上方の ぜいろく共が やって来て 東京などと 江戸をなしけり
(落首)
上野観光連盟|上野の歴史−4
暑い日がつづきます。黄昏の世界です。しかし、あまりにも激しく燃え上がり、あまりにも詩的なので、あたかも新しい夜明けのようです。*1
あまりにダルいので生活の維持をさぼって梅小路公園の水族館で飼われ魚たちにまぎれ餌などかすめとっておりますと、電話がかかってきて、「ディズニーランドば、ゆくぞ」と告げられます。姉の声です。
「ディズニーランドとは、どこですか」
「東京。遠かか?」
わたしだって、かつて右京は北野の天神さまに寓した山椒魚です。左京はたしかに川を隔てた異境ではありますが、出町柳くらいまでなら今でも稀に参りますし、遠いとはおもいません。田舎に住む姉は、都会の地理感覚にうといのでしょう。
わたしは「東京? くらい、伏見稲荷からだろうが石清水八幡宮からだろうがおけいはんなら一本だわ」と啖呵を切って水槽から飛びだしました。精確には京阪は出町柳までしか至らないので、その先はおぼつきません。しかし、そこは狭い京都のこと、なんとかなるだろうと楽観しておりました。ほら、『たまこラブストーリー』でも出町柳から東京へ行っていたではありませんか。
そうしてペタペタ出町柳の駅で駅員さんにディズニーランドの所在を訊ねますと、「あー、だったら京都駅で新幹線の切符買ったほうが早いですねえ」などといわれ面食らいます。水族館から出町柳に来て出町柳から京都駅となると、ほとんど出戻りです。なんだか理不尽ですが、公共交通機関の時空間とは複雑怪奇なもの。あきらめて新幹線の切符を買います。
ゆったりとしているようなしてないような座席に座し、発車を待っておりますと、車内放送のアナウンスがたおやかな声でこう申します。《東京駅への到着は〇〇時△△分……》。
二時間後? たかだか市内を左から右へ移動するのに二時間もかかる? 嵯峨野線の鈍行より遅いのでは?
わたしは鉄道には詳しくないのですが、この新幹線というのは奈良辺りに設置されたブラックホールを利用して動くに違いありません。おそらくスイングバイを利用して遠隔地にすばやく到達しようと意図された設計なのでしょうが、今回のような近場だと十分な位置エネルギーを得られず、単にかぎりなく移動速度を低下させるだけなのでしょう。そうでもないと説明がつきません。二時間ですよ。二時間あったらなにができますか……ちょっと寝てごきげんななめに起きるとか……。
わたしは通りがかった乗員に不安を訴えます。二時間ですよ。
「二時間ですね」と乗員は相づちをうち、押していたカートからアイスクリームのカップのようなものを取り出します。ような、というか、アイスクリームのカップです。そのものです。白いパッケージに「ずんだ味」と表記されています。
「召しそうらへ」
甘いものでも食べておちつけ、ということでしょうか。欺瞞を感じます。元国営企業だけあって、クレームのかわしかたに横着な傲慢さがある。しかし、ずんだは好きです。わたしはカップを受けとって、スプーンで薄緑色の誘惑を掬おうとしました。
が、掬えません。硬いのです。岩のように硬い。天満宮の牛みたいに硬い。スプーンをつきたてると、カツーンと軽快な音を発して跳ねかえします。カツーン、カツーン、と。
ふと、周囲を見渡すと他の乗客もカツーンカツーンやっている。みなアイスを凝視し、ひたすら彫刻に掘るように腕をふるっています。そんなにアイスを食べたいか。
わたしも食べたい。通れッ! と念じながらスプーンでアイスを掘ろうとしますが、何度挑んでもカツーンカツーンいうだけで表面に傷ひとつつかない。ほんとうにアイスなのでしょうか。オリハルコンかヒヒイロカネでできているのではないでしょうか。逆にこれだけつきたたても壊れないプラスティックスプーンのほうも異常なのではという気もしてきます。
そのような不毛な作業と思考に没頭しているうち、いつしか時間の感覚がなくなり、気がつけば、東京駅への到着を告げるアナウンスを聞いています。しぶしぶカップを持って降車しようとすると、駅員から「すいませんがそれは車外に持ち出し禁止なんで……」と放棄を強いられます。禁止の理由が法的なものなのか科学的なものなのか呪術的なものなのかはわかりませんが、そういうものらしいです。せめて、舐めておけばよかった、といまさらながら悔やまれます。
日本には「絵に描いた餅」という慣用句があり、意味は「食べられない食べものを見ると異常に腹が減る」。Youtubeなどでバーベキューや中華料理店のキッチンの動画を観るときによく使われます。
そんな気持ちで、そんな空腹感で、東京駅をふらつき、スシの店を見つけたので入ります。ツナのにぎりが三貫、供されます。本物のツナ? と疑い半分で口に入れると、たしかに生のツナの味です。いやしかし、こんな内陸に本物のツナが入荷されるはずもないし、おそらくいつも食べているようなソイフィッシュなのでしょう。
腹をくちくして駅構内を見渡すと、なんだか、どうも、違和感がめばえます。
ヒトが多い。祇園祭はつい先日終わったというのに、この東京駅はヒトでいっぱいです。多すぎて、というか、密度が濃すぎて、酔うほどに。
それになんというか……京都っぽくないのです。
往くヒト来るヒトみんなスポンジケーキにバナナクリームを詰めたような匂いを発している。心が冷たそう。そばとか喰ってそう。どんな一見さんもおいしいぶぶ漬けでもてなす京都のあたたかみとは百八十度違います。まあ、洛外であるというだけでも剣呑な土地でありますし、出町柳のさらに遠方なら、天外魔境も同然。なるほど、あずまえびすとはこうした御面相でありますか。ハハア。
いかつい東京人たちのあいだを怯えながら進みつつ、姉から指示されたとおりに形容線を目指します。形容線は読んで字のごとく、というべきか、その名に反して、というべきか、ともかくなんとも形容しがたいかたちをしております。
しかも長い。形容線に入ってから、電車に乗るまで、無限に歩かされます。歩かされるだけならまだしも、降らされもします。黄泉までつづくような降りエスカレータに三回も乗る必要があり、降っていくあいだ、ずっと亡者たちの阿鼻叫喚と獄卒たちの高笑いを聞かされます。鉄の象がパオーンと鳴いてなにかを踏み潰しているのも見た気がします。ヒトを魂魄まで灼きつくす青白い炎も見た気がします。ここもブラックホールに近いのでしょうか。
まあ、なにはともあれ、電車に乗ってさえしまえば、今度はすぐです。ディズニーランドです。
マイク・ハマー駅に到着し、入国審査を通過すると、姉が出迎えてくれました。約束の待ち合わせ時間から少々わたしが遅れたせいか、しびれをきらして駅にいたものを二三呑みこんで銀の卵を産みそこから混沌と天空を生じさせたりしていたようでした。しかしそれですっきりしたのか、おもったよりもご機嫌です。全長十六メートルの万古不易の大蛇ともなると、気の持ちようも違ってくるのでしょう。
「あいが見ゆるがか」
姉はしっぽでディズニーランドの中心、名にしおうシンデレラ城を示します。
「あン城ば奪る」
これだから九州人は。鬼石曼子だけじゃない。大友、立花、龍造寺、鍋島、秋月、阿蘇、松浦、それに加藤や細川。たいがいどこも野蛮です。蛮族です。城や国と見ると、奪うことしか考えません。
事前に姉から渡されたスマホアプリには、ディズニーランドの地図が載っています。それによれば、天下の堅城です。円形の領域の中心にあるのはシンデレラ城、そこから放射状に道が延び、八方に廓を成しています。まずこれらを落とさないことにはランドの攻略など不可能です。日没までに終わるのでしょうか……?
そういえば、わたしは聞いたことがあります。ディズニーランドにはファストパスなる制度があるらしい。早朝に早駆けしてチケットを穫れば、優先的にライドに乗れる券がもらえると。しかし、わたしたちが集った時点で、開園してからそこそこ時間が経っています。これでは、ファストパスとやらは売り切れてしまっているのではないのでしょうか。
「今はファストパスなどなか」
「え? ない?」
「時間指定制の優先パスは発行されとる。だが、朝駆けなんぞせからしい」
「じゃあ、どうやって優先パスの割当てを決めるんですか? 完全なる抽選?」
姉はしゅるると舌を伸ばして微笑みました。
「カネじゃ。厳正に公正じゃなかね」
姉はカネに糸目をつけませんでした。購入した優先パスで、ベイマックスに会いに行きます。
ベイマックスはトゥモローランド・エリアに出没する大きくて白いぶよぶよした物体です。ロボットらしいです。エリア一帯は自動販売機から売店のグッズに至るまでこの白いまんじゅうの意匠にあふれ、ときおり街宣車のような車がのろのろ走りながら「わたしはベイマックス、あなたの心と身体の安全を守ります」と繰り返し呼びかけています。とてもディストピアっぽいです。監獄が誕生して以来、権力はこのような仕方でわたしたちを抑圧しようとするのですね。
当のベイマックスに会うためには150分ほど並ばないといけないのですが、姉はカネにあかせた優先チケットを持っているのでわたしともども優先されます。あやしげな未来的施設に案内されると、なかではベイマックスがたくさんいて、背中にヒトを乗せビュンビュン飛ばしています。ベイマックスはひとりではなかったのです!
多量の視覚的ベイマックスを浴びたベイマックス大好きな姉は大盛り上がりです。
「うはー、すごかー。ほら、見んね。ベイマックスにもベイマックスが乗っとる」
姉がいっているのはベイマックスに乗ったベイマックスによく似たスキンヘッドにサングラスのおじさんでした。死ぬほど愉しくなさそうな様子で、二人用のベイマックスの座席でひとりクタッとうなだれています。心も身体もやや危険な状態にありそうです。
「ほら、ベイマックスにベイマックス。べべべのベイベイマックス。ブハハハ」
姉はウケまくりながら、見知らぬ男性の写真を勝手に撮っています。倫理というものがないのでしょうか。ないのですね。九州には。
ところがです。ベイマックスに乗ったおじさんの表情は飛んでるうちにだんだんと晴れやかになっていき、地上に降り立つころには幸福値が二百を超えていました。これには姉もわたしもびっくりです。
自分たちで乗ってみると、なるほど理解できました。座席は心地がよく、なんだかいいにおいが漂い、ベイマックスのあたたかい声が常時語りかけてきます。これはハッピーになってしまいますね。幸せハッピースパイラルにやられてしまった姉は、ライドが終わるころには完全に弛緩して「これ……よさぬか……ベイマックス」などと気持ちよさそうなうわごとを発しておりましたとも。
すっかりハッピーになった姉は調子に乗って、いきなり大将首を狙いにいきます。
ミッキーマウスです。
トゥーンタウンなる住宅街にあるミッキーの家まで押しかけます。
「おらーいれろー」
姉は暴力的に戸を叩きます。ヒカキンの新居に押しかける厄介キッズのようです。いやキッズとて、ここまでアグレッシブではないでしょう。もちろん、中からの応答はナッシング。まあ、だれだって全長十六メートルで自在に火を吹く大蛇が自分の家の前にいたらビビります。
ここは出直したほうが……と忠告する間もなく、姉は「たたきつける(いりょく:80)」でミッキーの家の扉をぶち破りました。ずんずか踏み入っていく姉を引き留める力もないわたしは姉のしっぽをおいかけます。
入ってみるとふつうっぽい家です。なんの変哲もありません。玄関に貼られたミッキーとウォルト・ディズニーの写真の前をすぎると、書斎があり、本があり、キッチンがあり、机があり……と、机になにかメモのようなものが留められています。チェックリストです。自分を研鑽するための毎日の日課が書かれていました。おなじことをやっていた人物をわたしは知っていました。『グレート・ギャツビー』のギャツビーです。なにやら不穏な暗合な気がします。
家さがししても主の姿はありません。国際的スターでありますし、多忙ゆえ不在なのでは……と姉に進言しようとしましたが、姉はずかずかと裏庭に侵入します。死体でも掘り起こすのでしょうか。
庭もまたふつうです。家庭菜園といった趣の畑にはニンジンなどが植えられており、愉快げな効果音に合わせて出たりひっこんだりしています。やや普通でないのは、納屋でしょうか。納屋自体はアメリカ人の家には標準装備なのでしょうが、ミッキーの納屋は家のサイズに対してややデカい。郊外のモダーンなおうちには不釣り合いです。どうもこれは……
おや? どこからか声が聴こえます。
ウォルト・ディズニーは幼少期を過ごした農村について終生、強い郷愁を抱いていた
ここは庭ではない。家の内部に村があるのだ。心のなかにある原風景だ。だから、このなかには
チェストー。
と。
姉が納屋の扉に「たいあたり(いりょく:40)」をくらわすと、牛や農業用具ではなく映画セットが出てきました。壁にかけられたスクリーンではミッキー主演映画の予告編が流されています。
そして、さらにその奥には。
いました。ミッキーマウスです。異教的であやしげな衣装に身を包んだ信者?らしきひとびとに愛想をふりまいて記念撮影しています。
姉はわたしの背中を叩きました。
「さ、いきんしゃい」
え?
「一番槍じゃ。大将首じゃ。誉れぞ。骨は拾っちゃる」
ええ~~~~?
これが止まっている車を見たらヤクザの死体が入っているとおもわなければならない国からやってきた蛇です。いうことが違います。しかし、ここは果てといえど、京都です。法があり、仕来りがあります。そして、みな理性を持っています。めったなことでは他人を殺してはならないのです。他人っていうか、ネズミだけど。
わたしがひとしきりいやいやしていると、姉は、がんにゃあね、とつぶやき、わたしの腹にしっぽを巻きつけました。あっ、冷い、と感じた次の瞬間には、身体が浮いていました。どうやらミッキーに対して投げつけられたようです。
こんなの誉れじゃない〜〜〜。
そのあとのことはよく憶えてません。
べべイのベイ、という謎の声に起こされました。
目覚めると、視界をぶよぶよした例の巨大なボデーが占めています。
どうやら、通りがかりのベイマックスに介抱されたようです。よくみたら、ベイマックスのアトラクションで姉に写真を撮られまくっていたサングラスのおじさんでした。
「ちゃんと水分補給はこまめねに。この暑さなんだから」
親切なおじさんだったようです。みなさんも熱中症対策は怠らないにしましょう(注意喚起)。
そんなこんなで、いつのまにか、トゥーンタウンからトゥモローランドへ戻されていたようです。
姉はといえば、わたしの隣で傷だらけの身体をペロペロと舐めていました。バチボコに負けたようです。わたしが起きたと気づくと、彼女はおちゃめに笑いかけてきました。
「やっぱ、中央の王とホームグラウンドでやりあうのは分が悪か。出直しじゃ」
鱗一枚も懲りていません。戦闘民族です。九州の北の方でもこれなのですから、日向とか薩摩とかどうなっているんでしょう。Vampire Survivor みたいな状況でしょうか。たぶん。
日は暮れかけて、刺すようだった日射しもいくらか柔らかくなって、祭りが始まります。ランドの大通りをディズニー作品を象った山鉾が練り歩き、沿道の有象無象たちも拍手喝采。姉によれば、山鉾は毎日出てくるらしく、つまりここでは毎日が祇園祭ってコトでしょうか。ずいぶん愉快な京都もあったものだと感心するのですが、しかし、まあそれなりに気合いの入った鉾ばかりなので、毎日でも晒したいというのも令和らしい人情なのかもしれません。
「ベベイ」
おっ、ベイマックスだ。
デカッ。
【ベイ鉾 BAY HOKO (東京ディズニーランド区ワールドバザール上ル)】
ベイマックスは古来より宇迦之御魂神と縁があり、医療と統治の神として崇められていた。そのベイマックスを祀っていたのでこの名がある。山を飾るベイマックスの御神体(人形)はネコを抱いた姿で、ラセター9年(2014年)穴亭曇衛門と羽入空理秀太郎との共作。前懸・見送ともにサンフランシストーキョーという架空の都市を象っている。作者は不明だが、アメリカ美術工芸品商会のロバート・チルダン氏から1965年に購入したもの。
ベイ鉾 | 山鉾について | 公益財団法人祇園祭山鉾連合会より
山鉾が終わると、それまで黒い板のような御札?を向けてさかんにベイ鉾を崇め奉っていたものどもがドッと押し寄せ、たちまちにベイマックスを解体し、その肉を火で炙ってパンに挟み、おいしそうなバーガーに仕立てます。神の肉を体内に取り込むことで神に近づくというわりと普遍的な儀式ですね。わたしにもひとつわけてくれました。
東京の民はベイバーガーを食べればベイの声が聞こえるようになるといいます。そんな迷信を信じているとは田舎ものっぽくてかわいらしいですね。バーガーはバーガー。ただのファストフードです。こう、パクっと一口噛んでもぐもぐと咀嚼すれば、う〜ん、ジューシィな味わいが……
……として……だろう…………夏の…………
ん? なにやらまた冒涜的な声が脳で……?
……私は〈イッツ・ア・スモール・ワールド〉に行った。近年*2リニューアルされて、出し物も一新されたと聞いたからだ。行くとたしかに小綺麗になっている。いまとなっては以前のヴァージョンの詳細を憶えていないのだが、〈イッツ・ア・スモール・ワールド〉オリジナルのメアリー・ブレアのコンセプトアートにさらに寄せた印象のキューエリアになっている、気がする。
〈イッツ・ア・スモール・ワールド〉はもともと1964年のニューヨーク世界博のために作られたアトラクションだった。世界博終了後にすでにあったアナハイムのディズニーランドへまるごと移設された。『エスケイプ・フロム・トゥモロー』(ランディ・ムーア監督)を引き合いに出すまでもなく、〈イッツ・ア・スモール・ワールド〉は隠微な不安をゲストに与える。その感覚は正しい。〈イッツ・ア・スモール・ワールド〉はもとをたどればダークライドと呼ばれるジャンルのアトラクションだ。十九世紀後半に生まれた最も初期のダークライドは水の流れる人工的な運河にボートを浮かべ、くらがりを進んだ。客の多くはカップルであり、ダークライドの提供する暗闇が当時公共では許されなかったキスや情熱的な抱擁を交わす秘密の逢瀬の場となった。*3それをウォルト・ディズニーは脱臭して、子どもの人形で満たされた、清潔で平和な場に作り上げた。
淫猥な出自を持つものを浄化すること。それ自体、倒錯的な行為だ。その倒錯が〈イッツ・ア・スモール・ワールド〉というアトラクションにある種の背徳感を付与した。
そして、実際に改装後の舟に乗ってみると、さらなる倒錯が行われているのだと知る。あたらしい人形が大量に追加されているのだ。その人形はいずれもディズニー/ピクサーの映画のキャラクターたちだ。圧倒的な経験だったといいたい。わたしはなにか大きくて悍ましいものに圧倒されてしまった。
その感覚を振り払うために、わたしは〈魅惑のチキルーム〉へ向かった。ディズニーランドを訪れたときはいつでもわたしのオアシスになってくれるアトラクションだ。2008年に二度目のリニューアルを行って以降はあの名曲「魅惑のチキルーム」を聴けなくなってしまったが、それでも心穏やかでいられる楽園でありつづけている。
わたしは二度目のリニューアルから登場するようになった『リロ&スティッチ』のスティッチの存在をこれまで特に気にかけたことはなかった。だが、〈イッツ・ア・スモール・ワールド〉の直後だと、妙にスティッチのでしゃばりさがひっかかった。別にスティッチ自体が不快なわけではない。不快感というより不安に近い。不安というより不安定さ。「これ」はなんだろう?
気づいた。ディズニーランドはディズニーキャラによって征服されつつある。それまでディズニーランドの内部にあって、ディズニーの手から逃れつづけてきたものたち。かれらもまたディズニーキャラクターと化しつつある。なぜならディズニーランドにおいて最も売れるのは「ディズニーキャラクター」であるから。それは「ディズニー/ピクサー映画のキャラクターたちによってランドが占有される」という単純な話ではない。
一例が、誕生以来日本で急速にプレゼンスを高めているクマのダッフィーとその徒党だ。ほとんど無からしたたりおちて生じた彼らは日本渡来以降、プー、ハンフリー、カントリーベアーズ、リトル・ジョン、バルー、ブレア・ベア、キナイ、コーダといった並み居るディズニーのクマの先輩たちを押しのけ不動の人気を確立し、年々「仲間」を増やしていった。日本では権利料の関係か、クラリス(チップとデール)やマリー(おしゃれキャット)といったマイナーキャラをプッシュする傾向にあったが、ダッフィーは一味違う。『原典』となる作品を持たない。ただただ純粋な「ディズニーキャラクター」なのだ。そんなかれらがディズニーランドでは一大勢力を築いている。シーに至っては独自のショウや家屋まで持っている。販売可能なキャラクターとして、浦安の地に栄えている。
ディズニーランドですらディズニーから逃げられないのではないか。このアイデアは私に戦慄を与えた。社会学の用語に「ディズニフィケーション」ということばがあるが、今この語が意味するべきはここに広がっている状況なのではなかろうか。ウロボロスの蛇のように自らを食らいつづけて、なお肥え太る。この怪物に今すぐ名をつけるべきではないのか。。
ディズニーそのものがディズニーから逃れられないのであれば、より無力な私たちはなにをいわんや。「戦争」が起きているハリウッドに目を向ければ、それはすでに完遂されてしまっているようにも見える。私たちは消費者としてもはや目的ですらない。ただの養分だ。喰われるのを哀れに待つだけの。
エ〜ッ。
味噌漬けにしてあげる。
「途中から、ちいかわ朗読してなかった?」
エ〜ッ?
「ディズニー・シーはたしかにダッフィー多いけど、アトラクションはキャラクターに頼ってないの多いとおもうんだけど……」
そうね。
「あんた、だれン話しとるとね?」
姉が絡んできました。
「だれって……神?」
「ああ、たまにあっちゃね」
わかってくれたようです。
暗くなったから帰ろう、と姉は告げました。姉は日本の蛇なので夜にはよわいのです。
でも、ちょっとまって。わたしには寄りたい場所があります。
夜のワールドバザールが昔から好きです。別れを予感させるさびしげな佇まいが。やさしく見送ってくれる仄かな灯りたちが。
そのアーケードの一角、キャンディ屋とおもちゃ屋にはさまれた狭いスペースに、わたしのノスタルジーをもっとも掻き立てるお店があります。
ペニー・アーケードです。今風にいえばゲームセンターでしょうか。ただし、二条のサードプラネットや河原町のラウンドワンのようなピコピコのゲームセンターではありません(ピコピコのも昔はあった気がします*4)。野球盤やピンポール、占い人形などの古めかしいゲームを揃えたキュートな遊び場です。稚魚のころのわたしはなぜかここで遊ぶのが好きでした*5。
一プレイ10円や30円の、他愛もないといえば他愛のないゲームばかりですが、この空間こそディズニーランドのひとつのテーマでもある「グッド-オールドなアメリカへのあこがれ」をもっとも能く体現していて、ディズニーランドにはない「雑駁と汚れた場所」でもあり、ひとたび銅貨をマシンに入れてピンポールを跳ねれば、わたしは1910年代のアメリカン・ボーイに……
あれ? ピンポールマシンなくない?
昔はあったよね? 撤去したのか? いや、記憶違い???
というか……店内の遊具の半分くらいが動かないんですけど……
こんな……こんなはずでは………夢じゃ、これは夢にござる…………
ベベイのベイ。
帰り際、姉は福砂屋のカステラを持たせくれました。おしゃれなキュービックの箱に包まれた小分けパッケージで、なんともしゃらくさいですが、福砂屋のカステラは美味です。抗えません。このような偽物のノスタルジーではなく、ふるさとのおかしを食べて本物の思い出に浸れという姉からのプルースト的なメッセージだったのかもしれません。
しかし、カステラは美味いだけで、特に記憶が喚起されたりはしません。八つ橋を食べて懐かしい気持ちになる京都人がいるか? いるかもしれない。京都人ってふだん何食ってんだろ……湯葉とか?
帰りも新幹線です。京都駅に着きますと、入国審査にかけられます。ディズニーランドで出入国審査があるのはわかりますが、東京駅から京都駅までなら京都市内を行き来したです。なぜこのように尋問を受けるのでしょう。
「おまえ、京都住んでるの? ほんとに?」
京都駅の入国審査官は例外なく横柄です。人の心がない。特に山椒魚に対しては。教習で『Papers, Please!』をやらなかったんでしょうか。
「なんか証拠ある? 京都民だっていうのの」
わたしは口のなかから一冊の文庫本を取り出しました。
「これは京都にゆかりのある作家を集めたアンソロジー京都小説集です。ここに作品が載っています。京都があったりなかったりするような話を書きました。8月20日に京都市内の書店で先行して発売されましたが、8月31日からネット書店を含めた各地の書店でも入手可能になります*6。これは身分証明になりませんか?」
「うーん」
「あとこれ」
「『SFマガジン』じゃん」
「8月25日発売の『SFマガジン 2023年10月号』の特集「SFをつくる新しい力」でSF入門向けの小説を二冊ほど紹介しています」
「ふーん。でもこれ京都関係なくない?」
「あと、9月10日の大阪文学フリマで声をテーマにした百合小説のアンソロジーに書いています。同じスペースで百合の泰斗・織戸久貴による怒涛のヒドゥンジェム的百合短篇レビュー本『百合小説アーカイヴ』も出ますからそちらもオススメ」
「百合」
「わたしのは豚の話です」
「百合?」
「あと、同じ大阪文フリで💖鴨川エッチ研究会💖というサークルから出るケモのアンソロジーにも小説を寄稿しています*7。ウォルト・ディズニーがクマだったみたいな話です」
「エッチなんですか」
「わたしのはディズニーランドのように清らかで全年齢向けです」
「あとまだ告知されてないんで詳しくいえないけど、9月中ももう一個出る同人誌があって、そこにチップとデールについてのエッセイ?評論?が載ります」
「めっちゃがんばってるね」
「がんばってるんですよ。この記事も告知のためにがんばって書きました。あまりにがんばりすぎたので今日はかっぱ巻みっつしか胃にいれてません」
「感動したッ!」
入国審査官はポンッとゲートを通してくれました。
がんばっていれば、いいことあるんです。努力はかならず報われ、英語は勉強したぶんだけTOEICの点数に反映される。
よかったね。
めでたしめでたし……。
「しかし、わざわざ関東までなにしに行ってたのかね? 観光か?」
審査官はおもしろいことをいいます。
関東?
あはは、ご冗談を。
だって、あなた、あんな山奥に住んでいるのはタヌキかネズミくらいのものですよ。
*1:ギー・ドゥポール、土屋進訳:ポール・ヴィリリオ『黄昏の夜明け:光速度社会の両義的現実と人類史の「今」』序文
*2:調べてみると改装は2018年。けっこう前だ。18年以降にもディズニーランドを訪れたおぼえはあるのだけれど、そのときは友人と特にライドやショウなどに寄らず園内をうろつき回ることが主目的だったので、乗らなかった。
*4:トゥモローランド内に存在し、2015年ごろに閉鎖された「スターケード」
*5:いままでは初めてディズニーランドに来たみたいなふうだったくせにここで唐突に設定が変わっている
*6:姉妹編として『大阪SFアンソロジー』というのもある。セットでどうぞ。大阪SFアンソロジー:OSAKA2045
*7:主催のツイート:https://twitter.com/violence_ruin/status/1690245350668546048?s=20