*宿題の絵日記のネタに困った「わたし」は、飼い犬のレオナルドが近所のポストまで郵便物を出しに行ったさいに同行したことにして、なんとか体験を捏造しようとする。
居間の机に座しながら通い馴れた近所の風景を思い出しつつ細部を想像力によって補完していく「わたし」の作業は、得体の知れない都市の闇をフィクショナルな空想で作り上げていった panpanyaの過去作の裏返しでもある。
*現実を想起しようとすることと、現実の隙間を虚構によって埋めようとすること。このふたつのあいだにさして距離はないとレオナルドは言う。「日記ってのはいつだってあとから思い出して書くものです。主観と記憶によるものですから必ずしも正確とは限らないものです」。
それを聞いて開き直った「わたし」はわざと知らない道に出て、好き勝手に景色を捏造しだす。知らないはずの場所の記憶を現実として日記に書き留める。そのあたりの描写もまた panpanyaの自己批評なのだろう。
*おもえば panpanyaは空想を現実にし、現実を空想にするためにまんがを描いてきたのではなかったか。panpanyaのまんがに「歩く」行為が頻出するのもそのせいで、歩けば歩くほどわたしたちは街の細部を発見し、しかしそれがどのような機構のどの部分を担っているのかがわからない。遠くに行けば行くほどそうしたわからない細部、全体と噛み合わない細部が増えていく。
*インコプレヘンシブな都市に対する、あるいはテクノロジーに対する畏怖は panpanyaの初期作にただよう薄暗さを裏打ちしていたけれども、最近のそうしたダークさも退潮してきた。理屈っぽい空想で現実の闇に間断のなく抗してきた結果、影が祓われてしまったのだろうか。表題作となっている「グヤバノ・ホリデー」はフィリピン旅行記であり、いつもの奇想的な部分には乏しい。だけれども、フィリピンの街路の細部に向ける観察眼そして薄暗い場所への誘惑はまぎれもなくいつもの panapanya のそれで、センス・オブ・ワンダーとは空想を司るエンジンからではなく、現実の風景を観るレンズから生じるものなのだとおもわされる。
- 作者:panpanya
- 出版社/メーカー:白泉社
- 発売日: 2019/01/31
- メディア:コミック
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