台湾のまんがってえいいますと、去年ビームコミックスから発売されて村上春樹、岩井俊二、はっぴいえんど、ゆらゆら帝国などをピュアッピュアの小細工抜きで投げてきて日本の腐りきったサブカルクソ野郎どもを浄め死滅させた豪速球文化系青春ラブストーリー『緑の歌』(緑の歌 - 収集群風 - 上 (ビームコミックス))が思い出され、ああ、あれは傑作だったな、などとなつかしくなるわけですが、わたし自身、詳しいかというとそんなでもない。
しかしそんなでもないそんなわたしをぶん殴ってくるおもしろ台湾マンガが、今年も海を渡ってやってきました。
シャオナオナオの『守娘』です。
レーベルは角川のMFコミックス。ComicWalkerなどの連載作が書籍化されるときのレーベルですが、近年は華文まんがもよく翻訳しています。
タイトルになっている「守娘」とは、台湾では有名な怪奇怨霊物語に出てくる主人公「陳守娘」のこと。本作に附されている解説によれば、「呂祖廟焼金」「林役姐」と並んで台湾三大伝説*1と呼ばれるお話のひとつです。ちなみにわたしは寡聞にしてこの台湾三大伝説をいままで知らなかったのですが、解説されているところでは三つとも女性が男性によってひどい目にあわされて怨霊と化すお話で、なんぼなんでもアンソロジーなら(アンソロジーではない)もうちょっとテイストばらけさせない!? と選者に対して感じます。しかし本邦でも幽霊譚といえば番町皿屋敷みたいに勝手な男にひどい目にあわされて祟る女の話と相場は決まっているので、そういうものなのかもしれません。
で、まんがのほうの『守娘』では、この幽霊譚としての「守娘」を下敷きにしながらオリジナルな伝奇ミステリが展開されます。
舞台は清朝末期の台湾*2。主人公は名士の娘である潔娘(ゲリョン)。女性を婚姻と出産のための道具としか見なしていない世の中にファックな不安を抱いていた彼女は、ある日、道端で亡くなった女性の霊を鎮める儀式を行っていた済度師(霊媒師のようなもの)の繡娘(シュウリョン)に出会い、押しかけ弟子のような立場になります。
ちょうどそのときから潔娘の周囲で不穏な不思議現象が発生しはじめ、さらには街を覆う陰謀にも巻きこまれていく……
とまあ、そういうノワリッシュな伝奇ものなのですが、上に説明したあらすじ以外にも要素や各キャラの秘されたサイドエピソードが山盛りでお出しされてきます。複数のプロットラインが同時並行的に動いて絡み合うので、物語を追おうとするとちょっとよみづらい部分があるかもしれません。
台湾の歴史文化と縁遠い日本の読者には、文化的背景の読解でさらに負担がかかるかもしれない。
ちなみに元ネタとなったほうの「陳守娘」のお話は作中であらすじを語ってくれるので、そこに関しては予習は不要。
それでもちゃんと読んでいくと、女性に対する抑圧の歴史に向き合った著者の真摯さが響くうつくしいお話に仕立てられております。
ところで、本作の特異で興味深い点は物語そのものとは別のところにあります。
まずはこちらをごらんください。
ページ下部の手前にいる女性が潔娘で、奥にいる背の高いほうが繡娘です。ある儀式を追えてただ去っていくだけの場面なのですが、コマの配置がどうも奇妙。
右のコマは手前の潔娘と重なって奥のレイヤーに位置しているようです。が、一方で左のほうのコマは繡娘の手前に来ている。もしかすると、左のほうのコマは潔娘よりも手前にきているのかもしれない。右のコマは潔娘と繡娘のあいだに挟まれていると見るのが妥当でしょうか。
何が言いたいかというと、コマの配置に奥行きが与えられており、その配置とキャラクターの配置とが同等に描かれているということ。これがこのページだけの表現にとどまらず、全編通して貫かれています。コマ同士が奥行きの軸に対してフラットに配置する通常の作法と比べると、かなりトリッキーです。
実際、ちょっと読みにくかったりするわけですが、作者はなにも酔狂でこんな細工をほどこしているわけではありません。
たとえば、こちら。
いっけんごっちゃりした絵面ですが、読むときの眼の運びに迷うことはないかとおもいます。
右上の始点からすぐ下のコマ、さらに下、そこから左上、下、吹き出しからつながって左、そこからそのセリフを発している女性の表情から左どなりのコマの吹き出し……。
そうした視線誘導が実現しているのは、ふきだしのつなぎもさることながら、コマ間の奥行きで高低差を出しているからです。ページ右側を読むときは手前(上)から奥(下)へ、ページ中央でいったん浮上して、左へ移ると一段下がり、左端でさらに一段下がります。
ついでにこの奥行きの高低差はセリフ外でキャラクターの心情を伝えるのにも貢献しています。
このシーンに至るまでのゆきさつを知らない読者(つまり、あなた)だったとしても、ページの左側で笑顔で「あなたの結婚式もその日にしましょう!」とはしゃいでいる少女と、左端でスン……となっている少女(潔娘)のあいだに感情的なすれ違いが生じているのは直感できることかとおもいます。
それは「潔娘がすぐに応答しない」「潔娘のコマの背景(心情の反映)が真っ黒」「ふたりの表情の描き方の違い」「片方はアップで片方はロングショット」というさまざまな技巧の組み合わせが作用しているおかげですが、そうした技巧のひとつに「ふたつのコマの高低差」も含まれます。ふたつのコマの間の”落差”がそのままふたりの感情の落差、そして地の底へと突き放されていくような潔娘の心の動きと同期しているのです。
本作の画的な奥行きは、あきらかにストーリーテリングとつながっているわけですね。
奥行きは本作独特のモノクロの濃ゆいコンストラスト抜きでは語れません。たとえば、これ。
ただでさえ不気味な暗闇が、さらにそのレイヤーの上にあるコマを置くことで途方もない底なしの穴を覗いているような気分にさせられます。不安を煽るホラー演出として手堅くも心憎い気の利かせかたです。
「穴」といえばこちらのページも別のアングル、そして別の意味で穴っぽい。
見開きの中央に穿たれた奇妙な台形のコマからひょいと顔を覗かせるようなショット。
このページだけでこの女性=繡娘のただものでなさが伝わってきます。実際、かなーりただものではない女です。
さて、ここまで見てきたページでもわかっていただけるとおもうのですが、『守娘』では「タテに細長いコマ」が多用されます。レイヤーも上に来ることが多く、べたべたと貼られた付箋みたいな感触を読み手に与えたりもします。最初は「縦読みマンガ由来?」かとも考えたのですが(ちょっと調べても元が縦読みだった形跡は確認できず)、おそらくこれも実はストーリーテリングと関係した手法かもしれません。
というのも本作では呪符と呼ばれるまじない用の御札が出てきます。ストーリーの核心に触れるので多くはいえませんが、「紙に書かれた願いや呪い」が本作では結構重要になってきます。
それを踏まえると、ここまで縦長コマが連打されるのも、本書そのものがひとつの呪術的な儀式であるから、といえるのかもしれません。
コマ単位での階層づけや変形ゴマによる立体的な演出や枠線を取り払った絵をレイヤーの最下層に置く手法そのものは、取り立ててレアではありません。
しかしここまで全編に明示的に取り入れつつ、さらにストーリーテリングやテーマとナチュラルに絡ませてくる完成度の高い作品は希少ではないでしょうか*3。絵自体も静謐でありつつもヴィヴィッドとにかく良し。
天と地の間には、まだまだおもしろいまんががいーっぱいあるね、ハム太郎!
🥩 ……
ん、ハム太郎……?
いや、違う。おまえは……!!?
ラム太郎やんけ〜〜〜〜〜〜〜〜〜
<完>
・MFCから出た台湾マンガで最近よかったやつ