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Channel: 名馬であれば馬のうち
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ORGANISM という未来の廃墟に行った。ーーVRChat紀行

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 廃墟というのは裏返しの未来にすぎない。
        -ウラジミル・ナボコフ 
 
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 エメラルドの鹿に導かれて電話ボックスから出ると、そこは誰の記憶にもない中庭だ。

 暗い。異様に暗い。団地なのか、マンションなのか。陰鬱とした空気に憑かれた高層住宅に四方を囲まれ、上を見ると建物が渦をまいて白く輝く空の穴に吸い込まれている。

 出口はない。

 心細くなっていると、柔らかな表情の球体関節人形、八十年代から復活してきたかのようなウサギめいた謎電子生物、リトルグレイ、黒い天使、黒い少女、ワンピースの少女、黒いペスト医師などが出迎えてくれた。

 これからいっしょに ORGANISM を攻略しようという。

 ORGANISM ?

 眼の前にそびえる建物は有機体というよりは、どうしようもなく無機物であるようにおもわれた。仲間たちに疑問をそのままぶつける。

 どういう意味なの?

 それをこれから見に行くのさ、と電子生物は長い耳を揺らしていった。

 

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 ORGANISM は DrMorro なる人物が創造した VRChat 上のワールドだ。あらゆる地獄がそうであるように数ステージの階層からなり、ステージごとにテーマとなる舞台が異なる。容量は400MBほど。VRCのワールドのなかでは大きめの部類だが、ずばぬけたサイズというわけでもない。

 最初のステージは集合住宅だ。

 黒電話と謎の信号を映したブラウン管テレビの置いてあるエントランスから短い螺旋状の階段を上ると、吹き抜けになった一角へと出る。そこの壁には長方形の銀色の口が無数にあるいは無限に並んでいて、これはなんだろうといぶかしんでいると、

「郵便箱ですね」

 と同行者のひとりから声があがる。

 なるほど、郵便箱。集合住宅の出入口付近にあるのだし、理に適っている。

 郵便箱そのものに触れてもインタラクションは生じない。遊びに来たのだからなにかおもしろい仕掛けはないものかともう一度あたりを見回す。

 壁沿いに備え付けられた階段とタラップに気づいた。望めば天国まで届きそうなほどの高さまで続いている。

「あっ」とふいに電子ウサギが声をあげた。「エレベーターがありますよ」

 エレベーター。エメラルドの鹿がエレベーターについてなにか警告していた気がする。ここでははぐれると合流が難しい。不審なものにうかつに触れたり乗ったりすると変な場所に飛ばされ、もとの地点へ戻るのに苦労する。

 止めなければ、と思ったときには好奇心旺盛な電子ウサギは全速力で走り出していて、いきおいのままに昇降ボタンを押し、瞬時に消失する

 声をかける間もない。

 そのさまを見ていた別の同行者と目が合う。

「……あれは死んだものと思いましょう」

 建物に侵入してから十分も経っていない。こういう映画を、むかしに観た気がする。おろかで脆弱な人間どもが武装して《ゾーン》を探索へ向かうが、ひとり、またひとりと静かに無残に退場していく。あれに似ている。

 果たして二時間後にどれだけのものが生き残っているのか――

 などとおののいていると、空から何かが音もなく墜落した。さっきの電子ウサギだった。

「エレベーターはかなり上の階につながってるみたいでした」

 階段を登るのが億劫な人のために設置されたショートカットらしい。わざわざショートカットがあるということは、そこが正規のルートなのだろうか。

 われわれは上へ登るのを後回しにし、廊下から通じている別の部屋を探索することにした。

 なかはいかにも古いマンションといった具合で、黒いゴミ袋がダストシュートのまわりに投棄されていたり、複数の電気ボックスが階段状にならんでいたり、『インセプション』みたいに空間が螺旋状にねじれた廊下があったり、廊下の壁ぎちぎちに詰まった列車の前にリトルグレイが立っていたりした。

 

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 中庭もあった。最初も中庭だった気もするが、ここは比較的狭く囲われた場所だ。中庭というよりは窪みに近い。積もった雪かなにかがシェードのついた電球の上方にある何かの吸引口に吸い込まれている。積もっている白いものは『エルデンリング』のローデイル城(後)のような起伏を生じさせていて、赤々としたライティングといいどうも不吉だった。

 長居するような場所ではないと判断してみな階段から戻ろうとする。が、アバターが階段の天井にひっかかって出られない。背をかがめて一歩ずつ段をあがっていき、なんとか脱出する。ひとりだけ、リトルグレイがどうしても上れずに、白い底でさびしく立ち尽くしていた。

 

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 造られたときから廃墟となることを運命づけられた風景、それが VRChat のワールドだ。VRChat のワールドには基本的に人がいない。ひとけのあるワールドも存在するが、そこにいるかれらもまた訪問者であり、その世界に棲むために創られたものではない。だれもがひとりでやってきて、ひとりで去っていく。

 

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 ウンベルト・エーコによれば、「廃墟の美」ということばは十八世紀に生まれたという。「十六世紀から十七世紀末にかけて、人びとは失われた文明のイメージを廃墟にみてとり、そこに人間の命運のはかなさに対する教訓的な思索の糸口を得ていた」(「芸術における不完全なかたちについて」)

 十八世紀的な廃墟とは「精神的な一貫性を欠く断片のコラージュ(イタリアをちょっと、中国をちょっと))」(高山宏)なのだが、ORGANISM は断片でありながらもどこか一貫している。

 おそらくそれは DrMorro*1というひとりの作者の夢と記憶に由来しているからかもしれない

 DrMorro のワールドを訪れた経験があるものは多いはずだ。一時期、常時「人気のワールド」欄に表示されていた大規模ワールドである Olympia には、わたしも右も左もわからない Vistor 時代に訪れ、その広大さに感銘を受けた。初めて VRChat の可能性を感じさせてくれたワールドでもある。

 Olympia はヘレニズム的な雰囲気をたたえている。一方で、DrMorro のワールドにはもうひとつのラインがある。

 Moscow Trip シリーズがそれだ。「Moscow Trip 1957」と「Moscow Trip 2002」のふたつが現状公開されており、そのタイトル通り、1957年と2002年のモスクワの風景が再現されている。「1957」に入ると当時のロシアの典型的な集合住宅でスポーンし、外に出て公園で遊んだり、遊覧船に乗って偉大なるスターリズム建築の世界を愉しむことができる。ここの公園で『同志少女よ、銃を撃て』の読書会を開いたのはわたしにとってのソ連時代のよい思い出だ。

 

 

 VRChat で印象的なのは、自分たちの生活圏を再現しようとする人々だ。ロシア人と韓国人に多い気がする。どちらもこの三十年で劇的な変化を経験した国だ。かれらはチェーンのスーパーや実在する鉄道駅や集合住宅の一室を VRChat の世界に復元しようとする。

 

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 それらの施設はどれも使い古されていて、さびしく、しかしどこか懐かしい。異国人であるわたしはそうした原風景を記憶に持っていないにもかかわらず、そう感じてしまう。「アメリカ映画を見て郷愁をおぼえるすべての観客は〈アメリカ人〉」*2であるように、1950年代の集合住宅*3の壁紙の質感に、ロシア人の気持ちになってしまう。その懐かしさが実際のロシア人の抱くものとおなじであるかは関係がない。なぜなら、その世界はロシア人を欠いている。ただひたすらの廃墟。一個人によって夢見られた世界がその世界と接続していなかったはずの誰かの記憶を浸食していく。それは『ゆめにっき』で行われたことだ。『Undertale』で行われたことだ。Vaporwave の世界で、Liminal Space の世界で、インディーやアンダーグラウンドと冠されるあらゆる芸術の領域で行われてきたことだ。 自分の幻想で他人の脳を塗りつぶすためには、ある程度まとまった規模の世界を用意する必要がある。「Moscow Trip」シリーズは愛らしくも強固な世界観を有していたが、それはVRの旅人たちの祖国を乗っ取れるほどに巨大ではなかった。そのモスクワは組織されているようで、やはりばらばらの断片の寄せ集めだったのだ。

 断片をつなぎあわせるための糸を物語と呼ぶ。

 

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 ORGANISM には物語があった。

 VRChat のワールドには人間を含めた生物がいない。オルガニズムが不在なのだ。

 ハーバート・スペンサーやリリエンフェルトらが提唱した社会有機体説では、社会は生物有機体に擬せられる。部分は部分同士で相互に依存しあい、分解して戻しても機械のようにはふたたび機能しない。全体でようやくひとつの単位なのだ。

 ORGANISM でも一見脈絡のないあらゆる要素が分かちがたく絡み合っている。ある種のイメージやオブジェクトは反復され、その反復が複数の趣の異なるワールドをつないでいる。

 

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 わたしたちは輝く液体で満たされたタイル張りの水槽を見るだろう、廊下に放置されたベッドを見るだろう、八方から飛び出してくる電車の運転席を見るだろう、だれかのささやきを聴くだろう、頭上を照らすまばゆい光を見るだろう。

 それらはおそらく簡単なプロットに言語化しうる。だが、それはわれわれの物語ではない。物語の解読をすること自体は実は重要ではない。いや、あるいは重要なのかもしれない。物語を読み込もうとすると自然、細部を凝視せざるをえなくなる。イメージが脳に焼き付く。世界が乗っ取られてしまう。その過程の罠に誘うために物語は必要なのかもしれない。

 驚くべきは目に見える場所にはだいたい行けること。AAAのオープンワールドRPGのような開かれた自由さがここにもあらわれている。この自由さが細部への耽溺を可能にもしている。

 ORGANISM は未来の廃墟だ。二十一世紀のわれわれは廃墟を造り出すために他人のイメージを必要としなくなった。いまや他者は攻め落とされるべき目標としてのみある。創り出さないわたしは蹂躙されるしかない。

 ORGANISM を訪れてからもう二日、あの世界のことばかり考えている。

 

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 ユルスナールはピラネージの《幻想の牢獄》を「人工的でありながら不吉な現実世界、密室恐怖症的でありながら誇大妄想狂的な世界」と評した*4。どう見ても虚構なのにリアルに感じられ、狭苦しくありながらも無辺であるという感覚はまさに ORGANISM そのものだ。ピラネージといえば、スザンナ・クラークの幻想小説『ピラネージ』では、ピラネージの絵画のような館に住む語り手の生活が描かれていて、後半で実はある「方法」によって基底現実からその世界へ送り込まれていたと判明するけれど、われわれはもはやピラネージ的な廃墟へ跳ぶためにそのような魔術を必要としない。

 Oculus Quest 2(現在は Meta Quest 2 という呪われた名を背負っている)は37180円で売られており、VRChat は基本無料だ。三途の川の渡し賃はかつてないほどリーズナブルになっている。

 入口はそこに用意されている。

 入ってしまえば、出口はない。

 

 

 

 

ファンムービーを作った人。すごい。

 

  

vrchat紀行その一はこちら。

 

 

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*1:PAUL.A.Kという名義で画家としても活動している

*2:管啓次郎コロンブスの犬』

*3:こんにち我々がロシアのオタク界隈でよく見るフルシチョフカ的な団地より以前のものか

*4:須賀敦子ユルスナールの靴』


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