神。信頼。犠牲。正義。
信心。望み。愛。
言うまでもなく、”姉”も。そう、そう。これはいつだってそう。ーーマーガレット・アトウッド『昏き眼の暗殺者』鴻巣友季子訳
レキとヨミは姉妹です。森の奥にふたりで暮らしています。妹のヨミは薬を作る才能はあるのですが、人見知りなために薬売りとの交渉以外の外向きの用事は姉のレキにまかせきりです。基調はファンタジーで、ふたりを含めた人間キャラには獣耳としっぽが生えている(かつ指行性)という世界観設定があるのですが、まあそれはここでは措いておきます。
レキは妹のことが大好きです。大好きなのですが、第一話の冒頭でいきなり妹の財布を盗んで雑貨屋でお菓子を買おうとします。また、あるエピソードでは石化したレキをやはり雑貨屋に飴玉一個で売りとばします。
繰り返しますが、レキは妹のことが大好きです。妹のよだれを何のためらいもなく飲むくらいには。まあしかし、愛情だの信頼だのといった感情を抱いているからといってひとはひとに全面的にやさしくしたり、その裏返しとしていじわるしたりするわけではありません。倫理や欲望といった行動基準は愛とはまた別の軸にあるのだし、妹を家の壁に埋めたまま一日じゅういじくり倒す姉妹愛だって存在します。おそらくは。
ヨミは外では引っ込み思案ですが、姉妹の間に限っては活発に振る舞います。レキの行き過ぎた行いに不利益や不快を被るたびに思い切り腹パンし、レキは死にます。
レキはよく死にます。
一話に二度三度死ぬのもよくあります。この世界では死亡するとどうやら生首のような霊体が身体から抜けでて生者とも意思疎通を図れる仕組みらしいのですが、なにぶんギャグ漫画のことなのでよくわかりません。説明もありません。ただレキは繰り返し死に、繰り返し復活します。妹から殴られるだけではなく、ガラスの破片を踏んだり、すっ転んだだけでも死にます。死んだり生きたり直角になったり伸びたり分裂したりしながら、彼女なりに姉としての役割を果たそうとします。
なぜならヨミにはレキしかいない。
最初、ヨミとまともな関係(まともではないですが)を築けているのは姉のレキだけです。世間とはほとんどまともな交渉を持っていない。それでいて、ある冒険家の記した冒険記を耽読し、憧れたりもする。外界に興味がないわけではありません。
混沌としたスラップスティックコメディである『レキヨミ』になんらかの筋を見出すとすれば、ヨミが「外」へ出る、というところでしょうか。
一巻では、レキがひきこもりがちなヨミをなんとか外へ連れ出そうと試みたりもします。結局そのときは成功しないのですが、全三巻をつうじて、ヨミはすこしずつ外へと進出していきます。その媒介となるのが、雑貨屋のおねえさんや前述の冒険家のおねえさんや警察官のおねえさんやとにかく理不尽なキノコ屋のおねえさん(このまんがに出てくるのは基本女性キャラだけです)との交友で、要するに姉や姉的な人物が世界への窓口となっている。
レキがよく死ぬのも姉だからです。妹に先立つ存在として姉がいるのだから、先に死ぬのはあたりまえです。そして死なないのもまた当然なのです。
なにかと華美で華麗な作品のならぶ『ハルタ』誌上では「唾液と血と暴力にあふれた意地汚い『ハクメイとミコチ』」、「ファッショナブルでも耽美でもない『エニデヴィ』」などと不当な揶揄をされがちな本作[誰によって?]ですが、ことに姉妹の真理を射抜いている点ではこれ以上ないほどにうつくしく、2020年代を代表する姉まんがのひとつになることは間違いないでしょう。全三巻。おしい良作が終わりました。もって瞑すべし。