いつのまにか映画を観られない世の中になってしまって、本も読めない気分になってしまいました。しかし、かなしむことはない。そういうときはゲームがあります。
というわけで、四月はずっとゲームを遊んでいたのです。
基本的には全作おもしろかったのでオススメです。
- One Step from Eden(Steam/Nintendo Switch)
- Ori and the Will of Wisps(Steam/Xbox One)
- あつまれ どうぶつの森(Switch)
- リングフィット・アドベンチャー(Switch)
- ことばのパズル もじぴったんアンコール(Switch)
- Final Fantasy VII REMAKE(PS4)
- ペルソナ5 ザ・ロイヤル(PS4)
- グノーシア(Swtich/PS Vita)
- Life is Strange 2 (Steam/PS4/Xbox One)
One Step from Eden(Steam/Nintendo Switch)
『ロックマンエグゼ』と Sly the Spire と弾幕シューティングを三神合体させた結果、人智ではとても及ばない化け物が生まれてしまいました。ドクターマンハッタンも戦慄する現代の原爆、それが One Step from Eden です。
速い、そして多い。とにかくじっくりと勘案べきことが山のようにあるのあるだけど、それを吟味している余裕がまるでない。
超高速で放たれる敵の攻撃を交わしつつ、ぼんやりと組み立てたデッキを「このカードの効果ってなんだったっけ?」となにもかもあやふやなままぶん回し続ける行為は現生人類のCPUではとても処理できないフロウであり、ゆえにこのゲームを超克したプレイヤーは楽園が約束されるのです。
サントラが最高。
Ori and the Will of Wisps(Steam/Xbox One)
あの大傑作 Ori and the blind forest の続編にして完結編。戦闘要素が大きく追加され、前作では妖精をセントリーガン代わりにしていたオリくんが今作では自ら剣をふるって敵を虐殺します。逃げるだけだったボス戦も戦いがプラス。
デザイン的には見た目以上に大きく変わったのですが、プレイフィール、なにより「マジでもう無理とおもったステージをギリギリで切り抜けたときの麻薬的快感」は失われておらず、むしろボス戦の絶望感が深いだけ強化されている気すらします。
それぞれのステージに配置されたヌシたちがかわいいのもいいですね。おっきなくまさんも出ます。
物語面でも続編としてエモーショナルかつ巧緻なものに仕上がっており、〜 blind forest ともども Steam のスターターパックに入るべき逸品といえましょう。
サントラがめちゃいい。
Ori and the Will of the Wisps (Original Soundtrack Recording)
- 発売日: 2020/03/10
- メディア: MP3 ダウンロード
Final Fantasy VII REMAKE(PS4)
総評としては世の流通している言説にいまさら付け加えるようなことはないです。スターウォーズのEP7みたいな作品だと思います。旧来ファンにたっぷりサービスしつつ、新規ファンにも間口を広く取ってーの、旧作とは決定的に違う展開を予感させる。
その予感に世間は賛否両論なわけですが、わたし個人としては期待を抱いています。というか、あのボリューム感を保ったままオリジナルを忠実になぞるのはそりゃストーリー的にもシステム的にも無理だろっていう話でもあるし。
スラムとか廃墟の描写は最高クラスというか最高そのものだろこれ、といった感じで、特に神羅本社に乗り込む直前に出てくる崩壊した街のくだりは痺れます。あとミッドガルって『ブレードランナー2049』っぽい輪郭だったんだなといいますか。
あと、ウェッジの眼が妙にキラキラしてるのが怖かった。
今後も買うとおもいます。「ナナキ、戻りました〜」が聞きたいので。
これのあとでオリジナルのFF7を三倍速でやったらミッドガルパートが2時間半で終わって笑いましたね。
ペルソナ5 ザ・ロイヤル(PS4)
『ペルソナ』やるのは2の罰以来です。つきなみですが、隔世の感がありますね。
これも多い。やることが多い。タスクが切れ目なく供給されるのは『あつまれ、どうぶつの森』の印象とも近くて、とにかく暇になるということがない。メメントスでレベリングしてるときくらいかな。そういう感覚って個人的にはソシャゲでとりあえずデイリーミッションをこなして石をもらうときの作業感にも近いです。ネガティブな意味ではなく。
日本でもアメリカでもAAAタイトルのRPGはクリアまでのプレイ時間が100時間を超えるのが当たり前になっている昨今ですが、そうまでして膨らませたリソースの費やし方がそれぞれアメリカ(ロックスター)と日本(アトラス)で違うのは興味深くて、たぶんよく言われてることというか雑認識なんでしょうけれど、あっちのRPGは映画からの発展型で、日本のそれはアニメに由来しているのでしょう。単にカットシーンがアニメ的だったり映画的だったりするだけではなくて、セリフ回しだったりとかプロットそのものの語られ方だったりとか世界の質感とかキャラとか細かいシステム周りの積み重ねとか、諸々ぜんぶひっくるめての話。
そういう意味ではFF7Rもかなりアニメっぽくて、かつては映画を志向して破綻した*1野村哲也の夢のあとさきって感じですね。
あと、かすみと丸喜が「ロイヤル」で後付された新キャラであるとクリアしたあとで知ってかなりビビりました。かなり違和感なくシナリオに溶け込んでいたので。『ファイナルファンタジー・タクティクス』にクラウドをチャプター1から出してメインストーリーに絡ませるクラスの芸当じゃないでしょうか。かなりすごいことやってるとおもいます。
姉ゲームオブザイヤー。100時間やらないといけないのでサントラが耳に残りまくる。
グノーシア(Swtich/PS Vita)
PS Vita の末期を看取った話題作がついに Switch に登場。人狼系ループADVと聞くと誰しも思い出すのは名作『レイジングループ』だと思うのですが、ゲーム性は正反対。ド直球のノベルゲーである『レイジングループ』に対して、『グノーシア』は物語性のある『FTL: faster than light』といった印象。要するに麻雀なんですよ。リプレイ性のある秀抜なゲームは例外なく麻雀です。
『グノーシア』で特筆すべきはそのリプレイのストレスのなさ。人狼部分の出来栄えが一人用人狼として相当出来がいいんですよね。ADVっぽいキャラ要素は的確におさえつつも、システマティックにできるとこで抜くとこは抜いているので、一プレイ毎のカロリーがちょうどいい。おかげでエンディングにたどりつくまでの百数十回のループが苦にならない。
そして何より楽しい。一人用人狼っていうとステッパーズ・ストップの『絶対的人狼』とかみたいに情報増やしてロジックで完璧に詰められるようにしていくのかな、と想像していたんですが、やってみると意外なほど忠実に人狼の元のデザインをなぞっている。
じゃあ、どこで推理要素をおぎなっているかというと、キャラなんですよ。各NPCキャラに人格やプレイスタイルが設定されている。その塩梅が実に絶妙なんです。いちいち「このキャラはこういう場面で明確にこんな行動を取りますよ」とは説明してくれないんですが、何度かやっていくうちにプレイヤー自身が「ああ、このキャラがこういう発言するってことはもしかして○○なんじゃないか」と、ぼんやり状況を類推できるようになる。各キャラクターが取る行動自体も、ストーリーで明かされるキャラの性格とマッチしていて「このヒトならこうするのも妥当だな」と納得感が高い。
このプレイ体験の豊かさって、まさに人狼そのものなんですよ。
人狼ってよく「メタ推理禁止」とか言われるじゃないですか。でも、特に内輪でプレイする場合ってどうしても「○○さんはああいう人だから……」という想像がつい働いてしまう。行動原理だけじゃなくて人徳とかそういうのも大いに絡んで、「初日に吊られがちなひと」みたいなポジションがなんとなしにできあがってしまうのもありますよね。
ネット人狼を見ているとまるで論理パズルみたいな印象を受けますけれど、人狼って本質的にはパーティゲームなんですよ。*2
『グノーシア』がすばらしいのは、「論理パズル的推理スポーツとしての人狼」が否定してきた人狼ゲームの本性*3をすくいとることで、むしろロジカルになっているというところ。
人間同士でやる場合にはその日の気分やら体調やら人間関係やらで、どうしても行動原理がブレがちですが、ゲームの場合はそこは揺らがない。それでいて、マンネリ化しない程度にはぼんやりしている。このバランスですよね。奇跡じゃないですか。
そして、ストーリー部分もいい。人狼のルールをSF的な設定に変換しつつ、そのルールをちゃんと深いレベルで物語に落とし込んでいる。ネタバレになるので多くは語りませんが、トゥルーエンド*4でこれまでキャラごとに積み重ねられてきた設定と人狼独自のルールが見事に噛み合ってひとつの「解決編」を生んだのには感心させられました。『レイジングループ』に比肩する傑作であることは間違いないでしょう。
Life is Strange 2 (Steam/PS4/Xbox One)
突然さずかった超能力をテコに自分自身と世界の運命を狂わせていくフランス製(でも舞台はアメリカな)ADVシリーズ第二弾。いや、第一作目の前日譚を含めると第三弾か。
前作での「能力」は「時間巻き戻し」だったのですが、今回は直球に「サイコキネシス」。時間操作はADVのストーリーテリングとの相性がわかりやすかったのですが、今回はどうなるかなとなかば危ぶんでいましたけれど、けっこういい。
プロットの基本線としては、メキシコ系アメリカ人の兄弟がとある悲劇によって父を喪い、自分たちも警察に追われる事態となったことから、もともと住んでいたシアトルから父の故郷であるメキシコへと北米大陸を縦断するロードムービーです。
アメリカで文学界を揺るがす騒動を巻き起こし*5、日本でも最近早川書房から邦訳されたジャニーン・カミンズの『夕陽の道を北へゆけ』ではメキシコからアメリカへ向かって脱出する母子が描かれていて、それはまさに一般的な通念として「悲惨な状況に中南米からアメリカに逃れる」移民の姿に重なっているわけですが、LIS2ではその通念の逆を突くこと*6で、「逃れたくなるほど悲惨なアメリカ」を立ち上がらせています。
兄弟たちがチャプターごとに立ち寄る先も、ガソリンスタンド(エドワード・ホッパーを筆頭にアメリカの画家たちが描き続けていたモチーフ!)、モーテル、オレゴンのド田舎にある老人宅、カリフォルニアの違法大麻農園、ネヴァダの福音派の教会、アリゾナのコミュニティ、そして米僕の国境線、と実に「アメリカ」なロケーションばかり。ストーリー的にも主人公兄弟たちはそうした場所に潜むアメリカ的な抑圧に毎回対峙していくことになります。
その抑圧と対決するためのエンターテイメント的な武器が兄弟の弟に与えられたサイコキネシス能力なのです。未熟な精神に不釣り合いなほど強力な力を持ってしまった弟を兄=プレイヤーとしてどう導き守っていくか、というデザインの中心に据えられていて、プレイヤーはその力を巡るジレンマ的状況における選択で悩んでいく。
マイノリティにスーパーパワーをもたせることで読者にカタルシスと同時に問題意識を喚起させる手法は『X-MEN』の時代からまあまあ定番で、近年でも女性が放電能力を持ったことで男性との地位が逆転する『ザ・パワー』なんていう小説も人気を博しておりましたけれど、LIS2もその例に漏れません。
その「力」を使うことでどういう影響が出て、どういう眼で見られ、使用者自身がどう考えるようになるのか。前作とは違ってやりなおしのきかない選択の連続が、ふたりの逃亡劇をよりヘビーにしていきます。そうして、行き着いたメキシコ国境で、プレイヤーは兄弟に力が与えられた意味を悟ることでしょうーーメタ的な意味で。
本作においてプレイヤーに求められるのは揺らぐことない信念です。つまりは選択の一貫性。その場その場の感情で判断していると弟から「前にいってたことと違うじゃんか!」とキレられ、どんどん信用を失っていきます。これはクソみたいなアメリカから少年という名のイノセンスの灯火を運ぶ旅でもあります。
あなたが救いたいのは弟なのか、自分なのか、世界なのか。前作とは様々な部分で異なりながらも、エッセンシャルな部分ではブレないドント・ノッド社の気概が伝わってきます。
それにしても、Death Stranding といい、真正面からアメリカ論を語ろうとするゲームはなぜ非アメリカ製ものばかりなのでしょうかね。グレート・アメリカン・ゲームという概念があるのかどうかは知りませんけれど。
*1:オリジナル版のFF7のオープニングカットも今見るとかなり映画を意識しているのがわかる
*2:そもそも論理パズルと見た場合にはデザインにいくつもの欠陥があるし。
*3:わたしは全然観てないけれど、よくネット番組とかでやってる芸能人のリアル人狼がいちばん人狼コンテンツの売り方として正しい気がする。視聴する側が「キャラ」を楽しめるという点で。
*4:存在がわかりにくいですが、ちゃんとあります
*5:https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200504-00010000-globeplus-int&p=2
*6:他に「アメリカ側からメキシコに亡命しようとする話」で真っ先に思い浮かぶのは(犯罪映画とかを除くと)『サウスパーク』だったりする