(Behind the Curve、ダニエル・J・クラーク監督、米、2018)
中世の人々は、地球は平らだと信じていた。少なくともそれは自分たちの感覚という証拠に支えられていた。一方、われわれは地球は丸いと信じている。そのような奇妙な考えの物理的根拠を理解している者が1%もいるからではない。今日の科学によって、当然と思われるものはひとつも正しくなく、反対に魔法のようなもの、ありえないもの、尋常ではないもの、巨大なもの、微小なもの、冷酷あるいは腹ただしいものこそが科学的であると、説得されてしまったからである。
ーージョージ・バーナード・ショウ『聖女ジャンヌ・ダルク』序文
Behind the Curve - Official Release Trailer
『ビハインド・ザ・カーブ』は近年アメリカで急速な盛り上がりをみせている地球平面説支持者(Flat Earther フラットアーサー)のコミュニティを記録したドキュメンタリー映画です。
地球平面説とは文字通り、「世界は球体でなく、まっ平らな円盤の形をしている」と考える説で、公教育で教えられている地球球体説は「民衆を洗脳する権力の陰謀」とされます。最近ではラッパーの B.o.B が突然地球平面説支持を表面して天体物理学者と論争になり、なぜか天体物理学者の甥とラップでdisりあいをするなどで話題になりましたね。*1
コペルニクスが『天体の回転について』の第一章の冒頭で「なによりもまず、我々はこの世界が球形であるということを心に刻んでおかねばらない」と宣言してから500年近く、ガガーリンが宇宙から地球の姿を睥睨してから50余年を閲する今日このごろ、なぜそのようなコミュニティがTV番組などでたびたび著名人に言及され、facebookで20万人のフォロワーを獲得する規模にまで盛り上がっているのでしょう。
インターネットのおかげです。
ドキュメンタリーの主人公として据えられるマーク・サージェントは初老の冴えない白人男性です。実家に母親と二人暮らし、少なくともドキュメンタリー内ではなにかしらの労働に従事している様子は見られず、地域の友人とつるんでいる場面もありません。
それでも彼は地球平面説コミュニティ界隈における名士です。四年前に地球平面説に目覚めて youtubeに動画*2を投稿して以来、配信者として熱心に活動し、英語圏の平面説支持者では知らぬもののいない存在となりました。
動画総再生回数1500万回超を誇る彼の youtubeチャンネルの自己紹介欄にはこう書かれています。
「私たちは『トゥルーマン・ショー』*3を何千マイルにも拡張したような閉じた世界にいるのでしょうか? このチャンネルの動画はそれが単なる可能性ではなく、十分に有り得る出来事であると示します」*4
マークは実に快活なおっさんです。陰謀論者のイメージにありがちな陰湿で攻撃的な人物からは程遠い。コミュニティの人々とネットを通じて活発に交流し、それを通じて人気配信者の女性ともちょっとしたロマンスにも築きます。自分で開発したミームを発信し、皆既日食の日には見物客に向かって平面説を「布教」しようとしたりもします。
一部の配信者とは敵対関係にありはするものの、コミュニティでは「youtube時代の地球平面説啓蒙のパイオニア」として概ね尊敬されていて、平面説支持者のコンベンションでも主賓級の扱いを受けています。事実、彼の啓蒙動画によって「目覚めた」人は多い。
彼は間違いなく、コミュニティで最も必要とされている人物なのです。
地球平面説の真偽はともかく、 『ビハインド・ザ・カーブ』には現代における陰謀論コミュニティの在り方がよく描かれています。かつて新興宗教が担っていたメインストリームに弾かれた孤独な弱者の救済をネットの陰謀論コミュニティが代替しているのです。
そういう意味ではネットの陰謀論コミュニティはカルトなき時代のカルトであるといえるでしょう。
たとえば、劇中のコンベンションのある場面で参加者がつぎつぎと自分の孤独さを告白し、そしてその孤立感を救ってもらったコミュニティに感謝するくだりがあります。
宗教とはそもそも社会的弱者のケアのために存在するものです。現行の社会システムから切り捨てられた人々に接近し、ある世界観に則って彼らの生に意味や意義を与え、彼らを受け入れてくれるコミュニティへの扉を開きます。
作家の架神恭介も指摘してるように、コミュニティ要素は重要です。*5かつて創価学会は農村から都会へ出稼ぎにやってきた独身者の青年たちを勧誘し、信者同士の緊密なコミュニケーションを築いてきました。事実、入信後に受けた「御利益」として「人間関係」をあげる信者は多かったのです。*6
本作における地球平面説支持者同士の濃密な交流も、どこかこうした言説を思い出させます。誰もが互いを必要としているがゆえの親密さです。コンベンションではある講演者がこう述べます。「私たちは特別で、人生の目的を見つけた人々なのです」
ネットではSNSによって外界から切り離された空間をたやすく作りやすくなりましたから、エコーチェンバー効果も接触効果も使いたい放題です。また、オルタナ右翼の活動が証明したように、ネットミームと陰謀論コミュニティは相性がいい。マークも車のナンバープレートに平面説支持を表明する文言をまぎれこませるネタを流行らせて、支持者同士のコミュニケーションを促しています。
しかし陰謀論コミュニティは孤独感を解消してくれる一方で、既存の社会とのつながりを切断しもします。ここらへんもカルトにおける出家と一緒ですね。ビリーバーであることを黙って生活している分にはまだ無難ですが、恋人や家族といった親しい人々に自分の信仰を告白したり、伝道師として表に出て積極的に活動しようとしたとたんに破綻をきたしてしまいます。
ここはコミュニティ内のつながりとのは裏表で、そうやって既存の社会から孤立していけばいくほど「わたしにはここしかない」とコミュニティ内への帰属意識が強化されていくわけです。
劇中ではあるビリーバーのグループが高い機材(2万ドルのレーザージャイロ)を購入し、地球平面説を証明しようと実験を繰り返しますが、彼らの仮説に反して地球が球体であることを裏付ける結果ばかり出てしまいます。それでも彼らは「いや、余計な要素が多すぎたんだ」「環境が悪かったんだ」などと言い訳をつけて別の実験を行う。
そこまで地球平面説に固執するのは、球体をおそれているからではありません。「地球平面説支持者のコミュニティ」が崩れてしまうことが怖いのです。
監督はマークにこんな質問を投げかけます。「コミュニティ内に科学者は誰かいますか?」
マークは答えます。「いないよ。ある一定の教育を受けた人間は、その枠から抜け出すことが難しくなるんだ」
インテリは既得権益である、という陰謀論にありがちな糾弾でありますが、マークのこのセリフはもうひとつ示唆が秘められています。
専門知から疎外された人々の不安です。
陰謀論の信じやすさは教育程度に比例するという調査結果*7もありますが、*8こと物理学に関する高度な知識などは、たとえ大卒であったとしても専門外だと了解しづらい。
それでいてネットで自主的に陰謀論を検索して調べる人々は、(出発点はともかく)論理的に筋の通ったことを理解できる力を持っている。*9劇中でも述べられているとおり、彼らは「普通の人々」なのです。陰謀論者の悲劇はそこに端を発します。原初的な「世界のすべてを把握したい」という欲求と、知り尽くすにはあまりに高度に専門化してしまった世界とのあいだに起こる齟齬。無能感。
そこに経済的な格差構造が加わったとき、人は今在る世界を否定したくなってしまう。
すでに知られてしまっているはずなのに手の届かない世界、誰かによって所有されているはずなのに自分は持っていない世界から振り落とされてしまった人々は、バーナード・ショウのいう「自分の感覚」の延長線上で別の世界を作り上げようとします。
それがおそらく爬虫類人類であり、イルミナティであり、ヒラリー・クリントンの関わる児童買春ピザ屋であり、地球平面説なのでしょう。
前提されているのが知識ではなく肌感覚なのだとしたら、陰謀論コミュニティのひとびとが仲睦まじいのも当然です。*10
つまるところ、彼らは真実の発見のためではなく、孤独の解消のために交わるのではないでしょうか。知識の間違いを否定することはできても、その欲望まで否定することは難しい。陰謀論から脱するために必要なのは専門家による論破などではなく*11、人がさびしくならないためのやさしいコミュニティの用意なのかもしれません。
マークは『トゥルーマン・ショー』のラストを引用し、誇らしげにこう述べます。
「あの映画で、すべてまがいものだと気づいたジム・キャリーがその世界を去るのは、彼が失うもののない人間だからだ。出ていかざるをえないんだよ。中の世界にはなにもない。
これが対極にいる贅沢な人物、リムジンや愛人を所有する市長だったらどうだろう? そこから外に出て見知らぬ悪と対峙しようとはしないよ」
「市長」を既得権益層たる科学者たち、ジム・キャリーを真実の探求者たる自分たちに重ねたこのセリフに対し、監督はこう問いかけます。
「今やあなたも平面説支持者たちの『市長』では?」
そうして、マークは返答に詰まってうつむき、ためいきをつきます。
〈おしまい〉
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関連する記事。ドキュメンタリー内でも「YouTubeで啓蒙動画を見て初めて説の存在を知った」という人が出てきます。それだけ食いつきやすい入り口なのですね。
*1:この天体物理学者のタイソン先生も本作にちょっと顔を出しています。
*2:https://www.youtube.com/watch?v=T8-YdgU-CF4
*3:マーク・サージェントが『トゥルーマン・ショー』を始めとした映画がやドラマをよくアナロジーに使うのは興味深いところです。一概のフィクションが現実へ及ぼす作用を軽々に語るのはアレですが、アメリカにおける映画は陰謀論的な想像力を育む装置として機能している面があるのではないでしょうか。
*4:https://www.youtube.com/user/markksargent/about
*6:https://note.mu/girugamera/n/n22d784c3cdb3
*7:https://psycnet.apa.org/record/2016-57821-001
*8:個人的な感触で言えば、陰謀論の教祖となる人は高学歴の非専門家な人が多い気がします
*9:劇中でも引き合いにだされている、[https://ja.wikipedia.org/wiki/ダニング=クルーガー効果:title=ダニング・クルーガー効果
*10:ちなみに『ビハインド・ザ・カーブ』でもコミニュティ内での紛争も描かれたりしています。陰謀論者が陰謀論的ロジックによって黒幕のエージェントに仕立てられる様はアツい
*11:もちろん間違った知識を潰していくことはそれはそれで予防策として重要ですが