『Minit』は六十秒ごとに死ぬ『ゼルダの伝説』タイプのゲームだ。
それは一般に「コチッ」「カチッ」だとか、「チックタック」だとかいう擬音であらわされる。
一六九〇年にジョン・フロイヤーが史上初めて時計の機構に秒針を組みこんだのは、神々のさだめた時を測るためでなくて、人間の生命の時間、すなわち脈拍を測るためだった。だから、いま、あなたが聞いているそれは生命が削られていく音だ。
血管が脈打つたびに、秒針が刻まれるごとに、なにかが減衰していく。わたしたちは限られた拍動回数のなかで精一杯有益な、あるいは無駄な生をやりすごすしかない。目の前にパズルを用意されていたとして、解法をさぐる途中で絶えてしまうかもしれない。道筋が見えた瞬間に絶えてしまうかもしれない。そもそもそこにパズルなど存在しなかったと悟って絶えてしまうかもしれない。すべては無駄だったのかもしれない。
有意義な生とは何かを学びたいのなら、『Minit』をやろう。
ベッドの上で目覚めると、白黒のドット絵世界でイヌとくらすさびしいたまごっちもどきのあなたである。
家の北方では草木が繁茂して人の侵入を拒み、東には川の激流、西はやはり通行不可のくさむら、そして南に広がるのは海という名の行き止まり。あなたはまるで『大人は判ってくれない』のラストシーンみたいに、どこにも行けない。ただ、時間だけが無意味に無限だ。
手持ち無沙汰なあなたは、浜辺に散歩へ出かける。低ビットの描写能力では表現しがたい砂を踏みふみぶらついていると、波打ち際に見慣れぬ物体が漂着しているのを認める。拾う。剣である。テレビゲームの誕生以来、数々の魔を払ってきた「どうのつるぎ」。
その重さと秘められた隠喩を噛みしめる間もなく、画面の左上でカウントダウンが開始される。数字は六十から一秒ごとに一つずつ無機質に減っていく。すさまじい不吉さを放っている。あなたはどうにかすべきだと直感するものの、どうすることもできない。
「のろわれた どうのつるぎ を ひろってしまったのかい?」
振りかえると見知らぬ男。『アドベンチャータイム』か『FEZ』の登場人物のような簡素で計り知れない顔つきをしている。彼は言う。
「はやく こうじょう へ いって すててきな」
あなたは物語を理解する。『指輪物語』のヴァリエーション。呪われた剣を拾って呪いを受けたこの身を救うために工場とやらに行き、おそらくはボスを斃してハッピーエンドを手に入れなければならない。それがゲームの目的だ。では、ルールは? この上の数字は?
カウントが〇を示す。
あなたは死ぬ。
当然だ。それ以外の結末があるとでも?
あなたはふたたびベッドの上で起きあがる。かたわらにはイヌ。見慣れた室内。
ひとつだけ、以前と違う風景が混じっている。
剣だ。あなたはXボタンを押すと剣をふるえるようになっている。
いや、もうひとつ。
六十からはじまるカウントダウン。あなたの余命を告げる処刑機械。
あなたは恐怖に突き動かされ、鬱蒼と茂るくさむらを剣で払いながら冒険に出る。剣を手に入れることで拡張されたあなたの世界は、新たなアイテムを手に入れることでさらに広がっていくことだろう。
ただ、次の一歩へ踏み出すための過程で、あなたは何十回と死ぬことになるかもしれない。なにせ制限時間は六十秒しかないのだ。たった一人の証言を聞くために、たったひとつのアイテムを手に入れるために、あっけなく死んでいく。かげろうよりも細い生命の糸が切れるたび、あなたはあの家に呼び戻されるだろう。かたわらにはイヌ。そして、増えたアイテム。蓄えられた経験。「この回の人生」は、おそらく前回のそれよりも効率的で有意義だという確信があなたには宿っている。
たった一秒差で届かなかった「次」への段差を、こんどこそはしっかりと踏む。すべてを手に入れるためではなく、たった一歩前に進むためだけに今回の六十秒はあるのだ。
そうした圧縮のすえに、ふと人生に余白が生じる。
もしかしたら、今回の冒険は四十五秒しか、かからないかもしれない。
残された十五秒では次のステップのあしがかりにもならない。自殺ボタンを押してさっさと次の冒険に向かうのもいいかもしれない。けれど、あなたはもうひとつの選択肢を取る。つまり、余生をすごす。死に場所を探す。
あなたは、カニだけが遊ぶ浜で地平を見つめながらその瞬間を迎える。
あなたは、果てのない真っ暗な砂漠で孤独に倒れてその瞬間を迎える。
あなたは、汚染された川岸で彼らの怨嗟を聞きつつその瞬間を迎える。
あなたは あなたの愛したイヌをかたわらに抱いてその瞬間を迎える。
どこで死ぬかだけはあなたの自由だ。ストーリーは一本道だが、死に方は八百万通り存在する。『Minit』の旅は、人生の最後の一秒における居場所を探す旅だ。周囲に広がっているのは3Dウォーキングシミュレーターのような美麗な現実の模写ではなくて、どこまでいっても代わり映えのしない白と黒の点のあつまりだけれど、すくなくとも六十秒ごとにあなたの喪に服してくれる配色ではある。
- 作者:ローレンスブロック,田口俊樹
- 出版社/メーカー:早川書房
- 発売日: 1988/10/01
- メディア:文庫
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