジョー(CJジョーンズ)が聾唖であったのを思いだそう。
そして、なにより彼は寡黙だ。自分の言葉をほとんど持たない。デボラとジョー以外の前ではほぼ音楽や映画の引用で喋る。*3
つまり音楽はベイビーと世界との関係を象徴しているわけで、 エドガー・ライトは劇中で実にさまざまな角度から音楽を使ってベイビーと外部とのつながりを描く。
たとえば、彼はドクに秘密で周囲の人々の”イイセリフ”を録音する。その録音をもとに何に使うかといえば、カットだのヒップホップななんだのをやって独自のミックステープを作成する。そうやっておっかないギャングや通りすがりのウェイトレスといった他人を音楽化することで、自分の世界へと取り込む。*4音楽でなければ彼の世界には入れない。なぜなら彼にとって人間とは音楽、歌う母親が原型としてあるからだ(一番大事なテープには「Mom」と書かれていて、中身は母親の歌声だ)。
音楽で他人と繋がる手段は他にもある。曲の共有だ。ジョーとは同じ曲を聴いてコミュニケーションをとるし、デボラや郵便局のおばさんなんかとは音楽おたくトークで親愛度を上げる。
でも、一番映画っぽいのは、犯罪集団でベイビーの兄的な存在になっていくバディ(ジョン・ハム)とのひとときだろうか。バディはベイビーがクイーンの「ブライトン・ロック」を好きだと聞いて、左耳のイヤフォンを借りて「ブライトン・ロック」をベイビーとシェアする*5。画としても美しいし、物語的にも後にこの構図が反復されることでその場面のエモーションが高まる。*6
音楽はベイビーの世界観なので、音楽がズレるときに彼の世界も崩れだす。そのズレは撮影時に起きたちょっとした手違いに発している*7のだけれども、奇妙なぐらい映画的なストーリーテリングにマッチしている。映画にも音楽にも愛されないと、こういう偶然は生まれない。
山田尚子は映画版『聲の形』を「伏し目がちな主人公が顔をあげて世界のうつくしさにちゃんと向き合うまでの物語」と定義したけれど、『ベイビー・ドライバー』にもそんなところがある。ブレーキを踏んで車のキーを投げ捨て、イヤフォンを外し、裸の眼できちんと「うつくしいもの」を捉えることで、傷ついた孤独なこどもはようやく車から人に戻り*8、音楽そのものになる。
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*1:『ベイビー・ドライバー』のファースト・ドラフト巻頭に書かれていたとされるエピグラフ
*2:stuff
*3:ドクに対しては『モンスターズ・インク』を使う。
*4:パンフレットによるとベイビーが大量に所有しているiPodはすべて盗んだ車に残されていたもの、という裏設定があるそう
*5:ここで「兄貴もクイーンが好きだった」とバディ言わせているのは重要だ。ベイビーに兄弟めいた情を感じている証拠なのだから
*6:「ひとつのイヤフォンをわけあう」構図だけでなく、「ブライトン・ロック」そのものや「killer track」というフレーズもまた別の場面で反復される。そう、本作でも反復は実に効果的に使用されている。「バナナ」とかね。序盤でジョーと一緒にテレビをザッピングしているときに『ファイト・クラブ』などと共にチラッと『くもり、ときどきミートボール』が映るけれども、エドガー・ライトもまたミラー&ロードの反復伏線芸に感動したクチだろうか
*7:その音楽のズレを生み出すのが誰か、と考えたときに、その人物がベイビーから「テキーラ」を盗むんだことも思い出すはずだ
*8:ここでもちろん私たちは、「人間が車になる物語」である劇場版『少女革命ウテナ』へのオマージュである『スコット・ピルグリム』をエドガー・ライトが映画化した事実を忘れてはいけない